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2024年8月13日 (火) 02:45時点における版

野球球団の投手捕手は総称してバッテリーと呼ばれる。

バッテリーとは、投手捕手を合わせて呼ぶ野球用語である。バッテリーマン[1]、またはバッテリーメイトと呼ばれることもある。

歴史

ヘンリー・チャドウィックは野球における「バッテリー」という用語を生み出した。

「バッテリー」という言葉の語源

野球における「バッテリー」という言葉は、1860年代にヘンリー・チャドウィックが、チームの投手陣の火力を指し、初めて作ったもので、当時の南北戦争で使用されていた砲兵隊にヒントを得たものである[2] 。その後、この用語は投手と捕手の複合的な有効性を示すようになった[2]

投手が気に入った捕手を選ぶという考え方

野球の歴史を通じて、チームには複数の捕手がいるのが一般的だが、スター投手は、一貫して1人の慣れ親しんだ捕手と投球することを好むことが多かった[3]

20世紀の初め、何人かの投手が気に入った捕手を選んでいたことが知られている。スポーツライターフレッド・リーブ英語版は、1899年にニューヨーク・ジャイアンツ(後のサンフランシスコ・ジャイアンツ)で組まれたクリスティ・マシューソンフランク・バウワーマン英語版のバッテリー、1908年フィラデルフィア・アスレチックスで組まれたジャック・クーンズ英語版ジャック・ラップ英語版のバッテリー、1901年にボストン・アメリカンズ (後のボストン・レッドソックス) で最も注目を集めたサイ・ヤングルー・クリガ―英語版のバッテリー、1911年フィラデルフィア・フィリーズで始まったピート・アレクサンダービル・キルファー英語版のバッテリーについて想起している[4]。 その他の成功したバッテリーとしては、1904年に組まれたエド・ウォルシュビリー・サリバン英語版1923年に組まれたウォルター・ジョンソンマディ・ルーエル英語版ダジー・ヴァンスなどがある。[5][6]

1976年MLBの投手数名が気に入ったの捕手を選んだが、この考え方は数十年にわたって実践されなくなっていた。 例えば、フィラデルフィア・フィリーズの捕手ボブ・ブーンは当時最高の捕手とされていたが、投手であるスティーブ・カールトンの要請により、ティム・マッカーバーとバッテリーを組んだ(後にブーンはカリフォルニア・エンゼルスに移籍)。カールトンとマッカ―バーのバッテリーは、同シーズンのカールトンの登板した35試合の内32試合とプレーオフの1試合で好成績を収めた。2人はセントルイス・カージナルス1966年から1969年までの4年間バッテリーを組んでいた[4]。 他にも、1976年にデトロイト・タイガースに入団したばかりの新人投手マーク・フィドリッチは、同じく新人捕手のブルース・キム英語版とバッテリーを組むことを望んだ。フィドリッチとキムのバッテリーは、1976年シーズンのフィドリッチの登板した全29試合に先発出場した。2人は1977年までバッテリーを組んでいた[4]

捕球するのが難しいナックルボールを投げる投手(ナックルボーラー)は、ナックルボールを捕球するのが得意なバッテリーメイトとの投球を好むことが多い[7]。ナックルボーラーとして有名なボストン・レッドソックスティム・ウェイクフィールドは当時のレッドソックスの正捕手であったジェイソン・バリテックがナックルボールの捕球に苦戦していたため、専属捕手としてダグ・ミラベリが起用されていた[8][9][10]

出場試合数の多いバッテリー

アダム・ウェインライトヤディアー・モリーナセントルイス・カーディナルスのバッテリーとして記録的な328試合に出場し、また先発バッテリーによるチーム勝利数記録(213)も保持している。
アメリカ野球殿堂入りしている投手のドン・ドライスデール(左)とサンディ・コーファックス(右)は、ロサンゼルス・ドジャースの捕手であるジョン・ローズボロ(中央)とそれぞれ200試合以上先発出場した。

以下の表は、2022年9月20日現在、1914年以来MLBにおいて200回以上先発出場したバッテリーを示したものである[11][12]

