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2016年6月8日 (水) 06:17時点における版
若林 正恭 | |
---|---|
本名 | 若林 正恭 |
ニックネーム | 若ちゃん 若さん 若様 若の字 わかちん 木保さん |
生年月日 | 1978年9月20日(46歳) |
出身地 | 日本 東京都中央区 |
血液型 | O型 |
身長 | 169cm |
言語 | 日本語 |
方言 | なし(共通語) |
最終学歴 | 東洋大学文学部国文学科 |
出身 | 現事務所直入 |
コンビ名 |
オードリー (旧コンビ名:「ナイスミドル」) |
相方 | 春日俊彰 |
芸風 | 漫才(ツッコミ)※ナイスミドル時代はボケ |
立ち位置 | 左 |
事務所 | ケイダッシュステージ |
活動時期 | 2000年 - |
同期 |
U字工事 NON STYLE ダイアン など |
現在の代表番組 |
しくじり先生 俺みたいになるな!! ご本、出しときますね?など |
過去の代表番組 |
SKE48のマジカル・ラジオ 日曜×芸人 たりないふたり など |
他の活動 | 俳優 |
配偶者 | 未婚 |
公式サイト | 公式ブログ |
受賞歴 | |
『ダイナマイト関西 2010 first』優勝 第37回日本アカデミー賞話題賞 |
若林 正恭(わかばやし まさやす、1978年9月20日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優、司会者であり、お笑いコンビオードリーのツッコミ担当(当初はボケだった)。相方は春日俊彰。 東京都中央区明石町出身。ケイダッシュステージ所属。身長169cm、体重60kg。2歳違いの姉がいる。
略歴
中央区立明石小学校、日本大学第二中学校・高等学校、東洋大学卒業後に春日俊彰と「ナイスミドル」を結成。春日とは日大二高の同級生。
2005年4月に、コンビ名を「オードリー」に改名。
2008年2月、『R-1ぐらんぷり』2008準決勝進出。ネタの内容は野球のスイングを山手線で説明するというもの。
2009年8月、『ドリームマッチ09 真夏の若手芸人祭り!!』 で石田明(NON STYLE)と組んで優勝。
2010年2月、『言語遊戯王6』優勝。 キャッチフレーズは「日本一アクティブなひきこもり」[1]。
2010年3月、『IPPONグランプリ09 - 10春の陣』、準優勝。
2010年5月、『ダイナマイト関西2010 first』優勝[2]。
2010年8月、『言語遊戯王7』優勝、2連覇達成。キャッチフレーズは「人見知り鬼」[3]。
2011年5月、「瀬戸の花嫁」で音楽配信で歌手デビュー。[4]
2011年8月、『芸人交換日記〜イエローハーツの物語〜』で、舞台初主演。[5] 箱根コナキンズ結成
2013年3月、『ひまわりと子犬の7日間』で、映画初出演。[6]
2014年2月、『ひまわりと子犬の7日間』での功績により、第37回日本アカデミー賞話題賞を受賞。[7]
人物
幼少時代
- 幼稚園と小学校時代の愛称は多数あり「まーくん」と呼ばれることが最も多かった。
- 先天性の心房中隔欠損を患っていたため幼少時代は過呼吸を起こしていた[8]。
- 実父が監督を務めていた少年野球チーム(チーム名「オール鉄砲洲」)や、剣道チームにも所属し活動していた。
- 少年野球チームを退団するまで、プロ野球選手になって女性アナウンサーと結婚することを想い描いていた。
- 小学生の時からお笑い芸人を目指していて、小学生の頃の夢は「プロ野球選手」、中学の卒業文集「立つんだジャリ」に書いた将来の夢は、「日本一の漫才師になる」だった[9]。
- 幼少期から人見知りで、近所の大人に年齢を訊かれた際に、9歳まで指で年齢を伝えていた。
- 「築地」出身と公言しているが、生家は築地の隣にある明石町(広義に築地に含まれることがある)にあり、小学校も明石町にあった。そのため築地市場関係者から「お前は築地の人間ではない」と宣言されたことがある。
