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|画像=
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|本名=
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|愛称=たくま<ref name="hidaka2013">{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/teamdata/player2013/02hidaka.html |title=DF 2 日高 拓磨 |accessdate=2014年3月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140820193127/http://www.consadole-sapporo.jp/teamdata/player2013/02hidaka.html |archivedate=2014年8月20日 }}[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]</ref>、たくみぃや<ref name="hidaka2012" />
|愛称=
|カタカナ表記=ヒダカ タクマ
|カタカナ表記=ヒダカ タクマ
|アルファベット表記=HIDAKA Takuma
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|身長=177cm
|身長=177cm
|体重=70kg
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|所属チーム=
|血液型=O型
|所属チーム名=[[コンサドーレ札幌]]
|ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]
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|背番号=2
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|利き足=右足
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|ユース年1=1999-2001|ユースクラブ1={{Flagicon|JPN}} [[清水エスパルス]]
|クラブ=[[サガン鳥栖]]<br />[[コンサドーレ札幌]]
|ユース年2=2002-2005|ユースクラブ2={{Flagicon|JPN}} [[明治大学]]
|年=2006-2010<br />2011-
|クラブ1={{Flagicon|JPN}} [[サガン鳥栖]]|年1=2006-2010|出場1=130|得点1=6
|出場(得点)=130 (6)<br />50 (0)
|クラブ2={{Flagicon|JPN}} [[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]|年2=2011-2014|出場2=94|得点2=5
|クラブ成績更新日=2012年1月16日
|クラブ3={{Flagicon|JPN}} [[カターレ富山]]|年3=2015|出場3=23|得点3=2
|代表国=
|通算出場=247|通算得点=13
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'''日高 拓磨'''(ひだか たくま、[[1983年]][[4月8日]] - )は、[[サッカー選手|プロサッカー選手]]。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。
'''日高 拓磨'''(ひだか たくま、[[1983年]][[4月8日]] - )は、[[サッカー選手|プロサッカー選手]]、サッカー指導者現役時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
サッカークラブの[[監督]]を務めていた父親の影響で5歳よりサッカーを始める<ref name="hidaka2012">{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/teamdata/player2012/02hidaka.html |title=DF 2 日高 拓磨 |accessdate=2012年12月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130320170523/http://www.consadole-sapporo.jp/teamdata/player2012/02hidaka.html |archivedate=2013年3月20日 }}[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]</ref><ref name="hidaka1">{{Cite web|和書|url=http://www.zaikaisapporo.co.jp/sports_consa/%E6%97%A5%E9%AB%98%E3%80%80%E6%8B%93%E7%A3%A8 |title=日高 拓磨 |publisher=[[財界さっぽろ]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。幼少時代より父親から厳しいサッカーの英才教育を受け実力を伸ばし、旭丘小時代には中国地区[[ナショナルトレセン|トレセン]]に選出されるなど早くから頭角を現した<ref name="hidaka2">{{Cite web|和書|date=2005-12-28 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00027955 |title=明治大学 日高 拓磨 選手サガン鳥栖へ加入内定のお知らせ |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。学生時代は[[フォワード (サッカー)|フォワード]]をはじめ<ref name="hidaka3">{{Cite web|和書|date=2008-05-06 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/jsgoal/detail.php?press_code=00064699 |title=【J2:第12節 岐阜 vs 鳥栖】岸野靖之監督(鳥栖)記者会見コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref> 攻撃的な中盤のポジションを務め<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.saga-s.co.jp/koremade/mintosu/kiji.0.1774048.article.html |title=選手へのインタビュー |publisher=[[佐賀新聞]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、中学時代は地元の旭丘JrユースFCでプレー。高校からは単身親元を離れ[[清水エスパルス|清水エスパルスユース]]に所属し寮生活を送る<ref name="hidaka1" />。当時の清水ユースは強豪チームとして{{Refnest|group="注"|日高の清水ユース入団時、同期には[[深沢良輔]]、[[浅山郷史]]、2年上には[[太田圭輔]]、[[池田昇平]]、[[鈴木浩介 (サッカー選手)|鈴木浩介]]、[[吉崎雄亮]]、1年上には[[村松潤]]、[[高木純平]]、[[鶴田達也]]、[[鈴木隼人 (サッカー選手)|鈴木隼人]]、[[塩澤達也]]がおり、日高を除いたこの全員が高校卒業時にトップチーム昇格を果たしている。また、このうち高木純平とは後に札幌でチームメイトとなった。}}主要大会でも好成績を残しており、[[日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会]]ベスト4、[[高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会]]ベスト4、[[Jリーグユース選手権大会|Jユースカップ]]準優勝などを経験。日高自身も3年生になると、[[高円宮杯第12回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会]]ベスト8、[[第25回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会]]5位、[[第9回Jリーグユース選手権大会|Jユースカップ2001]]ベスト16などの好成績を収め、中心選手としてチームを牽引し得点源としても活躍するがトップチーム昇格は適わず、高校卒業後は[[関東大学サッカーリーグ戦|関東大学2部]](当時)の[[明治大学]]に進学した。大学時代の同期には[[伊藤淳嗣]]、[[高杉亮太]]がいる{{Refnest|group="注"|この他、2年上には[[大和田真史]]、[[戸川健太]]、1年上には[[松ヶ枝泰介]]、1年下には[[小川佳純]]、[[福田健介]]、[[森賢一]]、2年下には[[石井秀典]]、[[関憲太郎]]、[[斎藤雅也]]、3年下には[[藤田優人]]、[[長友佑都]]、[[林陵平]]、[[橋本晃司]]、[[杉本裕之]]らがいる。}}。3年生次には同校の1部復帰に貢献。また、[[関東大学サッカートーナメント大会|関東大学サッカー選手権大会]]で優勝し、その後の[[総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント]]ではベスト4の成績を収めた。4年生次には目立った成績こそ残せなかったものの、日高のプレーに注目した当時[[J2リーグ|J2]]の[[サガン鳥栖]]よりオファーを受け入団が内定。[[2005年]][[12月28日]]に日高の獲得がクラブから正式に発表された<ref name="hidaka2" />。
サッカークラブの[[監督]]を務めていた父親の影響で5歳よりサッカーを始める。旭丘JrユースFCを経て高校時代は親元を離れ[[清水エスパルス|清水エスパルスユース]]に入団し寮生活を送る。トップチーム昇格は適わず[[明治大学]]に進学し、[[2004年]]は[[総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント関東代表決定戦|関東大学サッカー選手権大会]]で優勝、その後の[[総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント]]ではベスト4の成績を収めた。


=== サガン鳥栖 ===
=== サガン鳥栖 ===
[[2006年]]、クラブからはスピードに乗ったドリブルとクレバーな守備を持ち味として期待され<ref name="hidaka2" />、背番号は29に決まりフォワード登録となった。当時の鳥栖の前線には前年のJ2日本人得点王でエースストライカーの[[新居辰基]]をはじめ、新居に次ぐ多くのゴールを挙げていた[[鈴木孝明]]がおり、これらの実力者とツートップのポジションを争うこととなる。この年のリーグ戦が開幕すると、早くから[[Jサテライトリーグ|サテライト]]で好プレーを見せていた事で<ref>{{Cite web|和書|date=2006-03-17 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/jsgoal/detail.php?press_code=00030599 |title=【J2:第3節 鳥栖 vs 神戸 プレビュー】ボールを支配するも思うような結果を出せない鳥栖と神戸。中盤でのボールの支配率が、結果を左右する。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、監督の[[松本育夫]]は[[3月18日]]のJ2第3節[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦で日高をフォワードとして[[スターティングメンバー|スタメン]]に抜擢する<ref>{{Cite web|和書|date=2006-03-18 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/jsgoal/detail.php?press_code=00030753 |title=【J2:第3節 鳥栖 vs 神戸 レポート】組織力と連携の差が、そのままの結果となった鳥栖対神戸の一戦。今季、初ゴールが生まれるも良いところなく敗れ去った鳥栖。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。続く[[3月21日]]のJ2第4節[[柏レイソル|柏]]戦でも交替出場で起用されるが、いずれの試合でもゴールを挙げることが出来ずチームも敗戦を喫すると、以降の試合で日高が起用される事はなくベンチ入りすら1試合も出来ない事態となった。同期入団で同じく大卒新人の[[藤田祥史]]、[[廣瀬浩二]]、[[衛藤裕]]らが積極的に起用され主力として活躍したのとは対照的に、日高の公式戦出場はこの2試合に留まり、チームがJ1昇格争いを演じ最終的に4位とクラブ史上最高順位を収める中で日高個人としては非常に厳しいシーズンとなった。
[[2006年]]、[[サガン鳥栖]]に入団。[[3月18日]]J2第3節[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦に初スタメン初出場を果たしたが、シーズンを通しての出場試合数は2試合に終わりゴールも挙げられず結果を出せなかった。


