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{{Infobox 作家 |
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| name = セルマ・ラーゲルレーヴ<br/>Selma Lagerlöf |
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| image = Atelje Jaeger - Selma Lagerlöf 1928.jpeg |
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| caption = セルマ・ラーゲルレーヴ([[1928年]]) |
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| birth_name = Selma Ottilia Lovisa Lagerlöf |
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| birth_date = {{生年月日と年齢|1858|11|20|no}} |
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| birth_place = {{SWE}}[[ヴェルムランド地方]][[モールバッカ]] |
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| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1858|11|20|1940|3|16}} |
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| death_place = {{SWE}}ヴェルムランド地方モールバッカ |
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| resting_place = <!--墓地、埋葬地--> |
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| occupation = [[作家]]、[[小説家]]、[[教員|教師]] |
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| language = sv<!--著作時の言語--> |
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| nationality = {{SWE}} |
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| education = |
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| alma_mater = [[高等師範学校]] |
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| period = [[1891年]] - [[1940年]] |
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| genre = 小説 |
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| movement = <!--作家に関連した、もしくは関わった文学運動--> |
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| religion = キリスト教<!--信仰する宗教--> |
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| notable_works = 『[[ニルスのふしぎな旅]]』([[1906年]]~[[1907年]]) |
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| spouse = <!--配偶者--> |
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| partner = <!--結婚していない仕事のパートナー(親族など)--> |
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| children = <!--子供の人数を記入。子供の中に著名な人物がいればその名前を記入する--> |
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| relations = <!--親族。その中に著名な人物がいれば記入する--> |
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| influenced = <!--影響を与えた作家名--> |
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| awards = [[ノーベル文学賞]]([[1909年]])<br /> [[ウプサラ大学]]([[名誉博士号]]、[[1907年]]) |
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| debut_works = 『{{仮リンク|イェスタ・ベルリングのサガ|en|Gösta Berlings Saga}}』([[1891年]]) |
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| signature = <!--署名・サイン--> |
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| website = http://www.selmalagerlof.org/ |
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}} |
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{{Thumbnail:begin}} |
{{Thumbnail:begin}} |
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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1909年|ノーベル文学賞|その著作を特徴付ける崇高な理想主義、生気溢れる想像力、精神性の認識を称えて。}} |
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{{Thumbnail:画像|Atelje Jaeger - Selma Lagerlöf 1928.jpeg}} |
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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1909年|ノーベル文学賞|その著作を特徴付ける崇高な理想主義、生気溢れる想像力、精神性の認識を称えて。}} |
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{{Thumbnail:end}} |
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'''セルマ・ラーゲルレーヴ'''({{lang-sv|Selma Ottilia Lovisa Lagerlöf}}、{{IPA-sv|ˈsɛlˈma ˈlɑːɡərˈløːv|lang|sv-Selma_Lagerlöf.ogg}}、[[1858年]][[11月20日]] - [[1940年]][[3月16日]])は、[[スウェーデン]]の女性[[作家]]。 |
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{{Portal|文学}} |
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'''セルマ・ラーゲルレーヴ'''('''{{Lang|sv|Selma Lagerlöf}}''', [[1858年]][[11月20日]] - [[1940年]][[3月16日]])は、[[スウェーデン]]の女流小説家。 |
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『[[ニルスのふしぎな旅]]』(1906年・1907年){{efn2|原題''{{lang|sv|Nils Holgerssons underbara resa genom Sverige}}'' は「ニルス・ホルガションのふしぎなスウェーデン1周旅行」を意味する。}}の著者であり、女性初・[[スウェーデン人]]初の[[ノーベル文学賞]]受賞者([[1909年]])として名高い{{sfn|万有百科大事典|1973|page=677}}{{sfn| グランド現代百科事典|1983| page=322}}。かつての20[[スウェーデン・クローナ]]紙幣(2014年以前)には、表にラーゲルレーヴの肖像、裏にニルスが描かれていた{{efn2|紙幣のデザイン変更に伴い、20クローナの肖像は2015年発行分から[[アストリッド・リンドグレーン]]に変わった。}}。 |
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== 『ニルスのふしぎな旅』の著者 == |
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本国では[[フェミニスト]]としても知られる。フルネームは、セルマ・オッティリアーナ・ロヴィサ・ラーゲルレーヴ。『[[ニルスのふしぎな旅]]』(1906年)の著者。[[1909年]]に、女性で初めての[[ノーベル文学賞]]受賞者となった。[[キリスト教]]の寓話的作品、絵本を数多く書いていた。 |
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現在のスウェーデン20[[スウェーデン・クローナ|クローナ]]紙幣にその肖像を見ることができる。 |
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== 経歴 == |
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ラーゲルレーヴの受賞したノーベル文学賞は現在のものとは趣旨が異なり、現在は高い完成度の作品を著した功績を讃えるものであるのに対して当時の賞はそれまでの文学家としての活動を評価して受賞させるものであった。 |
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=== 出生から作家デビューまで === |
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1858年11月20日、[[ノルウェー]]との国境に近い[[ヴェルムランド地方]]のスンネにある邸宅[[モールバッカ]]<ref>{{cite book |page=36 |title=The American-Scandinavian review |volume=4 |editor=Henry Goddard Leach|<!-- editor-link=Henry Goddard Leach -->|publisher=American-Scandinavian Foundation |year=1916 |chapter=Miss Lagerlöf at Marbacka |author=H. G. L.|language=en}}</ref>に、退役軍人のエリック・グスタフ・ラーゲルレーヴ (''Erik Gustaf Lagerlöf'') とルイーセ・ラーゲルレーヴ (''Louise Lagerlöf''、旧姓 (''Wallroth'') の6人の子供の5番目として生まれた。母方は素封家で祖父は[[鍛冶]]場を経営する裕福な商人だった<ref name=":1">{{Cite book|title=The Saga of Gosta Berling|last=Lagerlof|first=Selma|last2=Schoolfield|first2=George|publisher=Penguin Classics|year=2009|isbn=9781101140482|location=New York|language=en}}</ref>。 |
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郷里のヴェルムランド地方は農業や馬の生産、製鉄、炭焼き、林業などの盛んな地域で、詩人{{仮リンク|エサイアス・テグネル|en|Esaias Tegnér}}や歴史学者{{仮リンク|エリック・グスタフ・イェイイェル|en|Erik Gustaf Geijer}}も輩出している。ラーゲルレーヴ家は、大農場と鍛冶場を所有し、テグネルやイェイイェルとも親戚筋にあたる名家であった。幼少時は[[股関節形成不全]]で戸外の遊びができず、文学好きの父{{sfn|大日本百科事典|1967|page=145}}や[[民間伝承]]に詳しい祖母の影響{{sfn|大日本百科事典|1967|page=145}}で、詩作と読書の好きな少女に成長していく。 |
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<!-- Translated partly from [[:en:Selma_Lagerl%C3%B6f#Career]] &oldid=993458410 ; 翻訳して更新。[https://en.m.wikipedia.org/w/index.php?title=Selma_Lagerl%C3%B6f&oldid=993458410 as edited by Srich32977 at 18:40, 10 December 2020 (UTC)].--> |
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== 日本語訳されたおもな作品 == |
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学校制度がまだ整わないスウェーデンでは([[スウェーデンの教育#スウェーデン教育史|1880年代まで4年制]])、裕福な家庭は子どもを通学させる代わりに家庭教師をつけており、ラーゲルレーヴ家でもモールバッカに招いた教師から初等教育と[[英語]]、[[フランス語]]を学ばせる。ラーゲルレーヴは7歳で初めてアメリカの小説『''Osceola''』(メイン・リード著)<ref>[[:en:Thomas Mayne Reid|Mayne Reid]] (1858). ''Osceola the Seminole, or, The Red Fawn of the Flower Land''. New York : R.M. De Witt, Nineteenth century English fiction シリーズ. マイクロフィルム、{{oclc|6333442}}。仮題『セミノール族のオスケオラまたは花咲く原野の若いアカシカ』。</ref>を読み切り、大人になったら小説家になりたいと思ったという<ref>{{Cite web|url=http://www.marbacka.com/selma_lagerlof.php|title=Selma Lagerlöf – författaren|website=www.marbacka.com|access-date=2019-10-18|language=sv}}</ref>。聖書は10歳で通読した。 |
