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| 『市民ケーン』 |
| 『市民ケーン』 |
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| 19位 |
| 19位 |
2017年9月4日 (月) 18:26時点における版
市民ケーン | |
---|---|
Citizen Kane | |
監督 | オーソン・ウェルズ |
脚本 |
ハーマン・J・マンキーウィッツ オーソン・ウェルズ |
製作 | オーソン・ウェルズ |
出演者 |
オーソン・ウェルズ ジョゼフ・コットン ドロシー・カミンゴア |
音楽 | バーナード・ハーマン |
撮影 | グレッグ・トーランド |
編集 | ロバート・ワイズ |
製作会社 | マーキュリー・プロダクション |
配給 | RKO |
公開 |
1941年5月1日 1966年6月14日 |
上映時間 | 119分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $686,033 |
興行収入 |
$990,000(北米配収) $300,000(海外配収)[1] |
『市民ケーン』(しみんケーン、原題: Citizen Kane)は、1941年公開のアメリカ映画。RKO配給。監督・製作・脚本・主演はオーソン・ウェルズ。モノクロ、119分。
オーソン・ウェルズの監督デビュー作。「バラのつぼみ」という言葉を残して亡くなった新聞王ケーンの孤独で空虚な生涯を、それを追う記者が取材した関係者の証言から回想形式に描かれる。主人公のケーンが実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしていたことから、ハーストによって上映妨害運動が展開され、第14回アカデミー賞では作品賞など9部門にノミネートされながら、脚本賞のみの受賞にとどまった。しかし、通常の時間配列を無視した大胆な構成や、パン・フォーカス、長回し、ローアングルを多用した斬新な映像表現などにより、現在に至るまで世界映画史上のベストワンとして高く評価されている。英国映画協会が10年ごとに選出するオールタイム・ベストテン(The Sight & Sound Poll of the Greatest Films of All Time)では5回連続で第1位に選ばれ、AFI選出の「アメリカ映画ベスト100」でも第1位にランキングされている。1989年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。
ストーリー
暗く荒廃した大邸宅の幾つものショットでこの映画は幕を開ける[2]。屋敷の主、新聞王だったケーンが「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死ぬ。彼の生涯をまとめたニュース映画の試写を見た経営者ロールストンは不満を持ち、彼の命を受け、編集のトムスンは、ケーンの最後の言葉の意味を探ってケーンに近かった人間を歴訪する。それは、2度目の妻で歌手のスーザン・アレクサンダー、後見人の銀行家のサッチャー(故人なので彼の回顧録)、ケーンの新聞「インクワイラー」のブレーン、バーンステインとリーランド、邸宅の執事の5人である。
ケーンの幼少の頃、宿泊費のかたにとった金鉱の権利書から母親は大金持ちになった。財産の管理と教育のためケーンは田舎の両親から離され、ニューヨークで育った。青年になったケーンは、友人のバーンステインとリーランドの協力を得て、新聞経営に乗り出す。センセーショナリズムによってケーンの新聞は売上を伸ばすが、友人たちはケーンの手法を批判する。しかし、彼は耳を貸さず、大統領の姪と結婚し、さらに上の権力を求めた。圧勝を予想された知事選挙の前日、歌手である愛人の存在をライバルにすっぱ抜かれたケーンは落選し、妻も彼のもとを去った。彼は愛人スーザンのために巨大なオペラ劇場を建設し、自分の新聞で大々的に宣伝したが、不評は覆うべくもなかった。悩んだ末に自殺未遂を引き起こしたスーザンは大邸宅に幽閉されたが、やがてケーンの元を去った。孤独のうちにケーンは死んだ。結局、トムスンに「バラのつぼみ」の意味は分からなかった。
だが、整理されて燃やされるケーンの遺品の中には「バラのつぼみ」と書かれた、彼が幼い頃遊んだ橇があった。
キャスト
- チャールズ・フォスター・ケーン(新聞王):オーソン・ウェルズ
- ジェデッドアイア・リーランド(ケーンの親友):ジョゼフ・コットン
- スーザン・アレクサンダー(ケーンの2番目の妻):ドロシー・カミンゴア
- バーンステイン(ケーンの親友):エヴェレット・スローン
- ジェームズ・W・ゲティス(ケーンの政敵):レイ・コリンズ
- ウォルター・サッチャー(ケーンの後見人):ジョージ・クールリス
- メアリー・ケーン(ケーンの母):アグネス・ムーアヘッド
- レイモンド(ケーンの執事):ポール・スチュアート (俳優)
- エミリー・ノートン(ケーンの最初の妻):ルース・ウォリック
- ハーバート・カーター(インクワイラー紙の編集長):アースキン・サンフォード
- トンプソン(ニュース記者):ウィリアム・アランド
- ジム・ケーン(ケーンの父)ハリー・シャノン
- ロールストン(ニュース映画のプロデューサー):フィリップ・ヴァン・ツァント
- 新聞記者:アラン・ラッド、アーサー・オコンネル
日本語吹替え
俳優 | NHK版 | PDVD版 |