[[2007年]]は松本に替わり[[岸野靖之]]が新監督に就任。2年連続でJ2日本人得点王となったエースストライカーの新居辰基が退団したものの、前年のJ2で17得点を挙げた[[アンデルソン・アンドラージ・アントゥネス|アンデルソン]]、地域リーグで得点を量産した実績を持つ[[レオナルド・アウグスト・ヴィエイラ・モレイラ|レオナルド]]らが加入しフォワードのポジション争いは激化。更には開幕直前の練習試合中に右足第一末節骨骨折で全治1か月の大けがを負ってしまい<ref>{{Cite web|和書|date=2007-02-24 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00044610 |title=日高拓磨選手の負傷について |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref> 大きく出遅れることとなったが、戦列に復帰後は監督の岸野によって[[ディフェンダー (サッカー)#サイドバック|サイドバック]]にコンバートされると才能が開花。シーズン初出場となった[[4月29日]]のJ2第12節[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦で初めて右サイドバックとしてスタメン起用されると<ref name="hidaka2007a">{{Cite web|和書|date=2007-04-29 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00047851 |title=【J2:第12節 鳥栖 vs 東京V レポート】90分間、集中力を切らさずに死闘を演じた鳥栖と東京V。勝負へのこだわりが上回った鳥栖が勝ち点3をつかむ。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、当時J2で屈指の攻撃力を誇っていた[[ディエゴ・デ・ソウザ・ガマ・シルバ|ディエゴ]]や[[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ|フッキ]]を抑え込む<ref>{{Cite web|和書|date=2007-05-02 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00047914 |title=【J2:第13節 山形 vs 鳥栖 プレビュー】前節の快勝にも気を引き締めて臨む山形、前節の手応えを連勝につなげたい鳥栖。メンタルの強さが大きなウエイトを占める一戦! |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2007-08-16 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00052955 |title=【J2:第34節 鳥栖 vs 東京V プレビュー】 「ゼロに抑えれば負けることは無い」と守備の意識を高く持つ鳥栖が、10試合連続得点中の東京Vをホームで迎え撃つ。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref> だけに留まらず、藤田祥史の先制点の起点にもなるなど<ref name="hidaka2007a" /> 攻守に渡る活躍で勝利に貢献する。この活躍により以降は左右サイドバックに定着し主力としてリーグ戦を戦い抜いた。シーズン後半の[[8月16日]]J2第34節東京V戦では左サイドバックとして先発出場し、前半9分に自陣から相手ゴール前までの約70メートルを駆け上がると[[高地系治]]のパスから得点を決め勝利に貢献<ref>{{Cite web|和書|date=2007-08-17 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00053075 |title=【J2:第34節 鳥栖 vs 東京V レポート】「狙いどおり」と振り返った岸野監督はしてやったり。「打つ手は打ったけど・・・」とラモス監督は言葉少なめに。鳥栖の術中にはまった東京V。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。この得点が日高の公式戦初ゴールとなった。以降も最終節まで1試合も欠場する事なく不動のサイドバックとして起用され続け、最終的にチームは前年を下回る8位となったものの、日高個人としてはリーグ戦の38試合に出場。このうち37試合でスタメン起用され出場時間はチーム4位の3,370分に到達するなど飛躍のシーズンとなった。また、同年開催の[[第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]にも鳥栖が登場した3回戦以降の全試合に先発で起用されチームの5回戦進出に貢献した。
[[2007年]]は開幕前の練習試合で右足を骨折し出遅れたもののシーズンを通して多くの試合で活躍した。この年より[[ディフェンダー (サッカー)#サイドバック|サイドバック]]にコンバートされ、サイドバックで初出場した[[4月29日]]J2第12節[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦では、[[ディエゴ・デ・ソウザ・ガマ・シルバ|ディエゴ]]や[[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ|フッキ]]を抑え込み勝利に貢献した。その後の[[8月16日]]J2第34節東京V戦でプロ初ゴールを挙げた。


[[2008年]]からは登録ポジションを[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]に変更<ref name="hidaka2008a">{{Cite web|和書|date=2008-01-23 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00059934 |title=2008サガン鳥栖 トップチーム新体制のお知らせ |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。背番号も退団した[[田中淳也]]が背負っていた13に変更した<ref name="hidaka2008a" />。リーグ戦では、前年の活躍もあって監督の岸野からは主力サイドバックとして期待され、[[3月8日]]のJ2第1節[[モンテディオ山形|山形]]戦でプロ3年目にして初めて開幕戦スタメンフル出場を果たすと、この年にJ1昇格を果たす相手を無失点に抑え勝利に貢献。以降も主に右サイドバックを主戦場に攻守を支え、チームの成績も一時は首位に躍り出るなど<ref name="hidaka2008b">{{Cite web|和書|date=2008-04-05 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00063161 |title=【J2:第6節 愛媛 vs 鳥栖】レポート:セットプレーに泣いた愛媛は反撃も及ばず3連敗。その一方で今季初の2得点を挙げた鳥栖が5戦負け無しで暫定首位に立つ! |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref> 好調な戦いぶりを見せた。このシーズンはゴールこそ挙げられなかったものの、起用に応える活躍で攻撃の起点として得点を演出する場面も多く見られた<ref name="hidaka2008b" /><ref>{{Cite web|和書|date=2008-05-07 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00064722 |title=【J2:第12節 岐阜 vs 鳥栖】レポート:組織的守備が確立されつつある岐阜、2試合連続で無失点勝利の鳥栖。両チームとも得るものはあったものの、本来の自分たちらしさが発揮しきれず、初顔合わせは「凡戦」に終わった。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref name="hidaka2008c">{{Cite web|和書|date=2008-07-10 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00067839 |title=【J2:第25節 鳥栖 vs 仙台】レポート:采配意図が通じた仙台が、逆境を跳ね除けて鳥栖を撃破。チーム戦術が徹底されず、無念の敗戦を喫した鳥栖。勝点差以上に差が付いた鳥栖対仙台。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。夏場に入ると調子を落としてしまい<ref>{{Cite web|和書|date=2008-06-21 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00066889 |title=【J2:第21節 熊本 vs 鳥栖】試合終了後の各選手コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、[[7月9日]]のJ2第25節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦では公式戦初退場を経験し<ref name="hidaka2008c" /><ref>{{Cite web|和書|date=2008-07-10 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00067868 |title=2008Jリーグ J2リーグ戦 第25節 退場に伴う日高 拓磨選手(鳥栖)の出場停止処分について |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、その後は先発を外れ途中起用される試合も続いたが、[[8月17日]]のJ2第31節[[愛媛FC|愛媛]]戦でスタメンに復帰すると最終節までコンスタントに先発で起用され続け、この年の出場時間もチーム4位の2,935分に到達した。一方で、チームの成績は序盤からJ1昇格争いを演じるも、リーグ戦の後半から勝ちきれない試合が目立つようになり最終的に6位でシーズンを終える。同年開催の[[第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では4回戦以降の全試合でスタメン起用され、クラブ史上初となる同大会ベスト8入りに貢献した。
[[2008年]]は開幕前に父親が死去。このシーズンも主力として多くの試合で活躍し貢献したものの、続く[[2009年]]はこの年より移籍加入した[[柳沢将之]]、[[磯崎敬太]]とのポジション争いから徐々に出場機会が限られるようになる。その中でも自身は奮闘しシーズンを通してキャリアハイとなる3ゴールを挙げた。