- 明石町の生家は地上げに遭い、小学校6年生のときに杉並区久我山へ転居した。現在も実家は久我山にある。小学校6年生の1年間は越境通学していた。この時期に電車通勤しているサラリーマンには魅力を感じず、芸人を志すようになる。
日大第二中学・高校時代
学校生活
- 春日とは対照的に「ズボンをずらして腰で履く(いわゆる腰パン)ようなグループ」に属していた(春日俊彰の項も参照)。子供の頃から芸人を志しており、授業中の合間もネタを書いていたため、成績は良くなかったと発言している。日大第二中学校へは「下から2番目の成績で入学した」と発言しているが真相は不明。
- 童顔のため実年齢より若く見られ、中学生の時に荻窪駅前でおかまの集団に拉致されそうになったことがある。
- 小柄な体型から教員からは子供を意味するジャリと呼ばれていた。
ラグビー、アメフト関連
- 中学に入ると、父親がNFL好きだった影響で[10]、ラグビーやアメリカンフットボールに興味を持つようになった。中学ではラグビー部に所属。ポジションはスクラムハーフだったが、バックス(後方に位置する選手)にオール東京のプレイヤーがそろっており、「蹴るな、走るな」と言われてひたすらパスを回す選手だった[11]。
- 中学3年生当時、付き合っていた女の子がいたが、若林とその子の母親同士が既に仲良しだったためにこの恋愛もうまくいかなかったという[12]。
- 高校時代はアメフト部に所属し、ポジションはランニングバック[10]。オフェンスチームのキャプテンをしており[要出典]、東京都でベスト4になった時のレギュラーメンバー[13]。背番号は44だった[14]。70ヤードを独走してタッチダウンしたことがある。ディフェンスが全員でブリッツして入って来たため、ピッチが空いた所を突いて独走したという[15]。
大学時代
- 高校卒業後は進学するつもりはなく、春日とともにお笑いの養成所に入ろうと思っていたが、春日が「大学に行きたい」と言ったため、本人も慌てて東洋大学第二部文学部に進学した[要出典]。
- アフロヘアーにして、高校時代からの友人と国分寺や立川でナンパに明け暮れる生活をしていた[16]。
芸人
- 立ち位置は、カメラから向かって左側。
- 漫才を披露する際には必ずスーツ姿で出るが、ネクタイを結ぶのが非常に苦手である。1日に何度も同じネクタイで舞台に上がることを嫌っており、いつも複数のネクタイを持参している。
- 新宿区にあるショーパブ「そっくり館キサラ」を自らのホームと位置づけるほど、重要視している。最近では、地上波の番組出演が増えて来ているため、出番が少なくなりつつあるが、鍛錬のために月5日は出たいと思っている。ものまねのレパートリーは藤岡弘、や窪塚洋介、立川談志、長州小力、矢沢永吉、郷ひろみ、IKKOなど。
- 2008年の『R-1ぐらんぷり』では、野球のスイングを山手線で説明するというピン芸で準決勝にまで進出した。
- お笑いをやりたいと父に告白したところ大反対され、2007年に勘当されたが、2009年正月には実家に帰り、父とも打ち解けた。
- 『GyaOジョッキー』『そらを見なきゃ困るよ!』『告っちゃ!』に出演している時期から、若林のツッコミは的確だと評判であった。また、当時から大喜利でも力を発揮していた。
- 2007年初頭、『ラ・ママ新人コント大会』のネタ見せで渡辺正行からは「頑張ればM-1の準決勝に行けるレベルだよ」とネタを褒められ[17]、それから毎月ネタ見せに呼んで貰えるようになった。もしここで認められなかったら芸人を辞めていたという。また、若林はその際、帰りの原付を運転しながら泣き、ヘルメットの内側が曇ったという[18]。『行列のできる法律相談所』では、恩人の渡辺が登場し、改めて当時のエピソードを披露した。
- お笑い芸人であることに誇りを持ち、生まれ変わってもお笑いをやりたいと思っている。
- デビュー前から憧れていた芸人として、ザ・ドリフターズ、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンを挙げている[19]。
- 圧倒的なキャラクターを持つ春日俊彰を相方に持つため、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』においては、「じゃない方芸人」として出演し、自身の目立たないエピソードを披露した。また、同じく『アメトーーク!』において、「人見知り芸人」をプレゼンし採用され、様々なエピソードを披露した。