特に注目すべきバッテリーは、1925年から1933年までフィラデルフィア・アスレチックスに在籍したレフティ・グローブビル・ジェームズにより野球史で2番目に偉大な投手と評価されている[13]ミッキー・カクレーン(ジェームズにより野球史で8番目に偉大な捕手と評価されている[14])のバッテリー[11]、1950年から1963年にかけてニューヨーク・ヤンキースワールドシリーズに複数回出場したホワイティー・フォードヨギ・ベラのバッテリーを含む、以下の殿堂入りしたバッテリー5組である[15][16][17]

先発出場試合数 投手 捕手 組まれた年 球団
328 アダム・ウェインライト ヤディアー・モリナ 2007–2022 STL
324 ミッキー・ロリッチ ビル・フリーハン 1963–1975 DET
316 ウォーレン・スパーン デル・クランドール 1949–1963 BSN/MLN
306 レッド・フェイバー レイ・シャーク 1914–1926 CWS
283 ドン・ドライスデール ジョン・ローズボロ 1957–1967 BRO/LAD
282 レッド・ラフィング ビル・ディッキー 1930–1946 NYY
270 スティーブ・ロジャース ゲイリー・カイター 1975–1984 MON
264 ボブ・レモン ジム・ヒーガン 1946–1957 CLE
250 アーリー・ウィン ジム・ヒーガン 1949–1957 CLE
248 トム・グラビン ハビー・ロペス 1994–2002 ATL
247 レフティ・ゴメス ビル・ディッキー 1931–1942 NYY
240 ボブ・フェラー ジム・ヒーガン 1941–1956 CLE
239 フェルナンド・バレンズエラ マイク・ソーシア 1981–1990 LAD
237 スタン・コベレスキ スティーブ・オニール英語版 1916–1923 CLE
237 トム・シーバー ジェリー・グロート 1967–1977 NYM
230 ルー・バーデット英語版 デル・クランドール 1953–1963 MLN
228 スティーブ・カールトン ティム・マッカーバー 1965–1969, 1972–1979 STL,PHI
224 レフティ・グローブ ミッキー・カクレーン 1925–1933 PHA
221 ポール・デリンジャー英語版 アーニー・ロンバルディ 1933–1941 CIN
212 ホワイティー・フォード ヨギ・ベラ 1950–1963 NYY
208 サンディー・コーファックス ジョン・ローズボロ 1957–1966 BRO/LAD
208 マイク・フラナガン リック・デンプシー 1976–1986 BAL
207 ジャック・モリス ランス・パリッシュ 1978–1986 DTL
207 コール・ハメルズ カルロス・ルイーズ 2006–2015 PHI
203 ルーブ・ウォルバーグ英語版 ミッキー・カクレーン 1925–1933 PHA
203 ビリー・ピアース シェーム・ロラー英語版 1952–1961 CWS
202 デーブ・スティーブ アーニー・ウィット 1980–1989 TOR

  アメリカ野球殿堂入り

バッテリーでのノーヒットノーラン記録

1938年6月、シンシナティ・レッズの投手ジョニー・ヴァンダー・ミーアとアメリカ野球殿堂入りの捕手アーニー・ロンバルディは5日間で2度のノーヒットノーランを記録した。
マックス・シャーザーウィルソン・ラモスのバッテリーは、2015年にワシントン・ナショナルズで2度のノーヒットノーランを記録した。

