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'''シェリル・スザンヌ・クロウ'''(Sheryl "Suzanne" Crow、[[1962年]][[2月11日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ミズーリ州]]ケネット出身の[[カントリー・ミュージック|カントリー&ウェスタン]]を中心にした[[シンガーソングライター]]、[[レコード・プロデューサー]]、[[俳優|女優]] |
'''シェリル・スザンヌ・クロウ'''(Sheryl "Suzanne" Crow、[[1962年]][[2月11日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ミズーリ州]]ケネット出身の[[カントリー・ミュージック|カントリー&ウェスタン]]を中心にした[[シンガーソングライター]]、[[レコード・プロデューサー]]、[[俳優|女優]]、政治活動家。身長161cm。彼女の音楽は[[ロック (音楽)|ロック]]、[[フォークソング|フォーク]]、[[ヒップホップ#ヒップホップ・ミュージック|ヒップホップ]]、[[カントリー・ミュージック]]、[[ポップ・ミュージック]]の要素を組み込んでいる。これまで7枚の[[アルバム]]の他、2枚の[[コンピレーション・アルバム]]、1枚の[[ライブ・アルバム]]を発表し、また多数の[[映画]]の[[サウンドトラック]]にも楽曲提供している。全米で1,700万枚、世界で5,000万枚のレコード・セールスを記録し<ref>{{cite web|url=http://www.nme.com/news/sheryl-crow/64153 |title=Sheryl Crow diagnosed with brain tumour | News |publisher=Nme.Com |date=June 6, 2012 |accessdate=February 11, 2013}}</ref>、これまでに9回にわたって[[ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス]]から[[グラミー賞]]を受賞している(ノミネートは32回)。 |
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[[ローリング・ストーンズ]]とも演奏したことがあり、[[マイケル・ジャクソン]]、[[エリック・クラプトン]]、[[ルチアーノ・パヴァロッティ]]、[[ウィリー・ネルソン]]、[[B.B.キング]]、[[トニー・ベネット]]、[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]などと[[デュエット]]を歌った<ref>[http://www.iorr.org/tour02/oakland.htm The Rolling Stones live at the Oakland Arena, Oakland, CA, Nov. 12, 2002 by IORR] ''Iorr.org'' Retrieved on November 25, 2007</ref>。[[ティナ・ターナー]]、マイケル・ジャクソン、[[ドン・ヘンリー]]、[[スティーヴィー・ニックス]]、[[ベリンダ・カーライル]]、および[[ボブ・ディラン]]のデビュー30周年記念公演にて[[コーラス (ポピュラー音楽)|バッキング・ヴォーカル]]として演奏。 |
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女優としても[[NBC]]の『[[30 ROCK/サーティー・ロック]]』、[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]の『''[[::en:GCB (TV series)|GCB]]'' 』、『[[クーガータウン]]』、[[ディズニー・チャンネル]]の『[[シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ]]』第4シーズン、[[ジョン・スチュワート (コメディアン)|ジョン・スチュワート]]と[[スティーヴン・コルベア]]の『''[[::en:Rally to Restore Sanity and/or Fear|Rally to Restore Sanity and/or Fear]]'' 』、『[[One Tree Hill]]』など様々なテレビ番組に出演している<ref>{{cite web|title=Comics gather horde on National Mall to seek civility in politics|url=http://www.miamiherald.com/2010/10/30/1899946/comics-gather-horde-on-national.html|publisher=''[[::en:The Miami Herald|The Miami Herald]]''|date=October 30, 2010|author=Steven Thomma|coauthors=David Lightman|accessdate=October 30, 2010}} {{Dead link|date=November 2010|bot=H3llBot}}</ref>。 |
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==来歴== |
==来歴== |
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=== 生い立ち === |
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弁護士の父親とピアノ講師の母親の間に誕生。5歳の頃から[[ピアノ]]などを習い始め、大学在学中にはカシミールというバンドでキーボーディストとして活動していた。大学卒業後は小学校の教師として音楽を教えていたが、[[1986年]]に、自らの音楽への夢を追うため、カリフォルニアに移住する。翌[[1987年]]の[[マイケル・ジャクソン]]のコンサート・ツアー「バッド」(BAD)でのコーラスを務め、ツアーの一環で同年9月から10月にかけて来日もしている。その後、[[ロッド・スチュワート]]や[[ドン・ヘンリー]]などのレコーディングへの参加や[[エリック・クラプトン]]への楽曲提供などを経て、[[A&Mレコード]]と[[1990年]]に契約する。 |
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ミズーリ州ケネットで、弁護士で[[トランペット]]演奏者の父親と[[ピアノ]]講師の母親の間に誕生<ref>{{cite news |first= Chrissy |last= Iley |title= Sheryl Crow: The crow must go on |work= The Sunday Times |publisher= Times Newspapers |date= March 16, 2008}}</ref>。姉2人と弟1人がいる。 |
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ケネット高等学校在学中、[[マーチングバンド]]のダンサーと陸上競技に参加し、75mハードル競争の全米選手権でメダルを獲得した。またチアリーダー、''[[::en:National Honor Society|National Honor Society]]'' 、''[[::en:National FFA Organization|National FFA Organization]]'' 、''Paperdoll Queen'' に所属していた。ミズーリ州[[コロンビア (ミズーリ州)|コロンビア]]にある[[ミズーリ大学コロンビア校]]に進学し、作曲、演奏、教育の学士を取得。大学在学中にはカシミールという地元のバンドで歌っていた。[[フラタニティとソロリティ|フラタニティ]]''[[::en:Kappa Alpha Theta|Kappa Alpha Theta]]'' 、女性の国際音楽フラタニティ''[[::en:Sigma Alpha Iota|Sigma Alpha Iota]]'' 、''[[::en:Omicron Delta Kappa|Omicron Delta Kappa]]'' に所属し、''Summer Welcome'' ではオリエンテーション・リーダーを務めた<ref>{{cite video |people= Ben Graham |date= April 28, 2003 |title= Maximum Sheryl Crow |medium= Audio CD |publisher= Chrome Dreams |accessdate= March 7, 2008 }}</ref>。後にミズーリ大学とミズーリ州[[ケープジラード (ミズーリ州)|ケープジラード]]にある[[サウスイースト・ミズーリ州立大学]]より[[名誉学位]]を授与された<ref>Rock rocks the troops, Elvis visits the Crossroads and more: Dec 19, 2001 rolling stone RealNetworks</ref>。 |
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当初は、[[1991年]]にソロ・デビューするはずだったが、「大衆受けする要素に欠けている」という理由で、レコード会社から発売を無期延期される。[[1993年]]、ビル・ボットレルがプロデュースを手掛けたアルバム『[[チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ]]』(Tuesday Night Music Club)で、ようやくソロ・デビュー。このアルバムは、全世界で700万枚を超えるセールスを記録。同作収録曲の「[[オール・アイ・ワナ・ドゥ]]」(All I Wanna Do)は全米[[ビルボード]]チャートで最高2位まで上昇する大ヒットとなり、[[1994年]]の第37回[[グラミー賞]]ではレコード・オブ・ザ・イヤーおよびベスト・フィーメイル・ポップ・ボーカル・パフォーマンスを受賞し、クロウ自身も最優秀新人賞に輝いた。 |
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彼女の音楽の創造性は1つのジャンルからくるものではなく、彼女はドラムのビートが鳴る曲であれば何でも好んでいた。2008年、彼女は[[エレン・デジェネレス]]に「もしもドラムがなかったらその曲を覚えられないでしょう」と語った<ref>{{cite web|url=http://folkmusic.about.com/od/artistsaj/a/SherylCrowQA.htm |title=Sheryl Crow - Interview With Sheryl Crow About Detours |publisher=Folkmusic.about.com |date=March 10, 2011 |accessdate=October 11, 2011}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.youtube.com/watch?v=7YhkSZfumyU |title=Sheryl Crow interview on Ellen Degeneres 03-17-2008 |publisher=YouTube |date= Mar 17, 2008 |accessdate=October 11, 2011}}</ref>。 |
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次いで[[1996年]]に発表された、自身の名を冠したセカンド・アルバム『[[シェリル・クロウ (アルバム)|シェリル・クロウ]]』(Sheryl Crow)も大ヒットを記録し、[[1997年]]度の[[グラミー賞]]で二部門(女性ロック歌手賞、ロックアルバム賞)、英国の[[ブリット・アワード]]でも一部門を受賞した。以降、クロウは同賞の[[ノミネート]]常連として、現在までに9回受賞している。[[1995年]]に、ソロ初の来日公演を行い、以降プロモーションやシークレット・ライブを目的としたものを含め6回(うちツアーでは3回)来日している。 |
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=== 初期 === |
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[[1997年]]、[[サラ・マクラクラン]]が提唱した女性主導型のライヴイベントである「リリス・フェア」に参加(1998年、1999年にも参加。2010年の復活ツアーにも参加予定)。 |
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大学卒業前からミズーリ州[[フェントン (ミズーリ州)|フェントン]]のケリソン小学校の教師として音楽を教えていた<ref>{{cite book |last= Brown |first= John W. |title= Famous Faces of Missouri |date= April 21, 2006 |publisher= Emmis Books |isbn= 1-57860-251-3 }}</ref>。当時いくつかのバンドで週末に歌う機会を得た。その後、地元のミュージシャンでプロデューサーのジェイ・オリヴァーを紹介された。彼はミズーリ州[[セントルイス]]にある彼の両親の家の地下にスタジオを所有しており、彼女がコマーシャルの[[ジングル (ラジオ)|ジングル]]を作成する手助けをした。彼女が製作した最初のジングルは、セントルイスのデパートメント・ストア''[[::en:Famous-Barr|Famous-Barr]]'' の新年度セールであった。その後[[マクドナルド]]や[[トヨタ自動車]]のコマーシャルのジングルも製作。『[[60 Minutes]]』で |
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マクドナルドのコマーシャルだけで4万ドルを稼いだと引用された<ref name="60minute_interview">[http://www.cbsnews.com/stories/2003/01/09/60minutes/main535862.shtml Sheryl Crow Sounds Off As She Frankly Talks Shop With Steve Kroft, On CBS '60 Minutes'] (July 20, 2003). Accessed: February 20, 2008.</ref>。 |
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[[1986年]]に、自らの音楽への夢を追うため、カリフォルニアに移住する。翌[[1987年]]から[[1989年]]、マイケル・ジャクソンのコンサート・ツアー『[[Bad World Tour]]』でのコーラスを務め、ツアーの一環で同年9月から10月にかけて来日もしている。しばしば『[[キャント・ストップ・ラヴィング・ユー]]』でジャクソンと演奏した<ref name="allmusicbio">[{{Allmusic|class=artist|id=p26313/biography|pure_url=yes}} AllMusic.com Sheryl Crow Biography] Accessed: February 20, 2008.</ref>。[[スティーヴィー・ワンダー]]、ベリンダ・カーライル、ドン・ヘンリーなど多くの著名なアーティストのバッキング・ヴォーカルとしてレコーディングへ参加。 |
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[[1998年]]にサードアルバム『[[グローブ・セッションズ]]』(The Globe Sessions)をリリースし、[[1999年]]度の[[グラミー賞]]で二部門受賞。 |