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年号は日本語訳の最初の出版年、人名の仮名表記は書籍中のものに従う |
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* 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅰ 聖なるよる』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-78-9 |
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* 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅱ 聖ヴェロニカ』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-79-6 |
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* 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅲ・他一篇 胸赤コマドリ』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-80-2 |
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* 新妻ゆり 訳『モールバッカ ニルスの故郷』 柏艪舎 2005年 ISBN 4-434-06339-1 |
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* 松岡尚子 訳『ダーラナの地主館奇談』 [[日本図書刊行会]]/[[近代文藝社]] 2001年 ISBN 4-8231-0640-7 |
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* V.S.ハワード 英訳、吉田比砂子 訳(重訳)『イングマルソン家の人びと』 [[けやき書房]] 1996年 ISBN 4-87452-321-8 |
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* なかむらたえこ 訳、ドミニク・ルクレール 絵『きよしこのよる』(絵本) [[新教出版社]] 1992年 ISBN 4-400-60810-7 |
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* [[中村妙子]] 訳、高瀬ユリ 絵『むねあかどり』(絵本) [[日本基督教団出版局]] 1989年 ISBN 4-8184-0018-1 |
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* [[香川鉄蔵]]、香川節 訳『ニルスのふしぎな旅』(全4巻) [[偕成社]] 1982年 ISBN 4-03-651061-4 |
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* イシガオサム 訳『ポルトガリヤの皇帝さん』 [[岩波書店]]([[岩波文庫]]) 1981年 ISBN 4-00-327562-4 |
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* 石丸静雄 訳『幻の馬車』 [[角川書店]]([[角川文庫]]) 1959年 ISBN 4-04-217203-2 |
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* [[イシガオサム]] 訳『キリスト伝説集』 岩波書店(岩波文庫) 1955年 ISBN 4-00-327561-6 |
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* 石賀修 訳『エルサレム』第1部 岩波書店(岩波文庫) 1942年 ISBN 4-00-327563-2 |
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* 石賀修 訳『エルサレム』第2部 岩波書店(岩波文庫) 1952年 ISBN 4-00-327564-0 |
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スウェーデンでは[[1870年代]]に急速な近代化が興り、それに伴ってラーゲルレーヴ家は短時日に零落していく{{sfn|万有百科大事典|1973|page=677}}。 |
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[[ファイル:Selma Lagerlöf in 1881.jpg|thumb|left|23歳前後の肖像 (Anna Ollson 撮影、1881年、カールスタード)]] |
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ラーゲルレーヴは自立のため、24歳になる1882年に父の反対を押し切って[[ストックホルム]]の[[高等師範学校]]に入学し<ref name=ea>{{Cite Americana|wstitle=Lagerlof, Ottilia Lovisa Selma|language=en}}</ref>、1885年にスウェーデン南部の[[ランズクルーナ]]で女子校の教師として働き始める。 |
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[[1885年]]、父のエリック・グスタフ・ラーゲルレーヴが[[アルコール使用障害]]<ref name="Selma Lagerlöf: Surface and Depth">{{Cite web|url=http://publicdomainreview.org/2012/01/11/selma-lagerlof-surface-and-depth/|title=Selma Lagerlöf: Surface and Depth|website=The Public Domain Review|access-date=8 March 2016|language=en}}</ref>で死去すると、1888年に生家を競売にかけて手放した{{sfn|万有百科大事典|1973|p=677}}{{efn2|ラーゲルレーヴはノーベル賞副賞の賞金を得ると生家を買い戻し<ref>{{Cite web|url=http://www.britannica.com/biography/Selma-Lagerlof|title=Selma Lagerlof {{!}} Swedish author|website=ブリタニカ百科事典 Encyclopædia Britannica|access-date=8 March 2016|language=en}}</ref>、ファールンに置いた本拠をやがてたたむと、ここで過ごした<ref>{{Cite web|url=https://www.nobelprize.org/prizes/literature/1909/lagerlof/facts/|title=Selma Lagerlöf - Facts - NobelPrize.org|website=NobelPrize.org|language=en-US|access-date=2018-09-24}}</ref>。}}。長兄のダニエル(''Daniel Lagerlöf'')はすでに医者となって家を出ており、相続人の次兄ヨハン (''Johan Lagerlöf'') はアメリカに移民した。結婚し子供をもうけた姉のアンナ (''Anna'') を[[結核]]で亡くしている。幼い頃から一番仲の良かった妹イェルダとは、妹の結婚後も頻繁に行き来した。 |
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ラーゲルレーヴは教師を務める傍ら、詩や短編小説を雑誌の懸賞に投稿していた。1890年に短編が雑誌『[[イドゥン (雑誌)|イドゥン]]』の懸賞に入選、[[女性解放運動]]家の[[ソフィー・アドレルスパッレ]]男爵夫人から受けた支援のおかげで教職を1年間休むと、『{{仮リンク|イェスタ・ベルリングのサガ|en|Gösta Berlings Saga}}』<ref> ゼルマ・ラーゲルレフ『ゲスタ・ベルリングの伝説』全3巻 丸山武夫(訳)白水社 1942年-1943年</ref>を書き上げて翌[[1891年]]に刊行した。 |
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当時の北欧では、[[アウグスト・ストリンドベリ]]や[[ヘンリック・イプセン]]などに代表される「[[80年代文学]]」([[自然主義文学]])を批判する動きがあり、ドイツの哲学者[[フリードリヒ・ニーチェ]]やオーストリアの精神科医[[ジークムント・フロイト]]の影響で、精神や魂、過去など、目に見えないものを重視するようになっていた。1820年代の郷里を民話に似せ幻想的に描いたデビュー作『イェスタ・ベルリングのサガ』は「[[90年代文学]]」([[新ロマン主義文学]])の代表的な作品となり、40ヶ国語以上に翻訳された{{Sfn|中丸|2011|p=215-231}}。 |
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<!-- Translated partly from [[:en:Selma_Lagerlöf#Career|#Career]] &oldid=993458410 ; 訳出し一部を移動。[https://en.m.wikipedia.org/w/index.php?title=Selma_Lagerl%C3%B6f&oldid=993458410 as edited by Srich32977 at 18:40, 10 December 2020 (UTC)].-->そのきっかけはデンマーク語版に訳され、影響力のある男性書評家 Georg Brandes に着目されたことである<ref name="Selma Lagerlof">{{Cite web|url=http://authorscalendar.info/lagerlof.htm|title=Selma Ottiliana Lovisa Lagerlöf (1858–1940)|website=authorscalendar.info|access-date=8 March 2016}}</ref>。ストックホルムで芸術サロンを開き文芸活動を支えていたフレデリカ・リムネル([[:en:Fredrika Limnell|en]])は、作家専業で進めるようにと援助を申し出る<ref name=":2">{{Cite book|title=The Selma Lagerlof Megapack: 31 Classic Novels and Stories|last=Lagerlof|first=Selma|publisher=Wildside Press LLC|year=2013|isbn=9781434443441|location=Rockville|pages=20|language=en}}</ref>。 |
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=== デビューからノーベル文学賞受賞まで === |
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1894年に出版した第2作『見えざる絆』([[:sv:Osynliga länkar|sv]])がよく売れたため、ラーゲルレーヴは教師をやめて専業作家となった。それ以降、『アンチ・キリストの奇跡』([[:sv:Antikrists mirakler|sv]] 1897年)、『クンガヘラの女王たち』([[:sv:Drottningar i Kungahälla |sv]] 1899年)、『地主の家の物語』([[:sv:En herrgårdssägen|sv]] 1899年)<ref>佐々木基一 訳『地主の家の物語』東京 : 小山書店 1951年 {{doi|10.11501/1690136}} |
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。</ref>と次々と人気を集め、スウェーデン国内でも国際的にも名声を獲得していく。 |
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[[1896年]]、スウェーデン中部の[[ダーラナ地方]]で「神の声を聞いた」という農民たちが、[[エルサレム]]に集団移住した。スウェーデン国民の多くは移住者たちに批判的だったが、ラーゲルレーヴはエルサレムで当事者を取材し、移住した者たちとダーラナに残った者たちの葛藤と和解をめぐり、2部からなる大著『{{visible anchor|{{仮リンク|エルサレム (ラーゲルレーヴ)|sv|Jerusalem (bok)}}|エルサレム}}』を書き上げた(第1部『{{Visible anchor|ダーラナで|エルサレム}}』(1901年)、第2部『聖地にて』(1902年)<ref>前田晁 訳、今日の問題社刊(1942年)、復刻版は本の友社刊(2006年){{ISBN2|4894395169}}、{{NCID|BA76445948}}。</ref>)。同作は、1901年に第1回ノーベル文学賞の候補となった(受賞は1909年{{sfn|グランド現代百科事典|1983|page=322}})。 |
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<!-- Translated partly from [[:en:Selma_Lagerlöf#Career|#Career]] &oldid=993458410 ; 訳出し一部を移動。[https://en.m.wikipedia.org/w/index.php?title=Selma_Lagerl%C3%B6f&oldid=993458410 as edited by Srich32977 at 18:40, 10 December 2020 (UTC)]. --> |
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[[ファイル:Sophie_Elkan_&_Selma_Lagerlöf.jpg|サムネイル|Sophie Elkan (右) とラーゲルレーヴ (左)]] |
