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公開後、地味だが極めて良質の映画という評価がなされ、参加スタッフ・出演俳優の代表作になった。日本テレビの「[[金曜ロードショー]]」で全国放送され、1983年5月の25.2%を皮切りに、4年連続でテレビ放映され高[[視聴率]]を挙げたので<ref name="s40201610"/>「お返しは出来た」と思うと大林は話している<ref name="読本446"/>。
公開後、地味だが極めて良質の映画という評価がなされ、参加スタッフ・出演俳優の代表作になった。日本テレビの「[[金曜ロードショー]]」で全国放送され、1983年5月の25.2%を皮切りに、4年連続でテレビ放映され高[[視聴率]]を挙げたので<ref name="s40201610"/>「お返しは出来た」と思うと大林は話している<ref name="読本446"/>。


その後、大林が尾道を舞台に撮影した『[[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]]』([[1983年]])、『[[さびしんぼう (映画)|さびしんぼう]]』([[1985年]])と組み合わせて「'''[[尾道三部作]]'''」と呼ばれるようになり<ref>[http://www.momat.go.jp/FC/yusyueiga/H20/program-I.html 優秀映画鑑賞推進事業>平成20年度>プログラム - 東京国立近代美術館フィルムセンター ]、[http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/open_imgs/service/0000015215.pdf 尾道市歴史的風致維持向上計画 平成25年3月 第2章 尾道市の維持及び向上すべき歴史的風致-P63]</ref>[[広島県]][[尾道市]]を観光都市として世に知らしめることになった<ref name="yomiuri20140910"/><ref name="be20140222"/><ref name="asahi200706190577">[http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200706190577.html 生きる意味問い直す 大林宣彦監督、「転校生」リメーク - 朝日新聞]</ref><ref name="asahi2012092601329">[http://dot.asahi.com/wa/2012092601329.html 映画作家・大林宣彦氏「尾道の発展を30年遅らせたアホ監督だ」と罵られる]</ref><ref>[http://www.kodomoeiga-plus.jp/movie/126 転校生 - こども映画プラス]、[http://www.htv.jp/teppen/backnumber/bn0629.html 広島テレビ - てっぺん]、[http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_10/g2006102704.html 「転校生」25年ぶり再映画化…舞台は尾道から長野へ - ZAKZAK]</ref>。1980年代の日本映画界を代表する映画のひとつと評され、更に地元との協力関係の中で映画を作るという手法も注目を集め、それはその後全国各地の[[フィルム・コミッション]]誕生へとつながっていった<ref name="yomiuri20140910"/><ref>[http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr07/chr07_3-5-3.html 第3章 第5節 ケーススタディ1:「映画の街」尾道]、[http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/pdf_286/04_sp.pdf 自治体国際化フォーラム286号(2013年8月) 特集 フィルムコミッション]、[http://www.gikai.city.mitaka.tokyo.jp/reference/25/custom3/no1_text.html 平成25年第3回定例会(第1号)本文:三鷹市議会]、[http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/book/monthly/1311/html/f00.htm 月刊地域づくり 第293号 映画によるまちづくりの現状と今後の展望]、[http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/40664 【映画コラム】 『県庁おもてなし課』をはじめ“ご当地映画”が続々登場]、[http://news.walkerplus.com/article/26451/ 地方から日本を元気に! ますます増える地域発信型映画が日本映画界を変えるか]、[http://rkxrk.jp/cs/catalog/rkxrk_today-series/pc/catalog_KYOS2013041700_1.htm 中学生男女が入れ替わり!:らくらくニッポン探訪:@nifty]、[http://diary.cinepa.jp/?month=201309 2013年09月の記事 | シネパ活動日誌]</ref><ref name="読本626">[[#読本]]、626-639頁</ref>。大林は「もし『転校生』が生まれてなかったら、あとの尾道映画が続かなかったかもしれない」と述べている<ref name="読本47"/><ref name="be20140222"/>。
その後、大林が尾道を舞台に撮影した『[[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]]』([[1983年]])、『[[さびしんぼう (映画)|さびしんぼう]]』([[1985年]])と組み合わせて「'''[[尾道三部作]]'''」と呼ばれるようになり<ref>[http://www.momat.go.jp/FC/yusyueiga/H20/program-I.html 優秀映画鑑賞推進事業>平成20年度>プログラム - 東京国立近代美術館フィルムセンター ]、[http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/open_imgs/service/0000015215.pdf 尾道市歴史的風致維持向上計画 平成25年3月 第2章 尾道市の維持及び向上すべき歴史的風致-P63]</ref>[[広島県]][[尾道市]]を観光都市として世に知らしめることになった<ref name="yomiuri20140910"/><ref name="be20140222"/><ref name="asahi200706190577">[http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200706190577.html 生きる意味問い直す 大林宣彦監督、「転校生」リメーク - 朝日新聞]</ref><ref name="asahi2012092601329">[http://dot.asahi.com/wa/2012092601329.html 映画作家・大林宣彦氏「尾道の発展を30年遅らせたアホ監督だ」と罵られる]</ref><ref>[http://www.kodomoeiga-plus.jp/movie/126 転校生 - こども映画プラス]、[http://www.htv.jp/teppen/backnumber/bn0629.html 広島テレビ - てっぺん]、[http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_10/g2006102704.html 「転校生」25年ぶり再映画化…舞台は尾道から長野へ - ZAKZAK]</ref>。1980年代の日本映画界を代表する映画のひとつと評され、更に地元との協力関係の中で映画を作るという手法も注目を集め、それはその後全国各地の[[フィルム・コミッション]]誕生へとつながっていった<ref name="yomiuri20140910"/><ref>[https://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr07/chr07_3-5-3.html 第3章 第5節 ケーススタディ1:「映画の街」尾道]、[http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/pdf_286/04_sp.pdf 自治体国際化フォーラム286号(2013年8月) 特集 フィルムコミッション]、[http://www.gikai.city.mitaka.tokyo.jp/reference/25/custom3/no1_text.html 平成25年第3回定例会(第1号)本文:三鷹市議会]、[http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/book/monthly/1311/html/f00.htm 月刊地域づくり 第293号 映画によるまちづくりの現状と今後の展望]、[http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/40664 【映画コラム】 『県庁おもてなし課』をはじめ“ご当地映画”が続々登場]、[http://news.walkerplus.com/article/26451/ 地方から日本を元気に! ますます増える地域発信型映画が日本映画界を変えるか]、[http://rkxrk.jp/cs/catalog/rkxrk_today-series/pc/catalog_KYOS2013041700_1.htm 中学生男女が入れ替わり!:らくらくニッポン探訪:@nifty]、[http://diary.cinepa.jp/?month=201309 2013年09月の記事 | シネパ活動日誌]</ref><ref name="読本626">[[#読本]]、626-639頁</ref>。大林は「もし『転校生』が生まれてなかったら、あとの尾道映画が続かなかったかもしれない」と述べている<ref name="読本47"/><ref name="be20140222"/>。