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1990年、短期間で終わった[[スティーヴン・ボチコ]]のドラマ『''[[::en:Cop Rock|Cop Rock]]'' 』で歌った。同年、映画『''[[::en:Bright Angel|Bright Angel]]'' 』に彼女の曲『''Heal Somebody'' 』が登場した。翌年彼女は映画『[[ハートブルー]]』のサウンドトラックで使用された『''Hundreds of Tears'' 』を演奏し、[[ケニー・ロギンス]]のアルバム『''[[::en:Leap of Faith (Kenny Loggins album)|Leap of Faith]]'' 』の曲『''I Would Do Anything'' 』で彼とデュエットした。 |
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[[1999年]]、[[ニューヨーク]]・[[セントラルパーク]]にてコンサートを行う。その模様は『ライヴ・フロム・セントラル・パーク』(Sheryl Crow and Friends: Live from Central Park)としてリリースされた。またこのコンサートは多彩なゲスト陣(盟友でもある[[ディクシー・チックス]]、[[サラ・マクラクラン]]、[[プリテンダーズ|クリッシー・ハインド]]、[[スティーヴィー・ニックス]]、かつての交際相手[[エリック・クラプトン]]、そして[[キース・リチャーズ]])が話題となった。 |
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=== 1990年代 === |
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[[2002年]]に4枚目となるアルバム『カモン・カモン』(C'mon C'mon)をリリース。この作品は日本では[[オリコン]]アルバムチャート最高位9位と大ヒット。日本公演を収めたライブ盤『Live at 武道館』も日本のみリリースされた。翌年のグラミー賞ではシングル 「スティーブ・マックイーン」(Steve McQueen)で女性ロック歌手賞を受賞。 |
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==== 1992年: デビュー・アルバムの頓挫 ==== |
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またこの作品でも多彩なゲスト([[ドン・ヘンリー]]、[[レニー・クラヴィッツ]]、[[エミルー・ハリス]]、[[スティーヴィー・ニックス]]、[[リズ・フェア]]、[[グウィネス・パルトロウ]]など)が話題に。 |
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[[1990年]]、[[A&Mレコード]]と契約し、1992年、[[フィル・コリンズ]]のプロデューサー[[ヒュー・パジャム]]によるデビュー・アルバムに予定された曲のレコーディングを行なった。当初は、1992年9月22日に自身の名を冠したアルバムが発売されるはずだったが、レコード会社から発売を無期延期される<ref>{{cite web|last=Dye |first=David |url=http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=17248989 |title=Sheryl Crow: Surviving Life's 'Detours' |publisher=Npr.org |date=February 4, 2008 |accessdate=October 19, 2010}}</ref>。しかしながらこのアルバムの宣伝活動に使われるはずであった複製版が出版業者を通じて数多く出回った。このアルバムは[[ファイル共有ソフト]]やファン・トレーディングなどで現在も広く出回っている。彼女の曲は[[セリーヌ・ディオン]]、[[ティナ・ターナー]]、[[ワイノナ・ジャッド]]など多くの著名なアーティストによりレコーディングされた。 |
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==== 1993年~1997年: 世界規模の成功 ==== |
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さらに、この頃、楽曲の良さよりもビジュアルの良さを重視するようになった音楽業界に嫌気が差して鬱病になり、引退を考えていたということも告白している。 |
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当時彼女は[[ケヴィン・ギルバート]]と交際を始め、彼の所属する即興音楽グループ''Tuesday Music Club'' に彼女も参加するようになった<ref>{{cite web |url= http://www.metroactive.com/papers/metro/08.01.96/gilbert-obit-9631.html |title= All Rocked Out |accessdate= December 16, 2007 |author= Richard Sine |date= August 1, 1996 |work= [[::en:Metro Silicon Valley|Metro Silicon Valley]]}}</ref>。[[1993年]]、ビル・ボットレルがプロデュースを手掛けたアルバム『[[チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ]]』(Tuesday Night Music Club)で、ようやくソロ・デビュー。このグループのメンバーのギルバート、[[デイヴィッド・ベアウォルド]]、[[デイヴィッド・リケッツ]](2人は[[デイヴィッド&デイヴィッド]]を結成していた)、[[ビル・ボトレル]]、ブライアン・マクリオド、ダン・シュワルツ<ref>[{{Allmusic|class=artist|id=p354142|pure_url=yes}} {{Allmusic|class=artist|id=p354142|pure_url=yes}}] ''Allmusic.com''</ref>は彼女のデビュー・アルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』で作曲者名に名を連ねている<ref name="allmusicbio"/>。 |
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このアルバム発売以降、シェリル自身もセクシーさを強調した服装でミュージック・ビデオや公の場に出ることが多くなる。 |
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1993年、『[[ローリング・ストーン]]』誌の新人部門に登場。『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』の曲は2枚目のシングル『''[[::en:Leaving Las Vegas (song)|Leaving Las Vegas]]'' 』を含みほとんど友人達により作曲されたものである。1994年秋に『[[オール・アイ・ワナ・ドゥ]]』が予期せぬ大ヒットとなるまでこのアルバムはゆっくりと売り上げを伸ばしていった。後に彼女が『[[ピープル (雑誌)|ピープル]]』誌に語ったところによると、[[ロサンゼルス]]の辺りの古本屋で古い詩集を見つけ、曲の歌詞に使ったそうである<ref name=cooper>{{cite web |author= staff |title= Wyn Cooper: A Serendipitous Career |publisher= Academy of American Poets |date= n.d. |url= http://www.poets.org/viewmedia.php/prmMID/5822 |accessdate= August 23, 2009 |quote = Cooper, who had been quietly stringing together teaching gigs and establishing his reputation as a poet, was soon receiving royalty checks big enough to allow him to stop working. }} (Archived by WebCite at http://www.webcitation.org/5jEsTseOt)</ref>。シングル『''[[::en:Strong Enough (Sheryl Crow song)|Strong Enough]]'' 』と『''Can't Cry Anymore'' 』が発表され、[[ビルボード]]において『''Strong Enough'' 』は5位、『''Can't Cry Anymore'' 』は40位となった<ref>[http://www.billboard.com/charts/1995-02-11/hot-100 Chart Listing For The Week Of Feb 11, 1995]{{dead link|date=October 2010}}</ref>。このアルバムは、1990年代のアメリカと[[イギリス]]で700万枚を超えるセールスを記録。同作収録曲の「[[オール・アイ・ワナ・ドゥ]]」(All I Wanna Do)は全米[[ビルボード]]チャートで最高2位まで上昇する大ヒットとなり、[[1995年]]の第37回[[グラミー賞]]では最優秀レコード賞、最優秀新人賞、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の3冠を受賞した<ref name="allmusicbio"/>。1994年と1997年に[[ウッドストック・フェスティバル]]、1997年に''[[::en:Another Roadside Attraction (festival)|Another Roadside Attraction]]'' に出演<ref>[http://www.nowtoronto.com/issues/16/48/Ent/cover.html INSIDE ROADSIDE – on the bus with the tragically hip as rock's biggest wheels roll across Canada] ''nowtoronto.com'' Retrieved on November 25, 2007</ref>。 |
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[[2003年]]、『ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ』(Very Best of Sheryl Crow)をリリース。シングルカットされた「[[ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト]]」([[キャット・スティーヴンス]]の曲のカヴァー)はラジオでパワープレイされ、爆発的な人気を得た。彼女のラジオでの最大のヒット曲となり、米国のエアプレイチャートで1位を獲得。Billboard Hot 100に36週にわたってチャートインして、[[ゴールドディスク#プラチナディスク|プラチナディスク]]に認定され、Billboard Hot 100では最高14位に達した。2003年、2004年の[[アメリカン・ミュージック・アワード]]においても最優秀女性ロックアーティスト賞、[[2005年]][[ピープルズ・チョイス・アワード]]でも最優秀カヴァー賞を受賞。 |
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1995年のドン・ヘンリーのアルバム『''[[::en:Actual Miles: Henley's Greatest Hits|Actual Miles: Henley's Greatest Hits]]'' 』の収録曲『''[[::en:The Garden of Allah (song)|The Garden of Allah]]'' 』にバックグラウンド・ヴォーカルとして参加。[[1995年]]に、ソロ初の来日公演を行い、以降プロモーションやシークレット・ライブを目的としたものを含め6回(うちツアーでは3回)来日している。 |
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[[2005年]]、5枚目のアルバム『ワイルドフラワー』(Wildflower)をリリース。 |
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次いで[[1996年]]に自身の名を冠したセカンド・アルバム『[[シェリル・クロウ (アルバム)|シェリル・クロウ]]』を発表<ref>{{cite book |last= Jagger |first= Mick |authorlink= Mick Jagger |coauthors= Dora Loewenstein, Philip Dodd |title= According to the Rolling Stones |month= October 2003 |publisher= Chronicle Books |isbn= 0-8118-4060-3 |page= 316}}</ref>。このアルバムには[[妊娠中絶]]、[[ホームレス]]、[[核戦争]]についての曲が含まれている。このアルバムからの1枚目のシングル『[[イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー]]』は主にラジオでも大ヒットを記録し、[[1997年]]の[[第39回グラミー賞]]で最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞、最優秀ロック・アルバム賞の二部門を受賞した<ref>[http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9905E7DE1231F93BA15751C0A961958260] Winners of the 1997 Grammy Awards</ref>。このアルバムからの他のシングルは『''[[::en:A Change Would Do You Good|A Change Would Do You Good]]'' 』、『''[[::en:Home (Sheryl Crow song)|Home]]'' 』、『[[エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード]]』である。彼女は自身でこのアルバムをプロデュースした。このアルバム収録曲『''Love Is A Good Thing'' 』の歌詞で、[[ウォルマート]]で子供が簡単に銃を手に入れることができると思わせる歌詞があることからウォルマートでのこのアルバムの販売を禁止した<ref name=walmartban>{{cite web |author= Errico, Marcus |title= Wal-Mart Bans Sheryl Crow's Next Album |publisher= E! |date= July 10, 1996 |url= http://www.eonline.com/uberblog/b33553_wal-mart_bans_sheryl_crows_next_album.html |accessdate= August 23, 2009 |quote= Wal-Mart, the nation's largest retailer, is refusing to carry Crow's upcoming album, because one song says the chain sells guns to kids.}} (Archived by WebCite at http://www.webcitation.org/5jEsEOftJ)</ref>。1997年、映画『[[007 トゥモロー・ネバー・ダイ]]』のテーマ曲に楽曲を提供。彼女の曲『[[トゥモロー・ネヴァー・ダイ]]』は[[第41回グラミー賞]]最優秀楽曲賞映画、テレビ、その他映像部門、[[第55回ゴールデングローブ賞]]歌曲賞にノミネートされた<ref>{{cite web|url=http://www.turkishdailynews.com.tr/archives.php?id=10511 |title=Grammy Award nominations at a glance |publisher=Turkishdailynews.com.tr |date=April 7, 2005 |accessdate=October 19, 2010}}</ref><ref>{{cite news|url=http://movies.nytimes.com/movie/158896/Tomorrow-Never-Dies/details |title=Tomorrow Never Dies (1997) |publisher=Movies.nytimes.com |date= |accessdate=October 19, 2010}}</ref>。1998年、[[スコット・ウェイランド]]のアルバム『''[[::en:12 Bar Blues (album)|12 Bar Blues]]'' 』でコラボレートしている<ref>{{cite video |
