「新宿通り」の版間の差分
分割提案に異論がないため東京都道430号新宿停車場前線(2013-08-04T05:20:17(UTC))より新宿通りに関係する記述を分割・転記 |
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{{Infobox_road |
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なお新宿通りとは四谷四丁目交差点から更に、[[国道20号]]の半蔵門交差点までの部分を指す |
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|種別・系統 = [[東京都内の通り]] |
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== 特徴 == |
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|アイコン = {{Ja Route Sign|20|width=100}}{{Ja_Pref_Route_Sign|pref=東京|number=430|width=100}} |
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「新宿通り」は「東京都道430号新宿停車場前線」を全て含んでいるので、ここでは「新宿通り」についての特徴を述べる。 |
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|名前 = 新宿通り |
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|名前の補足 = |
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|副名 = |
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|副名の補足 = |
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|地図画像 = |
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|総距離 = 約4.5km |
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|陸上距離 = |
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|海上距離 = |
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|制定年 = [[1962年]] |
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|開通年 = |
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|廃止年 = |
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|道路の方角 = 東西 |
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|起点 = [[東京都]][[千代田区]][[麹町]]1丁目<br />(半蔵門交差点) |
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|起点方角 = |
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|環状線通過都市 = |
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|主な経由国 = |
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|主な経由都市 = |
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|終点 = [[新宿区]][[歌舞伎町]]1丁目<br />(新宿大ガード東交差点) |
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|終点方角 = |
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|接続する主な道路 = 記事参照 |
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[[File:都道430号.jpg|thumb|250px|新宿3丁目交差点]] |
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'''新宿通り'''(しんじゅくどおり)とは、[[東京都]][[千代田区]][[麹町]]1丁目から[[新宿区]][[歌舞伎町]]1丁目に至る道路の通称である(東京都通称道路名設定公告整理番号 14<ref name="kokoku">『東京都公報』1962年4月25日号外</ref>)。 |
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== 概要 == |
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=== 新宿大ガード東交差点 - 新宿三丁目交差点 === |
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[[皇居]]西側の[[半蔵門]]から西に進み、日本有数の[[ターミナル駅]]である[[新宿駅]]に至る道路である。四谷見附交差点付近から新宿駅東口付近までの区間では[[東京地下鉄丸ノ内線|東京メトロ丸ノ内線]]が地下を走る。新宿2丁目交差点から西は日本有数の[[繁華街]][[新宿]]の[[目抜き通り]]であり、日曜・休日の午後に[[歩行者天国]]が実施されている<ref>[http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/kisei/hoko.htm 歩行者天国の交通規制](警視庁ウェブサイト、2013年8月28日閲覧)</ref>。 |
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昔の[[青梅街道]]にあたる。この区間は新宿繁華街の中心部を貫いているので、大変賑わっている。また、休日は[[歩行者天国]]となる。 |
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* 新宿大ガード |
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* [[西武新宿駅]]ビル |
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** 西武新宿駅([[西武新宿線]]) |
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** PePe西武新宿 |
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** 新宿[[プリンスホテル]] |
