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* 御堂筋を縦貫するバスとして[[大阪シティバス]][[大阪シティバス中津営業所#8号系統|8号系統]]<ref>1994年の運行開始当初は3A・3B号系統、2002年1月に3A号系統を103号系統に改称(3B号系統は3A号系統に統合する形で廃止)し、2014年4月以降は8号系統。</ref>がある。 |
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*:その他、南行一部区間のみであるが大阪駅前から[[大阪シティバス中津営業所#53号系統|53号系統]]([[船津橋]]行)・[[大阪シティバス住吉営業所#62号系統|62号系統]]([[大阪シティバス住吉営業所|住吉車庫前]]行)・[[大阪シティバス鶴町営業所#75号系統|75号系統]]([[大阪シティバス鶴町営業所|鶴町四丁目]]行)・[[大阪シティバス鶴町営業所#88号系統|88号系統]]([[天保山]]行)が経由する。75号系統は御堂筋上に停留所なしで梅田新道交差点を右折、88号系統は梅田新道のみ停車(大江橋は通過)で淀屋橋交差点を右折。53号系統は大江橋南詰交差点で右折、62号系統は淀屋橋交差点で左折する。8号系統を含め大阪駅方向は[[四つ橋筋]]経由となる。新橋交差点(心斎橋駅)以南で[[大阪シティバス酉島営業所#84号系統|84号系統]]・[[大阪シティバス住吉営業所#85号系統|85号系統]](いずれもなんば行)が通る。こちらもなんば発は四つ橋筋経由となる。 |
*:その他、南行一部区間のみであるが大阪駅前から[[大阪シティバス中津営業所#53号系統|53号系統]]([[船津橋]]行)・[[大阪シティバス住吉営業所#62号系統|62号系統]]([[大阪シティバス住吉営業所|住吉車庫前]]行)・[[大阪シティバス鶴町営業所#75号系統|75号系統]]([[大阪シティバス鶴町営業所|鶴町四丁目]]行)・[[大阪シティバス鶴町営業所#88号系統|88号系統]]([[天保山]]行)が経由する。75号系統は御堂筋上に停留所なしで梅田新道交差点を右折、88号系統は梅田新道のみ停車(大江橋は通過)で淀屋橋交差点を右折。53号系統は大江橋南詰交差点で右折、62号系統は淀屋橋交差点で左折する。8号系統を含め大阪駅方向は[[四つ橋筋]]経由となる。新橋交差点(心斎橋駅)以南で[[大阪シティバス酉島営業所#84号系統|84号系統]]・[[大阪シティバス住吉営業所#85号系統|85号系統]](いずれもなんば行)が通る。こちらもなんば発は四つ橋筋経由となる。 |
2020年3月23日 (月) 17:31時点における版
御堂筋(みどうすじ)は、大阪府大阪市の中心部を南北に縦断する街路。国道25号および国道176号の各一部に指定されている。現代の大阪市における南北幹線の基軸である。
概要
名称は北御堂(西本願寺津村別院)と南御堂(東本願寺難波別院)の2つの寺院が沿道にあることに由来する[1]。
大阪市の北方の玄関口梅田と南方の玄関口難波を船場・島之内経由で結ぶ、全長4,027メートル (m)、幅43.6メートル(24間)、全6車線の幹線道路で、日本の道100選のひとつ[2]。交通量が増加したため1970年(昭和45年)、大阪万博の開催を機に国道1号・国道2号と交差する梅田新道交差点より南の全車線が南行きの一方通行となる[1]。平日の昼12時間の交通量は、自動車28,000 - 38,000台、歩行者10,000 - 26,000人となっている[3]。
沿道は銀行や企業の本支店が集中するビジネスの中枢で[1]、両側には約970本のイチョウが植えられている[2]。読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつにも選定されており[4]、大阪市のシンボルとなっている[1]。11月中旬から12月末まで全区間が御堂筋イルミネーションとして木々がLED電球で彩られる。
