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|現在の出演番組= 『[[オールスター感謝祭]]』の赤坂5丁目ミニマラソン
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2019年10月1日 (火) 12:44時点における版

はつた けいすけ
初田 啓介
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 埼玉県さいたま市
生年月日 (1970-09-23) 1970年9月23日(53歳)
最終学歴 早稲田大学第一文学部
勤務局 TBS
部署 編成局アナウンス部
活動期間 1993年 -
ジャンル スポーツ実況
配偶者 あり
公式サイト プロフィール
出演番組・活動
出演中オールスター感謝祭』の赤坂5丁目ミニマラソン
出演経歴SASUKE』(メイン実況)
ブロードキャスター』など

初田 啓介(はつた けいすけ、1970年9月23日 - )は、TBSテレビアナウンサー。身長168cm。

来歴・人物

埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。早稲田大学本庄高等学院早稲田大学第一文学部卒業。1993年4月[注釈 1]、TBSにアナウンサー28期生として入社(同期には宮澤祐介雨宮塔子[1][2]。高校・早稲田大学時代の同期に福永俊介札幌テレビ放送アナウンサー)、大学時代の先輩に上泉雄一毎日放送アナウンサー)がいる。

音楽評論家酒井康の著書『虹色の音色II』(著名人のヘヴィメタルファンとの対談集)によれば、学生時代にバンド活動をしておりドラムを担当していた。特に好きなドラマーはビル・ブラッフォードとのこと。好きな理由は「音色も暗ければ顔も極限にまで暗い」とのこと。初田曰くヘヴィメタルやプログレッシブ・ロックを好んではいるが自身の演奏はパンク調になってしまうという。2008年10月から担当していたラジオ番組『Kakiiin(カキーン)』でも、上記の学生時代の音楽に関する経験を語る事があった。

主にスポーツ中継を担当[3][4]プロ野球日本シリーズK-1などの実況を担当している。また、番組改編期『オールスター感謝祭』内の企画、「赤坂5丁目ミニマラソン」のコーナーの実況を1996年春以降担当している。

2003年9月26日からは、特別番組『SASUKE』『スポーツマンNo.1決定戦』の2代目メイン実況担当に、古舘伊知郎から引き継いで就任(SASUKEメイン実況で22、23回は後輩の小笠原亘が担当)。2008年の北京オリンピック、2009年の世界陸上ベルリン大会においては、男子100m200mウサイン・ボルトが世界新を出した決勝レースを実況した(世界陸上ベルリン200m世界新の実況は林正浩)。

  • 2016年12月1日付で、2016年の日本シリーズで問題があった実況の責任を取る形で、チーフアナウンサーから降格。それにともないエキスパート部次長の職も解かれた。

エピソード

  • 入社当時からスポーツ中継を希望し、入社当時は修行の日々が続く。大相撲は幕下から十両までの取組、プロ野球は中継されない試合を実況練習する日々[注釈 2]。そんな中、1995年7月5日、日本ハム西武戦で実況練習をしていたところ、西崎幸広が9回2死までノーヒットピッチングを続けていたため、急遽マイクが切り替わり、これが実況デビューとなった。なお、1球で打ちとりノーヒットノーランを達成したため、実況デビューは1球のみであった[5]
  • 2003年12月31日、『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』(TBSが中継を担当)が開催され、メインイベントとして「ボブ・サップvs曙太郎」戦が行われた(試合結果は、サップ2分58秒KO勝ち)。この試合は、曙のK-1デビュー戦として、開催前から大きな注目を集めていた。この試合の実況を担当したのが初田であった。この試合の瞬間視聴率は、日本のテレビ放送史上初めて、裏番組の『NHK紅白歌合戦』の視聴率を抜いた。
  • 初田は格闘技の試合の実況において、通常後ろ回し蹴りと呼ばれている技を「回し蹴り」と呼び、回し蹴りと呼ばれている技は「ミドルキック」など外来語で呼ぶ。
  • NHKアナウンサーの永井伸一は中学、高校、大学(学部)のそれぞれにおいて同期生である。
  • TBSラジオ『Kakiiin』の2009年度後半の担当が水曜日(平日の真ん中)だったため、“センター初田”というニックネームを持っていた。
  • TBSテレビ他で放送されたテレビアニメ『それでも町は廻っている』第8話「全自動楽団」(Aパート「全自動世界」)では、野球の実況アナウンサー役で出演している。
  • しかし、実際の野球の実況では事実誤認やミスが非常に多く、アウトカウントを間違える・選手の所属チームを間違えるなどのミスを犯している。
    • SMBC日本シリーズ2016では初田の実況に視聴者から非難が集中した。始球式でウェルチェアーラグビー日本代表の乗松聖矢が投げた際、初田は「ナックルボール」と言い放った事に視聴者からの非難が集中した。乗松はシャルコー・マリー・トゥース病という手足に力の入らない難病を患っており、意図してナックルを投げた訳では無いものと思われる。また、試合中でも追加点となるホームランを「同点ホームラン」、ゲスト解説を務めた三浦大輔に対して「横浜の元三浦投手」と発言するなど言い間違いが続出し、視聴者からの苦情が殺到した。これに対しTBSの社長の武田信二から記者会見で苦言を呈される異例の事態も起こった[6]

現在の担当番組

テレビ

ラジオ

過去の担当番組

テレビ

ラジオ

関連項目

注釈

  1. ^ 『TBS50年史』では入社時期を1992年4月と誤記[1][2]
  2. ^ ラジオの野球中継においては、放送がないカードも実況の録音を行う。
  3. ^ 2014年秋は世界バレー中継で現地イタリアへ出張のため、2019年秋は世界陸上中継で現地カタール出張のため欠席。

出典

  1. ^ a b 東京放送 編「III 放送関係 7 アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、240頁。"1992.4<28期生> 3人入社(男2・女1)初田啓介 宮沢祐介 雨宮塔子"。 
  2. ^ a b 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、32頁。"92.4<28期生>3人入社 応募総数3,967名 初田 啓介 宮沢 祐介 雨宮 塔子"。 
  3. ^ a b c d e f g h 東京放送 編「III 放送関係 7 アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、240頁。"初田啓介『スポーツ中継』 R「初田啓介のHAPPY SHOW(1997)」 TV「山田邦子のしあわせにしてよ(1995)」「ニュースの森(1995)」「スポーツ10番勝負(1996)」「もぎたてサラダ(1997)」「スポーツマンNo1決定戦」"。 
  4. ^ a b c d e f g 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、32頁。"初田 啓介…スポーツ中継。R「初田啓介のHAPPY SHOW(97)」 TV「山田邦子のしあわせにしてよ(95)」「ニュースの森(95)」「スポーツ10番勝負(96)」「もぎたてサラダ(97)」"。 
  5. ^ Step Ahead”. 1997年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月20日閲覧。
  6. ^ TBS社長、日本S第1戦実況の言い間違い問題に決意「間違いのない放送をしていきたい」 - スポーツ報知 2016年10月26日

参考文献

  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 

外部リンク