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「神 (神道)」の版間の差分

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m 語源: 神(神)であるべきところを誤って神にそろえられたので戻し
 
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[[神道]]における'''[[神]]'''(かみ)とは、自然現象などの[[信仰]]や畏怖の対象である。「'''八百万の神'''」(やおよろずのかみ)と言う場合の「八百万」(やおよろず)は、数が多いことの例えである。
[[神道]]における'''[[神]]'''(かみ)とは、自然現象などの[[信仰]]や畏怖の対象である。「'''八百万の神'''」(やおよろずのかみ)と言う場合の「八百万」(やおよろず)は、数が多いことの例えである。


== 側面 ==
== 定義 ==
[[吉田神道]]の事実上の大成者である[[吉田兼倶]]による著書『[[神道大意]]』には、冒頭部分で「夫れ神と者天地に先て而も天地を定め、陰陽に超て而も陰陽を成す、天地に在ては之を神と云ひ、萬物に在ては之を霊と云ひ、人に在ては之を心と云ふ、心と者神なり、故に神は天地の根元也、萬物の霊性也、人倫の運命也、無形して而も能く有形物を養ふ者は神なり…」とある<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992876/12 神道叢説] 『神道大意』国書刊行会 p.8(国立国会図書館)</ref><ref>{{cite book|title=吉田叢書 第一編|publisher=内外書籍株式会社|author=宮地直一|year=1940|page=14}}</ref>。吉田神道は[[幕末]]頃までは、神道の一派というより中心流派であった<ref>{{Cite journal|和書|title=近世神社通史稿 |url=https://doi.org/10.15024/00001657 |author=井上智勝 |journal=国立歴史民俗博物館研究報告 |ISSN=02867400 |publisher=国立歴史民俗博物館 |year=2008 |month=dec |volume=148 |pages=269-288 |naid=120005748697 |doi=10.15024/00001657}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=十七世紀中葉における吉田家の活動:確立期としての寛文期 |url=https://doi.org/10.15024/00001659 |journal=国立歴史民俗博物館研究報告 |author=幡鎌一弘 |ISSN=02867400 |publisher=国立歴史民俗博物館 |year=2008 |month=dec |volume=148 |pages=331-356 |naid=120005748698 |doi=10.15024/00001659}}</ref>。

[[宮地直一]]は、時代により変遷がある観念であるカミは、「日常崇拝の對象となりしもの」「廣く超人間の威力あるもの」の総称、称であるものとしている<ref>{{cite book|title= 神祇史綱要|page=4-5|author= 宮地直一|year=1919|url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943702/10|publisher= 明治書院}}(国立国会図書館)</ref>。

=== 他言語との関係 ===
日本語における「神」という言葉は、元々は神道の神を指すものであった。ただし『日本書紀』にはすでに仏教の尊格を「[[蕃神]]」とする記述が見られる。16世紀に[[キリスト教]]が日本に入ってきた時、キリスト教で信仰の対象となるものは「[[デウス]]」「天主」などと呼ばれ、神道の神とは(仏教の仏とも)別のものとされた。しかし、明治時代になってそれが「神」と訳された。

他言語においては、神道の神を指す場合は "kami" として一般的な神とは区別されることもある。

=== 語源 ===
[[ファイル:神 kyuujitai.PNG|right|thumb|126px|「神」の字の旧字体「&#xfa19;」。]]
漢字の「神」は、祭祀を意味する「示」に音符「申」を付した字で、祭祀および祭祀対象である神霊の類を示す。また「神祇」とした場合は、地の神である「祇」に対し、天空にいる雷神の類を意味する。「神」字は、日本においては「カミ」と訓じられ、日本の神霊的存在の総称として定着した<ref name=itou>伊藤聡 2012年</ref>。

現代日本語では「神」と同音の言葉に「[[上]]」がある。「神」と「上」の関連性は一見する限りでは明らかであり、この2つが同語源だとする説は古くからあった。しかし江戸時代に[[上代特殊仮名遣]]が発見されると、「神」はミが乙類 (kamï) 、「上」はミが甲類 (kami) と音が異なっていたことがわかり、昭和50年代に反論がなされるまでは俗説として扱われていた。
<!--上代特殊仮名遣の8母音説については反論もあるので、上代特殊仮名遣のページにて議論してください-->

ちなみに「身分の高い人間」を意味する「長官」「守」「皇」「卿」「頭」「伯」等(現代語でいう「オカミ」)、「龗」(神の名)、「狼」も、「上」と同じくミが甲類(kami)であり、「髪」「紙」も、「上」と同じくミが甲類(kami)である。

「神 (kamï)」と「上 (kami)」音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こったとする説もある。

[[神武天皇|神倭伊波礼毘古命]](カムヤマトイワレヒコ)、[[コノハナノサクヤビメ|神阿多都比売]](カムアタツヒメ)、[[神屋楯比売|神屋楯比売命]](カムヤタテヒメ)などの[[複合語]]で「神」が「カム」となっていることから、「神」は古くは「カム」かそれに近い音だったことが推定される。[[大野晋]]や[[森重敏 (国語学者)|森重敏]]などは、ï の古い形として [[内的再構|*]]<nowiki/>ui と *oi を推定しており、これによれば kamï は古くは *kamui となる。これらから、「神」は[[アイヌ語]]の「[[カムイ]] (kamui)」と同語源だという説もある。{{誰2|date=2018年3月}}

{{citation needed|「カム」には「交む」「組む」「絡む」「懸かる」「係わる」「案山子」「影」「鍵、鉤」「嗅ぐ」「輝く」「翳す」「首」「株」「黴(かび)」「賀茂、鴨」「醸す」「食む(はむ)」「生む」「這う」「蛇(ハブ、はふむし)」「土生、埴生(はぶ)」「祝(はふる)」「屠る(ほふる)」「放る」などの派生語がある。|date=2021-09}}

現時点では、[[本居宣長]]が『[[古事記伝]]』のなかで「迦微(かみ)と申す名の義はいまだ思い得ず」といっているように、語源についての明確な定説はない<ref name=itou />。

=== 八百万の神 ===
{{See also|アニミズム|トーテミズム|シャーマニズム|多神教}}
{{いつ範囲|日本では古くから|date=2021年9月}}、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様([[厠神]] かわやがみ){{sfn|小学館|2021f|p=「厠神」}}、台所の神様([[かまど神]]){{sfn|平凡社|2021d|p=「竈神」}}など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。少なくとも[[古墳時代]]には、現在の神社につながる自然崇拝の痕跡がある事が明らかになっていると考えられている<ref name=kodai>{{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.15024/00001647 |title=古代日本の神仏信仰 |author=北條勝貴 |journal=国立歴史民俗博物館研究報告 |ISSN=02867400 |publisher=国立歴史民俗博物館 |year=2008 |month=dec |volume=148 |pages=7-39 |naid=120005748687 |doi=10.15024/00001647}}</ref>。

18世紀の国学者、[[本居宣長]]は『古事記伝』で「八百万は、数の多き至極を云(いへ)り」と解釈している{{sfn|小学館|2021e|p=「八百万神」}}。
『[[古事記]]』では[[アマテラス|天照大御神]]が[[天岩戸]]に隠れて世界から光が失われた際に八百万の神が集まって相談したという記述がある<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031649/11 古事記]』 [[幸田成友]] 校訂 岩波書店 p.19(国立国会図書館)</ref>。『[[延喜式]]』の『[[大祓詞|六月晦大祓]]』には、八百万の神が相談して皇孫が豊葦原ノ瑞穂ノ国を治めるように決定したと書いてある<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991103/143 国史大系. 第13巻] 経済雑誌社 編 p.268(国立国会図書館)</ref><ref>{{Cite web|和書|title=大祓詞|url= http://www2.kokugakuin.ac.jp/kaihatsu/oharai/t_02.html|website=國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館|accessdate=2021-09-18}}</ref>。

[[神道]]は、すべてのものが精神的な性質(人格があるか、擬人化された魂、霊等)を持つと信じる[[アニミズム]]の特徴を保持してきたとされる場合がある{{sfnm|1a1=Nelson|1y=1996|1p=7|2a1=Picken|2y=2011|2p=40}}。動植物やその他の事物に人格的な霊魂、霊神が宿るとするアニミズムは、非人格的な超常現象、超自然的な呪力を崇拝する[[マナ]]イズム(呪力崇拝)とは区別される{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021d|p=「自然崇拝」}}{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021e|p=「精霊崇拝」}}。[[アニミズム]]はすべてのものに魂があると主張するのに対し、物活論はすべてのものが生きていると主張する<ref name="Skrbina-2005">Skrbina, David. (2005). ''Panpsychism in the West''. MIT Press. {{ISBN2|0-262-19522-4}}</ref>{{rp|149}}<ref>{{Cite journal |author=Carus, Paul |year=1893 |url=https://doi.org/10.5840/monist18933222 |title=Panpsychism and panbiotism |journal=The Monist |volume=3 |issue=2 |pages=234-257 |doi=10.5840/monist18933222 |JSTOR=27897062}}</ref>。一方で本居宣長は神には御霊があるものと霊ではなく自然体の「かしこさ」を神格化したものの二つを挙げている<ref>{{Cite journal|和書|author=大久保紀子 |title=本居宣長の神の定義について |journal=[http://ajih.jp/backnumber/26-30.htm 日本思想史学] |ISSN=03865770 |publisher=日本思想史学会 |year=1996 |issue=28 |pages=129-146 |naid=40004188663 |url=http://ajih.jp/backnumber/pdf/28_02_04.pdf |format=PDF}}</ref>。

特定の氏族、部族が自然現象・自然物や動植物と超自然的関係で結ばれることをトーテムと呼び{{sfn|平凡社|2021a|p=「トーテム」}}、[[南方熊楠]]は、[[大物主]]を[[蛇]]トーテムとした<ref name="#1">南方熊楠 『南方熊楠全集』第2巻 119頁</ref>。

八万四千の法門の「八万四千」は、[[仏教]]で「多数」を意味する語{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021a|p=「八万四千の法門」}}であり、八百の由来とする説がある。他にも[[八大地獄]]、八大奈落、八大明王、[[八大童子]]、[[八大菩薩]]などがあり、八は多くの仏教用語で使用されている。

仏教伝来時に発生した崇仏・廃仏論争において[[物部尾輿]]・[[中臣鎌子]]らは「我が国の王の天下のもとには、天地に180の神がいます。今改めて蕃神を拝せば、国神たちの怒りをかう恐れがあります<ref>「我國家之王天下者 恆以天地社稷百八十神 春夏秋冬 祭拜為事 方今改拜蕃神 恐致國神之怒」日本書紀、仏教公伝</ref>」と反対、私的な礼拝と寺の建立が認められた。しかし直後に疫病が流行し物部・中臣氏らは「仏神」のせいで国神が怒っているためであると奏上。欽明天皇は仏像の廃棄、寺の焼却を黙認したという{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021b|p=「蘇我稲目」}}。[[神仏習合]]が進んだものの、[[斎宮]]には仏教に関する[[タブー|禁忌]]が存在した<ref>{{Cite journal|和書|author=長塩智恵 |title=斎王の仏教忌避思想の形成 |journal=京都女子大学大学院文学研究科研究紀要. 史学編 |ISSN=1349-6018 |publisher=京都女子大学 |year=2013 |issue=12 |pages=35-62 |naid=120005303138 |url=https://hdl.handle.net/11173/192}}</ref>。

[[中央集権]]化に伴い、神に対して人間の[[位階]]に相当する[[神階]]を奉授する神階制が成立した<ref name=kodai/><ref>{{Cite journal|和書|author=巳波利江子 |title=8・9世紀の神社行政 : 官社制度と神階を中心として |journal=寧楽史苑 |ISSN=0287-8364 |publisher=奈良女子大学史学会 |date=1985-02 |issue=30 |pages=22-57 |naid=110000297260 |id={{hdl|10935/2049}} |url=http://hdl.handle.net/10935/2049}}</ref>。

=== 神と霊 ===
たたりを恐れ崇拝の対象とする死霊崇拝は[[アニミズム]]の一形態とされている{{sfn|小学館|2021d|p=「死霊崇拝」}}。[[神社]]で[[怨霊]]を鎮めるために神として祀るなどした{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021c|p=「怨霊」}}。中国では魏([[220年]] - [[265年]])、晋以後に広まっているが、日本では奈良・平安・鎌倉時代に盛んに信仰され、[[御霊信仰|怨霊がもたらす不幸]]を防ぐために呪法が行われたとされる{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021c|p=「怨霊」}}。

神道において、特に有力な人物や恨みを残して亡くなった人物を『神』として祀り、祟りを避けようとした例は数多い。中でも[[菅原道真]]を祀る[[天満宮]]は亡くなった人間を神として扱う顕著な例である。ただし、道真の生前から存在する神社([[生祠]])<ref>[https://www.ikimi.jp/yuisho/iware.html 生身天満宮|由緒 - 日本最古の天満宮のいわれ]</ref>や、出生譚には神仏の化身として現世に顕現した説話も存在する<ref name="takeda">{{Cite book|和書|editor=武田佐知子|editor-link=武田佐知子|title=太子信仰と天神信仰 信仰と表現の位相|year=2010|publisher=[[思文閣出版]]|isbn=978-4-7842-1473-0|page=312}}</ref><ref name="imaizumi">{{Cite book|和書|editor1=今泉淑夫|editor1-link=今泉淑夫|editor2=島尾新編集|editor2-link=島尾新|title=禅と天神|year=2000|publisher=[[吉川弘文館]]|isbn=978-4-7601-1299-9|pages=231-233}}</ref>。