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小説家のソフィー・エルカン [[:en:Sophie Elkan|Sophie Elkan]](1853年 - 1921年)とは1894年に出会い、友だちとして伴侶として歩むことになる<ref name="glbtq">{{citation|last=Munck|first=Kerstin|title=Lagerlöf, Selma|periodical=[[:en:glbtq.com|glbtq.com]]|year=2002|url=http://www.glbtq.com/literature/lagerlof_s.html|url-status=dead|archive-url=https://web.archive.org/web/20071116195125/http://www.glbtq.com/literature/lagerlof_s.html|archive-date=16 November 2007|df=dmy-all}}</ref>。互いの作品を読み合い、忖度(そんたく)のない批評を寄せる相手として、ときには構想に鋭く反対されても信頼を置いていたという。エルカンに宛てた書簡集『''Du lär mig att bli fri''』(自由になれと教えたあなた)が出版されている<ref name="Selma Lagerlof" />。エルサレムへの1900年の取材旅行は「アメリカ入植地」[[:en:American Colony (Jerusalem)|American Colony]]<ref name="change">{{cite web|url=http://info.jpost.com/C002/Supplements/TimesOfChange/book_ch1_3.html|title=Times of Change|first=Heike|last=Zaun-Goshen|year=2002|url-status=dead|archive-url=https://web.archive.org/web/20100617050146/http://info.jpost.com/C002/Supplements/TimesOfChange/book_ch1_3.html|archive-date=17 June 2010|df=dmy-all|accessdate=2020-12-15}}</ref> で聞き取り調査を行い<ref>{{Cite web|url=https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1909/lagerlof-bio.html|title=Selma Lagerlöf – Biographical|website=www.nobelprize.org|access-date=8 March 2016}}</ref>、著書<!-- アンカー設定、半角イゲタ印は消さないでください。 -->『[[#エルサレム|エルサレム]]』がまとまる。王室とアカデミーから資金援助が続き評論家の反応もよく、[[ホメーロス]]や[[ウィリアム・シェイクスピア|シェークスピア]]を引き合いに出す論評が現れると、国外でも読者を増やした<ref name=":0" />。 |
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デビュー作がもたらした収入、アカデミーの奨励金や助成金を注ぎ込むと2回旅に出かけ、行き先はエクランを伴ったイタリア旅行、また[[パレスチナ]]を含む中東のいくつかの国も訪問した<ref>{{Cite EB1922|wstitle=Lagerlöf, Selma}}</ref>。旅先の見聞は作品の糧(かて)となり、[[イタリア]]では幼児キリスト像が実は偽物とすり替わっているという言い伝えを耳にして発想を得た(1897年 ''Antikrists mirakler''『アンチ・キリストの奇跡』)。この作品はキリスト教徒と社会主義者の倫理観を照らしており、舞台を[[シチリア島]]にした設定は、故郷を物語の場に選ぶラーゲルレーヴとしては珍しい{{cn|date=December 2020}}。 |
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=== 『ニルスのふしぎな旅』 === |
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[[ファイル:Selma Lagerlöf.jpg|thumb|1909年の肖像]] |
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[[1842年]]に[[初等教育]]を[[義務教育|義務]]化したスウェーデンでは、[[1880年]]、国民学校の教育改善を目指して[[d:Q10685993|スウェーデン国民学校教員協会]](''Sveriges Allmänna folkskollärarförening'')が組織され、中でも特に急務であったのは[[教科書|読本]]の改訂だった。また19世紀末から20世紀初頭にわたり、欧米を中心に教師中心から児童主体の教授法へと教育の転換が広く展開される([[新教育]]運動)。そのバイブルと呼ばれたのが、1900年にスウェーデンの社会運動家・教育学者の[[エレン・ケイ]]が著した『児童の世紀』(''Barnets århundrade''<ref>原田実 訳『児童の世紀』東京:大同館書店、1916年(大正5年){{全国書誌番号|43023298}}、{{DOI|10.11501/955165}}</ref>)である。ケイは一貫して国民学校読本を批判し、それに代わる読本のあり方を提言した。 |
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1901年、教員協会の読本作成委員会から初等教育用の[[地理学|地理]]読本を書くよう依頼されたラーゲルレーヴは、スウェーデン各地を取材し、『[[ニルスのふしぎな旅]]』(第1部1906年、第2部1907年)にまとめる<ref>{{cite journal|和書|author=村山朝子|year=2011|title=地理読本『ニルスの不思議な旅』の成り立ち|url=https://hdl.handle.net/10109/2538|journal=茨城大学教育学部紀要 人文・社会科学・芸術|volume=|number=60|page=|pages=21-41|publisher=[[茨城大学]]教育学部|format=pdf|NAID=120003185278||id=}}</ref>{{refnest|「セルマ・ラーゲルレーヴ女史」{{sfn|香川鉄蔵|1918|pages=331-346}} コマ番号172-。}}。 |
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<!-- Translated partly from [[:en:Selma_Lagerlöf#Career|#Career]] &oldid=993458410 ; 訳出し一部を移動。[https://en.m.wikipedia.org/w/index.php?title=Selma_Lagerl%C3%B6f&oldid=993458410 as edited by Srich32977 at 18:40, 10 December 2020 (UTC)].-->ニルスが冒険を繰り広げる物語は、著者がスウェーデンの各地方の取材先で調べた歴史と地理の知識を織り込み、民話風に仕立ててある<ref>中丸禎子「「父の娘」のノーベル文学賞 : セルマ・ラーゲルレーヴ『ニルスの不思議な旅』が描く国土と国民のカノン」(特集 世界文学の語り方)『文学』第17巻第5号、岩波書店、2016年9・10月、89-113頁。ISSN 0389-4029。</ref>。やがて家に帰り着いたニルスは元の大きさに戻った<ref name="Selma Lagerlöf: Surface and Depth" />という物語は著者のベストセラーとなり、30言語超の翻訳版がある<ref>{{cite web|url=http://www.ub.lu.se/en/sites/ub.lu.se.en/files/2006_nils_holgersson_100_ar.pdf|format=pdf|title=100 år med Nils Holgersson|publisher=Lund University Library|accessdate=31 May 2017}}</ref>。日本語訳刊本は1918年に出版される{{refnest|日本語訳初版{{sfn|香川鉄蔵|1918}}、また小林哥津子 訳{{sfnref|小林哥津子|1919}}にも収載。}}{{refnest|村山朝子の分析がある<ref>{{Cite journal|和書|author=村山朝子|year=2017|title=邦訳『ニルスの不思議な旅』の系譜 その1 : 初訳刊行から昭和戦争期まで|url=https://hdl.handle.net/10109/13327|journal=茨城大学教育学部紀要. 人文・社会科学・芸術|volume=66|page=|pages=85-104|format=pdf|NCID=AN00016198}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=村山朝子|year=2017|title=邦訳『ニルスの不思議な旅』の系譜 その2 : 1949 年以降(昭和戦後期から現在まで)|url=https://hdl.handle.net/10109/13328|journal=茨城大学教育学部紀要. 人文・社会科学・芸術|volume=66|page=|pages=105-121}}</ref>。}}。 |
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== 女性解放運動 == |
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[[File:Selma Lagerlof (1908), painted by Carl Larsson.jpg|thumb|肖像画([[カール・ラーション]]作、1908年<ref>{{Cite book|title=Skildrad av honom själv|date=|year=1952|publisher=Bonniers|isbn=9915140819|location=Stockholm|page=216|language=sv|last=Larsson|first=Carl}}</ref>)]] |
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19世紀後半のスウェーデンでは、[[女性解放運動]]の高まりを受け、女性作家が次々とデビューした。ラーゲルレーヴ自身も、女性向け雑誌『イドゥン』入選で作家デビューのきっかけをつかんだときに運動家のアドレルスパッレ(フレドリカ・ブレーマー協会会長)から経済的な支援を受けるなど、女性解放運動との関わりは強かった。また女性初のノーベル文学賞受賞以前に[[ウプサラ大学]]名誉博士号を贈られ(1907年)、1914年には[[スウェーデン・アカデミー]]に選出され7番会員となる{{sfn|グランド現代百科事典|1983|page=322}}など、ラーゲルレーヴの存在自体が、女性解放の旗手としての意味合いを強く持つに至る。 |
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<!-- Translated partly from [[:en:Selma_Lagerlöf#Career|#Career]] &oldid=993458410 ; 訳出し一部を移動。[https://en.m.wikipedia.org/w/index.php?title=Selma_Lagerl%C3%B6f&oldid=993458410 as edited by Srich32977 at 18:40, 10 December 2020 (UTC)].--> |
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住まいを[[ファールン]]へ移した1897年、のちに作家活動の補佐となる [[:en:Valborg Olander|Valborg Olander]] と出会った。エクランは交流を嫌がった<!-- 訳漏れ -->にせよ、[[女性参政権]]運動の活発な参加者で本職は教師という共通点があった。ラーゲルレーヴはスウェーデン婦人参政権同盟([[:en:National Association for Women's Suffrage (Sweden)|en]])を代弁して発言をしており、社会的に尊敬される女性として同盟にも頼りにされていた。{{疑問点範囲|1911年、スウェーデンが国際女性参政権会議の当番国|talksection=1915年の国際会議|date=2020年12月|title=1911年ストックホルムの会議かどうか確認をお願いします。}}を引き受けると、ラーゲルレーヴは6月の開会式で基調講演に立つ<ref name=":2" />。 |
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ドイツで1910年に「国際女性の日」制定と、社会的地位に関わらず女性の参政権を認めるべきとする提唱がされ、1913年には[[第一次世界大戦]]に向かう西ヨーロッパのあちこちで女性が集会を開き平和を唱え、投票権を得て政治を変えようと訴えた<ref name=":0">{{Cite journal|和書|author=南コニー|year=2011|title=-“International Women’s Day” 100 周年記念によせて―“International solidarity is needed for international women’s day”|url=http://subsite.icu.ac.jp/cgs/docs/96fbdccbd0ef401211aace646644ac0e1efdcce9.pdf|journal=ジェンダー&セクシュアリティ|volume=6|page=107|publisher=[[国際基督教大学]]|accessdate=2020-12-13|format=pdf|ISSN=1880-4764|NAID=110008430525}}</ref>。[[デンマーク]]や[[アイスランド]]の女性が参政権を認められたのは{{疑問点範囲| 1915年、ラーゲルレーヴは国際女性参政権会議(ストックホルム)|talksection=1915年の国際会議|date=2020年12月|title=1911年ストックホルムの会議かどうか確認をお願いします。}}で演説「{{仮リンク|家庭と国家|sv|Hem och stat}}」を述べ、スウェーデン人女性の[[女性参政権|参政権]]を求めた{{要出典|date=2020年12月}}。1917年には女性の参政権を認める国々はソ連、ドイツ、大西洋を越えてカナダまで広がる<ref name=":0" />。スウェーデンでは1919年5月に実現し、ラーゲルレーヴは祝賀の集まりで開会のことばを述べている<ref name=":2" />。 |
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== 後半生 == |
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[[ファイル:Selma Lagerlöf i sitt arbetsrum.jpg|left|thumb|生家モールバッカの書斎にて(1933年)]] |
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1910年代になると、北欧では90年代文学に代わって[[モダニズム文学]]が主流となる。1911年の『リリエクローナの家』([[:sv:Liljecronas hem|sv]])、後に『[[霊魂の不滅]]』として映画化された『幻の馬車』(1912年){{sfn|山室静|1949|pages=9-,294}}、1914年の『ポルトガリヤの皇帝さん』([[:sv:Kejsarn av Portugallien|sv]])<ref>イシガオサム 訳『ポルトガリヤの皇帝さん』〈岩波文庫〉1981年。</ref>などは人気を博したが、1918年に[[第一次世界大戦]]に反対して執筆した『追放者』''{{lang|sv|Bannlyst}}''<ref> Lagerlöf, Selma ; Esselwall-Smårs, Kersti. (2014) ''Bannlyst'' , |