[[2009年]]はベテランの[[山田卓也]]をはじめ、[[柳沢将之]]、[[磯崎敬太]]らが加入しサイドバックのポジション争いが激化する。リーグ戦では開幕スタメンこそ果たせなかったものの、チームが開幕戦から3連敗を喫すると、[[3月25日]]の第4節[[ファジアーノ岡山|岡山]]戦でスタメンに抜擢され、相手攻撃陣を無失点に抑える活躍で監督の岸野の起用に応える働きを見せた<ref>{{Cite web|和書|date=2009-03-25 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00079784 |title=【J2:第4節 鳥栖 vs 岡山】岸野靖之監督(鳥栖)記者会見コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。これが評価されたことで、続く[[3月29日]]のJ2第5節[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦にもスタメンで起用されると、[[島田裕介]]が蹴った[[フリーキック (サッカー)|フリーキック]]から決勝点となるヘディングシュートを決めてチームをシーズン初勝利へと導き<ref>{{Cite web|和書|date=2009-03-29 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00080015 |title=【J2:第5節 甲府 vs 鳥栖】岸野靖之監督(鳥栖)記者会見コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-03-30 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00080063 |title=【J2:第5節 甲府 vs 鳥栖】レポート:甲府の4連勝を阻んで、ようやく初勝利を手にした鳥栖。勝っても負けても次が心配な両チーム。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-04-03 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00080186 |title=【J2:第6節 鳥栖 vs 湘南】プレビュー:前節の初勝利で勢いをつけたい鳥栖が、全勝の湘南を迎え撃つ。1点の重みを知る両チームの戦いに、誰もが熱狂すること間違いなし! |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、更に続く[[4月4日]]のJ2第6節[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦では、[[ミッドフィールダー#サイド・ミッドフィールダー|サイドハーフ]]として起用され、前半28分に磯崎敬太のパスを頭で合わせ先制点を挙げると<ref name="hidaka2009a">{{Cite web|和書|date=2009-04-05 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00080310 |title=【J2:第6節 鳥栖 vs 湘南】レポート:湘南の連勝を気持ちで止めた鳥栖。今季のホーム初勝利を、激しい点の取り合いで勝ち取る。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、後半34分には高地系治のパスから決勝点となるゴールを決め<ref name="hidaka2009a" />、チームを2連勝へ導く原動力となった。この活躍により以降は主力として起用され、サイドバックのみならず攻撃的な中盤のポジションでも出場を続けるが<ref>{{Cite web|和書|date=2009-04-25 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00081454 |title=【J2:第10節 岐阜 vs 鳥栖】レポート:勝敗を分けた明確な差。ピッチコンディションが悪いからこそ、個とチームの力が試された一戦 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、[[5月]]からは徐々に出場機会を失った。[[7月]]に入ると左サイドバックとしてスタメンで起用され続け<ref>{{Cite web|和書|date=2009-07-20 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00086224 |title=【J2:第28節 鳥栖 vs 仙台】レポート:攻めの姿勢を最後まで見せた鳥栖と仙台。結果の分かれ目は、ゴールに向かう執念だった。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-07-26 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00086625 |title=【J2:第30節 鳥栖 vs 水戸】レポート:シュートの応酬で、攻防の駆け引きを堪能できた一戦。最後まであきらめずに戦った選手たちに敬意を表する。 90分の攻防に昇格をかける意気込みを見た試合。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-08-04 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00087143 |title=【J2:第32節 鳥栖 vs 甲府】プレビュー:夏休み天王山第3弾!昇格レース参戦を掛けた上位との対決。勝点差を縮めるために鳥栖は必勝!甲府も首位になるために眼下の相手に必勝! |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-08-06 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00087290 |title=【J2:第32節 鳥栖 vs 甲府】レポート:FWの高さをめぐる攻防に、昇格を狙う両チームの執念を見た試合。強さともろさをともに露呈したが、上位争いの手ごたえも感じたに違いない。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、[[9月2日]]のJ2第37節[[横浜FC]]戦でスタメンに起用されJ2通算100試合出場を達成した<ref>{{Cite web|和書|date=2009-09-02 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00088719 |title=【J2:第37節 鳥栖 vs 横浜FC】試合終了後の各選手コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。リーグ戦の終盤に入るとコンディションを落としてしまったことで<ref>{{Cite web|和書|date=2009-09-19 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00089623 |title=【J2:第40節 鳥栖 vs 富山】岸野靖之監督(鳥栖)記者会見コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref> 再び出場機会が限られるが、起用された試合では左サイドバックながら積極的な攻撃参加を見せ<ref>{{Cite web|和書|date=2009-10-22 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00091409 |title=【J2:第46節 湘南 vs 鳥栖】レポート:「89分のドラマ」ふたたび。平塚の熱戦は田原豊のロスタイム弾で決着す |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-10-25 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00091416 |title=【J2:第47節 鳥栖 vs 甲府】プレビュー:後がない鳥栖と離されたくない甲府のガチ対決。前節に敗戦で、今節がさらに熱い対戦となった。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-10-26 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00091652 |title=【J2:第47節 鳥栖 vs 甲府】レポート:勝利にかけた執念を見せた鳥栖と甲府。鳥栖の猛攻をカウンター気味のシュート2本で退けた甲府が3位浮上。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、J1昇格を争うチームを献身的に支えた。最終的にチームは5位でシーズンを終え、日高自身も自己最多となる3ゴールを挙げるも、出場時間は2,276分と前年を大幅に下回った。同年開催の[[第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では鳥栖が登場した2回戦以降の全試合に先発で起用され4回戦進出に貢献した。
[[2010年]]、[[松本育夫]]が監督に復帰すると更に出場機会が減少した事に伴いクラブに移籍を打診。[[12月29日]]にオファーのあった[[コンサドーレ札幌]]への移籍が発表された。

[[2010年]]はサイドの主力を務めていた高地系治、柳沢将之らが退団する一方で[[丹羽竜平]]、[[早坂良太]]ら実力者が加入。監督は岸野が退任し再び松本育夫が指揮を執る事となった{{Refnest|group="注"|この年の鳥栖の新監督にはクラブOBでトップチームのコーチを務めていた[[尹晶煥]]が就く予定だったが、Jリーグクラブの監督就任に必要である[[JFA 公認S級コーチ|S級ライセンス]]を保有していなかったための措置として松本が就任しており、実際の指導は尹が中心として行っていた<ref>{{Cite web|和書|date=2009-12-08 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00093820 |title=【鳥栖:松本育夫監督、尹晶煥ヘッドコーチ就任会見】会見での出席者コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。}}。リーグ戦が開幕すると、松本からは攻撃面を評価されるも<ref>{{Cite web|和書|date=2010-03-07 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00097737 |title=【J2:第1節 鳥栖 vs 札幌】松本育夫監督(鳥栖)記者会見コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、定位置を確保するまでには至らず、シーズン序盤は控えメンバーに留まり、相手にリード許す苦しい試合展開となった際に途中交替で起用された<ref>{{Cite web|和書|date=2010-03-08 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00097751 |title=【J2:第1節 鳥栖 vs 札幌】レポート:『J1昇格』を狙うチーム同士の開幕戦。ホームの鳥栖もアウェイの札幌も、目指すサッカーを完遂できずに勝点1を分け合う結果に。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。[[5月2日]]のJ2第10節東京V戦でこのシーズン初めてスタメンで起用されると後半[[ロスタイム]]に[[コーナーキック]]から同点弾となるヘディングシュートを決める<ref>{{Cite web|和書|date=2010-05-03 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00100803 |title=【J2:第10節 東京V vs 鳥栖】レポート:ロスタイムの悲劇に再び泣く東京V。ホーム初勝利は、またまたお預け。鳥栖は、全員の勝利への執念が2試合連続の土壇場同点弾を生む |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2010-05-04 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00100811 |title=【J2:第11節 鳥栖 vs 岡山】プレビュー:ロスタイム同点弾を2試合続ける鳥栖。真価が問われる連戦中の一戦は、しぶとい岡山を迎えた今季初のナイトゲーム |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。この試合以降コンスタントに先発で起用されるようになり、[[5月9日]]のJ2第12節[[大分トリニータ|大分]]戦では、後半ロスタイムのコーナーキックを再び頭で合わせ決勝ゴールを挙げチームを勝利に導くなど<ref>{{Cite web|和書|date=2010-05-09 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00101132 |title=【J2:第12節 大分 vs 鳥栖】試合終了後の鳥栖選手コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2010-05-10 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00101162 |title=【J2:第12節 大分 vs 鳥栖】鳥栖側レポート:今季3度目のロスタイム得点は、初めて大分に勝利した決勝点。『バトル オブ 九州』第3戦は再逆転での劇的な勝利! |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、起用に応える活躍を見せた。ところが、チームは[[2010 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]の中断期間明けの[[7月]]から[[10月]]までで僅か2勝しか挙げられない深刻な事態に陥ってしまい、日高も[[8月]]に入ると再び出場機会を失うこととなったが、[[11月]]からはスタメンに復帰し最終節までチームを攻守に渡って支えた。最終的にチームは9位でシーズンを終え、日高個人としても年間2ゴールこそ挙げたものの出場時間は前年を更に大きく下回る1,493分に留まり、このため日高はクラブに移籍を打診する<ref name="hidaka1" />。[[12月29日]]にオファーのあったJ2の[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]へ完全移籍することが双方のクラブから発表された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2010/12/009832.html |title=日高 拓磨 選手 コンサドーレ札幌へ新加入のお知らせ |accessdate=2014年3月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110806025107/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2010/12/009832.html |archivedate=2011年8月6日 }}[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、2010年12月29日</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sagantosu.jp/news_release/2010/12/006041.html |title=日高拓磨選手 コンサドーレ札幌へ完全移籍のお知らせ |accessdate=2014年3月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110101131906/http://www.sagantosu.jp/news_release/2010/12/006041.html |archivedate=2011年1月1日 }}[[サガン鳥栖]]、2010年12月29日</ref>。


