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|監督=[[ヘンリー・キング]] |
|監督=[[ヘンリー・キング]] |
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|脚本=バーン・レイ・Jr<br />サイ・バートレット<br />ヘンリー・キング(クレジット無し<ref>{{cite web|title=Twelve O'Clock High (1949) - Full cast and crew|publisher=[[インターネット・ムービー・データベース|IMDb]]|accessdate=2011-04-21|url= http://www.imdb.com/title/tt0041996/fullcredits}}</ref>) |
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|原作=[[バーン・レイ・Jr]]<br />[[サイ・バートレット]] |
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|製作=[[ダリル・F・ザナック]] |
|製作=[[ダリル・F・ザナック]] |
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|原作={{based on|''Twelve O'Clock High''<br>(1948年出版)| {{仮リンク| バーン・レイ・Jr|en|Beirne Lay, Jr.}}<br />{{仮リンク|サイ・バートレット|en|Sy Bartlett}}}} |
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|脚本=ヘンリー・キング(クレジット無し)<br />サイ・バートレット<br/>バーン・レイ・Jr |
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|製作総指揮= |
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|出演者=[[グレゴリー・ペック]]<br />[[ヒュー・マーロウ]]<br />[[ゲイリー・メリル]]<br />[[ミラード・ミッチェル]]<br />[[ディーン・ジャガー]] |
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|音楽=[[アルフレッド・ニューマン]] |
|音楽=[[アルフレッド・ニューマン]] |
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|主題歌= |
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|撮影=[[レオン・シャムロイ]] |
|撮影=[[レオン・シャムロイ]] |
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|編集=[[バーバラ・マクリーン]] |
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|編集={{仮リンク|バーバラ・マクリーン|en|Barbara McLean}} |
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|製作会社= |
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|配給=[[20世紀フォックス]] |
|配給=[[20世紀フォックス]] |
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|公開={{Flagicon|USA}} [[1949年]][[12月21日]]<br />{{Flagicon|JPN}} [[1950年]][[11月14日]] |
|公開={{Flagicon|USA}} [[1949年]][[12月21日]]<br />{{Flagicon|JPN}} [[1950年]][[11月14日]] |
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|上映時間= |
|上映時間=132分 |
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|製作国={{USA}} |
|製作国={{USA}} |
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|言語=[[英語]] |
|言語=[[英語]] |
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|製作費= |
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|興行収入=$3,225,000 (アメリカ国内のみ)<ref>"The Top Box Office Hits of 1950." ''Variety'', January 3, 1951.</ref> |
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|前作= |
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『'''頭上の敵機'''』(''Twelve O'Clock High'')は、[[ヘンリー・キング]]監督による1949年の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ]]の[[戦争映画]]である。なお、"Twelve O'Clock High"とは、時計盤を水平に置いて「前方(12時の方向)上方に敵機」の意であり、12時の方向を「頭上」としたのは誤訳である。 |
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『'''頭上の敵機'''』(''Twelve O'Clock High'')は、 [[ヘンリー・キング]]監督による、1949年の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ]]の[[戦争映画]]である。アメリカの[[第二次世界大戦]] 参戦初期に[[ナチス・ドイツ]]及びナチス・ドイツ占領下のフランスに白昼爆撃を敢行した[[アメリカ陸軍]][[ 第8空軍 (アメリカ軍)|第8空軍]]の兵士を描いたこの映画は1948年の{{仮リンク|サイ・バートレット|en|Sy Bartlett}}、[[ヘンリー・キング]]作の同名の小説をサイ・バートレット、ヘンリー・キング(クレジット無し)、{{仮リンク| バーン・レイ・Jr|en|Beirne Lay, Jr.}}が脚本し、ヘンリー・キング監督、[[グレゴリー・ペック]]、 [[ヒュー・マーロウ]]、[[ゲイリー・メリル]]、[[ミラード・ミッチェル]]、[[ディーン・ジャガー]]らの出演で映画化された。 |
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== あらすじ == |
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1949年、英国・ロンドン。米国人旅行者・ストーヴァルは、とある店先で古いトビー・ジョッキ(老人の顔を象った陶器製のビアジョッキ)を見つける。それは、第二次大戦中、彼が勤務していたアーチベリーの第918爆撃航空群で搭乗員達に出撃を報せる為に使われていた物だった。数年ぶりにアーチベリーを訪れた彼の脳裏に、戦時中の思い出が去来する。 |
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『頭上の敵機』は[[アカデミー賞]]に4部門にノミネートされ、ディーン・ジャガーが[[アカデミー助演男優賞|助演男優賞]]を、[[トーマス・T・モールトン]]が[[アカデミー録音賞|音響賞]]を受賞している<ref name="Oscars1950">{{cite web|url=http://www.oscars.org/awards/academyawards/legacy/ceremony/22nd-winners.html|title="The 22nd Academy Awards (1950) Nominees and Winners."] ''oscars.org.''|accessdate=2011-08-18}}</ref>。[[1998年]]に[[アメリカ議会図書館]][[アメリカ国立フィルム登録簿]]に文化的、歴史的、芸術的に顕著な作品として登録されている。 |
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==あらすじ== |
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[[File:B-17F.jpg|thumb|250px|B-17爆撃機]] |
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[[1949年]]、[[イギリス]]で休暇中のアメリカの弁護士でもと[[アメリカ陸軍航空軍]]のハーヴィ・ストーヴァル(ディーン・ジャガー)は、ある[[骨董品店]]のショーウインドウにみなれたトビー・ジョッキ(老人の顔を象った陶器製のビアジョッキ)を見つける。ストーヴァルは店主からそのトビー・ジョッキがイギリス空軍とアメリカ陸軍航空軍の飛行場がかつてあり、ストーヴァルが第2次世界大戦中に第918航空群の一員として勤務したアーチベリーで手に入れられたものであることを知る。そのジョッキはストーヴァルのよく知るものそのものだった。ストーヴァルはそのジョッキを買い求め、列車と自転車で滑走路、誘導路、管制塔、事務所を残したまま今は牧草地として利用されているアーチベリー飛行場跡へと向かった。ストーヴァルがアーチベリー時代を思い出しながら、時間は[[1942年]]にさかのぼり、映画は本編に入る。 |
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第918航空群はアメリカ本国からイギリスに移駐してアメリカ軍の白昼爆撃に投入された。ドイツの対空砲火と[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]戦闘機による被害が甚大となったことにより士気が低下、目標破壊失敗も相次いだことから、「不運な航空群」との評判をとるようになっていた。第918航空群の航空司令キース・ダヴェンポート大佐(ゲイリー・メリル)は指揮下の兵士たちと親密になるあまり、航空群内の士気を向上させる手が取れないでいた。爆撃精度向上のため低空での作戦が命令されたとき、その危険性の高さからダヴェンポート大佐は司令部に駆け込み、彼の旧友でもあるフランク・サヴェージ准将(グレゴリー・ペック)と作戦方針について対立する場面もあった。ダヴェンポート大佐のこの様な行動を見たサヴェージ准将は、[[第8空軍 (アメリカ軍)|第8空軍]]司令官パトリック・プリチャード少将(ミラード・ミッチェル)の部屋を訪ね、ダヴェンポート大佐が航空司令として不適格であると進言する。プリチャード少将はサヴェージ准将の進言を容れ、ダヴェンポート大佐を解任、第918航空群の航空司令にサヴェージ准将を据えた。 |