毎年10月には、1983年から2007年まで御堂筋パレードが開催されていたが、代替イベントとして2008年から2013年まで御堂筋kappo、2014年は御堂筋ジョイふるが開催された。2015年からは御堂筋オータムパーティーが開催されている。
最高速度は平日午前8時~夜間20時が50 km/h、休日と平日の午後20時~ 翌朝の8時が60 km/hである[5]。
大阪国際女子マラソンや大阪マラソンなど、大規模なマラソン大会でのコースとして使用されることがある。
路線データ
- 起点: 阪神前交点(北区)
- 終点: 難波西口交点(中央区)
- 主な経由地:
- 路線延長: 4,027 m
- 幅員: 43.6 m(6車線)[1]。
- 路線番号
- 指定区間: なし(梅田新道 - 難波西口は2012年4月1日に指定解除)
歴史
中世から江戸時代
記録上、御堂筋では無く大坂御堂筋と名が初めて現れるのは1615年(元和元年)、大坂夏の陣の豊臣方残党の追討などを記録した徳島藩の「大坂濫妨人落人改之帳」の中で、捕らえられた男女のうち、男1人の居場所として「大坂御堂筋」と記されているのが最初であるが、本来、名前は御堂筋であり大坂御堂筋では無い。
江戸時代以来、正式に御堂筋と呼ばれた区間は船場のうち淡路町通以南に過ぎず、淡路町通以北は淀屋橋筋と呼ばれていた。これは、淀屋橋から南下した淀屋橋筋が淡路町通で終わり、西へ少しずれて御堂筋が始まるため、別の道路とみなされていたことによる。淀屋橋筋は淀屋橋(土佐堀川)を渡って中之島へ出ることができ、現在のように一本道ではないが大江橋(堂島川)と蜆橋(曽根崎川)を渡って曾根崎新地へ出ることもできた。一方の御堂筋は長堀川への架橋はなく島之内へ出ることができず、堺筋・心斎橋筋などと比べて見劣りのする、人通りの少ない道であった。
都市計画街路の完成
大阪 - 神戸間を結んでいた蒸気機関車は、1889年(明治22年)には東京(新橋駅)まで結ばれるようになり、大阪駅は次第に大阪の玄関口として重要視されるようになった[2]。1908年(明治41年)には現在の四つ橋筋が梅田 - 難波間を結ぶ最初の南北幹線(道頓堀川以南の経路は現在と異なる)として竣工したものの、下船場・堀江経由となり、基本的に大阪市電のために敷設された道路で、幅員も狭かった。かつては道幅6 mの一般的な道路であったが[1]、船場・島之内を経由する南北交通路の必要が叫ばれるようになったことから、1919年(大正8年)に第6代大阪市長であった池上四郎は、梅田 - 難波間の梅田新道・淀屋橋筋・御堂筋を第一次都市計画事業の都市計画街路第1号線として、延長4 km、幅員44 m(24間)へ拡幅する事業計画を発表した[2]。
その後、東京高商(現一橋大学)教授を経て、1923年(大正12年)に大阪市助役から池上の後任として第7代大阪市長に就任した都市計画学者・關一は、この計画を池上から引き継ぐとともに、将来を考えた都市政策を着々と進め、都市計画により、1926年(大正15年)から地下鉄御堂筋線建設と合わせて総工費約3,375万円をかけて24間幅へ拡幅する工事が行われた[2]。
梅田新道が母体となる淀屋橋交差点以北は、1911年(明治44年)の大阪市電敷設の際に12間幅に拡幅されていたこともあって、大江橋北詰交差点以北の拡幅工事は1927年(昭和2年)に早々と竣工。大江橋以北の街路樹はプラタナスで、淀屋橋交差点以北には大阪市電の軌道も残された。
一方、淀屋橋交差点以南は近世依然の3.3間幅からの拡幅工事となり、用地買収に時間がかかって1929年(昭和4年)にようやく着工し[注釈 1]、1937年(昭和12年)5月11日に竣工[2]。地下には電線を埋設し、大阪市初の市営地下鉄御堂筋線も開通して[1]、大江橋と淀屋橋は現在の橋に架け替えられ、新橋(長堀川)と道頓堀橋(道頓堀川)が初めて架橋された。淀屋橋以南の街路樹はイチョウで、軌道がない一直線の目抜き通りとなった。そして、以前の淡路町通の屈折も無くなり、梅田新道・淀屋橋筋を合わせて全線御堂筋となった。
竣工後から現代まで
このように、竣工当初は中之島の南北で趣が相当異なっていたが、後年になって大阪市電は廃止され、大江橋以北のプラタナスもイチョウに植え替えられた。なお、大江橋以北にはイチョウとは別にクスノキも植えられている。