=== コンサドーレ札幌 ===
=== コンサドーレ札幌 ===
[[2011年]]、札幌でもディフェンダーとして登録され、背番号は退団した[[吉弘充志]]が背負っていた2を与えられることが決まった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2011/01/000477.html |title=2011 コンサドーレ札幌 選手・チームスタッフ決定のお知らせ |accessdate=2014年3月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110805205531/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2011/01/000477.html |archivedate=2011年8月5日 }}[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、2011年1月16日</ref>。クラブからは右サイドバックの主力として期待されたものの<ref>{{Cite web|和書|date=2011-01-14 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00112542 |title=【2011シーズン始動!】札幌:新加入選手紹介記者会見でのコメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、開幕前のキャンプ中に左足腓骨骨折の重傷を負い<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2011/02/000535.html |title=コンサドーレ札幌 日高 拓磨 選手の負傷について |accessdate=2014年3月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140306111809/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2011/02/000535.html |archivedate=2014年3月6日 }}[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、2011年2月12日</ref>、長期離脱を余儀なくされたことで出遅れてしまい、札幌での公式戦初出場は[[5月8日]]のJ2第11節[[ロアッソ熊本|熊本]]戦まで持ち越しとなった<ref>{{Cite web|和書|date=2011-05-15 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00118857 |title=【J2:第12節 札幌 vs 鳥取】プレビュー:前節は悔しい負け方をした両チーム。流れを変えるために、ぜひとも取りたい勝点3。双方の攻守が真正面から組み合う展開となりそうだ。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。日高はこの試合に右サイドバックとして先発起用されフル出場を果たすもチームは惜しくも敗戦している。続く[[5月15日]]のJ2第12節[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦では高卒新人の[[三上陽輔]]の得点をアシストし<ref>{{Cite web|和書|date=2011-05-15 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00118985 |title=【J2:第12節 札幌 vs 鳥取】石崎信弘監督(札幌)記者会見コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2011-05-15 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00118986 |title=【J2:第12節 札幌 vs 鳥取】試合終了後の各選手コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、守備でも相手攻撃陣を無失点に抑え勝利に貢献した。これらの活躍もあって監督の[[石崎信弘]]の信頼を得ると、日高が戦列を離れていた間にサイドバックの代役を務めていた[[高木純平]]らとポジションを争いながら、以降も右サイドバックの主力としてコンスタントに起用され続け攻守に渡りチームを支え、一時はチームの失点数もリーグ最少失点を記録し堅守を誇ったが<ref name="hidaka2011a">{{Cite web|和書|date=2011-07-01 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00121417 |title=【J2:第19節 栃木 vs 札幌】プレビュー:夏場も主役は譲らない!鳥栖戦で劇的な勝利を挙げた栃木が、グリスタで難攻不落の札幌に挑む。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、同時に深刻な得点力不足にも陥っており序盤は下位に沈むこととなった<ref name="hidaka2011a" />。シーズン中盤に入ると右サイドバックの主力に定着し、また、若手の[[横野純貴]]が台頭したことや、[[7月]]には[[ジオゴ・コヘア・デ・オリベイラ|ジオゴ]]が途中加入した事で前線に攻撃の起点が出来ると、サイドバックのポジションからの積極的な攻撃参加も顕著に見られるようになり<ref>{{Cite web|和書|date=2011-08-15 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00123921 |title=【J2:第24節 富山 vs 札幌】レポート:札幌が苦しみながらも終了直前に勝ち越す。富山は圧倒的に攻めたが決定力を欠いて今季初の3連敗。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2011-10-20 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=0012724 |title=2004J1 2ndステージ第10節 鹿島アントラーズvs浦和レッドダイヤモンズ 当日券販売の件 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、チームの成績も一気に向上し首位争いを演じるまでに上昇した。終盤は出場機会が限られ欠場した試合も見られたものの、年間を通して主力として活躍しJ1昇格に貢献した1人となった。
[[2011年]]は右サイドバックの主力として期待されたものの、開幕前のキャンプで左足を骨折した事で出遅れ札幌での初出場は[[5月15日]]J2第12節[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦まで持越しとなった。[[高木純平]]とサイドバックのポジションを争いながら夏場以降は主力に定着し公式戦25試合に出場。J1昇格に貢献した。

[[2012年]]、日高にとって初めてのJ1の舞台となったが、[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア代表]]の[[ジェイド・ノース|ノース]]、[[清水エスパルス|清水]]における史上最年少出場記録を持つ[[山本真希]]に加え、高卒新人で前年に[[高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ|高円宮杯U-18プレミアリーグイースト]]で優勝を果たした札幌U-18から昇格を果たした[[前貴之]]、[[小山内貴哉]]が加入しサイドバックのポジション争いが激化する。更には日高自身も年間を通してグロインペイン症候群の怪我に悩まされることとなった。このため、シーズン序盤から調子が上がらずリーグ戦の序盤の多くの試合を欠場した。一方で、[[2012年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]には全試合に出場し、[[4月4日]]の予選第2節[[横浜F・マリノス|横浜FM]]戦では決勝点となる[[榊翔太]]のゴールをアシストし<ref>{{Cite web|和書|date=2012-04-05 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00135351 |title=【ヤマザキナビスコカップ 横浜FM vs 札幌】レポート:札幌がカウンター2発で今季初勝利! 横浜FMは後半優勢も追い上げ切れず |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、[[4月18日]]の予選第3節[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦でも榊の先制点をアシストする<ref>{{Cite web|和書|date=2012-04-18 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00136037 |title=【ヤマザキナビスコカップ 札幌 vs 鹿島】試合終了後の各選手コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2012-04-19 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00136047 |title=【ヤマザキナビスコカップ 札幌 vs 鹿島】レポート:スコアこそ1−2ながらも、シュート数は1−35。鹿島がグループ首位を守った試合は、あらためてサッカーの難しさを思い知らされる内容だった |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref> など活躍を見せたが、チームは予選リーグ敗退を喫した。これらの活躍が裏付けるように調子を上げると、[[4月21日]]J1第7節[[川崎フロンターレ|川崎]]戦でスタメンに起用されたことでJ1初出場を果たす。この試合では敗戦したものの、高木純平の得点をアシストするなど活躍を見せると<ref>{{Cite web|和書|date=2012-04-21 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00136184 |title=【J1:第7節 札幌 vs 川崎F】石崎信弘監督(札幌)記者会見コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2012-04-22 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00136210 |title=【J1:第7節 札幌 vs 川崎F】レポート:川崎Fが2点のビハインドから見事な逆転勝利!後半途中にピッチに送り込まれた中村憲剛が、試合の流れを一変させる大活躍。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、以降は主力サイドバックとして定着した。ところが、チームはリーグ戦の前半を終えて僅か1勝しか挙げられない深刻な事態に陥っており、シーズン序盤から最下位に低迷し続けた。そうした苦しい戦いの中で日高は[[7月]]に入ると[[上原慎也]]と共に孤軍奮闘の活躍でチームの攻撃を支えるようになる。[[7月14日]]のJ1第18節[[ジュビロ磐田|磐田]]戦では大敗を喫したものの、一矢報いる反撃のゴールを挙げる。この得点が日高にとって札幌移籍後初ゴールであるのと同時にJ1初ゴールとなった。[[8月11日]]のJ1第21節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦では同点弾となるゴールを挙げ勝利に貢献<ref>{{Cite web|和書|date=2012-08-12 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00142092 |title=【J1:第21節 札幌 vs 仙台】レポート:後半アディショナルタイムの劇的ゴールで最下位の札幌が首位・仙台を撃破!アグレッシブな戦いにスタジアムは大きく沸いた |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2012-08-17 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00142277 |title=【J1:第22節 札幌 vs 神戸】プレビュー:前節に首位を破り、今シーズン初の連勝へと意気込む札幌が神戸を迎え撃つ。神戸のアグレッシブな守備と札幌の絶対エース・ハモンとのバトルがゲームの行方を左右する。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。更には[[8月25日]]のJ1第23節[[ガンバ大阪|G大阪]]戦ではコーナーキックを頭で合わせ同点弾となるゴールを挙げる<ref>{{Cite web|和書|date=2012-08-25 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00142780 |title=【J1:第23節 G大阪 vs 札幌】試合終了後の各選手コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2012-08-26 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00142795 |title=【J1:第23節 G大阪 vs 札幌】レポート:ガンバ劇場炸裂!前節に続く大量ゴールで札幌を圧倒。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref> など、サイドバックでの起用ながら短期間でゴールを積み重ねた。しかし、[[9月]]に入るとグロインペイン症候群の症状が悪化し欠場を余儀なくされる。この間に前貴之がサイドバックのポジションで台頭を見せたことなどもあって残りのシーズンを棒に振ることとなった。日高が不在の間にチームはJリーグ史上最速降格が決定し<ref>{{Cite news |title=札幌7戦残して史上最速降格/J1 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2012-09-30 |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20120930-1025330.html}}</ref>、シーズンオフにはJ2降格に伴う緊縮財政の影響により、多くの主力選手の移籍が決定していく中で日高も移籍を考えるが<ref>{{Cite news |title=厳冬札幌で悲痛な叫び…「クラブは続くけど、選手は長く続かない」 |newspaper=[[スポーツニッポン]] |date=2012-12-11 |url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/12/11/kiji/K20121211004755450.html}}</ref>、最終的にチーム残留を決断する。翌年の[[1月8日]]には契約合意の旨がクラブから正式に発表され<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/01/013737.html |title=2013 コンサドーレ札幌 契約合意選手について (1月8日現在) |accessdate=2014年3月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130116073523/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/01/013737.html |archivedate=2013年1月16日 }}[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、2013年1月8日</ref>、札幌での3年目のシーズンを迎えることが決まった。

