「奥新川駅」の版間の差分
Mister0124 (会話 | 投稿記録) m JR東日本の駅構内図のサイトが公表された為、のりばの方面表記を再修正 |
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2020年2月15日 (土) 02:02時点における版
奥新川駅 | |
---|---|
駅舎 | |
おくにっかわ Oku-Nikkawa | |
◄作並 (5.1 km) (8.7 km) 面白山高原*► | |
所在地 | 仙台市青葉区新川字岳山1 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■仙山線 |
キロ程 | 33.8 km(仙台起点) |
電報略号 | オク |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
16人/日(降車客含まず) -2007年- |
開業年月日 | 1937年(昭和12年)11月10日 |
備考 |
無人駅(乗車駅証明書発行機 有) 仙台市内駅 |
* この間に面白山信号場有り(当駅から7.7km先)。 |
奥新川駅(おくにっかわえき)は、宮城県仙台市青葉区新川字岳山(だけやま)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙山線の駅である。
歴史
江戸時代に開山されたと言われる銅鉱山の新川鉱山が[1]、大正初期に秋保鉱山として開発されるようになり[1]、近接する当地には小学校・病院・飲食店もある、戸数200戸、人口600人の新川集落が形成された[2]。
1936年(昭和11年)、仙台営林署が生産事業所を設け、木材輸送のために当駅付近を起点とする新川森林鉄道を開業させた[3]。翌1937年(昭和12年)、仙台から延びてきた仙山東線と山形から延びてきた仙山西線との間がつながり、仙山線として全通。このとき開通した区間の宮城県側最西端の駅として当駅は開業した。仙山線建設中は千数百人もの工事作業員が働いていたため、当地は工事集落として賑わったが、鉄道開通と共に作業員は減少[2]。
1960年(昭和35年)の新川森林鉄道廃線[3]、1961年(昭和36年)の秋保鉱山閉山[1]もあり、1960年代末には主に日本国有鉄道の職員が住む人口約300人の鉄道の集落になった[4]。
1960年代初頭にはハイキングコースの「新川ライン」および「奥新川ライン」を国鉄が整備して観光地化が進められ、ハイキング・芋煮会[5]・紅葉狩り等での駅利用者が増えた[2]。しかし、駅周辺人口は減少し続け、1985年(昭和60年)に当駅は無人化された。駅から徒歩1分にあり、年間1000人ほどが利用していた市営の奥新川キャンプ場(営業期間:4月1日 - 11月30日[6])は、老朽化を理由に2016年(平成28年)11月に営業を終了した[7]。 2017年(平成29年)時点における奥新川地区の住民は3世帯3人[7]。
年表
- 江戸時代、後の当駅付近に新川鉱山(銅鉱山)が開発された[1]。
- 大正初期、後の当駅付近に秋保鉱山(銅鉱山)が開発された[1]。
- 1936年(昭和11年):当駅付近を起点とする新川森林鉄道(約5.1km)が開通[3]。
- 1937年(昭和12年)11月10日:仙山線に当駅開業(名取郡秋保村)。
- 1955年(昭和30年)4月1日:当駅の住所が、名取郡秋保村から宮城郡宮城村に変更[※ 1]。
- 1960年(昭和35年):新川森林鉄道が廃線[3]。
- 1961年(昭和36年)
- 1963年(昭和38年)
- 1971年(昭和46年)4月1日:出改札業務、貨物取り扱い廃止。運転要員のみ配置。
- 1974年(昭和49年):奥新川キャンプ場が開設[8]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:無人化。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)4月1日:仙台市の政令指定都市移行に伴い、当駅の住所が仙台市青葉区に変更。
- 2015年(平成27年)3月14日:ダイヤ改正で一部停車していた快速が通過となり、快速は全て通過となる。
- 2016年(平成28年)11月:奥新川キャンプ場の営業が終了(冬季休業)[7]。
- 2017年(平成29年)3月31日:奥新川キャンプ場が閉鎖[8]。
駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは羽前千歳方の構内踏切で連絡している。
愛子駅管理の無人駅で、乗車駅証明書発行機が設置されている。JRの特定都区市内制度における「仙台市内」に含まれる。駅の位置は、仙台市内のみならず、宮城県内で最も西にある。Suicaなどの交通系ICカードには対応していない。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■仙山線 | 上り | 仙台方面 |
2 | 下り | 山寺・山形方面 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
1番線は下り場内・下り出発信号もあるため、下り列車の進入も可能。
利用状況
駅開業のころから1950年代末まで、仙台営林署が木材を伐採して送り出した。2007年度の一日平均乗車人員は16人であった。冬季の利用者はほぼ0に近い。
乗車人員等推移[9] | |||
---|---|---|---|
年度 | 一日平均乗車人員 | 貨物発 | 貨物着 |
1957 | 190 | 6.7 | 2.9 |
1960 | 192 | 2.3 | 4.9 |
1970 | 78 | ||
1980 | 31 | ||
1999 | 26 | ||
2000 | 15 | ||
2001 | 15 | ||
2002 | 14 | ||
2003 | 21 | ||
2004 | 20 | ||
2005 | 19 | ||
2006 | 20 | ||
2007 | 16 |
駅周辺
駅は奥羽山脈の山間に位置し、新川川に面する。駅周辺に集落はなく、駅前に行楽客向けの食堂や売店が2軒存在するも、1軒は2010年夏頃から閉鎖されている。駅前から東西にハイキングコースが設けられており、沢や渓流づたいに散策する事が出来る。駅の周辺ではブナやミズナラ、カエデ等が交雑林を形成している。
冬は積雪によって付近の道路の通行が非常に困難となる事から、駅周辺を担当する郵便配達員(現在は愛子郵便局。2007年までは作並郵便局)は鉄道を利用して郵便物の集配を行っている。
- 奥新川ライン(ハイキングコース) - 徒歩1分
- 長命水(湧水) - 徒歩10分
- なとりや(駅前食堂だが、現在休業中) - 徒歩1分
- 奥新川食堂(食堂及び売店で、現在、地域唯一の営業店。キャンプ受付も行なっていた) - 徒歩1分
Suica運賃計算の特例
当駅はSuicaの利用はできないが、山形駅・山寺駅からSuica改札機で入場し、仙台市内発の乗車券類と併用して仙台駅の新幹線乗換改札口の自動改札機を通過する場合のみ、山形駅・山寺駅から当駅までのIC運賃が自動的に差し引かれる。
隣の駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f 日曜地学の会「秋保鉱山」
- ^ a b c みやぎ会 平成21年春号 (vol.13)
- ^ a b c d 『仙台市史 通史編8 現代1』 P.354~P.357
- ^ 『宮城町誌』本編702-703頁、改訂版本編も同頁。
- ^ 私の広瀬川インタビュー(第16回)「第2回 ハードでタフな芋煮会の思い出」(仙台市「広瀬川ホームページ」 2010年7月29日)
- ^ 奥新川キャンプ場 作並温泉近くの森林に囲まれたアウトドアエリア(公益社団法人 宮城県観光連盟)
- ^ a b c 仙山交流の拠点に 奥新川自然振興会発足(河北新報 2017年3月30日)
- ^ a b 奥新川キャンプ場(平成29年4月1日閉鎖)(仙台市)
- ^ 1957年から1964年までは『宮城町誌』本編704頁。
参考文献
- 宮城町誌編纂委員会『宮城町誌』本編、宮城町役場、1969年。仙台市「宮城町誌」改訂版編纂委員会による改訂版は仙台市役所により1988年発行。
関連項目
外部リンク
- 駅の情報(奥新川駅):JR東日本