下の表は、MLBにおいて2回以上のノーヒットノーランを記録しているバッテリーの組み合わせを示している。

達成回数 投手 捕手 日時 球団 出典
2[* 1] ラリー・コーコラン シルバー・フリント英語版 1880年

8月19日

CWS [18]
1882年

9月20日

[18]
2[* 1] ラリー・コーコラン キング・ケリー 1880年

8月19日

CWS [18]
1884年

6月27日

[18]
2 パッド・ガルヴィン ジャック・ロウ英語版 1880年

8月20日

バッファロー・バイソンズ [18]
1884年

8月4日

[18]
2 アドニス・テリー英語版 ジミー・ピープルズ英語版 1886年

7月24日

BRO [19]
1888年

5月27日

[20]
2 サイ・ヤング ルー・クリガ―英語版 1904年

5月5日

BOS [21]
1908年

6月30日

[22]
2 アディ・ジョス ニグ・クラーク英語版 1908年

10月2日

CLE [23]
1910年

4月20日

[24]
2 ジョニー・ヴァンダー・ミーア アーニー・ロンバルディ 1938年

7月11日

CIN [25]
1938年

7月15日

[26]
2 アリー・レイノルズ英語版 ヨギ・ベラ 1951年

7月12日

NYY [27]
1951年

9月28日

[28]
2 カール・アースキン英語版 ロイ・キャンパネラ 1952年

6月19日

BRO [29]
1956年

5月12日

[30]
2 サンディー・コーファックス ジョン・ローズボロ 1962年

6月30日

LAD [31]
1963年

5月11日

[32]
2 スティーブ・バスビー フラン・ヒーリー英語版 1973年

4月27日

KC [33]
1974年

6月19日

[34]
2 ロイ・ハラデイ カルロス・ルイーズ 2010年

5月29日

PHI [35]
2010年

10月6日

[36]
2 ホーマー・ベイリー ライアン・ハニガン 2012年

9月28日

CIN [37]
2013年

7月2日

[38]
2 マックス・シャーザー ウィルソン・ラモス 2015年

6月20日

WSH [39]
2015年10月3日 [40]
  1. ^ a b 1880年8月19日のコーコランのノーヒットノーランは、途中で捕手がフリントからケリーに交代しての達成。


  アメリカ野球殿堂入り

兄弟バッテリー

以下の表には、MLBの1シーズン中に同じMLB球団でプレーした投手と捕手の兄弟が並べられている。並べられている2人は実際のMLBの試合でバッテリーとして出場したことがない可能性もある[41]

以下に挙げた選手の中でもユニークなのは、モート・クーパーとウォーカー・クーパー兄弟である。2人は1942年1943年MLBオールスターゲームナショナルリーグの先発バッテリーを務め、1942年1943年1944年ワールドシリーズにもバッテリーとして出場しました。兄弟バッテリーとしてオールスターゲーム先発出場、ワールドシリーズ出場の両方の偉業を達成したのは、2人だけだった。

1959年から1963年にはロサンゼルス・ドジャースノーム・シェリー英語版と弟のラリー・シェリー英語版のバッテリーが組まれた。
内野も外野も守れるユーティリティープレイヤーアンドリュー・ロマインは、2021年にシカゴ・カブスが大敗を喫した際にマウンドに登り、オースティン・ロマインと兄弟バッテリーを組んだ。
球団 投手 捕手
1987年のボストン・レッドキャップス英語版
1878年のシンシナティ・レッズ
1879年のシンシナティ・レッズ
ウィル・ホワイト ディーコン・ホワイト
1884年のリッチモンド・バージニアンズ エド・デュガン英語版 ビル・デュガン
1885年のバッファロー・バイソンズ ピート・ウッド フレッド・ウッド
1886年のボルチモア・オリオールズ ディック・コンウェイ ビル・コンウェイ
1890年のニューヨーク・ジャイアンツ (プレイヤーズリーグ)
1891年のニューヨーク・ジャイアンツ
ジョン・ユーイング バック・ユーイング
1902年のセントルイス・カージナルス
1903年のセントルイス・カージナルス
マイク・オニール ジャック・オニール
1912年のニューヨーク・ハイランダーズ トミー・トンプソン ホーマー・トンプソン
1914年のボストン・ブレーブス レフティー・テイラー フレッド・テイラー
1924年のセントルイス・スターズ ジョージ・ミッチェル ロバート・ミッチェル
1927年のカンザスシティ・モナークス モーリス・ヤング トム・ヤング
1929年のボストン・レッドソックス ミルト・ガストン アレックス・ガストン
1932年のキューバ・スターズ (東地区)
1933年のキューバ・スターズ
1934年のキューバ・スターズ
1939年のニューヨーク・キューバンズ
1944年のニューヨーク・キューバンズ
ルディ・ヘルナンデス ホセ・フェルナンデス
1934年のボストン・レッドソックス
1935年のボストン・レッドソックス
1936年のボストン・レッドソックス
1937年のボストン・レッドソックス
1937年のワシントン・セネタース
1938年のワシントン・セネタース
ウェス・フェレル リック・フェレル
1940年のセントルイス・カージナルス
1941年のセントルイス・カージナルス
1942年のセントルイス・カージナルス
1943年のセントルイス・カージナルス
1944年のセントルイス・カージナルス
1945年のセントルイス・カージナルス
1947年のニューヨーク・ジャイアンツ
モート・クーパー ウォーカー・クーパー
1941年のシンシナティ・レッズ
1944年のシンシナティ・レッズ
1945年のシンシナティ・レッズ
1948年のピッツバーグ・パイレーツ
エルマー・リドル ジョニー・リドル
1954年のフィラデルフィア・フィリーズ