[[2013年]]、この年から新監督に[[財前恵一]]が就任し同監督からも主力サイドバックとして期待されるが、前年からのグロインペイン症候群の影響は大きく、リーグ戦が開幕後も前半戦の大半を欠場することとなった。[[5月12日]]のJ2第14節[[モンテディオ山形|山形]]戦の試合終了間際に[[岡本賢明]]と交替でシーズン初出場を果たすと、以降は右サイドバックとして先発に定着。[[6月1日]]のJ2第17節[[横浜FC]]戦でキックオフ直後に相手ゴール前まで駆け上がりシーズン初得点を挙げ勝利に貢献する<ref>{{Cite web|和書|date=2013-06-01 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00156448 |title=【J2:第17節 横浜FC vs 札幌】試合終了後の各選手コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref name="hidaka2013a">{{Cite web|和書|date=2013-06-02 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00156484 |title=【J2:第17節 横浜FC vs 札幌】レポート:ピッチ内外の「サポート力」を強さの源泉とした札幌が横浜FCを完封。横浜FCはホーム未勝利が続く。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>{{Refnest|group="注"|日高のこのゴールは、試合開始20秒(公式記録は1分)で挙げたものであり<ref name="hidaka2013a" />、[[2004年]]J2第26節[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦で[[清野智秋]]が試合開始32秒(公式記録は0分)で挙げた札幌史上最速ゴール記録を10年ぶりに塗り替えることとなった。}}。[[6月22日]]のJ2第20節[[FC岐阜|岐阜]]戦では攻撃参加から横野純貴のゴールの起点となるシュートを放つ<ref>{{Cite web|和書|date=2013-06-23 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00157316 |title=【J2:第20節 札幌 vs 岐阜】レポート:4−0という大差で札幌がホームで連勝。ただしその内実は、選手が反省点ばかりを口にしており、ある意味では辛勝だったと言えるのかもしれない。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref> など調子を上げていくと、夏場以降はコンディションを取り戻し全試合でスタメン起用され、右サイドで積極的な攻撃参加を見せ躍動する。[[7月27日]]のJ2第26節[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦では、右サイドのセンターライン付近で[[三上陽輔]]のパスを受けると、持ち前の俊足を活かしたオーバーラップで敵陣深くまで一気に駆け上がり[[内村圭宏]]をアシストする活躍で勝利に貢献した<ref>{{Cite web|和書|date=2013-07-27 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00159035 |title=【J2:第26節 札幌 vs 鳥取】試合終了後の各選手コメント |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2013-07-28 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00159081 |title=【J2:第26節 札幌 vs 鳥取】レポート:サイドのスペースを制圧した札幌が3得点で快勝!ホーム4連勝を達成し、地元ファンを大いに沸かせてみせた。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。[[8月11日]]のJ2第28節横浜FC戦では[[フェリペ・アルメイダ・フェリックス・クヴァシャンチラーヅェ|フェホ]]のゴールの起点となるパスで勝利に貢献<ref>{{Cite web|和書|date=2013-08-12 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00159947 |title=【J2:第28節 札幌 vs 横浜FC】レポート:我慢強く守った札幌がフェホの来日初ゴールを生かしてホーム5連勝を達成。敗れた横浜FCは4連敗となるも、こちらもまた我慢のときだ。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。[[8月25日]]のJ2第31節[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦では上原慎也のゴールの起点となるパスで逆転勝利に貢献した<ref>{{Cite web|和書|date=2013-08-26 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00160644 |title=【J2:第31節 水戸 vs 札幌】レポート:財前采配ズバリ!システム変更が奏功し、鮮やかな逆転勝利!水戸は主導権を握りながらも、悔しい敗戦。 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。これらの日高の活躍を象徴するように、この頃からチームの成績も徐々に上向いていき、[[J1昇格プレーオフ]]進出圏内を射程範囲に捉えられるまで順位も上昇した。リーグ戦終盤にも、[[10月20日]]のJ2第37節山形戦で[[砂川誠]]からのパスを頭で合わせ先制点となるゴールで勝利に貢献し<ref>{{Cite web|和書|date=2013-10-21 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00163349 |title=【J2:第37節 札幌 vs 山形】レポート:勝点51同士の直接対決は、ホームの札幌に軍配! 若いチームを牽引するベテランが見事に勝利を演出してみせた |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>、プレーオフ進出を目指すチームを攻守で支え続けるが、[[11月24日]]J2最終節[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦で引き分けてしまい後一歩のところで逃すこととなった。また、シーズンオフの[[12月28日]]に開催された[[日本プロサッカー選手会チャリティーサッカー|チャリティーサッカー2013]]の出場メンバーに札幌に所属の選手としては唯一選出されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/12/015813.html |title=日高 拓磨 選手 「日本プロサッカー選手会 チャリティーサッカー2013」 チャリティーマッチ メンバー選出のお知らせ |accessdate=2014年3月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140224001625/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/12/015813.html |archivedate=2014年2月24日 }}[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、2013年12月4日</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2013-12-04 |url=http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00165255 |title=【JPFA】日本プロサッカー選手会 チャリティーサッカー2013 チャリティーマッチ 出場選手追加決定 |publisher=[[J's GOAL]] |accessdate=2015-09-21}}</ref>。

[[2014年]]は内村圭宏、[[古田寛幸]]と共に札幌の副キャプテンに就任することが決定<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2014/02/016106.html |title=2014シーズン コンサドーレ札幌 キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ |accessdate=2014年3月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140209183459/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2014/02/016106.html |archivedate=2014年2月9日 }}[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、2014年2月6日</ref>。リーグ戦開幕前の[[2月9日]]に行われた練習試合で左足[[腸腰筋]][[肉離れ]]の怪我を負い<ref name="hidaka2014a">{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2014/02/016134.html |title=日高 拓磨 選手の負傷について |accessdate=2014年3月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140306113916/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2014/02/016134.html |archivedate=2014年3月6日 }}[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、2014年2月12日</ref>、全治4〜6週と診断され<ref name="hidaka2014a" /> 開幕戦からの試合出場は絶望的となったものの、驚異的な回復を見せたことで[[3月2日]]J2第1節[[ジュビロ磐田|磐田]]戦で控えメンバー入りを果たす。この試合では試合終盤に[[菊岡拓朗]]と交替で途中出場すると相手攻撃陣を無失点に抑え開幕戦勝利に貢献した。5月に故障、[[椎間板ヘルニア]]と診断され手術を行い、100日以上離脱することになった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20140826-OHT1T50157.html |title=【札幌】日高、102日ぶり合流!31日・熊本戦で復帰へ |accessdate=2015年12月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140829000439/http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20140826-OHT1T50157.html |archivedate=2014年8月29日 }}[[スポーツ報知]]、2014年8月27日</ref>。