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* [[新宿駅]](JR線・[[小田急小田原線|小田急線]]・[[京王線]]・[[京王新線]]・[[東京地下鉄丸ノ内線|東京メトロ丸ノ内線]]・[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]]・[[都営地下鉄大江戸線|都営大江戸線]]) |
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* [[スタジオアルタ]] |
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* 新宿高野 |
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* [[ビックカメラ]]([[三越]]新宿店跡、かつてはマルイカレンと紀伊国屋書店に挟まれたペンシルビル内) |
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* [[ヨドバシカメラ]] |
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* [[丸井|マルイ]]カレン([[2008年]]までヤング) |
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* [[紀伊國屋書店]]本店 |
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<!--* [[さくらや]](2店舗)--> |
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* 新宿マルイ本館 |
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* [[新宿三丁目イーストビル|新宿マルイアネックス・WALD9]]([[2009年]]4月までOICITY) |
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* [[伊勢丹]]新宿本店本館 |
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* [[新宿三丁目駅]](東京メトロ丸ノ内線・都営新宿線) |
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=== 路線データ === |
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=== 新宿三丁目交差点 - 四谷四丁目交差点 === |
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* 起点 東京都千代田区麹町1丁目([[国道20号]]・[[東京都道401号麹町竹平線]]=[[内堀通り]]交点:半蔵門交差点) |
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昔の[[甲州街道]]にあたる。[[1991年]]([[平成]]3年)の[[新宿御苑トンネル]]開通までは、この区間が[[国道20号]]であった。 |
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* 終点 新宿区歌舞伎町1丁目([[東京都道4号東京所沢線]]([[東京都道5号新宿青梅線]]重用)・[[東京都道430号新宿停車場前線]]=[[青梅街道]]・[[靖国通り]]交点:新宿大ガード東交差点) |
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* 新宿三丁目駅(東京メトロ丸ノ内線・都営新宿線) |
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* 総延長 : 約4.5km<ref name="jiten">吉田之彦ほか編『東京の道事典』(東京堂出版、2009年)116-117頁</ref> |
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* [[新宿御苑前駅]](東京メトロ丸ノ内線) |
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* [[新宿御苑]]は、この新宿通りから少し南へ行ったところにある。 |
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※東京都道430号新宿停車場前線はここまでである。 |
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=== 正式路線名 === |
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=== 四谷四丁目交差点 - 半蔵門交差点 === |
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* [[国道20号]] : 半蔵門交差点 - 四谷4丁目交差点間<ref name="map">[http://tokyoto.roadic-tokyo.org/ 都道検索システム](2013年8月27日閲覧)。「検索用地図」ではなく「道路地図」を参照のこと。</ref> |
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[[甲州街道]] (R20) そのものである。 |
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* 新宿区特別区道41-900 : 四谷4丁目交差点 - 新宿2丁目交差点間 |
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* [[四谷三丁目駅]]([[東京地下鉄丸ノ内線|東京メトロ丸ノ内線]]) |
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* 新宿区特別区道41-800 : 新宿2丁目交差点 - 新宿3丁目交差点間 |
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* [[四ツ谷駅]](JR線・東京メトロ丸ノ内線・[[東京地下鉄南北線|東京メトロ南北線]]) |
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* 新宿区特別区道11-700 : 新宿3丁目交差点 - 新宿駅東口交差点間<ref>[http://www.sonicweb-asp.jp/shinjuku/ 新宿区道路台帳平面図](2013年8月27日閲覧)</ref> |
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* [[上智大学]] |
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* [[東京都道430号新宿停車場前線]] : 新宿駅東口交差点 - 新宿大ガード東交差点<ref name="map" /> |
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* [[麹町駅]]([[東京地下鉄有楽町線|東京メトロ有楽町線]]) |