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規律維持のためサヴェージ准将は指揮下の全員に対して厳しく臨み、指揮下兵士から嫌われるようになったうえ、サヴェージ准将の厳格なリーダーシップに驚いた第918群の操縦士全員が異動願を出す事態となる。サヴェージ准将は航空群の[[副官]]であるストーヴァル少佐に時間稼ぎのために異動願の処理を遅らせるよう頼み、ストーヴァル少佐は「お役所仕事」は時間がかかるもの、と応じる。厳しい再訓練のあと第918航空群は戦列に復帰したが、サヴェージ准将自らが[[B-17 (航空機)|B-17爆撃機]]に搭乗して出撃、他の航空群が悪天候による帰還命令に従って帰還する中、無線機の故障により第918航空群が単独で爆撃、1機も失うことなく目標の破壊に成功した後、指揮下兵士のサヴェージ准将に対する態度に変化が見られるようになった。 |
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無線機の故障を口実に帰還命令を無視したことをプリチャード少将がサヴェージ准将に詰問したが、サヴェージ准将はそれに屈することなく、単独で目標を破壊した戦果でプリチャード少将に第918航空群を表彰するよう求めた。監察官が第918航空群の異動願滞留などの問題を確認するため到着した際、サヴェージ准将は解任を覚悟して荷づくりを行っていたが、兵士全員が異動願を取り下げ、サヴェージ准将は現職にとどまることになった。隊員とともに作戦に参加するうち、かつてダヴェンポート大佐がサヴェージ准将を訪ねた際に忠告した通り、サヴェージの兵士に対する態度も軟化していった。第918航空群のバーの暖炉にはあのトビー・ジョッキがあった。 |
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航空戦がドイツ深部に及ぶにつれ、ドイツ軍の迎撃も厳しくなり、作戦行動距離が延びたことと併せて白昼爆撃のリスクも増大していた。サヴェージ准将配下のコッブ少佐、ビショップ中尉を含む優秀な搭乗員たちが失われていった。プリチャード少将は第8空軍本部にサヴェージ准将を戻すよう画策したが、サヴェージ准将は第918航空群がサヴェージ准将抜きでは成り立たないことを理由に異動に応じず、プリチャード少将も渋々サヴェージ准将の意見を容れざるを得なかった。 |
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しかし、最も危険な作戦の出撃直前、B-17に乗り込もうとした時にサヴェージ准将は突然心身が不安定となり、B-17に搭乗するために体を引き上げることが出来なくなったため、サヴェージ准将抜きで第918航空群は作戦に参加して行った。航空群が帰還するのを待つ間にサヴェージ准将は[[統合失調症|カタトニー]]とみられる状態になったが、第918航空群が目標を破壊し、比較的軽微な損害で帰還したとき、サヴェージ准将は落ち着きを取り戻し、親友であり、かつて第918航空群率いたダヴェンポート大佐の見守る中、眠りに落ちていった。 |
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物語はここで1949年のストーヴァルにもどる。ストーヴァルは買い求めたトビー・ジョッキをもとあった第918航空群のバーの暖炉の上に置き、アーチベリーをあとにした。 |
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==キャスト== |
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[[File:Gregory Peck in Gentleman's Agreement trailer closeup.jpg|thumb|150px|グレゴリー・ペック]] |
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エンドロールに表示されたキャストは以下の通り<ref name="credits">{{cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0041996/fullcredits |title="Twelve O'Clock High Full credits."|publisher=''IMDb''|accessdate=2009-10-21}} </ref>。括弧内はテレビ朝日版の日本語吹き替え版声優をしめす。 |
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* フランク・サヴェージ准将(第918航空群航空司令)- [[グレゴリー・ペック]] ([[城達也]]) |
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* ベン・ゲートリー中佐(第918航空群先任将校)- [[ヒュー・マーロウ]] ([[家弓家正]]) |
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* キース・ダヴェンポート大佐(前第918航空群航空司令) - [[ゲイリー・メリル]] ([[小林修 (声優)|小林修]]) |
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* パット・プリチャード少将(第8空軍司令) – [[ミラード・ミッチェル]]([[久松保夫]]) |
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* ハーヴィ・ストーヴァル少佐(第918航空群司令副官) - [[ディーン・ジャガー]] ([[宮川洋一]]) |
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* マクレニー軍曹(第918航空群司令部付下士官) - {{仮リンク|ロバート・アーサー|en|Robert Arthur (actor)}} |
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* カイザー大尉(第918航空群軍医) - {{仮リンク|ポール・スチュワート (俳優)|en|Paul Stewart (actor)}}([[村瀬正彦]]) |
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* ジョー・コッブ少佐(第918航空群航空隊長)‐{{仮リンク|ジョン・ケロッグ|en|John Kellogg (actor)}} ([[大塚周夫]]) |
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* ジェセ・ビショップ中尉(第918航空群航空機長) – ロバート・パットン([[井上真樹夫]]) |
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* ジマーマン中尉(第918航空群航空航法士) – リー・マグレゴール |
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* バードウェル中尉(第918航空群兵士) – {{仮リンク|サム・エドワーズ|en|Sam Edwards}} |
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* 査問官 – ロジャー・アンダーソン |
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* トワンプリ―大尉(第918航空群従軍牧師) - {{仮リンク|ローレンス・ドブキン|en|Lawrence Dobkin}}(クレジット無し) |
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* ケラー軍曹(第918航空群守衛) - {{仮リンク|ケーニス・トビー|en|Kenneth Tobey}}(クレジット無し) |
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* 爆撃手 – ポール・ピセルニ(クレジット無し) |
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* 無線士 – ヘンリー・ローター(クレジット無し) |
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* ホーホー候(ドイツのプロパガンダ放送) - バーリー・ジョーンズ(声のみ、クレジット無し) |
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* 第918航空群病院の患者 – {{仮リンク|ドン・ゴードン|en|Don Gordon (actor)}} (クレジット無し) |
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* マケッソン中尉(第918航空群兵士) - [[リチャード・アンダーソン (俳優)|リチャード・アンダーソン]] (クレジット無し) |
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==実在の人物・場所との対比== |
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'''フランク・サヴェージ准将'''(グレゴリー・ペック)は複数の航空群司令をモデルにしているが、映画中の第918航空群のモデルとなった第306航空群の司令官だったフランク・A・アームストロング大佐が最も近い存在とされている.<ref name=Osprey>{{cite web|author=Bowman, Martin|url=http://www.ospreypublishing.com/articles/world_war_2/12_oclock_high/|title= "12 O'Clock High."|publisher=''Osprey Publishing,''|accessdate=2014-05-25}}</ref>。"サヴェージ"の姓はアームストロング大佐が[[チェロキー]]系であることに由来したとされる。アームストロング大佐は第306航空群に赴任する前、第97航空群でも同様に再訓練と規律徹底の任務を担当しており、『頭上の敵機』の多くのシーンはこの第97航空群でのアームストロング大佐の体験によるものとされている。 アームストロング大佐の第306航空群での任期は6週間だった。 |