御堂筋周辺の建物は、1920年(大正9年)12月1日施行の市街地建築物法に基く百尺規制によりその高さが揃っている。1969年の建築基準法改正で規制が容積制になったため、以降は大阪市が高さを指導してきた。1995年から御堂筋に面する外壁の高さが50 m、10 m後方部分が60 mと指導される。2007年(平成19年)2月から一部の地区で1階を公共の空間とするのを条件に、後方部分の高さ制限が140 mに緩和されている。
1970年(昭和45年)より梅田新道交差点以南で南行き一方通行を実施。2006年(平成18年)6月の改正道路交通法により導入された民間駐車監視員制度・放置違反金制度で、全線が最重要路線に指定された結果、沿線の放置車両が劇的に減少した。また大阪市が2007年(平成19年)4月に路上喫煙禁止条例を施行したのに伴い、7月に過料1,000円を徴収する喫煙禁止区域に御堂筋の車道と歩道が指定されることが正式決定され、10月より施行された。
2012年(平成24年)4月1日、国道25号(国道25号と国道165号との重複区間)の梅田新道 - 難波西口間約3.7 kmが指定区間から除外され、国土交通省から大阪市に移管された[6][7]。
2018年(平成30年)3月30日、大阪市も参画する『御堂筋完成80周年記念事業推進委員会』は、2037年までに淀屋橋 - 難波間約3キロメートルを完全歩道化を目指す提言案をとりまとめた。計画では、2020年、2025年を節目として側道の廃止や渋滞への影響調査をしながら段階的に歩道化範囲を拡大していく見込み[8][9][10]。
路線状況
道幅が43.6メートルと幅広で、全線が南行きの一方通行であり、日本の道路としては他では見られない特徴となっている[1]。 街路樹は、イチョウ・クスノキのほかにケヤキ、プラタナスがある[2]。地下空間には、地下道や地下鉄が走る。淀屋橋から長堀通り(本町)までの区間の歩道脇に、著名彫刻家のブロンズ像が建つ。旧淀川(堂島川・土佐堀川)には、全国橋梁設計公募1等の作品によってつくられた大江橋、淀屋橋が架かる[2]。
道路施設
交通量
調査地点 | 平日昼間 | 休日昼間 | 平日24時間 | 休日24時間 |
---|---|---|---|---|
瓦町 | 37,623 | 25,199 | 55,615 | 38,642 |
周防町 | 27,415 | 22,339 | 40,574 | 34,179 |
新歌舞伎座前 | 22,254 | 19,923 | 32,936 | 30,482 |
※調査日: 2005/10/16(休日)、2005/10/19(平日)[11] ※昼間は7時から19時 |
公共交通機関
- 地下には Osaka Metro御堂筋線が通る。
- 御堂筋を縦貫するバスとして大阪シティバス8号系統[12]がある。
地理
沿道の中之島に大阪市庁舎と、日本銀行大阪支店があり、淀屋橋から本町にかけて、高さ31mに統一したビル群が立ち並ぶビジネス街となっている[2]。
交差する道路
交差する道路 西← 御堂筋 →東 |
交差点 | |||
---|---|---|---|---|
(東側起点) 都島通 市道大阪環状線 (天六方面) | ||||
扇町通 市道大阪環状線 |
扇町通 市道扇町公園南通線 |
阪急前 | 北 区 | |
(西側起点) 国道176号 (十三方面) | ||||
市道南北線 | 扇町通 [13] 市道大阪環状線 |
阪神前 | 北 区 | |
曽根崎通 国道2号 |
曽根崎通 国道1号 (重複:国道163号) |
梅田新道 | ||
— | 新御堂筋 国道423号 |
梅新南 | ||
中之島通 | 大江橋南詰 | |||
土佐堀通 市道江戸堀線 |
土佐堀通 府道168号石切大阪線 |
淀屋橋 | 中 央 区 | |
本町通 国道172号 |
本町通 市道本町左専道線 |
本町3 | ||
中央大通 市道築港深江線 |
船場中央3 久太郎町3 | |||
長堀通 府道173号大阪八尾線 |
長堀通 国道308号 (重複:府道173号) |