---|---|---|
オーソン・ウェルズ | 小松方正 | 市川輝夫 |
ジョゼフ・コットン | 島宇志夫 | 本多啓吾 |
ルース・ウォリック | 広瀬由紀 | |
ドロシー・カミンゴア | 江家礼子 | 小林美穂 |
ジョージ・クールリス | かつまゆう | |
ウィリアム・アランド | 栗田圭 | |
レイ・コリンズ | 立岡光 | 岡本四郎 |
スタッフ
- 監督・製作:オーソン・ウェルズ
- 脚本:オーソン・ウェルズ、ハーマン・J・マンキーウィッツ
- 撮影:グレッグ・トーランド
- 音楽:バーナード・ハーマン
- 編集:ロバート・ワイズ
- アート・ディレクター:ヴァン・ボスト・ボルグレイス
- 美術:ペリー・ファーガソン
- 特殊効果:ヴァーノン・L・ウォーカー
- 衣裳:エドワード・スティーヴンソン
製作
製作経緯
当時、マーキュリー劇団を主宰していたオーソン・ウェルズは、1938年10月30日に放送したラジオドラマ『宇宙戦争』の放送中に火星人襲来のニュース速報を挿入する演出を行い、そのリアルな演出で全米をパニックに陥れたと話題になった。その才能に注目したのが当時経営難に遭っていたRKOであり、1939年にウェルズは10万ドルの報酬と製作に関するすべての権限を委ねるという破格の待遇で契約を結んだ。ウェルズは監督第1作としてジョセフ・コンラッド原作の『闇の奥』の映画化に取り掛かった。この作品ではほぼ全編を一人称カメラ(主観カメラ)で撮影するという特異な撮影スタイルを試みようとしたが、予算の都合などから製作中止となった[3](『闇の奥』は1979年にフランシス・フォード・コッポラが『地獄の黙示録』の題名で映画化している)。続いてニコラス・ブレイク原作のスパイ・スリラー小説『スマイラー・ウィズ・ア・ナイフ』の映画化も企画するが、こちらも中止となった[4]。そしてウェルズは、脚本家のハーマン・J・マンキーウィッツが長年温めていた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしたアイデアを基に、2人で改訂を繰り返しながら脚本を完成させた。
出演者とスタッフ
主要キャストにはマーキュリー劇団の俳優であるジョゼフ・コットン、アグネス・ムーアヘッドらを起用し、彼らはこれが最初の映画出演となった。主人公のケーンはウェルズ本人が演じ、当時25歳でありながらケーンの青年時代から晩年までを演じきった。また、アラン・ラッドとアーサー・オコンネルも新聞記者の役で端役出演している。スタッフでは、撮影を『嵐が丘』(1939年、ウィリアム・ワイラー監督)や『怒りの葡萄』(1940年、ジョン・フォード監督)などを手がけたグレッグ・トーランドをMGMから借り受けて起用したほか、音楽をウェルズのラジオドラマでも音楽を手掛けていたバーナード・ハーマン、編集を当時RKOの編集技師だったロバート・ワイズが担当した。
撮影の特徴
本作が高く評価される理由の1つとして、以下の斬新な演出が用いられたことが挙げられる。
- 物語の時間的配列を解体し、ケーンの関係者の証言を基に様々な視点からの回想を織り込み、主人公の生涯を浮かび上がらせるという構成
- 俳優の舞台的な演技を生かすためにショットを極力少なくした長回し(ワンシーン・ワンショット)の多用
- パンフォーカス(画面の前景から後景まで全てにピントを合わせ、奥行きの深い構図を作り出す撮影手法)の使用(この技法を用いることで前景と後景とで映し出される異なる動きが同時に描かれている)
- 極端なクローズアップ
- 広角レンズの使用
- ローアングルの多用(穴の開いた床にカメラを構えて撮影された)
ハーストの上映妨害
映画の主人公ケーンは、ハースト・コーポレーションの創業者であるアメリカの新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしており、ウェルズらもそれを秘密にして撮影を進めいていたが、これを知ったハーストが激怒し、RKOに圧力をかけて上映を妨害する工作を始めた。ハースト系新聞の女流コラムニストでハリウッドにも大きな影響力を持つルエラ・パーソンズは、試写を見て「きわめて不快な伝記映画」と酷評し[5]、ハースト系新聞は作品だけでなく、ウェルズ本人も「彼の舞台やドラマは共産主義的である」などと書きたてて批判した。ハーストはハリウッドのメジャー・スタジオにも圧力をかけ、ハーストを恐れたMGMのルイス・B・メイヤーらはRKOに全経費を補償する代わりに全てのネガとプリントを焼却するように薦めており、ハーストの報復を恐れて上映を拒否する映画館も続出した。
評価
公開時から批評家から高く評価され、第7回ニューヨーク映画批評家協会賞で作品賞、第13回ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞で作品賞に輝いたが、ハーストの上映妨害工作の影響で興行的に成功せず、第14回アカデミー賞でも多くの票を失ってしまった結果、作品賞・主演男優賞など9部門にノミネートされたものの、受賞したのは脚本賞のみとなった。授賞式では作品名が読み上げられただけでブーイングが起こる始末であった。