[[山中恒]]の原作『[[おれがあいつであいつがおれで]]』は[[旺文社]]の『[[小6時代]]』に[[1979年]]4月号から連載された後、1980年に書籍として出版されたが、映画化の最初の反応と同様かそれ以上に、当時の児童文学の批評家と読書運動家にケチョンケチョンにけなされた<ref name="読本68" /><ref name="読本96" />。しかし、そんな狭い児童文学業界で、小バカにされたような作品を映画化しようと大林が山中に許可を求めて尋ねて来たことでマスメディアも大々的に取り上げ、同書は[[ベストセラー]]になった<ref name="読本68" />。『転校生』が高い評価を得たことで、それまで原作をけなした人たちは息を殺してしまったという<ref name="読本68" />。文庫版に大林が寄せたあとがきには、この原作を山中が書くに至った経緯が明かされており、非常に読み応えのある内容となっている。
[[山中恒]]の原作『[[おれがあいつであいつがおれで]]』は[[旺文社]]の『[[小6時代]]』に[[1979年]]4月号から連載された後、1980年に書籍として出版されたが、映画化の最初の反応と同様かそれ以上に、当時の児童文学の批評家と読書運動家にケチョンケチョンにけなされた<ref name="読本68" /><ref name="読本96" />。しかし、そんな狭い児童文学業界で、小バカにされたような作品を映画化しようと大林が山中に許可を求めて尋ねて来たことでマスメディアも大々的に取り上げ、同書は[[ベストセラー]]になった<ref name="読本68" />。『転校生』が高い評価を得たことで、それまで原作をけなした人たちは息を殺してしまったという<ref name="読本68" />。文庫版に大林が寄せたあとがきには、この原作を山中が書くに至った経緯が明かされており、非常に読み応えのある内容となっている。

2020年2月27日 (木) 12:17時点における版

転校生
監督 大林宣彦
脚本 剣持亘
原作 山中恒
おれがあいつであいつがおれで
製作 森岡道夫
大林恭子
多賀祥介
製作総指揮 佐々木史朗
出演者 尾美としのり
小林聡美
撮影 阪本善尚
製作会社 日本テレビ
日本アート・シアター・ギルド
配給 松竹
公開 日本の旗 1982年4月17日
上映時間 112分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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転校生』(てんこうせい)は、1982年(昭和57年)に公開された日本映画山中恒の児童文学『おれがあいつであいつがおれで』の最初の映画化作品[1]。公開時の併映は『オン・ザ・ロード[2][注釈 1]2007年(平成19年)に、リメイク版が公開された。ロケを行った土地にちなみ、1982年版を「尾道転校生」、2007年版を「長野転校生」と呼び分ける向きもある。

ストーリー

明るくクラスの人気者である斉藤一夫。彼のクラスに、ある日転校生がやってくる。その転校生とは、実は幼いころ近所に住んでいた、幼馴染の斉藤一美だった。一夫と一美は、学校の帰り道、ちょっとした弾みで一緒に石段を転げ落ちてしまう。それによって、二人の身体と心は入れ替わってしまっていた。つまり一夫の体に一美の心が、一美の体に一夫の心が入ってしまったのである。

帰宅してからそのことに気付いた二人は、自分たちの身に起こったことに戸惑いながらも、ともかくそれぞれ相手になりきって生活を続けることにした。しかし、当然男の子が女の子の生活に、女の子が男の子の生活に、そう簡単に馴染むことができるはずもなく、二人は勝手がわからない中でそれぞれに苦労しながら、協力し合い、助け合って乗り越えていく。そうするうちにいつしか二人の心には、他のだれにも理解できない絆が生まれてきていた。