2015年、[[カターレ富山]]へ移籍<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kataller.co.jp/news/2014/1231.html|title=日高拓磨選手 コンサドーレ札幌より完全移籍加入のお知らせ|publisher=[[カターレ富山]]|date=2014-12-31|accessdate=2014-12-31}}</ref> したが、椎間板ヘルニアが再発、現役続行にはリスクが伴う<ref>{{Cite web ja |url=https://ameblo.jp/hidaka-takuma/entry-12106547816.html |last=日高 |first=拓磨 |title=重大発表 |date=2015-12-15 |website=日高拓磨オフィシャルブログ「戦場の絆」|access-date=2016-04-25}}</ref> ことから本シーズンをもって現役を引退<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kataller.co.jp/news/2015/1215.html|title=日髙拓磨選手 現役引退のお知らせ|publisher=[[カターレ富山]]|date=2015-12-15|accessdate=2015-12-15}}</ref>。シーズン終了後にヘルニアの再手術を行った<ref>{{Cite web ja |url=https://ameblo.jp/hidaka-takuma/entry-12102536987.html |last=日高 |first=拓磨 |title=無事帰還 |date=2015-12-04 |website=日高拓磨オフィシャルブログ「戦場の絆」 |access-date=2016-04-25}}</ref>。
[[2012年]]はこの年にユースから昇格した[[前貴之]]の台頭もあってリーグ戦の出場は19試合に留まる。チームが序盤から最下位に陥り低迷する中において自身は限られた出場試合の中で奮闘しシーズンを通して3ゴールを挙げる活躍を見せ、中でも[[8月11日]]J1第21節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦では移籍後初ゴールを挙げ勝利に貢献した。


2016年、北海道コンサドーレ旭川U-15コーチに就任<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/20160110923/|title=2016 北海道コンサドーレ札幌 アカデミースタッフ決定のお知らせ|publisher=[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]|date=2016-01-21|accessdate=2016-02-26}}</ref>。
[[2013年]][[6月1日]]J2第17節[[横浜FC]]戦で試合開始20秒(公式記録は1分)でゴールを挙げ、[[2004年]]J2第26節[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦で[[清野智秋]]が試合開始32秒(公式記録は0分)で挙げたチーム最速ゴール記録を10年ぶりに塗り替えた。


== 所属クラブ ==
== 所属クラブ ==
;ユース経歴
; ユース経歴
* 旭丘JrユースFC
* [[福山市立旭丘小学校]]
* [[清水エスパルス]]ユース ([[常葉学園橘中学校・高等学校|常葉学園橘]])
* 旭丘JrユースFC([[福山市立大門中学校]]
* [[清水エスパルス]]ユース([[常葉大学附属橘中学校・高等学校|常葉学園橘高等学校]])
* [[明治大学体育会サッカー部|明治大学]]
* [[明治大学体育会サッカー部|明治大学]]
;プロ経歴
; プロ経歴
*2006年 - 2010年 [[サガン鳥栖]]
* 2006年 - 2010年 [[サガン鳥栖]]
*2011年 - [[コンサドーレ札幌]]
* 2011年 - 2014年 [[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]
* 2015年 [[カターレ富山]]


== 個人成績 ==
== 個人成績 ==
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|[[2006年のJリーグ|2006]]||rowspan=5|[[サガン鳥栖|鳥栖]]||rowspan=2|29||rowspan=6|[[日本プロサッカーリーグ|J2]]||2||0||colspan="2"|-||0||0||2||0
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* Jリーグ初出場 - [[2006年]][[318日]] J2第3節 対[[ヴィッセル神戸|神戸]] ([[鳥栖スタジアム|鳥栖]])
== 経歴 ==
*Jリーグ初出場 [[2006年]][[318日]] J2第3節 対[[ヴィッセ神戸|神戸]] ([[鳥栖スタジアム|鳥栖]])
* Jリーグ初得点 - [[2007年]][[816日]] J2第34節 対[[東京ディ1969|東京V]] (鳥栖
*Jリーグ初得点 [[2007年]][[816日]] J2第34節 対[[東京ェルデ1969|東京V]] ([[鳥栖スタジアム|鳥栖]])


== 脚注 ==
== 脚注 ==
; 注釈
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; 出典
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*{{Sports links}}
*[http://www.consadole-sapporo.jp/teamdata/player2012/02hidaka.html 選手プロフィール]
* [http://www.kataller.co.jp/member/players/02.html 選手紹介]
*[http://ameblo.jp/hidaka-takuma/ 日高拓磨オフィシャルブログ 「戦場の絆」]
* {{Ameba ブログ|hidaka-takuma|日高拓磨オフィシャルブログ 「戦場の絆」}}
*[http://www.sagan-kizuna.com/profile/?id=511 サガントス絆プロジェクトシリアルNo. 00510]
* {{Twitter|takumahidaka}}
*[http://www.saga-s.co.jp/025.html 佐賀新聞 夢挑戦者 チャレンジャー 2006]


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== 関連項目 ==
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*[[コンサドーレ札幌の選手一覧]]
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2024年10月10日 (木) 08:00時点における最新版

日高 拓磨
名前
愛称 たくま[1]、たくみぃや[2]
カタカナ ヒダカ タクマ
ラテン文字 HIDAKA Takuma
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-04-08) 1983年4月8日(41歳)
出身地 広島県福山市
身長 177cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1999-2001 日本の旗 清水エスパルス
2002-2005 日本の旗 明治大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2010 日本の旗 サガン鳥栖 130 (6)
2011-2014 日本の旗 コンサドーレ札幌 94 (5)
2015 日本の旗 カターレ富山 23 (2)
通算 247 (13)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

日高 拓磨(ひだか たくま、1983年4月8日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー

来歴

[編集]

サッカークラブの監督を務めていた父親の影響で5歳よりサッカーを始める[2][3]。幼少時代より父親から厳しいサッカーの英才教育を受け実力を伸ばし、旭丘小時代には中国地区トレセンに選出されるなど早くから頭角を現した[4]。学生時代はフォワードをはじめ[5] 攻撃的な中盤のポジションを務め[6]、中学時代は地元の旭丘JrユースFCでプレー。高校からは単身親元を離れ清水エスパルスユースに所属し寮生活を送る[3]。当時の清水ユースは強豪チームとして[注 1]主要大会でも好成績を残しており、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会ベスト4、高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会ベスト4、Jユースカップ準優勝などを経験。日高自身も3年生になると、高円宮杯第12回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会ベスト8、第25回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会5位、Jユースカップ2001ベスト16などの好成績を収め、中心選手としてチームを牽引し得点源としても活躍するがトップチーム昇格は適わず、高校卒業後は関東大学2部(当時)の明治大学に進学した。大学時代の同期には伊藤淳嗣高杉亮太がいる[注 2]。3年生次には同校の1部復帰に貢献。また、関東大学サッカー選手権大会で優勝し、その後の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントではベスト4の成績を収めた。4年生次には目立った成績こそ残せなかったものの、日高のプレーに注目した当時J2サガン鳥栖よりオファーを受け入団が内定。2005年12月28日に日高の獲得がクラブから正式に発表された[4]

サガン鳥栖

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2006年、クラブからはスピードに乗ったドリブルとクレバーな守備を持ち味として期待され[4]、背番号は29に決まりフォワード登録となった。当時の鳥栖の前線には前年のJ2日本人得点王でエースストライカーの新居辰基をはじめ、新居に次ぐ多くのゴールを挙げていた鈴木孝明がおり、これらの実力者とツートップのポジションを争うこととなる。この年のリーグ戦が開幕すると、早くからサテライトで好プレーを見せていた事で[7]、監督の松本育夫3月18日のJ2第3節神戸戦で日高をフォワードとしてスタメンに抜擢する[8]。続く3月21日のJ2第4節戦でも交替出場で起用されるが、いずれの試合でもゴールを挙げることが出来ずチームも敗戦を喫すると、以降の試合で日高が起用される事はなくベンチ入りすら1試合も出来ない事態となった。同期入団で同じく大卒新人の藤田祥史廣瀬浩二衛藤裕らが積極的に起用され主力として活躍したのとは対照的に、日高の公式戦出場はこの2試合に留まり、チームがJ1昇格争いを演じ最終的に4位とクラブ史上最高順位を収める中で日高個人としては非常に厳しいシーズンとなった。

2007年は松本に替わり岸野靖之が新監督に就任。2年連続でJ2日本人得点王となったエースストライカーの新居辰基が退団したものの、前年のJ2で17得点を挙げたアンデルソン、地域リーグで得点を量産した実績を持つレオナルドらが加入しフォワードのポジション争いは激化。更には開幕直前の練習試合中に右足第一末節骨骨折で全治1か月の大けがを負ってしまい[9] 大きく出遅れることとなったが、戦列に復帰後は監督の岸野によってサイドバックにコンバートされると才能が開花。シーズン初出場となった4月29日のJ2第12節東京V戦で初めて右サイドバックとしてスタメン起用されると[10]、当時J2で屈指の攻撃力を誇っていたディエゴフッキを抑え込む[11][12] だけに留まらず、藤田祥史の先制点の起点にもなるなど[10] 攻守に渡る活躍で勝利に貢献する。この活躍により以降は左右サイドバックに定着し主力としてリーグ戦を戦い抜いた。シーズン後半の8月16日J2第34節東京V戦では左サイドバックとして先発出場し、前半9分に自陣から相手ゴール前までの約70メートルを駆け上がると高地系治のパスから得点を決め勝利に貢献[13]。この得点が日高の公式戦初ゴールとなった。以降も最終節まで1試合も欠場する事なく不動のサイドバックとして起用され続け、最終的にチームは前年を下回る8位となったものの、日高個人としてはリーグ戦の38試合に出場。このうち37試合でスタメン起用され出場時間はチーム4位の3,370分に到達するなど飛躍のシーズンとなった。また、同年開催の天皇杯にも鳥栖が登場した3回戦以降の全試合に先発で起用されチームの5回戦進出に貢献した。

