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2016年10月17日 (月) 12:58時点における版
真島 昌利 | |
---|---|
出生名 | 真島 昌利 |
別名 | マーシー |
生誕 |
1962年2月20日(62歳) 日本 東京都日野市 |
出身地 | 日本 東京都小平市 |
学歴 | 東京都立久留米西高等学校 |
ジャンル | ロック、パンク・ロック、ロックンロール |
職業 |
ミュージシャン 作曲家 |
担当楽器 |
ギター ヴォーカル |
活動期間 |
1978年 - 1984年 (THE BREAKERS) 1985年 - 1995年 (THE BLUE HEARTS) 1989年 - 1994年 (ソロ活動) 1995年 - 2005年 (↑THE HIGH-LOWS↓) 2006年 - (ザ・クロマニヨンズ) |
レーベル | BMG JAPAN |
事務所 | ハッピーソング |
共同作業者 | ザ・クロマニヨンズ |
真島 昌利(ましま まさとし、1962年2月20日 - )は、ロックバンド、ザ・クロマニヨンズ、ましまろ(元ジョニー&スリー・クール・キャッツ、THE BREAKERS、THE BLUE HEARTS、↑THE HIGH-LOWS↓)のギタリスト。愛称は、「マーシー」(学生時代は、「マッシー」)。東京都日野市生まれ、東京都小平市花小金井育ち。魚座。血液型はB型。既婚。
来歴
- 1965年、それまで住んでいた池袋から花小金井に引っ越す。
- 1974年、友達の家でビートルズのレコードを初めて聴いたのがきっかけで、ギターを始める。モーリスのフォークギターを1万円で購入。
- 1975年4月13日、秋葉原で初めてエレキギター(グレコEG480 レスポール・モデル)を購入[1]。
- 1976年、中学校の文化祭で、人前で初めて演奏。池袋の西武百貨店が開催したアマチュア・バンド・コンテストに、「ジョニー&スリー・クール・キャッツ」というバンドを組んで出場。真島はボーカル&リズムギターを担当。コピーを2曲演奏したが、バンドはこの日のライブ一回のみで解散する。
- 1980年、東京都立久留米西高等学校を卒業後(同級生に宙也がいた)、地元でバンド、THE BREAKERSを結成。
- 1985年1月25日、THE BREAKERSを解散。
- 1985年2月、ほぼ同時期にザ・コーツを解散していた甲本ヒロト[2]が当時住んでいた笹塚の廃屋(工場跡)でのパーティーの際、バンド結成をもちかけTHE BLUE HEARTSを結成。その後、真島もギターと家財道具を持って工場跡に引っ越し、同居することになる。
- 1987年に、「リンダリンダ」でTHE BLUE HEARTSはメジャー・デビュー。その後も、「人にやさしく」「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」などがヒットし、日本を代表するロックバンドの中心メンバーとして人気を集める。
- 1989年、ソロ・デビュー。1994年までの間に、計4作のソロ・アルバムをリリースする。
- 1995年のTHE BLUE HEARTSの解散後、同年、甲本と新バンド、↑THE HIGH-LOWS↓を結成。
- 2005年に、↑THE HIGH-LOWS↓の活動休止を発表。その後、甲本のソロ・シングル製作に参加。
- 2006年、再び甲本と共に新バンド、ザ・クロマニヨンズを結成。
- 2015年、ヒックスヴィルの真城めぐみ、中森泰弘と新バンド、「ましまろ」を結成。5月13日に「ガランとしてる」でデビュー[3]。
音楽
ソングライターとして相棒の甲本ヒロトと共に多くのヒット曲を手がけている。THE BLUE HEARTS、↑THE HIGH-LOWS↓で作詞・作曲を手がけた主な曲には、「ハンマー」や「チェインギャング」「休日」「TRAIN-TRAIN」「未来は僕等の手の中」「青空」「夢」「1000のバイオリン」「相談天国」「青春」などがある。
ギター演奏はチャック・ベリーやローリング・ストーンズのキース・リチャーズに影響を受け、ギブソン・レスポールを愛用。ピッキングスタイルは、中指と親指でピックを持って弾く。現在ライブでは「Gibson Les Paul Junior」をメインで使用している。他のギターも使用している。
