「松平定知」の版間の差分
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2019年10月1日 (火) 11:55時点における版
まつだいら さだとも 松平 定知 | |
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プロフィール | |
愛称 | 殿(NHK局内における) |
出身地 |
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生年月日 | 1944年11月7日(79歳) |
最終学歴 | 早稲田大学商学部卒業 |
職歴 | NHKアナウンサー(高知、東京アナウンス室(1977年-2007年11月末[3])など)→フリーランス[4] |
活動期間 | 1969年~ |
著名な家族 | 松平定堯(父) |
出演番組・活動 | |
出演中 | 本文参照 |
出演経歴 | 本文参照 |
その他 | 早稲田大学専門職大学院公共経営研究科客員教授、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授 |
松平 定知(まつだいら さだとも, 1944年11月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKエグゼクティブアナウンサー、京都造形芸術大学芸術学部通信教育部教授、早稲田大学専門職大学院公共経営研究科客員教授、國學院大學文学部客員教授、立教大学21世紀社会デザイン研究科客員教授[5]。
人物・経歴
徳川家康の異父弟・松平定勝を祖とする[2]伊予松山藩久松松平家の分家旗本の子孫。父・松平定堯は旧陸軍大佐で満州国の駐チタ総領事をしていた。外交評論家で元NHK記者の磯村尚徳は従兄にあたる。
東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(現・筑波大学附属駒場中学校・高等学校)を経て[2]早稲田大学商学部に入学。大学では成績優秀で、学費免除の特待生であった[6]。早大卒業後、1969年NHK入局(同期に佐々木敦など)。NHKの採用試験時に、アナウンサー・記者・放送・経営管理の4項目について志望順位を書くよう求められたが、放送は仕事内容のイメージが湧かず、経営管理は自分に向いていないと考えたため、アナウンサー、記者の順に志望を出した。結果的にそれが通った事がアナウンサーとしてのキャリアの端緒であった[7]。NHK在籍時の局内でのニックネームは「殿」。
NHKで脚光を浴びるきっかけとなったものが、若手の頃のラジオ第1でのインタビューだった。この若手時代に倒置法を用いた独特の話法を編み出す[8]。これを皮切りに総合テレビ『ひるのプレゼント』を担当して人気を集め、ニュースキャスターを担当するようになる。『NHK紅白歌合戦』の総合司会に抜擢された時期はそのニュースキャスター時代のことだった。その後、「NHKの顔」として各種の講演などもこなしている。
身長は165cm。ニュース番組で共演していた同僚の杉浦圭子は170cmと松平よりも長身であったが、座高が高かったためか、「松平の方が長身に見えた」という意見もあった。
オープニングやエンディングの際の独特なお辞儀の仕方が視聴者やマスメディアから大変好評であった。[要出典]
1991年、『NHKモーニングワイド』のキャスターを務めていた時に、泥酔してタクシーの運転手に対し車載電話で殴って足蹴りする暴行を働き、その責任を取って『NHKモーニングワイド』を年度途中で降板することになった。その後は『NHKスペシャル』に不定期出演する程度であったが、1995年に『NHKニュース11』で本格的に復帰した。しかし、NHKニュース11での復帰後でもスタッフにペンを投げつけるシーンが放送されたことがあり後日番組で謝罪した[9]。
退職後は後輩の宮本隆治をはじめとするNHK退職アナウンサー設立による有限責任事業組合ことばの杜において、青少年・児童向けの朗読など社会貢献活動にも携わる。衛星放送や愛媛県のローカル番組では民放出演があったが、原則としてフリーになってからもNHKの準専属的に出演してきた。2008年5月、放送人の会放送人グランプリ特別賞受賞、2010年7月、財団法人放送文化基金放送文化金賞受賞[10]。2015年10月から放送されたTBSテレビ「日曜劇場・下町ロケット」で、ナレーターながらも在京キー局民放で初レギュラーを果たした[11]。