そんなある日、一美のかつてのボーイフレンドであり憧れの人である山本弘が、一美を訪ねて、以前一美が住んでいた町からやってくることになった。それを聞いた一美は、一夫に自分の気持ちを話し、弘との間がうまくいくよう協力を頼んだ。最初はしおらしく女の子らしい演技をしていた一夫だったが、次第に地が出てきてしまう。心配で二人のデートについてきた一美は、そのことに我慢できなくなり、ついには泣き出してしまった。そんな二人を見た弘は、二人の間の見えない絆の存在に気付き、二人を励ましながら自分の町に帰って行った。

そしてついに、二人が恐れていたことが起きてしまった。一夫が父の転勤で横浜に引っ越す事になったのだ。それを知った一美は落ち込んでしまう。このまま二人は入れ替わったまま、それぞれの生涯を過ごさなければならないのか。思いつめた二人は、ついに家出をしてしまうが、2人はお互いの体に戸惑い、傷つき、嫌悪感を覚えながらも、やがて異性として相手への理解を深めていく。

いつまでたっても元に戻らぬ二人は、絶望的になっていき、特に一美は自殺を考えるまで追い込まれる。家出先の対岸から町に戻ってきたその日、あの神社の階段の上で、二人はふとしたハズミで再び転げ落ちてしまった……。気がついてみると、二人は元の一夫と一美に戻っていた。「オレ一美が大好きだ」「この世の中で誰よりも一夫君が好き」泣きながら抱き合う二人。それから数日たった一夫の引っ越しの当日。引っ越し荷物を積んだコンテナ・トラックに一夫と両親が乗り、一美が見送りに来ている。動き出したトラックの助手席から、追って来る一美を8ミリで撮る一夫。「サヨナラ、オレ」「サヨナラ、あたし!」。

製作過程

1980年夏、脚本家・剣持亘が山中恒の原作『おれがあいつであいつがおれで』に感銘し、プロデューサー・森岡道夫に連絡を取り、友人でもある映画監督の大林宣彦に企画を持ち込んだのが始まり[3][4]。剣持は神奈川県小田原市、山中が北海道小樽市出身で、いずれも海辺の町の育ちで、どこをロケ地にするか検討されたが、大林が自身の故郷である尾道ロケを決めた[4]。脚本の剣持は1973年の『ゴキブリ刑事』以降、本作まで10年間1本も脚本を書けず、転校生が映画にならなければ辞めるつもりでいた[5]

原作の主人公2人は小学校6年生という設定[6]。このため最初はサンリオの講堂で小学校を集めてオーディションをした[7]。2000人近くの小学生に会ったが[8]しかし「性を意識した年代の役者が演技しないと映像表現は難しい」という大林の考えから、主人公2人を中学校3年生の設定に引き上げオーディションをやり直した[7][8]。そこで主役に抜擢されたのが、小林聡美(一美役)と尾美としのり(一夫役)の2人。小林は面接で4本の指を立て「これだけなんですね」と半分泣き出しそうな顔で言った。小林が裸にならなくてはいけない場面が計4回あったのである。裸になる回数など大林は数えておらず、咄嗟には何を言ってるのか分からなかった。脚本では男の子としての役だが、演じる女子にとっては大きな問題だった。この内に秘めた恥じらいこそ、新人だった小林が大役を射止めた理由だった。脚本をよく読み込んでこの映画に懸ける情熱が他を引き離していた[9]。一方、「女の子の役は耐え難い」と思っていた尾美は翌日も面接に呼ばれると髪を切って現れた。大林監督が「覚悟をしてきた」ととらえたことが抜擢の決め手だった[7][6]。尾美はこの主役が嫌で、オーディションで別の役に当てられ、安心して髪を切りに行ったら、マネージャーにもう一回大林監督に会いに行ってくれと言われた。すると大林監督から「髪を切ってきてまでこの役に賭けた尾美くんに、ボクはこの映画に尾美くんを賭けてみたいと言われた」と話している[10]。気づいたら、内股で歩かされたり、ビューラーでまつ毛をカールされたり、恥ずかしくて仕方なく、試写会に学校の友人が来てるのを見てトイレに隠れたという[8]

主人公2人を中学生に引き上げたが、ストーリーの方は原作を忠実に再現したために、言動が中学校3年生にしては幼すぎたり(転校当日の一美の思春期の少女としてはデリカシーに欠ける発言や一夫に対する態度等)、中学校3年生であれば生理があって当然なのに、病気で進級が遅れた同級生女子について「俺たちより年上だからもう「あれ」があるだろうな」という無理のある発言があったりするなど、整合性が取れなくなっている部分がある。

この映画が製作された当時、監督をつとめた大林はCMディレクターから映画に進出して5年目、すでに5本の劇場映画を監督してヒット作も多かったものの、映像の遊びが多い作風は評論家受けが芳しくなく、名声が十分に確立されていたとはいえなかった[11][12]。また、主演の尾美としのり小林聡美もほとんど無名の俳優であり、さらに、「男と女の身体が入れ替わる」という内容が、当初は出資を決めていたサンリオの当時の社長が「破廉恥。わが社の社風に合わない」という社長判断を下し[7][13]、撮影開始の二週間前に出資が中止されるなど[14]、制作費の調達は極めて厳しい状況だった[11][6][3]。前2作で大林がタッグを組んでいた角川春樹にも打診したが、原作本が角川書店ではなく旺文社から出ていたことで断念した[15]。大林は「一時期はクランクアップが危ぶまれるところまで追い込まれた」と述べている[注釈 2]。尾美としのりも小林聡美も、1か月以上もリハーサルを続けて、映画の仕上がりも見えていた段階だった[7]