バンドではギターだけでなくヴォーカルを担当することもある。THE BLUE HEARTSの頃は一枚のアルバムに大抵1曲、多くて2曲ほど収録されていたが、↑THE HIGH-LOWS↓ではアルバムに入っているかいないかくらいであり、クロマニヨンズでは2016年現在、1曲も無い。ギター・マガジン(2014年10月号)のインタヴューによると「最近また"そろそろ歌いたいな"なんて気持ちも芽生えてきているので」とのこと。
ソロではサックス、オートハープ等、ギター以外の楽器もこなすが、口笛が苦手だった。「荒野はるかに」のイントロで口笛を吹くというアイディアを提案し実行するが、いくら吹いてもスースーと音を立てるのみに終わり、結局、甲本ヒロトが担当した。2012年に出演したラジオ番組内で口笛を披露すると綺麗に吹けたため、現在は以前に比べて腕が上達している模様。
歌詞
詞に関しては、シンプルな言葉を使いながら、奥の深い表現を醸し出し、独特の世界観を表現している。「チェインギャング」に代表されるメランコリーな世界と、ソロ・デビュー・アルバム、『夏のぬけがら』に代表されるノスタルジーな世界が、真島の世界観を構成している。
↑THE HIGH-LOWS↓以降は、シュールな歌詞が多くなっている。また、放送禁止用語が歌詞の中に含まれていることがあり、「終わらない歌」では歌詞が一部削除され、歌詞を聴き取りにくくするよう処理されている。「ガタガタゴー」でも同じく歌詞を削除され、該当部分にはノイズが入っている(ただしライヴ盤では無修正)。
また、自分の趣味や好物、育った地域がモチーフになった歌詞も多い。野球が好き→「ホームラン」「夏の朝にキャッチボールを」、カレーが好き→「カレーライスにゃかなわない」「カレーうどん」、夏が好き→「夏が来て僕等」「夏なんだな」「日本の夏ロックンロール」、バイクが好き→「風のオートバイ」「オートバイ」「オートバイと皮ジャンパーとカレー」「ローリング・ジェット・サンダー」、多摩地区が好き→「花小金井ブレイクダウン」「真夜中過ぎの中央線」「多摩川ビール」など。
人物・エピソード
- トレードマークともいえるバンダナは、キース・リチャーズに影響を受けたものである。ブルーハーツを結成して間もない頃、汗が垂れてこないようにと巻き始めた。ハイロウズ活動休止発表後の一時期、モヒカンにしていたこともある。
- THE BLUE HEARTS結成前(THE BREAKERS時代)から原宿の歩行者天国で甲本と河口純之助とでセッション・バンド(ラモーンズのコピー)をやったことがあり、面識はあった。
- 兄が一人いる。兄は読売ジャイアンツのファン。
- THE BLUE HEARTSのメジャーデビュー直後によく着用していた夕刊フジのエルビス・プレスリー死亡時の1面記事、中原中也の「宿酔」の詩の一部がプリントされたTシャツは、特注で作成してもらったもの。ただし真島は、雑誌のインタビューで「(作成した)友達が金に困ってて原宿の店とかに卸しちゃった。」と語っており、一般に出回った可能性もあるとのこと。
- 「ダウンタウンのごっつええ感じ」「笑う犬の生活」に出演したことがある。「ごっつええ感じ」に出演した際には、真島&甲本vsダウンタウンで乳首相撲対決をした。
- かつては喫煙者だったが、41才の時にタバコはやめたと、2015年10月23日放送の「ミュージャック」(関西テレビ)で話していた。
- ZELDAや友部正人等、他のアーティストのライブにゲスト出演したことは多々あるが、自身のソロライブにゲストを招いたことは殆ど無い。唯一、94年12月新宿にて行われたソロライブ2daysの2日目にはプリンセス プリンセスの中山加奈子がゲスト出演。これは、テレビ神奈川の番組内で企画されたコーナーにおいて、当時同じレコード会社に所属していた真島と中山が対談。対談中、12月のソロライブ開催が決まっていた真島が中山に出演を打診、中山が快諾したことで実現したもの。対談時に「ヘドロマンをやりたい」と中山が話したことから、当日のライブでは真島のソロ楽曲「GO!GO!ヘドロマン」と、ルーファス・トーマスの「Walking the Dog」を演奏した。
