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「マイケル・ブラッドリー (サッカー選手)」の版間の差分

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=== ボルシアMG ===
=== ボルシアMG ===
[[2008年]][[8月31日]]、[[サッカー・ブンデスリーガ_(ドイツ)|ドイツ]]の[[ボルシア・メンヒェングラートバッハ]](以降ボルシアMGと表記)と4年契約を結んだ<ref>{{cite web | last=Coerts | first=Stefan | title=Bradley Heading For Gladbach | url=http://www.goal.com/en-us/Articolo.aspx?ContenutoId=842729 | publisher=Goal.com | date= 2008-08-31 | accessdate = 2011-02-06}}</ref>。移籍金は公開されていない。[[プレミアリーグ|イングランド]]の[[バーミンガム・シティ]]に移籍する予定だったが、バーミンガム・シティが[[フットボールリーグ・チャンピオンシップ|FLチャンピオンシップ]](2部)に降格したために取りやめられたことが後に明らかにされた<ref>{{cite web |url=http://www.birminghammail.net/birmingham-sport/birmingham-city-fc/birmingham-city-fc-news/2008/05/22/birmingham-city-miss-out-on-two-more-targets-97319-20947922/ |title=Birmingham City miss out on two more targets |date=2008-05-22 |accessdate=2011-01-30 |publisher=birminghammail.net}}</ref>。[[9月20日]]の[[ヘルタ・ベルリン]]戦でブンデスリーガデビューし、[[11月15日]]の[[バイエルン・ミュンヘン]]戦で80分にヘディングで移籍後初得点となる同点弾を決めた。
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2009-10シーズン序盤には[[ミヒャエル・フロンツェック]]監督と口論になってしばらくの間メンバーから外されたが、その後ふたりは和解し、ブラッドリーは再びスタメンで出場した。バイエルン戦ではワンタッチボレーのパスで得点をアシストし、さらに[[ハノーファー96]]戦では低い弾道の直接フリーキックで決勝点を挙げた。
2009-10シーズン序盤には[[ミヒャエル・フロンツェック]]監督と口論になってしばらくの間メンバーから外されたが、その後ふたりは和解し、ブラッドリーは再びスタメンで出場した。バイエルン戦ではワンタッチボレーのパスで得点をアシストし、さらに[[ハノーファー96]]戦では低い弾道の直接フリーキックで決勝点を挙げた。

2017年8月29日 (火) 09:59時点における版

マイケル・ブラッドリー
名前
ラテン文字 Michael Bradley
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1987-07-31) 1987年7月31日(37歳)
出身地 プリンストン
身長 186cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム カナダの旗 トロントFC
ポジション MF
背番号 4
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2005 アメリカ合衆国の旗 メトロスターズ 30 (1)
2005-2008 オランダの旗 ヘーレンフェーン 63 (18)
2008-2011 ドイツの旗 ボルシアMG 76 (10)
2011 イングランドの旗 アストン・ヴィラ(Loan) 3 (0)
2011-2012 イタリアの旗 キエーヴォ 35 (1)
2012-2014 イタリアの旗 ローマ 41 (2)
2014- カナダの旗 トロント 91 (8)
代表歴2
2002-2004 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国U-17 6 (0)
2004 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国U-18 1 (0)
2004-2007 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国U-20 8 (1)
2008 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国U-23 4 (0)
2006- アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 136 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2017年7月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マイケル・ブラッドリー(Michael Bradley、1987年7月31日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のサッカー選手トロントFC所属。アメリカ代表である。ポジションはMF(ボランチ)。豊富な運動量で中盤全域をカバーする。父は現スウォンジー・シティAFC監督のボブ・ブラッドリー

クラブ経歴

初期の経歴

ニュージャージー州プリンストンに生まれたが、サッカー指導者である父親がシカゴ・ファイアーの監督を務めていた間はイリノイ州・パラタインで過ごした。シカゴ・ソッカーズFCでプレーし、2002年の全国選手権では3位入賞した。2002年秋から2004年春までの4シーズンはU-17アメリカ代表の研修プログラムに参加した。

メトロスターズ

2004年MLSドラフトで、実父のボブ・ブラッドリーが率いるメトロスターズに全体13位で指名された。デビューシーズンは足の負傷により全く試合に出場することができなかったが、2005年にレギュラーポジションを獲得し、32試合中30試合に出場した。シーズン終盤にはB・ブラッドリー監督が解任されたが、最終節となった1週間後のチーヴァス・USA戦でプロ初得点となるヘディングシュートを決め、チームをプレーオフに導いた。

