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2016年11月6日 (日) 08:28時点における版
近藤房之助 | |
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別名 | 房さん |
生誕 | 1951年5月4日(73歳) |
出身地 | 日本・愛知県刈谷市 |
ジャンル | J-POP |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル・ギター |
活動期間 | 1976年 - |
レーベル | ZAIN RECORDS |
事務所 | Signaled Yellow |
共同作業者 |
B.B.クィーンズ 葉山たけし |
近藤 房之助(こんどう ふさのすけ、1951年5月4日 - )は、日本のブルース歌手。所属レコード会社はビーイング。
人物
子供の頃から油絵をやっていて、友達と2人展や3人展をよくやっていた。 ビートルズなどのヒットチャートを追いかけていたが、ブルースに出会いブルース一辺倒になる。 きっかけは、喫茶画廊の店主が隣でやっていた古本屋で、"Freddie King is a Blues Master"というアルバムを買ったことで、ブルースにはまってしまう。 最初にやったのはドラムで、町内でドラムセットを持っているのは近藤1人だった。 「音楽では食っていけない」という思いと服飾の仕事への憧れから、高校を出て一旦、京都のテキスタイルデザイン会社で住み込みで働く。 大学入学(後に除籍)のため刈谷に戻る。 京都の先輩格の「ブルース・ハウス・ブルース・バンド」にスカウトされ、「音楽でやっていけるのか」と不安を抱えつつ京都に戻り、8年在住。 当時、バンドのギャラの数倍よかったナレーションの仕事で生計を立てる。
近年は自転車に凝っている。2014年4月時点で99歳の母がいる。
略歴
- 1951年 - 愛知県刈谷市に生まれる[1]
- 1973年 - 愛知県名古屋市今池にあったブルース・ライブハウス「おーぷんはうす」を拠点にして、永田鹿悟、和田昇、棚橋善夫らと日本ブルース愛好会名古屋支部を結成。
- 1976年 - BREAK DOWN [1] に参加、一年間で120カ所もの全国コンサートを行う。
- 1986年 - BREAK DOWN解散。
- 1987年 - 近藤房之助 & ONE ARM結成。織田哲郎、TUBE、亜蘭知子らと「渚のオールスターズ」に参加。
- 1989年 - 渚のオールスターズ活動休止。
- 1990年 - アルバム「HEART OF STONE」でソロデビュー。同時に、B.B.クィーンズを結成。
- 1992年 - B.B.クィーンズ活動休止。24時間テレビでカンボジアの取材を行う。
- 1993年 - 『前田亘輝 & HIS BLUES FRIENDS』に参加、オリジナル2曲収録。
- 2010年 - テレビ東京系アニメ「しまじろう ヘソカ」エンディングテーマ及び大塚製薬「カロリーメイト」のCMソングを担当。
- 2011年 - 坪倉唯子、増崎孝司、宇徳敬子とB.B.クィーンズを再始動。
- 2016年 - 1月28日、フジテレビNEXTの坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT#16に出演(生放送)。ももいろクローバーZ、坂崎幸之助(村長)、坪倉唯子、ポール・ギルバート、武部聡志、加藤いづみと共演。
ディスコグラフィ
シングル
- YOU CAN GET THE WOMAN THAT YOU WANT (1987) - 近藤房之助 & ONE ARM
- 上を向いて歩こう (1990/05/21)
- 東芝「BSバズーカ」CFイメージソング
- BOMBER GIRL (1992/01/21) - 近藤房之助 & 織田哲郎
- 白いブランコでおやすみ (1992/02/21) - 高田純次 & 近藤房之助
- Good-by morning (1992/11/21) - 宇徳敬子 & 近藤房之助
- 夢を継ぐ人 (1992/12/16) - 近藤房之助 & Quncho
- 夢の尻尾 (1994/04/23)
- クレイジー節〜昭和讃歩〜(2008/08/13) - 木村充揮×近藤房之助
- マ~ネ~
アルバム
- You'll never break my "HEART OF STONE live at PIT INN" (1990/01/25) - ライブアルバム
- GO BACK TO De BASIC THING (1990/07/21) - ライブアルバム
- Unchained Rythm (1991/4) - ライブアルバム
- My Innocent Time -Live at Roppongi PIT INN- (1992/03/21) - ライブアルバム
- A LOW DOWN DIARY SHAME (1994/05/21)
- 23A Benwell Road (1994/09/21) - FUSA and GRUB STREET
- PAPA GORDON and BABY FUSA rough mixed ~Live at SHINJUKU LIQUID Room~ (1996/08/21) - ライブアルバム
- gravel road (1996/08/21)
- in a deeper pocker (1997/09/19) - 近藤房之助 & The Deepest Pocketi
- I'm on my way up again ~Live at blues Alley Japan~ (2000/05/20)Fusanosuke & His B&O
- Mo' Deeper Pocker (2001/04/01) - 近藤房之助 & The Deepest Pocket
- TAKE ME BACK TO THE BLUES (2001/11/14) - 近藤房之助 & THE PLACE
- A BIG TRAIN COMMIN (2003/10/22) - 村上"PONTA"秀一 & 近藤房之助
- complete of 近藤房之助 at the BEING studio (2003/10/25)
- HERE WE GO AGAIN (2005/04/21) - 村上"PONTA"秀一 & 近藤房之助
- 男唄〜昭和讃歩〜 (2007/07/18) - 木村充揮×近藤房之助
- クレイジードッグス (2009/07/22) - 木村充揮と「クレイジードッグス」として
- 1968 (2010/07/07)
- 1968 vol.2 〜DOWN HOME〜 (2012/10/03)
- 1968 vol.3 〜NOVEMBER〜 (2013/11/27)
レコーディング参加
- メスカリン・ドライヴ「笑いっぱなしの島」「パパは誰」(マウス・ハープ)
- ZARD「Listen to me」「MIND GAMES」(コーラス)
- ZYYG,REV,ZARD&WANDS「果てしない夢を」(コーラス)
- 菅崎茜「beginning dream」(ギター)
- T-BOLAN「Heart of Stone」(コーラス)
- Litz Co.(リッツカンパニー)「青い夏に身をまかせ」(コーラス)
- 山沢大洋 アルバム「music tree」(ギター、ヴォーカル)
- DEEN「翼を広げて」(コーラス)
- 大黒摩季「ら・ら・ら」(コーラス)
CM
- 日産自動車・セドリック(Y32型)(1991年6月 - )(CMナレーション出演)
- シーチキンマイルド(オリジナルCMソングを歌唱)
- サッポロビール ヱビス<ザ・ホップ> 『グリーンベンチ篇』 (2007年4月 - 5月)
脚注
関連項目
- 大村憲司 - 死後、大村の妻から大村が愛用していたギター、フェンダー・ストラトキャスター・エリック・クラプトンモデルを「形見の品」として譲り受けて、現在も使用している。
- 青木智仁
- ヤスミン
外部リンク
- 近藤房之助 Official Web Site(ビーイング公式)
- 房チャンネル [リンク切れ](近藤房之助公式channel)
- STOMP(オーナーを務めるバー)
- インタビュー (2001.10.24)
- fusanosuke kondo (@fusanosukekondo) - X(旧Twitter)
- fusanosukestaff (@fusanosukestaff) - X(旧Twitter) スタッフ