エピソード
伊予松山藩主の久松松平氏は明治維新を機に名字を松平から久松に戻しているが、その傍流にあたる定知の家系は松平姓を保った。その松平は「まつだいら」と語頭にアクセントを置くことが正しい発音だとされる。松平本人もそのことに強いこだわりを持っており、NHK時代には部下が「まつだいら」などと異なる発音をしようものなら、その場で「『ま』にアクセントを置くように」と訂正することで有名だった、という話がまことしやかに広がっているが、松平本人は、「『ま』にアクセントを付けて、高く強く発音して呼ばないと、返事してくれないんですって?」と言われて吃驚し、「私は一回もそんなことを言ったこともないし、したことも、ありません」と書いている[12]。
『NHKニュース11』で携帯音楽プレーヤー文化について特集が組まれた際、製品を説明するにあたり、視聴者への判りやすさを考慮して「一回だけ言います。ウォークマンのことです」と話したことがある[13]。NHKは公共放送の建前上、基本的に特定の商品名を用いることは避けられるが、視聴者への判りやすさを考慮したもので当時としては極めて異例だった。
主な出演
現在の出演番組
- 大河ドラマアーカイブス案内役(時代劇専門チャンネル、スカパー!向けながら、民放デビュー番組)
- 松平定知の藤沢周平をよむ(チャンネル銀河、案内役)
- シリーズ世界遺産100(NHK総合テレビジョン、ナレーション/2008年度放送分より)
- この番組はNHK退職後も出演を続けている。
過去の出演番組
東京異動後
- ひるのプレゼント
- 歌のビッグステージ(1980年度)
- NHKニュースワイド(スポーツ担当)
- 連想ゲーム(1981-1983年度)
- きょうのスポーツとニュース(1984年度)
- NHKニュース(午後7時、1985-1988年度)
- イブニングネットワーク首都圏(1988年度)
- NHKモーニングワイド(平日7・8時台 1989、1990年度)
- NHK紅白歌合戦(1989、1990年)
- NHKワールド・ラジオ日本のニュース(「NHKニュース11」登板前)
- 連続テレビ小説 かりん (1993年下半期・ナレーション)
- NHKニュース11(1995-1999年度)
- NHKニュース7(制作 1996年度)
- 選挙開票速報
- BSあなたが選ぶ時代の歌1000曲
- プロ野球70周年特集
- NHKスペシャル・世紀を超えて
- NHKスペシャル・アジア古都物語(2002年、大阪放送局新局舎完成記念番組ナレーション)
- 「同・新・シルクロード」(2005年 ナレーション)
- その時歴史が動いた(司会/2000年-2009年)
- 昭和天皇が崩御した1989年1月7日夜の昭和時代最後の『NHKニュース』。
- 「ラジオ深夜便 藤沢周平作品朗読(2005年度『蝉しぐれ』から開始 退職後も出演)
- 2004年度には「私の本棚」などで「藤沢周平を読む」と題した朗読シリーズを担当した。
NHK退職後
- NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか(ナレーション/2011年1月-8月)
- ザ・プレミアム 華族 150年の旅路~激動を生き抜いた日本の名家~(ナレーション/2016年9月10日)
映画
- 真田十勇士(2016年9月22日公開) - ナレーション
テレビドラマ
- 日本のいちばん長い夏(2010年、NHK・アマゾンラテルナ、NHKハイビジョン特集としても放送) - 扇谷正造役。映画初出演。
- 新春ワイド時代劇「戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち」(2011年1月2日、テレビ東京) - 徳川家康役 ※NHK退職後、地上波民放のテレビドラマに初出演。
- 下町ロケット(2015年10月18日 - 12月20日、TBSテレビ)- ナレーション
- 連続テレビ小説 あさが来た 第146回・147回(2016年3月22日 - 23日、NHK総合) - 富永巌 役[14]
著書
単著
