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2020年3月17日 (火) 09:12時点における版
エリック・クラプトン Eric Clapton CBE | |
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USA・ニューヨーク公演 (2015年5月) | |
基本情報 | |
別名 | スローハンド(Slowhand) |
生誕 | 1945年3月30日(79歳) |
出身地 | イングランド サリー リプリー |
ジャンル |
ブルース ブルースロック フォークロック ハードロック サイケデリック・ロック |
職業 |
ミュージシャン シンガー・ソングライター ギタリスト 美術家 レコード・プロデューサー アレンジャー |
担当楽器 |
ボーカル ギター |
活動期間 | 1963年 - 現在 |
共同作業者 |
ヤードバーズ ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ パワーハウス クリーム フリー・クリーク ブラインド・フェイス ザ・ダーティー・マック JJ・ケイル デラニー&ボニー&フレンズ デレク・アンド・ザ・ドミノス プラスティック・オノ・バンド ザ・ビートルズ エルトン・ジョン フィル・コリンズ ザ・ローリング・ストーンズ ルチアーノ・パヴァロッティ ザ・バンド フレディ・キング B.B.キング |
公式サイト | ericclapton.com |
著名使用楽器 | |
ギブソン・レスポール | |
エリック・パトリック・クラプトン(英語: Eric Patrick Clapton, CBE、1945年3月30日 - )は、イングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター。
「スローハンド」と呼ばれるギターの名手として知られ、ソングライティングも優れた世界的なアーティスト。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと並ぶ世界3大ロック・ギタリストの一人とされている。
『ロックの殿堂』を3度(ヤードバーズ、クリーム、ソロ)受賞。2015年『ブルースの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「最も偉大な100人のギタリスト」でジミ・ヘンドリックスに次ぐ第2位。(現役のギタリストでは最高位)
概要
1960年代からヤードバーズ、クリームなどのバンドでギタリストとして活動。その演奏について、エリック・クラプトンは神だとロンドン市内に落書きされた。「スローハンド[注 1]」というニックネームで知られる[注 2]。
1970年代には薬物依存症、1980年代にはアルコール依存症・交通事故・胃潰瘍を経験。妻パティ・ボイド(親友ジョージ・ハリスンの前妻)と結婚していたが、イボンヌ・ケリーと一年に渡って関係を持ち、1985年の1月に娘のルースを出産[注 3]。1986年にはイタリア人女優ローリ・デル・サントとの間に息子をもうけ、1988年にパティとは離婚が成立した。しかし1991年3月に息子コナー(4歳)がニューヨークの高層マンション53階の窓から転落死する。波乱万丈の人生を送りながらも、大規模なワールドツアーやアルバム制作などで創作活動を続けている。
デビューからヤードバーズ脱退まで
クラプトンのキャリアは、ルースターズから始まる。クラプトンは1963年1月から8月まで在籍。その後、ケイシー・ジョーンズ・アンド・ジ・エンジニアズに参加。ほどなくロンドンでも注目を集めていたバンド、ヤードバーズに迎えられる。1963年の秋である。ヤードバーズでのプレイが認められ、その存在が注目されるようになったが、バンドはポップ路線を志向するようになり、クラプトンは他のメンバーと意見が対立。1965年にバンドを去ることになる。その後、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが相次いで「ヤードバーズ」に参加する。
ブルースブレイカーズ
ヤードバーズ脱退後、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズに参加。オーティス・ラッシュ、フレディ・キングらの曲を盛んに演奏した。彼らの楽曲はその後のクラプトンのキャリアにおいても度々取り上げられた他、本人たちとの共演も行っている。この頃、ロンドンの街中に“CLAPTON IS GOD”の落書きが現れ、「ギターの神」と呼ばれるようになった[1]。
クリーム〜ブラインド・フェイス時代
その後、ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーらと「クリーム」を結成[2]。メンバーの即興演奏を中心としたジャム・セッションや実験的な音楽を追求。しかし、メンバーの人間関係の悪化により、バンドは空中分解する形で解散。その直後、スティーヴ・ウィンウッドや先のベイカーらとブラインド・フェイスを結成し、1枚のアルバムを残して解散した。
