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2020年3月17日 (火) 09:20時点における版
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---|---|---|---|---|---|---|
2018年のジェラード | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
スティーヴン・ジョージ・ジェラード Steven George Gerrard | |||||
愛称 | スティーヴィー | |||||
ラテン文字 | Steven GERRARD | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
イギリス ( イングランド) | |||||
生年月日 | 1980年5月30日(44歳) | |||||
出身地 | ウィストン | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1987-1998 | リヴァプール | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2015 | リヴァプール | 504 | (120) | |||
2015-2016 | ロサンゼルス・ギャラクシー | 34 | (5) | |||
通算 | 538 | (125) | ||||
代表歴 | ||||||
1999-2000 | イングランド U-21 | 4 | (1) | |||
2000-2014[1] | イングランド | 114 | (21) | |||
監督歴 | ||||||
2018- | レンジャーズ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
スティーヴン・ジョージ・ジェラード(Steven George Gerrard MBE、1980年5月30日 - )は、イングランド・マージーサイド州ウィストン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代はイングランド代表。ポジションはミッドフィールダーだが、中盤ならどこでもこなせるユーティリティー選手であった。
クラブ来歴
リヴァプールFC
幼少の頃からリヴァプールFCのアカデミー(下部組織)で才能を磨き、1998年にトップチームデビューを飾る。デビュー当初は右サイドバックとしてプレー。その後、ポジションをセンターハーフにコンバートされる。1999年12月5日のシェフィールド・ウェンズデイ戦にて初ゴールを決めた。
2000-01 三冠達成から2003-2004
2000-01シーズンではリヴァプールのレギュラーとして活躍。ウリエ監督の下、UEFAカップ、FAカップ、リーグカップの三冠達成に貢献した。リーグカップの決勝マンチェスターU戦では先制点を決めた[2]。
2002-03シーズン、2003年5月11日のプレミアリーグ最終節チェルシー戦では、勝った方が4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という状況の試合であったにも関わらず試合中に不用意なレッドカードを貰ってしまい、1-2で敗れて5位に終わりチャンピオンズリーグ出場を逃した。
2003-04シーズン途中にサミ・ヒーピアからキャプテンを引き継ぐと秘めたるポテンシャルが一気に開花。同シーズンもチャンピオンズリーグ出場権を争う位置にいたが、シーズン終盤の大活躍によって最終節を待たずして4位を決め、前年の汚名を返上。シーズン後にエースのマイケル・オーウェンがレアル・マドリードへ移籍し、一時はジェラード自身にもチェルシー移籍の話が持ち上がったが、記者会見で残留を明言した。
2004-05 チャンピオンズリーグ優勝から2013-14
2004年末UEFAチャンピオンズリーグにおいて、GLで敗退すればチェルシーへの移籍が決まりかけていたが、GL突破には2点差以上の勝利が義務付けられた最終戦のオリンピアコス戦で、試合終了間際にミドルシュートを決め3-1とし、逆転でチームを決勝トーナメントへ導く。決勝トーナメントでは得点こそなかったものの、存在感を示しチームを決勝戦へと進出させた。決勝のACミラン戦では3-0のビハインドを覆す逆転優勝[3]のきっかけとなるヘディングシュートを決め、その後チームは同点に追いつき、PK戦の末ミランを下し、リヴァプールに5回目となるチャンピオンズカップトロフィーをもたらした。UEFA年間最優秀選手を受賞。また、このシーズン終了時に再びチェルシーへの移籍が報道された。代理人が「交渉は修羅場になった」と発言するほど契約延長交渉は乱れたようだが、これはジェラード本人とクラブ側との些細な思い違いから始まったものであった。正式な会談を持った結果、ジェラードはあっさりとチームへの残留を決めた。
2005-06年シーズンのCL予備予選のザ・ニュー・セインツFC戦第1戦ではハットトリック、2戦でも2得点の活躍を見せた。2005年末には、日本開催のFIFAクラブワールドカップ準決勝サプリサ戦では強烈なボレーシュートでゴールを決めたが[4]、決勝でサンパウロFCに敗れ、リヴァプールは準優勝に終わったが、 2005-06のFAカップ決勝のウェストハム・ユナイテッドFC戦では、同点弾を含む2ゴールを挙げる活躍を見せ、チームにFAカップをもたらした。初のPFA年間最優秀選手賞を受賞。