- 『負けずにキザですが』[15] (1985年、講談社)
- 『歴史を「本当に」動かした戦国武将』(小学館101新書、2009年)ISBN 978-4098250387
- 『幕末維新を「本当に」動かした10人』(小学館101新書、2010年)ISBN 978-4098250707
- 『心を豊かにする言葉術』(小学館101新書、2011年)ISBN 978-4098251148
- 『松平定知の戦国武将に学ぶ「生き抜く力」DVD BOOK BeeTV』宝島社 別冊宝島 2011
- 『アナウンサーの日本語論』毎日新聞社 2013
- 『謀る力』小学館新書 2014
監修
受賞歴
脚注
- ^ 本人著『負けずにキザですが』5頁に「本籍は愛媛県松山市。住んだことはありません。私は仲間から「殿」なんて呼ばれてますが、大したものじゃありません。徳川家康の異父弟・松平定勝を祖とする久松松平の傍流の末裔です。育ちは東京です。」という記述がある。
- ^ a b c 東京スポーツ「ワセダ出身アナウンサー三羽烏 松平・久米・逸見」 1985年11月22日より
- ^ 2004年に役職定年を迎えた後、嘱託契約社員として在籍。
- ^ フリーランスとなってからもNHKの多くの番組に出演。これまでスカパー!向けの出演こそあったものの民放(地上波・BS双方)への出演はあまりない。
- ^ 立教大学大学院 21世紀社会デザイン研究科危機管理学演習13 担当:松平定知客員教授。
- ^ 会員・各期情報>いきいき卒業生>私の履歴書>松平さん 筑波大学附属駒場中・高等学校同窓会 若葉会
- ^ 会員・各期情報>いきいき卒業生>私の履歴書>松平さん 筑波大学附属駒場中・高等学校同窓会 若葉会
- ^ 通常なら「皆さん今晩は」と言うところを「今晩は皆さん」と言う。
- ^ 元NHKアナ松平定知 タクシー運転手を暴行した“殿”のご乱心(2012年12月10日) - 2017年4月23日閲覧。
- ^ 財団法人放送文化基金参照
- ^ 松平定知氏が『下町ロケット』で語り 民放から依頼され驚き(ニュースポストセブン)
- ^ 松平定知『ゆったり、まったり、伊予日和』第2回「父・寡黙な明治人」(『accrete』2014.May Vol.134 愛媛新聞社)
- ^ 812「世界一の記録を集めた本」 道浦俊彦/とっておきの話 読売テレビ 2002年9月5日
- ^ “宮根アナ&松平アナ「あさが来た」出演!生保の社長役「存在感」”. スポニチアネックス (2016年2月19日). 2016年2月19日閲覧。
- ^ 題名は従兄でNHK先輩の磯村尚徳が著してベストセラーとなった『ちょっとキザですが』にあやかったもの。
- ^ Ordine della Stella d'Italia - Congratulazioni al Grand'Ufficiale Utaro DOI e ai Commendatori Sadatomo MATSUDAIRA, Koichi SUZUKI, Takahiro YAMANE e Mari YAMAZAKI. Un riconoscimento per aver contribuito all'amicizia tra Italia e Giappone - Ambasciata d'Italia Tokyo facebook「在日イタリア大使館-東京」アカウント)
外部リンク
期間 | 平日 | 土曜日 | 日曜日 | |||
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6時台 | 7・8時台 | 6時台 | 7・8時台 | |||
1988.4.4 | 1989.4.1 | 和田郁夫 桜井洋子1 |
川端義明 宮崎緑 |
放送なし | ||
1989.4.3 | 1990.3.31 | 川端義明 | 松平定知 上田早苗 |
石澤典夫 黒田あゆみ2 | ||
1990.4.2 | 1991.3.30 | 宮田修 上田早苗 |
松平定知 | 石澤典夫 | 石澤典夫 平野啓子3 | |
1991.4.1 | 1993.4.4 | 黒沢保裕 山下信 |
佐藤淳 草野満代4 |
末田正雄 | 宮川泰夫 小谷真生子4 | |
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