「飯森駅」の版間の差分
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2020年2月15日 (土) 04:51時点における版
飯森駅 | |
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駅入口 | |
いいもり Iimori | |
◄15 神城 (1.5 km) (3.0 km) 白馬 13► | |
所在地 | 長野県北安曇郡白馬村大字神城飯森[1] |
駅番号 | □14 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■大糸線 |
キロ程 | 56.7 km(松本起点) |
電報略号 | イイ[1] |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
20人/日(降車客含まず) -2011年- |
開業年月日 | 1960年(昭和35年)7月20日[2] |
備考 |
無人駅[1] 標高:719.6m[1] |
飯森駅(いいもりえき)は、長野県北安曇郡白馬村大字神城字飯森にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)大糸線の駅である[1]。駅番号は「14」[3]。
歴史
- 1960年(昭和35年)7月20日:国鉄の駅として開業[2]。旅客営業のみ。
- 1982年(昭和57年)12月:駅南側の踏切が立体化される[1][4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化より、JR東日本の駅となる[5][6][注釈 1]。
- 2014年(平成26年)
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅[1]。白馬駅管理の無人駅である[1]。待合室兼用の駅舎がある[1]。
利用状況
「長野県統計書」によると、1日平均の乗車人員は以下の通りである。
駅周辺
隣の駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、119頁。ISBN 9784784071647。
- ^ a b 『東筑摩郡松本市塩尻市誌 第三巻 現代下』 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会、1965年。
- ^ “大糸線に「駅ナンバー」を導入します” (PDF). 東日本旅客鉄道 (2016年12月7日). 2016年12月8日閲覧。
- ^ “白馬村の歩み”. 白馬村役場. 2015年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月22日閲覧。 “神城駅前広場”
- ^ 『交通年鑑 昭和63年版』 交通協力会、1988年3月。
- ^ 今村都南雄 『民営化の效果と現実NTTとJR』 中央法規出版、1997年8月。ISBN 978-4805840863
- ^ 近藤禎夫 安藤陽 『JRグループ 「民営化」に活路を求めた基幹鉄道』 大月書店、1990年9月。ISBN 978-4272102037
- ^ “41人けが、全壊34棟 長野北部地震、余震70回に”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月24日)
- ^ “長靴姿で登校、大糸線が一部再開 県神城断層地震”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月26日)
- ^ “JR大糸線、全線復旧 15日ぶり、高校生ら歓迎” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2014年12月8日)
- ^ 長野県統計書(平成22年度版) - 長野県