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=== 都市計画道路名 === |
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* 東京都市計画道路放射第5号線 : 半蔵門交差点 - 四谷四丁目交差点<ref>「東京復興都市計画街路決定」昭和21年3月26日戦災復興院告示第3号</ref> |
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* 東京都市計画道路幹線街路補助線街路第66号線 : 四谷四丁目交差点 - 新宿大ガード東交差点<ref>昭和39年2月7日建設省告示第148号</ref> |
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== 歴史 == |
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[[File:四谷大木戸跡碑.jpg|thumb|200px|四谷大木戸跡碑]] |
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[[File:Yotsuya-mitsuke bridge.jpg|thumb|200px|四谷見附橋の橋灯。1913年竣工の旧橋のものが1991年の架け替え後にも再使用されている。]] |
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半蔵門交差点から新宿3丁目交差点([[新宿追分]])までは[[五街道]]の1つである[[甲州街道]]、新宿3丁目交差点から終点の新宿大ガード東交差点まではかつての[[青梅街道]]である。通りの名称に採用された「新宿」の地名は、甲州街道と青梅街道の分岐点([[追分]])に置かれた宿場「[[内藤新宿]]」に由来する。現在の四谷4丁目交差点には[[四谷大木戸]]が置かれ、甲州街道を通って江戸に入る人や荷物の監視を行った。江戸時代前期には既に江戸城に近い四谷大木戸まで家屋が立ち並んでおり、江戸時代後期には新宿追分を越えて青梅街道の[[淀橋]]付近まで町場が続くようになった<ref name="jiten" />。 |
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明治に入っても甲州街道と青梅街道は帝都と地方を結ぶ重要な道路と位置づけられ、甲州街道は国道、青梅街道は仮定県道の指定を受け、道路の修繕には地方税から支弁された<ref>東京府豊多摩郡編『東京府豊多摩郡誌』(1912年)12-13頁([http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874656 国立国会図書館デジタル化資料])</ref>。[[1885年]](明治18年)3月1日には[[日本鉄道]][[品川駅|品川]] - [[赤羽駅|赤羽]]間(現在の[[山手線]]・[[埼京線]])の開通に伴い[[豊多摩郡]][[淀橋町|淀橋村]]に[[新宿駅]]が開設され、[[1889年]](明治22年)には[[甲武鉄道]](現在の[[中央線]])も開業、以降新宿の町は徐々に発展を遂げていく。 |
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[[1888年]](明治21年)、現在の[[都市計画]]に当たる[[市区改正]]について定めた東京市区改正条例が公布され<ref>明治21年8月16日勅令第62号</ref>、翌[[1889年]](明治22年)に具体化な計画内容を策定するために制定された「市区改正設計」の中で「第六 半蔵門外ヨリ麹町(中略)及四ツ谷通リヲ経テ青梅街道新宿停車場ニ至ルノ路線」が第二等道路に指定される<ref>明治22年5月20日東京府告示第37号。深津雅直編『東京市区改正全書』(1889年、法弘社、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764115 国立国会図書館デジタル化資料])8頁</ref>。これは現在の新宿通りと同一の経路であり、これ以降現在の新宿通りは東京の都市計画において幹線道路として道路整備が進められていくことになる。[[1889年]](明治22年)[[5月1日]]、[[市制]]・[[町村制]]が施行され、現在の新宿通りは[[東京市]][[麹町区]]・[[四谷区]]、[[南豊島郡]][[内藤新宿町]]・[[淀橋町]]に属した<ref>東多摩郡は[[1896年]](明治29年)に[[東多摩郡]]と併合し[[豊多摩郡]]となる。</ref>。[[1903年]](明治36年)[[12月29日]]、東京市街鉄道株式会社が半蔵門 - 新宿(追分)間の道路上に[[路面電車]](後の[[東京都電車|都電]]12系統・13系統)を開業。軌道開設の[[特許]]の条件として、幅員の不足する箇所については同社によって道路の拡幅を行うべきことが定められた<ref>明治33年6月9日付[[西郷従道]][[内務大臣]]下付「東京市街鉄道特許状及命令書」(東京都編『都史資料集成 第3巻』(2001年)517頁)</ref>。[[1910年]](明治43年)には、江戸城[[外濠]]と[[甲武鉄道]]を跨ぐ重要橋梁でありながら江戸時代以来「コ」の字型で交通の障害となっていた四谷見附橋が架け替えられることになり、[[1913年]](大正2年)に竣工した<ref>四谷見附橋は拡幅のため1991年(平成3年)に架け替えられ、旧橋は[[八王子市]]に移設された(東京都編『東京都政五十年史 事業編I』(1994年)213頁)。</ref>。 |
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[[1920年]](大正9年)[[4月1日]]に旧[[道路法]]が施行され、かつての甲州街道は[[国道20号|国道8号]]の<ref>[[s:國道路線認定ノ件 (大正九年四月一日)|「国道路線認定ノ件」大正9年4月1日内務省告示第28号]]</ref>、青梅街道は[[東京都道5号新宿青梅線|東京府府県道第2号東京青梅線]]の認定を受けた<ref>「府県道認定ノ件」大正9年4月1日東京府告示第162号(『警視庁東京府公報』同日付号外)</ref>。また、この同じ日に[[豊多摩郡]][[内藤新宿町]]は[[東京市]]に編入され、[[四谷区]]の一部となった。[[1923年]](大正12年)[[9月1日]]に発生した[[関東大震災]]を契機として東京の市街地が西の郊外に拡大、またこれと前後して省線電車([[山手線]]、[[中央線]])に加え[[京王線]]([[1915年]](大正4年)新宿延伸<ref>[http://www.keio.co.jp/company/corporate/summary/history/history_01.html 京王電鉄50年史 前史](京王電鉄ウェブサイト、2013年9月3日閲覧)</ref>)、[[都電杉並線|西武軌道荻窪線]](後の都電14系統)、[[1921年]](大正10年)開業<ref>新宿区立新宿歴史博物館編『ステイション新宿』(1993年)108頁</ref>)、[[小田急小田原線|小田急線]]([[1927年]](昭和2年)開業<ref>[http://www.odakyu.jp/company/history80/01.html 小田急80年史 初期の小田急](小田急電鉄ウェブサイト、2013年9月3日閲覧)</ref>)が新宿駅<ref>京王線のターミナルは[[新宿追分駅]]。