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[[2008年]](日本先行発売日は1月30日)に『[[ディトアーズ]]』(Detours) を発売した。 |
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==== 1998年~1999年: 『グローブ・セッションズ』およびライヴ・アルバム ==== |
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[[レッド・ツェッペリン]]の大ファンであり、ライヴでもカヴァーを披露する。 |
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[[1998年]]にサードアルバム『[[グローブ・セッションズ]]』をリリース。この時期のインタビューで、エリック・クラプトンとの短期間の交際によると推測される重い欝状態に陥っていた。このアルバムからの1枚目のシングル『''[[::en:My Favorite Mistake|My Favorite Mistake]]'' 』は、本人は火遊びした元ボーイフレンドと語っているが、クラプトンについて書かれたとの噂がある<ref>{{cite web|url=http://www.eye.net/eye/issue/issue_09.24.98/music/live24.html |title=review of ''The Globe Sessions'' recovered November 2, 2005 |publisher=Eye.net |date= |accessdate=October 19, 2010}}</ref><ref>''Entertainment Weekly'', September 25, 1998 p42 recovered on November 2, 2005</ref>。ビルボード誌上でこの曲が誰について書かれたものなのか話すことを拒否している。「人々は好き勝手に色々推測するけれども、私だけが真実を知っている。私が誰と関係を持とうが私の勝手だし、それを誰かに話すことはない。私の親しい人にも話すつもりもない」と語った<ref>''Billboard Magazine'', "The Globe's the Limit on new Sheryl Crow album" August 29, 1998 V110 n35 page 3 recovered through Galenet</ref>。アルバムのレコーディングが困難であったにも関わらず、2005年の[[英国放送協会|BBC]]で「私のお気に入りのシングルは『''My Favorite Mistake'' 』で、レコーディングもとても楽しかったし、今も演奏するのが楽しい」と語った<ref>{{cite web|url=http://www.bbc.co.uk/radio2/shows/bruce/sessions/sherylcrow.shtml |title=Transcript of BBC Radio interview with Ken Bruce accessed November 2, 2005 |publisher=Bbc.co.uk |date= |accessdate=October 19, 2010}}</ref>。[[1999年]]の第41回グラミー賞で最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)、最優秀ロック・アルバム賞の二部門受賞。[[1999年]]、映画『[[ビッグ・ダディ (映画)|ビッグ・ダディ]]』のサウンドトラックに含まれた[[ガンズ・アンド・ローゼズ]]の『[[スウィート・チャイルド・オブ・マイン]]』の[[カバー]]をボーナス・トラックとして追加したアルバムを再発表。この曲は2000年の[[第42回グラミー賞]]最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した<ref>{{cite web|url=http://www.mtv.com/music/artist/crow_sheryl/artist.jhtml |title=Sheryl Crow |publisher=MTV |date= |accessdate=September 21, 2008}}</ref>。このアルバムからの他のシングルは『''[[::en:There Goes the Neighborhood (Sheryl Crow song)|There Goes the Neighborhood]]'' 』、『''[[::en:Anything but Down|Anything but Down]]'' 』、『''The Difficult Kind'' 』である。『''There Goes the Neighborhood'' 』は2001年の[[第43回グラミー賞]]最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した<ref>[http://archives.cnn.com/2001/SHOWBIZ/Music/02/21/grammy.night.02/ Eminem wins best rap album Grammy] By Jamie Allen CNN.com posted February 21, 2001</ref>。『グローブ・セッションズ』は[[Billboard 200]]で最高順位第5位となり、2008年1月現在のアメリカ国内の売り上げは200万枚におよぶ<ref name="billboard1">{{cite web|url=http://www.billboard.com/bbcom/ask_bb/index.jsp |title=Music Questions – Letters To The Music Editor – Ask The Music Editor |publisher=Billboard.com |date= |accessdate=September 21, 2008}}</ref>。 |
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1998年後期、[[バート・バカラック]]の[[トリビュート]]・コンサートを行ない、『''[[::en:One Less Bell to Answer|One Less Bell to Answer]]'' 』を歌った<ref>'Sheryl Crow, Elvis Costello, and Ben Folds Five pay tribute to Burt Bacharach' By Mark Bautz: Entertainment Weekly Apr 10, 1998</ref>。 |
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1999年、映画『''[[::en:The Minus Man|The Minus Man]]'' 』で不運な放浪者役で女優デビューし、[[シリアルキラー]]役であった[[オーウェン・ウィルソン]]と交際を始めた。 |
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[[ニューヨーク]]・[[セントラルパーク]]にてコンサートを行う。その模様は『''[[::en:Sheryl Crow and Friends: Live from Central Park|Sheryl Crow and Friends: Live from Central Park]]'' 』としてリリースされた。またこのコンサートは多彩なゲスト陣(盟友でもある[[ディクシー・チックス]]、[[サラ・マクラクラン]]、[[プリテンダーズ|クリッシー・ハインド]]、[[スティーヴィー・ニックス]]、かつての交際相手[[エリック・クラプトン]]、そして[[キース・リチャーズ]])が話題となった。このアルバムの収録曲『''There Goes the Neighborhood'' 』は最終的に2001年の第43回グラミー賞を受賞した。 |
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=== 2000年代 === |
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==== 2002年~2004年: 『カモン・カモン』および『ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ』 ==== |
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1990年代後期から[[強皮症]]に関する''[[::en:Scleroderma Research Foundation|Scleroderma Research Foundation]]'' (SRF)に関わり、資金集めイベントで演奏をし、SRF創立者の[[シャロン・モンスキー]]と知り合った。[[2002年]]、彼女の友人のケント・セクストンが強皮症で亡くなり、彼の葬儀で伝統的聖歌『''[[::en:Finlandia Hymn#"Be Still, My Soul"|Be Still, My Soul]]'' 』を歌うためアルバムのレコーディングを一時中断。11月、この曲がシングルとして発表され、収益金はSRFに寄付されることとなった<ref>[http://news.mywebpal.com/partners/885/public/news400778.html Be Still My Soul] December 1, 2002 ''News.mywebpal.com'.' Retrieved April 11, 2007.</ref>。 |
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2002年3月、[[メリーランド州]][[ベセスダ (メリーランド州)|ベセスダ]]にある全米海軍病院で負傷兵のために歌った。病室で[[ジャム (音楽)|ジャム・セッション]]を行ない愛国精神を表した。彼女は一流の軍医に敬意を表し、彼女の名曲『''Sweet Child of Mine'' 』(私のかわいい子)を即興で『''Sweet Doc of Mine'' 』(私の素敵な医者)に置き換えた。ギターと笑顔で演奏を続けた<ref>{{http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A16510-2003Jul19_3.html}}</ref>。 |
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2002年、4枚目となるアルバム『カモン・カモン』(''[[::en:C'mon, C'mon|C'mon C'mon]]'' )をリリース。この作品は日本では[[オリコン]]アルバムチャート最高位9位と大ヒット。ヒット曲『[[ソーク・アップ・ザ・サン]]』が含まれる。日本公演を収めたライブ盤『Live at 武道館』も日本のみリリースされた。翌2003年の[[第45回グラミー賞]]ではこのアルバムからの2枚目のシングル 『スティーブ・マックイーン』(''Steve McQueen'' )で最優秀女性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞<ref>{{cite news|last=Susman |first=Gary |url=http://www.ew.com/ew/article/0,,424080,00.html |title=Far and 'Away' |publisher=Ew.com |date=February 24, 2003 |accessdate=October 19, 2010}}</ref>。またこの作品でも多彩なゲスト([[ドン・ヘンリー]]、[[レニー・クラヴィッツ]]、[[エミルー・ハリス]]、[[スティーヴィー・ニックス]]、[[リズ・フェア]]、[[グウィネス・パルトロウ]]など)が話題に。 |
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2003年、[[イラク戦争]]に反対し、『[[グッド・モーニング・アメリカ]]』での演奏中、「''I don't believe in your war, Mr. Bush!'' 」([[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]、私はあなたの戦争を信じない)と書かれた[[Tシャツ]]を着用し、彼女の公式ウェブサイトでこのことについて言及した<ref>[http://www.artistsnetwork.org/news7/news319.html Sheryl Crow vs War on American Music Awards] Jan 14, 2003 ''Artistnetwork.org'.' Retrieved April 11, 2007.</ref>。第45回グラミー賞で[[キッド・ロック]]と演奏した際、大きな[[ピースマーク]]の服、「''No War'' 」(戦争反対)と書かれたギター・ストラップを着用した<ref>[http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9D04EEDF1F3DF937A15751C0A9659C8B63&st=cse&sq=Sheryl+Crow+Grammy+Awards&scp=5] Newcomer Has a Big Night At Grammy Awards Ceremony</ref>。 |
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映画『[[ブリジット・ジョーンズの日記 (映画)|ブリジット・ジョーンズの日記]]』のため『''Kiss That Girl'' 』を発表。また映画『[[アイ・アム・サム]]』のため[[ビートルズ]]の『''Mother Nature's Son'' 』をカヴァー。ラッパーのキッド・ロックとデュエットで[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーバー]]・ヒットした『''[[::en:Picture (song)|Picture]]'' 』を発表。また彼の『''Run Off to L.A'' 』に助力した。 |
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2003年、[[ミシェル・ブランチ]]の2枚目のアルバム『''[[::en:Hotel Paper|Hotel Paper]]'' 』の収録曲『''Love Me Like That'' 』でコラボレート<ref>{{cite web|url=http://www.starnewsonline.com/article/20080307/BREAKING/707303571 |title=Colbie Caillat and Michelle Branch to play second Azalea Festival concert |publisher=Starnewsonline.com |date=March 7, 2008 |accessdate=October 19, 2010}}</ref>。また[[ジョニー・キャッシュ]]のアルバム『''[[::en:American III: Solitary Man|American III: Solitary Man]]'' 』の収録曲『''Field of Diamonds'' 』にバックグラウンド・ヴォーカルとして、『''Wayfaring Stranger'' 』と『''Mary of the Wild Moor'' 』に[[アコーディオン]]で参加した<ref>{{cite web|url=http://countrymusic.about.com/library/bljcamericaniiirev.htm |title=CD Review: American III: Solitary Man |publisher=Countrymusic.about.com |date=August 4, 2010 |accessdate=October 19, 2010}}</ref>。 |