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映画の後半で、サヴェージ准将がカタロニーに近い[[戦闘ストレス反応]]に陥ったのは、ニュートン・ロングフェロー准将に起こった実話による<ref name=Osprey />が、精神崩壊に近い状態になったのは実際の症例と反し、多くの航空兵がさいなまれた過度のストレスを表現したものである。 |
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'''プリチャード少将''' (ミラード・ミッチェル)は第8空軍の初代司令、[[アイラ・エーカー]]をモデルにしている<ref name=AFMag/>。 |
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'''キース・ダヴェンポート大佐''' (ゲイリー・メリル)はチップというあだ名で呼ばれた第306航空群の初代司令、チャールズ・B・オーヴァラッカー大佐をもとにしている<ref name=AFMag/>。『頭上の敵機』で描かれたダヴェンポート大佐の人間性はオーヴァラッカー大佐のものと酷似している。映画の冒頭で、ダヴェンポート大佐がサヴェージ准将に抗弁し、解任されたシーンもオーヴァラッカーの実話に基づくものである。 |
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[[第一次世界大戦]]に陸軍の飛行機パイロットとして従軍し、地上職の副官として復職した'''ハーヴィ・ストーヴァル中佐'''(ディーン・ジャガー)は第一次大戦の[[エース・パイロット|撃墜王]]で、[[真珠湾攻撃]]の翌週に陸軍航空軍中佐として復職し、イギリス駐留の第8空軍の人事部次長となった{{仮リンク|ウィリアム・ホワード・ストーヴァル|en|William Howard Stovall}}をモデルにしている。第8空軍ではストーヴァルは第一次大戦の戦友、[[カール・スパーツ]]将軍らと共に勤務している。 |
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映画冒頭でB-17を胴体着陸させ、[[名誉勲章]]を受けた'''ジョセ・ビショップ中尉''' (ロバート・パットン)はジョン・C・モーガン中尉をモデルとした<ref name=AFMag/>。ビショップ中尉が頭部に20 mm機銃の破片を受けた操縦士の代わりに爆撃機を操縦したエピソードはモーガン中尉が名誉勲章を受章した実話とほぼ同じである。ロバート・パットンは第二次世界大戦に陸軍航空軍の航法士として従軍しており、『頭上の敵機』出演者中唯一搭乗員としての経験をもつ。 |
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'''マクレニー軍曹'''(ロバート・アーサー)は第306航空群に所属していた正規の射撃手で、時折司令官の運転手を務めていたドナルド・ビーヴァン軍曹がモデルである<ref name=AFMag>{{cite web|author=Correll, John T.|url=http://www.airforce-magazine.com/MagazineArchive/Pages/2011/January%202011/0111high.aspx |title=The Real Twelve O’Clock High.|publisher=''The Air Force Association'' via ''airforce-magazine.com,'' Volume 94, Issue 1, January 2011|accessdate=2014-05-25}}</ref>。ビーヴァン軍曹は作品中のマクレニー軍曹同様飛行機に忍び込んで射撃を行ったことで有名であるが、ビーヴァンの場合は軍からの正規の要請で爆撃機に搭乗したこともある。マクレニー軍曹同様、ビーヴァン軍曹も射撃の名手だった。 |
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硬骨漢'''ジョー・コッブ少佐'''(ジョン・ケロッグ)はアームストロング大佐と共にB-17で戦った[[ポール・ティベッツ]]大佐に想を得ている<ref name=AFMag/>{{#tag:ref|テイベッツは広島に原爆を投下したB-29[[エノラ・ゲイ]]の操縦士である。|group=N}}。ティベッツは1949年に『頭上の敵機』の技術アドバイザーとなったが、すぐに第305航空群の元司令官ジョン・H・デラッシー大佐に交代している<ref name="Duffin & Matheis-1">Duffin and Matheis 2005, p. 61.</ref>。 |
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作品中に描かれた航法図により、'''アーチベリー'''は作品中の第918航空群のモデルとなった第306航空群が駐留したスーライフ基地ではなく、[[アリスバーリー]]近郊であることが分かる。 |
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==製作== |
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20世紀フォックスの資料によると、『頭上の敵機』の映画化権利のため20世紀フォックスは$100,000を、さらに追加で最大$100,000を「ブッククラブ条項」のために支払ったとされている。20世紀フォックスの映画プロデューサー[[ダリル・F・ザナック]]は、[[ウィリアム・ワイラー]]監督が[[パラマウント映画]]での映画化のため、『頭上の敵機』に興味をもっていることを知り、この高額な権利を買うことを決断している。もっとも、ザナックは[[1947年]]に[[アメリカ空軍]]が撮影に協力する確信を得た時点で最終的な判断をしている<ref name=tcmnotes/>。『頭上の敵機』ではドイツ側で撮影されたものを含む実際の戦闘中の映像が使用されている<ref name=tcmnotes>{{cite web|url=http://www.tcm.com/tcmdb/title.jsp?stid=94088&category=Notes|title=Notes: Twelve O'Clock High.|publisher=Turner Classic Movies|accessdate=2009-10-21}}</ref>。『頭上の敵機』の多くの部分は{{仮リンク|エグリン空軍基地|en|Eglin Air Force Base}}およびフロリダ州フォート・ワートン・ビーチで撮影された<ref>{{cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0041996/locations|title=Filming locations: Twelve O'Clock High|publisher=IMDb|accessdate=2009-10-21}}</ref>。 |
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脚本を担当したサイ・バートレットとバーン・レイ・Jrは自身の第8空軍での経験を映画に活用している。第8空軍司令部でバートレットはサヴェージ准将のモデルとなったアームストロング大佐のそばで勤務した経験をもつ。映画中の第918航空群は、欧州戦線で長く第8空軍の主力を務めた第306航空群をモデルにしている{{#tag:ref|306×3は918である。|group=N}}。 |
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重爆撃機作戦に従事した元兵士たちは『頭上の敵機』は、実戦を忠実に再現した唯一のハリウッド映画である、とコメントしている<ref>Duffin and Matheis 2005, p. 87.</ref>。1948年の映画『{{仮リンク|戦略爆撃指令|en|Command Decision (film)}}』と併せ、『頭上の敵機』は勧善懲悪的、楽観的な戦争映画の枠を外れ、戦争によって失われる人命と向き合う迫真のリアリティを追ったターニングポイントとされる。 この二つの映画は[[P-51 (航空機)|P-51]]の様な航続距離の長い戦闘機が出現する以前、第二次大戦参戦直後の陸軍航空軍の[[戦闘教義|戦闘ドクトリン]]に従い、護衛戦闘機なしで白昼爆撃を行った部隊を描いている。サイ・バートレットとバーン・レイ・Jrのアメリカ空軍を舞台にした1950年代の『{{仮リンク|ロケット・パイロット|en|A Gathering of Eagles}}』、[[冷戦]]時代の''{{仮リンク|Toward the Unknown|EN|Toward the Unknown}}''は『頭上の敵機』の筋書きをなぞった映画とされている。 |
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映画の前半で登場するB-17を[[胴体着陸]]させるシーンのため、ハリウッドの有名なスタントパイロットだった[[ポール・マンツ]]には前代未聞の$4,500の出演料が払われた<ref>{{cite web|url=http://www.tcm.com/tcmdb/title.jsp?stid=94088&category=Trivia|title=Trivia: Twelve O'Clock High|publisher=Turner Classic Movies|accessdate=2009-10-21}}</ref>。マンツとトールマンツ航空を経営していた{{仮リンク|フランク・トールマン|en|Frank Tallman}}は、自叙伝のなかでB-17を1人で着陸させた例は多々あるが、他の搭乗員なしで、1人で離陸させた例は他にはなく、出来るかも分らなかった、と述べている{{#tag:ref|このトールマンの主張は映画撮影中に20世紀フォックスが発表した内容とも、ダフィンとマーセイスが''The 12 O'Clock High Logbook''執筆用に行った調査とも矛盾する。 1961年にグレゴリー・ボードがB-17の単独飛行を行ったと''Everything But the Flak''の"The Amazing Mr. Board"章ででマーチン・カイディンが記している<ref>{{cite web|url=http://www.imdb.com/name/nm1074742/|title=Gregory Board|publisher ='IMDb|accessdate=2013-05-09}}</ref>ほか、1947年にアート・ラセイがB-17を単独で飛ばしたとされているが、後者の事例は、ラセイがB-17を破損した際に天候によるもの、と記録されたためにあまり有名ではない。<ref>{{cite web|author=Cheesman. Shannon|url=http://www.kval.com/news/local/96338604.html|title=Boast + adult beverages = a B-17 on the roof.|publisher=KVAL.com|date=2010-06-16|accessdate=2012-02-05}}</ref>|group=N}}。 この胴体着陸のシーンは1962年の映画『{{仮リンク|戦う翼|en|The War Lover}}』でも使用されている<ref>{{cite web|url=http://www.aerovintage.com/warlover.htm|title=The War Lover (1962)| publisher=aerovintage.com|date=2007-10-28|accessdate=2012-12-15}} </ref>。 |