なお、[[西武新宿線]]が[[西武新宿駅]]まで延伸したのは戦後の[[1952年]](昭和27年)である([http://www.seibu-group.co.jp/railways/100th/history/index.html 西武鉄道の歴史](西武鉄道ウェブサイト、2013年9月3日閲覧))。</ref>を[[ターミナル駅]]としたことから、[[新宿]]は商業集積地として飛躍を遂げることになる。[[三越]]新宿店(1929年(昭和4年)<ref>[http://www.mitsukoshi.co.jp/corp/history.html 企業情報 歴史](三越ウェブサイト、2013年9月3日閲覧)</ref>)、[[伊勢丹]]新宿本店(1933年(昭和8年)<ref>[http://www.isetan.co.jp/icm2/jsp/isetan/company/history.jsp 企業データ 伊勢丹の歴史](伊勢丹ウェブサイト、2013年9月3日閲覧)</ref>)などの[[百貨店]]や映画館などが通り沿いに出店、「新宿大通り」は繁華街新宿の目抜き通りとして大いに賑わいを見せるようになる<ref>新宿区編『新宿区史 区政立50周年記念 第1巻』(1998年)413頁以下</ref>。また、[[1932年]](昭和7年)[[10月1日]]には、都市化の進展に伴い新宿駅の所在する豊多摩郡[[淀橋町]]が東京市に編入されて[[淀橋区]]の一部となり、現在の新宿通りは全線が東京市に属することになった。 |
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[[第二次世界大戦]]では通り沿いも大きな被害を受けたが、戦後も引き続き新宿駅をターミナルとする各線沿線の宅地開発が進んだことから、新宿の街は商業地として急速に復興を遂げ、1948年(昭和23年)には[[丸井]]が出店するなど、現在の新宿通りは目抜き通りとしての地位を確実なものとした<ref>新宿区編『新宿区史 区政立50周年記念 第2巻』(1998年)427頁・470-471頁</ref>。[[1948年]](昭和23年)には、都電の新宿3丁目から新宿駅に至る区間が、新たに建設された御苑大通りを北進し靖国通りを西に進む経路に変更され、軌道の撤去された新宿2丁目から新宿駅東口までの区間では中央分離帯としてグリーンベルトが設置された(丸ノ内線建設のため[[1957年]](昭和32年)撤去)<ref>新宿区編『新宿区史 区政立50周年記念 第2巻』(1998年)469頁</ref>。[[1952年]](昭和27年)には現行[[道路法]]が施行され、以前の国道8号は[[一級国道]]20号に改められ、新宿3丁目から現在の西新宿1丁目までの区間は幾度かの変遷を経て[[1965年]](昭和40年)に[[東京都道430号新宿停車場前線]]の認定を受ける<ref>路線認定の経過の詳細については[[東京都道430号新宿停車場前線#沿革]]を参照</ref>。 |
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[[1957年]](昭和32年)には四谷見附 - 新宿駅東口間の地下に[[東京地下鉄丸ノ内線|営団丸ノ内線]]の建設が始まり、[[1959年]](昭和34年)[[3月15日]]に開業、同時に新宿3丁目から新宿駅の間に地下道「メトロプロムナード」が開設された。[[1962年]](昭和37年)には、2年後の[[東京オリンピック]]開催を前に[[東京都]]が都内の主要道路に通称名をつけることとなり、[[千代田区]][[麹町]]1丁目から[[新宿区]][[歌舞伎町]]1丁目に至る区間の道路に「'''新宿通り'''」という通称名が付けられた<ref name="kokoku" />。東京オリンピックでは男子[[マラソン]]が[[国立競技場]]をスタートし四谷4丁目から新宿通り、甲州街道を走り[[調布市]]飛田給で折り返すコースで行われることとなったため、コースに含まれる新宿通りの四谷4丁目 - 新宿3丁目間が「オリンピック関連街路」として整備された<ref>『オリンピック準備局事業概要 1962』(東京都オリンピック準備局、1962年)</ref>。高度経済成長期を迎え自動車交通量の増大に伴い、東京都内の[[東京都電車|都電]]が交通を阻害しているとの声が高まり、速度低下により都電の利用者が減少していたことから、昭和40年代から都電の撤去が進められることとなり、[[1960年]][[1月27日]]、新宿通りを走る12系統・13系統が廃止され、軌道が撤去された<ref>東京都編『東京都政五十年史 事業史I』(1994年)403頁</ref>。 |
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[[1991年]][[12月21日]]に新宿通りの南側を並行する形で国道20号[[新宿御苑トンネル]]が開通<ref>「道路に関する件」平成3年12月21日建設省告示第2106号(『官報』第807号7頁)</ref>したことに伴い、[[1993年]][[4月1日]]に四谷4丁目 - 新宿3丁目間が[[東京都道430号新宿停車場前線]]に降格した<ref>「都道の路線認定」平成5年3月31日東京都告示第362号(『東京都公報』第10492号8頁)</ref>。[[2005年]][[4月1日]]には四谷4丁目 - 新宿東口駅前間が新宿区道に降格し<ref>「都道の区域変更」平成15年3月31日東京都告示第434号(『東京都公報』同日付増刊18・35頁)</ref>、新宿通りは終点の約100メートルを除いて東京都道430号新宿停車場前線から外れることになった。 |
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== 路線状況 == |
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新宿通りは[[武蔵野台地]]の一部を構成する淀橋台地の尾根筋を通っており<ref>{{PDFlink|[http://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000021207.pdf 新宿区みどりの基本計画(改定)]}}(新宿区みどり土木部みどり公園課2009年3月発行、2013年9月3日閲覧)</ref>、北側には傾斜の急な坂、南側にはゆるやかな坂が所在する<ref name="jiten" />。 |
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=== 半蔵門交差点 - 四谷見附交差点 === |
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[[File:Japan National Route 20 -06.jpg|thumb|200px|半蔵門交差点。正面が[[皇居]]半蔵門、左右に[[内堀通り]]が走る。]] |