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Svenska Ljud Classica (出版社):電子オーディオブック、スウェーデン語版。</ref>は酷評され、それ以降、ラーゲルレーヴは時代遅れの作家と見なされるようになった。1920年以降は自伝『モールバッカ』3部作(''Mårbacka'' 1922年、1930年、1932年)、『レーヴェンシェルドの指輪』3部作([[:sv:Löwensköldska ringen|sv]])などを上梓した。 |
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[[ファイル:Selma_Lagerlofs_Marbacka_at_Sunne.jpg|サムネイル|生家[[モールバッカ]]の本館]] |
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ドイツで[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が政権を握った1933年、ラーゲルレーヴは『土間で書いた話』<ref>Lagerlöf, Selma (1933). ''Skriften på jordgolvet''. Alb : Bonniers. {{NCID|BA82322920}}</ref>''{{lang|sv|Skriften på jordgolvet}}'' を発表して[[反ユダヤ主義]]を批判した。 |
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<!-- Translated partly from [[:en:Selma_Lagerlöf#Career|#Career]] &oldid=993458410 ; 訳出し一部を移動。[https://en.m.wikipedia.org/w/index.php?title=Selma_Lagerl%C3%B6f&oldid=993458410 as edited by Srich32977 at 18:40, 10 December 2020 (UTC)].-->ユダヤ系ドイツ人の作家[[ネリー・ザックス]]と親交があったラーゲルレーヴは、最晩年の1940年、ナチスの収容所に送られないように脱出させたいと王室に強く働きかける。ドイツ発スウェーデン行きの最後の航空便にザックスとその老いた母を乗せ、スウェーデンで安全に暮らせるように願ったが、結果を見届けることはなかった{{cn|date=December 2020}}。 |
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1940年3月16日、生家モールバッカで死去。 |
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=== 栄誉 === |
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<!-- Translated from [[:en:Selma_Lagerl%C3%B6f#Awards and commemoration]] &oldid=993458410 ; 翻訳。[https://en.m.wikipedia.org/w/index.php?title=Selma_Lagerl%C3%B6f&oldid=993458410 as edited by Srich32977 at 18:40, 10 December 2020 (UTC)]. --> |
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ノーベル賞選考委員会は1909年12月10日<ref>{{cite web | url=https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1909/lagerlof-speech.html | title=Banquet Speech(懇親会演説)| first=Selma | last=Lagerlöf | publisher=Nobel Prize | date=10 December 1909 | accessdate=9 December 2016}}</ref>、文学賞をセルマ・ラーゲルレーヴに贈ると発表する<!-- 、「」 "in appreciation of the [[lofty idealism]], vivid imagination, and spiritual perception that characterize her writings" --><ref name="nobelprize">{{cite web |url=https://www.nobelprize.org/prizes/literature/1909/summary/ |title=Literature 1909 |website=NobelPrize.org |accessdate=6 March 2010|language=en}}</ref>。賞が決まるまでには選考委員会とスウェーデン・アカデミーのあいだで激しい応酬があった<ref>{{cite news |url=http://www.svd.se/kulturnoje/understrecket/valdsam-debatt-i-akademien-nar-lagerlof-valdes_3569005.svd |title=Våldsam debatt i Akademien när Lagerlöf valdes |newspaper=Svenska Dagbladet |date=25 September 2009 |language=sv}}</ref>。授賞スピーチでラーゲルレーヴは天国の亡父に相談に行ったという物語を話し、飾らない人柄をにじませる。どうすればこんな名誉に応えられるだろうかと尋ねると、父は作家として歩み始めた時にさかのぼり、自分を支え、この名誉に導いてくれた人すべてを思い出しなさいと告げたという<ref name="Selma Lagerlöf: Surface and Depth" />。ノーベル賞に先立つ1904年に最高褒章を授けていたアカデミーは、1914年にラーゲルレーヴを会員に迎え、自国の女性に初めてふたつの栄誉を贈った<ref name=ea />。スウェーデン銀行は1991年、紙幣の切り替えにあたり、20クローナ紙幣に肖像を載せる初の女性にラーゲルレーヴを選んだと発表した。2015年の新券発行により失効<ref>{{Cite web|title=Sweden 20 Swedish Krona banknote 2008 Selma Lagerlöf|url=https://www.worldbanknotescoins.com/2015/04/20-swedish-krona-banknote-2008-selma-lagerlof.html|accessdate=2020-12-14|language=en|last=Aleks}} </ref>。 |
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ウプサラ大学は1907年に[[博士(法学)|法学博士号]]<ref name=ea />を授与、ドイツのグリーフスヴァルト大学([[:en:University of Greifswald|en]])は1928年に同じく名誉法学博士号を贈る。[[第二次世界大戦]]が勃発するとソビエト侵攻に備える[[フィンランド]]政府は、資金づくりに使うようにとラーゲルレーヴからノーベル賞のメダルとアカデミーの褒章を託された<ref name="magiczone">{{cite journal |page=36 |title=The magic zone: sketches of the Nobel Laureates |first=Ralph |last=Gunther |journal=Scripta Humanistica |year=2003 |volume=150 |isbn=1-882528-40-9|language=en}}</ref>。政府はその志に報いるため軍備費をほかの方法で手当てすると、メダルを丁重に返した{{cn|date=December 2020}}。 |
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* 1904年 スウェーデン・アカデミー大金章([[:sv:Stora_priset|Stora Priset]]、[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|グスタフ3世]]創設) |
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*1907年 [[ウプサラ大学]]名誉法学博士号 |
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* 1909年 ノーベル文学賞 |
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*1914年 [[スウェーデン・アカデミー]]会員 |
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* {{疑問点範囲|1915年 国際女性参政権会議の基調講演|date=2020年12月|talksection=1915年の国際会議}} |
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*1928年 グリーフスヴァルト大学名誉法学博士号 |
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== 映像化された作品 == |
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<!-- Translated from [[:en:Selma_Lagerl%C3%B6f#Literary adaptations]] &oldid=993458410 ; 翻訳して移動。[https://en.m.wikipedia.org/w/index.php?title=Selma_Lagerl%C3%B6f&oldid=993458410 as edited by Srich32977 at 18:40, 10 December 2020 (UTC)]. |
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<nowiki>[[File:Selma Lagerlof.jpg|thumb|A street in [[Jerusalem]], named for Lagerlöf]]</nowiki> --> |
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作品の映画化権は1919年、自らスウェーデン映画協会 {{Lang|sv|Svenska Biografteatern}} に譲渡して終生の作品を委ねており、多くの映画や映像が生まれた。ラーゲルレーヴと同郷の[[ヴィクトル・シェストレム]]は映画協会に所属しており、1917年の作品『Tösen från Stormyrtorpet』(沼の家の娘)から原作に採用し、[[スウェーデンの映画]]史上に残る1921年の傑作『[[霊魂の不滅]]』など合計5本発表、スウェーデンの無声映画のひとつの典型として自然の景観と人々の伝統的な暮らしの取り合わせを確立した<ref name="SFSFF">{{Cite web|title=The Blizzard|url=https://silentfilm.org/the-blizzard/|website=silentfilm.org|accessdate=2020-12-16|publisher=|author=Landazuri, Margarita}}</ref>。[[マウリッツ・スティッレル]]監督により、これもスウェーデンの映画史上に残る1919年の『[[吹雪の夜]]』や1924年の『[[イエスタ・ベルリングの伝説]]』(1924年)を含む3作<ref name="SFSFF" />が製作されるなど、国内外の作品が見られる{{sfn|Furhammar|2010|pages= 86–91}}。 |
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デンマークの監督の[[ビレ・アウグスト]]は本編160分を超える『エルサレム』を1996年に発表し<ref>{{Cite web|title=Jerusalem (1996)|url=https://www.rottentomatoes.com/m/jerusalem_1996|accessdate=2020-12-16|language=en|year=2002|last=|first=|publisher=[[Rotten Tomatoes]]}}</ref>、世界で好評を博した。 |
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ソビエトは『ニルスの不思議な旅』を1955年にアニメ化<ref>{{Citation|title=Zakoldovannyy malchik (1955) - IMDb|url=https://www.imdb.com/title/tt0211762/|accessdate=2020-12-16|language=en}}</ref>、日本の劇場版作品は1980年に封切りして各国にライセンスする<ref> {{Citation|和書|title=Gekijô-ban Nirusu no fushigi na tabi (1982)|url=https://www.imdb.com/title/tt4354284/|accessdate=2020-12-16|language=en|year=2015|last=|first=|publisher=IMDb|isbn=|trans-title=劇場版ニルスのふしぎな旅}} </ref>。また新たに52回シリーズを放送(2014年 - 2015年<ref> {{Cite web|和書|title=アニメ「ニルスの不思議な旅」|url=http://s.mxtv.jp/nils/|website=|accessdate=2020-12-16|language=ja|publisher=TOKYO MX}} </ref>)、DVDが出ている。 |
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== 記念像、テレビドラマ == |
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<!-- Translated from [[sv:Selma Lagerlöf#Postuma uppmärksammanden]] oldid:48516424 ; 翻訳して一部を移動。見出しを変更 ; [https://sv.m.wikipedia.org/wiki/Special:Mobil_diff/48516424?diffmode=source as of 2020年12月2日 (UTC) by Putsari.] --> |
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カール・ラーションは1902年を含め肖像画を2点描き、2点目モールバッカに展示してある。 |