これに対して近代に興った[[靖国神社]]は国家のために戦死した不特定多数を神として祀っており、特定単数を神として祀る先述の例と一線を画している。ただし、神社に[[祖霊社]]が設けられることがある。
これらのことから、神社から慰霊碑、([[神仏習合]]における)墓に至るまで規模は違えど本質的に同じものであり、『神』(祀れば恩恵をもたらし、ないがしろにすれば祟るもの)と『霊』(人間が死んだ後に残るとされる[[霊魂]])とは明確に区別されていないといえる。更には、神を「霊」の語で言い表す場合もあり、少なくとも言葉の上では明確な区別はない<ref name="#2">『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031649/3 古事記]』幸田成友 校訂 岩波書店p.3(国立国会図書館)</ref>。
{{See also|人神}}

神の霊の構造について、[[荒魂・和魂]]があると考えられている。この2語の関係は、体系だって説明されることはないものの、『[[古事記]]』の[[神功皇后]]の箇所や『[[出雲国風土記|出雲風土記]]』<ref>{{Cite journal|和書|author=山本寿夫 |title=四魂についてー宣長と隆正ー |journal=岡山県立短期大学研究紀要 |ISSN=0287-1130 |publisher=岡山県立短期大学 |year=1963 |month=mar |issue=7 |pages=一五-二八 |naid=120005670420 |doi=10.15009/00001360 |url=https://doi.org/10.15009/00001360}}</ref>、また『[[延喜式]]』の[[臨時祭]]「霹靂神祭」などに登場する<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1273518/52 延喜式. 第1]』藤原時平 他 日本古典全集刊行会 p.79(国立国会図書館)</ref>。

===神体===
{{main|神体}}
神は本来、目に見えないものか見てはならないものとして観念されている一方で<ref>{{Cite journal|和書|author=山本陽子 |title=見てはならない神々の表現と受容 -日本の神々はどのように表されてきたか- |journal=早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 |ISSN=2187-8307 |publisher=早稲田大学総合人文科学研究センター |year=2016 |month=oct |volume=4 |pages=283-289 |naid=120005983763 |url=https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/35989 |hdl=2065/00051814}}</ref>、祭祀などに際し神が依るべき物体として神体があり、山や鏡など様々な物が神体とみなされている<ref name=miwa>{{Cite journal|和書|author=是澤紀子 |title=近世初期三輪山における禁足の制定とその景観:神社の禁足地とその景観に関する研究 |journal=日本建築学会計画系論文集 |ISSN=1340-4210 |publisher=日本建築学会 |year=2014 |volume=79 |issue=700 |pages=1433-1439 |naid=130004512895 |doi=10.3130/aija.79.1433 |url=https://doi.org/10.3130/aija.79.1433}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=中村久美 |title=月と鏡に関する東西考 |journal=天理大学学報 |ISSN=0387-4311 |publisher=天理大学 |year=2015 |month=feb |volume=66 |issue=2 |pages=113-128 |naid=120005858568 |url=https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3690/}}</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913348/164 神道大辞典 : 3巻. 第二卷]』 平凡社 p.276(国立国会図書館)</ref>。

===フェティシズムとしての議論===
{{See also|呪物崇拝}}
[[宗教学]]などで使われる概念であるフェティシズムとしての議論があり、[[加藤玄智]]は[[神道]]における[[呪物崇拝]]の例として、[[宝石]]、[[刀]]、[[鏡]]、スカーフを挙げていた<ref>Kato Genchi— A Neglected Pioneer in Comparative Religion —
Naomi Hylkema-Vos, Japanese Journal of Religious Studies 1990 17/4. p384</ref>。加藤は都市部を離れ農村部に入ると、アニミズム、呪物崇拝、[[男根崇拝]]の痕跡をたくさん見つけることができると述べている<ref name="holtom">"{{PDFlink|[http://meijiseitoku.org/pdf/m47-13.pdf Dr. Genchi Kato's monumental work on Shinto]"}}, Daniel C. Holtom. [http://meijiseitoku.org/index.html 明治聖徳記念学会] 第47巻、昭和12年 1937/04/ p.7-14</ref>。東北の民族学では竈神信仰を除魔の呪力が期待される呪物とする説もある<ref>黄川田啓子「竈神信仰の研究」『東北民俗』五輯、1970年、東北民俗の会</ref>。

[[加藤玄智]]は[[十種神宝]]を呪物とするだけでなく、[[三種の神器]]も同様の性格を保持しており、[[東インド諸島]]の原住民のプサカや中央オーストラリア人のチュリンガとの類似性を指摘した<ref name="Katu">{{Cite book|author=加藤玄智 |title=A study of Shinto : the religion of the Japanese nation |publisher=Routledge, Taylor & Francis Group |year=2013 |series=Routledge library editions |issue=. Japan ; v.82 |NCID=BB17574887 |ISBN=9780415845762 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I000176947-00}}</ref>。

[[加藤玄智]]が呪物崇拝の事例とした神には以下のようなものがある<ref name="Katu" />。

* [[草薙剣]]は神剣の霊験によって超自然的な保護([[御利益]])を得られるとされ、[[草薙剣]]を[[神格化]]して尾張国[[熱田]]に祀ったのが、現在の[[熱田神宮]]だとした<ref name="Katu" />。
* [[天照大神]]は孫の[[瓊瓊杵尊]](ににぎのみこと)が地上に降りる際に鏡を授け、鏡を自分の崇高な[[御魂]]と見なして、天上で彼女を崇拝するのと同じように[[鏡]]を[[崇拝]]するように命じており、[[日本書紀]]では鏡を拝むという宗教意識の極致である鏡の[[神格化]]が行われたと指摘している<ref name="Katu" />。
* [[比売許曽神社]]の祭神である[[阿加流比売神]](あかるひめのかみ)は赤い玉であったが、神格化され神となった<ref name="Katu" />。[[神代]]では[[イザナギノミコト]]の首にかけられた宝石が神格化されて、御倉板挙之神(みくらたな神)とよばれた<ref name="Katu" />。
* [[文徳天皇]]の時代、[[常陸国]][[大洗]]の海岸で、ある夜突然2つの石の呪物が不思議な光を放って現れ、それが[[大洗磯前神社]]に祀られている[[大己貴命]](おおなむちのみこと)と[[少彦名命]](すくなひこなのみこと)であるとの託宣があったという<ref name="Katu" />。
*[[淡路島]]にある厳橿(いずかし)神社の[[神体]]は、[[伊勢神宮]]の鏡を模した神鏡が安置されている[[賢所]](かしこどころ)で[[孝明天皇]]が着用した履物で、御目太(おまぶと)として親しまれており、地元住民の間では、[[祈願]]すれば病気の痛みが取れて治ると信じられていた<ref name="Katu" />。
* 古事記によると、[[伊邪那美命]]に追われて[[伊耶那岐神]]が[[黄泉国]]から逃げ還った際、[[黄泉比良坂]]を塞いだ千引の石を完全に神格化して道返之大神とした<ref name="Katu" />。
* 世界宗教用語大事典によると、御鍬祭(みくわさい、おくわまつり)では[[鍬形]]を神として崇め、農事を祈る<ref>{{Cite book|和書|author=須藤隆仙 |title=世界宗教用語大事典 |publisher=新人物往来社 |year=2004 |NCID=BA67332543 |ISBN=4404031386 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007372427-00}}</ref>が、[[伊勢神宮]][[神田]]での儀礼用の鍬や鋤は呪物として神格化された<ref name="Katu" />。
* [[久延毘古]]とも呼ばれる「山田のそほど」は田んぼに設置された鳥よけの[[かかし]]を神格化した神として知られる<ref name="Katu" />。

日本の[[言語]]と[[歴史]]に精通した[[学者]]、[[作家]]、[[外交官]]である[[ウィリアム・ジョージ・アストン]]は著作『Shinto: the Way of the Gods』において、日本には竈神への信仰があるが、神殿の偶像に向かって行う礼拝とは異なり、日本では竈([[台所]])に向かって礼拝が行われたとした<ref name="wga" />。[[ウィリアム・ジョージ・アストン]]によると、熱田神宮の剣はもともと[[供物]]であり、後に神聖なものとなった<ref name="wga" />。[[呪物崇拝]]の事例として熱田神宮の剣は、[[御霊代]](みたましろ)の一つであり、一般的には神体(しんたい)と呼ばれる<ref name="wga" />とし、[[御霊]]と[[神体]]の区別がつかない者も多く、神体を神の実体と混同している者もいたと解説している<ref name="wga">SHINTO (THE WAY OF THE GODS) BY W. G. ASTON, C.M.G, D.Lit., LONGMANS, GREEN, AND CO. 39 PATERNOSTER ROW, LONDON NEW YORK AND BOMBAY, 1905, p.65-75, p.73, p.159</ref>。例えば、[[竈]]そのものを[[神体]]でなく神として祀ることを挙げている。不完全な神の象徴と[[呪物崇拝]]との間の曖昧さは、[[肖像]]が多くの場合で使われないことによると述べた<ref name="wga" />。特定の物理的な物に特別な徳を与えることで、非常に不完全な象徴の役割しか与えられていない神の存在を忘れてしまう傾向さえあると述べている<ref name="wga" />。

[[ロイ・アンドリュー・ミラー]]は[[国体の本義]]と[[教育勅語]]もしばしば呪物(または物神)として崇拝され、[[神棚]]に謹んでおかれ保管されたとしている<ref name="klaus">KOKUTAI - POLITICAL SHINTÔ FROM EARLY-MODERN TO CONTEMPORARY JAPAN, Klaus Antoni, Eberhard Karls University Tübingen: Tobias-lib Tübingen 2016, p259</ref>。

== 類型 ==
{{節スタブ}}
{{節スタブ}}
[[神道]]の神々は<!--[[祖霊]]信仰を淵源として-->人と同じような姿や人格を有する記紀神話に見られるような「人格神」であり、現世の人間に恩恵を与える「[[守護神]]」であるが、祟る性格も持っている。祟るからこそ、神は畏れられたのである。神道の神は、この'''祟り'''と密接な関係にある。
[[神道]]の神々は[[祖霊信仰]]を淵源として人と同じような姿や人格を有する記紀神話に見られるような「[[人格神]]」であり、現世の人間に恩恵を与える「[[守護神]]」であるが、祟る性格も持っている。祟るからこそ、神は畏れられたのである。神道の神は、この'''祟り'''と密接な関係にある。
{{see|祟り}}
{{see|祟り|憑依}}
当然の如く神と人の関係は祟りのみにより規定されているわけではなく、[[鎌倉幕府]]以降の[[武士政権]]での法令『[[御成敗式目]]』では第一条で「右神者依人之敬増威。人者依神之徳添運。」とあり<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036822/31 古記録・古文書抄]』p.52 魚澄惣五郎 編 星野書店(国立国会図書館)</ref>、祟り以外の側面が強調されている。
神々は、いろいろな種類があり、発展の段階もさまざまなものが並んで存在している<ref>岡田精司 2011年 10ページ</ref>。
<!--


神の現れ方は多様であり、夢枕に登場したり、[[神がかり]]をおこしたりして現れてくる場合がある。
神には大別して以下のような側面がある。

#自然物や[[自然現象]]を神格化した神
神々は、いろいろな種類があり、発展の段階もさまざまなものが並んで存在している{{sfn|新編神社の古代史|p=10}}。
#思考・災いといった抽象的なものを神格化した観念神

神を大別すると、以下のようにリスト化することもできる。
#自然物や[[自然現象]]を擬人化、神格化した人格神([[山の神]]、[[大山咋神]]、[[白山比咩神]])
#思考・災いといった抽象的なものを擬人化、神格化した観念神([[疫病神]]、[[禍津日神]])
#[[蛇]]・鳥([[カラス]])・[[ワニ]]・[[サメ]]・[[熊]]といった野獣を擬人化、神格化した獣神([[大国主神]]【[[蛇]]】、[[事代主神]]【[[ワニ]]】、[[建御名方神]]【[[蛇]]】、大物主神【[[蛇]]】、賀茂建角身命【[[カラス]]】)
#[[禊]](水浴)の汚れ、[[排泄物]]から生まれた神([[三貴子]]、[[金山毘古神]]、[[波邇夜須毘古神]]等、[[神産み]])
#[[怨霊]]信仰などにみられる[[祟り神]]
#[[人工物]]に関する神
#穀物などにみられる食物の神
#古代の指導者・有力者などを神格化したと思われる神([[エウヘメリズム]])、氏の集団や村里の守り神とされるようになる神々
#古代の指導者・有力者などを神格化したと思われる神([[エウヘメリズム]])、氏の集団や村里の守り神とされるようになる神々
#万物の[[創造神|創造主]]としての(ここにおいてはthe Godである)
#万物の創造神・根源
#万物の創造主・主宰者としての全能の[[天皇]]
#万物の創造主・主宰者としての全能の[[天皇]]
#[[王権神授説]] (Theory of the '''divine''' right of kings) における '''divine''' としての神(天皇)
#[[王権神授説]] (Theory of the '''divine''' right of kings) における '''divine''' としての神(天皇)(日本神話では、[[イザナギ]]の[[三貴子]]への統治委任や[[ニニギ|瓊瓊杵尊]]の[[天孫降臨]]参照。)「Divine right of kings」(王権神授説)とは異なり、特権的である以上に、同時に天皇自身が神であるとも観念されている。