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この区間は[[国道20号]]であり、かつての[[甲州街道]]を踏襲している。半蔵門交差点では[[皇居]]半蔵門を背にして[[内堀通り]]から分かれる。交差点南西には[[エフエム東京|TOKYO FM]]本社がある。半蔵門交差点 - 四ツ谷見附交差点間は[[千代田区]]が独自に[[麹町大通り]]という通称名を設定しており、沿線では両方の通称を併記する例も見られる<ref>[http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/yurai/kojimachi-1.html 千代田区 町名由来板ガイド:麹町一丁目(こうじまちいっちょうめ)](千代田区ウェブサイト、2013年8月27日閲覧)</ref>。この区間の直下に地下鉄は通っていないが、通りを交差する形で[[東京地下鉄半蔵門線|東京メトロ半蔵門線]][[半蔵門駅]]と[[東京地下鉄有楽町線|東京メトロ有楽町線]][[麹町駅]]がある。この区間は中層のオフィスビルが通りに面し、その裏手には議員宿舎等に代表される閑静な住宅地が広がっている。半蔵門交差点近くの南側には[[警視庁]][[麹町警察署]]、四谷見附交差点手前の南側には[[聖イグナチオ教会]]と[[上智大学]]がある。四谷見附橋でかつての[[江戸城]][[外濠 (東京都)|外濠]]に敷設されたJR中央線をオーバーパスし、[[外堀通り]]との交点である四谷見附交差点に至る。四谷見附橋の下にはJR[[四ツ谷駅]]があり、南側には外濠で地上に出る[[東京地下鉄丸ノ内線|東京メトロ丸ノ内線]]四ツ谷駅が見える。外堀通りの地下には[[東京地下鉄南北線|東京メトロ南北線]]の四ツ谷駅もある。 |
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=== 四谷見附交差点 - 新宿3丁目交差点 === |
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[[File:Yotsuya 4-chome intersection -01.jpg|thumb|200px|四谷4丁目交差点。正面右手が新宿駅に向かう新宿通り、左手が[[新宿御苑トンネル]]、左右に[[外苑西通り]]が走る。]] |
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この区間もかつての[[甲州街道]]に当たる。以前は全区間が国道20号に指定されていたが、四谷4丁目交差点 - 新宿3丁目交差点間は、[[1991年]]([[平成]]3年)に新宿通りの南側に並行して[[新宿御苑トンネル]]が開通したことから、[[東京都道430号新宿停車場前線]]に降格、その後さらに新宿区道となった。四谷見附より西では、新宿通りの地下を[[東京地下鉄丸ノ内線|東京メトロ丸ノ内線]]が走り、[[四谷三丁目駅]]、[[新宿御苑前駅]]、[[新宿三丁目駅]]が置かれてれている。[[外苑東通り]]と交差する四谷3丁目交差点にある四谷消防署には[[消防博物館]]が併設されており、四谷4丁目交差点手前には[[駐日韓国大使館 韓国文化院]]がある。四谷4丁目交差点は、現在は新宿通り、甲州街道(新宿御苑トンネル)、[[外苑東通り]]の交差する五叉路であるが、江戸時代には甲州街道を通って江戸に出入りする人や荷物を監視する[[四谷大木戸]]があった。交差点近くの四谷区民センター前に四谷大木戸門跡の碑が立っている<ref>[http://www.shinjuku.ed.jp/es-yotsuya/hurusato.html ふるさと四谷](新宿区立四谷小学校ウェブサイト、2013年8月27日閲覧)</ref>。[[新宿御苑]]は、四谷4丁目交差点から新宿二丁目交差点にかけて、新宿通りの少し南側に広がっている。新宿2丁目交差点では明治通りのバイパスである御苑大通りと呼ばれる道路と交差する<ref name="gyoen">吉田之彦ほか編『東京の道事典』(東京堂出版、2009年)。東京都や新宿区の道路通称には採用されていないが、[[四谷警察署]]の交番名や沿道の商店会の名称に使用されている。</ref>。この道路は新宿6丁目交差点 - 新宿御苑間が戦後[[東京都市計画道路幹線街路環状第5号線|東京都市計画道路幹線街路環状第5ノ1号線]]として整備された。新宿御苑より南側の区間は長らく未整備であったところ、新宿御苑の地下を2層式のトンネルで通過することに決まり、2010年度末着工し2016年度に開通予定である<ref>{{Cite news|url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/household/617990/|title=「新宿バイパス」70年ぶり完成にめど 明治通りの渋滞緩和へ|date=2012-12-27|accessdate=2013-08-30|newspaper=iza(産経新聞)}}</ref>。新宿3丁目交差点は[[甲州街道]]と[[青梅街道]]が分かれるかつての'''新宿追分'''であり、甲州街道が南に移った現在でも地上では新宿通りと[[明治通り]]が交差し、地下では新宿三丁目駅において東京メトロ丸ノ内線・[[東京地下鉄副都心線|東京メトロ副都心線]]・[[都営地下鉄新宿線]]の3線が接続する、交通の要衝である。 |
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=== 新宿3丁目交差点 - 新宿大ガード東交差点 === |
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[[File:Tokyo Route 430 -02.jpg|thumb|200px|新宿駅東口交差点から新宿3丁目方面を望む。]] |
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新宿3丁目交差点([[新宿追分]])でかつての[[甲州街道]]は南に分かれ、ここからは[[青梅街道]]となる。この区間は新宿繁華街の中心部を貫く[[目抜き通り]]であり、休日は[[歩行者天国]]となる。大型の商業施設としては、新宿3丁目交差点周辺には複数の[[丸井|新宿マルイ]]の店舗があり([[新宿三丁目イーストビル|マルイアネックス]]・マルイワン・新宿マルイ本館)、交差点の北西には新宿3丁目の顔とも言うべき[[伊勢丹]]新宿本店が聳える。交差点南西側には[[三越]]新宿店があったが、新宿三越アルコット店への転換を経て[[2012年]]に83年の歴史に幕を下ろし<ref>[http://www.fashionsnap.com/news/2012-03-31/mitsukoshi-alcott-close/ 新宿三越アルコットが閉店、83年の歴史に幕](Fashionsnap.com 2012年3月31日付、2013年8月30日閲覧)</ref>、[[ビックカメラ]]と[[ユニクロ]]の合同店舗である[[ビックロ]]がオープンした。新宿を代表する老舗として、通りの北側には[[紀伊國屋書店]]本店([[1927年]](昭和2年)創業)、南側には果物店・フルーツパーラーの[[新宿高野]]([[1885年]](明治18年)創業)とカレーで有名なレストラン[[中村屋|新宿中村屋]]([[1909年]](明治42年)新宿開店)がある<ref>新宿区立新宿歴史博物館編『ステイション新宿』(1993年)106-109頁</ref>。新宿駅東口交差点を過ぎたところに[[新宿アルタ]]があるが、この場所には[[1978年]](昭和53年)まで食品専門の百貨店「二幸」があった<ref>新宿区立新宿歴史博物館編『ステイション新宿』(1993年)113頁</ref>。左手に[[新宿駅]]東口の[[駅ビル]]である[[ルミネエスト新宿]]を見ながら新宿通りは北に向きを変え<ref>正面にはかつての青梅街道の筋を踏襲する歩行者専用の[[角筈ガード]]がある。</ref>、終点の新宿大ガード東交差点に至る。交差点正面には[[西武新宿駅]]ビルがあり、[[西武新宿線]]西武新宿駅、PePe西武新宿、新宿[[プリンスホテル]]が入っている。新宿大ガード東交差点を東に進むと[[靖国通り]]、西に進み新宿大ガードをくぐると現在の[[青梅街道]]である。 |
