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2020年2月3日 (月) 11:53時点における版
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名前 | ||||||
カタカナ | ホンダ ミドリ | |||||
ラテン文字 | HONDA Midori | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1964年11月16日(59歳) | |||||
出身地 | 静岡県清水市 | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
![]() | |||||
ポジション | MF, DF (現役時代) | |||||
ユース | ||||||
1975-1978 | 入江SS | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1985 1985-1992 |
清水第八SC 読売SC女子ベレーザ |
nd (nd) x (x)[脚注 1] | ||||
代表歴2 | ||||||
1981-19?? |
![]() | 43 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1991-1993 1991-1993 2001-2011 2005 2011-2012 2013-2019 |
読売ベレーザ (コーチ) 読売メニーナ 岡山湯郷Belle ![]() ![]() 長野パルセイロ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年1月20日現在。 2. 2013年1月20日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
本田 美登里(ほんだ みどり、1964年11月16日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の女子サッカー指導者。AC長野パルセイロレディース監督。現役時代のポジションはディフェンダー。2007年に女性として初めて日本サッカー協会公認S級コーチの資格を取得した。
経歴
選手時代
小学3年生になった1975年に入江スポーツ少年団でサッカーを始める。清水市立第八中学校、清水市立商業高等学校を経て、国士舘大学体育学部に入学。
大学1年生まで清水第八SCに在籍。全日本女子サッカー選手権大会では第2回~5回(1981年 - 1984年)大会の4連覇に貢献した。1985年に読売サッカークラブ女子ベレーザに移籍。日本女子サッカーリーグ(JLSL:のちのL・リーグ)では第1回から第4回(1989年 - 1992年)までの間に45試合に出場し、うち第2回から4回大会でリーグ3連覇、と全日本女子サッカー選手権大会の第9回~10回(1988年 - 1989年)2連覇に貢献した。
日本女子代表には高校2年生のときに選ばれ、日本女子初の国際試合出場メンバーの一員に。以後10年間で国際Aマッチに43試合出場。第11回アジア競技大会(1990年・北京)では銀メダル獲得に貢献し、翌1991年の第1回女子世界選手権(中国大会)にも出場した。
指導者時代
1991年から1993年に読売ベレーザのプレーイングコーチと読売メニーナのコーチを務めたのち、1994年に日本サッカー協会に就職し、日本女子サッカーリーグ(L・リーグ:当時)事務局委員と協会の女子委員会強化部員を兼任。1999年にU-18日本女子選抜コーチとして第1回adidas Cup参加、2000年にはU-18日本女子選抜監督代行として第2回 Adidas Cup に参加。また日本サッカー協会主催のサッカー教室で全国巡回指導を行った。
2001年から岡山県英田郡美作町(現・美作市)に誕生した岡山湯郷Belleの監督に就任して、宮間あや、福元美穂などの有力選手を育成した。2003年にはL・リーグ参入を果たし、2004年にはL・リーグ2部で優勝して翌2005年のL・リーグ1部昇格を経験した。
2005年8月10日からトルコのイズミルで行われたユニバーシアード世界大会では女子サッカー代表の監督を務め、後に日本女子代表の主力へと成長する近賀ゆかり・岩清水梓・川澄奈穂美らを擁して銅メダルを獲得した[1][2]。
2007年9月13日、女性指導者としては初となる日本サッカー協会公認S級コーチの資格を取得した[3][4]。
2011年1月、同月31日付で岡山湯郷Belleの監督を退任する旨が発表され[5]、翌2月1日、U-20サッカー日本女子代表コーチに就任した[6]。
2013年、なでしこチャレンジリーグに参加しているAC長野パルセイロ・レディース監督に就任[7]。
2015年10月、プレナスなでしこリーグ2部第26節愛媛FCレディース戦で勝利したことで、AC長野パルセイロ・レディースの優勝が決定し、就任3年目でチームを昇格に導いた[8][9]。
同年11月、2016シーズンの続投が決定した[10]。
2019年12月、AC長野パルセイロ・レディースの監督を退任した[11][12]。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1989 | 読売サッカークラブ女子・ベレーザ | 5 | JLSL | 10 | 0 | ||||||
1990 | 6 | 15 | 3 | ||||||||
1991 | 6 | 0 | |||||||||
1992 | 読売日本サッカークラブ女子ベレーザ | ||||||||||
総通算 |
代表歴
- 1981年6月7日 第4回AFC女子サッカー選手権大会(香港)・チャイニーズタイペイ戦でデビュー(日本サッカー協会公式記録上、女子代表初の国際試合)
- 1991年 第1回女子世界選手権(ワールドカップ)中国大会出場
- 43試合0得点
著書
- 本田美登里、鈴木利宗 『なでしこという生き方―日本女子サッカーを拓いたひとりの女性の物語』セブン&アイ出版、2012年 ISBN 978-4860086022
脚注
- ^ 日本女子サッカーリーグにおける成績(1989年以降)の成績。
出典
- ^ 【イズミル大会・サッカー】女子日本チーム銅メダル獲得!公益財団法人日本オリンピック委員会公式サイト.2005.8.22、2016年5月3日閲覧。
- ^ イズミルユニバーシアード2005 日本代表選手団 名簿公益財団法人日本オリンピック委員会公式サイト、2016年5月3日閲覧。
- ^ 協議事項 平成 19 年度 第 5 回理事会日本サッカー協会、2016年5月3日閲覧。
- ^ 女性初のS級ライセンス取得へ ~本田美登里氏の挑戦~ 日本サッカー協会公式サイト.2006.11.02、2016年5月3日閲覧。
- ^ “サッカー:なでしこリーグ 岡山湯郷ベル、本田監督が退任 後任は未定/岡山 (アーカイヴ)”. 毎日新聞 (2011年1月14日). 2011年6月28日閲覧。
- ^ 各カテゴリー日本代表 ナショナルコーチングスタッフ リスト(2011年2月1日現在) (PDF) 日本サッカー協会
- ^ 本田美登里氏 レディースチーム監督就任のお知らせAC長野パルセイロ公式サイト.2013.1.5、2016年5月3日閲覧。
- ^ 2015プレナスなでしこリーグ2部 AC長野パルセイロ・レディース優勝決定のお知らせなでしこリーグ公式サイト.2015.10.25、2016年5月3日閲覧。
- ^ なでしこリーグ パルセイロ・レディース、1部昇格 本田美登里監督、今季へ意気込み /長野毎日新聞.2016.1.10、2016年5月3日閲覧。
- ^ AC長野パルセイロ・レディース本田美登里監督 来シーズン続投のお知らせAC長野パルセイロ公式サイト.2015.11.6、2016年5月3日閲覧。
- ^ 本田美登里監督 退任のお知らせAC長野パルセイロ公式サイト 2019年12月6日閲覧
- ^ AC長野L本田監督退任 降格で引責 続投要請を辞退信毎web 2019年12月6日閲覧
関連項目
外部リンク
- 本田美登里 - AC長野パルセイロ公式サイト
- 本田美登里 – FIFA主催大会成績
- 本田美登里監督の2005年「三足のわらじ」(1/2)女子サッカー界トップランナーの歩みを振り返る (原修一朗、2005.12.24付インタビュー、アーカイヴ)
- 本田美登里監督の2005年「三足のわらじ」(2/2)女子サッカー界トップランナーの歩みを振り返る (同上)