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|画像説明 = 駅舎(2017年7月) |
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|よみがな = はやきた |
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|ローマ字 = Hayakita |
|ローマ字 = Hayakita |
2020年2月15日 (土) 09:04時点における版
早来駅 | |
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駅舎(2017年7月) | |
はやきた Hayakita | |
◄遠浅 (5.4 km) (5.7 km) 安平► | |
所在地 | 北海道勇払郡安平町早来大町 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 室蘭本線 |
キロ程 | 158.3 km(長万部起点) |
電報略号 | ハヤ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1894年(明治27年)8月1日 |
備考 | 簡易委託駅 |
早来駅 | |
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はやきた Hayakita | |
(3.1 km) 中土場► | |
所属事業者 | 早来鉄道 |
所属路線 | 早来鉄道線 |
キロ程 | 0.0 km(早来起点) |
開業年月日 | 1922年(大正11年)1月18日 |
廃止年月日 | 1951年(昭和26年)3月27日 |
早来駅(はやきたえき)は、北海道(胆振総合振興局)勇払郡安平町早来大町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅である。電報略号はハヤ。
旧早来町の代表駅であった。かつては早来軌道(後の早来鉄道)の分岐駅で、現在もあつまバスとしてバス運行がされる同区間との接続駅である。
歴史
- 1894年(明治27年)8月1日:北海道炭礦鉄道室蘭線の苫小牧駅 - 追分駅間に新設開業。一般駅。
- 1904年(明治37年)12月:三井物産合名会社が木材運搬用に当駅土場 - 知決辺(厚真村字チケッペ)間4M25C(約7km)の馬車軌道敷設[1][2]。
- 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名を室蘭本線に制定、それに伴い同線の駅となる。
- 1911年(明治44年)4月頃:駅舎、構内改築[1]。
- 1922年(大正11年)1月18日:早来軌道(後の早来鉄道、現・あつまバス)早来駅-知決辺駅(後の厚真駅)間開通(後に幌内駅まで延伸開通)[1]。
- 1951年(昭和26年)3月27日:早来鉄道線が全線廃止許可(早来駅 - 厚真駅間)。バスに転換[1]。
- 時期不詳[注 1]:業務委託化。
- 1980年(昭和55年)5月15日:貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
- 1989年(昭和63年):現駅舎竣工。
駅名の由来
所在地名(旧町名)より。同地にある「チペシナイ」という川沿いが、厚真への道であり、アイヌ語で「サㇰルペㇱペ(sak-rupespe)」(夏・越える沢道)、あるいは「サㇰル(sak-ru)」(夏・道)と呼ばれていたものに字を当て「早来(さっくる)」と読ませたものが、「はやきた」となったとされる[3][4]。
このほか「ハイキト」(イラクサや茅のある沼)より、とする説があるが[3]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』ではこの説について「うなずけない[3]」としている。
駅構造
相対式ホーム2面2線を有する複線区間の地上駅。互いのホームは1番線ホーム北側と2番線ホーム北側を結んだ跨線橋で連絡している[5]。跨線橋はコの字型である[5]。線路南東側の駅舎側ホームが上り1番線、対向側ホームが下り2番線となっている[5]。そのほか1993年(平成5年度)3月時点では、1番線の長万部方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、2番線の長万部方から長万部方面へ戻る形で分岐する行き止まりの短い側線を1線有していた[5]。また、1983年(昭和58年)4月時点では、貨物列車の待避に使用された上下共用の中線を1線有していた[6]。
追分駅管理の簡易委託駅となっている(窓口営業時間8時30分‐18時00分)。駅舎は構内の東側(岩見沢方面に向かって右手側)に位置し1番線ホーム中央部分に接している[5]。有人駅時代の駅舎は改築され、1989年(平成元年)築[5]の「道のえき」と名付けられた、正面向かって右手側が駅、左手側が「安平町物産館」の銘板の掲示された「町民ふれあい広場」と名付けられた土産物店兼喫茶店となっている、シンメトリーのデザインを採用した[7]駅舎となっている。駅舎内にトイレを有する[7]。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | ■室蘭本線 | 上り | 苫小牧・糸井方面 |
2 | 下り | 追分・岩見沢方面 |
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ホーム(2017年7月)
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跨線橋(2017年7月)
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駅名標(2017年12月)
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は394人[6]。
- 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は388人[5]。
- 2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は143.6人[8]。
- 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は133.0人[9]。
- 2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は120.0人[10]。
駅周辺
旧早来町の中心部。2006年(平成18年)の合併によって成立した安平町の役場も近い。
- 国道234号
- 北海道道10号千歳鵡川線
- 安平町役場(旧・早来町役場)
- 苫小牧警察署早来駐在所
- 早来雪だるま郵便局
- 北海道銀行早来支店
- とまこまい広域農業協同組合(JAとまこまい広域)早来支所
- 安平町立早来小学校
- ときわ公園
- 鶴の湯温泉
- 社台スタリオンステーション・早来
- ノーザンファーム
- あつまバス「早来駅前」停留所
その他
- 金山線(後の富内線)は北海道炭礦鉄道の敷設願いが当時の政府に却下されて以来、早来町有志によって誘致請願が頻繁に出されていた。大正3年には請願が功を奏して政府採択となったが、同時期に室蘭の有力者楢崎平太郎を代表とする15名からも請願が出され、大正7年に楢崎側に敷設免許が下り、北海道鑛業鐵道(後の北海道鉄道 (2代))を設立した。当初計画では早来駅を起点としていたが、実際の敷設段階で急遽沼ノ端駅へ変更された。このため早来町住民による反対運動が起こるなど、建設を巡って一時騒然とした。
隣の駅
かつて存在した路線
- 早来鉄道
- 早来鉄道線(廃止)
- 早来駅 - 中土場駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 早来町史 昭和48年3月発行。
- ^ 追分町史 昭和61年8月発行。
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、74頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ “アイヌ語地名リスト ノブト~ヒラキ P101-110”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2019年3月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)90ページより。
- ^ a b 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)85ページより。
- ^ a b 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)117ページより。
- ^ "駅別乗車人員(2016)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために) (Press release). 北海道旅客鉄道株式会社. 8 December 2017. p. 8. 2018年8月17日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
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- ^ "室蘭線(沼ノ端・岩見沢間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために) (Press release). 北海道旅客鉄道株式会社. 2 July 2018. p. 3. 2018年8月17日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
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- ^ “室蘭線(沼ノ端・岩見沢間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。