2006-07シーズンは2年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献したが、決勝では2年前と同じ相手ACミランに敗れ、リベンジを許した。
2008-09シーズン、UEFAチャンピオンズリーグのPSV戦において、自身100ゴール目となるフリーキックを決めた[5]。 2009年3月22日、アストン・ヴィラ戦で、リーグ戦初のハットトリックを達成したように、2008-09シーズンはポジションを少し上げたことにより得点力が増し、自身最高のリーグ16得点をマーク。リーグ得点ランクは、ニコラ・アネルカ、クリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位となり、チーム得点王となった。
2009-10シーズンはチームの不振により、ジェラード自身も度重なるケガに悩まされた。春先になりチームと共に調子を上げたものの及ばず、リヴァプールは7位に終わった。
2011-12シーズンはカーディフを決勝で破り、リーグカップの獲得に貢献した[6]。また3月13日のリーグ戦、エヴァートン戦でハットトリックを達成した[7]。
2013-14シーズン、2013年10月19日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦でPKを決めてプレミアリーグ通算100ゴールを達成した。 2013-14シーズンは13ゴール13アシストを記録[8]。最終的に優勝は逃したが、チャンピオンズリーグ出場権の獲得に貢献。またPFA年間ベストイレブンにも選出された[9]。
2014-15 リヴァプールでのラストシーズン
2015年1月2日、2014-15シーズン終了後にリヴァプールを退団すると発表[10]。翌日にメジャーリーグサッカーのクラブに加入することを明らかにした[11]。
2015年2月4日、FAカップ4回戦のボルトン戦に出場し、イアン・キャラハン、ジェイミー・キャラガーに次いでクラブ史上3人目となる通算700試合出場を達成した[12]。 4月25日のウェスト・ブロム戦でリーグ戦500試合出場を達成[13]。 第35節のQPR、第36節のチェルシー戦で連続ゴールを記録。最終節のストーク戦でも最後のゴールを決めた。
ロサンゼルス・ギャラクシー
2015年1月7日、ロサンゼルス・ギャラクシーに7月から加入することが発表された[14]。ロサンゼルス・ギャラクシーでも背番号は『8』であることも発表された[15]。7月3日、ロサンゼルス・スタブハブ・センターに到着。メディカルチェックを受けた。同年7月7日より公式にLAギャラクシーでの練習を開始し、同日10:00には入団記者会見も開催される[16]。また新天地でのデビューに向けて意気込みを語った[17]。
2016年11月6日、MLS CUPのプレーオフ、コロラド・ラピッツ戦でPKの末チームは敗れ、11月15日、同年シーズンをもってLAギャラクシーを退団することが発表された[18]。2016年11月24日、現役引退を表明した[19]。
代表経歴
2000年5月31日のウクライナとの親善試合で代表デビュー[20]2000年6月UEFA EURO 2000出場。
2001年、日韓ワールドカップ予選のドイツ戦で代表初ゴールを記録。
2002年、日韓ワールドカップは怪我のため落選。
2004年、UEFA EURO 2004出場。スイス戦でゴールを記録。
2006年、ドイツワールドカップ出場、1次リーグ第1戦トリニダード・トバゴ、第3戦スウェーデン戦で得点を挙げる活躍をしたが、準々決勝のポルトガル戦のPK戦ではPKを失敗、イングランドも敗退した。
2010年、南アフリカワールドカップ出場。大会直前の練習で代表主将のリオ・ファーディナンドが負傷離脱したため、副主将であるジェラードが主将を務め[21]、1次リーグ初戦アメリカ戦で先制ゴールを決めた。
2012年、UEFA EURO 2012出場。2012年11月15日のスウェーデン代表との試合で代表キャップ数100を達成した。
2014年、ブラジルワールドカップ出場。2大会連続で主将を務めた。大会後の同年7月に代表引退を表明した[22]。
現役引退後
2017年1月20日、古巣リヴァプールのアカデミーコーチに就任した[23]。2017年4月27日、2017-2018シーズンよりアカデミーのU-18カテゴリーの監督に就任することが発表された[24]。
2018年5月4日、スコットランドのレンジャーズFCの監督に就任することが発表された[25][26]。
エピソード
- 1989年4月15日に発生した、イングランドサッカー史上最悪の事故であるヒルズボロの悲劇の犠牲者のうちの最年少の者(10歳)は、当時9歳であったジェラードの従兄弟である[27]。
- 竜のように力強く空中戦でも強さを見せることから「レッド・ドラゴン」の異名を持つ。
- 2002年W杯で、中盤の選手が足りなかった当時の代表監督スヴェン・ゴラン・エリクソンは「ジェラードが2人いたなら…」と言った。実際は怪我のため本人も出られず、エリクソンは更に苦悩したと言う。
