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[[File:Little Boy Internal Components (no labels).png|thumb|260px|リトルボーイの構造。赤がウラン235。弾尾側にある黄色い火薬が爆発すると、円筒状のウランが弾頭側へ移動し、円柱状のウランにかぶさって一体化するように描写されている。]]
[[File:Little Boy Internal Components (no labels).png|thumb|260px|リトルボーイの構造。赤がウラン235。弾尾側にある黄色い火薬が爆発すると、円筒状のウランが弾頭側へ移動し、円柱状のウランにかぶさって一体化するように描写されている。]]


全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5t。番号はMk.1。[[ウラン235]]を用いており、二分されたパイプの両端に置かれたウラン235の塊の一方を[[火薬]]の爆発力でもう一方のウラン塊にぶつけ、[[臨界量 (原子力)|臨界量]]を超過させて起爆する[[ガンバレル型]]である。
全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5t。番号はMk.1。[[ウラン235]]を用いており、二分されたパイプの両端に置かれたウラン235の塊の一方を[[火薬]]の爆発力でもう一方のウラン塊にぶつけ、[[臨界量]]を超過させて起爆する[[ガンバレル型]]である。


積載された[[ウラン]]140ポンド(約65kg)のうち、1.38%(約876.3g)が[[核分裂反応]]を起こしたと推定されている。<ref>http://www.atomicheritage.org/history/little-boy-and-fat-man</ref>[[核出力]]は[[TNT換算]]で約15kt(5.5 × 10{{sup|13}}[[ジュール]])である。<!--[[エネルギー効率]]は2%以下。--根拠不明-->
積載された[[ウラン]]140ポンド(約65kg)のうち、1.38%(約876.3g)が[[核分裂反応]]を起こしたと推定されている。<ref>http://www.atomicheritage.org/history/little-boy-and-fat-man</ref>[[核出力]]は[[TNT換算]]で約15kt(5.5 × 10{{sup|13}}[[ジュール]])である。<!--[[エネルギー効率]]は2%以下。--根拠不明-->

2020年1月25日 (土) 01:23時点における版

核兵器 > 核爆弾 > 原子爆弾 > リトルボーイ
原子爆弾リトルボーイ(実物)

リトルボーイ英語: Little Boy)とは、第二次世界大戦においてアメリカ軍広島市に投下した原子爆弾ガンバレル型[1]ウラニウム活性実弾 L11)のコードネームである。いわゆる「広島原爆」「広島型原爆」である。

これは、人類史上初めて実戦で使用された核兵器である[2]原子力災害核実験原発事故など)や自然災害地震台風隕石衝突など)の規模を表記する際に、このリトルボーイを基準に「広島原爆弾○個分」と換算されることもある。

概要

リトルボーイの構造。赤がウラン235。弾尾側にある黄色い火薬が爆発すると、円筒状のウランが弾頭側へ移動し、円柱状のウランにかぶさって一体化するように描写されている。

全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5t。番号はMk.1。ウラン235を用いており、二分されたパイプの両端に置かれたウラン235の塊の一方を火薬の爆発力でもう一方のウラン塊にぶつけ、臨界量を超過させて起爆するガンバレル型である。

積載されたウラン140ポンド(約65kg)のうち、1.38%(約876.3g)が核分裂反応を起こしたと推定されている。[3]核出力TNT換算で約15kt(5.5 × 1013ジュール)である。

開発

ガンバレル型核爆弾の構造

ガンバレル型の原子爆弾が「どのように設計されたのか」は、未だに軍事機密扱いであり、情報公開されていない。

一部に、リトルボーイは ナチス・ドイツ製、もしくはその複写であったのではないか、とする説がある。この説の説明として、アメリカがガンバレル型の開発をした経緯がなく、当初よりプルトニウムを用いた爆縮式(インプロージョン型)の実験を行っていた、とされることがある。

しかし、アメリカ合衆国が研究していた、原子爆弾の当初構想は「ガンバレル型」であり、原子爆弾の研究を行っていた世界のどの国においても、構造が比較的簡易であり、インプロージョン型よりも基本部分の製造が容易であるガンバレル型の研究が行われていた。実際に米国ではプルトニウム239を材料としたガンバレル型のシンマン(Mark 2)として開発が行われていた。ただしMark2の開発は難航し、実際に中断・放棄されている。