1981年7月半ば、大林が大森一樹レイ・ブラッドベリ作品のプロデュースをしようと、打ち合わせで新宿ATG代表の佐々木史朗に会った際[8]、大森が「大林さんの映画が潰れかけています!」と佐々木に救済を頼み、渡された台本を読んだ佐々木から「こういう映画を観たいから、ぼくが何とかする」との回答を得て製作に漕ぎ着けた[6][15][16]。ATGは佐々木体制になって製作する映画の傾向が変わった[17]。「大森の"レイ・ブラッドベリ"が『転校生』に移行し、大森の"レイ・ブラッドベリ"は実現しなかったが、後述する理由で多少の借りは返したかも知れない」と大林は述べている(詳細は後述[16]。佐々木が当時映画製作を始めようとしていた日本テレビに話を持ち込み、1981年9月に入って映画の完成後、日本テレビ作品となった[3][16][18]。大林はこの他、「尾道の中田貞雄商工会議所会頭(当時)の個人的な資金援助の協力があった」と話している[18]

影響

公開後、地味だが極めて良質の映画という評価がなされ、参加スタッフ・出演俳優の代表作になった。日本テレビの「金曜ロードショー」で全国放送され、1983年5月の25.2%を皮切りに、4年連続でテレビ放映され高視聴率を挙げたので[8]「お返しは出来た」と思うと大林は話している[16]

その後、大林が尾道を舞台に撮影した『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)と組み合わせて「尾道三部作」と呼ばれるようになり[19]広島県尾道市を観光都市として世に知らしめることになった[11][6][20][21][22]。1980年代の日本映画界を代表する映画のひとつと評され、更に地元との協力関係の中で映画を作るという手法も注目を集め、それはその後全国各地のフィルム・コミッション誕生へとつながっていった[11][23][24]。大林は「もし『転校生』が生まれてなかったら、あとの尾道映画が続かなかったかもしれない」と述べている[14][6]

山中恒の原作『おれがあいつであいつがおれで』は旺文社の『小6時代』に1979年4月号から連載された後、1980年に書籍として出版されたが、映画化の最初の反応と同様かそれ以上に、当時の児童文学の批評家と読書運動家にケチョンケチョンにけなされた[1][7]。しかし、そんな狭い児童文学業界で、小バカにされたような作品を映画化しようと大林が山中に許可を求めて尋ねて来たことでマスメディアも大々的に取り上げ、同書はベストセラーになった[1]。『転校生』が高い評価を得たことで、それまで原作をけなした人たちは息を殺してしまったという[1]。文庫版に大林が寄せたあとがきには、この原作を山中が書くに至った経緯が明かされており、非常に読み応えのある内容となっている。

入れ替わり演出

少年と少女が入れ替わるという設定は「とりかへばや物語」やサトウハチローの「あべこべ玉[注釈 3]、『へんしん!ポンポコ玉』など以前からあるが[6][25][26]、本作以降の設定を持つ作品は『転校生』を例えとして語られることが多い[27][28][29]。これ以降、映画は勿論、NHK民放テレビドラマVシネマに至るまで、『転校生』の要素をいいとこ取りしながら何度も繰り返し映像化がなされた[30]。また劇化されて舞台にもなり、漫画化もされ、韓国でも映画化もされた[1]。「大林は韓国でも有名」とクァク・ジェヨンが話していたという[31]2007年TBSドラマパパとムスメの7日間』は、"平成版・転校生"ともいわれ[32]、劇中パパとムスメが『転校生』を参考に神社の階段から転げ落ちて入れ替わりを元に戻そうとして失敗、パパ役の舘ひろしが「映画では上手くいったのに」と話すシーンがある[33]。『パパとムスメの7日間』の原作者・五十嵐貴久は、同作が『転校生』から大きな影響を受けたことを話しており、「最も参考にした。『転校生』は入れ替わりモノのバイブル的な映画。ちょっと勝てない」などと話している[34]2014年NHKドラマ『さよなら私』は、"熟女版「転校生」""不倫ドラマ版「転校生」"などといわれ[35]、神社の階段から転げ落ちて主人公の二人が入れ替わるというシチュエーションも使われ、本作のラストのセリフがドラマタイトルになっており[6][11][36]、他に尾美としのりが出演するなど『転校生』へのオマージュを感じさせる[27][36][37]山中恒の原作『おれがあいつであいつがおれで』では「さよなら、あたし」という台詞は使われておらず、また入れ替わりのシチュエーションも、男の子が脅かしてやろうと女の子に体当たりして入れ替わるという割に簡単なもので、神社の階段から転げ落ちて入れ替わるというシチュエーションや先の台詞は『転校生』がオリジナルである。

