「横山昭二」の版間の差分
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
|||
20行目: | 20行目: | ||
「私は有能な弁護士であるという自信があります」「事務所にある法律関係の本は六法です」と公言<ref name="motoki43" />。 |
「私は有能な弁護士であるという自信があります」「事務所にある法律関係の本は六法です」と公言<ref name="motoki43" />。 |
||
[[ |
[[愛煙家]]で、いつも両切りの[[ピース (たばこ)|ピース]]をくわえているのがトレードマークであった。甘いもの好きで、[[阿佐ヶ谷]]の喫茶店で[[オレンジジュース]]をおいしそうに飲む姿が数回テレビ放映された。その一方、[[歯磨き]]が嫌いで、[[むし歯]]のため殆ど歯がなかったとされる。[[ベレー帽]]と[[ネクタイ]]なしのシャツに[[背広]]の[[上着]]、[[かばん|ショルダー・バック]]が定番であり、独特のキャラクターや風貌により、オウム事件後の知名度は急上昇した。 |
||
[[2004年]]、[[2005年]]の「年越し[[ロンドンハーツ]]」に特別出演し、マスコミに揉みくちゃにされる自虐ネタを自ら買って出て演じた。なお2回とも出演はこのシーンのみである。 |
[[2004年]]、[[2005年]]の「年越し[[ロンドンハーツ]]」に特別出演し、マスコミに揉みくちゃにされる自虐ネタを自ら買って出て演じた。なお2回とも出演はこのシーンのみである。 |
2017年3月1日 (水) 00:25時点における版
横山 昭二(よこやま しょうじ、1927年12月18日 - 2007年?)は、日本の検察官・弁護士。1996年に大阪弁護士会から除名処分を受け弁護士を廃業した後は、歴史(主に世界史)を研究しながら余生を送った。
来歴
東京都江東区深川生まれ。炭坑夫を経て、中央大学法学部二部に入学するも後に中退。大学中退後は肉体労働に従事しながら、30歳のときに司法試験に合格。司法修習13期を修了。同期に山花貞夫や一井淳治、堀田力がいる。1961年に検察官任官。検察官を退官した後は弁護士に転じる。
かつて弁護した暴力団員の紹介で、一連のオウム真理教事件でのオウム真理教教祖の麻原彰晃(松本智津夫)の最初の私選弁護人を1995年6月9日から務めた[1]。弁護料は月150万円[2]。初公判の前日の10月25日に麻原により解任されるが、10月27日に再任される。10月22日には横山を乗せたオウム信者が運転する車が交通事故を起こして横山が負傷して2週間の予定で入院したり、11月17日、翌年の大阪弁護士会除名の原因となる債務整理の預託金の返還請求の訴訟を起こされ、12月2日に再び麻原により解任された[3]。12月21日には『週刊現代』に掲載された麻原の供述調書を流出させた秘密漏洩罪容疑で自宅マンションが家宅捜索され、事情聴取も受ける[4]。
これらの過程で、横山の独特のキャラクターは、マスメディアの注目を集め、連日連夜報道機関から追い回される日々が続いて、お茶の間の話題を独占。一時期はバラエティー特番への出演も頻繁に行っていた。
1996年6月13日、横山は麻原の供述調書の横流しや弁護士費用の着服疑惑のため、大阪弁護士会から除名の懲戒処分を受け、弁護士を廃業した。その後はかねてから関心のあった歴史(世界史)を研究しながら、大阪府河内長野市で余生を送った。また弁護士廃業後も、何度かテレビ番組に出演している。
2006年7月19日、肺癌を患い闘病中であるとスポーツ紙で報じられた。同年春先、中期ガンであると診断され、本人は延命治療を拒否しようとしたが、家族が抗がん剤による治療を勧め、本人も承諾することになった。治療の結果、危機的な状態からは脱し、その後は「日本の刑事裁判における裁判官の暴走」というテーマで本を執筆中だったという。
