「立売堀」の版間の差分
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=== 道路 === |
2020年3月23日 (月) 14:10時点における版
立売堀 | |
---|---|
北緯34度40分45.24秒 東経135度29分21.28秒 / 北緯34.6792333度 東経135.4892444度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 大阪市 |
区 | 西区 |
面積 | |
• 合計 | 0.348635893 km2 |
人口 | |
• 合計 | 7,563人 |
• 密度 | 22,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
550-0012[3] |
市外局番 | 06(大阪MA)[4] |
ナンバープレート | なにわ |
立売堀(いたちぼり)は、大阪府大阪市西区の町名。現行行政地名は立売堀一丁目から立売堀六丁目。
地理
大阪市西区東部に位置する。北で阿波座、東で北久宝寺町・南久宝寺町、南で新町、西で本田及び西の橋梁上の一点で川口、北西で江之子島・西本町と隣接する。阪神高速1号環状線信濃橋出入口付近から淀川の支流の木津川にある大渉橋付近までにあたる。
三丁目は阿波座地区西部、四丁目・五丁目・六丁目東部は薩摩堀地区、六丁目西部は江之子島地区南部を含んでいる。
歴史
江戸時代から地域の南部に立売堀川、北西部に薩摩堀川、西端部に百間堀川が流れていたが、昭和中期に埋め立てられた。江戸時代から材木の集散地として栄え、大正以降は金属や機械などの問屋街が形成されている。
地名の由来
『摂津名所図会大成』によると、大坂冬の陣・夏の陣で伊達氏がこの付近に堀をつくり陣地を構えていたこと、その跡を掘り足して川としたことからはじめは伊達堀(だてぼり)と呼んでいたが、そのうち「いたちぼり」と呼ばれるようになった。後に材木の立売りが許されるようになったので漢字のみ「立売堀」と改められた、とのことである[5][注 1]。
町名の変遷
江戸時代の町名は三右衛門町(さんえもんちょう)・中橋町・船坂町・薩摩堀中筋町・薩摩堀東之町・納屋町(なやまち)・百間町(ひゃっけんまち)・吉田町・西国町・立売堀一から四丁目・孫左衛門町・助右衛門町・立売堀中之町・立売堀西之町となっていた。
1872年(明治5年)に阿波座三番町・阿波座四番町・薩摩堀北之町・薩摩堀東之町・薩摩堀南之町・薩摩堀裏町(もと納屋町)・薩摩堀西之町(もと百間町)・立売堀裏町(もと吉田町・西国町)・立売堀北通一から六丁目・立売堀南通一から六丁目となった。1924年(大正15年)に薩摩堀裏町が島津町に、立売堀裏町が立売堀北通七丁目に変更。1960年(昭和35年)に阿波座三番町の西半・阿波座四番町・薩摩堀の五町が立売堀上通一から三丁目となり、立売堀北通・立売堀南通も再編の上どちらも一から六丁目となった。1978年(昭和53年)に立売堀上通・立売堀北通・立売堀南通および江之子島東之町・江之子島西之町の各中央大通以南を統合して住居表示を実施。
世帯数と人口
2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
立売堀一丁目 | 842世帯 | 1,229人 |
立売堀二丁目 | 231世帯 | 329人 |
立売堀三丁目 | 813世帯 | 1,337人 |
立売堀四丁目 | 1,038世帯 | 1,505人 |
立売堀五丁目 | 665世帯 | 1,122人 |
立売堀六丁目 | 1,215世帯 | 2,041人 |
計 | 4,804世帯 | 7,563人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 3,575人 | [6] | |
2000年(平成12年) | 3,985人 | [7] | |
2005年(平成17年) | 5,006人 | [8] | |
2010年(平成22年) | 6,039人 | [9] | |
2015年(平成27年) | 6,374人 | [10] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 1,349世帯 | [6] | |
2000年(平成12年) | 1,742世帯 | [7] | |
2005年(平成17年) | 2,975世帯 | [8] | |
2010年(平成22年) | 3,358世帯 | [9] | |
2015年(平成27年) | 3,649世帯 | [10] |
施設
交通
鉄道
道路
立売堀が舞台の作品
その他
日本郵便
脚注
注釈
出典
- ^ “大阪府大阪市西区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月20日閲覧。
- ^ a b “住民基本台帳人口・外国人人口”. 大阪市 (2019年7月26日). 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “立売堀の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 『大阪の橋』273ページ
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
参考文献
- 松村博著『大阪の橋』(松籟社)ISBN 9784879840820