特筆されるのが男女の入れ替わり演出。それまでも宇宙人が地球人になりすますといった演出は特撮もの等で行われていたが、主人公の男女が全編ほぼ入れ替わり、それぞれの俳優に入れ替わる側の人格を演じさせたのは本作が世界初とみられる。『映画芸術』1982年4~6月号(No341)に、小川徹相米慎二かわなかのぶひろ池田敏春、飯島哲夫が参加して「映評座談会 日本映画を裁断各個撃破せよ!」と題された辛口の映画評論が行われたが、この中で『転校生』の批評のタイトルは「原点に立ちもどり利いたワン・アイデア」で、座談会では、小川徹「初めから驚いた。男と女を取りかえのアイデア。最後までうまくダマせるか、成立するかと、途中で心配したよ。これは男なのか女なのか、途中で分からなくなりました」、飯島哲夫「結局あのワンアイデアで、どこまで引っ張っていけるか」、小川「ワンアイデアっていうか二人だけのシーンで持ってるわけだから、他だったら何かいろいろ事件起こさなきゃいけないところを二人だけのシーンで颯爽と突っ切ってる」、相米慎二「そっち(他を)を切っちゃったことがいいんですよね」、かわなかのぶひろ「もともと男と女が入れかわるなんて話を映画で描いたらチャチになりますよね、これが出来たのは役者の力じゃないですかね。俳優の役作りがよくできているからあの荒唐無稽な話がリリカルな話に仕上がっている」などの批評がなされた[38]。この男女の入れ替わり演出を"ワン・アイデア"と表現されているのは、この座談会に参加した錚々たる映像作家や映画評論家が、この演出法を初めて見た驚きを意味するものと見られる。今日、俳優が入れ替わった人格を演じることに見慣れているため違和感を持つ人もいないが、『転校生』を初めて観た人は「途中でどちらか分からなくなった」「ワンアイデア」といった感想を持ったのである。"男女入れ替わり"の演出法は当時は前例もないため、本作の制作過程では、ぬいぐるみを着せるか、声だけ吹き替えるかなど、今日では考えもしない驚きの意見が色々出されたという[3]。大林は前作『ねらわれた学園』に続きSFXを駆使して女装させた尾美に特殊メイクでニセの乳房をつけさせようとした[7]。「でなきゃ、男の子と女の子は入れ替わりません。演じる俳優さんが入れ替わるったって、役柄を取り替えただけ。画面に映ってるのは同じ男の子と女の子であることに変わらない。これじゃ面白いわけがない。映画とは画面に映っちゃう分、不便なものです。受け手の想像力に頼り得ない。これは映画化不可能な原作ではないか」と大林は思っていたという[7]。山中からも「こんなものを映画化しようなんて考える奴はバカ」と言われた[7]。しかし「不可能なことを実現すれば、映画の新発見になる」と挑んだ[7]。尾美が女装を頑なに抵抗したことと、小林が女優魂を見せて脱ぐのを承諾したことで、この形が"入れ替わり"演出のスタンダードとなったという見方もある[26]

今上天皇はこの作品を自らの好きな映画作品に挙げ「ですから《転校生》のヴィデオを見始めると、ついつい徹夜して寝不足になって了います」と大林に語ったことがある[39][40]

2012年12月、アメリカニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された日本映画特集「アートシアターギルドと日本のアンダーグラウンド映画 1960〜1984年」に大林が招かれ、本作を含む大林作品がオープニング上映された[41]

出演者

斉藤一夫
演 - 尾美としのり
幼稚園の頃仲良かったということもあり作中では、一美から「一夫ちゃん」と呼ばれている。趣味は8ミリ映画で風景などを自分で撮影して鑑賞すること。日常的に正昭たちと悪ふざけをしたり、いたずらっ子な男子中学生。
斉藤一美
演 - 小林聡美
神戸から転校してきたが、幼少の頃は尾道に住んでいた。7月12日生まれ。クラスのみんなの前で幼稚園時代の一夫がおねしょをしたことなどプライベートなことを話してしまう。成績優秀だが、カナヅチで泳げない。
斉藤明夫(一夫の父)
演 - 佐藤允
職場での仕事ぶりが評価されて一家で横浜に引っ越すことになった。
斉藤直子(一夫の母)
演 - 樹木希林
一夫の様子がおかしくなったと感じた原因は、一美が転校してきてからだと信じ、よく思わなくなった。入れ替わった直後、一美から入れ替わったことを説明されたが、まともに取り合わなかった。昔ながらの妻らしく、夫に敬語を使って話したり夫を立てている。
斉藤孝造(一美の父)
演 - 宍戸錠
斉藤千恵(一美の母)
演 - 入江若葉
娘の中身が入れ替わってるとは知らず、言動が男の子みたいになったので作中では「もっと女の子らしくしなさい!!」などとよく注意している。直子とは対照的に都会的な主婦。焼きおにぎりが得意らしく、作中では一美から「遠足とかでよく作ってくれたの」と言われており何度か作っている。
斉藤良行(一美の長兄)
演 - 中川勝彦
斉藤次郎(一美の次兄)
演 - 井上浩一
一美のおばあちゃん
演 - 高橋ます乃
縁側で寝ていた顔にハエが止まっていたのを、たまたま幼稚園の帰りの一美と一緒に家に来た一夫により顔めがけて殺虫剤を吹き付けられた。
幼年時代の一夫
演 - 円福寺幸二
幼年時代の一美
演 - 奥藤直美
大野光子(中学校担任)
演 - 志穂美悦子
一美と一夫のクラス担任。数学担当。快活で朗らか、さばさばした性格の女性。生徒たちが取っ組み合いのケンカをしていると身を挺して仲裁するなど度胸がある。
金子正昭
演 - 岩本宗規
一夫の友人。明るい性格だがいつも友人とつるんでは、授業中に先生の目を盗んで早弁を食べたり、よく悪ふざけをしている。ただし、中身が入れ替わった後の一夫に対して「なよなよしてオカマみたい、何かおかしい」と疑いを持ちちょっかいを出すようになった。
佐久井健治
演 - 大山大介
福田静男
演 - 斎藤孝弘
川原敬子
演 - 柿崎澄子
一夫によると小さい頃に患った病気のせいで一夫たちより2歳年上らしいと言われている。病気の影響で今でも体育の授業や臨海学校では、1人見学している。一夫とは小学生の頃からの幼なじみで、作中では最近一夫がしょっちゅう哀しい顔をしているので心配になり気遣っている。裕福な家庭らしくニシキゴイや大きな木々などの手入れの行き届いた、かなり広い庭を持っている。姉とその子供のひろし(山本ヒロシとは別人)という子がいる。
山本ヒロシ
演 - 山中康仁
一美の転校前の学校の同じクラスの生徒。一美によると勉強もスポーツも得意でとってもイカす子(カッコいい)。一美はヒロシに好意を持っているが、本人はアケミのことが好きとのこと。一美の誕生日に訪ねてきた。
吉野アケミ
演 - 林優枝
一美の転校前の学校の生徒で一美とも親しい。ヒロシと一緒に一美の誕生日に訪ねてきた。事前に一美から一夫と中身が入れ替わったという内容の手紙を受け取っており、二人に起こった出来事の話を信じた唯一の人物。ヒロシとは仲がいいが恋愛感情は持っていない。
校長
演 - 加藤春哉
チンピラ
演 - 鴨志田和夫
入れ替わった後の一美と一夫が二人だけで話しているところ偶然通りかかり、一美に興味を持って強引に連れ去ろうとした。
幹事
演 - 鶴田忍
ツアー旅行の幹事。家出しようとして一夫と一美が船に乗った所、酒に酔っていたこともありツアー客のメンバーだと勘違いした。
番頭
演 - 人見きよし
渡し船で8mmカメラを持つ少女
演 - 大林千茱萸