- リヴァプールの元チームメイトであるジェイミー・キャラガーやマイケル・オーウェンとは、リヴァプールのアカデミー時代からの親友である。
- 極度の潔癖症で一日に最低15回は手を洗う[28]。
- 2006年10月21日、髄膜炎をわずらった二女に対し、マンチェスター・ユナイテッドとのノースウェスト・ダービー前夜にもかかわらず寝ずの看病をしていた。
- 2007年10月1日、ジェラードの運転する車に、歩道から飛び出してきた10歳の少年が接触した。小学校の前だったため減速していたが、この事故で少年に左足骨折の大怪我を負わせてしまった。しかし、その後すぐに運転席から飛び出し駆け寄ったジェラードは、少年の手を握り締め救急車が到着するまで付き添うと、警察の事情聴取に応じた後少年の家族と連絡を取り、2日後に病院にお見舞いにいくと約束した。さらに、その少年がマンチェスター・ユナイテッドの大ファンであることを知ると、同チームのエース、ウェイン・ルーニーに頼みサイン入りのスパイクを用意し、自分のサインを書き込んだイングランド代表のユニフォームと一緒にプレゼントした。
- リヴァプールの精神的支柱であり、大黒柱でもあるため、同じくリヴァプールに本拠地を置くエヴァートンFCとのマージーサイド・ダービーは人一倍思い入れが強く、途中交代させられたときは失望の色を隠さなかった。
- フランク・ランパードとはプライベートでも友人同士なのだが、共に招集を受けた代表ではプレースタイルが似通っている為なのか、いざ中盤に並べてみると妙に息が合わなかった。しかし、カペッロ監督の下ではうまく共存しており2010W杯予選突破に貢献した。
- 2008年12月29日午前2時半ごろ、英国北西部のサウスポートで暴行の容疑で逮捕された。本人は否定をし、また、ノースセフトンの治安判事裁判所はジェラードの身体的暴行はなかったとの裁定を下し、結果として暴行容疑は取り下げとなった[29]。
- 2013-14シーズンはSASコンビの大活躍に劣らぬ活躍でプレミアリーグ発足後初の優勝にあと一歩で手が届くところまでチームを導いたが、最終盤のチェルシー戦でジェラードのスリップから決勝点を献上し、2位に転落し優勝を逃した。ジェラードの活躍で届きかけた栄冠が、皮肉にもジェラードのミスで手から滑り落ちていった。
- 2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。ジェラードの年収は1870万ドル(約19億円)であり、世界のアスリートの中で86位。サッカー選手の中では12位[30]。
- 2015年夏にリヴァプールからロサンゼルス・ギャラクシーに移籍し、アメリカでの生活をスタートさせた際に、「まさに今が最高だよ。5分ごとに立ち止まらなくては街中を歩けなかった状態から、ここでは"Z-lister(全くの無名な人、あるいはスターの地位から最も遠い人)"になったよ。良いことだし、気に入っている」と語っていた[31]。
個人成績
所属クラブ | シーズン | リーグ | FAカップ | リーグカップ | UEFA主催 | クラブワールドカップ | コミュニティシールド | UEFAスーパーカップ | 期間通算 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | ||
リヴァプール | 1998-99 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 |
1999-00 | 29 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 31 | 1 | |
2000-01 | 33 | 7 | 4 | 1 | 4 | 0 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 50 | 10 | |
2001-02 | 28 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 45 | 4 | |
2002-03 | 34 | 5 | 2 | 0 | 6 | 2 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 52 | 7 | |
2003-04 | 34 | 4 | 3 | 0 | 2 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 47 | 6 | |
2004-05 | 30 | 7 | 0 | 0 | 3 | 2 | 10 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 43 | 13 | |
2005-06 | 32 | 10 | 6 | 4 | 1 | 1 | 12 | 7 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 51 | 23 | |
2006-07 | 36 | 7 | 1 | 0 | 1 | 1 | 12 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 51 | 11 | |