=== 自然物や自然現象を擬人化、神格化した人格神 ===
この中で最も古いのは 1 の自然物や自然現象を擬人化、神格化した神である。日本神話では[[大山祇神]]などが[[山の神]]として登場する。比叡山・松尾山の[[大山咋神]]、白山の[[白山比咩神]]など、特定の山に結びついた山の神もある。草の神である[[草祖草野姫]](くさのおやかやのひめ。草祖は草の祖神の意味)も[[日本神話]]において現れる。日本神話では日本の国土形成を行ったのは[[イザナギ]]・[[イザナミ]]であり、[[オノコロ島|淤能碁呂島]]以外は現在の日本列島のうち(当時)主要な島は、[[国産み]]で産まれた神々である<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188501/6 古事記]』 鈴木種次郎 編 三教書院 p.4-5(国立国会図書館)</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/12 訓讀日本書紀. 上巻]』黒板勝美 編 岩波書店 p.20-2(国立国会図書館)</ref>。引き続く[[神産み]]では海の神の[[大綿津見神]]、山の神の[[大山津見神]]、野の神の[[カヤノヒメ]]、風の神の[[志那都比古神]]、火の神の[[火之夜藝速男神]]などを産んだ<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188501/7 古事記]』 鈴木種次郎 編 三教書院 p.6-8(国立国会図書館)</ref>。


古代の日本人は、[[山]]、[[川]]、海中の[[島]]、[[巨石]]、[[巨木]]、神の顕現と思われるような[[動物]]・[[植物]]などといった自然物、[[鏡]]や[[剣]]のような神聖な物体、[[火]]、[[雨]]、[[風]]、[[雷]]などといった自然現象の中に、神々しい「何か」を感じ取った。この感覚は今日でも神道の根本として残るものであり、[[小泉八雲]]はこれを「神道の感覚」と呼んでいる。自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼす。古代人はこれを神々しい「何か」の怒り(祟り)と考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、それを崇敬するようになった。これが後に「カミ(神)」と呼ばれるようになる。このように神の観念の発展とともに、岩や器物は神霊の憑依するものと見なされるようになり、鳥や獣も神の使いとして考えられるようになる。
=== 自然物や自然現象を神格化した神 ===
この中で最も古いのは 1 の自然物や自然現象を神格化した神である。古代の日本人は、山、川、海中の島、巨石、巨木、神の顕現と思われるような動物、植物などといった自然物、鏡や剣のような神聖な物体、火、雨、風、雷などといった自然現象の中に、神々しい「何か」を感じ取った。この感覚は今日でも神道の根本として残るものであり、[[小泉八雲]]はこれを「神道の感覚」と呼んでいる。自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼす。古代人はこれを神々しい「何か」の怒り(祟り)と考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、それを崇敬するようになった。これが後に「カミ(神)」と呼ばれるようになる。このように神の観念の発展とともに、岩や器物は神霊の憑依するものと見なされるようになり、鳥や獣も神の使いとして考えられるようになる。


山に関しては神の鎮まるところ、神の住むところと見るようになり、山そのものを神体として「神体山」と呼ぶようになった。[[大場磐雄]]は、神体山を浅間型と神南備(かんなび)型の二つに分けている。まず浅間型は山谷が秀麗で周囲の山々からひときわ高く目立つ形をしており、神南備型は人里に近い比較的低い山で、傘を置いたようななだらかな形をしている。地名としてはカンナビ、ミムロ・ミモロというものが多い<ref>岡田精司 2011年 10ページ</ref>。前者に属する山は[[富士山]]や[[白山]](加賀)で、後者は奈良の三輪山・春日山がその典型<ref name="okada1">岡田精司 2011年 7-9ページ</ref>
山に関しては神の鎮まるところ、神の住むところと見るようになり、山そのものを[[神体]]として「神体山」と呼ぶようになった。[[大場磐雄]]は、神体山を浅間型と神南備(かんなび)型の二つに分けている。まず浅間型は山谷が秀麗で周囲の山々からひときわ高く目立つ形をしており、神南備型は人里に近い比較的低い山で、傘を置いたようななだらかな形をしている。地名としてはカンナビ、ミムロ・ミモロというものが多い{{sfn|新編神社の古代史|p=10}}。前者に属する山は[[富士山]]や[[白山]](加賀)で、後者は奈良の[[三輪山]]<ref name=miwa/>[[春日山 (奈良県)|春日山]]がその典型{{sfn|新編神社の古代史|p=7-9}}


次に、川や沼、池などにも水の神がいるという信仰もたくさんある。農業用水や生活用水との神と結びつくことが多い。神聖な山から水が流れ出し川となり、その川の上流から何か流れくるものが、神の世界から来たものと結びつけられることが多く、桃太郎や瓜子姫の話が成立し、神の子が誕生する物語に発展していく。<ref name="okada1" />
次に、川や沼、池などにも水の神がいるという信仰もたくさんある。農業用水や生活用水との神と結びつくことが多い。神聖な山から水が流れ出し川となり、その川の上流から何か流れくるものが、神の世界から来たものと結びつけられることが多く、桃太郎や瓜子姫の話が成立し、神の子が誕生する物語に発展していく{{sfn|新編神社の古代史|p=7-9}}。[[修験道]]の系譜だが、例えば[[那智滝]]はそれ自体が御神体である


=== 思考・災いといった抽象的なものを神格化した観念神 ===
=== 思考・災いといった抽象的なものを擬人化、神格化した観念神 ===
{{節スタブ}}
{{節スタブ}}


神話では厄神の[[禍津日神]]、これを直す[[直毘神]]・[[伊豆能売]]、民間信仰では貧乏神、[[疫神]]等があげられる。また、腸チフスをもたらす「ボニの神」が恐れられた{{citation needed|date=2021-09-13}}。[[牛頭天王]]には疫神の神格がある。[[祓戸大神|祓戸四神]]は[[10世紀]]成立の『[[延喜式]]』中の[[祝詞]]『[[大祓詞|六月晦大祓]]』に言及される、あらゆる[[罪]]を消滅させる神である<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1273537/30 延喜式. 第2]』日本古典全集刊行会 p.50-2(国立国会図書館)</ref>。英雄神としての側面がある[[スサノヲ]]は、一方では[[アマテラス]]との「[[アマテラスとスサノオの誓約|誓約]]」の後の粗暴により[[天つ罪・国つ罪|天津罪]]と関連づけられ<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3457563/16 古語拾遺]』加藤玄智 校訂 岩波書店 p.28 [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3457563/29 p.54](国立国会図書館)</ref>、祓われる主体である<ref>{{Cite journal|和書|author=小村宏史 |title=「妣国根之堅州国」をめぐって -「黄泉国」との関係- |journal=国文学研究 |ISSN=03898636 |publisher=早稲田大学国文学会 |year=2005 |month=mar |volume=145 |pages=51-62 |naid=120005481890 |url=https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/5241 |hdl=2065/43928}}</ref>。また、[[国産み]]・[[神産み]]により創造神的な性格がある[[イザナミ]]は、[[黄泉国]]から人間の死の起源を作った<ref>{{Cite journal|和書|author=上田賢治 |title=日本神話に見る生と死 |journal=東洋学術研究 |ISSN=02876086 |publisher=[https://www.totetu.org/ 東洋哲学研究所] |year=1988 |month=aug |volume=27 |issue=2 |pages=48-62 |naid=40002651301 |url=https://www.totetu.org/assets/media/paper/t115_048.pdf |format=PDF}}</ref>説話から、黄泉津大神の異名がある<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188501/10 古事記]』 鈴木種次郎 編 三教書院 p.12-3(国立国会図書館)
貧乏神、[[疫神]]等があげられる。また、腸チフスをもたらす「ボニの神」が恐れられた。
</ref>。『日本書紀』一書では[[国譲り]]で[[大国主|大己貴神]]は[[高皇産霊尊]]の勅により「神の事」もしくは「幽れたる事」の主宰者になった<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/55 訓讀日本書紀. 上巻]』p.107 黒板勝美 岩波書店(国立国会図書館)</ref><ref>{{cite journal|journal=東洋学術研究|url=https://www.totetu.org/assets/media/paper/t146_178.pdf |format=PDF |volume=40|issue=1|title=出雲神道と国家神道|author=原武史|year=2001|publisher=東洋哲学研究所}}</ref>。引き続く場面で[[天児屋命]]は神事の「宗源者」とされ、そういう神だと観念されている<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/56 訓讀日本書紀. 上巻]』p.109 黒板勝美 岩波書店(国立国会図書館)</ref><ref>{{Cite journal|和書 |author=岡田莊司 |year=2008 |url=https://nagoya.repo.nii.ac.jp/records/2004841 |title=古代・中世祭祀軸の変容と神道テクスト |journal=Global COE Program International Conference Series No. 4 : 「テクスト布置の解釈学的研究と教育」第4回国際研究集会報告書 : 日本における宗教テクストの諸位相と統辞法 |publisher=Graduate School of Letters, Nagoya University |pages=230-235 |hdl=2237/0002004841 |CRID=1050013706703144448}}([https://www.gcoe.lit.nagoya-u.ac.jp/result/result01/4.html 第4回国際研究集会報告書])</ref>。

[[天岩戸|天岩戸開き]]の際に、光が失われた事の対処法を考え<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/30 訓讀日本書紀. 上巻]』 黒板勝美 編 岩波書店p.56(国立国会図書館)</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188501/14 古事記]』 鈴木種次郎 編 三教書院p.21(国立国会図書館)</ref>、『古事記』では[[ニニギ|邇邇藝命]]の[[天孫降臨]]に同行した<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188501/28 古事記]』 鈴木種次郎 編 三教書院p.49(国立国会図書館)</ref>[[オモイカネ|思金神]]は、思考能力の神格化とされる。

[[一言主神]]は『古事記』においては「言離の神」とされ、言語神であるとみなされている<ref>{{Cite journal|和書|author=樋口達郎 |title=言語神の落日 : 記紀言語神から言霊へ |journal=倫理学 |ISSN=0289-0666 |publisher=筑波大学倫理学研究会 |year=2017 |issue=33 |pages=59-72 |naid=120006312322 |url=https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/41626 |hdl=2241/00146568}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title= 葛城一言主神社|url= https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001409.html|website=御所市観光ガイド|accessdate=2021-09-23|date= 2020-12-25}}</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031649/63 古事記]』幸田成友 校訂 岩波書店 p.120(国立国会図書館)</ref>。

=== 動物の神格化やその側面があるとされる神々 ===
[[海神族]]・[[出雲族]]とされる神には出雲の[[大国主神]]([[蛇]])、[[事代主神]]([[鰐]]、[[ワニ]]等)、[[建御名方神]](蛇)、大物主神(蛇)といったように蛇、鰐([[ワニ]]または[[サメ]])の[[爬虫類]]や[[魚類]]の神がおり、[[天孫族]]にも[[賀茂建角身命]]([[カラス]])、[[天日鷲神]]([[鳥]])、[[天鳥船神]](鳥)、[[熊野大神]](熊)といったように[[熊]]、[[鳥類]]の獣神がいる{{要出典|date=2022年5月}}。

[[南方熊楠]]は[[大物主]]は[[蛇]]の[[トーテム]]とし、三島の[[神池]]での[[鰻]]取り、[[祇園]]の[[氏子]]と[[キュウリ]]、[[富士登山]]の際の[[コノシロ]]のタブーをトーテムとした<ref>南方熊楠全集 第3巻 446頁</ref><ref name="#1"/>。

=== 禊(水浴)の汚れ、排泄物から生まれた神 ===
{{Main|神産み}}
『古事記』によると黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命(イザナキ)が[[禊]](水浴)で黄泉の汚れを落としたときに左目から[[天照大御神]](本来は男神だったとする説もある<ref>少年社、後藤然、渡辺裕之、羽上田昌彦 『神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』 [[学研ホールディングス|学研]]、56,57頁。</ref>)、右目から[[月読命]]、鼻から[[須佐之男命]]が生まれた。

* [[泣沢女神]] - イザナギの涙から生まれた神
* [[金山彦神]] - イザナミの嘔吐物(たぐり)から生まれた神
* [[波邇夜須毘古神]] - イザナミの大便から生まれた神
* [[ミヅハノメ|彌都波能売神]] - イザナミの尿から生まれた神