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[[2003年]]、『ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ』(''[[::en:The Very Best of Sheryl Crow|The Very Best of Sheryl Crow]]'' )をリリース。いくつかの新曲を含め、彼女の多くのヒット曲で構成されている。シングルカットされたバラード『[[ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト]]』([[キャット・スティーヴンス]]の曲のカヴァー)はラジオでパワープレイされ、『オール・アイ・ワナ・ドゥ』以降の爆発的な人気を得た。彼女のラジオでの最大のヒット曲となり、米国のエアプレイチャートで1位を獲得。Billboard Hot 100に36週にわたってチャートインして、[[ゴールドディスク#プラチナディスク|プラチナディスク]]に認定され、Billboard Hot 100では最高14位に達した。[[アメリカン・ミュージック・アワード]]においても最優秀女性ロックアーティスト賞を受賞。またシングル『''[[::en:Light in Your Eyes|Light in Your Eyes]]'' 』はラジオで限定放送されアメリカン・ミュージック・アワードでアダルト・コンテンポラリー・アーティスト賞を受賞。 |
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2004年、[[コール・ポーター]]の伝記映画『[[五線譜のラブレター]]』にミュージカル女優役で出演。 |
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==== 2005年~2007年: 『ワイルドフラワー』 ==== |
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[[2005年]]9月、5枚目のアルバム『ワイルドフラワー』(''[[::en:Wildflower (Sheryl Crow album)|Wildflower]]'' )をリリース。ビルボードでは2位発進であったが、批評は様々で、商業的にはこれまでのアルバム同様の成功とは言い難かった。2005年12月、[[第48回グラミー賞]]でアルバムが最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム賞に、シングル『''[[::en:Good Is Good|Good Is Good]]'' 』が最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞にノミネートされた。しかしどちらの賞も[[ケリー・クラークソン]]が受賞し、彼女は受賞を逃した。2006年、イギリスのミュージシャンのスティングと演奏したこのアルバムからの2枚目のシングル『''[[::en:Always on Your Side|Always on Your Side]]'' 』が発表されるとラジオで流れるようになりすぐに''[[::en:Adult Top 40|Adult Top 40]]'' にランクインし、アルバムの売り上げは再び伸びた。スティングとのこのコラボレーションは2007年の[[第49回グラミー賞]]で最優秀ポップ・コラボレーション賞ヴォーカル部門にノミネートされた。2008年1月現在、『ワイルドフラワー』は全米で949,000枚売り上げた<ref name="billboard1"/>。 |
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2006年、[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]/[[ピクサー・アニメーション・スタジオ|ピクサー]]のアニメ映画『[[カーズ (映画)|カーズ]]』のオープニング曲『''[[::en:Real Gone (song)|Real Gone]]'' 』を発表<ref>{{cite video |date= June 6, 2006 |title= Cars |medium= CD |publisher= Walt Disney Records |time= 1 |id= UPN 0-5008-61349-7-7}}</ref>。2006年2月中旬、早期[[乳癌]]と診断され、担当医は「完治の[[予後]]は素晴らしい」と語った<ref>[http://www.latimes.com/news/printedition/california/la-me-crow25feb25,1,5254694.story?coll=la-headlines-pe-california ''Latimes.com'.'] Retrieved April 11, 2007. {{dead link|date=September 2011}}</ref>。 |
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5月18日、乳癌との診断後初の演奏は、[[フロリダ州]][[オーランド]]で行なわれたSAPサファイア・コンヴェンションで、1万名以上の[[情報技術]]者を前にして行なわれた。6月12日、診断後初めて公の場に現れ、[[インディアナ州]][[インディアナポリス]]にあるミュラット・シアターで演奏した。 |
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2006年8月23日、[[CNN]]の『[[ラリー・キング・ライブ]]』に出演。この番組で彼女は再起、[[ランス・アームストロング]]との破局、マイケル・ジャクソンのバックアップ・シンガーとしての過去、乳癌克服の経験について語った。 |
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2006年後期、映画『''[[::en:Home of the Brave (2006 film)|Home of the Brave]]'' 』に使用された『''Try Not To Remember'' 』で[[第64回ゴールデングローブ賞]]オリジナル歌曲賞にノミネートされた。 |
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2007年、[[クリス・カー]]監督のドキュメンタリー映画『''[[::en:Crazy Sexy Cancer|Crazy Sexy Cancer]]'' 』を基にしたカーの書籍『''Crazy Sexy Cancer Tips'' 』に序文を寄せた。2007年11月、映画『[[ビー・ムービー]]』のためにビートルズの『[[ヒア・カムズ・ザ・サン]]』をカヴァー<ref>{{cite video |date= October 30, 2007 |title= Bee Movie soundtrack |medium= CD |publisher= Sony Classical |time= 41 |id= UPN 8-8697-19034-2-3}}</ref>。また[[ライアン・アダムス]]のアルバム『''[[::en:Easy Tiger|Easy Tiger]]'' 』の収録曲『''Two'' 』にバックグランド・ヴォーカルとして参加している。 |
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==== 2008年~2009年: 『ディトアーズ』 ==== |
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[[2008年]]2月5日(日本先行発売日は1月30日)に6枚目のアルバム『[[ディトアーズ]]』(Detours) を発売した。第1週に92,000枚、第2週に52,000枚を売り上げ、全米Billboard 200初登場第2位となった<ref>Katie Hasty, [http://www.billboard.com/articles/news/1046492/johnson-remains-no-1-winehouse-hancock-soar Johnson Remains No. 1; Winehouse, Hancock Soar], Billboard.com, February 20, 2008</ref>。 |
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このアルバムは[[テネシー州]][[ナッシュビル]]にある彼女の農場でレコーディングされた。彼女の息子ワイアットが登場する『''Lullaby for Wyatt'' 』は映画『[[さよなら。いつかわかること]]』で使用された。彼女は「このアルバムの曲は私の人生の過去3年に起こったことに着想を得た」と語り、乳癌の闘病、ランス・アームストロングとの破局が題材になったとされる。 |
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『''[[::en:Shine over Babylon|Shine over Babylon]]'' 』はこのアルバムからの最初のダウンロードのみのプロモーション・シングルとなった。このアルバムからの最初の公式のシングルは『''[[::en:Love Is Free|Love Is Free]]'' 』、2枚目は『''Out of Our Heads'' 』。2010年現在、世界で70万枚を売り上げている。 |
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リベラルな政治活動家として、[[アメリカ合衆国大統領選挙]]では[[バラク・オバマ]]を支持。2008年の[[民主党全国大会]]の4日目と最終日に演奏した。 |
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2008年の[[北京オリンピック]]でアメリカ・チームのスポンサーとなっている[[AT&T]]製作の『''[[::en:AT&T Team USA Soundtrack|Team USA Olympic Soundtrack]]'' 』の中の『''So Glad We Made It'' 』をレコーディングした。2008年の彼女のツアー公演のチケット1枚につき1ドルが[[国際連合世界食糧計画]]に寄付されると発表された。 |
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2009年11月17日、A&Mレコードは彼女のデビュー・アルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』をデラックス・ヴァージョンとして2枚組CDおよびDVDのセットで再発売した。このアルバムにはラジオでチャート入りしたシングル『''Killer Life'' 』も収録されている。ボーナスCDには未発表曲、B面曲、『''I Shall Believe'' 』の再録などが含まれている。DVDにはアルバムからのシングル曲の[[ミュージック・ビデオ]]が収録されている。 |
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=== 2010年代 === |
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==== 2010年~現在: 『''100 Miles from Memphis'' 』 ==== |
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2010年3月、[[ジャクソン・ブラウン]]とのジョイント・ツアーで来日公演を行う([[金沢]]公演はクロウのみ)。 |
2010年3月、[[ジャクソン・ブラウン]]とのジョイント・ツアーで来日公演を行う([[金沢]]公演はクロウのみ)。 |
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''[[::en:Enough Project|Enough Project]]'' と[[ダウンタウン・レコード]]の[http://raisehopeforcongomusic.org/ Raise Hope for Congo]のため、話し言葉で録音された『''My Name Is Mwamaroyi'' 』を発表。世界中の人々にコンゴの平和を訴え、収益金は[[コンゴ]]の女性達の保護や人権尊重のための取り組みに寄付される。 |
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私生活においては[[エリック・クラプトン]]、[[オーウェン・ウィルソン]]などとの交際を経て、自転車選手の[[ランス・アームストロング]]と婚約していたが、[[2006年]]2月に破局。その時には[[乳癌]]の手術を受けていたことも分かった。 |
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2010年7月20日、A&Mレコードは彼女の7枚目のアルバム『''[[::en:100 Miles from Memphis|100 Miles from Memphis]]'' 』を発表。このアルバムはクラシックな流れとリード・シングル『''[[::en:Summer Day|Summer Day]]'' 』を特徴としている<ref>{{cite web|url=http://top40.about.com/b/2010/06/04/sheryl-crow-drops-summer-day-into-the-summer-song-derby.htm |title=Sheryl Crow Drops "Summer Day" Into the Summer Song Derby |publisher=Top40.about.com |date=June 4, 2010 |accessdate=October 19, 2010}}</ref>。アルバムの「[[メンフィス]]から{{convert|100|mi|km}}」という題名は、音楽のメッカから彼女の故郷への距離を表し、彼女の音楽の経歴への頌歌であり、若い音楽ファンにポップから[[オートチューン]]への推移を知ってもらうきっかけになることを望むものである<ref>{{cite web|author=Up for Discussion Jump to Forums |url=http://www.billboard.com/articles/news/957220/sheryl-crow-returns-to-her-roots-on-100-miles-from-memphis |title=Sheryl Crow Returns To Her Roots On '100 Miles From Memphis' |publisher=Billboard.com |date=September 14, 2009 |accessdate=October 19, 2010}}</ref>。 |
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同年後期、[[ロレッタ・リン]]のトリビュート・アルバム『''[[::en:Coal Miner's Daughter: A Tribute to Loretta Lynn|Coal Miner's Daughter: A Tribute to Loretta Lynn]]'' 』でリン、カントリー歌手[[ミランダ・ランバート]]と共にタイトル曲である『''[[::en:Coal Miner's Daughter|Coal Miner's Daughter]]'' 』を歌った。2010年11月に行なわれた第44回[[カントリーミュージック協会賞|CMAアワード]]でこの曲が演奏された<ref>{{cite web|url= http://www.tvguide.com/celebrities/sheryl-crow/197085 |