2007-08 | 34 | 11 | 3 | 3 | 2 | 1 | 13 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 52 | 21 | |
2008-09 | 31 | 16 | 3 | 1 | 0 | 0 | 10 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 44 | 24 | |
2009-10 | 33 | 9 | 2 | 1 | 1 | 0 | 13 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 43 | 12 | |
2010-11 | 21 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 24 | 8 | |
2011-12 | 18 | 5 | 6 | 2 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 28 | 9 | |
2012-13 | 36 | 9 | 1 | 0 | 1 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 46 | 10 | |
2013-14 | 34 | 13 | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 39 | 14 | |
2014-15 | 29 | 9 | 3 | 2 | 3 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 41 | 13 | |
成績 | 504 | 120 | 41 | 15 | 30 | 9 | 130 | 41 | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 710 | 186 | |
ロサンゼルス・ギャラクシー | 2015 | 13 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 2 | ||||||
2016 | 21 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 23 | 3 | |
成績 | 34 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 38 | 5 | |||||||
通算成績 | 538 | 125 | 43 | 15 | 30 | 9 | 132 | 41 | 748 | 191 |
代表
イングランド代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2000 | 2 | 0 |
2001 | 6 | 1 |
2002 | 5 | 1 |
2003 | 8 | 1 |
2004 | 10 | 2 |
2005 | 8 | 1 |
2006 | 13 | 4 |
2007 | 11 | 2 |
2008 | 7 | 2 |
2009 | 7 | 2 |
2010 | 12 | 3 |
2012 | 11 | 0 |
2013 | 8 | 2 |
2014 | 6 | 0 |
通算 | 114 | 21 |
代表でのゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2001年9月1日 | ミュンヘン、オリンピアシュタディオン | ドイツ | 1-2 | 1-5 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
2. | 2002年10月6日 | サウサンプトン、セント・メリーズ・スタジアム | 北マケドニア | 2-2 | 2-2 | UEFA EURO 2004予選 |
3. | 2003年6月3日 | レスター、ウォーカーズ・スタジアム | セルビア・モンテネグロ | 1-0 | 2-1 | 親善試合 |
4. | 2004年6月7日 | コインブラ、エスタディオ・シダーデ・デ・コインブラ | スイス | 3-0 | 3-0 | UEFA EURO 2004 |
5. | 2004年9月4日 | ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン | オーストリア | 0-2 | 2-2 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
6. | 2005年3月30日 | ニューカッスル、セント・ジェームズ・パーク | アゼルバイジャン | 1-0 | 2-0 | |
7. | 2006年5月30日 | マンチェスター、オールド・トラッフォード | ハンガリー | 1-0 | 3-1 | 親善試合 |
8. | 2006年6月15日 | ニュルンベルク、フランケンシュタディオン | トリニダード・トバゴ | 2-0 | 2-0 | 2006 FIFAワールドカップ |
9. | 2006年6月20日 | ケルン、FIFA WM-シュタディオン・ケルン | スウェーデン | 1-2 | 2-2 | |
10. | 2006年9月2日 | マンチェスター、オールド・トラッフォード | アンドラ | 2-0 | 5-0 | UEFA EURO 2008予選 |