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イギリス空軍アーチベリー基地の爆撃機用飛行場のロケ地はキング監督自身が自ら所有する飛行機で1949年2月から3月にかけて約16,000マイル(25,600 km)を飛行して探しだしたものである。キング監督は1949年3月8日にエグリン空軍基地を訪ね、{{仮リンク|デューク・フィールド|en|Duke Field}}の名で知られるエグリン基地本体から数マイル北にある第3予備地が主要な撮影地と決定している。ここには管制塔を含む15棟の建物がアーチベリー飛行場を模すために作られた<ref name=AFMag/><ref name="airfield">Orriss 1984, p. 149.</ref>。[[アラバマ州]]マクセル空軍基地に勤務していた『頭上の敵機』のテクニカルアドバザーであるジョン・デラッシー大佐はアラバマ州デールヴィル近郊のオザーク飛行場をロケ地として推し<ref name="airfield"/>、キング監督はエグリン基地の明るく塗装された滑走路が戦時下に敵機から発見されにくいよう黒く塗装された戦時下のイギリスの滑走路としてふさわしくないことから、オザークを、胴体着陸を含むB-17の離陸・着陸の撮影に使用した。撮影隊がオザークに到着した際、草生したオザーク基地がハーヴィ・ストーヴァルの第二次世界大戦中を思い出すシーンにふさわしいとされ、このシーンの撮影にも使われた<ref name=AFMag/><ref>Duffin and Matheis 2005, pp. 65–67.</ref>。 |
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イギリス・[[オックスフォードシャー]]にあるイギリス空軍バーフォード・セント・ジョン基地でも一部の背景の撮影が行われたほか、エグリン基地やフォート・ワートン・ビーチでもロケが行われている<ref>{{cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0041996/locations |title=Locations: Twelve O'Clock High (1949)|publisher= IMDb|accessdate=2009-10-21}}</ref>。撮影には、エグリン基地にあったQB-17標的機を改造したもの、アラバマやニューメキシコで保管されていたものから12機のB-17が使用された。この中には1946年の[[ビキニ環礁]]の核実験に使用され、高レベルの放射線を発する機体があり、これら機体の撮影への使用は最低限とされた<ref name=AFMag/>。 |
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『頭上の敵機』は1949年4月から7月にかけて撮影された<ref>{{cite web|url=http://www.tcm.com/tcmdb/title.jsp?stid=94088|title=Overview: Twelve O'Clock High|publisher=Turner Classic Movies| accessdate=2009-10-21}}</ref>。カラーで撮影することが計画されていたが、連合軍とドイツ空軍が実戦中に撮影したフィルムを違和感なく入れ込むため、全編が白黒撮影とされた<ref name=tcmnotes/>。 |
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==評価== |
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『頭上の敵機』はロスアンゼルスで1949年12月21日から、次いでニューヨークで翌年1月26日から上映され<ref>{{cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0041996/releaseinfo|title=Release dates: Twelve O'Clock High (1949).|publisher=IMDb|accessdate=2009-10-21}}</ref>、同年2月から全米で公開された<ref>{{cite web|url=http://www.tcm.com/tcmdb/title.jsp?stid=94088&category=Misc%20Notes|title=Misc. notes: Twelve O'Clock High|publisher='Turner Classic Movies'|accessdate=2009-10-21}}</ref>。{{仮リンク|ボスレイ・クローサー|en|Bosley Crowther}}が[[ニューヨーク・タイムズ]]に寄稿した映画評がこの時代のこの映画の評価をよくあらわしているものとされる。クローサーは飛行機や機械ではなく人間に主眼を置いた映画である、と記している<ref>{{cite web|author=Crowther, Bosley| url=http://movies.nytimes.com/movie/review?res=9E05E3DF173DE03BBC4051DFB766838B649EDE|title=Twelve O'Clock High (1949)|publisher=The New York Times|date=1950-01-28|accessdate=2011-03-01}}</ref>。[[タイムズ]]は『頭上の敵機』を1949年の映画十傑に選出し、後年すべての映画の千傑に選出している<ref name=amgawards>{{cite web|url=http://www.allmovie.com/cg/avg.dll?p=avg&sql=1:51292~T4|title=Awards|publisher=Allmovie|accessdate=2009-10-21}}</ref>。 |
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プレミア試写会に参加した後、[[戦略航空軍団]]の[[カーチス・ルメイ]][[将軍]]は、観客に対して、この映画には完ぺきだ、と述べている。アメリカのあらゆる{{仮リンク|SL理論|en|Situational leadership theory}}を採用する高級軍人養成学校で『頭上の敵機』を観ることが求められた。この映画は、軍事部門、民間部門の双方でリーダーシップの基本を教える教材として利用されている<ref>{{cite web|author=Correll, John T. |url=http://www.airforcemag.com/MagazineArchive/Pages/2011/January%202011/0111high.aspx|title=The Real Twelve O’Clock High|publisher=Air Force Magazine, Vol. 94, No. 1, January 2011|accessdate=2014-02-07}}</ref>。 |
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『頭上の敵機』のアメリカでの興行収入は$3,225,000だった<ref>{{cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0041996/business|publisher=Business data|title=Twelve O'Clock High (1949)|publisher=IMDb|accessdate=2009-10-21 }}</ref> |
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日本での公開は[[1950年]]([[昭和]]25年)11月14日である<ref>{{cite web|url=http://eiga.com/movie/45852/|title=頭上の敵機|publisher=映画.com|accessdate=2014-05-27}}</ref>。 |
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==受賞== |
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『頭上の敵機』は[[アカデミー助演男優賞]](ディーン・ジャガー)、[[アカデミー録音賞]]を受賞しているほか、[[アカデミー作品賞]]、[[アカデミー主演男優賞]](グレゴリー・ペック)がノミネートされた<ref name="Oscars1950" />。[[第16回ニューヨーク映画批評家協会賞]]ではグレゴリー・ペックが[[ニューヨーク映画批評家協会賞 主演男優賞|主演男優賞]]を受賞、[[ナショナル・ボード・オブ・レビュー]]映画賞の候補にもなった<ref name=amgawards/>。 |
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[[1998年]]に『頭上の敵機』は[[アメリカ議会図書館]][[アメリカ国立フィルム登録簿]]に文化的、歴史的、芸術的に顕著な作品として登録されている<ref>{{cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0041996/awards|title=Awards: Twelve O'Clock High (1949)|publisher=IMDb|accessdate=2009-10-21}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.loc.gov/loc/lcib/9812/film.html|title=Hooray for Hollywood - Librarian Names 25 More Films to National Registry|publisher=Library of Congress|accessdate=2014-05-28}}</ref>。 |