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クリーム - 左から、ベイカー、ブルース、クラプトン(1966年)
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ブラインド・フェイス - 右クラプトン(1969年)
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デレク・アンド・ザ・ドミノス - 右クラプトン(1971年)
「レイラ」の発表とソロ活動の開始
クラプトンは新天地を求めてアメリカに渡り、アメリカ南部のミュージシャンとデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成。デュアン・オールマンをゲストに迎えて「レイラ」を録音した。
その後もクラプトンは様々なセッションにギタリストとして参加する。その一方で本格的なソロ活動もスタートした。1974年9月14日付のシングルチャートではボブ・マーリーのカバー曲である、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」 (I Shot The Sheriff) でナンバー1を獲得している[注 4]。
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(1974年)
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イヴォンヌ・エリマン&クラプトン(1975年)
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(1983年)
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ティナ・ターナー&クラプトン(1987年)
ジョージ・ハリスンとの共演
1991年、ジョージ・ハリスンのサポートとして自分のバンドを引き連れて日本だけのツアーを敢行。コンサートの中ほどで(ジョージの休憩を兼ねて)自らの楽曲を演奏するコーナーもあった。ジョージからは世界ツアーの提案もなされたが、亡くなった自分の息子に捧げる楽曲の録音のため、クラプトンはこれを断った(ジョージは、これが最後のツアーとなった)。この時に録音されたのが「ティアーズ・イン・ヘヴン」 (Tears In Heaven) である。この曲は1992年に全米シングルチャート第2位を記録し、1993年には年間最優秀曲に選ばれ、この歌が収録されたアルバムも最優秀アルバム賞を獲得。
1996年、映画『フェノミナン』にカバー曲、「チェンジ・ザ・ワールド」を提供している(元々はカントリー・シンガーのワイノナ・ジャッドが歌っている)。この曲でクラプトンはグラミー賞のソング・オブ・ザ・イヤーを獲得している。プロデューサーはベイビーフェイス。
1998年にはB.B.キングらとともにアメリカ映画『ブルース・ブラザース2000』に出演した。1999年には、かねてから自身の所有するドラッグ更生診療所「クロスロードセンター」への資金捻出のために所有するギター104本をニューヨークのクリスティーズのオークションに出品した。その中には「いとしのレイラ」をレコーディングしたストラトキャスター「ブラウニー」が含まれていた。
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ジョージ・ハリスン&クラプトン(1987年)
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B.B.キング&クラプトン
受勲と「ブラッキー」の売却
2002年のイギリス女王即位50周年式典のライヴでは、ジョージ・ハリスン死去への追悼としてポール・マッカートニーと共に、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスを演奏し、当時の録音同様リードギターを担当し、加えて特別にリードボーカルも担当する。2004年11月3日、イギリス政府より、ナイトの爵位に次ぐ「大英帝国勲章 CBE」が授与された。
2004年6月24日には自身のギターコレクションの2度目のオークションを開催。出品された56本の中には彼の使用したギターで最も有名で長年愛用したブラッキー('56年製のフェンダー・ストラトキャスター)の愛称を持つギターも含まれていた。「ブラッキー」は当初の落札予想価格を大幅に越え最終的に95万9,500ドル(およそ1億520万円)の価格がつけられ当時「世界一値段の高いギター」となった(現在は塗り替えられている)。
2005年にはクリームの再結成ライヴが5月に4公演(5月2、4、5、6日)、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、10月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで3夜連続で当時のオリジナルメンバーで行われた。