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=== 公共彫刻 === |
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彫刻家の {{仮リンク|アーヴィッド・バックランド|sv|Arvid Backlund|Arvid Backlund}} によるブロンズの座像は各地に置いてある。足を組んだ像はスンネ市内のロッテネルース公園([[:en:Rottneros|en]])に1体目をすえ、同じ型から鋳造した2体目は1955年にアメリカ・[[ミネアポリス]]へ送られて{{仮リンク|アメリカ・スウェーデン研究所|en|American Sweden Institute}} で公開されている。その他、足を組んでいないブロンズ像も作り、スンネ市内のほか、[[カールスタード]]とフォールンにある。 |
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若い頃の姿をモチーフにした [[:en:Astri Taube|Astri Taube]] 作の胸像はロットネルース公園にあり、スコーネ県スクルプ市の寒村 [[:sv:Västra Vemmenhög|Västra Vemmenhög]] の廃校は校庭に Jón Leifsson ([[wikidata:Q18638948|wikidata]])作の像がたたずむ。 |
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最も新しいブロンズ像は高さ 165 cm とほぼ等身大で、Jonas Högström([[wikidata:Q5820949|wikidata]])が2009年秋に[[ランズクルーナ]]に立てた。ところが2013年2月2日の朝、持ち去られたことが判明、同日午後、設置した場所からほど近い地点で見つかった。同年、同じ市内にある殿堂の小道にラーゲルローヴを顕彰することが決まり、スウェーデン王[[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世]]の手で献呈されている。 |
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=== 記念コイン === |
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生誕150周年を記念した金貨と銀貨を発行すると[[スウェーデン国立銀行]] は発表し、それぞれ200クローナと2千クローナー、表面の肖像は共通である。デザイナーの John Holm は裏面のモチーフを銀貨はガチョウ、金貨はヒマワリをあしらった<ref>{{Cite web|url=http://www.riksbank.se/pagefolders/34431/nr13.pdf|format=PDF|publisher=Sveriges Riksbank|title=プレスリリース|language=en|accessdate=2009年1月9日|date=2008年3月12日}}</ref>。また1991年発行のラーゲルローヴの肖像入り20クローナ紙幣<ref>{{cite web|url=http://www.riksbank.se/Sedlar--mynt/Sedlar/Ogiltiga-sedlar/Sedlar-som-blev-ogiltiga-fore-2016/20-kronorssedel/|title=20-kronors sedel|accessdate=2017-07-22|publisher=Riksbanken|website=www.riksbank.se|language=sv|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170202011705/http://www.riksbank.se/Sedlar--mynt/Sedlar/Ogiltiga-sedlar/Sedlar-som-blev-ogiltiga-fore-2016/20-kronorssedel/|archivedate=2017-02-02}}</ref>は新紙幣発行の発表後<ref>{{cite news|title=新紙幣は次のとおり|url=http://www.di.se/artiklar/2011/4/6/har-ar-de-news-banknotes/|newspaper=Dagens Industri|date=2011-04-06|accessdate=2017-07-22}}</ref>、スウェーデン国立銀行は2016年時点で改めて失効を確認する発表をした<ref>{{cite web|url=http://www.riksbank.se/sv/Sedlar--mynt/Sedlar/Ogiltiga-sedlar/20-kronorssedel1/|title=20-kronors sedel|accessdate=2017-07-22|publisher=スウェーデン国立銀行|verk=www.riksbank|language=sv|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170115032841/http://www.riksbank.se/sv/Sedlar--mynt/Sedlar/Ogiltiga-sedlar/20-kronorssedel1/|archivedate=2017-01-15}}</ref>。 |
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=== テレビドラマ === |
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スウェーデンのテレビ局 SVT1 が放送した『セルマ』([[:sv:Selma (TV-serie)|sv]] 2008年)は前編後編2回のドラマで、小説のデビュー作『イェスタ・ベルリングのサガ』で売り出したばかりのヒロインと、少し年上の作家が登場する。脚本家の [[:sv:Åsa Lantz|Åsa Lantz]] はノーベル文学賞を受賞するまでを描き、エリック・レイジョンボルグ監督([[:sv:Erik Leijonborg|sv]])は主演にヘレナ・ベイストロム [[:en:Helena_Bergström|Helena Bergström]] を起用した。音楽はミカエル・ノルドアンダーション<ref>{{Citation|title=Selma (TV Movie 2008) - IMDb|url=https://www.imdb.com/title/tt1271996/|accessdate=2020-12-17|language=en}}</ref>。 |
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=== 天体 === |
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{{See also|金星のクレーター一覧}}[[金星]]にある大きなクレーターは「ビーナス」という英名にちなみ、著名な女性にちなんで名付けられる。そのひとつはラーゲルローヴという<ref>{{Cite web|url=http://planetarynames.wr.usgs.gov/Feature/3232|title=Gazetteer of Planetary Nomenclature ...Lagerlöf on Venus(惑星命名ガゼット……金星のラーゲルローヴ)|website=usgs.gov|accessdate=November 2014|language=en}}</ref>。 |
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自身が出演した記録映像『Ett besök hos Selma Lagerlöf』(1919年、6分)がある。劇場版映画『Sol över Sverige』(1938年 Arne Bornebusch 監督)には、2組の主人公たちが訪れるスウェーデンの旅先に複数の文化人が登場し、その1人という設定でカメオ出演している<ref> {{Citation|title=Sol över Sverige (1938) - IMDb|url=https://www.imdb.com/title/tt0030767/|accessdate=2020-12-16|language=en}} </ref>。 |
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=== その他 === |
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ホラー映画の原作者としてスウェーデンのテレビ番組に紹介されたことがある{{efn2|2009年のテレビシリーズ『Skräckministeriet』は30分番組で司会は俳優のビョルン・グラナス(『ドラゴンタトゥーの女』)。}}<ref> {{Citation|title=Skräckministeriet (TV Series 2009) - IMDb|url=https://www.imdb.com/title/tt11203864/|accessdate=2020-12-16|language=en}} </ref>。 |
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[[グレタ・ガルボ]]はマウリッツ・スティッレル監督の『イェスタ・ベルリングの伝説』に配役され、やがてハリウッド映画界への足がかりを得た<ref name="nhkbspre">[[ハイビジョン特集]]「ガルボの恋文~坂東玉三郎 ストックホルム幻想~」([[NHK BSプレミアム]] [[2011年]][[7月23日]]放送)より。</ref>。 |
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2011年のサンフランシスコ無声映画祭はラーゲルレーヴがスウェーデン無声映画の黄金期に果たした貢献を評価し、かなりの尺が紛失している<ref> {{Cite web|title=Huckleberry Finn Movie + The Blizzard + Mauritz Stiller: SFSFF Highlights|url=https://www.altfg.com/film/huckleberry-finn/|website=Alt Film Guide|accessdate=2020-12-16|language=en-US}} </ref>もののスティッレル監督の『グンナー・ヘデスの伝説/嵐』(1924年)を上映した<ref name="SFSFF" />。 |
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[[2013年]][[11月20日]]、[[Google]]のトップページにラーゲルレーヴ生誕155周年を記念して『ニルスのふしぎな旅』がロゴに採用された<ref>[http://newclassic.jp/archives/3337 セルマ・ラーゲルレーヴ生誕155周年 Googleトップページが『ニルスのふしぎな旅』仕様に] - newclassic、2013年11月20日閲覧。</ref>。 |
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スンネ(Östra Ämtervik)にあるホテル2軒はラーゲルレーヴの名前に因んで命名され、生家モールバッカは記念館として保存されている{{cn|date=December 2020}}。 |
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'''ラーゲルレーヴと日本''' |
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ラーゲルレーヴの代表作『ニルスのふしぎな旅』の第48章に、スウェーデンで勉強する日本人が登場する{{要出典|date=2020年12月}}。また『ポルトガリヤの皇帝さん』は、主人公が歌う歌の中に「ニッポン」と言う歌詞がある{{要出典|date=2020年12月}}。 |
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== おもな作品== |
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=== 日本語訳された作品 === |
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日本語訳の出版年順、人名の仮名表記は書籍中のものに従う。リンク付きの題名は国立国会図書館デジタルコレクションで一般公開。 |
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; イェスタ・ベルリングの伝説 |
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* [[森鷗外]] 訳『牧師』1910年。{{OCLC| 186794427}}。I: 黄金盃 [Guldkopp.]。M・ラングフェルト Langfeldts のドイツ語訳(''Gösta Berlingssaga, 3'' Aufl., 1905)から重訳。LIBRIS 所蔵。 ** 改版改題し岩波書店〈鷗外全集 第4巻〉に収載(1972年、ISBN 4-00-327564-0<ref>オスカー・ワイルド、セルマ・ラーゲルレーヴ、フセボロド・ガルシン ほか『 親友のつくり方、教えましょう。』田波御白、森鷗外、神西清 ほか(訳)、くもん出版〈読書がたのしくなる世界の文学〉、2015年。{{ISBN2|978-4-7743-2411-1}}</ref>)。 |
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* 野上弥生子 訳『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958925 ゲスタ・ベルリング]』、家庭読物刊行会〈世界少年文学名作集〉第16巻、1921年、{{DOI|10.11501/958925}}。『ポルトガリヤの皇帝さん』収載。 |
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* 丸山武夫 訳『ゲスタ・ベルリングの伝説』全3巻 白水社 1942年-1943年(昭和16-17)。第1巻{{doi|10.11501/1136495}} ほか。 |
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*{{Cite book|和書|title=ポルトガリヤの皇帝さん|date=|year=1981|publisher=岩波書店|translator=|isbn=4-00-327562-4|series=岩波文庫|ref={{sfnref|イシガオサム|1981}}|author=イシガオサム 訳}} |
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; ニルスのふしぎな旅 |
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*{{Cite book|和書|author=香川鉄蔵 訳|authorlink=香川鉄蔵|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959347 |title=飛行一寸法師|publisher=大日本図書|year=1918|id={{全国書誌番号|43027227}}|ref={{sfnref|香川鉄蔵|1918}}}}1982年に改版改題し『ニルスのふしぎな旅』(全4巻)香川鉄蔵、香川節 訳、[[偕成社]] ISBN 4-03-651061-4。 |