1955年のカンザスシティ・アスレチックス

1960年のニューヨーク・ヤンキース
ボビー・シャンツ ビリー・シャンツ
1959年のシンシナティ・レッズ ジム・ベイリー エド・ベイリー
1959年のロサンゼルス・ドジャース

1960年のロサンゼルス・ドジャース

1961年のロサンゼルス・ドジャース

1962年のロサンゼルス・ドジャース
ラリー・シェリー ノーム・シェリー
2021年のシカゴ・カブス[42] アンドリュー・ロマイン オースティン・ロマイン

  アメリカ野球殿堂入り

その他の記録と初記録

モーゼス・フリート・ウォーカー(写真)とジョージ・ストービ―英語版はMLB初の黒人バッテリーを結成した。
1941年のカンザスシティ・モナークスフランク・ダンカン・ジュニア英語版(写真)とその息子フランク・ダンカン3世英語版はMLBで唯一の親子バッテリーだと考えられている。

出場試合数の多いバッテリー

MLBで最も多くの試合に一緒に出場したバッテリーはマリアノ・リベラホルヘ・ポサダのバッテリーで、1995年から2011年の間にニューヨーク・ヤンキースで598試合に出場した[43]

チーム勝利試合数の多い先発バッテリー

先発勝利回数の最も多いバッテリーは、アダム・ウェインライトヤディアー・モリーナのバッテリーで、213勝を挙げている[44]

最も多くの投球回を投げたバッテリー

1914年から1928年までシカゴ・ホワイトソックスで一緒にプレーしたレッド・フェイバーレイ・シャークのバッテリーは、バッテリーとしての最多投球回(2553.2)を記録した[45]

同一試合での満塁本塁打

サンフランシスコ・ジャイアンツマディソン・バンガーナーバスター・ポージーは、2014年7月13日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で、MLB初の同一試合での満塁本塁打を達成したバッテリーとなった。バンガーナーは4月11日にも満塁本塁打を放っていたため、バンガーナーにとって同年2本目の満塁本塁打となった[46]

黒人バッテリー

投手のジョージ・ストービー英語版と捕手のモーゼス・フリート・ウォーカーは、1887年にインターナショナル・アソシエーションニューアーク・リトルジャイアンツ英語版でチームを組み、MLB史上初の黒人バッテリーを結成した。このバッテリーはシーズン開幕から10連勝を記録したが、7月15日にシカゴ・ホワイトストッキングスが試合出場を拒否し、リーグが人種差別を実施することとなった(カラー・ライン (野球)英語版[47][48]

親子バッテリー

1941年のカンザスシティ・モナークスフランク・ダンカン・ジュニア英語版とその息子のフランク・ダンカン3世英語版はMLBで唯一の親子バッテリーであると考えられている[49][50]

2012年、元メジャーリーガーのロジャー・クレメンスは引退から復帰後、アトランティックリーグマイナーリーグシュガーランド・スキーターズで投手となり、9月7日の試合で息子のコビー・クレメンス英語版とバッテリーを組んだ[51][52][53]