[[祓戸大神]]と総称される、伊邪那岐命の[[禊]]で生まれた神は、[[祓詞]]で言及され、また[[大祓詞]]で言及されるそれらに比定される神は、[[罪]]を祓う神とされる。

===怨霊信仰などにみられる祟り神===
{{See also|憑依|シャーマニズム|祟り神|呪い|憑き物筋}}
[[日本三大怨霊]]の[[菅原道真]]・[[崇徳天皇]]・[[平将門]]など、非業な死を遂げた人間が死後怨霊として祟るという信仰形態があり、この祟りを避けるために[[呪術]]を行ったり[[神社]]に祀ったりした。[[和霊神社|和霊信仰]]のように[[現世利益]]をもたらす神の信仰に発展する場合も多い<ref>{{Cite journal|和書|author=劉建華 |date=2019-03 |url=https://tohoku.repo.nii.ac.jp/records/130476 |title=怨霊の神格化 : 和霊信仰を事例に |journal=東北文化研究室紀要 |ISSN=1343-0939 |publisher=東北大学大学院文学研究科 東北文化研究室 |volume=60 |pages=1-15 |hdl=10097/00127845 |CRID=1050003824862210432}}</ref>。

[[崇神天皇]]期には、謀反が起きたり、疫病が流行り大量の死者が発生していたが、夢で[[大国主命]]が天皇に[[大田田根子|意富多多泥古]]に自分を祭らせると「神気」が起こらず災害が治ると告げ、言われた通りにするとおさまったという<ref name=oota>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188501/47 古事記]』鈴木種次郎 編 三教書院 p.86-8(国立国会図書館)</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1159875/25 訓読日本書紀. 中]』 黒板勝美 編 岩波書店 p.44-7(国立国会図書館)</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=小林宣彦 |title=律令制の成立と祭祀 : 出雲神郡の成立を中心に |journal=國學院雜誌 |ISSN=0288-2051 |publisher=國學院大學 |year=2015 |month=sep |volume=116 |issue=9 |pages=1-17 |naid=120006538783 |url=https://k-rain.repo.nii.ac.jp/records/104 |doi=10.57529/00000098}}</ref>。

『[[古語拾遺]]』には、神代に[[地主神|大地主神]]が、田をつくった日に田人に牛の肉を食べさせたところ田に害虫が大量発生したが、占いにより[[年神|御歳神]]の祟り・怒りであると分かり、お告げの通り白猪・白馬・白鶏を奉るなどすると豊作になったという話がある<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3457563/26 古語拾遺]』 加藤玄智 校訂 岩波書店 p.49-50 [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3457563/35 p.66](国立国立図書館)</ref>。

『[[延喜式]]』8巻[[祝詞]]には「遷却祟神」があり、祟る神を退却させる祝詞である<ref name=shisoshitatari>{{Cite journal|和書|author=佐藤弘夫 |title=祟り神の変身:祟る神から罰する神へ |journal=日本思想史学 |ISSN=03865770 |publisher=日本思想史学会 |year=1999 |issue=31 |pages=45-63 |naid=40004188695 |url=http://ajih.jp/backissue/pdf/31_02_01.pdf |format=PDF}}</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109286/51 祝詞宣命 : 校註]』次田潤 著 明治書院 p.86(国立国会図書館)</ref>。同じく『延喜式』には祭祀「御体御卜」<ref>{{Cite journal|和書|author=木村大樹 |date=2016-03 |url=https://k-rain.repo.nii.ac.jp/records/1434 |title=御体御卜の成立と変遷に関する一考察 |journal=國學院大學大学院紀要 : 文学研究科 |volume=47 |pages=67-86 |doi=10.57529/00001427 |CRID=1390013972160466944 |ISSN=03889629 |publisher=國學院大學大学院}}</ref>が記され、これは[[卜部氏]]が[[卜占]]<ref>{{Cite journal|和書|author=國分篤志 |title=史料・神事にみる卜占の手法 : 考古資料との比較を中心に |journal=千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 |ISSN=1881-7165 |publisher=千葉大学大学院人文社会科学研究科 |year=2015 |month=feb |issue=290 |pages=99-114 |naid=120007088808 |url=https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/100266/}}</ref>により[[天皇]]を祟る神をあらかじめ占うことでそれを除けるのためのものである<ref name=shisoshitatari/><ref>{{Cite journal|和書|author=浅岡悦子 |title=古代卜部氏の研究 : 『新撰亀相記』からみる祭祀氏族の系譜 |journal=名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 |ISSN=1348-0308 |publisher=名古屋市立大学大学院人間文化研究科 |year=2017 |month=jan |issue=27 |pages=68-44 |naid=120006682818 |url=https://ncu.repo.nii.ac.jp/records/1697 }}</ref>。

[[本地垂迹]]説に基づく[[仏教]]的神道([[神仏習合]])では、如来や菩薩が垂迹した神明である権社神<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815467/4 諸神本懐集]』(国立国会図書館)第4コマ目 源空 沢田文栄堂(1882年)</ref>に対して、[[生霊]]や[[死霊]]などの祟る神は実社神<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815467/10 諸神本懐集]』(国立国会図書館)第10コマ目 源空 沢田文栄堂(1882年)</ref>という[[邪神]]としたものがある<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913348/45 神道大辞典 : 3巻. 第二卷]』(国立国会図書館)p.68「権社神」平凡社(1941年)</ref><ref>{{Cite web|和書|title= 権社・実社|url= http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/権社・実社|website=web版 新纂 浄土宗大辞典 |accessdate=2022-01-01}}</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1220911/23 聖典講讃全集. 第6巻]』(国立国会図書館)p.43-47 宇野円空 編 小山書店(1935年)</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/821430/36 諸神本懐集略述]』(国立国会図書館)p.36 吉谷覚寿(1906年)護法館</ref>。

=== 人工物の神===
便所で祀られる厠神は、卜部の神道では土の神・水の神である{{sfn|小学館|2021f|p=「厠神」}}。「赤子の便所まいり」は厠神に健康を祈願するためともされている{{sfn|小学館|2021f|p=「厠神」}}。中国でも便所で祀られる神として紫姑(しこ)神が存在する{{sfn|小学館|2021f|p=「厠神」}}。

[[かまど神]]は[[火の神]]であると同様に[[農業]]や[[家畜]]、[[家族]]を守る守護神ともされる<ref name="sakurai">{{Cite book|和書|editor=桜井徳太郎|editor-link=桜井徳太郎|title=民間信仰辞典|year=1980|publisher=[[東京堂出版]]|isbn=978-4-490-10137-9|pages=85-86}}</ref>。中国地方では家の火所にまつられ竈神のほか農業神や家族の守護神とされ{{sfn|平凡社|2021d|p=「竈神」}}、日本神話では[[カグツチ|火産霊]]、[[奥津日子神]]、[[奥津比売神]]を竈三柱大神として祀り<ref>{{Cite web|和書|title= ご祭神とご神徳|url= https://kojinyama.org/#about|website=荒神山神社|accessdate=2021-09-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title= お釜締め|url= https://kokuryo-jinja.jp/info/令和2年-お釜締め/|accessdate=2021-09-20|website=国領神社}}</ref>、火産霊以外の二柱は『古事記』では[[年神|大年神]]の子で、竈神とされている<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188501/23 古事記]』鈴木種次郎 編 三教書院 p.39(国立国会図書館)</ref>。

[[格闘技]]とは人工的に行われる人間どうしの組み合いであるが、[[相撲]]の神としては、[[土俵祭]]では相撲三神に祈願を行うが、この相撲三神は[[アメノタヂカラオ|手力男神]]・[[タケミカヅチ|建御雷神]]・[[野見宿禰]]に比定される<ref>{{Cite journal|和書|author=山田知子 |title=土俵まつり考 |journal=大谷学報 |ISSN=02876027 |publisher=大谷学会 |year=1989 |month=dec |volume=69 |issue=3 |pages=14-27 |naid=120005766221 |url=https://otani.repo.nii.ac.jp/records/1554}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=鈴木正崇 |title=相撲の女人禁制と伝統の再構築 |journal=哲學 |ISSN=0563-2099 |publisher=三田哲學會 |year=2021 |month=mar |volume=147 |pages=103-133 |naid=120007019008 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00150430-00000147-0103}}</ref>。

[[刀剣]]は自然には存在しないという意味で人工物だが、[[石上神宮]]には刀剣の御霊である[[布都御魂|布都御魂大神]]・[[天羽々斬|布都斯魂大神]]と[[神宝]]の御霊[[十種神宝|布留御魂大神]]が祀られている<ref>{{Cite journal|和書|author=田村明子 |title=文献資料から見る石上神宮の鎮魂と鎮魂祭 : 古代から近現代の資料を中心とした考察 |journal=常民文化 |ISSN=03888908 |publisher=成城大学 |year=2011 |month=mar |issue=34 |pages=150-127 |naid=110008671623 |url=https://seijo.repo.nii.ac.jp/records/990}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=松田章一 |title=古事記における物部伝承の考察 |journal=金沢大学法文学部論集 文学編 |ISSN=04497414 |publisher=金沢大学法文学部 |date=1963-06 |issue=10 |pages=017-032 |naid=120005671237 |url=https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/records/41161 |hdl=2297/43584}}</ref><ref>{{cite news|title= 古代語る刀 なお神秘の衣 石上神宮の神剣渡御祭(時の回廊)|url= https://www.nikkei.com/article/DGXNASHC2901F_Q4A630C1AA1P00/|date= 2014年7月4日|publisher=日本経済新聞}}</ref>。

[[鍛冶]]に関する神も多くあり、[[ふいご祭り]]が行われるが、記紀では[[天目一箇神]]である<ref>{{Cite journal|和書|author=黒田迪子 |title=ふいご祭りの伝承とその重層性について : 祭日・祭神・供物を中心に |url=https://k-rain.repo.nii.ac.jp/records/98 |doi=10.57529/00000092 |journal=國學院雜誌 |publisher=國學院大學 |year=2015 |month=aug |volume=116 |issue=8 |pages=15-47 |naid=120006538777 |ISSN=0288-2051}}</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/56 訓讀日本書紀. 上巻]』p.108 黒板勝美 岩波書店(国立国会図書館)</ref>。

=== 穀物などにみられる食物の神 ===
{{Main|日本神話における食物起源神話}}
[[穀物]]など食物起源の神としては、[[オオゲツヒメ| 大気都比売]]、[[保食神]]、[[ワクムスビ| 稚産霊]]などがいる。ただし保食神は[[家畜]]の起源でもある。[[大気都比売]]は[[スサノヲ]]に<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188501/15 古事記]』鈴木種次郎 編 三教書院 p.22-3(国立国会図書館)</ref>、[[保食神]]は[[ツクヨミ]]にそれぞれ殺された後に穀物などに変化し<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/24 訓讀日本書紀. 上巻]』 黒板勝美 編 岩波書店 p.44-6(国立国会図書館)</ref>、[[稚産霊]]は体から穀物が生じた<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/17 訓讀日本書紀. 上巻]』 黒板勝美 編 岩波書店 p.30(国立国会図書館)</ref>。これらの神話は[[ハイヌウェレ型神話]]に類型される<ref name=yoshida151-152>[[#世界神話事典|世界神話事典 p151-152、吉田]]</ref>。

人工的に作られる食べ物である[[酒]]の神も多くおり、[[梅宮大社]]の[[オオヤマツミ|酒解神]]や[[大神神社]]に祀られる[[大物主神]]などがいる<ref>{{Cite web|和書|title=人に振る舞われた大物主の恵みし神酒|url= http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/kikimanyo/column/c18/|website= 奈良県のウォーキングポータルサイト「歩く・なら」|accessdate=2021-09-21}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=加藤百一 |title=酒神と神社 (1) |journal=日本釀造協會雜誌 |ISSN=0369-416X |publisher=日本醸造協会 |year=1981 |volume=76 |issue=9 |pages=592-596 |naid=130004325004 |doi=10.6013/jbrewsocjapan1915.76.592 |url=https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan1915.76.592}}</ref>。


=== 古代の指導者・有力者の神格化 ===
=== 古代の指導者・有力者の神格化 ===
日本において古来より一族の先祖や有力者を祖神として祭る「[[祖霊崇拝]]」・「[[エウヘメリズム]]」があり、[[日本神話]]に登場する多くの神々はこれに分類される。即ち[[皇室]]の祖である[[天照大御神]]、[[物部氏]]の祖である[[邇芸速日命]]、[[中臣氏]]の祖である[[天児屋命]]、[[三輪氏]]・[[賀茂朝臣氏|鴨氏]]の祖である[[事代主神]]、[[諏訪氏]]の祖である[[建御名方神]]、[[安曇氏]]の祖である[[綿津見神]]、[[土師氏]]の祖である[[野見宿禰]]などがある。
3 については、日本において天皇のことを戦前・戦中は[[現人神]]と呼び、神道上の概念としてだけでなく、政治上においても神とされていたことが挙げられる。現在では、[[昭和天皇]]によるいわゆる[[人間宣言]]により政治との関わり、国民との関係は変わった。だが、神道においては[[天照大御神]]の血を引くとされる天皇の存在は現在も大きな位置を占め、信仰活動の頂点として位置付けられている。また、その時代の有力者を死後に神として祭る例([[豊臣秀吉]]=豊国大明神、[[徳川家康]]=東照大権現など)や、権力闘争に敗れまた逆賊として処刑された者を、後世において「怒りを鎮める」という意味で神として祭る例([[菅原道真]]、[[平将門]]など)もこの分類に含まれる。