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== 通過する自治体 == |
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* [[東京都]] |
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** [[千代田区]] |
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** [[新宿区]] |
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== 交差する主な道路 == |
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* [[内堀通り]]([[国道20号]]・[[東京都道401号麹町竹平線]]) : 半蔵門交差点 |
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* 外堀通り([[東京都道405号外濠環状線]]) : 四谷見附交差点 |
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* [[外苑東通り]]([[東京都道319号環状三号線]]) : 四谷三丁目交差点 |
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* [[甲州街道]](国道20号) : 四谷四丁目交差点 |
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* [[外苑西通り]]([[東京都道418号北品川四谷線]]([[東京都道430号新宿停車場前線]]重用)) : 四谷四丁目交差点 |
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* 御苑大通り<ref name="gyoen" />([[東京都道305号芝新宿王子線]]) : 新宿二丁目交差点 |
|||
* [[明治通り (東京都)|明治通り]]([[東京都道・埼玉県道4号東京所沢線|東京都道4号東京所沢線]]([[東京都道5号新宿青梅線]]重用)・東京都道305号芝新宿王子線) : 新宿三丁目交差点 |
|||
* [[靖国通り]](東京都道4号東京所沢線(東京都道5号新宿青梅線・東京都道430号新宿停車場前線重用)) : 新宿大ガード東交差点 |
|||
* [[青梅街道]](東京都道4号東京所沢線(東京都道5号新宿青梅線重用) : 新宿大ガード東交差点 |
|||
== 近接する鉄道駅 == |
|||
* [[半蔵門駅]]([[東京地下鉄半蔵門線|東京メトロ半蔵門線]]) |
* [[半蔵門駅]]([[東京地下鉄半蔵門線|東京メトロ半蔵門線]]) |
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* [[麹町駅]]([[東京地下鉄有楽町線|東京メトロ有楽町線]]) |
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== 関連項目 == |
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* [[大通り]] |
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* [[新宿]] |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/ 国土交通省関東地方整備局東京国道事務所] |
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* [http://www.city.shinjuku.lg.jp/seikatsu/index17.html 新宿区みどり土木部] |
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* [http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/sanken/ 東京都第三建設事務所] |
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[[Category:東京都の道路]] |
2013年9月3日 (火) 12:48時点における版
東京都内の通り | |
---|---|
新宿通り | |
路線延長 | 約4.5km |
制定年 | 1962年 |
道路の方角 | 東西 |
起点 | 東京都千代田区麹町1丁目 (半蔵門交差点) |
終点 | 新宿区歌舞伎町1丁目 (新宿大ガード東交差点) |
接続する 主な道路 (記法) |
記事参照 |
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新宿通り(しんじゅくどおり)とは、東京都千代田区麹町1丁目から新宿区歌舞伎町1丁目に至る道路の通称である(東京都通称道路名設定公告整理番号 14[1])。
概要
皇居西側の半蔵門から西に進み、日本有数のターミナル駅である新宿駅に至る道路である。四谷見附交差点付近から新宿駅東口付近までの区間では東京メトロ丸ノ内線が地下を走る。新宿2丁目交差点から西は日本有数の繁華街新宿の目抜き通りであり、日曜・休日の午後に歩行者天国が実施されている[2]。
路線データ
- 起点 東京都千代田区麹町1丁目(国道20号・東京都道401号麹町竹平線=内堀通り交点:半蔵門交差点)
- 終点 新宿区歌舞伎町1丁目(東京都道4号東京所沢線(東京都道5号新宿青梅線重用)・東京都道430号新宿停車場前線=青梅街道・靖国通り交点:新宿大ガード東交差点)
- 総延長 : 約4.5km[3]
正式路線名
- 国道20号 : 半蔵門交差点 - 四谷4丁目交差点間[4]
- 新宿区特別区道41-900 : 四谷4丁目交差点 - 新宿2丁目交差点間
- 新宿区特別区道41-800 : 新宿2丁目交差点 - 新宿3丁目交差点間
- 新宿区特別区道11-700 : 新宿3丁目交差点 - 新宿駅東口交差点間[5]
- 東京都道430号新宿停車場前線 : 新宿駅東口交差点 - 新宿大ガード東交差点[4]
都市計画道路名
歴史
半蔵門交差点から新宿3丁目交差点(新宿追分)までは五街道の1つである甲州街道、新宿3丁目交差点から終点の新宿大ガード東交差点まではかつての青梅街道である。通りの名称に採用された「新宿」の地名は、甲州街道と青梅街道の分岐点(追分)に置かれた宿場「内藤新宿」に由来する。現在の四谷4丁目交差点には四谷大木戸が置かれ、甲州街道を通って江戸に入る人や荷物の監視を行った。江戸時代前期には既に江戸城に近い四谷大木戸まで家屋が立ち並んでおり、江戸時代後期には新宿追分を越えて青梅街道の淀橋付近まで町場が続くようになった[3]。
明治に入っても甲州街道と青梅街道は帝都と地方を結ぶ重要な道路と位置づけられ、甲州街道は国道、青梅街道は仮定県道の指定を受け、道路の修繕には地方税から支弁された[8]。1885年(明治18年)3月1日には日本鉄道品川 - 赤羽間(現在の山手線・埼京線)の開通に伴い豊多摩郡淀橋村に新宿駅が開設され、1889年(明治22年)には甲武鉄道(現在の中央線)も開業、以降新宿の町は徐々に発展を遂げていく。