米国および人類初の核爆弾稼働実験である「トリニティ実験」において使用された爆弾(ガジェット)もインプロージョン型である。では理論構造が単純であるとはいえ、取り扱いや安全性に疑問があり、実験実績のないガンバレル型を、なぜ投下第一号としたのか等の不明点が残るが、これもまた機密扱いであり明らかになっていない。リトルボーイ使用の3日後に長崎に投下されたファットマンは、トリニティ実験と同様の「プルトニウムを使用したインプロージョン型」である。

1943年頃、プルトニウムの過早反応が認識され、爆縮方式の設計がスタートする。1944年7月には、ほぼ全面的にプルトニウム爆縮式に開発努力は移行するが、トリニティ実験までは爆発成功の確信がなく、すでに爆弾設計としては完了しウラニウムの濃縮の進捗を待つのみとなっていたガンバレル型が予備として計画されたとされている。

大量のウラニウムを必要とするガンバレル型のリトルボーイの製造において、終戦間際にドイツ国内や潜水艦から押収されたウラニウムは使われなかったとする根拠はないが、量的には1939年の時点で カタンガ州(コンゴ)からおよそ一千トンが搬入されたウラニウム鉱石が原料の大部分を占めていた。

実験

1945年当時、この方式の検証のための核実験は行われていない。核実験による検証を経たのは、プルトニウムを使った爆縮方式のものが1945年7月16日、アメリカニューメキシコ州アラモゴード近郊のアラモゴード爆撃試験場(現:ホワイトサンズ・ミサイル実験場内「トリニティ・サイト」)で行われたのみである。これは一般には、既にウラン235を使った核分裂試験が原子炉内で行われていた為に核爆発を伴う検証そのものが不要であったとされているが、実際はテストを行うことで高濃縮ウランが不足し、この方式の原子爆弾の戦線への投入に遅れが生じることを、アメリカ軍が心配したというのが真相のようである[4]

安全性

リトルボーイのレプリカ、帝国戦争博物館(2015年11月)

ガンバレル型の原子爆弾は、安全性に大きな問題があるため、アメリカ合衆国で作られなくなった。完成したガンバレル型の原子爆弾は、推進薬に点火すると、必ず核爆発を起こしてしまうため、フェイルセーフが存在しない。

そのため、爆弾を搭載したB-29が墜落したり、何かのミスで投下前に推進薬が点火したりするなど、万が一の場合に備え、爆撃機に兵器係として原爆の技術者を同乗させ、その者が投下の前に手作業で砲身内に推進薬(コルダイト火薬)を詰めこむという安全対策を取ったほどである。

たとえ推進薬が無くとも、爆撃機墜落の衝撃によって砲弾部が標的部に突入すれば、核爆発が起きる可能性が十分に高く、海中に墜落すれば、爆弾内に流入した水が減速材として働き、臨界状態になる可能性があった。このため海に落下すれば、周囲一帯を「危険地域」として閉鎖せざるをえなくなる。これらの危険性を回避できる安全装置の開発は不可能であるとされ、ガンバレル型自体が開発中止になる原因となった。

経緯

広島の原子雲、リトルボーイ(1945年8月6日)
広島市長崎市の原爆の余波

焼失面積13,200,000m2、死者118,661人、負傷者82,807人、全焼全壊計61,820棟の被害をもたらした。爆心地の近くにあった広島県産業奨励館は、現在原爆ドームとして世界文化遺産に登録されている。

(原爆被害の詳細は広島市への原子爆弾投下を参照)

注釈

  1. ^ ガンバレルとは、の弾の通る部分、つまり「銃身」のこと。機構の詳細はガンバレル型原子爆弾参照。
  2. ^ リトルボーイの意味は、開発当初の設計(シン・マン)寸法よりも小さいものとなったため、リトルボーイ(少年)と呼ばれていたからという(これには異説もある)
  3. ^ http://www.atomicheritage.org/history/little-boy-and-fat-man
  4. ^ 「リトルボーイ」に使われた大量の高濃縮ウランの出所は明らかになっていない。一般には米ニューメキシコ州ロス・アラモスにあるオークリッジ国立研究所であったとされている。

関連項目

外部リンク