2007年8月6日発売の写真週刊誌FLASHの特集「日本の人権派弁護士」の中で麻原の弁護人として紹介され、「故人」と表記された。死因は肺癌と思われるが正確な死亡日時、死因は不明。
人物
苦労して弁護士になっただけに人情家であったが、その一方頑固一徹なところがあった。
「私は有能な弁護士であるという自信があります」「事務所にある法律関係の本は六法です」と公言[1]。
愛煙家で、いつも両切りのピースをくわえているのがトレードマークであった。甘いもの好きで、阿佐ヶ谷の喫茶店でオレンジジュースをおいしそうに飲む姿が数回テレビ放映された。その一方、歯磨きが嫌いで、むし歯のため殆ど歯がなかったとされる。ベレー帽とネクタイなしのシャツに背広の上着、ショルダー・バックが定番であり、独特のキャラクターや風貌により、オウム事件後の知名度は急上昇した。
2004年、2005年の「年越しロンドンハーツ」に特別出演し、マスコミに揉みくちゃにされる自虐ネタを自ら買って出て演じた。なお2回とも出演はこのシーンのみである。
オウム真理教事件
1995年の松本逮捕の後、松本の弁護人を買って出て、そのまま松本の私選弁護人となる。当時はオウム真理教の幹部が連日連夜報道番組等に出演して芸能人のような扱いを受けており、横山も例に漏れず同様の扱いを受ける。
殊に横山は、その独特の雰囲気やしゃべり方から「横弁」の渾名がつくほどの人気を得た。しかし、日を経る毎に他の裁判での弁護費用の310万円の着服等の疑惑が取り沙汰され、これに関することでマスコミに追い回されることとなった。
当初は「や、や、やめてくださ〜い」と当惑ながらも冷静で丁寧な対応をしていたが、やがてそのあまりのしつこさにキレた横山の「この〜、大馬鹿者が!」「バカモンっ!」や「も〜う、やめて〜」に代表される一連の発言は、バラエティ番組やラジオでタモリ、志村けん、岡村隆史、坂崎幸之助、加藤茶などにモノマネされ、また、本人も出演することも多かった。
不祥事
麻原の私選弁護人就任後、横山には供述調書の講談社への横流しや、弁護士費用の着服等の疑惑が取り沙汰され、裁判所の判断により私選弁護人の横山がいながら、麻原には別に国選弁護人がつけられる異例の事態に発展する。
しかし、国選弁護人は初公判の日時をめぐり、裁判所と激しく対立する。その時、早く公判を開きたい裁判所側は、国選弁護人と意見の合わない横山に注目し、横山を麻原の主任弁護人にすることを画策するが、国選弁護人らにより阻止された。
その後横山は私選弁護人を再び解任される。さらに着服や供述調書の横流しが問題視され、1996年6月13日、大阪弁護士会から除名処分を受けた[5]。
名誉毀損の被害
「横山弁護士は大阪弁護士会3000人のうち3001番目の弁護士だ」などとワイドショーで発言し名誉を毀損したとして、大阪弁護士会に所属する弁護士山之内幸夫を相手に民事訴訟を起こした。1審では敗訴したが、2審で勝訴し、30万円の損害賠償請求が認められた。
写真週刊誌の『FLASH』も横山が大阪弁護士会で2001番目の弁護士だという記事を掲載し、名誉毀損だとの横山の訴えを大阪府警察が受理し、『FLASH』編集者を1日7時間、2日にわたって取り調べをした[6]。
著書
- 『大馬鹿者―私の話を聞きなさい』(ディエスシー、1996年)ISBN 4795240280
脚注
- ^ a b 元木昌彦『週刊誌編集長 週刊現代・フライデー・Web現代編集長が明かす、スキャンダル、事件報道現場の3300日』展望社、2006年、p.43
- ^ 元木(2006)、p.45
- ^ 佐木隆三『裁かれる家族 断たれた絆を法廷でみつめて』東京書籍、2001年、pp.82-83
- ^ 元木(2006)、p.57
- ^ 『自由と正義』47巻8号。
- ^ 元木昌彦『週刊誌は死なず』朝日新書、2009年、p.34