ディスコグラフィー
シングル
- アンダルシアに憧れて c/w ドクターペッパーの夢 1989/10/21
- オーロラの夜 c/w 真夜中過ぎの中央線 1991/03/21
- 夜空の星くず c/w バラ色の人生 / うな重 1991/08/21
- GO!GO!ヘドロマン c/w 踊り踊れば 1992/10/01
- 俺は政治家だ c/w I FOUGHT THE LAW 1993/01/21
- カレーライスにゃかなわない c/w 空席(version2) 1994/10/21
アルバム
- 夏のぬけがら 1989/11/21
- HAPPY SONGS 1991/04/10
- RAW LIFE 1992/11/01
- 人にはそれぞれ事情がある 1994/10/21
- リリース直前まで「月のウサギ,太陽のカラス」というアルバムタイトルだった。
- RAW LIFE -Revisited- 2007/04/25
ビデオ
- 真島昌利 LIVE Another Summer 1991/11/21
- RAW LIVE 1993/06/21
- 2nd Rated 1995/09/01 ※ビデオ・クリップ集
DVD
- RAW LIVE / 2nd Rated 2007/04/25
- Live Another Summer 2007/05/23
参加楽曲
- 1995年
- 「プラチナ」( JUDY AND MARY 「MIRACLE DIVING」収録)
- 2006年
- 「シークレット・ダンス」(少年ナイフトリビュート「Fork&Spoon」収録)
- 2007年
- 2014年
- 「I FEEL GOOD」(THE PRIVATES「Les beat」収録)
- 2016年
楽曲提供
- 1984年
- 1985年
- 桑田りん 「まぼろし」「素敵なBEAT TIME」「ぼくら」「100年たっても」「世界中の時計を止めてしまいたい夜」「踊ってよスマイリー」「ANGEL」 -作詞・作曲
- 1989年
- 近藤真彦 「アンダルシアに憧れて」 -作詞・作曲(ブレイカーズ時代の曲 のちにソロでセルフカバー)
- PEACE BIRDS ALL-STARS 「正義の味方」 -作詞のみ(HIROSHIMA'89のテーマ曲)
- 1995年
- 小山卓治 「DANCEを踊ろう Sha-La-La-La」 - 作詞・作曲
- 1996年
- 2000年
- ロンドンブーツ1号2号 「岬」 - 作詞・作曲
- 三宅伸治プロジェクト 「☆ロックンロール・プラネット☆」 - 作詞のみ
- 2001年
- 2006年
- NO PLAN 「大丈夫」 - 作詞・作曲
- AAA「ハリケーン・リリ、ボストン・マリ」 - 作詞・作曲
- 松たか子 「ずっと」 - 作詞・作曲
- ザ・コレクターズ 「スタールースター」 - 作詞・作曲
- 2007年
- 2010年
- つるの剛士 「死ぬまで夢を見る男」 - 作詞・作曲
- 2013年
- 若旦那 「洗濯日和」 - 作詞・作曲
- 2015年
- 近藤真彦 「男が目を閉じるとき」 - 作曲(作詞は伊集院静)
劇伴
ソロでのTV出演
- 「アンダルシアに憧れて」「夜空の星くず」- 小室等のアコギな奏談
- 「俺は政治家だ」- ミュージックステーション
- 「GO!GO!ヘドロマン」- スーパージョッキー
- ロック鳴館
脚注
- ^ 日付まで覚えている理由は、ギターを買いにいく際、友人を誘うと「今日はキャロルの解散コンサートに行くからダメだ」と断られ、結局、父親に付き添ってもらったというエピソードから。ちなみに秋葉原でエレキギターを購入したのは、エレキギター=電気製品、電気製品=秋葉原という考えがあったからとのこと。
- ^ ザ・コーツ時代の甲本の楽曲やパフォーマンスについて、後に真島は「僕、ヒロトのファンだった」と語るほど衝撃を受けていた。
- ^ “ザ・クロマニヨンズ真島昌利が新バンド「ましまろ」結成 5・13デビュー”. オリコン (2015年2月25日). 2015年2月26日閲覧。
- ^ “高橋みなみソロ作にOKAMOTO'S、真島昌利、カーリー・レイ・ジェプセンら参加”. 音楽ナタリー. (2016年8月26日) 2016年8月26日閲覧。