2007年5月19日には旧友スティーヴ・ウィンウッドのライヴにゲスト参加し、同年7月28日に開催されたクロスロード・ギター・フェスティバルでは、ウィンウッドがクラプトンのステージにゲスト参加した[3]。そして、2008年2月にはマディソン・スクエア・ガーデンで3日にわたってウィンウッドとの共演ライヴを行い、その模様は2009年にライヴ・アルバム『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』として発表された。
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旧クリームメンバーとのショット(2003年)
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クロスロード・ギター・フェスティバル(2007年)
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クラプトン&ビル・マーレイ(2007年)
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クラプトン&ケブ・モ&バディ・ガイ(2010年)
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スティーヴ・ウィンウッド&クラプトン(2010年)
近年
2016年、通算21回目の来日公演を果たし[5]、初日はクラプトンのファンであるエドシーランが飛び入りで参加した。
2017年9月17日には、リリー・フィニー・ザナック監督による自身のドキュメンタリー映画、『Eric Clapton: Life in 12 Bars』がトロント映画祭にて上映された。
2018年1月には自らの聴覚障害や、ギターを弾くのが難しい状態であることを明かしている[6]。
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(2010年)
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(2013年)
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(2014年)
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カナダ・トロント『TIFF 2017』にて(2017年)
日本におけるクラプトン
30年以上コンスタントにワールドツアーを行い、日本公演も多数(2019年春=22回目)。特に日本武道館公演は外国人アーティストとしては最多公演回数91回公演を行った。
日本でのアルバム売り上げは1999年発売のベストアルバム『BEST OF』が200万枚[7]、1992年発売のライブアルバム『アンプラグド』が120万枚[8](全世界では1500万枚)
2000年の日本ツアーは18万人と驚異的な動員数を誇った。
エヴァンゲリオンのキャラクターデザイナー貞本義行のファンであり、自身のアルバムPilgrim(1998)のジャケット制作を依頼している。
日本公演
- 10月22日・23日 フェスティバルホール
- 10月24日 京都会館
- 10月27日 北九州市立総合体育館
- 10月29日 静岡駿府会館
- 1月1日・2日 日本武道館
- 9月26日・10月1日 フェスティバルホール
- 9月27日 岡山県体育館
- 9月29日 京都会館
- 9月30日 名古屋市公会堂
- 10月4日 真駒内アイスアリーナ
- 10月6日・7日 日本武道館
- 11月23日 茨城県立県民文化センター
- 11月25日 名古屋市公会堂
- 11月26日 京都会館
- 11月27日 大阪厚生年金会館
- 11月28日 広島郵便貯金ホール
- 11月30日 新日鐵大谷体育館
- 12月1日 大阪府立体育館
- 12月3日・4日 日本武道館
- 12月6日 道立産業共進会場
- 11月27日 新潟県民会館
- 11月30日 愛知厚生年金会館
- 12月1日 フェスティバルホール
- 12月3日 福岡サンパレス
- 12月4日 京都会館
- 12月7日 日本武道館
- 12月8日 横浜文化体育館
- 12月9日 東京厚生年金会館
- 10月5日・6日 国立代々木競技場第一体育館
- 10月7日 大阪厚生年金会館
- 10月9日 名古屋市民会館
- 10月10日 フェスティバルホール
- 10月11日 福岡サンパレス
- エリック・クラプトン with エルトン・ジョン & マーク・ノップラー
- 10月31日 名古屋レインボーホール
- 11月2日 東京ドーム
- 11月4日 日本武道館
- 11月5日 大阪スタヂアム
- 12月4日・5日・6日 日本武道館
- 12月9日 国立代々木第一体育館
- 12月10日 名古屋レインボーホール
- 12月11日 大阪城ホール
- 12月13日 横浜アリーナ
- ジョージ・ハリスン with エリック・クラプトン and ヒズ・バンド