1888年(明治21年)、現在の都市計画に当たる市区改正について定めた東京市区改正条例が公布され[9]、翌1889年(明治22年)に具体化な計画内容を策定するために制定された「市区改正設計」の中で「第六 半蔵門外ヨリ麹町(中略)及四ツ谷通リヲ経テ青梅街道新宿停車場ニ至ルノ路線」が第二等道路に指定される[10]。これは現在の新宿通りと同一の経路であり、これ以降現在の新宿通りは東京の都市計画において幹線道路として道路整備が進められていくことになる。1889年(明治22年)5月1日、市制・町村制が施行され、現在の新宿通りは東京市麹町区・四谷区、南豊島郡内藤新宿町・淀橋町に属した[11]。1903年(明治36年)12月29日、東京市街鉄道株式会社が半蔵門 - 新宿(追分)間の道路上に路面電車(後の都電12系統・13系統)を開業。軌道開設の特許の条件として、幅員の不足する箇所については同社によって道路の拡幅を行うべきことが定められた[12]。1910年(明治43年)には、江戸城外濠と甲武鉄道を跨ぐ重要橋梁でありながら江戸時代以来「コ」の字型で交通の障害となっていた四谷見附橋が架け替えられることになり、1913年(大正2年)に竣工した[13]。
1920年(大正9年)4月1日に旧道路法が施行され、かつての甲州街道は国道8号の[14]、青梅街道は東京府府県道第2号東京青梅線の認定を受けた[15]。また、この同じ日に豊多摩郡内藤新宿町は東京市に編入され、四谷区の一部となった。1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災を契機として東京の市街地が西の郊外に拡大、またこれと前後して省線電車(山手線、中央線)に加え京王線(1915年(大正4年)新宿延伸[16])、西武軌道荻窪線(後の都電14系統)、1921年(大正10年)開業[17])、小田急線(1927年(昭和2年)開業[18])が新宿駅[19]をターミナル駅としたことから、新宿は商業集積地として飛躍を遂げることになる。三越新宿店(1929年(昭和4年)[20])、伊勢丹新宿本店(1933年(昭和8年)[21])などの百貨店や映画館などが通り沿いに出店、「新宿大通り」は繁華街新宿の目抜き通りとして大いに賑わいを見せるようになる[22]。また、1932年(昭和7年)10月1日には、都市化の進展に伴い新宿駅の所在する豊多摩郡淀橋町が東京市に編入されて淀橋区の一部となり、現在の新宿通りは全線が東京市に属することになった。
第二次世界大戦では通り沿いも大きな被害を受けたが、戦後も引き続き新宿駅をターミナルとする各線沿線の宅地開発が進んだことから、新宿の街は商業地として急速に復興を遂げ、1948年(昭和23年)には丸井が出店するなど、現在の新宿通りは目抜き通りとしての地位を確実なものとした[23]。1948年(昭和23年)には、都電の新宿3丁目から新宿駅に至る区間が、新たに建設された御苑大通りを北進し靖国通りを西に進む経路に変更され、軌道の撤去された新宿2丁目から新宿駅東口までの区間では中央分離帯としてグリーンベルトが設置された(丸ノ内線建設のため1957年(昭和32年)撤去)[24]。1952年(昭和27年)には現行道路法が施行され、以前の国道8号は一級国道20号に改められ、新宿3丁目から現在の西新宿1丁目までの区間は幾度かの変遷を経て1965年(昭和40年)に東京都道430号新宿停車場前線の認定を受ける[25]。
1957年(昭和32年)には四谷見附 - 新宿駅東口間の地下に営団丸ノ内線の建設が始まり、1959年(昭和34年)3月15日に開業、同時に新宿3丁目から新宿駅の間に地下道「メトロプロムナード」が開設された。1962年(昭和37年)には、2年後の東京オリンピック開催を前に東京都が都内の主要道路に通称名をつけることとなり、千代田区麹町1丁目から新宿区歌舞伎町1丁目に至る区間の道路に「新宿通り」という通称名が付けられた[1]。東京オリンピックでは男子マラソンが国立競技場をスタートし四谷4丁目から新宿通り、甲州街道を走り調布市飛田給で折り返すコースで行われることとなったため、コースに含まれる新宿通りの四谷4丁目 - 新宿3丁目間が「オリンピック関連街路」として整備された[26]。高度経済成長期を迎え自動車交通量の増大に伴い、東京都内の都電が交通を阻害しているとの声が高まり、速度低下により都電の利用者が減少していたことから、昭和40年代から都電の撤去が進められることとなり、1960年1月27日、新宿通りを走る12系統・13系統が廃止され、軌道が撤去された[27]。
1991年12月21日に新宿通りの南側を並行する形で国道20号新宿御苑トンネルが開通[28]したことに伴い、1993年4月1日に四谷4丁目 - 新宿3丁目間が東京都道430号新宿停車場前線に降格した[29]。2005年4月1日には四谷4丁目 - 新宿東口駅前間が新宿区道に降格し[30]、新宿通りは終点の約100メートルを除いて東京都道430号新宿停車場前線から外れることになった。
路線状況
新宿通りは武蔵野台地の一部を構成する淀橋台地の尾根筋を通っており[31]、北側には傾斜の急な坂、南側にはゆるやかな坂が所在する[3]。
半蔵門交差点 - 四谷見附交差点
この区間は国道20号であり、かつての甲州街道を踏襲している。半蔵門交差点では皇居半蔵門を背にして内堀通りから分かれる。交差点南西にはTOKYO FM本社がある。半蔵門交差点 - 四ツ谷見附交差点間は千代田区が独自に麹町大通りという通称名を設定しており、沿線では両方の通称を併記する例も見られる[32]。この区間の直下に地下鉄は通っていないが、通りを交差する形で東京メトロ半蔵門線半蔵門駅と東京メトロ有楽町線麹町駅がある。この区間は中層のオフィスビルが通りに面し、その裏手には議員宿舎等に代表される閑静な住宅地が広がっている。半蔵門交差点近くの南側には警視庁麹町警察署、四谷見附交差点手前の南側には聖イグナチオ教会と上智大学がある。四谷見附橋でかつての江戸城外濠に敷設されたJR中央線をオーバーパスし、外堀通りとの交点である四谷見附交差点に至る。四谷見附橋の下にはJR四ツ谷駅があり、南側には外濠で地上に出る東京メトロ丸ノ内線四ツ谷駅が見える。外堀通りの地下には東京メトロ南北線の四ツ谷駅もある。
四谷見附交差点 - 新宿3丁目交差点
この区間もかつての甲州街道に当たる。以前は全区間が国道20号に指定されていたが、四谷4丁目交差点 - 新宿3丁目交差点間は、1991年(平成3年)に新宿通りの南側に並行して新宿御苑トンネルが開通したことから、東京都道430号新宿停車場前線に降格、その後さらに新宿区道となった。四谷見附より西では、新宿通りの地下を東京メトロ丸ノ内線が走り、四谷三丁目駅、新宿御苑前駅、新宿三丁目駅が置かれてれている。外苑東通りと交差する四谷3丁目交差点にある四谷消防署には消防博物館が併設されており、四谷4丁目交差点手前には駐日韓国大使館 韓国文化院がある。四谷4丁目交差点は、現在は新宿通り、甲州街道(新宿御苑トンネル)、外苑東通りの交差する五叉路であるが、江戸時代には甲州街道を通って江戸に出入りする人や荷物を監視する四谷大木戸があった。交差点近くの四谷区民センター前に四谷大木戸門跡の碑が立っている[33]。新宿御苑は、四谷4丁目交差点から新宿二丁目交差点にかけて、新宿通りの少し南側に広がっている。新宿2丁目交差点では明治通りのバイパスである御苑大通りと呼ばれる道路と交差する[34]。この道路は新宿6丁目交差点 - 新宿御苑間が戦後東京都市計画道路幹線街路環状第5ノ1号線として整備された。新宿御苑より南側の区間は長らく未整備であったところ、新宿御苑の地下を2層式のトンネルで通過することに決まり、2010年度末着工し2016年度に開通予定である[35]。新宿3丁目交差点は甲州街道と青梅街道が分かれるかつての新宿追分であり、甲州街道が南に移った現在でも地上では新宿通りと明治通りが交差し、地下では新宿三丁目駅において東京メトロ丸ノ内線・東京メトロ副都心線・都営地下鉄新宿線の3線が接続する、交通の要衝である。