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[[アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100]]にはフランク・サヴェージ准将が候補として選ばれている。 |
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1942年。駐英米陸軍航空隊・第918爆撃航空群は、連日の出撃で多大の損害を出していた。温情家の指揮官・ダベンポート大佐は部下たちから慕われていたが、その温情が仇となっている事を統括司令官・プリチャード少将から指摘され、解任される。代わって赴任して来たのはプリチャードの懐刀でダベンポートと旧知の仲でもあるフランク・サベージ准将だった。サベージは徹底的に人事を刷新、容赦なく賞罰をあかし、連日の猛訓練を全員に課した。そのやり方に搭乗員たちの間に不満がわき興ったが、訓練の成果により戦果が上がり始め、戦死者の数も激減する。副官のストーヴァル少佐や前任者ダベンポートたちのサポートもあり、部下たちは徐々にサベージに信頼をおくようになっていった。だが連日の出撃と激戦により自分の後を託すべき指揮官候補たちを次々に失い、サベージは肉体的・精神的に疲労の極限に追い込まれていった・・・ |
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==題名の由来== |
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戦後のアーチベリー飛行場。今は草むしたかつての滑走路に、万感の思いで佇むストーヴァルの姿があった。 |
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{{See also|方位}} |
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英語の原題"twelve o'clock high"は自身を時計の中心においたとき、時計の数字で敵機がいる方向を示す言葉である。"high"は自身より上方、"level"は自身と同高度、"low"は自身より下方に敵機がいることを表しているので、"twelve o'clock high"は12時の方向上方から、つまり前方上方から敵機が接近していることを表している{{#tag:ref|"Twelve o'clock high"は直訳すれば前方上方であり、邦題『頭上の敵機』は誤訳との説もあるが、映画中に"Three o'clock"、"Twelve o'clock high"、"Twelve o'clock level"などのセリフが空中戦シーンであり、[[GHQ]]の外郭団体である[[セントラル映画社]]が日本での配給元であること、このような用語に無理解な人物が翻訳者に選ばれたとは考え難く、邦題が訳者1人の意向で決められるとも考えられないことから、セントラル映画社が意図をもってこの邦題を付けたとみるのが自然であろう。|group=N}}。初期型のB-17では機首が弱点とされていたため、ドイツ空軍の戦闘機はこの位置からB-17を攻撃することが多かった。上方から急降下してくる敵戦闘機は相対速度の速さもあって難敵であった。 |
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原作者の1人であるサイ・バートレットの妻で女優の{{仮リンク|エレン・ドル―|en|Ellen Drew}}が、バーン・レイ・Jrとバートレットが"twelve o'clock high"から攻撃してくるドイツ戦闘機の戦術について議論しているのを聞いて、この題名を決めたとされている。 |
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== キャスト == |
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! 役名 |
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! 俳優 |
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! 日本語吹替 |
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| フランク・サベージ准将(第918爆撃航空群基地司令) || [[グレゴリー・ペック]] || [[城達也]] |
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| キース・ダベンポート大佐(〃前任司令) || [[ゲイリー・メリル]] || [[小林修 (声優)|小林修]] |
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| ハーヴィ・ストーバル少佐(〃司令副官) || [[ディーン・ジャガー]] || [[宮川洋一]] |
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| ベン・ゲートリー中佐(〃先任将校) || [[ヒュー・マーロウ]] || [[家弓家正]] |
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| ジョー・コッブ中佐(〃飛行隊長) || [[ジョン・ケロッグ]] || [[大塚周夫]] |
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| ビショップ中尉(〃飛行隊長) || [[ボブ・パットン]] || [[井上真樹夫]] |
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| カイザー大尉(〃軍医) || [[ポール・スチュワート (俳優)|ポール・スチュワート]] || [[村瀬正彦]] |
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| トワンプリー大尉(〃従軍牧師) || [[ローレンス・ドブキン]] || |
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| マクレニー“ヘニー”軍曹(〃司令部付下士官) || [[ロバート・アーサー]] || |
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| パット・プリチャード少将(駐英米航空群統括司令) || [[ミラード・ミッチェル]] || [[久松保夫]] |
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| || [[リチャード・アンダーソン (俳優)|リチャード・アンダーソン]] || |
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==ラジオ番組及びテレビ番組== |
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== 評価 == |
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グレゴリー・ペックは1950年9月7日に放送されたラジオ番組で、サヴェージ准将役を再演している<ref name=tcmnotes />。『頭上の敵機』は同名のテレビ番組として[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]系で1964年に全米に放送され、3シリーズが作られた。{{仮リンク|ロバート・ランシング<!-- [[:en:Robert Lansing]] とリンク -->|en|Robert Lansing (actor)}}がサヴェージ准将を演じたが、第1シリーズが終わったところで{{仮リンク|ポール・バーク|en|Paul Burke (actor)}}演じる、原作中のベン・ゲートリーをモデルにしたジョー・ギャラガー大佐が主役に交代している<ref>Duffin and Matheis</ref>。テレビシリーズの戦闘シーンの大半は映画で使われたものの再利用である。日本では第1シリーズがテレビ朝日系で、第2、第3シリーズがフジテレビ系で『爆撃指令』と名を変えて放映されている<ref>{{cite web|url= http://teleplay.seesaa.net/article/1288304.html|title=番組ガイド:「頭上の敵機」「爆撃命令」|publisher=【海外ドラマ番組ガイド☆テレプレイ】|accessdate=2014-05-28}}</ref>。 |
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1998年に[[アメリカ国立フィルム登録簿]]に登録された<ref>{{cite web|title=アメリカ国立フィルム登録簿 1988年|publisher=[[allcinema]]|accessdate=2011-04-21|url= http://www.allcinema.net/prog/awardmain.php?num_a=1310}}</ref>。 |
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=== 映画賞受賞・ノミネート === |
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! 賞 |
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! 部門 |
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! 候補 |
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! 結果 |
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| rowspan="4"| [[第22回アカデミー賞|アカデミー賞]] |
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| [[アカデミー作品賞|作品賞]] |
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| rowspan="2" {{nom}} |
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| [[アカデミー主演男優賞|主演男優賞]] |
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| グレゴリー・ペック |
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| [[アカデミー助演男優賞|助演男優賞]] |
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| ディーン・ジャガー |