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** 鏡沼保次 訳『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717597 鵞鳥の愛]』東方社 1923年 {{全国書誌番号|45022973}} 渡辺光徳 絵 |
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** *{{Cite book|和書|author=小林哥津子 訳|others=[[杉浦非水]] 装幀|url=https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000577949-00 |title=不思議の旅 : 瑞典のお伽話|location=東京|publisher=玄文社|year=1919|id={{全国書誌番号|43030541}}|ref={{sfnref|小林哥津子|1919}}}} |
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** [[大畑末吉]] 訳「ニルスのふしぎな旅」『世界の名作図書館』第7巻 講談社 1967年 {{doi|10.11501/1654608}} |
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** 朗読版『ニルスのふしぎな旅』東京 : 日本障害者リハビリテーション協会 1999-2000年 CD-ROM 第1巻-第4巻(原本: 1995年、偕成社〈偕成社文庫〉)、DAISY ver.2.0。第1巻はCD-ROM1枚6時間49分。 |
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** 山室静 訳『ニルスのふしぎな旅』講談社〈講談社青い鳥文庫〉1995年。ISBN 9784061484184 |
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** [[菱木晃子]] 訳『ニルスのふしぎな旅』福音館書店、2007年。(上)ISBN 978-4-834-022735、(下)ISBN 978-4-834-022742 |
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* [[福永挽歌]] 訳『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/968089 漁夫の指輪]』〈世界童話傑作叢書第3編〉東京 : 日本評論社出版部 1921年 {{全国書誌番号|43035160}} |
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; [[#エルサレム|エルサレム]]<!-- 半角イゲタ印はアンカーです。--> |
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* 前田晁 訳『エルサレム』今日の問題社〈ノーベル賞文学叢書第18巻〉1942年。{{NCID|BN09323911}}。 |
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** 石賀修 訳『エルサレム』第1部 岩波書店〈岩波文庫〉1942年 ISBN 4-00-327563-2 |
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**石賀修 訳『エルサレム』第2部 岩波書店〈岩波文庫〉1952年 ISBN 4-00-327564-0<ref>イシガオサム『ラーゲルレーヴの「エルサレム」ものがたり』福岡 : NES、1986年。{{全国書誌番号|87016696}}</ref> |
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**V・S・ハワード 英訳、吉田比砂子(重訳)『イングマルソン家の人びと : エルサレム1』[[けやき書房]]〈ふれ愛ブックス〉1996年 ISBN 4-87452-321-8 |
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* {{Cite book|和書|series=ラーゲルレーヴ作品集7|location=東京|publisher=新月社|year=1949|JPNO=58010690|doi=10.11501/1708009|volume=|title=幻の馬車|translator=山室静|ref={{sfnref|山室静|1949}}|pages=9-,294}} |
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** 石丸静雄 訳『幻の馬車』[[角川書店]]〈[[角川文庫]]〉1959年 ISBN 4-04-217203-2 |
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; キリスト伝説集 |
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* [[イシガオサム]] 訳『キリスト伝説集』岩波書店〈岩波文庫〉1955年 ISBN 4-00-327561-6 |
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**『キリスト伝説集』東京 : 日本点字図書館 (製作) 1980年、3冊(原本: 岩波書店〈岩波文庫〉1978年){{全国書誌番号|83046651}} 点字資料 |
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** [[中村妙子]] 訳、高瀬ユリ 絵『むねあかどり』[[日本基督教団出版局]] 1989年 ISBN 4-8184-0018-1。絵本 |
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** なかむらたえこ 訳、ドミニク・ルクレール 絵『きよしこのよる』[[新教出版社]] 1992年 ISBN 4-400-60810-7。絵本 |
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** [[藤原英司]]、辺見栄 訳『キリストの伝説 I :聖なるよる』 キリスト教視聴覚センター ([[早稲田奉仕園|AVACO]]) 2011年 ISBN 978-4-906401-78-9 |
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** 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 II :聖ヴェロニカ』 キリスト教視聴覚センター (AVACO) 2011年 ISBN 978-4-906401-79-6 |
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** 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 III・他一篇:胸赤コマドリ』 キリスト教視聴覚センター (AVACO) 2011年 ISBN 978-4-906401-80-2 |
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* [[山室静]] 訳『沼の家の娘』西村保史郎 絵、東京 : 偕成社〈少女世界文学全集〉第9巻、1961年。90頁-。{{Doi|10.11501/1638113}} |
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* 松岡尚子 訳『ダーラナの地主館奇談』[[日本図書刊行会]]/[[近代文藝社]] 2001年 ISBN 4-8231-0640-7 |
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* 新妻ゆり 訳『モールバッカ ニルスの故郷』柏艪舎 2005年 ISBN 4-434-06339-1 |
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<!-- Selma_Lagerlof_nobel_prize_illustration.png|ラーゲルレーヴのノーベル文学賞受賞を報じる新聞記事の挿し絵(1909年12月11日付け『[[スヴェンスカ・ダーグブラーデット]]』) --> |
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1959 CPA 2284.jpg|[[ソビエト連邦]]のラーゲルレーヴ[[記念切手]](1959年発行) |
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Selma Lagerlof.jpg|alt=エルサレム市内の道路標識|著書名に因み、エルサレム市内の道路標識はラーゲルレーヴの名前を掲げる。「[[シャウル・チェルニホフスキー|チェルニホフスキー]]」の名もある(1行目)。 |
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Holgersson arlanda.jpg|ニルス像([[ストックホルム・アーランダ空港]]、1991年製作) |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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{{reflist|33em}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book|和書|author=|authorlink=|coauthors=|editor=鈴木泰二|editor-link=鈴木泰二|others=|title=グランド現代百科事典|origdate=1982|url=|format=|accessdate=|edition=改訂新版|date=1983-6-1|year=|publisher=[[学習研究社]]|location=|series=|language=|ref={{sfnref|グランド現代百科事典|1983}}|chapter=|page=322|volume=第29巻 ヤシチーリツフ}} |
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* {{Cite book|和書|author=|authorlink=|coauthors=|editor=鈴木勤|editor-link=鈴木勤|others=|title=世界文化大百科事典|origdate=|url=|format=|accessdate=|edition=|date=|year=1971|publisher=[[世界文化社]]|location=|series=|language=|ref={{sfnref|世界文化大百科事典|1971}}|volume=第10巻 ホクーラヒユ|pages={{要ページ番号|date=2020年12月}}}} |
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* {{Cite book|和書|author=|authorlink=|coauthors=|editor=澤田嘉一|editor-link=澤田嘉一|others=|title=大日本百科事典|origdate=|url=|format=|accessdate=|edition=|date=1967-11-20|year=|publisher=[[小学館]]|location=|series=|language=|ref={{sfnref|大日本百科事典|1967}}|volume=第18巻 よーん|page=145}} |
|||
*{{Cite journal|和書|author=中丸禎子|author-link=|year=2011|title=太陽の国、エデンの東 セルマ・ラーゲルレーヴ『ポルトガリエンの皇帝』における三つの層|journal=文学|volume=12|issue=第1号(1・2月号)|page=|pages=215-231|publisher=岩波書店|ref={{sfnref|中丸|2011}}}} |
|||
* {{Cite book|和書|author=高津春繁|authorlink=高津春繁|coauthors=[[手塚富雄]]、[[西脇順三郎]]、[[久松潜一]]|editor=相賀徹夫|editor-link=相賀徹夫|others=|title=万有百科大事典|origdate=|url=|format=|accessdate=|edition=初版|date=1973-08-10|year=|publisher=[[小学館]]|location=|series=[[日本大百科全書]]|language=|ref={{sfnref|万有百科大事典|1973}}|volume=第1巻 文学|page=677}} |
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* {{cite book|last=Furhammar|first=Leif |year=2010|chapter=Selma Lagerlöf and Literary Adaptations|editor1= Mariah Larsson |editor2= Anders Marklund |title=Swedish Film: An Introduction and Reader|location= Lund|publisher=Nordic Academic Press|ref={{sfnref| Furhammar |2010}}|pages= 86–91|language=en}} |
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== 関連文献 == |
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* 『ラーゲルレーヴ作品集』第7巻、東京 : 新月社、1949年。 |
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* アリス・リュツキンス『スウェーデン女性史』、東京 : 学芸書林、1994年。 |
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** 第2巻「女、目覚めはじめる : 十八世紀からフレドリカ・ブレーマーまで」Lyttkens, Alice Cronquist、{{全国書誌番号|95002172}} |
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== 関連項目 == |
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* [[スウェーデン文学]] |
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* [[国際女性デー]] |
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== 外部リンク == |