11. | 2007年3月28日 | バルセロナ、エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス | アンドラ | 0-1 | 0-3 | |
12. | 0-2 | |||||
13. | 2008年5月28日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | アメリカ合衆国 | 2-0 | 2-0 | 親善試合 |
14. | 2008年10月15日 | ミンスク、ディナモ・スタジアム | ベラルーシ | 0-1 | 1-3 | 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
15. | 2009年9月9日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | クロアチア | 2-0 | 5-1 | |
16. | 4-0 | |||||
17. | 2010年6月12日 | ルステンブルク、ロイヤル・バフォケン・スタジアム | アメリカ合衆国 | 1-0 | 1-1 | 2010 FIFAワールドカップ |
18. | 2010年8月11日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | ハンガリー | 1-1 | 2-1 | 親善試合 |
19. | 2-1 | |||||
20. | 2013年9月6日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | モルドバ | 1-0 | 4-0 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
21. | 2013年10月15日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | ポーランド | 2-0 | 2-0 |
記録
マージーサイド・ダービー通算10得点
受賞・獲得タイトル
クラブ
- リヴァプール
- FAカップ:2000-01, 2005-06
- フットボールリーグカップ:2000-01, 2002-03, 2011-12
- FAコミュニティ・シールド:2006
- UEFAチャンピオンズリーグ:2004-05
- UEFAカップ:2000-01
- UEFAスーパーカップ:2001
個人
- PFA年間最優秀若手選手賞:1回 (2001)
- UEFA年間最優秀選手:1回 (2004-05)
- PFA年間最優秀選手賞:1回 (2005-06)
- FWA年間最優秀選手賞:1回 (2009)
- PFA年間ベストイレブン:8回 (2000-01, 2003-04, 2004-05, 2005-06, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2013-14)
- イングランド年間最優秀選手:2回(2007, 2012)
- FIFAクラブワールドカップ シルバーボール:1回(2005)
- FIFA FIFPro World XI:3回(2007, 2008, 2009)
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:3回(2005, 2006, 2007)
- UEFA欧州選手権チーム・オブ・ザ・トーナメント:1回(2012)
- プレミアリーグ月間最優秀選手:6回(2001年3月、2003年3月、2004年12月、2006年4月、2009年3月、2014年3月)
- イングランドサッカー殿堂:2017年
勲章
- 大英帝国勲章・MBE
指導歴
- リヴァプール
- 2017年2月 - 6月、アカデミーコーチ
- 2017年7月 - 2018年 U-18監督
- レンジャーズFC
- 2018年6月 - 監督
関連情報
著書
- 小林玲子 訳『君はひとりじゃない スティーヴン・ジェラード自伝』東邦出版、2016年4月。ISBN 978-4-8094-1387-2 。
脚注
- ^ “Steven George Gerrard - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “Liverpool lift Worthington Cup”. BBC. (2 March 2003) 22 April 2017閲覧。
- ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝を参照
- ^ [1]-日本を沸かした世界基準のゴール〜ゴール編〜超ワールドサッカー
- ^ Steven Gerrard 100th Goal Freekick - YouTube
- ^ “Kenny Dalglish won the first silverware of his second spell as Liverpool manager after his side came through a compelling Carling Cup final to beat Cardiff City on penalties.”. BBC. (25 Feb 2012) 22 April 2017閲覧。