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|title= Sheryl Crow|date=November 2, 2010|publisher=TVGuide.com |accessdate=November 2, 2010}}</ref>。 |
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2011年9月20日、批評家の称賛を得た1982年の映画『[[ダイナー (映画)|ダイナー]]』に着想を得た新しい[[ミュージカル]]作品の音楽および作詞を担当することが発表された。[[トニー賞]]受賞者のキャサリン・マーシャルによる演出および振付により、2012年秋に[[ブロードウェイ・シアター|ブロードウェイ]]で上演されることとなった<ref>[http://broadwayworld.com/article/Sheryl-Crow-and-Barry-Levinson-to-Make-Broadway-Debuts-in-New-Musical-DINER-in-Fall-2012-Marshall-to-Direct-20110920 Sheryl Crow and Barry Levinson to Make Broadway Debuts with New Musical DINER in Fall 2012; Marshall to Direct] September 20, 2011</ref>。 |
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2011年10月11日、[[ウィリアム・シャトナー]]のアルバム『''[[::en:Seeking Major Tom|Seeking Major Tom]]'' 』に収録された、[[電子音楽]]アーティスト''[[::en:Kirby Ian Andersen|K.I.A.]]'' の2003年のアルバム『''Adieu Shinjuku Zulu'' 』内の『''[[::en:Mrs. Major Tom|Mrs. Major Tom]]'' 』を歌った。 |
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2012年9月、[[ニコラス・クリストフ]]と[[シェリル・ウーダン]]の書籍から着想を得た多角的プロジェクト''[[::en:Half the Sky: Turning Oppression into Opportunity for Women Worldwide|Half the Sky: Turning Oppression into Opportunity for Women Worldwide]]'' をサポートするキャンペーン『''30 Songs / 30 Days'' 』で彼女が取り上げられた<ref>{{cite web|url=http://www.halftheskymovement.org/blog/entry/30-songs-30-days-for-half-the-sky1 |title=30 Songs / 30 Days for Half the Sky | Half The Sky |publisher=Halftheskymovement.org |date=August 30, 2012 |accessdate=February 11, 2013}}</ref>。 |
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ジャーナリストの[[ケイティ・クーリック]]より新番組トークショー『''[[::en:Katie (talk show)|Katie]]'' 』のテーマソングを依頼された<ref>http://www.katiecouric.com/features/hear-it-here-first-katie-theme-song-revealed/</ref>。この曲『''This Day'' 』は[[デイタイム・エミー賞]]オリジナル楽曲賞にノミネートされた<ref>http://abcnewsradioonline.com/music-news/2013/5/1/sheryl-crow-receives-daytime-emmy-nomination.html</ref>。 |
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2012年11月1日、無料でダウンロードできるオリジナル曲『''Woman in the White House'' 』を発表。女性大統領案を提案するカントリー調の曲で、「押し付けがましい[[ジェンダー]]主義」などの批判から「自然で意図がはっきりしている」という称賛まで賛否両論であった。皮肉な歌詞についてカントリー歌手の[[ブラッド・ペイズリー]]は称賛した<ref name="sherylcrownews.com">{{cite web|url=http://www.sherylcrownews.com/ |title=Sherylove - Est. 1996 |publisher=Sherylcrownews.com |date= |accessdate=February 11, 2013}}</ref>。この曲は後に[[iTunes]]でダウンロードできるようになり、収益金の一部が[[アメリカ赤十字社]]を通じ[[ハリケーン・サンディ]]の復興支援のため寄付された<ref>{{cite web|author= |url=http://www.theboot.com/2012/11/06/sheryl-crow-woman-in-the-white-house-video/ |title=Sheryl Crow, 'Woman in the White House' Lyric Video |publisher=The Boot |date=November 6, 2012 |accessdate=February 11, 2013}}</ref>。 |
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[[ワーナー・ミュージック・グループ|ワーナー・ミュージック・ナッシュビル]]と契約し、プロデューサーの[[リチャード・ベネット (ギタリスト)|リチャード・ベネット]]と共にカントリー・ミュージックの曲をレコーディング。ブラッド・ペイズリーの製作協力を得て、2013年9月に発売予定である<ref name="sherylcrownews.com"/><ref>[http://www.tonyandkris.com/2012/12/09/sheryl-crow-to-release-her-first-country-cd/ ]{{dead link|date=February 2013}}</ref>。2013年3月12日、リード・シングル『''[[::en:Easy (Sheryl Crow song)|Easy]]'' 』がiTunesで発表され、2003年の『[[ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト]]』以来のソロ・カントリー・シングルとなった<ref>{{cite web|author= |url=http://www.cmt.com/news/news-in-brief/1700817/sheryl-crow-confirms-country-album.jhtml |title=News : Sheryl Crow Confirms Country Album |publisher=CMT |date=January 25, 2013 |accessdate=February 11, 2013}}</ref>。 |
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== プライベート == |
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[[アイルランド系アメリカ人]]の流れを汲んでおり、元[[アメリカ合衆国下院]]議員[[チャールズ・A・クロウ]](1873年 – 1938年)の曾孫である<ref>[http://familytreemaker.genealogy.com/users/c/r/o/Scott-Crow-FL/WEBSITE-0001/UHP-0833.html Levi Crow (b. 1789, d. date unknown)], [http://familytreemaker.genealogy.com/users/c/r/o/Scott-Crow-FL/WEBSITE-0001/UHP-Index.html Descendants of Levi S. Crow: Index of Individuals]</ref>。 |
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数々の著名な人々と浮名を流してきている。俳優オーウェン・ウィルソンとの交際ではアルバム 『カモン・カモン』(2002年)ライナー・ノートによると収録曲『''Safe and Sound'' 』は2人の関係についての自伝的歌詞であり、彼に捧げられたものである。その後2003年から自転車プロ[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]選手のランス・アームストロングと交際を始めた。彼は多くのインタビューで彼女の音楽が彼の癌を癒したと語った。2005年9月、婚約を発表したが、2006年2月、破局<ref>{{cite news|url=http://www.people.com/people/article/0,,1156475,00.html | title=Lance Armstrong and Sheryl Crow Split |publisher=People Magazine |date=February 3, 2006 |accessdate=August 24, 2012}}</ref>。 |
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その直後、ロサンゼルスの施設で乳癌外科医クリスティ・ファンクによる治療を受けた。2006年2月、最小[[侵襲]]手術を受け、その後[[放射線療法]]を施された<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/4749716.stm |title=– February 2006 – Sheryl Crow has breast cancer op |publisher=BBC News |date=February 25, 2006 |accessdate=October 19, 2010}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-378331/Sheryl-Crow-I-beat-breast-cancer.html |title=Daily Mail – February 2006 – Sheryl Crow: I will beat breast cancer |publisher=Dailymail.co.uk |date= February 26, 2006|accessdate=October 19, 2010 |location=London |first1=Amanda |last1=Perthen}}</ref>。治療は成功したが、2011年11月、[[脳腫瘍]]の一種で通常[[良性腫瘍]]となる髄膜腫が発見された<ref>{{cite news| url=http://www.nydailynews.com/life-style/health/sheryl-crow-reveals-benign-brain-tumor-reps-singer-healthy-happy-diagnosis-article-1.1090426 | work=Daily News | first=Alex | last=Steinman | title=Sheryl Crow reveals benign brain tumor | date=June 5, 2012}}</ref>。 |
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[[2007年]]5月11日、4月29日生まれの生後2週間の乳児を[[養子縁組|養子]]にし、ワイアット・スティーヴン・クロウと名付けたことを公式ウェブサイトで発表した<ref>{{cite web |title= Announcing..... |date= May 12, 2007 |url= http://sherylcrow.com/news.aspx?nid=7926 |accessdate= May 12, 2007}}{{dead link|date=February 2013}}</ref>。2010年6月4日、4月30日生まれの別の乳児を養子にし、リーヴァイ・ジェイムス・クロウと名付けたことを発表<ref>[http://celebritybabies.people.com/2010/06/04/sheryl-crow-adopts-a-second-son Sheryl Crow Adopts a Second Son!] June 4, 2010</ref>。現在一家はナッシュビル郊外の{{convert|154|acre|km2|sing=on}}の農場に住んでいる<ref>[http://www.cnn.com/2008/SHOWBIZ/Music/02/19/sheryl.crow/index.html]{{dead link|date=September 2011}}</ref>。 |
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2011年7月、[[ワイオミング州]][[シャイアン (ワイオミング州)|シャイアン]]で行なわれた[[ロデオ]]''[[::en:Cheyenne Frontier Days|Cheyenne Frontier Days]]'' <ref>[http://www.heyreverb.com/2011/07/25/kid-rock-sheryl-crow-cheyenne-frontier-days/ Photo essay: Kid Rock, Sheryl Crow @ Cheyenne Frontier Days] July 25, 2011</ref>に、動物福祉専門家がこのイベントが動物虐待にあたるとして彼女に出演中止を要請し、約13,000名が出演中止に署名した<ref>[http://www.sharkonline.org/?P=0000000454 Nearly 13,000 (and counting) people from around the world sign a petition calling out Sheryl Crow for supporting rodeo cruelty] July 21, 2011</ref>が、彼女は開幕日に演奏した。 |
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[[2007年]]5月、生後2ヶ月の乳児を養子にした。 |
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== アルバム・ディスコグラフィ == |
== アルバム・ディスコグラフィ == |
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本機が制作されたいきさつは[http://www.fender-cs.jp/topics/2012/12/limited_edition_sheryl_crow_19.php 日本版フェンダー公式サイト]に詳しく記されている。1994年にシェリルにとって初のソロツアーが始まる直前、バンドの楽器機材が盗難に遭い、彼女が長年愛用していたテレキャスターもその中に含まれていた。ツアー開始後にそのいきさつを知ったファンより、乳がんで死去した母親の形見である1959年製テレキャスターを、盗まれたギターの代わりに使って欲しいとの申し入れがあり、シェリルは快諾。以来彼女は現在まで大事に使い続けている。 |