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{{EB1922 Poster|Lagerlöf, Selma|Selma Lagerlöf}} |
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*{{Commons-inline|Selma Lagerlöf|Selma Lagerlöf}} |
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*{{Wikiquotelang-inline|en|Selma Lagerlöf|Selma Lagerlöf}} |
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*{{gutenberg author|1717}} |
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*{{青空文庫著作者|1892|ラーゲルレーヴ セルマ}} |
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*{{OL author}} |
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*{{FadedPage|id=Lagerlöf, Selma|name=Selma Lagerlöf|author=yes}} |
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*{{Librivox author|176}} |
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*{{PM20|NAME=Selma Lagerlöf}} 新聞記事 |
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*{{Nobelprize}} |
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=== 周辺資料 === |
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* {{Internet Archive author|sname=Selma Lagerlöf}} |
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[[Category:20世紀スウェーデンの女性著作家]] |
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[[Category:19世紀のルター派信者]] |
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[[Category:20世紀のルター派信者]] |
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[[Category:スウェーデンの女性小説家]] |
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[[Category:スウェーデンのノーベル賞受賞者]] |
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[[Category:LGBTのルター派信者]] |
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[[Category:ノーベル文学賞受賞者]] |
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[[Category:スウェーデン・アカデミー会員]] |
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セルマ・ラーゲルレーヴ Selma Lagerlöf | |
---|---|
セルマ・ラーゲルレーヴ(1928年) | |
誕生 |
Selma Ottilia Lovisa Lagerlöf 1858年11月20日 スウェーデンヴェルムランド地方モールバッカ |
死没 |
1940年3月16日(81歳没) スウェーデンヴェルムランド地方モールバッカ |
職業 | 作家、小説家、教師 |
言語 | sv |
国籍 | スウェーデン |
最終学歴 | 高等師範学校 |
活動期間 | 1891年 - 1940年 |
ジャンル | 小説 |
代表作 | 『ニルスのふしぎな旅』(1906年~1907年) |
主な受賞歴 |
ノーベル文学賞(1909年) ウプサラ大学(名誉博士号、1907年) |
デビュー作 | 『イェスタ・ベルリングのサガ』(1891年) |
公式サイト | http://www.selmalagerlof.org/ |
ウィキポータル 文学 |
|
セルマ・ラーゲルレーヴ(スウェーデン語: Selma Ottilia Lovisa Lagerlöf、スウェーデン語: [ˈsɛlˈma ˈlɑːɡərˈløːv] ( 音声ファイル)、1858年11月20日 - 1940年3月16日)は、スウェーデンの女性作家。
『ニルスのふしぎな旅』(1906年・1907年)[注 1]の著者であり、女性初・スウェーデン人初のノーベル文学賞受賞者(1909年)として名高い[1][2]。かつての20スウェーデン・クローナ紙幣(2014年以前)には、表にラーゲルレーヴの肖像、裏にニルスが描かれていた[注 2]。
経歴
[編集]出生から作家デビューまで
[編集]1858年11月20日、ノルウェーとの国境に近いヴェルムランド地方のスンネにある邸宅モールバッカ[3]に、退役軍人のエリック・グスタフ・ラーゲルレーヴ (Erik Gustaf Lagerlöf) とルイーセ・ラーゲルレーヴ (Louise Lagerlöf、旧姓 (Wallroth) の6人の子供の5番目として生まれた。母方は素封家で祖父は鍛冶場を経営する裕福な商人だった[4]。
郷里のヴェルムランド地方は農業や馬の生産、製鉄、炭焼き、林業などの盛んな地域で、詩人エサイアス・テグネルや歴史学者エリック・グスタフ・イェイイェルも輩出している。ラーゲルレーヴ家は、大農場と鍛冶場を所有し、テグネルやイェイイェルとも親戚筋にあたる名家であった。幼少時は股関節形成不全で戸外の遊びができず、文学好きの父[5]や民間伝承に詳しい祖母の影響[5]で、詩作と読書の好きな少女に成長していく。
学校制度がまだ整わないスウェーデンでは(1880年代まで4年制)、裕福な家庭は子どもを通学させる代わりに家庭教師をつけており、ラーゲルレーヴ家でもモールバッカに招いた教師から初等教育と英語、フランス語を学ばせる。ラーゲルレーヴは7歳で初めてアメリカの小説『Osceola』(メイン・リード著)[6]を読み切り、大人になったら小説家になりたいと思ったという[7]。聖書は10歳で通読した。
スウェーデンでは1870年代に急速な近代化が興り、それに伴ってラーゲルレーヴ家は短時日に零落していく[1]。
ラーゲルレーヴは自立のため、24歳になる1882年に父の反対を押し切ってストックホルムの高等師範学校に入学し[8]、1885年にスウェーデン南部のランズクルーナで女子校の教師として働き始める。
1885年、父のエリック・グスタフ・ラーゲルレーヴがアルコール使用障害[9]で死去すると、1888年に生家を競売にかけて手放した[1][注 3]。長兄のダニエル(Daniel Lagerlöf)はすでに医者となって家を出ており、相続人の次兄ヨハン (Johan Lagerlöf) はアメリカに移民した。結婚し子供をもうけた姉のアンナ (Anna) を結核で亡くしている。幼い頃から一番仲の良かった妹イェルダとは、妹の結婚後も頻繁に行き来した。
ラーゲルレーヴは教師を務める傍ら、詩や短編小説を雑誌の懸賞に投稿していた。1890年に短編が雑誌『イドゥン』の懸賞に入選、女性解放運動家のソフィー・アドレルスパッレ男爵夫人から受けた支援のおかげで教職を1年間休むと、『イェスタ・ベルリングのサガ』[12]を書き上げて翌1891年に刊行した。
当時の北欧では、アウグスト・ストリンドベリやヘンリック・イプセンなどに代表される「80年代文学」(自然主義文学)を批判する動きがあり、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェやオーストリアの精神科医ジークムント・フロイトの影響で、精神や魂、過去など、目に見えないものを重視するようになっていた。1820年代の郷里を民話に似せ幻想的に描いたデビュー作『イェスタ・ベルリングのサガ』は「90年代文学」(新ロマン主義文学)の代表的な作品となり、40ヶ国語以上に翻訳された[13]。
そのきっかけはデンマーク語版に訳され、影響力のある男性書評家 Georg Brandes に着目されたことである[14]。ストックホルムで芸術サロンを開き文芸活動を支えていたフレデリカ・リムネル(en)は、作家専業で進めるようにと援助を申し出る[15]。
デビューからノーベル文学賞受賞まで
[編集]1894年に出版した第2作『見えざる絆』(sv)がよく売れたため、ラーゲルレーヴは教師をやめて専業作家となった。それ以降、『アンチ・キリストの奇跡』(sv 1897年)、『クンガヘラの女王たち』(sv 1899年)、『地主の家の物語』(sv 1899年)[16]と次々と人気を集め、スウェーデン国内でも国際的にも名声を獲得していく。
1896年、スウェーデン中部のダーラナ地方で「神の声を聞いた」という農民たちが、エルサレムに集団移住した。スウェーデン国民の多くは移住者たちに批判的だったが、ラーゲルレーヴはエルサレムで当事者を取材し、移住した者たちとダーラナに残った者たちの葛藤と和解をめぐり、2部からなる大著『エルサレム (ラーゲルレーヴ)』を書き上げた(第1部『ダーラナで』(1901年)、第2部『聖地にて』(1902年)[17])。同作は、1901年に第1回ノーベル文学賞の候補となった(受賞は1909年[2])。
小説家のソフィー・エルカン Sophie Elkan(1853年 - 1921年)とは1894年に出会い、友だちとして伴侶として歩むことになる[18]。互いの作品を読み合い、忖度(そんたく)のない批評を寄せる相手として、ときには構想に鋭く反対されても信頼を置いていたという。エルカンに宛てた書簡集『Du lär mig att bli fri』(自由になれと教えたあなた)が出版されている[14]。エルサレムへの1900年の取材旅行は「アメリカ入植地」American Colony[19] で聞き取り調査を行い[20]、著書『エルサレム』がまとまる。王室とアカデミーから資金援助が続き評論家の反応もよく、ホメーロスやシェークスピアを引き合いに出す論評が現れると、国外でも読者を増やした[21]。
デビュー作がもたらした収入、アカデミーの奨励金や助成金を注ぎ込むと2回旅に出かけ、行き先はエクランを伴ったイタリア旅行、またパレスチナを含む中東のいくつかの国も訪問した[22]。旅先の見聞は作品の糧(かて)となり、イタリアでは幼児キリスト像が実は偽物とすり替わっているという言い伝えを耳にして発想を得た(1897年 Antikrists mirakler『アンチ・キリストの奇跡』)。この作品はキリスト教徒と社会主義者の倫理観を照らしており、舞台をシチリア島にした設定は、故郷を物語の場に選ぶラーゲルレーヴとしては珍しい[要出典]。
『ニルスのふしぎな旅』
[編集]1842年に初等教育を義務化したスウェーデンでは、1880年、国民学校の教育改善を目指してスウェーデン国民学校教員協会(Sveriges Allmänna folkskollärarförening)が組織され、中でも特に急務であったのは読本の改訂だった。また19世紀末から20世紀初頭にわたり、欧米を中心に教師中心から児童主体の教授法へと教育の転換が広く展開される(新教育運動)。そのバイブルと呼ばれたのが、1900年にスウェーデンの社会運動家・教育学者のエレン・ケイが著した『児童の世紀』(Barnets århundrade[23])である。ケイは一貫して国民学校読本を批判し、それに代わる読本のあり方を提言した。
1901年、教員協会の読本作成委員会から初等教育用の地理読本を書くよう依頼されたラーゲルレーヴは、スウェーデン各地を取材し、『ニルスのふしぎな旅』(第1部1906年、第2部1907年)にまとめる[24][26]。
ニルスが冒険を繰り広げる物語は、著者がスウェーデンの各地方の取材先で調べた歴史と地理の知識を織り込み、民話風に仕立ててある[27]。やがて家に帰り着いたニルスは元の大きさに戻った[9]という物語は著者のベストセラーとなり、30言語超の翻訳版がある[28]。日本語訳刊本は1918年に出版される[30][33]。
女性解放運動
[編集]19世紀後半のスウェーデンでは、女性解放運動の高まりを受け、女性作家が次々とデビューした。ラーゲルレーヴ自身も、女性向け雑誌『イドゥン』入選で作家デビューのきっかけをつかんだときに運動家のアドレルスパッレ(フレドリカ・ブレーマー協会会長)から経済的な支援を受けるなど、女性解放運動との関わりは強かった。また女性初のノーベル文学賞受賞以前にウプサラ大学名誉博士号を贈られ(1907年)、1914年にはスウェーデン・アカデミーに選出され7番会員となる[2]など、ラーゲルレーヴの存在自体が、女性解放の旗手としての意味合いを強く持つに至る。
住まいをファールンへ移した1897年、のちに作家活動の補佐となる Valborg Olander と出会った。エクランは交流を嫌がったにせよ、女性参政権運動の活発な参加者で本職は教師という共通点があった。ラーゲルレーヴはスウェーデン婦人参政権同盟(en)を代弁して発言をしており、社会的に尊敬される女性として同盟にも頼りにされていた。1911年、スウェーデンが国際女性参政権会議の当番国[疑問点 ]を引き受けると、ラーゲルレーヴは6月の開会式で基調講演に立つ[15]。
ドイツで1910年に「国際女性の日」制定と、社会的地位に関わらず女性の参政権を認めるべきとする提唱がされ、1913年には第一次世界大戦に向かう西ヨーロッパのあちこちで女性が集会を開き平和を唱え、投票権を得て政治を変えようと訴えた[21]。デンマークやアイスランドの女性が参政権を認められたのは1915年、ラーゲルレーヴは国際女性参政権会議(ストックホルム)[疑問点 ]で演説「家庭と国家」を述べ、スウェーデン人女性の参政権を求めた[要出典]。1917年には女性の参政権を認める国々はソ連、ドイツ、大西洋を越えてカナダまで広がる[21]。スウェーデンでは1919年5月に実現し、ラーゲルレーヴは祝賀の集まりで開会のことばを述べている[15]。
後半生
[編集]1910年代になると、北欧では90年代文学に代わってモダニズム文学が主流となる。1911年の『リリエクローナの家』(sv)、後に『霊魂の不滅』として映画化された『幻の馬車』(1912年)[35]、1914年の『ポルトガリヤの皇帝さん』(sv)[36]などは人気を博したが、1918年に第一次世界大戦に反対して執筆した『追放者』Bannlyst[37]は酷評され、それ以降、ラーゲルレーヴは時代遅れの作家と見なされるようになった。1920年以降は自伝『モールバッカ』3部作(Mårbacka 1922年、1930年、1932年)、『レーヴェンシェルドの指輪』3部作(sv)などを上梓した。
ドイツでナチスが政権を握った1933年、ラーゲルレーヴは『土間で書いた話』[38]Skriften på jordgolvet を発表して反ユダヤ主義を批判した。
ユダヤ系ドイツ人の作家ネリー・ザックスと親交があったラーゲルレーヴは、最晩年の1940年、ナチスの収容所に送られないように脱出させたいと王室に強く働きかける。ドイツ発スウェーデン行きの最後の航空便にザックスとその老いた母を乗せ、スウェーデンで安全に暮らせるように願ったが、結果を見届けることはなかった[要出典]。