スタッフ

作詞:堀川マリ、作曲・編曲:梅垣達志、歌:北原佐和子テイチク

受賞歴

  • 第6回日本アカデミー賞
    • 新人俳優賞:尾美としのり、小林聡美
  • 第7回 報知映画賞
    • 新人賞:小林聡美
  • 第4回 ヨコハマ映画祭
    • 作品賞:転校生
    • 脚本賞:剣持亘
    • 最優秀新人賞:小林聡美
  • 平成元年(1989年)「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第58位

エピソード

尾道市の御袖天満宮石段
  • 大林が『転校生』を尾道で撮ろうと決めた動機として古い尾道の友人から「尾道には新幹線も通らん(新尾道駅の開業は1988年)、アンノン族も来ん、ディスカバー・ジャパンとも無縁じゃ。何とか観光資源が欲しいんじゃ。お前のように古里を離れた人間には分からんじゃろう」と言われたことが切っ掛けとしてあるという[14]。「ぼくなりに出来る事は何か?映画を作ろう。この尾道の素晴らしさを映画に描いて、全国の人に知ってもらおう」「地方ロケは何かと経費が嵩んで大事になるだろうが、よし、ここで一番古里孝行だ」と考え尾道での撮影を決めた。企画準備に入って一年後のことだったという[14]
  • ところが本作品に出てくるのは「観光名所」や「近代的に開発された町並み」などではなく、「近所の民家」やら「ひび割れた瓦屋根」「今にも崩れ落ちそうな土壁」「路地裏」など、尾道のそのままの姿。そのため尾道における完成披露の試写会では終わった時に拍手も起きなかった。日本中が絵葉書のような観光地になっていった時代[7]、「ゴミ箱のような尾道の恥部が映っている。これではとても観光客誘致にはとてもならん。上映中止に出来ないか」「金が有れば直ぐにでも直したい、恥ずかしい場所ばかり映し出されたのでは、アンノン族など見向きもせんわ!」などと、きわめて評判が悪かった[14][21]。大林は2016年現在、どこに行っても「尾道に行きました」と声を掛けられるという[8]
  • 「おぉ、尾道の景色か。」と佐藤允の台詞で始まるオープニングシーンで映される8ミリフィルムは、大林が当時17歳の娘・千茱萸にフィルムを10本渡して「尾道の風景を撮って来て」と尾道に撮影に行かせたもの[42]
  • 前述のように出資を決めていたサンリオが「破廉恥すぎる」と突然降りてしまったため、尾道の細く縦横無尽に延びる猫道を、少数精鋭のスタッフ&小林聡美や尾美としのりら、キャスト、地元尾道の支援者も一丸となって機材を毎日現場まで手で運んだ[11]映画音楽を作曲する予算がないので大林の尾道の実家にあった『クラシック名曲集』LP一枚で済ませた[43]。クラシックは著作権フリーで、当時日本映画の映画音楽にクラシックはほとんど使われていなかった[43]。「タイスの瞑想曲」や「トロイメライ」など、誰もが馴染み深いクラシック名曲の数々が嫋嫋と流れ効果を挙げている。学生服は大林の中・高校時代のもの[43]エキストラを雇えないので映っているのは芸達者なスタッフたち。大林千茱萸は、つまり完全に「プロの映画屋による自主映画」と述べている。「金銭面での苦労はあったが心に不自由なことは何ひとつなかった。むしろ自由で幸福な映画作りは永遠にフィルムに焼き付いていると信じられるし、その幸福感が観る者の心にも触れるのだろうと思う」と話している[42][44]
  • ATG代表の佐々木史朗がお金を集めてくれたが、お金が届いたのは撮影終了後の9月頭で、まるまる一か月、全くの無一文で尾道で撮影した[8][45]。それができたのは尾道の人たちの協力があったからで、大林の父親に対する信用があったからという。本作は尾道でのオールロケーションであるが、お金がないため大きなセットは組めずに例えば、主人公の斉藤一夫、斉藤一美宅として撮影された家は、実際の民家を借りて、部屋のシーンもその民家の中で撮影した[46]。部屋の作り込みでは、地元の建築事務所社長が協力し、大林のイメージに沿った洋服ダンスや机を調達し模様替えなども行った[47]小道具はほとんどが一般家庭からの借り物[24]。スタッフや俳優が宿泊するためのホテル代の支払いは一か月待ってもらった[45]。斉藤一夫、斉藤一美宅として撮影された家は、2014年現在も現存しているが、斉藤一美邸は空き家になっている。斉藤一夫邸は『転校生-さよなら あなた』でも吉野アケミの実家のうどん店という設定で撮影に使われた[46]。斉藤一夫邸は「いかるが(角辺に鳥)邸」といい、築117年。尾道駅前から浄土寺に至る海岸通りで唯一残る木造民家となっている[48]。また食事は大林の実家で炊き出しをしたりした[49]
  • 撮影当時、大林は故郷・尾道でも有名でなく、医者のお父さんのほうが有名で「大林さん家のわけのわかんない息子がわけのわかんない仲間連れて、わけのわかんないことやってる」と見られて、「でもお父様のほうに世話になってるから、みんな目を瞑るか」という状態であったという[50]。しかし『時をかける少女』を撮影したころは、「さすが大林先生の御長男だ」という口調に変わったという[51]
  • 当時の日本映画は長年に渡るどん底で、今後産業として成り立たないだろうとまで言われていた[52]。アメリカ映画が活況を博し世間一般の風潮はそちらに向いていた[52]。尾道で『転校生』を撮影していたら「テレビ放映はいつですか?」とよく聞かれた。「テレビじゃなく、映画です」と応えると「わあ、映画はもう何年も見ていないなあ」と言われることが多かったという[14]