本機が制作されたいきさつは[http://www.fender-cs.jp/topics/2012/12/limited_edition_sheryl_crow_19.php 日本版フェンダー公式サイト]に詳しく記されている。1994年にシェリルにとって初のソロツアーが始まる直前、バンドの楽器機材が盗難に遭い、彼女が長年愛用していたテレキャスターもその中に含まれていた。ツアー開始後にそのいきさつを知ったファンより、乳がんで死去した母親の形見である1959年製テレキャスターを、盗まれたギターの代わりに使って欲しいとの申し入れがあり、シェリルは快諾。以来彼女は現在まで大事に使い続けている。 |
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このギターを完全復刻したのが当機である。 |
このギターを完全復刻したのが当機である。 |
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== 映画、テレビ出演作品== |
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|+ 映画 |
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! 年 |
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! 題 |
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! 役 |
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! class="unsortable" | 特記 |
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| 1996|| ''Fairway to Heaven'' || リポーター || テレビ映画 |
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| 1998|| [[54 フィフティ★フォー]] || VIPパトロン || |
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| 1999|| ''[[::en:The Minus Man|The Minus Man]]'' || キャスパー || |
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| 2004|| [[五線譜のラブレター]] || 演奏者 || |
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| 2006|| [[カーズ (映画)|カーズ]] || エルヴィス (声) || クレジット無し |
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|+ テレビ |
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! 年 |
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! 題 |
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! 役 |
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! class="unsortable" | 特記 |
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| 1990|| ''[[::en:Cop Rock|Cop Rock]]'' || 秘密捜査員 || エピソード: ''Bang the Potts Slowly'' |
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| 2004|| [[One Tree Hill]] || 本人 || エピソード: ''The First Cut Is the Deepest'' |
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| 2009|| [[30 ROCK/サーティー・ロック]] || 本人 || エピソード: ''[[::en:Kidney Now!|Kidney Now!]]'' |
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| 2010|| [[シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ]] || 本人 || エピソード: ''It's the End of the Jake as We Know It'' |
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| 2010|| [[クーガータウン]] || サラ || エピソード: ''Turn This Car Around''、''Everything Man''、''Wake Up Time'' |
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| 2012|| ''[[::en:GCB (TV series)|Good Christian Belles]]'' || 本人 || エピソード: ''Forbidden Fruit'' |
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| 2013|| ''[[::en:The Voice (U.S. season 4)|The Voice Season 4]] '' || 本人 || [[ブレイク・シェルトン]]のアドヴァイザー |
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== 書籍 == |
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*''If It Makes You Healthy'' チャック・ホワイトとの共著 (2011年) |
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== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://www.sherylcrow.com/ official website] |
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* [http://www.sherylcrow.com/ 公式ウェブサイト] (英語) |
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* [http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/sheryl/index.html universal-music website] |
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* [http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/sheryl/index.html ユニバーサル・ミュージック公式ウェブサイト] |
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*{{Dmoz|Arts/Music/Bands_and_Artists/C/Crow%2C_Sheryl/}} (英語) |
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*[http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=18693425 Sheryl Crow] (英語) [[ナショナル・パブリック・ラジオ]]『''[[::en:Fresh Air|Fresh Air]]'' 』によるインタビュー |
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*[http://www.vh1.com/artists/az/crow_sheryl/artist.jhtml Sheryl Crow] (英語) [[VH1]] |
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2013年5月24日 (金) 15:42時点における版
シェリル・クロウ Sheryl Crow | |
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基本情報 | |
出生名 | シェリル・スザンヌ・クロウ |
生誕 | 1962年2月11日(62歳) |
出身地 | アメリカ合衆国ミズーリ州、ケネット |
ジャンル | ロック、ポップ、ブルース・ロック、カントリー、フォーク |
職業 | シンガーソングライター、女優 |
担当楽器 | ボーカル、ギター、エレクトリックベース、ピアノ、アコーディオン、ハーモニカ、オートハープ、ハモンド・オルガン、マンドラ、キーボード |
活動期間 | 1993年 - |
レーベル | A&Mレコード |
共同作業者 | スティーヴィー・ニックス、マイケル・ジャクソン、エリック・クラプトン、ドン・ヘンリー、キース・リチャーズ、スティング、サラ・マクラクラン、ジャクソン・ブラウン、キッド・ロック |
公式サイト | www.sherylcrow.com |
シェリル・スザンヌ・クロウ(Sheryl "Suzanne" Crow、1962年2月11日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州ケネット出身のカントリー&ウェスタンを中心にしたシンガーソングライター、レコード・プロデューサー、女優、政治活動家。身長161cm。彼女の音楽はロック、フォーク、ヒップホップ、カントリー・ミュージック、ポップ・ミュージックの要素を組み込んでいる。これまで7枚のアルバムの他、2枚のコンピレーション・アルバム、1枚のライブ・アルバムを発表し、また多数の映画のサウンドトラックにも楽曲提供している。全米で1,700万枚、世界で5,000万枚のレコード・セールスを記録し[1]、これまでに9回にわたってナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンスからグラミー賞を受賞している(ノミネートは32回)。
ローリング・ストーンズとも演奏したことがあり、マイケル・ジャクソン、エリック・クラプトン、ルチアーノ・パヴァロッティ、ウィリー・ネルソン、B.B.キング、トニー・ベネット、スティングなどとデュエットを歌った[2]。ティナ・ターナー、マイケル・ジャクソン、ドン・ヘンリー、スティーヴィー・ニックス、ベリンダ・カーライル、およびボブ・ディランのデビュー30周年記念公演にてバッキング・ヴォーカルとして演奏。
女優としてもNBCの『30 ROCK/サーティー・ロック』、ABCの『[[::en:GCB (TV series)|GCB]] 』、『クーガータウン』、ディズニー・チャンネルの『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』第4シーズン、ジョン・スチュワートとスティーヴン・コルベアの『[[::en:Rally to Restore Sanity and/or Fear|Rally to Restore Sanity and/or Fear]] 』、『One Tree Hill』など様々なテレビ番組に出演している[3]。
来歴
生い立ち
ミズーリ州ケネットで、弁護士でトランペット演奏者の父親とピアノ講師の母親の間に誕生[4]。姉2人と弟1人がいる。
ケネット高等学校在学中、マーチングバンドのダンサーと陸上競技に参加し、75mハードル競争の全米選手権でメダルを獲得した。またチアリーダー、[[::en:National Honor Society|National Honor Society]] 、[[::en:National FFA Organization|National FFA Organization]] 、Paperdoll Queen に所属していた。ミズーリ州コロンビアにあるミズーリ大学コロンビア校に進学し、作曲、演奏、教育の学士を取得。大学在学中にはカシミールという地元のバンドで歌っていた。フラタニティ[[::en:Kappa Alpha Theta|Kappa Alpha Theta]] 、女性の国際音楽フラタニティ[[::en:Sigma Alpha Iota|Sigma Alpha Iota]] 、[[::en:Omicron Delta Kappa|Omicron Delta Kappa]] に所属し、Summer Welcome ではオリエンテーション・リーダーを務めた[5]。後にミズーリ大学とミズーリ州ケープジラードにあるサウスイースト・ミズーリ州立大学より名誉学位を授与された[6]。
彼女の音楽の創造性は1つのジャンルからくるものではなく、彼女はドラムのビートが鳴る曲であれば何でも好んでいた。2008年、彼女はエレン・デジェネレスに「もしもドラムがなかったらその曲を覚えられないでしょう」と語った[7][8]。
初期
大学卒業前からミズーリ州フェントンのケリソン小学校の教師として音楽を教えていた[9]。当時いくつかのバンドで週末に歌う機会を得た。その後、地元のミュージシャンでプロデューサーのジェイ・オリヴァーを紹介された。彼はミズーリ州セントルイスにある彼の両親の家の地下にスタジオを所有しており、彼女がコマーシャルのジングルを作成する手助けをした。彼女が製作した最初のジングルは、セントルイスのデパートメント・ストア[[::en:Famous-Barr|Famous-Barr]] の新年度セールであった。その後マクドナルドやトヨタ自動車のコマーシャルのジングルも製作。『60 Minutes』で マクドナルドのコマーシャルだけで4万ドルを稼いだと引用された[10]。
1986年に、自らの音楽への夢を追うため、カリフォルニアに移住する。翌1987年から1989年、マイケル・ジャクソンのコンサート・ツアー『Bad World Tour』でのコーラスを務め、ツアーの一環で同年9月から10月にかけて来日もしている。しばしば『キャント・ストップ・ラヴィング・ユー』でジャクソンと演奏した[11]。スティーヴィー・ワンダー、ベリンダ・カーライル、ドン・ヘンリーなど多くの著名なアーティストのバッキング・ヴォーカルとしてレコーディングへ参加。
1990年、短期間で終わったスティーヴン・ボチコのドラマ『[[::en:Cop Rock|Cop Rock]] 』で歌った。同年、映画『[[::en:Bright Angel|Bright Angel]] 』に彼女の曲『Heal Somebody 』が登場した。翌年彼女は映画『ハートブルー』のサウンドトラックで使用された『Hundreds of Tears 』を演奏し、ケニー・ロギンスのアルバム『[[::en:Leap of Faith (Kenny Loggins album)|Leap of Faith]] 』の曲『I Would Do Anything 』で彼とデュエットした。
1990年代
1992年: デビュー・アルバムの頓挫
1990年、A&Mレコードと契約し、1992年、フィル・コリンズのプロデューサーヒュー・パジャムによるデビュー・アルバムに予定された曲のレコーディングを行なった。当初は、1992年9月22日に自身の名を冠したアルバムが発売されるはずだったが、レコード会社から発売を無期延期される[12]。しかしながらこのアルバムの宣伝活動に使われるはずであった複製版が出版業者を通じて数多く出回った。このアルバムはファイル共有ソフトやファン・トレーディングなどで現在も広く出回っている。彼女の曲はセリーヌ・ディオン、ティナ・ターナー、ワイノナ・ジャッドなど多くの著名なアーティストによりレコーディングされた。
1993年~1997年: 世界規模の成功