1940年3月16日、生家モールバッカで死去。
栄誉
[編集]ノーベル賞選考委員会は1909年12月10日[39]、文学賞をセルマ・ラーゲルレーヴに贈ると発表する[40]。賞が決まるまでには選考委員会とスウェーデン・アカデミーのあいだで激しい応酬があった[41]。授賞スピーチでラーゲルレーヴは天国の亡父に相談に行ったという物語を話し、飾らない人柄をにじませる。どうすればこんな名誉に応えられるだろうかと尋ねると、父は作家として歩み始めた時にさかのぼり、自分を支え、この名誉に導いてくれた人すべてを思い出しなさいと告げたという[9]。ノーベル賞に先立つ1904年に最高褒章を授けていたアカデミーは、1914年にラーゲルレーヴを会員に迎え、自国の女性に初めてふたつの栄誉を贈った[8]。スウェーデン銀行は1991年、紙幣の切り替えにあたり、20クローナ紙幣に肖像を載せる初の女性にラーゲルレーヴを選んだと発表した。2015年の新券発行により失効[42]。
ウプサラ大学は1907年に法学博士号[8]を授与、ドイツのグリーフスヴァルト大学(en)は1928年に同じく名誉法学博士号を贈る。第二次世界大戦が勃発するとソビエト侵攻に備えるフィンランド政府は、資金づくりに使うようにとラーゲルレーヴからノーベル賞のメダルとアカデミーの褒章を託された[43]。政府はその志に報いるため軍備費をほかの方法で手当てすると、メダルを丁重に返した[要出典]。
- 1904年 スウェーデン・アカデミー大金章(Stora Priset、グスタフ3世創設)
- 1907年 ウプサラ大学名誉法学博士号
- 1909年 ノーベル文学賞
- 1914年 スウェーデン・アカデミー会員
- 1915年 国際女性参政権会議の基調講演[疑問点 ]
- 1928年 グリーフスヴァルト大学名誉法学博士号
映像化された作品
[編集]作品の映画化権は1919年、自らスウェーデン映画協会 Svenska Biografteatern に譲渡して終生の作品を委ねており、多くの映画や映像が生まれた。ラーゲルレーヴと同郷のヴィクトル・シェストレムは映画協会に所属しており、1917年の作品『Tösen från Stormyrtorpet』(沼の家の娘)から原作に採用し、スウェーデンの映画史上に残る1921年の傑作『霊魂の不滅』など合計5本発表、スウェーデンの無声映画のひとつの典型として自然の景観と人々の伝統的な暮らしの取り合わせを確立した[44]。マウリッツ・スティッレル監督により、これもスウェーデンの映画史上に残る1919年の『吹雪の夜』や1924年の『イエスタ・ベルリングの伝説』(1924年)を含む3作[44]が製作されるなど、国内外の作品が見られる[45]。 デンマークの監督のビレ・アウグストは本編160分を超える『エルサレム』を1996年に発表し[46]、世界で好評を博した。
ソビエトは『ニルスの不思議な旅』を1955年にアニメ化[47]、日本の劇場版作品は1980年に封切りして各国にライセンスする[48]。また新たに52回シリーズを放送(2014年 - 2015年[49])、DVDが出ている。
記念像、テレビドラマ
[編集]カール・ラーションは1902年を含め肖像画を2点描き、2点目モールバッカに展示してある。
公共彫刻
[編集]彫刻家の アーヴィッド・バックランド によるブロンズの座像は各地に置いてある。足を組んだ像はスンネ市内のロッテネルース公園(en)に1体目をすえ、同じ型から鋳造した2体目は1955年にアメリカ・ミネアポリスへ送られてアメリカ・スウェーデン研究所 で公開されている。その他、足を組んでいないブロンズ像も作り、スンネ市内のほか、カールスタードとフォールンにある。
若い頃の姿をモチーフにした Astri Taube 作の胸像はロットネルース公園にあり、スコーネ県スクルプ市の寒村 Västra Vemmenhög の廃校は校庭に Jón Leifsson (wikidata)作の像がたたずむ。
最も新しいブロンズ像は高さ 165 cm とほぼ等身大で、Jonas Högström(wikidata)が2009年秋にランズクルーナに立てた。ところが2013年2月2日の朝、持ち去られたことが判明、同日午後、設置した場所からほど近い地点で見つかった。同年、同じ市内にある殿堂の小道にラーゲルローヴを顕彰することが決まり、スウェーデン王カール16世の手で献呈されている。
記念コイン
[編集]生誕150周年を記念した金貨と銀貨を発行するとスウェーデン国立銀行 は発表し、それぞれ200クローナと2千クローナー、表面の肖像は共通である。デザイナーの John Holm は裏面のモチーフを銀貨はガチョウ、金貨はヒマワリをあしらった[50]。また1991年発行のラーゲルローヴの肖像入り20クローナ紙幣[51]は新紙幣発行の発表後[52]、スウェーデン国立銀行は2016年時点で改めて失効を確認する発表をした[53]。
テレビドラマ
[編集]スウェーデンのテレビ局 SVT1 が放送した『セルマ』(sv 2008年)は前編後編2回のドラマで、小説のデビュー作『イェスタ・ベルリングのサガ』で売り出したばかりのヒロインと、少し年上の作家が登場する。脚本家の Åsa Lantz はノーベル文学賞を受賞するまでを描き、エリック・レイジョンボルグ監督(sv)は主演にヘレナ・ベイストロム Helena Bergström を起用した。音楽はミカエル・ノルドアンダーション[54]。
天体
[編集]金星にある大きなクレーターは「ビーナス」という英名にちなみ、著名な女性にちなんで名付けられる。そのひとつはラーゲルローヴという[55]。
自身が出演した記録映像『Ett besök hos Selma Lagerlöf』(1919年、6分)がある。劇場版映画『Sol över Sverige』(1938年 Arne Bornebusch 監督)には、2組の主人公たちが訪れるスウェーデンの旅先に複数の文化人が登場し、その1人という設定でカメオ出演している[56]。
その他
[編集]ホラー映画の原作者としてスウェーデンのテレビ番組に紹介されたことがある[注 4][57]。
グレタ・ガルボはマウリッツ・スティッレル監督の『イェスタ・ベルリングの伝説』に配役され、やがてハリウッド映画界への足がかりを得た[58]。
2011年のサンフランシスコ無声映画祭はラーゲルレーヴがスウェーデン無声映画の黄金期に果たした貢献を評価し、かなりの尺が紛失している[59]もののスティッレル監督の『グンナー・ヘデスの伝説/嵐』(1924年)を上映した[44]。
2013年11月20日、Googleのトップページにラーゲルレーヴ生誕155周年を記念して『ニルスのふしぎな旅』がロゴに採用された[60]。
スンネ(Östra Ämtervik)にあるホテル2軒はラーゲルレーヴの名前に因んで命名され、生家モールバッカは記念館として保存されている[要出典]。
ラーゲルレーヴと日本
ラーゲルレーヴの代表作『ニルスのふしぎな旅』の第48章に、スウェーデンで勉強する日本人が登場する[要出典]。また『ポルトガリヤの皇帝さん』は、主人公が歌う歌の中に「ニッポン」と言う歌詞がある[要出典]。
おもな作品
[編集]日本語訳された作品
[編集]日本語訳の出版年順、人名の仮名表記は書籍中のものに従う。リンク付きの題名は国立国会図書館デジタルコレクションで一般公開。
- イェスタ・ベルリングの伝説
- 森鷗外 訳『牧師』1910年。OCLC 186794427。I: 黄金盃 [Guldkopp.]。M・ラングフェルト Langfeldts のドイツ語訳(Gösta Berlingssaga, 3 Aufl., 1905)から重訳。LIBRIS 所蔵。 ** 改版改題し岩波書店〈鷗外全集 第4巻〉に収載(1972年、ISBN 4-00-327564-0[61])。
- 野上弥生子 訳『ゲスタ・ベルリング』、家庭読物刊行会〈世界少年文学名作集〉第16巻、1921年、doi:10.11501/958925。『ポルトガリヤの皇帝さん』収載。
- 丸山武夫 訳『ゲスタ・ベルリングの伝説』全3巻 白水社 1942年-1943年(昭和16-17)。第1巻doi:10.11501/1136495 ほか。
- イシガオサム 訳『ポルトガリヤの皇帝さん』岩波書店〈岩波文庫〉、1981年。ISBN 4-00-327562-4。
- ニルスのふしぎな旅
- 香川鉄蔵 訳『飛行一寸法師』大日本図書、1918年。全国書誌番号:43027227 。1982年に改版改題し『ニルスのふしぎな旅』(全4巻)香川鉄蔵、香川節 訳、偕成社 ISBN 4-03-651061-4。
- 鏡沼保次 訳『鵞鳥の愛』東方社 1923年 全国書誌番号:45022973 渡辺光徳 絵
- *小林哥津子 訳『不思議の旅 : 瑞典のお伽話』杉浦非水 装幀、玄文社、東京、1919年。全国書誌番号:43030541 。
- 大畑末吉 訳「ニルスのふしぎな旅」『世界の名作図書館』第7巻 講談社 1967年 doi:10.11501/1654608
- 朗読版『ニルスのふしぎな旅』東京 : 日本障害者リハビリテーション協会 1999-2000年 CD-ROM 第1巻-第4巻(原本: 1995年、偕成社〈偕成社文庫〉)、DAISY ver.2.0。第1巻はCD-ROM1枚6時間49分。
- 山室静 訳『ニルスのふしぎな旅』講談社〈講談社青い鳥文庫〉1995年。ISBN 9784061484184
- 菱木晃子 訳『ニルスのふしぎな旅』福音館書店、2007年。(上)ISBN 978-4-834-022735、(下)ISBN 978-4-834-022742
- 前田晁 訳『エルサレム』今日の問題社〈ノーベル賞文学叢書第18巻〉1942年。NCID BN09323911。
- 石賀修 訳『エルサレム』第1部 岩波書店〈岩波文庫〉1942年 ISBN 4-00-327563-2
- 石賀修 訳『エルサレム』第2部 岩波書店〈岩波文庫〉1952年 ISBN 4-00-327564-0[62]
- V・S・ハワード 英訳、吉田比砂子(重訳)『イングマルソン家の人びと : エルサレム1』けやき書房〈ふれ愛ブックス〉1996年 ISBN 4-87452-321-8
- 山室静 訳『幻の馬車』新月社、東京〈ラーゲルレーヴ作品集7〉、1949年、9-,294頁。doi:10.11501/1708009。
- 石丸静雄 訳『幻の馬車』角川書店〈角川文庫〉1959年 ISBN 4-04-217203-2
- キリスト伝説集
- イシガオサム 訳『キリスト伝説集』岩波書店〈岩波文庫〉1955年 ISBN 4-00-327561-6
- 『キリスト伝説集』東京 : 日本点字図書館 (製作) 1980年、3冊(原本: 岩波書店〈岩波文庫〉1978年)全国書誌番号:83046651 点字資料
- 中村妙子 訳、高瀬ユリ 絵『むねあかどり』日本基督教団出版局 1989年 ISBN 4-8184-0018-1。絵本
- なかむらたえこ 訳、ドミニク・ルクレール 絵『きよしこのよる』新教出版社 1992年 ISBN 4-400-60810-7。絵本
- 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 I :聖なるよる』 キリスト教視聴覚センター (AVACO) 2011年 ISBN 978-4-906401-78-9
- 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 II :聖ヴェロニカ』 キリスト教視聴覚センター (AVACO) 2011年 ISBN 978-4-906401-79-6
- 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 III・他一篇:胸赤コマドリ』 キリスト教視聴覚センター (AVACO) 2011年 ISBN 978-4-906401-80-2
- 山室静 訳『沼の家の娘』西村保史郎 絵、東京 : 偕成社〈少女世界文学全集〉第9巻、1961年。90頁-。doi:10.11501/1638113
- 松岡尚子 訳『ダーラナの地主館奇談』日本図書刊行会/近代文藝社 2001年 ISBN 4-8231-0640-7
- 新妻ゆり 訳『モールバッカ ニルスの故郷』柏艪舎 2005年 ISBN 4-434-06339-1
-
著書名に因み、エルサレム市内の道路標識はラーゲルレーヴの名前を掲げる。「チェルニホフスキー」の名もある(1行目)。
-
ニルス像(ストックホルム・アーランダ空港、1991年製作)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 万有百科大事典 1973, p. 677.
- ^ a b c グランド現代百科事典 1983, p. 322.
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- ^ 香川鉄蔵 1918.
- ^ 日本語訳初版[29]、また小林哥津子 訳CITEREF小林哥津子1919にも収載。
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- ^ 村山朝子「邦訳『ニルスの不思議な旅』の系譜 その2 : 1949 年以降(昭和戦後期から現在まで)」『茨城大学教育学部紀要. 人文・社会科学・芸術』第66巻、2017年、105-121頁。
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参考文献
[編集]- 鈴木泰二 編『グランド現代百科事典』 第29巻 ヤシチーリツフ(改訂新版)、学習研究社、1983年6月1日(原著1982年)、322頁。
- 鈴木勤 編『世界文化大百科事典』 第10巻 ホクーラヒユ、世界文化社、1971年、[要ページ番号]頁。
- 澤田嘉一 編『大日本百科事典』 第18巻 よーん、小学館、1967年11月20日、145頁。
- 中丸禎子「太陽の国、エデンの東 セルマ・ラーゲルレーヴ『ポルトガリエンの皇帝』における三つの層」『文学』第12巻第1号(1・2月号)、岩波書店、2011年、215-231頁。
- 高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典』 第1巻 文学(初版)、小学館〈日本大百科全書〉、1973年8月10日、677頁。
- Furhammar, Leif (2010). “Selma Lagerlöf and Literary Adaptations”. In Mariah Larsson; Anders Marklund (英語). Swedish Film: An Introduction and Reader. Lund: Nordic Academic Press. pp. 86–91
関連文献
[編集]- 『ラーゲルレーヴ作品集』第7巻、東京 : 新月社、1949年。
- アリス・リュツキンス『スウェーデン女性史』、東京 : 学芸書林、1994年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、Selma Lagerlöfに関するメディアがあります。
- 英語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります:Selma Lagerlöf
- セルマ・ラーゲルレーヴの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- ラーゲルレーヴ セルマ:作家別作品リスト - 青空文庫
- セルマ・ラーゲルレーヴの著作 - インターネットアーカイブ内のOpen Library
- Selma Lagerlöf - Faded Page (Canada)
- セルマ・ラーゲルレーヴの著作 - LibriVox(パブリックドメインオーディオブック)
- Newspaper clippings about Selma Lagerlöf in the 20th Century Press Archives of the ZBW 新聞記事
- セルマ・ラーゲルレーヴ - Nobelprize.org