[[大田田根子|意富多多泥古]]は[[大物主|大物主神]]の子でありながら人間である「神の子」とされ、大物主神を祭る現在の[[神職|神主]]に近い存在だが<ref name=oota/>、[[大神神社]]では神として祀られている<ref>{{Cite web|和書|title=三輪山の神語り|url= http://oomiwa.or.jp/jinja/kamigatari/|website=大神神社|accessdate=2021-09-19}}</ref>。同時に大田田根子は[[大神氏|三輪君]]の始祖とされる<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1159875/26 訓読日本書紀. 中]』 黒板勝美 編 岩波書店 p.47(国立国会図書館)</ref>。
様々な部族が個々に固有の神を信仰していた。それらの部族が交流するにしたがって各部族の神が習合し、それによって変容するようになった。さらに、北方系の[[シャーマニズム]]なども影響を与えた。これを「[[神神習合]]」と呼ぶ学者もいる。この神神習合が、後に[[仏教]]を初めとする他宗教の神々を受け入れる素地となった。


[[宇佐神宮]]、[[石清水八幡宮]]などに祀られる[[八幡神]]は[[応神天皇]](誉田別命)の神霊として、[[欽明天皇]]32年([[571年]])に初めて宇佐の地に顕現したと伝わる<ref>[http://www.usajinguu.com/lineage/ 宇佐神宮|宇佐神宮について - 由緒]</ref>。
=== 万物の創造主 ===
4 は[[平田篤胤]]が禁書であった[[キリスト教]]関係の書の影響を受け、[[天之御中主神]](アメノミナカヌシノカミ)を万物の創造主として位置づけたものである。[[尊王攘夷]]思想の基盤を形成し、近代の[[教派神道]]各派にも強い影響を与えている。[[国家神道]]の基盤ともなったが、[[神道事務局祭神論争]]([[1880年]] - [[1881年]])での出雲派の敗退により表舞台からは消えて潜勢力となった。天御中主神・[[高皇産霊神]]・[[神皇産霊神]]は[[造化三神]]とされた。[[造化三神]]は、多くの[[復古神道]]において現在でも究極神とされている。中でも[[天御中主神]](アメノミナカヌシノカミ)は最高位に位置づけられている<ref>村岡典嗣「平田篤胤の神学に於ける耶蘇教の影響」1920年3月、雑誌「芸文」。所収『新編日本思想史研究』2004.5平凡社東洋文庫。</ref>。


その他、その時代の有力者や英雄を死後に神として祭る例として[[桓武天皇]]、[[豊臣秀吉]]=豊国大明神、[[徳川家康]]=東照大権現、[[東郷平八郎]]、[[乃木希典]]などがある。また権力闘争での敗北や逆賊として処刑された者を、後世において「怒りを鎮める」という意味で神として祭る「[[御霊信仰]]」の例として[[菅原道真]]=[[天満大自在天神]]、[[平将門]]、[[崇徳天皇]]、[[橘逸勢]]などがある。
=== 万物の創造主・主宰者としての全能の天皇 ===
5 は[[明治]]の初期に[[祭政一致]]の国家体制を企図した[[神祇事務局]]の[[亀井茲監]]らが「天皇」と「天」とが同体しているという神儒合一的な観念によって全能の存在としたもの。「天皇ハ万物ノ主宰ニシテ、剖判(ほうはん・「宇宙創造時」の意)以来天統間断無ク天地ト与(とも)ニ化育ヲ同シ玉ヒ……」(『勤斎公奉務要書残編』)などとされる<ref>安丸良夫「近代転換期における宗教と国家」(『日本近代思想大系第5巻(宗教と国家)』岩波書店、1988年、p497)</ref>。[[石原莞爾]]は『[http://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_23278.html 最終戦争論・戦争史大観]』(原型は1929年7月の中国の長春での「講話要領」)の中で、
:人類が心から現人神(あらひとがみ)の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。
と述べている。[[関東軍]]参謀であった石原はこのようなイデオロギーから[[満州事変]]を勃発させた。前項および次項参照。


また民間では特定地域を助けた献身行為・殉死から、[[佐倉惣五郎]]のように義民を神格化して祭る例もある。
=== 王権神授説(Theory of the divine right of kings)における「divine」としての神(天皇) ===
{{see|人間宣言}}
6 は「[[現人神]]」の対訳として[[昭和天皇]]の[[人間宣言]] (1946年) の英文詔書において用いられた。
-->


{{citation needed|様々な部族が個々に固有の神を信仰していた。それらの部族が交流するにしたがって各部族の神が習合し、それによって変容するようになった。さらに、北方系の[[シャーマニズム]]なども影響を与えた。これを「[[神神習合]]」と呼ぶ学者もいる。この神神習合が、後に[[仏教]]を初めとする他宗教の神々を受け入れる素地となった。|date=2021-10}}
== 神名 ==
{{独自研究|section=1|date=2014年8月}}
神道の神の名前である神名は、大きく2つの部分に分けられる。例えば[[アメノウズメ]]の場合
#「あめ」の
#「うずめ」
となる。


[[ハワイ大神宮]]における[[ジョージ・ワシントン]]、[[カメハメハ大王]]のように外国の偉人を祭る例がある。[[朝鮮神宮#朝鮮神宮御祭神論争|朝鮮神宮御祭神論争]]では一部の神道関係者らが[[朝鮮神話]]の[[檀君]]を朝鮮国魂神として祭るべきと主張した。
この他に、その神の神得を賛える様々な文言が付けられることがある。例えば、通常「[[ニニギ]]」の全名は「アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ」である。


また人神の一環として、天皇のことを[[現人神]]と呼び、神道上の概念としてだけでなく、政治上においても[[大日本帝国憲法第3条]]や[[不敬罪]]でその神聖を認めていた。現在では、[[昭和天皇]]によるいわゆる[[人間宣言]]により天皇の意義が再確認され、[[日本国憲法]]により地位は象徴になった。だが、神道においては[[天照大御神]]の血を引くとされる天皇の存在は現在も大きな位置を占め、信仰活動の上で重要な位置付けを与えられている。
神名は、1.の部分を省略して呼ぶことがある。


=== 万物の創造主 ===
1.はその神の属性を示す。たとえば「あめ」「あま」(天)は[[天津神]]であることを示す場合が多い。ただし、天・[[高天原]]に関係のある[[国津神]]に付される場合もある(例:[[天之冬衣神]])。「クニ」(国)は国津神を表すこともあるが、多くは天を表す「アメ」のつく神と対になって地面もしくは国に関係のあることを示す。「ヨモツ〜」(黄泉)は黄泉の国の神であることを示す。この部分が神名にない神も多い。
『[[古事記]]』の序では、撰者の[[太安万侶]]により、「然して乾坤初めて分れて、参神造化の首を作し、陰陽斯に開けて、二霊群品の祖たり。」とある<ref name="#2"/>。これより、造化の始めとなったのは[[天御中主神]]・[[高皇産霊神]]・[[神皇産霊神]]であり、万物の祖は[[イザナギ]]・[[イザナミ]]であると観念されていることが分かる。


[[平田篤胤]]が禁書であった[[キリスト教]]関係の書の影響を受け、[[天之御中主神]](アメノミナカヌシノカミ)を万物の創造主として位置づけたものである。[[尊王攘夷]]思想の基盤を形成し、近代の[[教派神道]]各派にも強い影響を与えている。[[国家神道]]の基盤ともなったが、[[神道事務局祭神論争]]([[1880年]] - [[1881年]])での出雲派の敗退により表舞台からは消えて潜勢力となった。天御中主神・[[高皇産霊神]]・[[神皇産霊神]]は[[造化三神]]とされた。[[造化三神]]は、多くの[[復古神道]]において現在でも究極神とされている。中でも[[天御中主神]](アメノミナカヌシノカミ)は最高位に位置づけられている<ref>村岡典嗣「平田篤胤の神学に於ける耶蘇教の影響」1920年3月、雑誌「芸文」。所収『新編日本思想史研究』2004.5平凡社東洋文庫。</ref>。なお、平田以前のキリスト教と大元の一神を比較する言論には、[[吉川惟足]]による、『[[神道大意]]』(吉田兼直撰とされるもの)の注釈である『神道大意註』での[[バテレン]]の道も[[国常立尊]]の一元から起こるというものがある<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992876/80 神道叢説]』国書刊行会 p.145 「神道大意註」(国立国会図書館)</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1224160/32 国民思想叢書. 神道篇]』 加藤咄堂 編 国民思想叢書刊行会 p.34 「神道大意註」</ref>。
2.はその神の名前である。これもよく見ると、末尾が同じ音である神が多くいることが分かる。例えば「チ」「[[ミミおよびミ|ミ]]」「ヒ」「ムツ」「ムチ」「[[ヌシ]]」「ウシ」「ヲ」「メ」「[[ヒコ]]」「[[ヒメ]]」などである。 「チ」「ミ」「ヒ」(霊)は自然神によく付けられ、精霊を表す([[カグツチ]]、[[オオヤマツミ]]など。ツは「の」の意味)。「ウシ」(大人)、「ヌシ」(主。「〜の大人(うし)」の略称。)、「ムチ」(貴)等は位の高い神につけられる(オオヒルメノムチ([[天照大神|アマテラス]]の別名)、[[大国主|オオクニヌシ]]など)。「キ」(子)「ヲ」(男)「コ」(子)「ヒコ」(彦)は男神、「ミ」(女)「メ」(女)「ヒメ」(媛・姫)は女神に付けられるものである。 「コ」は元は男性を表したが、藤原氏が女性名として独占し、近世までは皇后など一部の身分の高い女性しか名乗れなかった事から、現代では女性名として定着した。


また、平田篤胤より遥か以前に、神道界の実権を握っていた[[吉田神道]]では宇宙の根源神である虚無太元尊神を祀り、現在でも[[吉田神社]]では大元宮で虚無大元尊神と八百万の神を象徴する天神地祇八百萬神を祀っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.yoshidajinja.com/yuisyo.htm#daigengu|title= 斎場所 大元宮|website=吉田神社|accessdate=2021-04-22}}</ref>。また[[両部神道]]に関連する鎌倉時代頃の書物『三角柏伝記』には、既に大元尊神の語が見える。大元(おおもと)神社は、[[厳島神社]]にもあり<ref>{{Cite web|和書|title= 境外摂末社|url= http://www.itsukushimajinja.jp/setumatusya.html#setumatusya01|website= 嚴島神社|accessdate=2021-04-22}}</ref>、広く確認される神社である。更に島根県には、大元(おおもと)神楽が伝承されている<ref>{{Cite web|和書|title= 重要無形民俗文化財 大元神楽|url= https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/302/116|website=文化庁 国指定文化財等データベース|accessdate=2021-04-22}}</ref>。
以上の他に、後代には[[明神]](みょうじん)、[[権現]](ごんげん)などの号を持つ神も表れた。


[[吉田神道]]より以前には、[[伊勢神道]]などが[[国之常立神]]を根源神とみなした。
== 「神」という言葉 ==
=== 他言語との関係 ===
日本語における「神」という言葉は、元々は神道の神を指すものであった。ただし『日本書紀』にはすでに仏教の尊格を「[[蕃神]]」とする記述が見られる。16世紀に[[キリスト教]]が日本に入ってきた時、キリスト教で信仰の対象となるものは「デウス」「天主」などと呼ばれ、神道の神とは(仏教の仏とも)別のものとされた。しかし、明治時代になってそれが「神」と訳された。


[[1814年]]に「天命直授」して[[黒住教]]を立教した[[黒住宗忠]]は、[[天照大神|天照皇太神]]を、万物を生じさせる親神とした<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815269/158 黒住教教書. 第1輯(教祖訓誡七个条並歌文集)]』 p295 (リンク国立国会図書館)</ref><ref>{{Cite web|和書|title=黒住教について|url= http://kurozumikyo.com/oshie/2018/12/201812mioshie|website=黒住教|accessdate=2021-05-23}}</ref><ref>{{cite article|title=天に任せよ。我を離れよ。陽気になれ。|url= https://www.engakuji.or.jp/blog/28907/|date= 2014-08-27|accessdate=2021-05-23|publisher=臨済宗大本山 円覚寺}}</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815278/22 黒住宗忠伝]』 (牧放浪 著) p28 (リンク国立国会図書館)</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1092658/12 道の志るべ : 国民精神総動員 支那事変一周年記念]』 (黒住教倉吉大教会所)p13 (リンク国立国会図書館)</ref>。
=== 語源 ===
「カミ(神)」という語は、日本の神霊的存在の総称として定着した<ref name=itou>伊藤聡 2012年</ref>。