- 12月1日 横浜アリーナ
- 12月2日・3日・10日・12日 大阪城ホール
- 12月5日 名古屋市国際展示場
- 12月6日 広島サンプラザ
- 12月9日 福岡国際センター
- 12月14日・15日・17日 東京ドーム
- 10月12日・13日・21日・22日・25日・26日・27日・31日 日本武道館
- 10月14日 名古屋レインボーホール
- 10月17日 福岡国際センター
- 10月23日・30日 横浜アリーナ
- 10月1日・3日・5日・6日 国立代々木第一体育館
- 10月8日・9日 大阪城ホール
- 10月11日・12日・13日 日本武道館
- 10月13日・14日・16日・17日・27日・28日・30日・31日 日本武道館
- 10月20日 マリンメッセ福岡
- 10月21日・22日 大阪城ホール
- 10月24日 広島グリーンアリーナ
- 10月25日 名古屋レインボーホール
- 11月9日・19日・20日・22日・26日・27日・29日・30日 日本武道館
- 11月11日 愛知県体育館
- 11月13日 マリンメッセ福岡
- 11月15日・16日・17日 大阪城ホール
- 11月24日 横浜アリーナ
- 11月19日・20日・21日 大阪城ホール
- 11月24日 愛知県体育館
- 11月26日 マリンメッセ福岡
- 11月28日・30日・12月3日・4日・5日・10日・11日 日本武道館
- 12月8日 宮城県総合運動公園総合体育館
- 12月14日・15日 横浜アリーナ
- 11月15日 広島グリーンアリーナ
- 11月17日・19日・20日 大阪城ホール
- 11月22日 名古屋レインボーホール
- 11月24日 さいたまスーパーアリーナ
- 11月26日・27日 横浜アリーナ
- 11月29日・30日・12月2日・3日・9日・10日・12日・13日 日本武道館
- 12月5日 宮城県総合運動公園総合体育館
- 12月7日 札幌ドーム
- 11月11日・12日・14日・15日 大阪城ホール
- 11月17日・18日 名古屋レインボーホール
- 11月20日・21日・23日・24日・29日・30日・12月5日・6日・8日・9日 日本武道館
- 11月26日 札幌ドーム
- 12月2日 さいたまスーパーアリーナ
- 2月12日・13日 大阪城ホール
- 2月15日・18日・19日・24日・25日・27日・28日 日本武道館
- エリック・クラプトン & ジェフ・ベック
- 2月21日・22日 さいたまスーパーアリーナ
- エリック・クラプトン & スティーブ・ウインウッド
- 11月17日 北海きたえーる
- 11月19日 横浜アリーナ
- 11月21日・22日 大阪城ホール
- 11月24日 マリンメッセ福岡
- 11月26日 広島グリーンアリーナ
- 11月28日 いしかわ総合スポーツセンター メインアリーナ
- 11月30日 日本ガイシホール
- 12月2・3日・6・7・10日 日本武道館
- 2月18日・20日・21日・28日 日本武道館
- 2月23日 横浜アリーナ
- 2月25日 愛知県体育館
- 2月26日 大阪城ホール
- ※2月18日公演は、来日公演200回目[9]
- 4月13日・15日・16日・18日・19日 日本武道館[10]
- 4月13日・15日・17日・18日・20日 日本武道館
ディスコグラフィ
愛用・使用ギター
ギターコレクターであり、数百本ものギターをコレクションしたりオークションに出している。それらギターの中でもとりわけ使用頻度の高いものを挙げる。
- フェンダー・テレキャスター
- 主にヤードバーズ時代に使用していた。またサンバーストのテレキャスターをブラインド・フェイスの1969年6月のハイドパーク公演でメインで使用しているのが映像で確認できる[11]。この個体はネックがストラトキャスターのものに変更されている。
- ギブソン・レスポール・スタンダード(サンバースト)
- 1960年製。フレディ・キングの1954年製レスポール・ゴールド・トップに憧れて購入。ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ時代に使用していた。ピックアップのカバーは両方外されている。ピックアップのボビンがフロントはダブルホワイト、リアはダブルブラック。ペグがグローバー。先述のジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ時代のアルバム・「BluesBreakers」でレスポールとマーシャルアンプの組み合わせを確立した。
- ギブソン・ES-335
- クリーム時代に使っていた。1964年製。ブロックポジション・インレイ、グローバー・ペグ仕様。2005年にギブソン・カスタムショップから世界限定250本で復刻された。
- ギブソン・SG
- ストラトキャスターの前にメインとして使っていたエレクトリックギター。サイケデリックペイントが施されておりクリーム時代に使っていた。ドキュメンタリー映画の中で「レスポールモデルと同じネックで新しいギター。」と呼んでいる。