- 大喜利は得意であり、『IPPONグランプリ』では最終決戦進出、『ダイナマイト関西2010 first』は優勝、『言語遊戯王』では2連覇達成など好成績を残している。
- ナイツは理想のコンビであり、憧れと言う。「塙(宣之)君のボケにはいつもグッとくる」と話している[20]。
趣味・嗜好
趣味は、散歩とランニング、そば打ち、ひとりジェンガ、バッティングセンター通い、裁判傍聴、人間観察、映画鑑賞、書籍の帯収集、サービスエリア巡り。
プロ野球は父親の影響で阪神タイガースのファンであるが、父親ほど熱狂的な虎ファンではない。阪神が「ダメ虎」と呼ばれた暗黒期には大阪近鉄バファローズファンに転向したが、「正恭、お前何をやっているのかわかるか」と父親に叱責されたことで阪神ファンへ再転向した。しかし、春日(埼玉西武ライオンズファン)のように球場まで試合観戦に出向くほどのファンではない。
たりないふたりで山里亮太からプロレス団体DDTの興行に誘われ見に行って以来、35歳になってプロレスにハマりだした。
村上龍の熱烈なファンで、大学の卒業論文でも村上龍を論じた[21]。
岡本太郎に深く傾倒しており、オードリーの今のスタイルである春日の胸を張ったポーズは大阪万博の太陽の塔がモデルである[22]。また「迷い吹き飛ばすパワー」と題して、売れるまで新幹線代すら稼げず、会いたくても会えなかった、売れない頃からの「恩人」と崇めている、岡本太郎の作品・太陽の塔を、大阪での仕事の際、宿泊先を抜け出して初めて見に行ったエピソードを紹介したコラムが、『読売新聞』にて掲載された。ここにおいて若林は「オードリーの95%は太郎さん」とコメントしている。そして「若林はいまも太郎の本を開く。『気を抜くと、臆病者の自分に戻ってしまう。だから太郎さんが必要なんです』」という本人の言葉を引用し、記事は締めくくられている[23]。
音楽では、チャットモンチーやアナログフィッシュ、エレファントカシマシ、中島みゆき、ZAZEN BOYSなどの大ファンである。また、グランジ・オルタナティヴ・ムーヴメントの頃には、カート・コバーンの影響を受け、ボロボロのネルシャツにダメージデニム、そしてVANSのスニーカーと眼鏡でキメることがお気に入りだった。90年代日本語ラップのファンでもあり、ラッパーの経験を持つゴンゴールの氏原真一の協力を得て、ラジオで手慣れたラップを披露したこともある。その一方で歌えば特に音痴である。『お笑い芸人歌がへたな王座決定戦スペシャル』にてその歌唱力を披露した際は観客や他の芸人たちの失笑を買った。第3回にてDA PUMPの『ごきげんだぜっ! 〜Nothing But Something〜』を披露した際には、あまりにも音程の抑揚が無かったため「ふきげんだぜっ!」と称された。
「人見知り」などのイメージで「ネガティヴ」な性格だと思われているが、本人の主張によると「『ネガティヴ』というのは一周して『ポジティヴ』の異名である。なぜならば、最悪の状況を常に想定して、それをいかにして避けるかをきちんと考える。これこそが真の『ポジティヴ』であると主張している。また、世間的に言うところの『楽観主義』とは、「実は現実から目を背けている」という解釈もできるが、どうあがいても「今」よりは良くならなければならない。強くならなければいけない。足りない部分は直視して、次の打開策を考えるものは、『ネガティヴ』を超越した、『超ポジティヴ』である」と主張している[24]。
好きな女性のタイプは「バンドエイドを常に持っているような子」、「白いブラウスにパステルカラーのカーディガンが似合う子」「セントフォース(若手女性キャスターが所属しているタレント事務所)系の子」[25]。
好きな芸能人は裕木奈江。かつて『裕木奈江のオールナイトニッポン』のリスナーであり、自ら“裕木奈江チルドレン”と称している。
好きな女性アナウンサーに、皆藤愛子、堂真理子、戸部洋子を挙げている[26]。