ヘーレンフェーン

2006年1月30日オランダSCヘーレンフェーンに移籍した。4月16日AZアルクマール戦で初めて先発出場すると、それからは先発出場の機会が増え、UEFAカップ出場権獲得に貢献した。2006-07シーズン終了後にMFポール・ボスフェルトが引退してからは、彼の定位置であったセントラル・ミッドフィールドのポジションに定着した。2007-08シーズンはリーグ戦での16得点(リーグ5位タイ)を含めてすべての大会で20得点を挙げ、ブライアン・マクブライドイングランドフラム時代に達成した記録を破り、アメリカ人選手がヨーロッパのトップリーグで記録した1シーズンの最多得点記録を破った。

ボルシアMG

2008年8月31日ドイツボルシア・メンヒェングラートバッハ(以降ボルシアMGと表記)と4年契約を結んだ[1]。移籍金は公開されていない。イングランドバーミンガム・シティに移籍する予定だったが、バーミンガム・シティがFLチャンピオンシップ(2部)に降格したために取りやめられたことが後に明らかにされた[2]9月20日ヘルタ・ベルリン戦でブンデスリーガデビューし、11月15日バイエルン・ミュンヘン戦で80分にヘディングで移籍後初得点となる同点弾を決めた。

2009-10シーズン序盤にはミヒャエル・フロンツェック監督と口論になってしばらくの間メンバーから外されたが、その後ふたりは和解し、ブラッドリーは再びスタメンで出場した。バイエルン戦ではワンタッチボレーのパスで得点をアシストし、さらにハノーファー96戦では低い弾道の直接フリーキックで決勝点を挙げた。

アストン・ヴィラへのレンタル移籍

2011年1月30日イングランドアストン・ヴィラにシーズン終了までの契約でレンタル移籍した[3][4]。しかし、ヴィラでは出場機会に恵まれず3試合の出場に留まった。5月12日にレンタル期限満了でボルシアMGに復帰。

キエーヴォ・ヴェローナ

2011年8月30日イタリアACキエーヴォ・ヴェローナへ移籍[5]。キエーヴォでは3センターハーフの一角として攻守にわたって活躍し、1部残留に貢献した。

ASローマ

2012年7月15日ASローマに4年契約で移籍が決定[6]。4年契約で移籍金は375万ユーロ。

トロントFC

2014年1月9日、出場機会を求めてトロントFCに移籍し、8年ぶりにMLSに復帰した[7]。移籍金は1,000万ユーロ。

代表歴

2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会に向けてノースカロライナ州・カリーで行われたアメリカ代表のトレーニングキャンプに参加した。5月26日ベネズエラ戦で途中出場して代表初キャップを刻み、そのすぐ後のラトビア戦で2キャップ目を刻んだが、本大会出場メンバーからは外れた。2006年末には実父のボブがアメリカ代表監督に就任し、マイケルはそのチームの中で重要な選手としての地位を確立した。2007年5月28日グアテマラとの親善試合で初めて先発出場した。CONCACAFゴールドカップではレギュラーとして出場し、準決勝のカナダ戦ではレイトタックルで退場処分を受けたが、それまでの活躍でアメリカ代表を優勝に導いた。FIFA U-20ワールドカップではすべての試合に出場し、ベスト16のウルグアイ戦では107分に決勝点を決めた[8]2007年10月17日スイスとの親善試合でアメリカA代表としての初得点を記録した。これらの活躍で、2007年のアメリカ最優秀若手アスリートに選ばれた[9]オハイオ州コロンバスで行われた2010 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選メキシコ戦ではひとりで2得点を挙げ、最大のライバル相手に2-0で快勝した[10]

2009年に出場したFIFAコンフェデレーションズカップ2009では、グループリーグのエジプト戦でMFランドン・ドノバンからのパスを受けて63分に得点し、エジプトを3-0で破って準決勝に進出した[11]。準決勝のスペイン戦では優勝候補を2-0で破る金星を挙げたが、自身はレッドカードにより退場処分を受けた。2-3で敗れた決勝のブラジル戦には出場できず[12]、また同年のCONCACAFゴールドカップで3試合の出場停止を消化する必要があった[13]

2010年にはFIFAワールドカップ・南アフリカ大会に出場し、6月18日スロベニア戦(2-2)で代表8得点目を決めた[14]8月10日ブラジル戦では初めて代表キャプテンを務めた。