=== 万物の創造主・主宰者としての全能の天皇 ===
現代日本語では「神」と同音の言葉に「[[上]]」がある。「神」と「上」の関連性は一見する限りでは明らかであり、この2つが同語源だとする説は古くからあった。しかし江戸時代に[[上代特殊仮名遣]]が発見されると、「神」はミが乙類 (kamï) 、「上」はミが甲類 (kami) と音が異なっていたことがわかり、昭和50年代に反論がなされるまでは俗説として扱われていた。
[[明治]]の初期に[[祭政一致]]の国家体制を企図した[[神祇事務局]]の[[亀井茲監]]らが「天皇」と「天」とが同体しているという神儒合一的な観念によって全能の存在としたもの。「天皇ハ万物ノ主宰ニシテ、剖判(ほうはん・「宇宙創造時」の意)以来天統間断無ク天地ト与(とも)ニ化育ヲ同シ玉ヒ……」(『勤斎公奉務要書残編』)などとされる<ref>安丸良夫「近代転換期における宗教と国家」(『日本近代思想大系第5巻(宗教と国家)』岩波書店、1988年、p497)</ref>。[[国家神道]]における天皇の捉え方は[[文部省]]が1937年に発刊した『[[国体の本義]]』に顕著に現れている。
<!--上代特殊仮名遣の8母音説については反論もあるので、上代特殊仮名遣のページにて議論してください-->
{{quote|天照大神は…その御稜威は宏大無邊であつて、萬物を化育せられる。即ち天照大神は高天ノ原の神々を始め、二尊の生ませられた國土を愛護し、群品を撫育し、生成發展せしめ給ふのである。|『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1880826/12 國體の本義]』文部省 編纂 内閣印刷局 p.12-3(国立国会図書館)}}
{{quote|天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。|『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1880826/17 國體の本義]』文部省 編纂 内閣印刷局 p.23-4(国立国会図書館)}}


[[石原莞爾]]は『[https://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_23278.html 最終戦争論・戦争史大観]』(原型は1929年7月の中国の長春での「講話要領」)の中で、
ちなみに「身分の高い人間」を意味する「長官」「守」「皇」「卿」「頭」「伯」等(現代語でいう「オカミ」)、「龗」(神の名)、「狼」も、「上」と同じくミが甲類(kami)であり、「髪」「紙」も、「上」と同じくミが甲類(kami)である。
:人類が心から現人神(あらひとがみ)の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。
と述べている。[[太平洋戦争]]に際しては東南アジア諸国への侵略を正当化する目的で、[[大東亜共栄圏]]と並びこうした思想を[[八紘一宇]]と称して盛んに使用された。この他には、[[加藤玄智]]による、天皇は中国の[[天]]・[[上帝]]や[[アブラハムの宗教]]の唯一神の位置を占めると言うものがある<ref>{{cite book|title= 我が国体と神道|url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/944003/15|author= 加藤玄智 |publisher= 弘道館|year=1919|page=13}}(国立国会図書館)</ref>。ただし、天皇自身と創造主は、日本神話において直接のつながりはなく、[[アマテラス]]は[[国産み]]・[[神産み]]を行った[[イザナギ]]が[[黄泉]]帰りに行った水浴びからうまれ{{refnest|group="注釈"|[[日本書紀]]本文で{{ruby|大日孁貴|おおひるめのむち}}は「{{ruby|天下|あまのした}}の{{ruby|主者|きみたるもの}}」}}、[[天孫降臨]]した[[ニニギ|瓊瓊杵尊]]([[皇統]]につながる神)は、[[造化三神]]のうち[[タカミムスビ|高皇産霊尊]]の孫である。


=== 王権神授説(Theory of the divine right of kings)における「divine」としての神(天皇) ===
「神 (kamï)」と「上 (kami)」音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こったとする説もある。
{{see|人間宣言}}
「[[現人神]]」の対訳として[[昭和天皇]]の[[人間宣言]] (1946年) の英文詔書において用いられた。


{{quote|We stand by the people and we wish always to share with them in their moment of joys and sorrows. The ties between us and our people have always stood upon mutual trust and affection. They do not depend upon mere legends and myths. They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.}}
[[カムヤマトイワレヒコ]]、[[カムアタツヒメ]]などの[[複合語]]で「神」が「カム」となっていることから、「神」は古くは「カム」かそれに近い音だったことが推定される。[[大野晋]]や[[森重敏 (国語学者)|森重敏]]などは、ï の古い形として [[内的再構|*]]<nowiki/>ui と *oi を推定しており、これによれば kamï は古くは *kamui となる。これらから、「神」は[[アイヌ語]]の「[[カムイ]] (kamui)」と近い音であったことが分かる。


{{quote|然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。『現代訳:私は国民のそばにいて、彼らの喜びや悲しみの瞬間を常に共有したいと思っています。私と国民との間の絆は、常に相互の信頼と愛情によって結ばれており、単なる神話と伝説によって生まれるものではありません。天皇を現御神とし、そして日本人は他の民族よりも優れているので世界を支配する運命にあるという想像上の観念に基づいているわけでもありません。』}}
「カム」には「カモ(賀茂、鴨)」という派生形があり、[[賀茂氏]]という氏族もある。


{{要検証|『現御神(アキツミカミ)』は「Emperor is divine」と訳され|date=2021年9月}}、{{独自研究範囲|「Divine right of kings」([[王権神授説]])とはやや異なり、権利や特権というよりは天皇自体の神聖さに重きがある。しかしながらどちらにせよ[[神勅#天壌無窮の神勅|天壌無窮の神勅]]に見られるように、神から選ばれているものであるというニュアンスは含む。|date=2021年9月}}「天皇をもって現御神とし」は「Emperor is divine」と訳されている。
現時点では、[[本居宣長]]が『[[古事記伝]]』のなかで「迦微(かみ)と申す名の義はいまだ思い得ず」といっているように、語源についての明確な定説はない<ref name=itou />。


ピーター・リャン・テック・ソンの[[歴史学]]論文によると、唯一神と天皇を同じ唯一者として信じるように、[[ムスリム]]へ命令が下された{{sfn|Sun|2008|p=115}}。大日本帝国は、[[ジャワ島]]の[[ムスリム]]たちへ「[[メッカ]]よりも[[東京]]に礼拝し、'''日本皇帝'''を'''唯一神'''として礼賛せよ、という[[日本軍]]の命令(the Japanese military orders to bow towards Tokyo rather than Mecca and to glorify the Japanese Emperor as God)」を伝えていた{{sfn|Sun|2008|p=115}}。
=== 神と霊 ===

{{See also|人神}}
== 神名 ==
神道において、特に有力な人物や恨みを残して亡くなった人物を神として祀り、祟りを避けようとした例は数多い。中でも[[菅原道真]]を祀る[[天満宮]]は亡くなった人間を神として扱う顕著な例である。
=== 神号 ===
これに対して近代に興った[[靖国神社]]は国家のために戦死した不特定多数を神として祀っており、特定単数を神として祀る先述の例と一線を画している。
神の名の最後につく尊称のようなものを神号とよぶ<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913348/148 神道大辞典 : 3巻. 第二卷]』平凡社p.284(国立国会図書館)</ref>。{{Anchors|「ミコト」(神号)}}一般に神号とは観念されないものの、「カミ」(神)と「ミコト」(命・尊)が、名前の最後に交換可能な形で記紀で記される場合のある神がいる。「ミコト」の語源は「御事」とする説と「御言」とする説とがある。後者は命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものという説がある<ref name=mikoto>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913359/177 神道大辞典 : 3巻. 第三卷]』平凡社 p.292-3(国立国会図書館)</ref>一方で、『[[日本書紀]]』には「至貴を尊と曰ひ 自餘を命と曰ふ」<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/10 訓讀日本書紀. 上巻]』黒板勝美 編 岩波書店 p.16(国立国会図書館)</ref>とあり、なぜ「命」の字を当てるかについて説明はない。あるいは『[[古事記]]』では全て「命」の文字を当てており<ref name=mikoto/>ここでも大した意味はない。ただし『古事記』では[[イザナギ]]・[[イザナミ]]の尊称は「天神諸命以」<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2578740/12 訂正古訓古事記 3巻. 1]』河南儀兵衞 [ほか3名] 1803年(国立国会図書館)</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3460051/11 古訓古事記]』永田調兵衞 1870年(国立国会図書館)</ref>(あまつかみもろもろのみこともちて)国作りを詔りごちた後、「神」から「命」に変わっている<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031649/5 古事記]』幸田成友 校訂 岩波書店 p.7(国立国会図書館)</ref>。
これらのことから、神社から慰霊碑、([[神仏習合]]における)墓に至るまで規模は違えど本質的に同じものであり、神(祀れば恩恵をもたらし、ないがしろにすれば祟るもの)と霊(人間が死んだ後に残るとされる[[霊魂]])とは明確に区別されていないといえる。

特に貴い神には大神(おおかみ)・大御神(おおみかみ)の神号がつけられる{{refnest|group="注釈"|『古事記』で「大御神」の神号がつくのは、[[天照大御神]]・伊耶那岐大御神・[[迦毛大御神]]のみである<ref>{{cite web|title=阿遅志貴高日子根神|website=國學院大學 「古典文化学」事業 神名データベース|url=https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/ajishikitakahikonenokami/|accessdate=2024-06-29}}</ref><ref>{{cite journal|title=アジスキタカヒコネと建国神:原ヤマトタケル伝承と四・五世紀史序説|author=大内 建彦|journal=城西大学女子短期大学部紀要|volume=9|issue=1|pages=35-44|year=1992|doi=10.20566/02897849_9(1)_b35|NCID=AN10171062}}</ref>。}}。また、後の時代には[[明神]](みょうじん)、[[権現]](ごんげん)などの神号も表れた。神号を巡っては、[[徳川家康]]の神霊の神号を「明神」にする[[吉田神道]]派の[[以心崇伝]]と「権現」にする[[山王神道]]派の[[天海|南光坊天海]]で論争が起き、最終的に[[日光東照宮]]に「東照大権現」として祀られた話がある<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913359/8 神道大辞典 : 3巻. 第三卷]』平凡社 p.4 (国立国会図書館)</ref><ref>{{Cite web|和書|title=徳川家康 ー将軍家蔵書からみるその生涯ー 家康の神号|url= https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/ieyasu/contents6_04/|website=国立公文書館|accessdate=2021-10-02}}</ref><ref>{{cite news|title= 家康改葬(1)家康はなぜ日光で「神」になったか 「江戸の真北」に意味がある|url= https://www.sankei.com/article/20150117-VBQP2UW5YNLMRND53IRZNCEY3Y/|date=2015-01-17|newspaper=産経新聞|accessdate=2021-10-02}}</ref>。


== 出典 ==
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== 参考文献 ==
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2024年11月9日 (土) 02:59時点における最新版

神道における(かみ)とは、自然現象などの信仰や畏怖の対象である。「八百万の神」(やおよろずのかみ)と言う場合の「八百万」(やおよろず)は、数が多いことの例えである。

定義

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吉田神道の事実上の大成者である吉田兼倶による著書『神道大意』には、冒頭部分で「夫れ神と者天地に先て而も天地を定め、陰陽に超て而も陰陽を成す、天地に在ては之を神と云ひ、萬物に在ては之を霊と云ひ、人に在ては之を心と云ふ、心と者神なり、故に神は天地の根元也、萬物の霊性也、人倫の運命也、無形して而も能く有形物を養ふ者は神なり…」とある[1][2]。吉田神道は幕末頃までは、神道の一派というより中心流派であった[3][4]

宮地直一は、時代により変遷がある観念であるカミは、「日常崇拝の對象となりしもの」「廣く超人間の威力あるもの」の総称、称であるものとしている[5]

他言語との関係

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日本語における「神」という言葉は、元々は神道の神を指すものであった。ただし『日本書紀』にはすでに仏教の尊格を「蕃神」とする記述が見られる。16世紀にキリスト教が日本に入ってきた時、キリスト教で信仰の対象となるものは「デウス」「天主」などと呼ばれ、神道の神とは(仏教の仏とも)別のものとされた。しかし、明治時代になってそれが「神」と訳された。

他言語においては、神道の神を指す場合は "kami" として一般的な神とは区別されることもある。

語源

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「神」の字の旧字体「神」。

漢字の「神」は、祭祀を意味する「示」に音符「申」を付した字で、祭祀および祭祀対象である神霊の類を示す。また「神祇」とした場合は、地の神である「祇」に対し、天空にいる雷神の類を意味する。「神」字は、日本においては「カミ」と訓じられ、日本の神霊的存在の総称として定着した[6]

現代日本語では「神」と同音の言葉に「」がある。「神」と「上」の関連性は一見する限りでは明らかであり、この2つが同語源だとする説は古くからあった。しかし江戸時代に上代特殊仮名遣が発見されると、「神」はミが乙類 (kamï) 、「上」はミが甲類 (kami) と音が異なっていたことがわかり、昭和50年代に反論がなされるまでは俗説として扱われていた。

ちなみに「身分の高い人間」を意味する「長官」「守」「皇」「卿」「頭」「伯」等(現代語でいう「オカミ」)、「龗」(神の名)、「狼」も、「上」と同じくミが甲類(kami)であり、「髪」「紙」も、「上」と同じくミが甲類(kami)である。

「神 (kamï)」と「上 (kami)」音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こったとする説もある。

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)、神阿多都比売(カムアタツヒメ)、神屋楯比売命(カムヤタテヒメ)などの複合語で「神」が「カム」となっていることから、「神」は古くは「カム」かそれに近い音だったことが推定される。大野晋森重敏などは、ï の古い形として *ui と *oi を推定しており、これによれば kamï は古くは *kamui となる。これらから、「神」はアイヌ語の「カムイ (kamui)」と同語源だという説もある。[誰によって?]