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| rowspan="2" {{Won}} |
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| [[アカデミー録音賞|録音賞]] |
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| [[20世紀フォックス|20世紀フォックス・サウンド部]] |
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| rowspan="1" | [[第16回ニューヨーク映画批評家協会賞|ニューヨーク映画批評家協会賞]]<ref>{{cite web|title=1950 Awards|publisher=[[ニューヨーク映画批評家協会賞|NYFCC]]|accessdate=2011-04-21|url= http://www.nyfcc.com/awards/?awardyear=1950}}</ref> |
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| [[ニューヨーク映画批評家協会賞 主演男優賞|男優賞]] |
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| グレゴリー・ペック |
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| rowspan="1" {{Won}} |
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テレビシリーズの地上シーンの多くは第二次世界大戦中アメリカ陸軍パイロットの訓練用に使用されていた[[カリフォルニア州]]{{仮リンク|チーノ (カリフォルニア州)|en|Chino, California|label=チーノ}}の飛行場で行われ、イギリス駐留の第8空軍の典型的な管制塔や建物を模したセットが作られた。 |
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== テレビシリーズ == |
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この飛行場は、終戦後スクラップにされるのをまつ戦闘機や爆撃機の保管場所として用いられ、映画『我等の生涯の最良の年』でダナ・アンドリューが戦争時代を回想するシーンに使われた<ref>Orriss 1984, p. 122.</ref>。 |
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1964年より同題のテレビシリーズが放送された。 |
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{{main|:en:Twelve O'Clock High (TV series)}} |
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== |
==脚注== |
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===注釈=== |
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{{Reflist|group=N}} |
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===出典=== |
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{{Reflist|30em}} |
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===参考文献=== |
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{{Refbegin}} |
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* Army Air Forces Aid Society. ''The Official Guide to the Army Air Forces''. New York: Simon and Schuster, 1944. |
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* Caidin, Martin. ''Black Thursday''. New York: E.P. Dutton & Co., Inc., 1960. ISBN 0-553-26729-9. |
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* Caidin, Martin. ''Everything But the Flak''. New York: Duell, Sloan and Pearce, 1964 |
|||
* Caidin, Martin. ''Flying Forts: The B-17 in World War II''. New York: Meredith Press, 1968 |
|||
* Dolan, Edward F. Jr. ''Hollywood Goes to War''. London: Bison Books, 1985. ISBN 0-86124-229-7. |
|||
* Duffin, Allan T. and Paul Matheis. ''The 12 O'Clock High Logbook''. Albany, Georgia: Bearmanor Media, 2005. ISBN 1-59393-033-X. |
|||
* Hardwick, Jack and Ed Schnepf. "A Viewer's Guide to Aviation Movies." ''The Making of the Great Aviation Films''. General Aviation Series, Volume 2, 1989. |
|||
* Kerrigan, Evans E. ''American War Medals and Decorations''. New York: Viking Press, 1964. ISBN 0-670-12101-0. |
|||
* Lay, Beirne Jr. and Sy Bartlett. '' 12 O'Clock High''. New York: Harper & Brothers, 1948 (Reprint 1989). ISBN 0-942397-16-9. |
|||
* [http://www.history.army.mil/html/moh/wwII-m-s.html "Medal of Honor Recipients, World War II (M-S)."] ''United States Army Center of Military History.'' |
|||
* Murphy, Edward F. ''Heroes of WWII''. Novato, California: Presidio Press, 1990. ISBN 0-345-37545-9. |
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* Orriss, Bruce. ''When Hollywood Ruled the Skies: The Aviation Film Classics of World War II''. Hawthorn, California: Aero Associates Inc., 1984. ISBN 0-9613088-0-X. |
|||
* Rubin, Steven Jay. [http://books.google.ca/books?id=uHNvAeD4yR4C&vq=chapter+three&dq=chapter+three&source=gbs_navlinks_s "Chapter 3, Twelve O'clock High."] ''Combat Films: American Realism, 1945–2010''. Jefferson, North Carolina: McFarland, 2011. ISBN 978-0-7864-5892-9. |
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== 外部リンク == |
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[[Category:アメリカ合衆国の戦争映画]] |
[[Category:アメリカ合衆国の戦争映画]] |
2014年6月18日 (水) 05:47時点における版
頭上の敵機 | |
---|---|
Twelve O'Clock High | |
監督 | ヘンリー・キング |
脚本 |
ヘンリー・キング(クレジット無し) サイ・バートレット バーン・レイ・Jr |
原作 |
バーン・レイ・Jr サイ・バートレット Twelve O'Clock High (1948年出版) |
製作 | ダリル・F・ザナック |
出演者 |
グレゴリー・ペック ヒュー・マーロウ ゲイリー・メリル ミラード・ミッチェル ディーン・ジャガー |
音楽 | アルフレッド・ニューマン |
撮影 | レオン・シャムロイ |
編集 | バーバラ・マクリーン |
配給 | 20世紀フォックス |
公開 |
1949年12月21日 1950年11月14日 |
上映時間 | 132分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
興行収入 | $3,225,000 (アメリカ国内のみ)[1] |
『頭上の敵機』(Twelve O'Clock High)は、 ヘンリー・キング監督による、1949年のアメリカの戦争映画である。アメリカの第二次世界大戦 参戦初期にナチス・ドイツ及びナチス・ドイツ占領下のフランスに白昼爆撃を敢行したアメリカ陸軍第8空軍の兵士を描いたこの映画は1948年のサイ・バートレット、ヘンリー・キング作の同名の小説をサイ・バートレット、ヘンリー・キング(クレジット無し)、バーン・レイ・Jrが脚本し、ヘンリー・キング監督、グレゴリー・ペック、 ヒュー・マーロウ、ゲイリー・メリル、ミラード・ミッチェル、ディーン・ジャガーらの出演で映画化された。
『頭上の敵機』はアカデミー賞に4部門にノミネートされ、ディーン・ジャガーが助演男優賞を、トーマス・T・モールトンが音響賞を受賞している[2]。1998年にアメリカ議会図書館アメリカ国立フィルム登録簿に文化的、歴史的、芸術的に顕著な作品として登録されている。