2014年にはFIFAワールドカップ・ブラジル大会に出場した。

個人成績

クラブでの出場記録

クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点 出場得点
アメリカ リーグUSオープン杯 リーグ杯 北中米カリブ海 通算
2004 メトロスターズ MLS 0 0 0 0 0 0
2005 30 1 0 0 30 1
オランダ リーグKNVB杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2005–06 ヘーレンフェーン エールディヴィジ 6 0 0 0 6 0
2006–07 21 0 0 0 4 0 25 0
2007–08 36 16 2 2 32 18
ドイツ リーグDFBポカール リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2008–09 ボルシアMG ブンデスリーガ 28 5 0 0 28 5
2009–10 29 2 2 0 31 2
2010–11 19 3 3 1 22 4
イングランド リーグFAカップ FLカップ ヨーロッパ 通算
2011 アストン・ヴィラ プレミアリーグ 3 0 1 0 - - 4 0
イタリア リーグイタリア杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2011-12 キエーヴォ・ヴェローナ セリエA 35 1 0 0 - - 35 1
2012-13 ASローマ 30 1 5 0 - - 35 1
2013-14 11 1 0 0 - - 11 1
カナダ リーグカップ リーグ杯 北中米カリブ海 通算
2014 トロントFC MLS 25 2 2 1 - - 27 3
2015 25 5 2 0 - - 27 5
2016 24 1 0 0 - - 24 1
通算 アメリカ 30 1 0 0 0 0 0 0 30 1
オランダ 63 16 0 0 0 0 6 2 69 18
ドイツ 76 10 5 1 0 0 0 0 81 11
イングランド 3 0 1 0 0 0 0 0 4 0
イタリア 76 3 5 0 0 0 0 0 81 3
カナダ 74 8 4 1 0 0 0 0 78 9
総通算 322 38 15 2 0 0 6 2 343 42

代表での出場記録


アメリカ代表国際Aマッチ
出場得点
2006 2 0
2007 12 1
2008 11 2
2009 15 4
2010 10 1
2011 12 1
2012 9 2
2013 10 0
2014 9 1
2015 18 3
2016 17 0
2017 11 2
通算 136 17

代表での得点

代表での出場大会

タイトル

クラブ

トロントFC

代表

アメリカ代表

個人

脚注

  1. ^ Coerts, Stefan (2008年8月31日). “Bradley Heading For Gladbach”. Goal.com. 2011年2月6日閲覧。
  2. ^ Birmingham City miss out on two more targets”. birminghammail.net (2008年5月22日). 2011年1月30日閲覧。
  3. ^ Villa in talks with USA ace Bradley over loan moveアストン・ヴィラ公式サイト、2011年1月30日
  4. ^ アメリカ代表ブラッドリー、ヴィラ移籍が決定”. Goal.com (2011年2月1日). 2011年2月6日閲覧。
  5. ^ アメリカ代表MFがセリエAに挑戦Goal.com 2011年8月31日
  6. ^ ローマ、ブラッドリー獲得を正式発表Goal.com 2012年7月16日
  7. ^ ローマ、ブラッドリーのMLS移籍が決定Goal 2014年1月10日
  8. ^ Match Report: USA – Uruguay”. FIFA (2007年7月11日). 2011年2月6日閲覧。
  9. ^ U.S. Soccers All-Time Athlete of the Year Award Winners”. USSoccer.com. 2009年6月30日閲覧。 [リンク切れ]
  10. ^ “U.S. continues domination of Mexico on Bradley's two goals”. AP. Columbus. (2009年2月11日). http://sportsillustrated.cnn.com/2009/soccer/02/11/mexico.us.soccer.ap/index.html?eref=T1 2009年2月12日閲覧。  [リンク切れ]
  11. ^ “U.S. Advances to Semifinals of FIFA Confederations Cup”. USSoccer.com. (2009年6月21日). http://www.ussoccer.com/articles/viewArticle.jsp_14942214.html 2009年6月26日閲覧。  [リンク切れ]
  12. ^ “U.S. Men's National Team Advances to First-Ever Final in a FIFA Tournament with 2–0 Victory Against Spain in 2009 FIFA Confederations Cup”. USSoccer.com. (2009年6月24日). http://www.ussoccer.com/articles/viewArticle.jsp_14942230.html 2009年6月26日閲覧。  [リンク切れ]
  13. ^ Bradley suspended for three matches”. ESPN (2009年7月7日). 2011年1月30日閲覧。
  14. ^ Ornstein, David (2010年6月18日). “Slovenia 2–2 USA”. BBC Sport. http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2010/matches/match_22/default.stm 2011年2月6日閲覧。 

外部リンク