当時彼女はケヴィン・ギルバートと交際を始め、彼の所属する即興音楽グループTuesday Music Club に彼女も参加するようになった[13]。1993年、ビル・ボットレルがプロデュースを手掛けたアルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』(Tuesday Night Music Club)で、ようやくソロ・デビュー。このグループのメンバーのギルバート、デイヴィッド・ベアウォルド、デイヴィッド・リケッツ(2人はデイヴィッド&デイヴィッドを結成していた)、ビル・ボトレル、ブライアン・マクリオド、ダン・シュワルツ[14]は彼女のデビュー・アルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』で作曲者名に名を連ねている[11]。
1993年、『ローリング・ストーン』誌の新人部門に登場。『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』の曲は2枚目のシングル『[[::en:Leaving Las Vegas (song)|Leaving Las Vegas]] 』を含みほとんど友人達により作曲されたものである。1994年秋に『オール・アイ・ワナ・ドゥ』が予期せぬ大ヒットとなるまでこのアルバムはゆっくりと売り上げを伸ばしていった。後に彼女が『ピープル』誌に語ったところによると、ロサンゼルスの辺りの古本屋で古い詩集を見つけ、曲の歌詞に使ったそうである[15]。シングル『[[::en:Strong Enough (Sheryl Crow song)|Strong Enough]] 』と『Can't Cry Anymore 』が発表され、ビルボードにおいて『Strong Enough 』は5位、『Can't Cry Anymore 』は40位となった[16]。このアルバムは、1990年代のアメリカとイギリスで700万枚を超えるセールスを記録。同作収録曲の「オール・アイ・ワナ・ドゥ」(All I Wanna Do)は全米ビルボードチャートで最高2位まで上昇する大ヒットとなり、1995年の第37回グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀新人賞、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の3冠を受賞した[11]。1994年と1997年にウッドストック・フェスティバル、1997年に[[::en:Another Roadside Attraction (festival)|Another Roadside Attraction]] に出演[17]。
1995年のドン・ヘンリーのアルバム『[[::en:Actual Miles: Henley's Greatest Hits|Actual Miles: Henley's Greatest Hits]] 』の収録曲『[[::en:The Garden of Allah (song)|The Garden of Allah]] 』にバックグラウンド・ヴォーカルとして参加。1995年に、ソロ初の来日公演を行い、以降プロモーションやシークレット・ライブを目的としたものを含め6回(うちツアーでは3回)来日している。
次いで1996年に自身の名を冠したセカンド・アルバム『シェリル・クロウ』を発表[18]。このアルバムには妊娠中絶、ホームレス、核戦争についての曲が含まれている。このアルバムからの1枚目のシングル『イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー』は主にラジオでも大ヒットを記録し、1997年の第39回グラミー賞で最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞、最優秀ロック・アルバム賞の二部門を受賞した[19]。このアルバムからの他のシングルは『[[::en:A Change Would Do You Good|A Change Would Do You Good]] 』、『[[::en:Home (Sheryl Crow song)|Home]] 』、『エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード』である。彼女は自身でこのアルバムをプロデュースした。このアルバム収録曲『Love Is A Good Thing 』の歌詞で、ウォルマートで子供が簡単に銃を手に入れることができると思わせる歌詞があることからウォルマートでのこのアルバムの販売を禁止した[20]。1997年、映画『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』のテーマ曲に楽曲を提供。彼女の曲『トゥモロー・ネヴァー・ダイ』は第41回グラミー賞最優秀楽曲賞映画、テレビ、その他映像部門、第55回ゴールデングローブ賞歌曲賞にノミネートされた[21][22]。1998年、スコット・ウェイランドのアルバム『[[::en:12 Bar Blues (album)|12 Bar Blues]] 』でコラボレートしている[23]。
1998年~1999年: 『グローブ・セッションズ』およびライヴ・アルバム
1998年にサードアルバム『グローブ・セッションズ』をリリース。この時期のインタビューで、エリック・クラプトンとの短期間の交際によると推測される重い欝状態に陥っていた。このアルバムからの1枚目のシングル『[[::en:My Favorite Mistake|My Favorite Mistake]] 』は、本人は火遊びした元ボーイフレンドと語っているが、クラプトンについて書かれたとの噂がある[24][25]。ビルボード誌上でこの曲が誰について書かれたものなのか話すことを拒否している。「人々は好き勝手に色々推測するけれども、私だけが真実を知っている。私が誰と関係を持とうが私の勝手だし、それを誰かに話すことはない。私の親しい人にも話すつもりもない」と語った[26]。アルバムのレコーディングが困難であったにも関わらず、2005年のBBCで「私のお気に入りのシングルは『My Favorite Mistake 』で、レコーディングもとても楽しかったし、今も演奏するのが楽しい」と語った[27]。1999年の第41回グラミー賞で最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)、最優秀ロック・アルバム賞の二部門受賞。1999年、映画『ビッグ・ダディ』のサウンドトラックに含まれたガンズ・アンド・ローゼズの『スウィート・チャイルド・オブ・マイン』のカバーをボーナス・トラックとして追加したアルバムを再発表。この曲は2000年の第42回グラミー賞最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した[28]。このアルバムからの他のシングルは『[[::en:There Goes the Neighborhood (Sheryl Crow song)|There Goes the Neighborhood]] 』、『[[::en:Anything but Down|Anything but Down]] 』、『The Difficult Kind 』である。『There Goes the Neighborhood 』は2001年の第43回グラミー賞最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した[29]。『グローブ・セッションズ』はBillboard 200で最高順位第5位となり、2008年1月現在のアメリカ国内の売り上げは200万枚におよぶ[30]。
1998年後期、バート・バカラックのトリビュート・コンサートを行ない、『[[::en:One Less Bell to Answer|One Less Bell to Answer]] 』を歌った[31]。
1999年、映画『[[::en:The Minus Man|The Minus Man]] 』で不運な放浪者役で女優デビューし、シリアルキラー役であったオーウェン・ウィルソンと交際を始めた。
ニューヨーク・セントラルパークにてコンサートを行う。その模様は『[[::en:Sheryl Crow and Friends: Live from Central Park|Sheryl Crow and Friends: Live from Central Park]] 』としてリリースされた。またこのコンサートは多彩なゲスト陣(盟友でもあるディクシー・チックス、サラ・マクラクラン、クリッシー・ハインド、スティーヴィー・ニックス、かつての交際相手エリック・クラプトン、そしてキース・リチャーズ)が話題となった。このアルバムの収録曲『There Goes the Neighborhood 』は最終的に2001年の第43回グラミー賞を受賞した。
2000年代
2002年~2004年: 『カモン・カモン』および『ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ』
1990年代後期から強皮症に関する[[::en:Scleroderma Research Foundation|Scleroderma Research Foundation]] (SRF)に関わり、資金集めイベントで演奏をし、SRF創立者のシャロン・モンスキーと知り合った。2002年、彼女の友人のケント・セクストンが強皮症で亡くなり、彼の葬儀で伝統的聖歌『[[::en:Finlandia Hymn#"Be Still, My Soul"|Be Still, My Soul]] 』を歌うためアルバムのレコーディングを一時中断。11月、この曲がシングルとして発表され、収益金はSRFに寄付されることとなった[32]。
2002年3月、メリーランド州ベセスダにある全米海軍病院で負傷兵のために歌った。病室でジャム・セッションを行ない愛国精神を表した。彼女は一流の軍医に敬意を表し、彼女の名曲『Sweet Child of Mine 』(私のかわいい子)を即興で『Sweet Doc of Mine 』(私の素敵な医者)に置き換えた。ギターと笑顔で演奏を続けた[33]。
2002年、4枚目となるアルバム『カモン・カモン』([[::en:C'mon, C'mon|C'mon C'mon]] )をリリース。この作品は日本ではオリコンアルバムチャート最高位9位と大ヒット。ヒット曲『ソーク・アップ・ザ・サン』が含まれる。日本公演を収めたライブ盤『Live at 武道館』も日本のみリリースされた。翌2003年の第45回グラミー賞ではこのアルバムからの2枚目のシングル 『スティーブ・マックイーン』(Steve McQueen )で最優秀女性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞[34]。またこの作品でも多彩なゲスト(ドン・ヘンリー、レニー・クラヴィッツ、エミルー・ハリス、スティーヴィー・ニックス、リズ・フェア、グウィネス・パルトロウなど)が話題に。
2003年、イラク戦争に反対し、『グッド・モーニング・アメリカ』での演奏中、「I don't believe in your war, Mr. Bush! 」(ブッシュ大統領、私はあなたの戦争を信じない)と書かれたTシャツを着用し、彼女の公式ウェブサイトでこのことについて言及した[35]。第45回グラミー賞でキッド・ロックと演奏した際、大きなピースマークの服、「No War 」(戦争反対)と書かれたギター・ストラップを着用した[36]。
映画『ブリジット・ジョーンズの日記』のため『Kiss That Girl 』を発表。また映画『アイ・アム・サム』のためビートルズの『Mother Nature's Son 』をカヴァー。ラッパーのキッド・ロックとデュエットでクロスオーバー・ヒットした『[[::en:Picture (song)|Picture]] 』を発表。また彼の『Run Off to L.A 』に助力した。
2003年、ミシェル・ブランチの2枚目のアルバム『[[::en:Hotel Paper|Hotel Paper]] 』の収録曲『Love Me Like That 』でコラボレート[37]。またジョニー・キャッシュのアルバム『[[::en:American III: Solitary Man|American III: Solitary Man]] 』の収録曲『Field of Diamonds 』にバックグラウンド・ヴォーカルとして、『Wayfaring Stranger 』と『Mary of the Wild Moor 』にアコーディオンで参加した[38]。
2003年、『ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ』([[::en:The Very Best of Sheryl Crow|The Very Best of Sheryl Crow]] )をリリース。いくつかの新曲を含め、彼女の多くのヒット曲で構成されている。シングルカットされたバラード『ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト』(キャット・スティーヴンスの曲のカヴァー)はラジオでパワープレイされ、『オール・アイ・ワナ・ドゥ』以降の爆発的な人気を得た。彼女のラジオでの最大のヒット曲となり、米国のエアプレイチャートで1位を獲得。Billboard Hot 100に36週にわたってチャートインして、プラチナディスクに認定され、Billboard Hot 100では最高14位に達した。アメリカン・ミュージック・アワードにおいても最優秀女性ロックアーティスト賞を受賞。またシングル『[[::en:Light in Your Eyes|Light in Your Eyes]] 』はラジオで限定放送されアメリカン・ミュージック・アワードでアダルト・コンテンポラリー・アーティスト賞を受賞。
2004年、コール・ポーターの伝記映画『五線譜のラブレター』にミュージカル女優役で出演。
2005年~2007年: 『ワイルドフラワー』
2005年9月、5枚目のアルバム『ワイルドフラワー』([[::en:Wildflower (Sheryl Crow album)|Wildflower]] )をリリース。ビルボードでは2位発進であったが、批評は様々で、商業的にはこれまでのアルバム同様の成功とは言い難かった。2005年12月、第48回グラミー賞でアルバムが最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム賞に、シングル『[[::en:Good Is Good|Good Is Good]] 』が最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞にノミネートされた。しかしどちらの賞もケリー・クラークソンが受賞し、彼女は受賞を逃した。2006年、イギリスのミュージシャンのスティングと演奏したこのアルバムからの2枚目のシングル『[[::en:Always on Your Side|Always on Your Side]] 』が発表されるとラジオで流れるようになりすぐに[[::en:Adult Top 40|Adult Top 40]] にランクインし、アルバムの売り上げは再び伸びた。スティングとのこのコラボレーションは2007年の第49回グラミー賞で最優秀ポップ・コラボレーション賞ヴォーカル部門にノミネートされた。2008年1月現在、『ワイルドフラワー』は全米で949,000枚売り上げた[30]。
2006年、ディズニー/ピクサーのアニメ映画『カーズ』のオープニング曲『[[::en:Real Gone (song)|Real Gone]] 』を発表[39]。2006年2月中旬、早期乳癌と診断され、担当医は「完治の予後は素晴らしい」と語った[40]。
5月18日、乳癌との診断後初の演奏は、フロリダ州オーランドで行なわれたSAPサファイア・コンヴェンションで、1万名以上の情報技術者を前にして行なわれた。6月12日、診断後初めて公の場に現れ、インディアナ州インディアナポリスにあるミュラット・シアターで演奏した。
2006年8月23日、CNNの『ラリー・キング・ライブ』に出演。この番組で彼女は再起、ランス・アームストロングとの破局、マイケル・ジャクソンのバックアップ・シンガーとしての過去、乳癌克服の経験について語った。
2006年後期、映画『[[::en:Home of the Brave (2006 film)|Home of the Brave]] 』に使用された『Try Not To Remember 』で第64回ゴールデングローブ賞オリジナル歌曲賞にノミネートされた。
2007年、クリス・カー監督のドキュメンタリー映画『[[::en:Crazy Sexy Cancer|Crazy Sexy Cancer]] 』を基にしたカーの書籍『Crazy Sexy Cancer Tips 』に序文を寄せた。2007年11月、映画『ビー・ムービー』のためにビートルズの『ヒア・カムズ・ザ・サン』をカヴァー[41]。またライアン・アダムスのアルバム『[[::en:Easy Tiger|Easy Tiger]] 』の収録曲『Two 』にバックグランド・ヴォーカルとして参加している。