趣味のサービスエリア巡りで使っている愛車はトヨタのランドクルーザー(200系)。元々車そのものに興味のなかった若林だったが、関口宏の東京フレンドパークIIに出演の際最後のダーツのコーナーでパジェロを当て、当時憧れていた窪塚洋介の凶気の桜のように白いSUVにしようと納車前にオプションで別料金を払って白いパジェロにし、納車されて乗った瞬間、「俺。売れたんだな」と実感したという。その後ランドクルーザーに乗り換えサービスエリアを巡ったり、シラスご飯を食べるためだけに神奈川の海沿いまでプラっと出かけるなどカーライフを満喫している。ただドライブや移動だけでなく大きい車の車内が快適なこともあり、仕事現場に数時間前に駆けつけてテレビ局内の駐車場において車内で仮眠を取ったり、ネタ作りや台本に目を通すなど言わば楽屋または家代わりの使い方も頻繁に行っている。そのため2015年8月15日放送のおぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!に出演した時、番組の最後で「車とは…」の格言を残す締めの場面で「車とは…『家より家』である。」と締めている。
エピソード
2004年に失恋した直後に、ショックで過呼吸になってしまい、呼吸が上手くできない状態で携帯電話で春日に助けを求めた。春日から「それは恐らく過呼吸だな」とすぐ判断され、続けて「ビニール袋に口を当てて呼吸するといい」と対処法を教えられる。すぐに若林は近くのコンビニに駆け込み、レジ近くにあった缶コーヒー1本を手に取ると店員から「袋はいりますか?」と聞かれると若林は「そっちの方が重要なんです!」と言って店を出て、春日に言われたとおりに実行すると症状が治まった。春日がこの対処法を知っていた理由は、医療を題材にした漫画『スーパードクターK』を読んで覚えていたからであった[27]。
渋谷のカフェでアルバイトしていた時、ホールでもキッチンでも使えないと判断されたため、大きさが畳1畳分だけの木箱の中で弁当を売る仕事に回された。その木箱は有名な建築家が設計したものとのことで、「木箱のお弁当屋さん」として情報番組や建築雑誌で取材されたということがあった[28]。
父親とは、2008年末頃まで絶縁状態であった。まだ売れない芸人だった時、定職にも就かずに芸人を続けていることに業を煮やした父が、芸人を辞めて定職に就くか、家を出てそのまま芸人を続けるかを迫った。父は司法書士に念書の作成まで依頼するほどだった(若林は、これが実質“絶縁状”のようなものだったと回顧している)。結局、芸人を続けることを選んで家を出た。そして2008年末、この年準決勝に進出したM-1グランプリでのエントリーナンバーが『4431』であったことを知った父は「俺のためにその番号を選んだのか」と思ったという。阪神タイガースファンである父は、4431という番号はランディ・バースの背番号44と掛布雅之の背番号31を合わせたものと思い込み、感動したという。これがきっかけで若林と父との間に雪解けが生じ、2009年の正月に久々に実家へ帰り、父と長い話をしたという[29]。
出演
若林単独での主な出演
バラエティ
現在の出演番組
- しくじり先生 俺みたいになるな!!(テレビ朝日、2014年10月2日 - )
- ヨロシクご検討ください(日本テレビ、2014年10月7日 - )※特別番組
- 好きか嫌いか言う時間(TBS、2015年1月6日 - )※特別番組
- 人生のパイセンTV(フジテレビ、2015年10月18日 - )(相方の春日も出演。)
- ご本、出しときますね?(BSジャパン、2016年4月8日 - ) - MC [30]
過去の出演番組
- とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ、2004年6月10日・2008年3月27日)
- 番組内のコーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」に出演し、第2回では矢沢永吉、第12回では窪塚洋介の物真似をそれぞれ演じた。
- 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!(テレビ朝日)