ニューヨークで作品を見たフランスの映画評論家ジャン=ポール・サルトルは「『市民ケーン』はわれわれが従うべきお手本ではない」と批判し、「(物語が)一切が終わった地点から遡って見られているため、映画固有の現在形の生が失われてしまっている」と指摘している。ジョルジュ・サドゥールも作品を「ハリウッドに一夜降ったドルの大雨で生えてきた巨大なキノコ」と呼び、ここにあるのは「古いテクニックの百科事典」と述べた。前景と後景を同時に写す撮影法はリュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』で実現済みであり、非現実的なセットはジョルジュ・メリエス、素早いモンタージュや二重露光は20年代の作品、天井が写るのはエリッヒ・フォン・シュトロハイムの『グリード (1924年の映画)』、ニュース映像の挿入はジガ・ヴェルトフを思わせるものであり、ウェルズはそれらをつぎはぎしたに過ぎないとし、「このお坊ちゃん監督をもう一度小学校に戻して、厳格に教育をやり直させるべきだ」と猛烈に批判した[6]。一方、ヌーベルバーグの精神的父親といわれるアンドレ・バザンはサルトルらの主張に反論して作品を絶賛し、これがきっかけで作品も再評価されていった。
現在では映画史上最大の傑作として高く評価され、映画誌や批評家らによる過去の作品を対象とする映画ランキングでも常に1位または上位にランキングされている。
受賞歴
賞 | 部門 | 候補者 | 結果 |
---|---|---|---|
アカデミー賞 | |||
作品賞 | ノミネート | ||
主演男優賞 | オーソン・ウェルズ | ノミネート | |
監督賞 | オーソン・ウェルズ | ノミネート | |
脚本賞 | ハーマン・J・マンキーウィッツ オーソン・ウェルズ |
受賞 | |
撮影賞(白黒) | グレッグ・トーランド | ノミネート | |
ドラマ音楽賞 | バーナード・ハーマン | ノミネート | |
編集賞 | ロバート・ワイズ | ノミネート | |
録音賞 | RKOラジオ・スタジオ・サウンド部 | ノミネート | |
室内装置賞(白黒) | ペリー・ファーガソン ヴァン・ネスト・ポルグレス アル・フィールズ ダレル・シルヴェラ |
ノミネート | |
ニューヨーク映画批評家協会賞 | |||
作品賞 | 受賞 | ||
主演男優賞 | オーソン・ウェルズ | ノミネート | |
監督賞 | オーソン・ウェルズ | ノミネート | |
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 | |||
作品賞 | 受賞 | ||
最優秀演技賞 | オーソン・ウェルズ ジョージ・クールリス |
受賞 |
ランキング入り
英国映画協会(BFI)の『Sight&Sound』誌が1952年から10年ごとに発表している「史上最高の映画ベストテン(The Sight & Sound Poll of the Greatest Films of All Time)」では、批評家が選ぶベストテンで1952年は13位だったものの、1962年・1972年・1982年・1992年・2002年の5回連続で1位に輝き、監督が選ぶベストテンでも1992年・2002年で1位となった。しかし、2012年は批評家が選ぶベストテンで2位(1位はアルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』)、監督が選ぶベストテンで3位(1位は小津安二郎監督の『東京物語』)となり、ともに首位陥落した。
AFIアメリカ映画100年シリーズの「アメリカ映画ベスト100」、「アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)」では両方とも1位にランクインしており、「アメリカ映画の名セリフベスト100」では主人公が死の直前に言った台詞「バラのつぼみ」が17位となった[7][8]。
海外
選考年 | 媒体・団体 | 部門 | 対象 | 順位 |
---|---|---|---|---|
1952年 | 英国映画協会 『Sight&Sound』誌 |
批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | 13位 |
1962年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | 1位 | |
1972年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | ||
1982年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | ||
1992年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | ||
映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | |||
2002年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | ||
映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | |||
2012年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | 2位 | |
映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 『市民ケーン』 | 3位 | ||
1958年 | ブリュッセル万国博覧会 | 世界映画史上の傑作12選 | 『市民ケーン』 | 9位 |
1998年 | アメリカ映画協会 | アメリカ映画ベスト100 | 『市民ケーン』 | 1位 |
