「山田太郎 (歌手)」の版間の差分
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2016年11月11日 (金) 01:49時点における版
山田 太郎 | |
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出生名 | 西川 賢(にしかわ けん) |
生誕 | 1948年8月24日(76歳) |
出身地 | 日本 東京都 |
学歴 | 日本大学第一高等学校 |
ジャンル | 歌謡曲 |
職業 |
歌手、俳優 「新栄プロダクション」社長 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1963年 - |
レーベル | クラウンレコード |
事務所 | 新栄プロダクション |
公式サイト | 公式プロフィール |
山田 太郎(やまだ たろう、1948年8月24日 - )は、東京都台東区出身の演歌歌手、馬主。本名は、西川 賢(にしかわ けん)。
芸能プロダクション「新栄プロダクション」代表取締役社長、日本馬主協会連合会副会長、中山馬主協会会長、ウエスタンファームオーナー[1]。妻は元歌手の紅屋おかめ。父は新栄プロ会長及び有限会社北西牧場(現:ウエスタンファーム)の創業者である西川幸男。異母弟はプロゴルファーの西川哲。
来歴
- 1963年、「清らかな青春」でデビュー。
- 1965年にリリースした「新聞少年」がヒットし、スターとなった。同年の『第16回NHK紅白歌合戦』に同曲で初出場。紅白歌合戦には3回連続出場している(詳細は下記参照)。
- 1967年には、「勤労少年もの」の第二弾「牛乳少年」をリリースした。
- 2011年12月31日、『第44回年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京)に生出演し、「新聞少年」を歌唱した。
- 現在は歌手業の傍ら、新栄プロダクションの代表取締役社長を務めている。
代表曲
- 清らかな青春(1963年)
- 清く明るく美しく(1964年)
- 明日を信じよう(1964年)
- 新聞少年(1965年)
- 友情のうた(1965年)
- ああ俺たちの鐘が鳴る(1965年)
- 北風吹いても(1965年、NHK「みんなのうた」)
- 戦え!オスパー(1965年、テレビアニメ「戦え!オスパー」主題歌)
- 幸福はこだまする(1966年)
- 牛乳少年(1967年)
- あの娘が恋をつれてきた(1967年)
- 神州天馬侠(1967年、テレビドラマ「神州天馬侠」主題歌)
- 人妻(1969年)
- 花街艶歌(1973年)
- どっこい野郎(1973年、テレビドラマ「どっこい大作」主題歌)
- 好きさブラックデビル(1982年9月5日、「オレたち昔・アイドル族」名義、美樹克彦とデュエット)
- ゲートボール音頭(1983年、「山田太郎、美樹克彦、中山大三郎、大木凡人」名義、TBSテレビ「街かどテレビ11:00」)
- 恩義(1990年、千代の富士貢1000勝記念曲。作曲は山田自身)
- 以心伝心(2002年7月24日、「恩義」以来12年ぶりの新曲)
- B面:親ごころ
- 大黒柱(2003年7月24日)
- B面:男一代
- 夫婦咲き(2005年9月21日、この曲より12cmシングルで発売。)
- B面:お江戸 浅草 歌暦
- 花と竜(2010年9月8日、5年ぶりの新曲。)
- B面:男の土俵(A面と共に村田英雄のカバー)
NHK紅白歌合戦出場歴
- 第16回 (1965年12月31日、東京宝塚劇場) 『新聞少年』
- 第17回 (1966年12月31日、東京宝塚劇場) 『幸福はこだまする』
- 第18回 (1967年12月31日、東京宝塚劇場) 『あの娘が恋をつれてきた』
- このうち、第16回と第17回は山田の歌唱シーンの映像が現存する。
- そして、両方の回とも『思い出の紅白歌合戦』(NHK-BS2)で、山田の歌唱シーンも含め全編が再放送されている。
- 第18回は映像は現存するが、山田の歌唱シーンの映像については詳細不明。
テレビ番組
- 陽のあたる坂道(1965年、TBS)
- 源義経(1966年、NHK) - 一条良成役
- 武田信玄(1966年 - 1967年、YTV)
- オヤジも受験生(1967年、NTV)
- 文五捕物絵図(1967年、NHK)
- 彦左と一心太助(1969年、TBS)
- 忍法かげろう斬り 第19話「処女(むすめ)狩り」(1972年、KTV) - 伊之吉役
- どっこい大作(1973年、NET)
- ご存じ金さん捕物帳(1974年、NET)
- 太陽にほえろ! 第143話「霧の旅」(1975年、NTV)
- こころ(2003年、NHK)
映画 人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊(1968年、東映
馬主として
本名の西川賢名義で日本中央競馬会(JRA)の馬主資格を所有。冠名は「ウエスタン - 」、勝負服の柄は黄。北海道日高郡新ひだか町に生産牧場ウエスタンファーム(旧有限会社北西牧場、2009年名称変更)を持ち、所有馬のほとんどを自家生産するオーナーブリーダーでもある。また、日本馬主協会連合会副会長、中山馬主協会会長といった要職を務めている[1]。
1968年に弱冠20歳(当時史上最年少)で馬主資格を取得[1]。初勝利は1970年のミスコマコ(同馬はオークスにも出走し20着)。1975年に法人馬主である西川商事株式会社の代表に就任[1]。1997年頃、再び個人馬主となる(法人馬主である株式会社西川代表となった父の勝負服を受け継ぐ)。個人馬主となって数年は所有馬の勝ち数が1桁や0の年もあり苦戦していたが、2007年には11勝し、翌2008年も2桁勝利に加え、ウエスタンダンサーで西川商事時代のウエスタンファイブ(1984年札幌3歳ステークス、1985年牝馬東京タイムズ杯)以来23年ぶり(北西牧場生産馬としても23年ぶり)[1]に重賞競走を制覇するなど飛躍している。また近年は短距離路線での活躍が目立つ。
重賞勝ち馬(西川商事時代を含む)
- ウエスタンダッシュ(1975年金杯(東))
- ウエスタンバード(1976年福島記念)
- ウエスタンジョージ(1980年愛知杯、1981年金杯(西)・中日新聞杯)
- ウエスタンジェット(1981年アルゼンチン共和国杯・日経賞)
- ウエスタンファイブ(1984年札幌3歳ステークス、1985年牝馬東京タイムズ杯)
- ウエスタンダンサー(2008年京阪杯)
ウエスタンファーム(北西牧場)の主な生産馬
- フジノパーシア(1971年産、1975年天皇賞(秋)、1976年宝塚記念・高松宮杯)
- スリージャイアンツ(1975年産、1979年天皇賞(秋)・ダイヤモンドステークス)フジノパーシアの半弟、父の共同所有馬