「落部駅」の版間の差分
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|画像説明= 駅舎(2018年6月) |
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|よみがな= おとしべ |
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|ローマ字= Otoshibe |
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2020年2月15日 (土) 08:43時点における版
落部駅 | |
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駅舎(2018年6月) | |
おとしべ Otoshibe | |
◄H58 石倉 (4.0 km) (5.3 km) 野田生 H56► | |
所在地 | 北海道二海郡八雲町落部 |
駅番号 | ○H57 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■函館本線 |
キロ程 | 66.1 km(函館起点) |
電報略号 | オヘ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
30人/日(降車客含まず) -2013年- |
開業年月日 | 1911年(明治44年)8月5日 |
備考 | 無人駅 |
落部駅(おとしべえき)は、北海道二海郡八雲町落部に所在する北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅。かつては急行「せたな」・快速「アイリス」が停車していた。駅番号はH57。電報略号はオヘ。
歴史
- 1911年(明治44年)8月5日:国有鉄道函館本線の駅として開業(一般駅)[1]。
- 1945年(昭和20年)
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)が継承。
- 1958年(昭和33年)12月10日:石倉駅 - 当駅間が完全複線化[2]。一方、当駅 - 野田追駅間の在来線側(暫定下り線)が廃止[4]。この区間が一旦単線区間となる[4]。
- 1968年(昭和43年)9月21日:当駅 - 野田生駅間が再び複線化され、双方向複線化完了[2]。
- 1980年(昭和55年)5月1日:貨物扱い廃止[5]。
- 1982年(昭和57年)11月15日:急行「せたな」の停車駅となる。
- 1984年(昭和59年)2月1日:急行「せたな」が快速に格下げされたため、優等列車の停車がなくなる。荷物扱い廃止[5]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:無人化[5]。簡易委託駅となる。
- 1987年(昭和62年)
- 1991年(平成3年)12月:駅舎改築[5]。
- 2007年(平成19年)10月1日:駅ナンバリングを実施[6]。
- 2008年(平成20年)3月15日:ダイヤ改正に伴い、札幌行きの寝台特急「北斗星」が後続の特急「スーパー北斗」1号を待避する駅が八雲駅から変更されて、当駅で運転停車を行うようになる。
- 2014年(平成26年)3月15日:ダイヤ改正に伴い、「スーパー北斗」1号の函館駅発車が42分繰り上げとなったため、寝台特急「北斗星」の運転停車を終了。
- 2019年(令和元年)10月1日:簡易委託廃止。
駅名の由来
所在地名(旧落部村)から。地名はアイヌ語の、「オテㇱペッ(o-tes-pet)」(川尻・梁・川)や「オテㇱウンペッ(o-tes-un-pet)」(川尻・梁・ある・川)などの、「テㇱ(tes:梁)があった」ことから名付けられた地名に由来するとされ[1][7][8]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』ではアイヌによるサケ漁地であった、と紹介している[1]。
駅構造
地上駅。カーブを描いた島式・相対式複合ホーム2面3線を持つ。ホーム同士は、中央の構内踏切で結ばれている。2番線は貨物列車の待避に使われる。木造駅舎を持つ。
2019年(令和元年)9月30日までは八雲駅管理の簡易委託駅で、営業時間は7時30分 - 14時00分、受託者が乗車券(総販券(金額表示式))を発売していた。
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待合室(2018年6月)
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ホーム(2018年6月)
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構内踏切(2018年6月)
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駅名標(2018年6月)
駅周辺
- 国道5号
- 道央自動車道落部インターチェンジ
- 八雲町役場落部支所
- 八雲警察署落部駐在所
- 落部郵便局
- 新函館農業協同組合(JA新はこだて)落部支店
- 落部漁業協同組合
- 八雲町立落部小学校
- 八雲町立落部中学校
- 落部川
- 落部橋
- 落部公園
- 上の湯温泉
- 函館バス「落部駅前」停留所
隣の駅
脚注
注釈
- ^ 在来線(現・国道5号線)を下り線とする暫定的な複線運転となり、上下ホーム間が非常に離れた駅運用となったため、駅助役が6、7名配置されていた。
出典
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、9頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c 北海道鉄道百年史 下巻、P57 及び巻末年表。
- ^ 札幌工事局70年史 P182。
- ^ a b c 改定 八雲町史 下巻
- ^ a b c d 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行
- ^ "駅番号表示(駅ナンバリング)を実施します" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 12 September 2007. 2014年9月6日閲覧。
- ^ “アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、4頁。NDLJP:1029473。