2008年からは登録ポジションをディフェンダーに変更[14]。背番号も退団した田中淳也が背負っていた13に変更した[14]。リーグ戦では、前年の活躍もあって監督の岸野からは主力サイドバックとして期待され、3月8日のJ2第1節山形戦でプロ3年目にして初めて開幕戦スタメンフル出場を果たすと、この年にJ1昇格を果たす相手を無失点に抑え勝利に貢献。以降も主に右サイドバックを主戦場に攻守を支え、チームの成績も一時は首位に躍り出るなど[15] 好調な戦いぶりを見せた。このシーズンはゴールこそ挙げられなかったものの、起用に応える活躍で攻撃の起点として得点を演出する場面も多く見られた[15][16][17]。夏場に入ると調子を落としてしまい[18]7月9日のJ2第25節仙台戦では公式戦初退場を経験し[17][19]、その後は先発を外れ途中起用される試合も続いたが、8月17日のJ2第31節愛媛戦でスタメンに復帰すると最終節までコンスタントに先発で起用され続け、この年の出場時間もチーム4位の2,935分に到達した。一方で、チームの成績は序盤からJ1昇格争いを演じるも、リーグ戦の後半から勝ちきれない試合が目立つようになり最終的に6位でシーズンを終える。同年開催の天皇杯では4回戦以降の全試合でスタメン起用され、クラブ史上初となる同大会ベスト8入りに貢献した。

2009年はベテランの山田卓也をはじめ、柳沢将之磯崎敬太らが加入しサイドバックのポジション争いが激化する。リーグ戦では開幕スタメンこそ果たせなかったものの、チームが開幕戦から3連敗を喫すると、3月25日の第4節岡山戦でスタメンに抜擢され、相手攻撃陣を無失点に抑える活躍で監督の岸野の起用に応える働きを見せた[20]。これが評価されたことで、続く3月29日のJ2第5節甲府戦にもスタメンで起用されると、島田裕介が蹴ったフリーキックから決勝点となるヘディングシュートを決めてチームをシーズン初勝利へと導き[21][22][23]、更に続く4月4日のJ2第6節湘南戦では、サイドハーフとして起用され、前半28分に磯崎敬太のパスを頭で合わせ先制点を挙げると[24]、後半34分には高地系治のパスから決勝点となるゴールを決め[24]、チームを2連勝へ導く原動力となった。この活躍により以降は主力として起用され、サイドバックのみならず攻撃的な中盤のポジションでも出場を続けるが[25]5月からは徐々に出場機会を失った。7月に入ると左サイドバックとしてスタメンで起用され続け[26][27][28][29]9月2日のJ2第37節横浜FC戦でスタメンに起用されJ2通算100試合出場を達成した[30]。リーグ戦の終盤に入るとコンディションを落としてしまったことで[31] 再び出場機会が限られるが、起用された試合では左サイドバックながら積極的な攻撃参加を見せ[32][33][34]、J1昇格を争うチームを献身的に支えた。最終的にチームは5位でシーズンを終え、日高自身も自己最多となる3ゴールを挙げるも、出場時間は2,276分と前年を大幅に下回った。同年開催の天皇杯では鳥栖が登場した2回戦以降の全試合に先発で起用され4回戦進出に貢献した。

2010年はサイドの主力を務めていた高地系治、柳沢将之らが退団する一方で丹羽竜平早坂良太ら実力者が加入。監督は岸野が退任し再び松本育夫が指揮を執る事となった[注 3]。リーグ戦が開幕すると、松本からは攻撃面を評価されるも[36]、定位置を確保するまでには至らず、シーズン序盤は控えメンバーに留まり、相手にリード許す苦しい試合展開となった際に途中交替で起用された[37]5月2日のJ2第10節東京V戦でこのシーズン初めてスタメンで起用されると後半ロスタイムコーナーキックから同点弾となるヘディングシュートを決める[38][39]。この試合以降コンスタントに先発で起用されるようになり、5月9日のJ2第12節大分戦では、後半ロスタイムのコーナーキックを再び頭で合わせ決勝ゴールを挙げチームを勝利に導くなど[40][41]、起用に応える活躍を見せた。ところが、チームはワールドカップの中断期間明けの7月から10月までで僅か2勝しか挙げられない深刻な事態に陥ってしまい、日高も8月に入ると再び出場機会を失うこととなったが、11月からはスタメンに復帰し最終節までチームを攻守に渡って支えた。最終的にチームは9位でシーズンを終え、日高個人としても年間2ゴールこそ挙げたものの出場時間は前年を更に大きく下回る1,493分に留まり、このため日高はクラブに移籍を打診する[3]12月29日にオファーのあったJ2のコンサドーレ札幌へ完全移籍することが双方のクラブから発表された[42][43]

コンサドーレ札幌

[編集]

2011年、札幌でもディフェンダーとして登録され、背番号は退団した吉弘充志が背負っていた2を与えられることが決まった[44]。クラブからは右サイドバックの主力として期待されたものの[45]、開幕前のキャンプ中に左足腓骨骨折の重傷を負い[46]、長期離脱を余儀なくされたことで出遅れてしまい、札幌での公式戦初出場は5月8日のJ2第11節熊本戦まで持ち越しとなった[47]。日高はこの試合に右サイドバックとして先発起用されフル出場を果たすもチームは惜しくも敗戦している。続く5月15日のJ2第12節鳥取戦では高卒新人の三上陽輔の得点をアシストし[48][49]、守備でも相手攻撃陣を無失点に抑え勝利に貢献した。これらの活躍もあって監督の石崎信弘の信頼を得ると、日高が戦列を離れていた間にサイドバックの代役を務めていた高木純平らとポジションを争いながら、以降も右サイドバックの主力としてコンスタントに起用され続け攻守に渡りチームを支え、一時はチームの失点数もリーグ最少失点を記録し堅守を誇ったが[50]、同時に深刻な得点力不足にも陥っており序盤は下位に沈むこととなった[50]。シーズン中盤に入ると右サイドバックの主力に定着し、また、若手の横野純貴が台頭したことや、7月にはジオゴが途中加入した事で前線に攻撃の起点が出来ると、サイドバックのポジションからの積極的な攻撃参加も顕著に見られるようになり[51][52]、チームの成績も一気に向上し首位争いを演じるまでに上昇した。終盤は出場機会が限られ欠場した試合も見られたものの、年間を通して主力として活躍しJ1昇格に貢献した1人となった。

2012年、日高にとって初めてのJ1の舞台となったが、オーストラリア代表ノース清水における史上最年少出場記録を持つ山本真希に加え、高卒新人で前年に高円宮杯U-18プレミアリーグイーストで優勝を果たした札幌U-18から昇格を果たした前貴之小山内貴哉が加入しサイドバックのポジション争いが激化する。更には日高自身も年間を通してグロインペイン症候群の怪我に悩まされることとなった。このため、シーズン序盤から調子が上がらずリーグ戦の序盤の多くの試合を欠場した。一方で、ヤマザキナビスコカップには全試合に出場し、4月4日の予選第2節横浜FM戦では決勝点となる榊翔太のゴールをアシストし[53]4月18日の予選第3節鹿島戦でも榊の先制点をアシストする[54][55] など活躍を見せたが、チームは予選リーグ敗退を喫した。これらの活躍が裏付けるように調子を上げると、4月21日J1第7節川崎戦でスタメンに起用されたことでJ1初出場を果たす。この試合では敗戦したものの、高木純平の得点をアシストするなど活躍を見せると[56][57]、以降は主力サイドバックとして定着した。ところが、チームはリーグ戦の前半を終えて僅か1勝しか挙げられない深刻な事態に陥っており、シーズン序盤から最下位に低迷し続けた。そうした苦しい戦いの中で日高は7月に入ると上原慎也と共に孤軍奮闘の活躍でチームの攻撃を支えるようになる。7月14日のJ1第18節磐田戦では大敗を喫したものの、一矢報いる反撃のゴールを挙げる。この得点が日高にとって札幌移籍後初ゴールであるのと同時にJ1初ゴールとなった。8月11日のJ1第21節仙台戦では同点弾となるゴールを挙げ勝利に貢献[58][59]。更には8月25日のJ1第23節G大阪戦ではコーナーキックを頭で合わせ同点弾となるゴールを挙げる[60][61] など、サイドバックでの起用ながら短期間でゴールを積み重ねた。しかし、9月に入るとグロインペイン症候群の症状が悪化し欠場を余儀なくされる。この間に前貴之がサイドバックのポジションで台頭を見せたことなどもあって残りのシーズンを棒に振ることとなった。日高が不在の間にチームはJリーグ史上最速降格が決定し[62]、シーズンオフにはJ2降格に伴う緊縮財政の影響により、多くの主力選手の移籍が決定していく中で日高も移籍を考えるが[63]、最終的にチーム残留を決断する。翌年の1月8日には契約合意の旨がクラブから正式に発表され[64]、札幌での3年目のシーズンを迎えることが決まった。