  • ATG代表の佐々木史朗の奔走で何とか制作費を工面できたが、サンリオの出資を前提に走り始めていたこともあり、当時のATG映画『遠雷』や『家族ゲーム』の制作費4000万円の2倍近い8000万円の予算に膨らんでいた[8]。ATGとしても出せるのは最大4000万円が限度で、残りの4000万円は他で工面しなければならない。当時、日本テレビの岡田晋吉がインディペンデントの映画プロデューサーを集めた企画会議を定期的に開催していて、佐々木もそのメンバーだっため、岡田に『転校生』の台本を持って行き「これを一緒にやりましょう。ついては日本テレビで4000万円出してください」と掛け合った。今でこそテレビ局が出資する映画が溢れているが当時は皆無[8]。テレビ局及び、映画製作への異業種参入は1969年フジテレビ御用金』からといわれるが、フジテレビもその後、1983年に『南極物語』を製作するまで映画製作を中断していた[53]。岡田から「この作品のどこが一番いいと思う?」と聞かれたので「タイトルですよ」と答え、「新学期が始まって転校生が来ると分かると『どんなヤツかな?』ってドキドキしたじゃないですか、そういうドキドキ感がタイトルから感じられます」などと説得、「よし、やりましょう。すぐに社内手続きに入ります」と決断をもらった[8]。日本テレビは1979年の「ベルサイユのばら」の『実写版映画』から映画に製作協力をしていたが[54]、本作『転校生』から本格的に映画会社と共同での映画製作に乗り出した[54]。この背景には「水曜ロードショー」他の映画放映番組での、作品の払底という事情があった[54]
  • 男女が入れ替わる有名な階段落ちシーンは、御袖天満宮の階段にベニヤ板を置いて尾美としのりと小林聡美が実際に転がった[55]。ベニヤ板隠しの石段のへりの作り物越しに撮影移動車を加速させて撮影した。ハネ落ちていく空き缶は大林が釣り竿を使って操演した。見物人はごく僅かで整理の必要もなかった[55]。このもつれ合って転げ落ちる際に、尾美の膝が小林のふくらはぎを直撃して小林が大怪我をした。小林はその瞬間、「降ろされる」と思ったほどで、撮影続行は不可能、映画は3日で東京に逆戻りという状態であったが、小林は痛みをこらえ撮影を続けたが[7]、撮影の合間に近くの接骨院に通う際も尾美が寄り添い、いたわり合う二人の心理が演技に投影し、図らずも2人の間に連帯感にも似た感情が芽生えていたという[11][6]
  • "尾道三部作"を含む大林監督の尾道映画であるが、撮影地、記念碑といった類いの看板はほとんど見当たらない。行政側が再三、映画のセットを残して観光資源にして欲しい、ロケ地の案内板設置も了承して欲しいと切望したが、大林は決して首を縦に振らなかった[6][56]。「記念碑は映画を観てくれた人の、心の思いとして残ればよい。その人が思い出の地を訪ねた時、何時か観たスクリーンの中と同じ風景がそこに守られていれば、それで充分。記念碑など、その思い出の風景を壊すだけだし、次の他の人の映画撮影の邪魔にもなる。記念碑は、万人の古里を私物化するだけだ。ぼくはそれを千光寺山の花崗岩の"傷"から学んだのだ」[14]「尾道市から資金援助を受けた事もない」[18]「町を壊すようなことの総てを止めて貰おうとする行政との戦い」[57]などと述べている。2006年に『男たちの大和/YAMATO』で撮影に使われた戦艦大和の原寸大ロケセットを尾道市が有料で公開した際には「ロケセットで商売するな」と強く批判し、これ以降、尾道市とも関係は良好でないといわれる[56]。しかしながら大林は「小津安二郎の『東京物語』と志賀直哉新藤兼人さんに『転校生』、そして『男たちの大和』は、やっぱり一つの尾道映画史だよねぇ」と溜息混じりに語っている[58]。2007年の『転校生-さよなら あなた』では、大林の強い思いで1日だけ尾道ロケが行われた[48]。僅か4カットのみ尾道が登場する。
  • 角川春樹は「私が感動した数少ない青春映画」と評し、大林の次作『時をかける少女』に繋がる[15]
  • 山本晋也は大林が個人映画を撮っていた頃からの知人で[59][60]、『転校生』が最初、分けの分からぬ映画と批判される中、テレビでいち早く「これは日本映画の傑作」と称賛し、特に尾道の人たちの見方を変えさせた[59]。山本は『あの、夏の日』など、大林の5作品に俳優として出演している。
  • ラストシーンが撮影された海岸通りは小津安二郎監督の『東京物語』でも登場する他、志穂美悦子扮する中学校教師は『東京物語』で香川京子扮した小学校教師のスタイルと同じと、『東京物語』のいくつかと呼応している[61]
  • 前述したように本作の企画が潰れかかった際、窮地を救ったのは大森一樹だった。この時の大森の「レイ・ブラッドベリ」が『転校生』に移行し、大森の「レイ・ブラッドベリ」は実現しなかった。後年、『さびしんぼう』撮影時に大森が尾道へ遊びに来て、チラッと出演もしているが、東宝のプロデューサー・富山省吾もやはり尾道へ来て、大林に『ゴジラ』の監督を依頼してきた。大林は「ゴジラはやっぱり本多猪四郎監督がもう一度、じゃないですかねぇ」などと話しているうちに大森が「あ、じゃぼくやります!」と言って大森のゴジラの監督が決まったという[16]
  • 完成した映画を観てATG代表の佐々木史朗は、台本から受けたイメージの差に驚いたと話している。特に小林聡美が陸橋を自転車で一気に駆け上がるシーンは、台本には「慌てて走っていく」としか書かれておらず、1カットでの撮影に「そう撮るのか!」とビックリしたという。『転校生』はロードショー後も2番館や名画座で繰り返し上映され、日本テレビ系のバップから発売されたビデオも大ヒットし大きな利益が出た。佐々木は「『転校生』はミニシアター系の映画でもメインストリームの一角を占めることができる、ものによってはそれが可能なんだと初めて思わせてくれた作品でした。大林さんにとっても、尾道を舞台にした個人的な映画を愛してくれる人がいるという自信を持てて、その後の方向性を見つけることができた重要な作品といえるのではないでしょうか」と述べている[8]
  • ウッチャンナンチャンは「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」で本作のパロディコントをした。