- フェンダー・ストラトキャスター
- 何本か所有しているが、とりわけ以前所有していたカスタマイズド・ストラトキャスターの通称ブラッキー(色はブラック)が有名。[注 5]その後はフェンダーが開発した自身のシグネチャーモデルやニューヨークで活動するアートディレクター、クラッシュが施したグラフィティ・ペイントのストラト(クラッシュキャスター)を使用していたが、2006年のジャパン・ツアーではニューカラーのメタリックグレー(ピューター)のストラトに持ち替えていた。
- なお、フィンガービブラートを主としてトレモロ・アームでのビブラートはしない、またアームプレイはしないためトレモロ・アームを外し、トレモロ・ユニット自体も木のブロックをはめ込んで固定してある。(ジミ・ヘンドリクスのトリビュートアルバムで"Stone Free"を演奏した際には、初めてトレモロ・アームを使用したという)[注 6]。ストラトでは、21フレットネックも22フレットネックも使用する。また、シグネチャーモデルは、ミッドブースター回路が特徴である。
- マーティン・000-28・000-42
- アンプラグドで使用したのがビンテージの000-42である。
- 近年のライブツアーでは、000-28や、自身のオリジナルモデルである000-28ECを主に使っている。マーティンにとっては公式には初めてとなるアーティストモデルのギターでもあった。
- ヘリンボーン・トリムが特徴。
- 000-28ECモデルは何度か発売され、Bellezza Neraという真っ黒と真っ白のモデルまで発売されている。
慈善事業
1993年から1997年まで、薬物・アルコール依存者の治療センター「クラウズ・ハウス」のディレクター、役員を務めた。1994年から1999年まで、ケミカル・ディペンデンシー・センターの役員を務めた。この二つの組織は、2007年にAction on Addictionに統合された。
1998年、カリブ海のアンティグアにクロスロード・センターを設立。薬物とアルコール依存症者の回復を助けるための施設である。この施設への募金を募るために、クロスロード・ギター・フェスティバルを2004年、2007年、2010年、2013年に開催した。
趣味
スポーツカー、その中でもフェラーリのコレクターとして世界的に有名で、2012年にはワンオフモデル(世界に1台の特別注文モデル)の「SP12EC」をフェラーリに発注したことで話題となった。
関連人物
- ロバート・ジョンソン - クラプトンが最も影響を受けた伝説的なブルースマン。初めて彼のレコードを聞いたとき、衝撃を受けたと語っている。
- ジョージ・ハリスン - ビートルズのギタリストで親友。クラプトンと共にキース・リチャーズとも関係が深く、彼のソロ・アルバムの多くに参加。クラプトンが、ビートルズのセッションに参加したのは、彼と仲が良かったため。
- ジョン・レノン - ビートルズのギタリストで中心的人物の一人。ジョンのソロ・プロジェクトであるザ・ダーティー・マックやプラスティック・オノ・バンドに参加し、ライブやレコーディングを残している。
- ピート・タウンゼント - ザ・フーのギタリストで親友。薬物依存症だったクラプトンを支え、復活のためのレインボー・コンサートを企画した。
- パティ・ボイド - ジョージ・ハリスンの元妻。クラプトンの前妻。「いとしのレイラ」は彼女に対する想いを綴ったもの[注 7]。
- ネイザン・イースト - 近年のツアー・ベーシスト
- スティーヴ・ガッド - 近年のツアー・ドラマー
- デイヴィッド・サンシャス - 近年のツアー・キーボーディスト
- ビリー・プレストン - 1969年、ビートルズ最後のライヴに参加し、ジョージ・ハリスンとは友人である。以降は旧友となり、近年のツアー・キーボーディストとなった。
- フィル・コリンズ - 『ビハインド・ザ・サン』をプロデュース。ライブにも参加した。
- ジミ・ヘンドリックス - 彼は「クラプトンに会えるなら」というのを条件にイギリスへ渡ったといわれている。ジミの死の直前までお互いのライブを観に行ったり、親密な関係をもっていた。
- ジミー・ペイジ
- ジェフ・ベック - 元ヤードバーズのギタリストで、バンドを脱退したクラプトンの後釜に収まったものの、たった1年9カ月で脱退した。
- リッチー・サンボラ - クラプトンを敬愛して止まないミュージシャン。リッチーのソロ・アルバムに参加している。
- リッチー・ブラックモア
- ドイル・ブラムホールii世 - 2006年以降、サポート・ギタリストとしてたびたびライブに参加。また、アルバムにもギターで参加した。
- デレク・トラックス - 2006年ライブツアーでスライド・ギターを担当。
- ジャック・ブルース - クリームを参照。
- ジンジャー・ベイカー - クリームを参照。
- アンディ・フェアウェザー・ロウ - 近年のツアー・ギタリスト。
- スティーヴ・ウィンウッド - ブラインド・フェイス以前からの友人で、ライブやレコーディングでも共演。