あらすじ
1949年、イギリスで休暇中のアメリカの弁護士でもとアメリカ陸軍航空軍のハーヴィ・ストーヴァル(ディーン・ジャガー)は、ある骨董品店のショーウインドウにみなれたトビー・ジョッキ(老人の顔を象った陶器製のビアジョッキ)を見つける。ストーヴァルは店主からそのトビー・ジョッキがイギリス空軍とアメリカ陸軍航空軍の飛行場がかつてあり、ストーヴァルが第2次世界大戦中に第918航空群の一員として勤務したアーチベリーで手に入れられたものであることを知る。そのジョッキはストーヴァルのよく知るものそのものだった。ストーヴァルはそのジョッキを買い求め、列車と自転車で滑走路、誘導路、管制塔、事務所を残したまま今は牧草地として利用されているアーチベリー飛行場跡へと向かった。ストーヴァルがアーチベリー時代を思い出しながら、時間は1942年にさかのぼり、映画は本編に入る。
第918航空群はアメリカ本国からイギリスに移駐してアメリカ軍の白昼爆撃に投入された。ドイツの対空砲火とドイツ空軍戦闘機による被害が甚大となったことにより士気が低下、目標破壊失敗も相次いだことから、「不運な航空群」との評判をとるようになっていた。第918航空群の航空司令キース・ダヴェンポート大佐(ゲイリー・メリル)は指揮下の兵士たちと親密になるあまり、航空群内の士気を向上させる手が取れないでいた。爆撃精度向上のため低空での作戦が命令されたとき、その危険性の高さからダヴェンポート大佐は司令部に駆け込み、彼の旧友でもあるフランク・サヴェージ准将(グレゴリー・ペック)と作戦方針について対立する場面もあった。ダヴェンポート大佐のこの様な行動を見たサヴェージ准将は、第8空軍司令官パトリック・プリチャード少将(ミラード・ミッチェル)の部屋を訪ね、ダヴェンポート大佐が航空司令として不適格であると進言する。プリチャード少将はサヴェージ准将の進言を容れ、ダヴェンポート大佐を解任、第918航空群の航空司令にサヴェージ准将を据えた。
規律維持のためサヴェージ准将は指揮下の全員に対して厳しく臨み、指揮下兵士から嫌われるようになったうえ、サヴェージ准将の厳格なリーダーシップに驚いた第918群の操縦士全員が異動願を出す事態となる。サヴェージ准将は航空群の副官であるストーヴァル少佐に時間稼ぎのために異動願の処理を遅らせるよう頼み、ストーヴァル少佐は「お役所仕事」は時間がかかるもの、と応じる。厳しい再訓練のあと第918航空群は戦列に復帰したが、サヴェージ准将自らがB-17爆撃機に搭乗して出撃、他の航空群が悪天候による帰還命令に従って帰還する中、無線機の故障により第918航空群が単独で爆撃、1機も失うことなく目標の破壊に成功した後、指揮下兵士のサヴェージ准将に対する態度に変化が見られるようになった。
無線機の故障を口実に帰還命令を無視したことをプリチャード少将がサヴェージ准将に詰問したが、サヴェージ准将はそれに屈することなく、単独で目標を破壊した戦果でプリチャード少将に第918航空群を表彰するよう求めた。監察官が第918航空群の異動願滞留などの問題を確認するため到着した際、サヴェージ准将は解任を覚悟して荷づくりを行っていたが、兵士全員が異動願を取り下げ、サヴェージ准将は現職にとどまることになった。隊員とともに作戦に参加するうち、かつてダヴェンポート大佐がサヴェージ准将を訪ねた際に忠告した通り、サヴェージの兵士に対する態度も軟化していった。第918航空群のバーの暖炉にはあのトビー・ジョッキがあった。
航空戦がドイツ深部に及ぶにつれ、ドイツ軍の迎撃も厳しくなり、作戦行動距離が延びたことと併せて白昼爆撃のリスクも増大していた。サヴェージ准将配下のコッブ少佐、ビショップ中尉を含む優秀な搭乗員たちが失われていった。プリチャード少将は第8空軍本部にサヴェージ准将を戻すよう画策したが、サヴェージ准将は第918航空群がサヴェージ准将抜きでは成り立たないことを理由に異動に応じず、プリチャード少将も渋々サヴェージ准将の意見を容れざるを得なかった。
しかし、最も危険な作戦の出撃直前、B-17に乗り込もうとした時にサヴェージ准将は突然心身が不安定となり、B-17に搭乗するために体を引き上げることが出来なくなったため、サヴェージ准将抜きで第918航空群は作戦に参加して行った。航空群が帰還するのを待つ間にサヴェージ准将はカタトニーとみられる状態になったが、第918航空群が目標を破壊し、比較的軽微な損害で帰還したとき、サヴェージ准将は落ち着きを取り戻し、親友であり、かつて第918航空群率いたダヴェンポート大佐の見守る中、眠りに落ちていった。
物語はここで1949年のストーヴァルにもどる。ストーヴァルは買い求めたトビー・ジョッキをもとあった第918航空群のバーの暖炉の上に置き、アーチベリーをあとにした。
キャスト
エンドロールに表示されたキャストは以下の通り[3]。括弧内はテレビ朝日版の日本語吹き替え版声優をしめす。
- フランク・サヴェージ准将(第918航空群航空司令)- グレゴリー・ペック (城達也)
- ベン・ゲートリー中佐(第918航空群先任将校)- ヒュー・マーロウ (家弓家正)
- キース・ダヴェンポート大佐(前第918航空群航空司令) - ゲイリー・メリル (小林修)
- パット・プリチャード少将(第8空軍司令) – ミラード・ミッチェル(久松保夫)
- ハーヴィ・ストーヴァル少佐(第918航空群司令副官) - ディーン・ジャガー (宮川洋一)
- マクレニー軍曹(第918航空群司令部付下士官) - ロバート・アーサー
- カイザー大尉(第918航空群軍医) - ポール・スチュワート (俳優)(村瀬正彦)
- ジョー・コッブ少佐(第918航空群航空隊長)‐ジョン・ケロッグ (大塚周夫)
- ジェセ・ビショップ中尉(第918航空群航空機長) – ロバート・パットン(井上真樹夫)
- ジマーマン中尉(第918航空群航空航法士) – リー・マグレゴール
- バードウェル中尉(第918航空群兵士) – サム・エドワーズ
- 査問官 – ロジャー・アンダーソン
- トワンプリ―大尉(第918航空群従軍牧師) - ローレンス・ドブキン(クレジット無し)
- ケラー軍曹(第918航空群守衛) - ケーニス・トビー(クレジット無し)
- 爆撃手 – ポール・ピセルニ(クレジット無し)
- 無線士 – ヘンリー・ローター(クレジット無し)
- ホーホー候(ドイツのプロパガンダ放送) - バーリー・ジョーンズ(声のみ、クレジット無し)
- 第918航空群病院の患者 – ドン・ゴードン (クレジット無し)
- マケッソン中尉(第918航空群兵士) - リチャード・アンダーソン (クレジット無し)
実在の人物・場所との対比
フランク・サヴェージ准将(グレゴリー・ペック)は複数の航空群司令をモデルにしているが、映画中の第918航空群のモデルとなった第306航空群の司令官だったフランク・A・アームストロング大佐が最も近い存在とされている.[4]。"サヴェージ"の姓はアームストロング大佐がチェロキー系であることに由来したとされる。アームストロング大佐は第306航空群に赴任する前、第97航空群でも同様に再訓練と規律徹底の任務を担当しており、『頭上の敵機』の多くのシーンはこの第97航空群でのアームストロング大佐の体験によるものとされている。 アームストロング大佐の第306航空群での任期は6週間だった。
映画の後半で、サヴェージ准将がカタロニーに近い戦闘ストレス反応に陥ったのは、ニュートン・ロングフェロー准将に起こった実話による[4]が、精神崩壊に近い状態になったのは実際の症例と反し、多くの航空兵がさいなまれた過度のストレスを表現したものである。
プリチャード少将 (ミラード・ミッチェル)は第8空軍の初代司令、アイラ・エーカーをモデルにしている[5]。
キース・ダヴェンポート大佐 (ゲイリー・メリル)はチップというあだ名で呼ばれた第306航空群の初代司令、チャールズ・B・オーヴァラッカー大佐をもとにしている[5]。『頭上の敵機』で描かれたダヴェンポート大佐の人間性はオーヴァラッカー大佐のものと酷似している。映画の冒頭で、ダヴェンポート大佐がサヴェージ准将に抗弁し、解任されたシーンもオーヴァラッカーの実話に基づくものである。
第一次世界大戦に陸軍の飛行機パイロットとして従軍し、地上職の副官として復職したハーヴィ・ストーヴァル中佐(ディーン・ジャガー)は第一次大戦の撃墜王で、真珠湾攻撃の翌週に陸軍航空軍中佐として復職し、イギリス駐留の第8空軍の人事部次長となったウィリアム・ホワード・ストーヴァルをモデルにしている。第8空軍ではストーヴァルは第一次大戦の戦友、カール・スパーツ将軍らと共に勤務している。
映画冒頭でB-17を胴体着陸させ、名誉勲章を受けたジョセ・ビショップ中尉 (ロバート・パットン)はジョン・C・モーガン中尉をモデルとした[5]。ビショップ中尉が頭部に20 mm機銃の破片を受けた操縦士の代わりに爆撃機を操縦したエピソードはモーガン中尉が名誉勲章を受章した実話とほぼ同じである。ロバート・パットンは第二次世界大戦に陸軍航空軍の航法士として従軍しており、『頭上の敵機』出演者中唯一搭乗員としての経験をもつ。
マクレニー軍曹(ロバート・アーサー)は第306航空群に所属していた正規の射撃手で、時折司令官の運転手を務めていたドナルド・ビーヴァン軍曹がモデルである[5]。ビーヴァン軍曹は作品中のマクレニー軍曹同様飛行機に忍び込んで射撃を行ったことで有名であるが、ビーヴァンの場合は軍からの正規の要請で爆撃機に搭乗したこともある。マクレニー軍曹同様、ビーヴァン軍曹も射撃の名手だった。
硬骨漢ジョー・コッブ少佐(ジョン・ケロッグ)はアームストロング大佐と共にB-17で戦ったポール・ティベッツ大佐に想を得ている[5][N 1]。ティベッツは1949年に『頭上の敵機』の技術アドバイザーとなったが、すぐに第305航空群の元司令官ジョン・H・デラッシー大佐に交代している[6]。
作品中に描かれた航法図により、アーチベリーは作品中の第918航空群のモデルとなった第306航空群が駐留したスーライフ基地ではなく、アリスバーリー近郊であることが分かる。
製作
20世紀フォックスの資料によると、『頭上の敵機』の映画化権利のため20世紀フォックスは$100,000を、さらに追加で最大$100,000を「ブッククラブ条項」のために支払ったとされている。20世紀フォックスの映画プロデューサーダリル・F・ザナックは、ウィリアム・ワイラー監督がパラマウント映画での映画化のため、『頭上の敵機』に興味をもっていることを知り、この高額な権利を買うことを決断している。もっとも、ザナックは1947年にアメリカ空軍が撮影に協力する確信を得た時点で最終的な判断をしている[7]。『頭上の敵機』ではドイツ側で撮影されたものを含む実際の戦闘中の映像が使用されている[7]。『頭上の敵機』の多くの部分はエグリン空軍基地およびフロリダ州フォート・ワートン・ビーチで撮影された[8]。
脚本を担当したサイ・バートレットとバーン・レイ・Jrは自身の第8空軍での経験を映画に活用している。第8空軍司令部でバートレットはサヴェージ准将のモデルとなったアームストロング大佐のそばで勤務した経験をもつ。映画中の第918航空群は、欧州戦線で長く第8空軍の主力を務めた第306航空群をモデルにしている[N 2]。