新宿3丁目交差点 - 新宿大ガード東交差点
新宿3丁目交差点(新宿追分)でかつての甲州街道は南に分かれ、ここからは青梅街道となる。この区間は新宿繁華街の中心部を貫く目抜き通りであり、休日は歩行者天国となる。大型の商業施設としては、新宿3丁目交差点周辺には複数の新宿マルイの店舗があり(マルイアネックス・マルイワン・新宿マルイ本館)、交差点の北西には新宿3丁目の顔とも言うべき伊勢丹新宿本店が聳える。交差点南西側には三越新宿店があったが、新宿三越アルコット店への転換を経て2012年に83年の歴史に幕を下ろし[36]、ビックカメラとユニクロの合同店舗であるビックロがオープンした。新宿を代表する老舗として、通りの北側には紀伊國屋書店本店(1927年(昭和2年)創業)、南側には果物店・フルーツパーラーの新宿高野(1885年(明治18年)創業)とカレーで有名なレストラン新宿中村屋(1909年(明治42年)新宿開店)がある[37]。新宿駅東口交差点を過ぎたところに新宿アルタがあるが、この場所には1978年(昭和53年)まで食品専門の百貨店「二幸」があった[38]。左手に新宿駅東口の駅ビルであるルミネエスト新宿を見ながら新宿通りは北に向きを変え[39]、終点の新宿大ガード東交差点に至る。交差点正面には西武新宿駅ビルがあり、西武新宿線西武新宿駅、PePe西武新宿、新宿プリンスホテルが入っている。新宿大ガード東交差点を東に進むと靖国通り、西に進み新宿大ガードをくぐると現在の青梅街道である。
通過する自治体
交差する主な道路
- 内堀通り(国道20号・東京都道401号麹町竹平線) : 半蔵門交差点
- 外堀通り(東京都道405号外濠環状線) : 四谷見附交差点
- 外苑東通り(東京都道319号環状三号線) : 四谷三丁目交差点
- 甲州街道(国道20号) : 四谷四丁目交差点
- 外苑西通り(東京都道418号北品川四谷線(東京都道430号新宿停車場前線重用)) : 四谷四丁目交差点
- 御苑大通り[34](東京都道305号芝新宿王子線) : 新宿二丁目交差点
- 明治通り(東京都道4号東京所沢線(東京都道5号新宿青梅線重用)・東京都道305号芝新宿王子線) : 新宿三丁目交差点
- 靖国通り(東京都道4号東京所沢線(東京都道5号新宿青梅線・東京都道430号新宿停車場前線重用)) : 新宿大ガード東交差点
- 青梅街道(東京都道4号東京所沢線(東京都道5号新宿青梅線重用) : 新宿大ガード東交差点
近接する鉄道駅
- 半蔵門駅(東京メトロ半蔵門線)
- 麹町駅(東京メトロ有楽町線)
- 四ツ谷駅(JR線・東京メトロ丸ノ内線・東京メトロ南北線)
- 四谷三丁目駅(東京メトロ丸ノ内線)
- 新宿御苑前駅(東京メトロ丸ノ内線)
- 新宿三丁目駅(東京メトロ丸ノ内線・東京メトロ副都心線・都営新宿線)
- 新宿駅(JR線・小田急線・京王線・京王新線・東京メトロ丸ノ内線・都営新宿線・都営大江戸線)
脚注
- ^ a b 『東京都公報』1962年4月25日号外
- ^ 歩行者天国の交通規制(警視庁ウェブサイト、2013年8月28日閲覧)
- ^ a b c 吉田之彦ほか編『東京の道事典』(東京堂出版、2009年)116-117頁
- ^ a b 都道検索システム(2013年8月27日閲覧)。「検索用地図」ではなく「道路地図」を参照のこと。
- ^ 新宿区道路台帳平面図(2013年8月27日閲覧)
- ^ 「東京復興都市計画街路決定」昭和21年3月26日戦災復興院告示第3号
- ^ 昭和39年2月7日建設省告示第148号
- ^ 東京府豊多摩郡編『東京府豊多摩郡誌』(1912年)12-13頁(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 明治21年8月16日勅令第62号
- ^ 明治22年5月20日東京府告示第37号。深津雅直編『東京市区改正全書』(1889年、法弘社、国立国会図書館デジタル化資料)8頁
- ^ 東多摩郡は1896年(明治29年)に東多摩郡と併合し豊多摩郡となる。
- ^ 明治33年6月9日付西郷従道内務大臣下付「東京市街鉄道特許状及命令書」(東京都編『都史資料集成 第3巻』(2001年)517頁)
- ^ 四谷見附橋は拡幅のため1991年(平成3年)に架け替えられ、旧橋は八王子市に移設された(東京都編『東京都政五十年史 事業編I』(1994年)213頁)。
- ^ 「国道路線認定ノ件」大正9年4月1日内務省告示第28号
- ^ 「府県道認定ノ件」大正9年4月1日東京府告示第162号(『警視庁東京府公報』同日付号外)
- ^ 京王電鉄50年史 前史(京王電鉄ウェブサイト、2013年9月3日閲覧)
- ^ 新宿区立新宿歴史博物館編『ステイション新宿』(1993年)108頁
- ^ 小田急80年史 初期の小田急(小田急電鉄ウェブサイト、2013年9月3日閲覧)
- ^ 京王線のターミナルは新宿追分駅。なお、西武新宿線が西武新宿駅まで延伸したのは戦後の1952年(昭和27年)である(西武鉄道の歴史(西武鉄道ウェブサイト、2013年9月3日閲覧))。
- ^ 企業情報 歴史(三越ウェブサイト、2013年9月3日閲覧)
- ^ 企業データ 伊勢丹の歴史(伊勢丹ウェブサイト、2013年9月3日閲覧)
- ^ 新宿区編『新宿区史 区政立50周年記念 第1巻』(1998年)413頁以下
- ^ 新宿区編『新宿区史 区政立50周年記念 第2巻』(1998年)427頁・470-471頁
- ^ 新宿区編『新宿区史 区政立50周年記念 第2巻』(1998年)469頁
- ^ 路線認定の経過の詳細については東京都道430号新宿停車場前線#沿革を参照
- ^ 『オリンピック準備局事業概要 1962』(東京都オリンピック準備局、1962年)
- ^ 東京都編『東京都政五十年史 事業史I』(1994年)403頁
- ^ 「道路に関する件」平成3年12月21日建設省告示第2106号(『官報』第807号7頁)
- ^ 「都道の路線認定」平成5年3月31日東京都告示第362号(『東京都公報』第10492号8頁)
- ^ 「都道の区域変更」平成15年3月31日東京都告示第434号(『東京都公報』同日付増刊18・35頁)
- ^ 新宿区みどりの基本計画(改定) (PDF) (新宿区みどり土木部みどり公園課2009年3月発行、2013年9月3日閲覧)
- ^ 千代田区 町名由来板ガイド:麹町一丁目(こうじまちいっちょうめ)(千代田区ウェブサイト、2013年8月27日閲覧)
- ^ ふるさと四谷(新宿区立四谷小学校ウェブサイト、2013年8月27日閲覧)
- ^ a b 吉田之彦ほか編『東京の道事典』(東京堂出版、2009年)。東京都や新宿区の道路通称には採用されていないが、四谷警察署の交番名や沿道の商店会の名称に使用されている。
- ^ “「新宿バイパス」70年ぶり完成にめど 明治通りの渋滞緩和へ”. iza(産経新聞). (2012年12月27日) 2013年8月30日閲覧。
- ^ 新宿三越アルコットが閉店、83年の歴史に幕(Fashionsnap.com 2012年3月31日付、2013年8月30日閲覧)
- ^ 新宿区立新宿歴史博物館編『ステイション新宿』(1993年)106-109頁
- ^ 新宿区立新宿歴史博物館編『ステイション新宿』(1993年)113頁
- ^ 正面にはかつての青梅街道の筋を踏襲する歩行者専用の角筈ガードがある。