- 人志松本の○○な話(フジテレビ、2009年4月14日・18日・6月16日・8月25日・9月1日・2010年2月2日・9日・2011年5月27日)
- 人志松本のすべらない話 (フジテレビ、2009年6月27日、2010年12月25日、2015年7月11日)
- IPPONグランプリ(フジテレビ、2009年12月28日、2010年3月31日、2015年5月23日、11月14日)
- ひみつの嵐ちゃん!(TBS、2011年9月8日 - 2013年8月)リストランテBOTSUのコーナーの進行役として出演
- SKE48のマジカル・ラジオ(日本テレビ、2011年10月11日 - 2011年12月27日)構成作家・若林正恭としてレギュラー出演。
- SKE48のマジカル・ラジオ2(2012年4月13日 - 6月26日)
- SKE48のマジカル・ラジオ3(2013年1月20日 - 4月7日)
- たりないふたり(日本テレビ、2012年4月3日 - 6月19日)
- もっとたりないふたり(日本テレビ、2014年4月11日 - 2014年6月27日)
- 日曜×芸人(テレビ朝日、2012年4月15日 - 2014年3月30日)
- 超人気クイズ番組統一No.1決定戦! THEクイズ神(TBS、2012年6月29日・2013年1月8日)進行
- 世界は言葉でできている(フジテレビ、2012年10月24日 - 12月19日)レギュラーコトバスターとして出演
- 本日、開店します!(TBS、2013年4月17日 - 9月18日)
- ビックリしちゃった新記録(日本テレビ、2013年7月10日 - 8月28日)
- 坂上忍の成長マン!!(テレビ朝日、2014年4月4日・5月30日)
- 未来ロケット(フジテレビ、2014年4月18日 - 2015年3月21日)
- あけるなキケン(TBS、2014年10月26日 - 2015年9月28日)
- ニノさん(日本テレビ、2014年3月16日・3月23日・3月30日・4月6日・8月3日)
- 創刊!読むスポーツ ヨムスポ(2016年3月14日 - 3月28日、全3回) - MC
吹き替え
- きかんしゃトーマス ミスティアイランド レスキュー大作戦!!(バッシュ(初代))
ラジオ
- オードリー若林はフリートーカーキング
- オードリー若林のフリートーカーJ
- ナインティナインのオールナイトニッポン(2009年6月4日・2010年8月5日、ニッポン放送)
- 水曜JUNK山里亮太の不毛な議論(2012年6月20日、TBSラジオ)
単独ライブ
- オードリー若林の男性用スプレー缶の正しい捨て方(阿佐ヶ谷ロフトA、2010年9月26日)
- 男性限定であり、このライブについてテレビ・ラジオでは一切告知されておらず、内容についても語られていない。
テレビドラマ
- LOVE17(2008年12月28日、メ〜テレ)入谷マネージャー役[31]
- 終電ごはん(2013年7月1日・10月7日 - 28日、テレビ東京)主演・マサヤス役
- 容疑者は8人の人気芸人(2015年4月18日、フジテレビ) - 本人 役
映画
- ひまわりと子犬の7日間(2013年3月16日)佐々木一也 役
舞台
- 芸人交換日記〜イエローハーツの物語〜(2011年8月)田中役(ボケ)
雑誌連載
CM
音楽
- HEART 〜鳩とお嫁さん〜
- 瀬戸の花嫁(小柳ルミ子のカバー)
- どちらの曲も『ユルアニ?』での楽曲使用。『ユルアニ?×若林正恭(オードリー) 瀬戸の花嫁/HEART 〜鳩とお嫁さん〜』としてシングルもリリース(2011年10月26日発売、キングレコード)。
書籍
- 社会人大学人見知り学部 卒業見込 (2013年5月17日発売、メディアファクトリー)
脚注
- ^ “優勝は若林!雪の東京で白熱のZepp「言語遊戯王」開催”. お笑いナタリー. (2010年2月2日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ “優勝は若林!「ダイナマイト関西2010 first」レポート”. お笑いナタリー. (2010年5月3日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ “「言語遊戯王7」でオードリー若林が2連覇達成”. お笑いナタリー. (2010年8月17日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ ““歌手”オードリー若林、「瀬戸の花嫁」はお蔵入りの危機だった?!”. ORICON (2011-05-10日). 2014年2月21日閲覧。
