「北大町駅」の版間の差分
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|画像説明 = ホームと待合室 |
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|よみがな = きたおおまち |
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2020年2月15日 (土) 07:06時点における版
北大町駅 | |
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ホームと待合室 | |
きたおおまち Kita-Ōmachi | |
◄23 信濃大町 (2.1 km) (2.2 km) 信濃木崎 21► | |
所在地 | 長野県大町市大町字荒沢[1] |
駅番号 | □22 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■大糸線 |
キロ程 | 37.2 km(松本起点) |
電報略号 | キオ[1] |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
62人/日(降車客含まず) -2011年- |
開業年月日 | 1960年(昭和35年)7月20日[2] |
備考 |
無人駅[2] 標高:731.8m[1] |
北大町駅(きたおおまちえき)は、長野県大町市大町字荒沢にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)大糸線の駅である[1]。駅番号は「22」[3]。
歴史
当駅の開業は後述の通り1960年であるが、元々当地は現在当駅隣接の大町市文化会館の敷地を含め1956年(昭和31年)に関西電力が黒部ダム建設の為に設置した資材輸送基地であった。信濃大町駅より複線のように本線西側に貨物引込線が1970年代前半まで並走していた。当地は「北停留所(北停)」と呼称され、当地より大町有料道路(現在の長野県道45号扇沢大町線)を通り1958年に全通した大町トンネルを経由して黒部に資材が輸送された。黒部ダム完成後は、引続き東京電力の高瀬川電源開発(高瀬ダム、七倉ダムや新高瀬川発電所等)の資材基地となっていた。[1]
年表
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅[1]で、無人駅である[2]。
利用状況
「長野県統計書」によると、1日平均の乗車人員は以下の通りである。
駅周辺
隣の駅
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、111頁。ISBN 9784784071647。
- ^ a b c d 大町市史編纂委員会 『大町市史 第四巻 近代・現代』 大町市、1985年9月1日。
- ^ “大糸線に「駅ナンバー」を導入します” (PDF). 東日本旅客鉄道 (2016年12月7日). 2016年12月8日閲覧。
- ^ 『交通年鑑 昭和63年版』 交通協力会、1988年3月。
- ^ 今村都南雄 『民営化の效果と現実NTTとJR』 中央法規出版、1997年8月。ISBN 978-4805840863
- ^ “41人けが、全壊34棟 長野北部地震、余震70回に”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月24日)
- ^ “長靴姿で登校、大糸線が一部再開 県神城断層地震”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月26日)
- ^ 長野県統計書(平成22年度版) (PDF) 196ページ - 長野県
- ^ 長野県統計書(平成23年度版) (PDF) 196ページ - 長野県