2005年 | アメリカ映画の名セリフベスト100 | 「Rosebud.(バラのつぼみ)」 | 17位 | |
2007年 | アメリカ映画ベスト100(10周年エディション) | 『市民ケーン』 | 1位 | |
2008年 | カイエ・デュ・シネマ | 史上最高の映画100本 (Cahiers du cinéma’s Top 100)[9] |
『市民ケーン』 | 1位 |
2008年 | エンパイア | 歴代最高の映画ランキング500 (The 500 Greatest Movies of All Time)[10] |
『市民ケーン』 | 28位 |
2010年 | トロント国際映画祭 | エッセンシャル100[11] | 『市民ケーン』 | 2位 |
2013 | エンターテイメント・ウィークリー | オールタイムベスト100 (100 All-Time Greatest Movies)[12] |
『市民ケーン』 | 1位 |
2015年 | BBC | 史上最高のアメリカ映画100本 (The 100 Greatest American Films)[13][14] |
『市民ケーン』 | 1位 |
日本国内
選考年 | 媒体・団体 | 部門 | 対象 | 順位 |
---|---|---|---|---|
1966年 | キネマ旬報 | キネマ旬報ベスト・テン | 『市民ケーン』 | 2位 |
1980年 | 外国映画史上ベストテン | 『市民ケーン』 | 4位 | |
1988年 | 文藝春秋 | 大アンケートによる洋画ベスト150 | 『市民ケーン』 | 3位 |
1989年 | キネマ旬報 | 外国映画史上ベストテン | 『市民ケーン』 | 4位 |
1995年 | 外国映画 オールタイム・ベストテン | 『市民ケーン』 | 2位 | |
1999年 | オールタイム・ベスト100・外国映画編[15] | 『市民ケーン』 | 6位 | |
2009年 | オールタイム・ベスト映画遺産200 外国映画篇[16] | 『市民ケーン』 | 19位 |
その他
- オーソン・ウェルズはこの映画を撮る際に、映写室でジョン・フォード監督の『駅馬車』を繰り返し観て映画を勉強した。
- 1999年の映画『ザ・ディレクター [市民ケーン]の真実』はこの映画の製作の秘密を描いている。「RKO 281」はハーストに邪魔されないためのこの映画の暗号である。
ギャラリー
-
ジョゼフ・コットン
-
ルース・ウォリック
-
ドロシー・カミンゴア
-
アグネス・ムーアネッド
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ジョージ・クールリス
-
エヴェレット・スローン
-
レイ・コリンズ
-
アースキン・サンフォード
-
ポール・スチュアート
脚注
- ^ RKO Feature Film Ledger, 1929-51
- ^ サミュエル・テイラー・コールリッジの詩「クブラ・カーン」(Kubla Khan)から"blossoms many an incense-bearing tree.""a miracle of rare device."と紹介されるが、コールリッジもまた9歳で父と死別、ロンドンの学校でひとりで生活することになる。
- ^ 川崎佳哉『市民ケーン』と観客の知覚、2016年2月10日閲覧
- ^ 市民ケーン、2016年2月7日閲覧
- ^ 『最新版 アカデミー賞』、共同通信社、2002年4月19日、p.51
- ^ 映画を信じた男 アンドレ・パザン論、野崎歓、一橋大学、2016年2月10日閲覧
- ^ “AFI's 100 GREATEST AMERICAN MOVIES OF ALL TIME” (英語). AFI.com. 2016年2月7日閲覧。
- ^ “AFI'S 100 YEARS...100 MOVIES — 10TH ANNIVERSARY EDITION” (英語). AFI.com. 2016年2月7日閲覧。
- ^ “[cahiers-du-cinema-top-100 Cahiers du Cinéma Top 100]”. Movies List on MUBI. 2016年2月7日閲覧。
- ^ “The 500 Greatest Movies of All Time”. Empire. 2016年2月7日閲覧。
- ^ “The Toronto Film Festival’s Essential 100 Movies” (英語). Film (2012年12月22日). 2010年2月7日閲覧。
- ^ “100 ALL-TIME GREATEST MOVIES”. Filmsite.org language=英語. 2010年2月7日閲覧。
- ^ “英BBC選出「史上最高のアメリカ映画100本」 第1位は?”. 映画.com (2015年8月10日). 2015年8月10日閲覧。
- ^ “The 100 Greatest American Films” (英語). BBC (20 July 2015). 2015年8月10日閲覧。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924→2011』、キネマ旬報社、2012年5月23日、p.589
- ^ 「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開、キネマ旬報映画データベース、2016年2月7日閲覧 インターネットアーカイブ