「カム」には「交む」「組む」「絡む」「懸かる」「係わる」「案山子」「影」「鍵、鉤」「嗅ぐ」「輝く」「翳す」「首」「株」「黴(かび)」「賀茂、鴨」「醸す」「食む(はむ)」「生む」「這う」「蛇(ハブ、はふむし)」「土生、埴生(はぶ)」「祝(はふる)」「屠る(ほふる)」「放る」などの派生語がある。[要出典]

現時点では、本居宣長が『古事記伝』のなかで「迦微(かみ)と申す名の義はいまだ思い得ず」といっているように、語源についての明確な定説はない[6]

八百万の神

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日本では古くから[いつ?]、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)[7]、台所の神様(かまど神[8]など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。少なくとも古墳時代には、現在の神社につながる自然崇拝の痕跡がある事が明らかになっていると考えられている[9]

18世紀の国学者、本居宣長は『古事記伝』で「八百万は、数の多き至極を云(いへ)り」と解釈している[10]。 『古事記』では天照大御神天岩戸に隠れて世界から光が失われた際に八百万の神が集まって相談したという記述がある[11]。『延喜式』の『六月晦大祓』には、八百万の神が相談して皇孫が豊葦原ノ瑞穂ノ国を治めるように決定したと書いてある[12][13]

神道は、すべてのものが精神的な性質(人格があるか、擬人化された魂、霊等)を持つと信じるアニミズムの特徴を保持してきたとされる場合がある[14]。動植物やその他の事物に人格的な霊魂、霊神が宿るとするアニミズムは、非人格的な超常現象、超自然的な呪力を崇拝するマナイズム(呪力崇拝)とは区別される[15][16]アニミズムはすべてのものに魂があると主張するのに対し、物活論はすべてのものが生きていると主張する[17]:149[18]。一方で本居宣長は神には御霊があるものと霊ではなく自然体の「かしこさ」を神格化したものの二つを挙げている[19]

特定の氏族、部族が自然現象・自然物や動植物と超自然的関係で結ばれることをトーテムと呼び[20]南方熊楠は、大物主トーテムとした[21]

八万四千の法門の「八万四千」は、仏教で「多数」を意味する語[22]であり、八百の由来とする説がある。他にも八大地獄、八大奈落、八大明王、八大童子八大菩薩などがあり、八は多くの仏教用語で使用されている。

仏教伝来時に発生した崇仏・廃仏論争において物部尾輿中臣鎌子らは「我が国の王の天下のもとには、天地に180の神がいます。今改めて蕃神を拝せば、国神たちの怒りをかう恐れがあります[23]」と反対、私的な礼拝と寺の建立が認められた。しかし直後に疫病が流行し物部・中臣氏らは「仏神」のせいで国神が怒っているためであると奏上。欽明天皇は仏像の廃棄、寺の焼却を黙認したという[24]神仏習合が進んだものの、斎宮には仏教に関する禁忌が存在した[25]

中央集権化に伴い、神に対して人間の位階に相当する神階を奉授する神階制が成立した[9][26]

神と霊

[編集]

たたりを恐れ崇拝の対象とする死霊崇拝はアニミズムの一形態とされている[27]神社怨霊を鎮めるために神として祀るなどした[28]。中国では魏(220年 - 265年)、晋以後に広まっているが、日本では奈良・平安・鎌倉時代に盛んに信仰され、怨霊がもたらす不幸を防ぐために呪法が行われたとされる[28]

神道において、特に有力な人物や恨みを残して亡くなった人物を『神』として祀り、祟りを避けようとした例は数多い。中でも菅原道真を祀る天満宮は亡くなった人間を神として扱う顕著な例である。ただし、道真の生前から存在する神社(生祠[29]や、出生譚には神仏の化身として現世に顕現した説話も存在する[30][31]

これに対して近代に興った靖国神社は国家のために戦死した不特定多数を神として祀っており、特定単数を神として祀る先述の例と一線を画している。ただし、神社に祖霊社が設けられることがある。 これらのことから、神社から慰霊碑、(神仏習合における)墓に至るまで規模は違えど本質的に同じものであり、『神』(祀れば恩恵をもたらし、ないがしろにすれば祟るもの)と『霊』(人間が死んだ後に残るとされる霊魂)とは明確に区別されていないといえる。更には、神を「霊」の語で言い表す場合もあり、少なくとも言葉の上では明確な区別はない[32]

神の霊の構造について、荒魂・和魂があると考えられている。この2語の関係は、体系だって説明されることはないものの、『古事記』の神功皇后の箇所や『出雲風土記[33]、また『延喜式』の臨時祭「霹靂神祭」などに登場する[34]

神体

[編集]

神は本来、目に見えないものか見てはならないものとして観念されている一方で[35]、祭祀などに際し神が依るべき物体として神体があり、山や鏡など様々な物が神体とみなされている[36][37][38]

フェティシズムとしての議論

[編集]

宗教学などで使われる概念であるフェティシズムとしての議論があり、加藤玄智神道における呪物崇拝の例として、宝石、スカーフを挙げていた[39]。加藤は都市部を離れ農村部に入ると、アニミズム、呪物崇拝、男根崇拝の痕跡をたくさん見つけることができると述べている[40]。東北の民族学では竈神信仰を除魔の呪力が期待される呪物とする説もある[41]

加藤玄智十種神宝を呪物とするだけでなく、三種の神器も同様の性格を保持しており、東インド諸島の原住民のプサカや中央オーストラリア人のチュリンガとの類似性を指摘した[42]

加藤玄智が呪物崇拝の事例とした神には以下のようなものがある[42]

日本の言語歴史に精通した学者作家外交官であるウィリアム・ジョージ・アストンは著作『Shinto: the Way of the Gods』において、日本には竈神への信仰があるが、神殿の偶像に向かって行う礼拝とは異なり、日本では竈(台所)に向かって礼拝が行われたとした[44]ウィリアム・ジョージ・アストンによると、熱田神宮の剣はもともと供物であり、後に神聖なものとなった[44]呪物崇拝の事例として熱田神宮の剣は、御霊代(みたましろ)の一つであり、一般的には神体(しんたい)と呼ばれる[44]とし、御霊神体の区別がつかない者も多く、神体を神の実体と混同している者もいたと解説している[44]。例えば、そのものを神体でなく神として祀ることを挙げている。不完全な神の象徴と呪物崇拝との間の曖昧さは、肖像が多くの場合で使われないことによると述べた[44]。特定の物理的な物に特別な徳を与えることで、非常に不完全な象徴の役割しか与えられていない神の存在を忘れてしまう傾向さえあると述べている[44]

ロイ・アンドリュー・ミラー国体の本義教育勅語もしばしば呪物(または物神)として崇拝され、神棚に謹んでおかれ保管されたとしている[45]

類型

[編集]

神道の神々は祖霊信仰を淵源として人と同じような姿や人格を有する記紀神話に見られるような「人格神」であり、現世の人間に恩恵を与える「守護神」であるが、祟る性格も持っている。祟るからこそ、神は畏れられたのである。神道の神は、この祟りと密接な関係にある。

当然の如く神と人の関係は祟りのみにより規定されているわけではなく、鎌倉幕府以降の武士政権での法令『御成敗式目』では第一条で「右神者依人之敬増威。人者依神之徳添運。」とあり[46]、祟り以外の側面が強調されている。

神の現れ方は多様であり、夢枕に登場したり、神がかりをおこしたりして現れてくる場合がある。

神々は、いろいろな種類があり、発展の段階もさまざまなものが並んで存在している[47]

神を大別すると、以下のようにリスト化することもできる。

  1. 自然物や自然現象を擬人化、神格化した人格神(山の神大山咋神白山比咩神
  2. 思考・災いといった抽象的なものを擬人化、神格化した観念神(疫病神禍津日神
  3. ・鳥(カラス)・ワニサメといった野獣を擬人化、神格化した獣神(大国主神】、事代主神ワニ】、建御名方神】、大物主神【】、賀茂建角身命【カラス】)
  4. (水浴)の汚れ、排泄物から生まれた神(三貴子金山毘古神波邇夜須毘古神等、神産み
  5. 怨霊信仰などにみられる祟り神
  6. 人工物に関する神
  7. 穀物などにみられる食物の神
  8. 古代の指導者・有力者などを神格化したと思われる神(エウヘメリズム)、氏の集団や村里の守り神とされるようになる神々
  9. 万物の創造神・根源神
  10. 万物の創造主・主宰者としての全能の天皇
  11. 王権神授説 (Theory of the divine right of kings) における divine としての神(天皇)(日本神話では、イザナギ三貴子への統治委任や瓊瓊杵尊天孫降臨参照。)「Divine right of kings」(王権神授説)とは異なり、特権的である以上に、同時に天皇自身が神であるとも観念されている。

自然物や自然現象を擬人化、神格化した人格神

[編集]

この中で最も古いのは 1 の自然物や自然現象を擬人化、神格化した神である。日本神話では大山祇神などが山の神として登場する。比叡山・松尾山の大山咋神、白山の白山比咩神など、特定の山に結びついた山の神もある。草の神である草祖草野姫(くさのおやかやのひめ。草祖は草の祖神の意味)も日本神話において現れる。日本神話では日本の国土形成を行ったのはイザナギイザナミであり、淤能碁呂島以外は現在の日本列島のうち(当時)主要な島は、国産みで産まれた神々である[48][49]。引き続く神産みでは海の神の大綿津見神、山の神の大山津見神、野の神のカヤノヒメ、風の神の志那都比古神、火の神の火之夜藝速男神などを産んだ[50]

古代の日本人は、、海中の巨石巨木、神の顕現と思われるような動物植物などといった自然物、のような神聖な物体、などといった自然現象の中に、神々しい「何か」を感じ取った。この感覚は今日でも神道の根本として残るものであり、小泉八雲はこれを「神道の感覚」と呼んでいる。自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼす。古代人はこれを神々しい「何か」の怒り(祟り)と考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、それを崇敬するようになった。これが後に「カミ(神)」と呼ばれるようになる。このように神の観念の発展とともに、岩や器物は神霊の憑依するものと見なされるようになり、鳥や獣も神の使いとして考えられるようになる。

山に関しては神の鎮まるところ、神の住むところと見るようになり、山そのものを神体として「神体山」と呼ぶようになった。大場磐雄は、神体山を浅間型と神南備(かんなび)型の二つに分けている。まず浅間型は山谷が秀麗で周囲の山々からひときわ高く目立つ形をしており、神南備型は人里に近い比較的低い山で、傘を置いたようななだらかな形をしている。地名としてはカンナビ、ミムロ・ミモロというものが多い[47]。前者に属する山は富士山白山(加賀)で、後者は奈良の三輪山[36]春日山がその典型[51]

次に、川や沼、池などにも水の神がいるという信仰もたくさんある。農業用水や生活用水との神と結びつくことが多い。神聖な山から水が流れ出し川となり、その川の上流から何か流れくるものが、神の世界から来たものと結びつけられることが多く、桃太郎や瓜子姫の話が成立し、神の子が誕生する物語に発展していく[51]修験道の系譜だが、例えば那智滝はそれ自体が御神体である。

思考・災いといった抽象的なものを擬人化、神格化した観念神

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神話では厄神の禍津日神、これを直す直毘神伊豆能売、民間信仰では貧乏神、疫神等があげられる。また、腸チフスをもたらす「ボニの神」が恐れられた[要出典]牛頭天王には疫神の神格がある。祓戸四神10世紀成立の『延喜式』中の祝詞六月晦大祓』に言及される、あらゆるを消滅させる神である[52]。英雄神としての側面があるスサノヲは、一方ではアマテラスとの「誓約」の後の粗暴により天津罪と関連づけられ[53]、祓われる主体である[54]。また、国産み神産みにより創造神的な性格があるイザナミは、黄泉国から人間の死の起源を作った[55]説話から、黄泉津大神の異名がある[56]。『日本書紀』一書では国譲り大己貴神高皇産霊尊の勅により「神の事」もしくは「幽れたる事」の主宰者になった[57][58]。引き続く場面で天児屋命は神事の「宗源者」とされ、そういう神だと観念されている[59][60]

天岩戸開きの際に、光が失われた事の対処法を考え[61][62]、『古事記』では邇邇藝命天孫降臨に同行した[63]思金神は、思考能力の神格化とされる。

一言主神は『古事記』においては「言離の神」とされ、言語神であるとみなされている[64][65][66]