- ^ “オードリー若林、鈴木おさむ原作小説で舞台初主演”. ORICON (2011年5月23日). 2014年2月21日閲覧。
- ^ “映画初出演を果たしたオードリー・若林、俳優としての力量は?”. MovieWalker. (2013年3月13日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ “オードリー若林「日本アカデミー賞」話題賞・俳優部門に決定!”. サンスポ. (2014年2月21日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ 『絆』より
- ^ 『絆』、『スクール革命!』より
- ^ a b “オードリーのアメリカンフットボールの魅力を語りまトゥース!”. NFL JAPAN. 2014年6月1日閲覧。
- ^ “ヒーローインタビュー・オードリー(お笑いコンビ)”. 中高生部活応援マガジン (2012年1月15日). 2014年6月1日閲覧。
- ^ 『オードリー春日伝説』(服部翔太・著、コアラブックス)176ページ
- ^ “スーパーボウル XLVI (1) オードリーが3年連続で PR 大使に就任!”. 週アスPLUS (2010年2月3日). 2014年6月1日閲覧。
- ^ “オードリーが今年も盛り上げる!! 2年連続スーパーボウルPR大使に就任”. NFL JAPAN (2011年2月1日). 2011年2月5日閲覧。
- ^ “スーパーボウル xliv 現地レポート (3) オードリー インタビュー 後編”. 週アスPLUS (2010年2月4日). 2014年6月1日閲覧。
- ^ 『オードリーの小声トーク』60ページ
- ^ 実際にこの年にオードリーは初めてM-1で準決勝に進出した。
- ^ 『オードリー春日伝説』37ページ、アサヒ芸能 2009年2月19日号
- ^ 『オードリー春日伝説』27ページ
- ^ “オードリー若林が「理想の漫才師」として挙げたコンビとは?”. 太田出版ケトルニュース(元記事は『クイック・ジャパン』vol.99(太田出版) (2012年1月20日). 2014年6月2日閲覧。
- ^ 『ダ・ヴィンチ』2010年1月号より
- ^ “オードリー若林の目標設定の妙技”. Exciteニュース (2010年9月28日). 2014年6月2日閲覧。
- ^ 2010年1月14日 読売新聞より
- ^ 『Splash!!』 Vol.3(要旨)
- ^ 『オードリー春日伝説』125ページ
- ^ 『オードリー春日伝説』197ページ
- ^ “芸人仰天苦労話スペシャルパート2”. 日本テレビ『ザ!世界仰天ニュース』公式サイト. 2014年6月1日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『オードリー春日伝説』87-88ページ
- ^ 『オードリー春日伝説』117-119ページ
- ^ “若林「おしゃれな番組にしたい」新番組初回で朝井リョウ&西加奈子とのトーク満喫”. お笑いナタリー. (2016年3月21日) 2016年3月22日閲覧。
- ^ “リレー式ケータイ小説、ドラマ「LOVE17」にM-1ファイナリスト・オードリー若林が出演!!”. news2u.net. (2008年12月26日) 2014年2月21日閲覧。
- ^ “オードリー若林、雑誌「ダ・ヴィンチ」でコラム連載開始”. お笑いナタリー. (2010年7月6日) 2014年2月21日閲覧。
外部リンク
- 『社会人大学人見知り学部 卒業見込』公式 (@syakaijindaigak) - X(旧Twitter) - 若林正恭著『社会人大学人見知り学部 卒業見込』の公式アカウント