重爆撃機作戦に従事した元兵士たちは『頭上の敵機』は、実戦を忠実に再現した唯一のハリウッド映画である、とコメントしている[9]。1948年の映画『戦略爆撃指令』と併せ、『頭上の敵機』は勧善懲悪的、楽観的な戦争映画の枠を外れ、戦争によって失われる人命と向き合う迫真のリアリティを追ったターニングポイントとされる。 この二つの映画はP-51の様な航続距離の長い戦闘機が出現する以前、第二次大戦参戦直後の陸軍航空軍の戦闘ドクトリンに従い、護衛戦闘機なしで白昼爆撃を行った部隊を描いている。サイ・バートレットとバーン・レイ・Jrのアメリカ空軍を舞台にした1950年代の『ロケット・パイロット』、冷戦時代のToward the Unknownは『頭上の敵機』の筋書きをなぞった映画とされている。
映画の前半で登場するB-17を胴体着陸させるシーンのため、ハリウッドの有名なスタントパイロットだったポール・マンツには前代未聞の$4,500の出演料が払われた[10]。マンツとトールマンツ航空を経営していたフランク・トールマンは、自叙伝のなかでB-17を1人で着陸させた例は多々あるが、他の搭乗員なしで、1人で離陸させた例は他にはなく、出来るかも分らなかった、と述べている[N 3]。 この胴体着陸のシーンは1962年の映画『戦う翼』でも使用されている[13]。
イギリス空軍アーチベリー基地の爆撃機用飛行場のロケ地はキング監督自身が自ら所有する飛行機で1949年2月から3月にかけて約16,000マイル(25,600 km)を飛行して探しだしたものである。キング監督は1949年3月8日にエグリン空軍基地を訪ね、デューク・フィールドの名で知られるエグリン基地本体から数マイル北にある第3予備地が主要な撮影地と決定している。ここには管制塔を含む15棟の建物がアーチベリー飛行場を模すために作られた[5][14]。アラバマ州マクセル空軍基地に勤務していた『頭上の敵機』のテクニカルアドバザーであるジョン・デラッシー大佐はアラバマ州デールヴィル近郊のオザーク飛行場をロケ地として推し[14]、キング監督はエグリン基地の明るく塗装された滑走路が戦時下に敵機から発見されにくいよう黒く塗装された戦時下のイギリスの滑走路としてふさわしくないことから、オザークを、胴体着陸を含むB-17の離陸・着陸の撮影に使用した。撮影隊がオザークに到着した際、草生したオザーク基地がハーヴィ・ストーヴァルの第二次世界大戦中を思い出すシーンにふさわしいとされ、このシーンの撮影にも使われた[5][15]。
イギリス・オックスフォードシャーにあるイギリス空軍バーフォード・セント・ジョン基地でも一部の背景の撮影が行われたほか、エグリン基地やフォート・ワートン・ビーチでもロケが行われている[16]。撮影には、エグリン基地にあったQB-17標的機を改造したもの、アラバマやニューメキシコで保管されていたものから12機のB-17が使用された。この中には1946年のビキニ環礁の核実験に使用され、高レベルの放射線を発する機体があり、これら機体の撮影への使用は最低限とされた[5]。
『頭上の敵機』は1949年4月から7月にかけて撮影された[17]。カラーで撮影することが計画されていたが、連合軍とドイツ空軍が実戦中に撮影したフィルムを違和感なく入れ込むため、全編が白黒撮影とされた[7]。
評価
『頭上の敵機』はロスアンゼルスで1949年12月21日から、次いでニューヨークで翌年1月26日から上映され[18]、同年2月から全米で公開された[19]。ボスレイ・クローサーがニューヨーク・タイムズに寄稿した映画評がこの時代のこの映画の評価をよくあらわしているものとされる。クローサーは飛行機や機械ではなく人間に主眼を置いた映画である、と記している[20]。タイムズは『頭上の敵機』を1949年の映画十傑に選出し、後年すべての映画の千傑に選出している[21]。
プレミア試写会に参加した後、戦略航空軍団のカーチス・ルメイ将軍は、観客に対して、この映画には完ぺきだ、と述べている。アメリカのあらゆるSL理論を採用する高級軍人養成学校で『頭上の敵機』を観ることが求められた。この映画は、軍事部門、民間部門の双方でリーダーシップの基本を教える教材として利用されている[22]。
『頭上の敵機』のアメリカでの興行収入は$3,225,000だった[23]
日本での公開は1950年(昭和25年)11月14日である[24]。
受賞
『頭上の敵機』はアカデミー助演男優賞(ディーン・ジャガー)、アカデミー録音賞を受賞しているほか、アカデミー作品賞、アカデミー主演男優賞(グレゴリー・ペック)がノミネートされた[2]。第16回ニューヨーク映画批評家協会賞ではグレゴリー・ペックが主演男優賞を受賞、ナショナル・ボード・オブ・レビュー映画賞の候補にもなった[21]。
1998年に『頭上の敵機』はアメリカ議会図書館アメリカ国立フィルム登録簿に文化的、歴史的、芸術的に顕著な作品として登録されている[25][26]。
アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100にはフランク・サヴェージ准将が候補として選ばれている。
題名の由来
英語の原題"twelve o'clock high"は自身を時計の中心においたとき、時計の数字で敵機がいる方向を示す言葉である。"high"は自身より上方、"level"は自身と同高度、"low"は自身より下方に敵機がいることを表しているので、"twelve o'clock high"は12時の方向上方から、つまり前方上方から敵機が接近していることを表している[N 4]。初期型のB-17では機首が弱点とされていたため、ドイツ空軍の戦闘機はこの位置からB-17を攻撃することが多かった。上方から急降下してくる敵戦闘機は相対速度の速さもあって難敵であった。
原作者の1人であるサイ・バートレットの妻で女優のエレン・ドル―が、バーン・レイ・Jrとバートレットが"twelve o'clock high"から攻撃してくるドイツ戦闘機の戦術について議論しているのを聞いて、この題名を決めたとされている。
ラジオ番組及びテレビ番組
グレゴリー・ペックは1950年9月7日に放送されたラジオ番組で、サヴェージ准将役を再演している[7]。『頭上の敵機』は同名のテレビ番組としてABC系で1964年に全米に放送され、3シリーズが作られた。ロバート・ランシングがサヴェージ准将を演じたが、第1シリーズが終わったところでポール・バーク演じる、原作中のベン・ゲートリーをモデルにしたジョー・ギャラガー大佐が主役に交代している[27]。テレビシリーズの戦闘シーンの大半は映画で使われたものの再利用である。日本では第1シリーズがテレビ朝日系で、第2、第3シリーズがフジテレビ系で『爆撃指令』と名を変えて放映されている[28]。
テレビシリーズの地上シーンの多くは第二次世界大戦中アメリカ陸軍パイロットの訓練用に使用されていたカリフォルニア州チーノの飛行場で行われ、イギリス駐留の第8空軍の典型的な管制塔や建物を模したセットが作られた。 この飛行場は、終戦後スクラップにされるのをまつ戦闘機や爆撃機の保管場所として用いられ、映画『我等の生涯の最良の年』でダナ・アンドリューが戦争時代を回想するシーンに使われた[29]。
脚注
注釈
- ^ テイベッツは広島に原爆を投下したB-29エノラ・ゲイの操縦士である。
- ^ 306×3は918である。
- ^ このトールマンの主張は映画撮影中に20世紀フォックスが発表した内容とも、ダフィンとマーセイスがThe 12 O'Clock High Logbook執筆用に行った調査とも矛盾する。 1961年にグレゴリー・ボードがB-17の単独飛行を行ったとEverything But the Flakの"The Amazing Mr. Board"章ででマーチン・カイディンが記している[11]ほか、1947年にアート・ラセイがB-17を単独で飛ばしたとされているが、後者の事例は、ラセイがB-17を破損した際に天候によるもの、と記録されたためにあまり有名ではない。[12]
- ^ "Twelve o'clock high"は直訳すれば前方上方であり、邦題『頭上の敵機』は誤訳との説もあるが、映画中に"Three o'clock"、"Twelve o'clock high"、"Twelve o'clock level"などのセリフが空中戦シーンであり、GHQの外郭団体であるセントラル映画社が日本での配給元であること、このような用語に無理解な人物が翻訳者に選ばれたとは考え難く、邦題が訳者1人の意向で決められるとも考えられないことから、セントラル映画社が意図をもってこの邦題を付けたとみるのが自然であろう。
出典
- ^ "The Top Box Office Hits of 1950." Variety, January 3, 1951.
- ^ a b “"The 22nd Academy Awards (1950) Nominees and Winners." oscars.org.]”. 2011年8月18日閲覧。
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参考文献
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- Dolan, Edward F. Jr. Hollywood Goes to War. London: Bison Books, 1985. ISBN 0-86124-229-7.
- Duffin, Allan T. and Paul Matheis. The 12 O'Clock High Logbook. Albany, Georgia: Bearmanor Media, 2005. ISBN 1-59393-033-X.
- Hardwick, Jack and Ed Schnepf. "A Viewer's Guide to Aviation Movies." The Making of the Great Aviation Films. General Aviation Series, Volume 2, 1989.
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- Murphy, Edward F. Heroes of WWII. Novato, California: Presidio Press, 1990. ISBN 0-345-37545-9.
- Orriss, Bruce. When Hollywood Ruled the Skies: The Aviation Film Classics of World War II. Hawthorn, California: Aero Associates Inc., 1984. ISBN 0-9613088-0-X.
- Rubin, Steven Jay. "Chapter 3, Twelve O'clock High." Combat Films: American Realism, 1945–2010. Jefferson, North Carolina: McFarland, 2011. ISBN 978-0-7864-5892-9.
外部リンク
- Twelve O'Clock High - TCM Movie Database
- 頭上の敵機 - スーパー!ドラマTV
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