- ^ “Steven Gerrard's hat-trick ensured there was no happy 10th anniversary for Everton manager David Moyes as Liverpool eased to a comfortable victory in the Merseyside derby at Anfield.”. BBC. (11 Mar 2012) 22 April 2017閲覧。
- ^ 13アシストはリーグ最多
- ^ “PFA award: Liverpool's Suarez, Gerrard & Sturridge on shortlist”. BBC. (21 April 2014) 22 April 2017閲覧。
- ^ LFC statement on Steven Gerrard リヴァプールFC 2015年1月2日
- ^ ジェラード、今夏の移籍先はアメリカと表明 Goal 2015年1月3日
- ^ “Steven Gerrard makes 700th appearance for Liverpool in FA Cup tie against Bolton”. dailymail. (Feeb 4 2015)
- ^ “Steven Gerrard made his 500th appearance for the club, only Ryan Giggs (632) and Jamie Carragher (508) have made more than 500.”. BBC. (25 Feb 2015) 22 April 2017閲覧。
- ^ ギャラクシー、ジェラード加入を正式発表 Goal 2015年1月8日
- ^ 今季限りでリヴァプール退団のジェラード、新天地での背番号は「8」soccerking 2015年2月6日
- ^ ジェラード、LAギャラクシーでのシーズンがスタート。7日に記者会見footballchannel 2015年7月4日
- ^ 新天地でのデビューへ意気込むジェラード「僕はチームプレーヤー」soccerking 2015年7月4日
- ^ “ジェラード、今季限りでロサンゼルス退団「次はじっくり考える」”. スポニチアネックス. (2016年11月16日) 2016年11月16日閲覧。
- ^ “ミスター・リバプール 元イングランド代表ジェラードが引退表明”. スポニチアネックス. (2016年11月25日) 2016年11月25日閲覧。
- ^ “Victorious farewell for England”. BBC. (31 May 2000) 22 April 2017閲覧。
- ^ 主将の重責を担うジェラード Goal.com 2010年6月5日
- ^ ジェラード、イングランド代表引退を表明 Goal.com 2014年7月22日
- ^ “Steven Gerrard: Liverpool to hire former captain as youth coach”. BBC. (20 Jan 2017) 22 April 2017閲覧。
- ^ ”ジェラード監督”誕生、来季からリヴァプールU-18を指揮「次のステップに進む」 SoccerKING 2017年4月28日
- ^ “Steven Gerrard Confirmed As Manager - Rangers Football Club, Official Website” (英語). Rangers Football Club, Official Website. (2018年5月4日) 2018年6月4日閲覧。
- ^ “ジェラード氏、レンジャーズ監督就任が決定…今夏から2022年までの4年契約を締結”. (2018年5月5日) 2018年6月4日閲覧。
- ^ ジェラード「ヒルズボロの傷は決して癒えない」
- ^ DVD "スティーヴン・ジェラード 伝説への飛翔"より
- ^ “ジェラード、暴行罪の起訴が取り下げに”. AFP. (2009年3月21日) 2011年3月7日閲覧。
- ^ The World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。
- ^ アメリカ移籍で“良いパパ”になったジェラード「まさに今が最高」soccerking 2015年9月9日
関連項目
外部リンク
- Steven Gerrard GoalVideoz.com
- Liverpool FC profile
- Steven Gerrard – FIFA competition record
- イングランドのサッカー選手
- サッカーイングランド代表選手
- イングランドのサッカー指導者
- リヴァプールFCの選手
- ロサンゼルス・ギャラクシーの選手
- UEFA欧州選手権イングランド代表選手
- UEFA EURO 2000出場選手
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- FIFAワールドカップイングランド代表選手
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