日本プロ野球におけるバッテリー

最優秀バッテリー賞

日本野球機構のプロ野球では、毎年スポーツニッポン新聞社が主催で「プロ野球最優秀バッテリー賞」を授与している。

バッテリーを題材にした作品

バッテリーを題材にした作品がある。

関連項目

脚注

  1. ^ Battery (baseball) – Britannica Online Encyclopedia”. Encyclopædia Britannica. 2008年11月11日閲覧。
  2. ^ a b Edward Gruver. “Koufax”. BaseballLibrary.com. 2008年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月11日閲覧。
  3. ^ Major league teams wrestle with personal catchers”. usatoday.com (March 9, 2015). 2021年9月23日閲覧。
  4. ^ a b c Grosshandler. “Pitcher's Choice”. Research Journals Archive. Society for American Baseball Research. 2018年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月20日閲覧。
  5. ^ Muddy Rule New York Times obituary at thedeadballera.com”. thedeadballera.com. 2019年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月8日閲覧。
  6. ^ Hank DeBerry Dead」『The Pittsburgh Post-Gazette』(Associated Press)1951年9月11日、14面。2018年5月8日閲覧。
  7. ^ Aaron Gleeman (2013年2月21日). “R.A. Dickey and his knuckleball will have a personal catcher”. nbcsports.com. 2021年9月23日閲覧。
  8. ^ Doug Mirabelli got a police escort to Fenway Park 13 years ago today”. nbcsports.com (2019年5月1日). 2021年9月23日閲覧。
  9. ^ Brita Meng Outzen (2008年3月15日). “Knuckleballer saddened by Boston's release of personal catcher”. thesunchronicle.com. 2021年9月23日閲覧。
  10. ^ Wakefield's personal catcher Mirabelli released”. espn.com (2008年3月13日). 2021年9月23日閲覧。
  11. ^ a b Doug (2016年1月28日). “200 Game Batteries”. High Heat Stats. 2020年8月15日閲覧。
  12. ^ Silver, Zachary「'This is my home': Molina ready to chase title」『MLB.com』2021年2月9日。2021年2月16日閲覧。
  13. ^ David Schoenfield (2012年12月13日). “Hall of 100: Best pitcher of all time”. ESPN. 2020年4月29日閲覧。
  14. ^ Bill James (2017年12月14日). “Catchers of the Last 40 years”. Bill James Online. 2020年4月29日閲覧。
  15. ^ Barra, Allen (2009). Yogi Berra: Eternal Yankee. W. W. Norton. p. 269. ISBN 978-0393062335. https://books.google.com/books?id=jioUaBmS8FcC&pg=PA269 
  16. ^ Yogi Berra's Pitchers”. Catcher's Battery Mates. Society for American Baseball Research. 2012年10月20日閲覧。
  17. ^ Whitey Ford's Battery Mates”. Catching Hall Of Fame Pitchers. Society for American Baseball Research. 2012年10月20日閲覧。
  18. ^ a b c d e f Catchers Who Caught No Hitters”. bb_catchers.tripod.com. Encyclopedia of Baseball Catchers. 2012年7月19日閲覧。
  19. ^ In The Base Ball Field」『The Sun (New York)』1886年7月25日。
  20. ^ A Big Day For Terry」『The Sun (New York)』1888年5月28日。
  21. ^ Philadelphia Athletics at Boston Americans Box Score, May 5, 1904”. baseball-reference.com. 2022年6月25日閲覧。
  22. ^ Boston Red Sox at New York Highlanders Box Score, June 30, 1908”. baseball-reference.com. 2022年6月25日閲覧。
  23. ^ Chicago White Sox at Cleveland Naps Box Score, October 2, 1908”. baseball-reference.com. 2022年6月25日閲覧。
  24. ^ Cleveland Naps at Chicago White Sox Box Score, April 20, 1910”. baseball-reference.com. 2022年6月25日閲覧。
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  27. ^ New York Yankees at Cleveland Indians Box Score, July 12, 1951”. baseball-reference.com. 2022年6月25日閲覧。
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  30. ^ New York Giants at Brooklyn Dodgers Box Score, May 12, 1956”. baseball-reference.com. 2022年6月25日閲覧。
  31. ^ New York Mets at Los Angeles Dodgers Box Score, June 30, 1962”. baseball-reference.com. 2022年6月25日閲覧。
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外部リンク

  • Johnson (2018年4月24日). “Long-Term Battery Combinations”. SeamHeads.com. 2024年7月25日閲覧。 3,000以上のアウトを記録したバッテリー(1893~2017年)。