2008年~2009年: 『ディトアーズ』
2008年2月5日(日本先行発売日は1月30日)に6枚目のアルバム『ディトアーズ』(Detours) を発売した。第1週に92,000枚、第2週に52,000枚を売り上げ、全米Billboard 200初登場第2位となった[42]。
このアルバムはテネシー州ナッシュビルにある彼女の農場でレコーディングされた。彼女の息子ワイアットが登場する『Lullaby for Wyatt 』は映画『さよなら。いつかわかること』で使用された。彼女は「このアルバムの曲は私の人生の過去3年に起こったことに着想を得た」と語り、乳癌の闘病、ランス・アームストロングとの破局が題材になったとされる。
『[[::en:Shine over Babylon|Shine over Babylon]] 』はこのアルバムからの最初のダウンロードのみのプロモーション・シングルとなった。このアルバムからの最初の公式のシングルは『[[::en:Love Is Free|Love Is Free]] 』、2枚目は『Out of Our Heads 』。2010年現在、世界で70万枚を売り上げている。
リベラルな政治活動家として、アメリカ合衆国大統領選挙ではバラク・オバマを支持。2008年の民主党全国大会の4日目と最終日に演奏した。
2008年の北京オリンピックでアメリカ・チームのスポンサーとなっているAT&T製作の『[[::en:AT&T Team USA Soundtrack|Team USA Olympic Soundtrack]] 』の中の『So Glad We Made It 』をレコーディングした。2008年の彼女のツアー公演のチケット1枚につき1ドルが国際連合世界食糧計画に寄付されると発表された。
2009年11月17日、A&Mレコードは彼女のデビュー・アルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』をデラックス・ヴァージョンとして2枚組CDおよびDVDのセットで再発売した。このアルバムにはラジオでチャート入りしたシングル『Killer Life 』も収録されている。ボーナスCDには未発表曲、B面曲、『I Shall Believe 』の再録などが含まれている。DVDにはアルバムからのシングル曲のミュージック・ビデオが収録されている。
2010年代
2010年~現在: 『100 Miles from Memphis 』
2010年3月、ジャクソン・ブラウンとのジョイント・ツアーで来日公演を行う(金沢公演はクロウのみ)。
[[::en:Enough Project|Enough Project]] とダウンタウン・レコードのRaise Hope for Congoのため、話し言葉で録音された『My Name Is Mwamaroyi 』を発表。世界中の人々にコンゴの平和を訴え、収益金はコンゴの女性達の保護や人権尊重のための取り組みに寄付される。
2010年7月20日、A&Mレコードは彼女の7枚目のアルバム『[[::en:100 Miles from Memphis|100 Miles from Memphis]] 』を発表。このアルバムはクラシックな流れとリード・シングル『[[::en:Summer Day|Summer Day]] 』を特徴としている[43]。アルバムの「メンフィスから100マイル (160 km)」という題名は、音楽のメッカから彼女の故郷への距離を表し、彼女の音楽の経歴への頌歌であり、若い音楽ファンにポップからオートチューンへの推移を知ってもらうきっかけになることを望むものである[44]。
同年後期、ロレッタ・リンのトリビュート・アルバム『[[::en:Coal Miner's Daughter: A Tribute to Loretta Lynn|Coal Miner's Daughter: A Tribute to Loretta Lynn]] 』でリン、カントリー歌手ミランダ・ランバートと共にタイトル曲である『[[::en:Coal Miner's Daughter|Coal Miner's Daughter]] 』を歌った。2010年11月に行なわれた第44回CMAアワードでこの曲が演奏された[45]。
2011年9月20日、批評家の称賛を得た1982年の映画『ダイナー』に着想を得た新しいミュージカル作品の音楽および作詞を担当することが発表された。トニー賞受賞者のキャサリン・マーシャルによる演出および振付により、2012年秋にブロードウェイで上演されることとなった[46]。
2011年10月11日、ウィリアム・シャトナーのアルバム『[[::en:Seeking Major Tom|Seeking Major Tom]] 』に収録された、電子音楽アーティスト[[::en:Kirby Ian Andersen|K.I.A.]] の2003年のアルバム『Adieu Shinjuku Zulu 』内の『[[::en:Mrs. Major Tom|Mrs. Major Tom]] 』を歌った。
2012年9月、ニコラス・クリストフとシェリル・ウーダンの書籍から着想を得た多角的プロジェクト[[::en:Half the Sky: Turning Oppression into Opportunity for Women Worldwide|Half the Sky: Turning Oppression into Opportunity for Women Worldwide]] をサポートするキャンペーン『30 Songs / 30 Days 』で彼女が取り上げられた[47]。
ジャーナリストのケイティ・クーリックより新番組トークショー『[[::en:Katie (talk show)|Katie]] 』のテーマソングを依頼された[48]。この曲『This Day 』はデイタイム・エミー賞オリジナル楽曲賞にノミネートされた[49]。
2012年11月1日、無料でダウンロードできるオリジナル曲『Woman in the White House 』を発表。女性大統領案を提案するカントリー調の曲で、「押し付けがましいジェンダー主義」などの批判から「自然で意図がはっきりしている」という称賛まで賛否両論であった。皮肉な歌詞についてカントリー歌手のブラッド・ペイズリーは称賛した[50]。この曲は後にiTunesでダウンロードできるようになり、収益金の一部がアメリカ赤十字社を通じハリケーン・サンディの復興支援のため寄付された[51]。
ワーナー・ミュージック・ナッシュビルと契約し、プロデューサーのリチャード・ベネットと共にカントリー・ミュージックの曲をレコーディング。ブラッド・ペイズリーの製作協力を得て、2013年9月に発売予定である[50][52]。2013年3月12日、リード・シングル『[[::en:Easy (Sheryl Crow song)|Easy]] 』がiTunesで発表され、2003年の『ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト』以来のソロ・カントリー・シングルとなった[53]。
プライベート
アイルランド系アメリカ人の流れを汲んでおり、元アメリカ合衆国下院議員チャールズ・A・クロウ(1873年 – 1938年)の曾孫である[54]。
数々の著名な人々と浮名を流してきている。俳優オーウェン・ウィルソンとの交際ではアルバム 『カモン・カモン』(2002年)ライナー・ノートによると収録曲『Safe and Sound 』は2人の関係についての自伝的歌詞であり、彼に捧げられたものである。その後2003年から自転車プロロードレース選手のランス・アームストロングと交際を始めた。彼は多くのインタビューで彼女の音楽が彼の癌を癒したと語った。2005年9月、婚約を発表したが、2006年2月、破局[55]。
その直後、ロサンゼルスの施設で乳癌外科医クリスティ・ファンクによる治療を受けた。2006年2月、最小侵襲手術を受け、その後放射線療法を施された[56][57]。治療は成功したが、2011年11月、脳腫瘍の一種で通常良性腫瘍となる髄膜腫が発見された[58]。
2007年5月11日、4月29日生まれの生後2週間の乳児を養子にし、ワイアット・スティーヴン・クロウと名付けたことを公式ウェブサイトで発表した[59]。2010年6月4日、4月30日生まれの別の乳児を養子にし、リーヴァイ・ジェイムス・クロウと名付けたことを発表[60]。現在一家はナッシュビル郊外の154-エーカー (0.62 km2)の農場に住んでいる[61]。
2011年7月、ワイオミング州シャイアンで行なわれたロデオ[[::en:Cheyenne Frontier Days|Cheyenne Frontier Days]] [62]に、動物福祉専門家がこのイベントが動物虐待にあたるとして彼女に出演中止を要請し、約13,000名が出演中止に署名した[63]が、彼女は開幕日に演奏した。
アルバム・ディスコグラフィ
- チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ - Tuesday Night Music Club (1993年)
- シェリル・クロウ - Sheryl Crow (1996年)
- 収録曲「Love is a Good Thing」の歌詞の「ウォルマートで買ったおもちゃのピストル」というフレーズが子供達の暴力行為を助長するとして、全米のウォルマートではこのアルバムは発売されていない。
- グローブ・セッションズ - The Globe Sessions (1998年)
- 地球と一体化しているという意味の造語
- ライヴ・フロム・セントラル・パーク - Sheryl Crow and Friends: Live From Central Park (1999年)
- カモン・カモン - C'mon C'mon (2002年)
- Live at 武道館 - Live at Budokan (2003年) 日本のみのリリース
- ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ - Very Best of Sheryl Crow (2003年)
- オール・アイ・ワナ・ドゥ
- ソーク・アップ・ザ・サン
- マイ・フェイヴァリット・ミステイク
- ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト(アルバム・ヴァージョン)
- エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード
- リーヴィング・ラス・ヴェガス
- ストロング・イナーフ
- ライト・イン・ユア・アイズ
- イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー
- ラン・ベイビー・ラン
- ピクチャー(キッド・ロック・デュエット・ヴァージョン)
- カモン・カモン(コアーズ・ヴァージョン)
- ア・チェンジ・ウッド・ドゥ・ユー・グッド
- ホーム
- ゼアー・ゴーズ・ザ・ネイバーフッド
- アイ・シャル・ビリーヴ
- レッツ・ゲット・フリー
- ワイルドフラワー - Wildflower (2005年)
- アイ・ノウ・ホワイ
- パーフェクト・ライ
- グッド・イズ・グッド
- チャンセズ・アー
- ワイルドフラワー
- ライフタイムス
- レター・トゥ・ゴッド
- リヴ・イット・アップ
- アイ・ドント・ウォナ・ノウ
- オルウェイズ・オン・ユア・サイド
- ホエア・ハズ・オール・ザ・ラヴ・ゴーン
- ワイルドフラワー(アコースティック・ヴァージョン)
- ホエア・ハズ・オール・ザ・ラヴ・ゴーン(アコースティック・ヴァージョン)
- レター・トゥ・ゴッド(アコースティック・ヴァージョン)
- ディトアーズ - Detours (2008年)
- 100マイルズ・フロム・メンフィス - 100 Miles from Memphis (2010年)
Fender Custom Shop Sheryl Crow 1959 Custom Telecaster
2012年12月、シェリルの名を冠したフェンダー・テレキャスターがフェンダー・カスタムショップから世界60本限定で発売された。 本機が制作されたいきさつは日本版フェンダー公式サイトに詳しく記されている。1994年にシェリルにとって初のソロツアーが始まる直前、バンドの楽器機材が盗難に遭い、彼女が長年愛用していたテレキャスターもその中に含まれていた。ツアー開始後にそのいきさつを知ったファンより、乳がんで死去した母親の形見である1959年製テレキャスターを、盗まれたギターの代わりに使って欲しいとの申し入れがあり、シェリルは快諾。以来彼女は現在まで大事に使い続けている。 このギターを完全復刻したのが当機である。
映画、テレビ出演作品
年 | 題 | 役 | 特記 |
---|---|---|---|
1996 | Fairway to Heaven | リポーター | テレビ映画 |
1998 | 54 フィフティ★フォー | VIPパトロン | |
1999 | [[::en:The Minus Man|The Minus Man]] | キャスパー | |
2004 | 五線譜のラブレター | 演奏者 | |
2006 | カーズ | エルヴィス (声) | クレジット無し |
年 | 題 | 役 | 特記 |
---|---|---|---|
1990 | [[::en:Cop Rock|Cop Rock]] | 秘密捜査員 | エピソード: Bang the Potts Slowly |
2004 | One Tree Hill | 本人 | エピソード: The First Cut Is the Deepest |
2009 | 30 ROCK/サーティー・ロック | 本人 | エピソード: [[::en:Kidney Now!|Kidney Now!]] |
2010 | シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ | 本人 | エピソード: It's the End of the Jake as We Know It |
2010 | クーガータウン | サラ | エピソード: Turn This Car Around、Everything Man、Wake Up Time |
2012 | [[::en:GCB (TV series)|Good Christian Belles]] | 本人 | エピソード: Forbidden Fruit |
2013 | [[::en:The Voice (U.S. season 4)|The Voice Season 4]] | 本人 | ブレイク・シェルトンのアドヴァイザー |
書籍
- If It Makes You Healthy チャック・ホワイトとの共著 (2011年)
脚注
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を指定する場合、|url=
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- ^ Chart Listing For The Week Of Feb 11, 1995[リンク切れ]
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- ^ Steinman, Alex (June 5, 2012). “Sheryl Crow reveals benign brain tumor”. Daily News
- ^ “Announcing.....” (May 12, 2007). May 12, 2007閲覧。[リンク切れ]
- ^ Sheryl Crow Adopts a Second Son! June 4, 2010
- ^ [4][リンク切れ]
- ^ Photo essay: Kid Rock, Sheryl Crow @ Cheyenne Frontier Days July 25, 2011
- ^ Nearly 13,000 (and counting) people from around the world sign a petition calling out Sheryl Crow for supporting rodeo cruelty July 21, 2011
外部リンク
- 公式ウェブサイト (英語)
- ユニバーサル・ミュージック公式ウェブサイト
- シェリル・クロウ - DMOZ (英語)
- Sheryl Crow (英語) ナショナル・パブリック・ラジオ『[[::en:Fresh Air|Fresh Air]] 』によるインタビュー
- Sheryl Crow (英語) VH1