- B.B.キング - 1998年公開のアメリカ映画『ブルース・ブラザース2000』で共演。2000年には、キングと共に「Riding with the King」を共作している。クラプトンにとって憧れのブルースマンの一人。
- キース・リチャーズ - 半世紀以上に渡っての友人。ローリング・ストーンズのギタリストで中心的人物の一人。ジョージ・ハリスンと共に互いに兄弟と呼ぶ仲でもある。この知己により、ローリング・ストーンズのライヴにたびたびゲスト参加している。また、お互いに幼い息子を亡くすという経験を持っているため、クラプトンのことを気遣い、支えたという。
- 金正哲 - エリック・クラプトンの大ファン。彼がピョンヤンで公演できないかを韓国側に打診するよう要望したとされているが、クラプトン側が「独裁体制で公演した初の有名ミュージシャン」になるのを嫌がり取り消された。
脚注
注釈
- ^ 音数が多い場合でもチョーキング(ベンド)を多用する為指の動きが遅いように見える、こだわるのでチューニング(弦の張り替え)が遅い、の2つの理由から。
- ^ このニックネームの由来については、ヤードバーズ時代のマネージャー、バンドのメンバーであったクリス・ドレヤ、そして本人が複数の説を語っている。 Slowhand: How did Eric get his nickname?
- ^ クラプトンとケリーは娘の誕生について一切公表しておらず、ボイドは1991年までルースの存在を知らなかった
- ^ 現在の所、クラプトンのシングル第1位は、この1曲のみとなっている
- ^ ブラッキーは数本のストラトキャスターの気に入った部分を自分で組み合わせたもの。
- ^ 「フィクストブリッジは好きではない」とのことで、裏面のスプリングの共鳴が彼の音の好みを左右しているものと考えられる。
- ^ 結婚直後にクラプトンは浮気をしている。
出典
- ^ “Gibson Eric Clapton 1960 Les Paul”. Gibson.com. Gibson. 2014年12月30日閲覧。
- ^ クリームの誕生と解散〜ロック史に新たな潮流を生み出したトリオバンドの強烈なグルーヴと不協和音〜 - TAP the POP
- ^ 『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』日本盤CD(WPCR-13545/6)ライナーノーツ(大友博、2009年4月)
- ^ Eric Clapton 2015 Blues Hall Of Fame Inductee THE ERIC CLAPTON FAN CLUB MAGAZINE 2015年2月19日
- ^ エリック・クラプトン、2016年4月に来日公演が決定 - RO69
- ^ “エリック・クラプトン、聴覚障害を告白”. ローリング・ストーン. (2018年1月24日) 2018年1月23日閲覧。
- ^ international news、ワーナーミュージック・ジャパン、2000年5月29日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ エリック・クラプトン 最新アルバム100万枚突破、中日スポーツ、1999年10月15日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ エリック・クラプトン2014年2月来日公演決定! ユニバーサルミュージック公式サイト 2013年10月18日付
- ^ 聖地へ、再び。5夜限定の、武道館公演決定! ワーナーミュージック・ジャパン公式サイト 2015年11月16日付
- ^ Blind Faith『London Hyde Park 1969』(2006、DVD、EAN 0060768842397)
参考文献
- 『エリック・クラプトン自伝』中江昌彦訳 イースト・プレス 2008年 ISBN 978-4872578867
- 大友博『エリック・クラプトン』光文社〈光文社新書〉2011年 ISBN 978-4334036553
外部リンク
- Eric Clapton Portal by Where's Eric! The Eric Clapton Fan Club Magazine
- Eric Clapton FAQ - Eric Clapton Frequently Asked Questions
- Eric Clapton's official website
- 本人によるブログ(ウェブマガジンhoneyee.com内)
- エリック・クラプトン - Discogs
- エリック・クラプトン - Myspace
- New Official Ginger Baker Archive and Drummers forum launched by the Baker family September 2010 with rare Claptopn and Cream unpublished vintage press articles
- ericclapton (@ericclapton) - Instagram
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