映像ソフト

全て販売はバップ

VHS
  • 転校生〈ノーカット劇場版〉(60107-178)
  • 転校生〈日本映画秀作シリーズ〉(1990年9月5日、VPVT-62339)
  • 転校生 スペシャルエディション(1997年11月1日、VPVT-64233)
LD
  • 転校生〈ノーカット劇場版〉(70012-78)
  • 転校生〈日本映画秀作シリーズ〉(1990年9月5日、VPLT-70127)
  • 転校生 スペシャルエディション(1998年2月1日、VPLT-70666)
DVD
  • 転校生 DVD SPECIAL EDITION〈大林宣彦DVDコレクション〉(2001年4月21日、VPBT-11227)

テレビ放映

  • 1983年5月4日には、日本テレビ系「水曜ロードショー」で放送されたほか、2010年台中頃には、日本映画専門チャンネルでも放送された。

転校生-さよなら あなた-

転校生-さよなら あなた-
監督 大林宣彦
脚本 剣持亘
内藤忠司
石森史郎
南柱根
大林宣彦
原作 山中恒
おれがあいつであいつがおれで
製作 黒井和男
出演者 蓮佛美沙子
森田直幸
音楽 山下康介
學草太郎
撮影 加藤雄大
編集 大林宣彦
製作会社 角川映画
日本映画ファンド
配給 角川映画
公開 日本の旗 2007年6月23日
上映時間 120分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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1982年公開の『転校生』のリメイク版。監督は同じく大林宣彦。舞台は長野県長野市に変更されている。蓮佛美沙子の初主演作品となる。

1982年版が原作のほぼ忠実な映画化だったことに対して、本作は、特に後半部分が原作からは離れほぼオリジナルな展開となっている[20]。その内容は一美の身体が突然、原因不明の不治の病にかかり、医者から余命2、3か月を宣告されるというものである。

キャスト

スタッフ

DVD

  • 転校生 さよなら あなた 特別版(2008年1月25日、角川エンタテインメント DABA-0495)
    • 本編の他、映像特典を収録。初回限定で写真集が封入され、豪華外箱で包装される。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 『転校生』の方が添え物だったが、3週目に順位が逆転した(大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本、562頁)。
  2. ^ 大林の著書『日日世は好日 巻の2』に詳しい。
  3. ^ 「あべこべ玉」は、幼い兄妹が入れ替わる話で、大林自身、この本を幼少のときに読み、兄が妹の体に入るとは、「聖域に忍び込むような、これほどエロティックで、恐ろしくて、禁欲的で..」と感じたと述べており『転校生』は「あべこべ玉」の影響があるものと考えられる(『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本』434-435頁)。

出典

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参考文献

外部リンク