2013年、この年から新監督に財前恵一が就任し同監督からも主力サイドバックとして期待されるが、前年からのグロインペイン症候群の影響は大きく、リーグ戦が開幕後も前半戦の大半を欠場することとなった。5月12日のJ2第14節山形戦の試合終了間際に岡本賢明と交替でシーズン初出場を果たすと、以降は右サイドバックとして先発に定着。6月1日のJ2第17節横浜FC戦でキックオフ直後に相手ゴール前まで駆け上がりシーズン初得点を挙げ勝利に貢献する[65][66][注 4]6月22日のJ2第20節岐阜戦では攻撃参加から横野純貴のゴールの起点となるシュートを放つ[67] など調子を上げていくと、夏場以降はコンディションを取り戻し全試合でスタメン起用され、右サイドで積極的な攻撃参加を見せ躍動する。7月27日のJ2第26節鳥取戦では、右サイドのセンターライン付近で三上陽輔のパスを受けると、持ち前の俊足を活かしたオーバーラップで敵陣深くまで一気に駆け上がり内村圭宏をアシストする活躍で勝利に貢献した[68][69]8月11日のJ2第28節横浜FC戦ではフェホのゴールの起点となるパスで勝利に貢献[70]8月25日のJ2第31節水戸戦では上原慎也のゴールの起点となるパスで逆転勝利に貢献した[71]。これらの日高の活躍を象徴するように、この頃からチームの成績も徐々に上向いていき、J1昇格プレーオフ進出圏内を射程範囲に捉えられるまで順位も上昇した。リーグ戦終盤にも、10月20日のJ2第37節山形戦で砂川誠からのパスを頭で合わせ先制点となるゴールで勝利に貢献し[72]、プレーオフ進出を目指すチームを攻守で支え続けるが、11月24日J2最終節北九州戦で引き分けてしまい後一歩のところで逃すこととなった。また、シーズンオフの12月28日に開催されたチャリティーサッカー2013の出場メンバーに札幌に所属の選手としては唯一選出されている[73][74]

2014年は内村圭宏、古田寛幸と共に札幌の副キャプテンに就任することが決定[75]。リーグ戦開幕前の2月9日に行われた練習試合で左足腸腰筋肉離れの怪我を負い[76]、全治4〜6週と診断され[76] 開幕戦からの試合出場は絶望的となったものの、驚異的な回復を見せたことで3月2日J2第1節磐田戦で控えメンバー入りを果たす。この試合では試合終盤に菊岡拓朗と交替で途中出場すると相手攻撃陣を無失点に抑え開幕戦勝利に貢献した。5月に故障、椎間板ヘルニアと診断され手術を行い、100日以上離脱することになった[77]

2015年、カターレ富山へ移籍[78] したが、椎間板ヘルニアが再発、現役続行にはリスクが伴う[79] ことから本シーズンをもって現役を引退[80]。シーズン終了後にヘルニアの再手術を行った[81]

2016年、北海道コンサドーレ旭川U-15コーチに就任[82]

所属クラブ

[編集]
ユース経歴
プロ経歴

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 鳥栖 29 J2 2 0 - 0 0 2 0
2007 38 1 - 3 0 41 1
2008 13 35 0 - 3 0 38 0
2009 32 3 - 3 0 35 3
2010 23 2 - 0 0 23 2
2011 札幌 2 25 0 - 0 0 25 0
2012 J1 19 3 6 0 0 0 25 3
2013 J2 27 2 - 1 0 28 2
2014 23 0 - 0 0 23 0
2015 富山 J3 23 2 - - 23 2
通算 日本 J1 19 3 6 0 0 0 25 3
日本 J2 205 8 - 10 0 215 8
日本 J3 23 2 - 0 0 23 2
総通算 247 13 6 0 10 0 263 13

脚注

[編集]
注釈
  1. ^ 日高の清水ユース入団時、同期には深沢良輔浅山郷史、2年上には太田圭輔池田昇平鈴木浩介吉崎雄亮、1年上には村松潤高木純平鶴田達也鈴木隼人塩澤達也がおり、日高を除いたこの全員が高校卒業時にトップチーム昇格を果たしている。また、このうち高木純平とは後に札幌でチームメイトとなった。
  2. ^ この他、2年上には大和田真史戸川健太、1年上には松ヶ枝泰介、1年下には小川佳純福田健介森賢一、2年下には石井秀典関憲太郎斎藤雅也、3年下には藤田優人長友佑都林陵平橋本晃司杉本裕之らがいる。
  3. ^ この年の鳥栖の新監督にはクラブOBでトップチームのコーチを務めていた尹晶煥が就く予定だったが、Jリーグクラブの監督就任に必要であるS級ライセンスを保有していなかったための措置として松本が就任しており、実際の指導は尹が中心として行っていた[35]
  4. ^ 日高のこのゴールは、試合開始20秒(公式記録は1分)で挙げたものであり[66]2004年J2第26節湘南戦で清野智秋が試合開始32秒(公式記録は0分)で挙げた札幌史上最速ゴール記録を10年ぶりに塗り替えることとなった。
出典
  1. ^ DF 2 日高 拓磨”. 2014年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月3日閲覧。コンサドーレ札幌
  2. ^ a b DF 2 日高 拓磨”. 2013年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月24日閲覧。コンサドーレ札幌
  3. ^ a b c 日高 拓磨”. 財界さっぽろ. 2015年9月21日閲覧。
  4. ^ a b c 明治大学 日高 拓磨 選手サガン鳥栖へ加入内定のお知らせ”. J's GOAL (2005年12月28日). 2015年9月21日閲覧。
  5. ^ 【J2:第12節 岐阜 vs 鳥栖】岸野靖之監督(鳥栖)記者会見コメント”. J's GOAL (2008年5月6日). 2015年9月21日閲覧。
  6. ^ 選手へのインタビュー”. 佐賀新聞. 2015年9月21日閲覧。
  7. ^ 【J2:第3節 鳥栖 vs 神戸 プレビュー】ボールを支配するも思うような結果を出せない鳥栖と神戸。中盤でのボールの支配率が、結果を左右する。”. J's GOAL (2006年3月17日). 2015年9月21日閲覧。
  8. ^ 【J2:第3節 鳥栖 vs 神戸 レポート】組織力と連携の差が、そのままの結果となった鳥栖対神戸の一戦。今季、初ゴールが生まれるも良いところなく敗れ去った鳥栖。”. J's GOAL (2006年3月18日). 2015年9月21日閲覧。
  9. ^ 日高拓磨選手の負傷について”. J's GOAL (2007年2月24日). 2015年9月21日閲覧。
  10. ^ a b 【J2:第12節 鳥栖 vs 東京V レポート】90分間、集中力を切らさずに死闘を演じた鳥栖と東京V。勝負へのこだわりが上回った鳥栖が勝ち点3をつかむ。”. J's GOAL (2007年4月29日). 2015年9月21日閲覧。
  11. ^ 【J2:第13節 山形 vs 鳥栖 プレビュー】前節の快勝にも気を引き締めて臨む山形、前節の手応えを連勝につなげたい鳥栖。メンタルの強さが大きなウエイトを占める一戦!”. J's GOAL (2007年5月2日). 2015年9月21日閲覧。
  12. ^ 【J2:第34節 鳥栖 vs 東京V プレビュー】 「ゼロに抑えれば負けることは無い」と守備の意識を高く持つ鳥栖が、10試合連続得点中の東京Vをホームで迎え撃つ。”. J's GOAL (2007年8月16日). 2015年9月21日閲覧。
  13. ^ 【J2:第34節 鳥栖 vs 東京V レポート】「狙いどおり」と振り返った岸野監督はしてやったり。「打つ手は打ったけど・・・」とラモス監督は言葉少なめに。鳥栖の術中にはまった東京V。”. J's GOAL (2007年8月17日). 2015年9月21日閲覧。
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外部リンク

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