動物の神格化やその側面があるとされる神々

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海神族出雲族とされる神には出雲の大国主神)、事代主神ワニ等)、建御名方神(蛇)、大物主神(蛇)といったように蛇、鰐(ワニまたはサメ)の爬虫類魚類の神がおり、天孫族にも賀茂建角身命カラス)、天日鷲神)、天鳥船神(鳥)、熊野大神(熊)といったように鳥類の獣神がいる[要出典]

南方熊楠大物主トーテムとし、三島の神池での取り、祇園氏子キュウリ富士登山の際のコノシロのタブーをトーテムとした[67][21]

禊(水浴)の汚れ、排泄物から生まれた神

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『古事記』によると黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命(イザナキ)が(水浴)で黄泉の汚れを落としたときに左目から天照大御神(本来は男神だったとする説もある[68])、右目から月読命、鼻から須佐之男命が生まれた。

祓戸大神と総称される、伊邪那岐命ので生まれた神は、祓詞で言及され、また大祓詞で言及されるそれらに比定される神は、を祓う神とされる。

怨霊信仰などにみられる祟り神

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日本三大怨霊菅原道真崇徳天皇平将門など、非業な死を遂げた人間が死後怨霊として祟るという信仰形態があり、この祟りを避けるために呪術を行ったり神社に祀ったりした。和霊信仰のように現世利益をもたらす神の信仰に発展する場合も多い[69]

崇神天皇期には、謀反が起きたり、疫病が流行り大量の死者が発生していたが、夢で大国主命が天皇に意富多多泥古に自分を祭らせると「神気」が起こらず災害が治ると告げ、言われた通りにするとおさまったという[70][71][72]

古語拾遺』には、神代に大地主神が、田をつくった日に田人に牛の肉を食べさせたところ田に害虫が大量発生したが、占いにより御歳神の祟り・怒りであると分かり、お告げの通り白猪・白馬・白鶏を奉るなどすると豊作になったという話がある[73]

延喜式』8巻祝詞には「遷却祟神」があり、祟る神を退却させる祝詞である[74][75]。同じく『延喜式』には祭祀「御体御卜」[76]が記され、これは卜部氏卜占[77]により天皇を祟る神をあらかじめ占うことでそれを除けるのためのものである[74][78]

本地垂迹説に基づく仏教的神道(神仏習合)では、如来や菩薩が垂迹した神明である権社神[79]に対して、生霊死霊などの祟る神は実社神[80]という邪神としたものがある[81][82][83][84]

人工物の神

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便所で祀られる厠神は、卜部の神道では土の神・水の神である[7]。「赤子の便所まいり」は厠神に健康を祈願するためともされている[7]。中国でも便所で祀られる神として紫姑(しこ)神が存在する[7]

かまど神火の神であると同様に農業家畜家族を守る守護神ともされる[85]。中国地方では家の火所にまつられ竈神のほか農業神や家族の守護神とされ[8]、日本神話では火産霊奥津日子神奥津比売神を竈三柱大神として祀り[86][87]、火産霊以外の二柱は『古事記』では大年神の子で、竈神とされている[88]

格闘技とは人工的に行われる人間どうしの組み合いであるが、相撲の神としては、土俵祭では相撲三神に祈願を行うが、この相撲三神は手力男神建御雷神野見宿禰に比定される[89][90]

刀剣は自然には存在しないという意味で人工物だが、石上神宮には刀剣の御霊である布都御魂大神布都斯魂大神神宝の御霊布留御魂大神が祀られている[91][92][93]

鍛冶に関する神も多くあり、ふいご祭りが行われるが、記紀では天目一箇神である[94][95]

穀物などにみられる食物の神

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穀物など食物起源の神としては、 大気都比売保食神 稚産霊などがいる。ただし保食神は家畜の起源でもある。大気都比売スサノヲ[96]保食神ツクヨミにそれぞれ殺された後に穀物などに変化し[97]稚産霊は体から穀物が生じた[98]。これらの神話はハイヌウェレ型神話に類型される[99]

人工的に作られる食べ物であるの神も多くおり、梅宮大社酒解神大神神社に祀られる大物主神などがいる[100][101]

古代の指導者・有力者の神格化

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日本において古来より一族の先祖や有力者を祖神として祭る「祖霊崇拝」・「エウヘメリズム」があり、日本神話に登場する多くの神々はこれに分類される。即ち皇室の祖である天照大御神物部氏の祖である邇芸速日命中臣氏の祖である天児屋命三輪氏鴨氏の祖である事代主神諏訪氏の祖である建御名方神安曇氏の祖である綿津見神土師氏の祖である野見宿禰などがある。

意富多多泥古大物主神の子でありながら人間である「神の子」とされ、大物主神を祭る現在の神主に近い存在だが[70]大神神社では神として祀られている[102]。同時に大田田根子は三輪君の始祖とされる[103]

宇佐神宮石清水八幡宮などに祀られる八幡神応神天皇(誉田別命)の神霊として、欽明天皇32年(571年)に初めて宇佐の地に顕現したと伝わる[104]

その他、その時代の有力者や英雄を死後に神として祭る例として桓武天皇豊臣秀吉=豊国大明神、徳川家康=東照大権現、東郷平八郎乃木希典などがある。また権力闘争での敗北や逆賊として処刑された者を、後世において「怒りを鎮める」という意味で神として祭る「御霊信仰」の例として菅原道真天満大自在天神平将門崇徳天皇橘逸勢などがある。

また民間では特定地域を助けた献身行為・殉死から、佐倉惣五郎のように義民を神格化して祭る例もある。

様々な部族が個々に固有の神を信仰していた。それらの部族が交流するにしたがって各部族の神が習合し、それによって変容するようになった。さらに、北方系のシャーマニズムなども影響を与えた。これを「神神習合」と呼ぶ学者もいる。この神神習合が、後に仏教を初めとする他宗教の神々を受け入れる素地となった。[要出典]

ハワイ大神宮におけるジョージ・ワシントンカメハメハ大王のように外国の偉人を祭る例がある。朝鮮神宮御祭神論争では一部の神道関係者らが朝鮮神話檀君を朝鮮国魂神として祭るべきと主張した。

また人神の一環として、天皇のことを現人神と呼び、神道上の概念としてだけでなく、政治上においても大日本帝国憲法第3条不敬罪でその神聖を認めていた。現在では、昭和天皇によるいわゆる人間宣言により天皇の意義が再確認され、日本国憲法により地位は象徴になった。だが、神道においては天照大御神の血を引くとされる天皇の存在は現在も大きな位置を占め、信仰活動の上で重要な位置付けを与えられている。

万物の創造主

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古事記』の序では、撰者の太安万侶により、「然して乾坤初めて分れて、参神造化の首を作し、陰陽斯に開けて、二霊群品の祖たり。」とある[32]。これより、造化の始めとなったのは天御中主神高皇産霊神神皇産霊神であり、万物の祖はイザナギイザナミであると観念されていることが分かる。

平田篤胤が禁書であったキリスト教関係の書の影響を受け、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を万物の創造主として位置づけたものである。尊王攘夷思想の基盤を形成し、近代の教派神道各派にも強い影響を与えている。国家神道の基盤ともなったが、神道事務局祭神論争1880年 - 1881年)での出雲派の敗退により表舞台からは消えて潜勢力となった。天御中主神・高皇産霊神神皇産霊神造化三神とされた。造化三神は、多くの復古神道において現在でも究極神とされている。中でも天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は最高位に位置づけられている[105]。なお、平田以前のキリスト教と大元の一神を比較する言論には、吉川惟足による、『神道大意』(吉田兼直撰とされるもの)の注釈である『神道大意註』でのバテレンの道も国常立尊の一元から起こるというものがある[106][107]

また、平田篤胤より遥か以前に、神道界の実権を握っていた吉田神道では宇宙の根源神である虚無太元尊神を祀り、現在でも吉田神社では大元宮で虚無大元尊神と八百万の神を象徴する天神地祇八百萬神を祀っている[108]。また両部神道に関連する鎌倉時代頃の書物『三角柏伝記』には、既に大元尊神の語が見える。大元(おおもと)神社は、厳島神社にもあり[109]、広く確認される神社である。更に島根県には、大元(おおもと)神楽が伝承されている[110]

吉田神道より以前には、伊勢神道などが国之常立神を根源神とみなした。

1814年に「天命直授」して黒住教を立教した黒住宗忠は、天照皇太神を、万物を生じさせる親神とした[111][112][113][114][115]

万物の創造主・主宰者としての全能の天皇

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明治の初期に祭政一致の国家体制を企図した神祇事務局亀井茲監らが「天皇」と「天」とが同体しているという神儒合一的な観念によって全能の存在としたもの。「天皇ハ万物ノ主宰ニシテ、剖判(ほうはん・「宇宙創造時」の意)以来天統間断無ク天地ト与(とも)ニ化育ヲ同シ玉ヒ……」(『勤斎公奉務要書残編』)などとされる[116]国家神道における天皇の捉え方は文部省が1937年に発刊した『国体の本義』に顕著に現れている。

天照大神は…その御稜威は宏大無邊であつて、萬物を化育せられる。即ち天照大神は高天ノ原の神々を始め、二尊の生ませられた國土を愛護し、群品を撫育し、生成發展せしめ給ふのである。
國體の本義』文部省 編纂 内閣印刷局 p.12-3(国立国会図書館)
天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。
國體の本義』文部省 編纂 内閣印刷局 p.23-4(国立国会図書館)

石原莞爾は『最終戦争論・戦争史大観』(原型は1929年7月の中国の長春での「講話要領」)の中で、

人類が心から現人神(あらひとがみ)の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。

と述べている。太平洋戦争に際しては東南アジア諸国への侵略を正当化する目的で、大東亜共栄圏と並びこうした思想を八紘一宇と称して盛んに使用された。この他には、加藤玄智による、天皇は中国の上帝アブラハムの宗教の唯一神の位置を占めると言うものがある[117]。ただし、天皇自身と創造主は、日本神話において直接のつながりはなく、アマテラス国産み神産みを行ったイザナギ黄泉帰りに行った水浴びからうまれ[注釈 1]天孫降臨した瓊瓊杵尊皇統につながる神)は、造化三神のうち高皇産霊尊の孫である。

王権神授説(Theory of the divine right of kings)における「divine」としての神(天皇)

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現人神」の対訳として昭和天皇人間宣言 (1946年) の英文詔書において用いられた。

We stand by the people and we wish always to share with them in their moment of joys and sorrows. The ties between us and our people have always stood upon mutual trust and affection. They do not depend upon mere legends and myths. They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。『現代訳:私は国民のそばにいて、彼らの喜びや悲しみの瞬間を常に共有したいと思っています。私と国民との間の絆は、常に相互の信頼と愛情によって結ばれており、単なる神話と伝説によって生まれるものではありません。天皇を現御神とし、そして日本人は他の民族よりも優れているので世界を支配する運命にあるという想像上の観念に基づいているわけでもありません。』

『現御神(アキツミカミ)』は「Emperor is divine」と訳され[要検証]「Divine right of kings」(王権神授説)とはやや異なり、権利や特権というよりは天皇自体の神聖さに重きがある。しかしながらどちらにせよ天壌無窮の神勅に見られるように、神から選ばれているものであるというニュアンスは含む。[独自研究?]「天皇をもって現御神とし」は「Emperor is divine」と訳されている。

ピーター・リャン・テック・ソンの歴史学論文によると、唯一神と天皇を同じ唯一者として信じるように、ムスリムへ命令が下された[118]。大日本帝国は、ジャワ島ムスリムたちへ「メッカよりも東京に礼拝し、日本皇帝唯一神として礼賛せよ、という日本軍の命令(the Japanese military orders to bow towards Tokyo rather than Mecca and to glorify the Japanese Emperor as God)」を伝えていた[118]

神名

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神号 

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神の名の最後につく尊称のようなものを神号とよぶ[119]一般に神号とは観念されないものの、「カミ」(神)と「ミコト」(命・尊)が、名前の最後に交換可能な形で記紀で記される場合のある神がいる。「ミコト」の語源は「御事」とする説と「御言」とする説とがある。後者は命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものという説がある[120]一方で、『日本書紀』には「至貴を尊と曰ひ 自餘を命と曰ふ」[121]とあり、なぜ「命」の字を当てるかについて説明はない。あるいは『古事記』では全て「命」の文字を当てており[120]ここでも大した意味はない。ただし『古事記』ではイザナギイザナミの尊称は「天神諸命以」[122][123](あまつかみもろもろのみこともちて)国作りを詔りごちた後、「神」から「命」に変わっている[124]

特に貴い神には大神(おおかみ)・大御神(おおみかみ)の神号がつけられる[注釈 2]。また、後の時代には明神(みょうじん)、権現(ごんげん)などの神号も表れた。神号を巡っては、徳川家康の神霊の神号を「明神」にする吉田神道派の以心崇伝と「権現」にする山王神道派の南光坊天海で論争が起き、最終的に日光東照宮に「東照大権現」として祀られた話がある[127][128][129]

脚注

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注釈

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  1. ^ 日本書紀本文で大日孁貴おおひるめのむちは「天下あまのした主者きみたるもの
  2. ^ 『古事記』で「大御神」の神号がつくのは、天照大御神・伊耶那岐大御神・迦毛大御神のみである[125][126]

出典

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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