新橋 | ||
千日前通 市道難波境川線 |
千日前通 府道702号大阪枚岡奈良線 |
難波 | ||
国道25号 (重複:国道26号・165号、大国方面) |
沿線
- 北区
- 日本銀行大阪支店旧館(設計:辰野金吾、葛西万司、長野宇平治)
- 淀屋橋(設計:大谷龍雄(原案)、武田五一・元良勲)
- 中央区
地域
- キタ:阪神前(梅田駅・阪神百貨店梅田本店・阪急百貨店うめだ本店)→梅田新道(梅新)→梅新南(北新地)→
- 堂島・中之島:大江橋北詰→大阪市役所・日銀大阪支店→淀屋橋北詰→
- 船場:淀屋橋(南詰)→道修町→本町(北御堂)→船場中央(船場センタービル 9・10号館)0→南御堂→南船場→新橋→
- ミナミ:大丸前(大丸心斎橋店)→道頓堀橋南詰(道頓堀)→難波(大阪難波駅)→難波西口(南海難波駅・高島屋大阪店)
御堂筋を舞台とする歌曲
- 雨の御堂筋 - 欧陽菲菲のデビュー曲。御堂筋を舞台に、本町・梅田新道・心斎橋などの地名も登場する[14]。
- 梅田からナンバまで - 上田正樹と有山淳司
- 大阪エレジー - シャ乱Q
- 大阪LOVER - DREAMS COME TRUE
- 大阪ラプソディー - 海原千里・万里
- 大阪ロマネスク - 関ジャニ∞
- 銀杏並木 - デューク・エイセス(にほんのうた「大阪」)
- 恋する御堂筋 - 江本孟紀・入江マチ子
- たそがれの御堂筋 - 坂本スミ子
- 御堂筋PLANET - 矢井田瞳(2006年)
- 御堂筋BLUE - 松本孝弘
- 御堂筋を歩こう - ssllee(スリー)[15]
- 夜霧のハウスマヌカン - やや
- 42.195km - コブクロ
その他
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 「御堂筋」とつく銀行支店は以下である
- 1959年に南海ホークスが日本一を達成した時に御堂筋でパレードを行ったが、その時の見物客は40万人といわれている。また、2003年11月3日に阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝した時の優勝パレードの動員数も、雨にもかかわらず40万人に達した(同日午後に開催された神戸では25万人)。その2年後の2005年11月6日に行われた阪神タイガースの優勝パレードの動員数は18万人だった。
- 2006年9月3日から9日、大阪フィルハーモニー交響楽団の大植英次音楽監督のプロデュースにより、大阪フィルハーモニー協会と大阪市の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演が展開された。期間中、御堂筋沿線の18の会場において、大阪フィルハーモニー交響楽団の団員による室内楽など計50公演が行われた。大植音楽監督によれば、1つのオーケストラの団員が1週間にわたって「街に出て」公演を行うというのは「僕の知る限りおそらく世界の都市で初めての試み」。大阪を象徴する御堂筋で、1週間にわたってクラシック音楽の本格的な公演が行われたことは、しばしば叫ばれている「大阪市の都市格向上」にも大いに貢献した。大阪クラシックは、2009年現在、その後も毎年開催され、晩夏の大阪の文化イベントとして定着している。
- 島之内では、交差する道路名(旧町名)と併せた、いわゆる京都方式の交差点名が見られるが、「御堂筋大丸前」は例外である。原則に従えば「御堂筋大宝寺町」となるところだが、大丸とそごうという老舗百貨店が位置していたことから「大丸そごう前」だった。そごうの閉店と大丸への売却に伴い、2009年10月に現在の交差点名に変更されている。なお、当地の大丸は御堂筋竣工以前から心斎橋筋に面して位置していることから心斎橋店である。
- 2011年7月に、御堂筋沿いに設置されたブロンズの彫刻像のうち19体に、赤い服のようなものが着せ掛けられているのが見付かった。当初は悪質な悪戯と見られていたが[16]、彫刻の損壊が無く、また、サイズも相当に上手くフィットしていたため、アートセンスを評価する意見が多くなっている[17]。
- 2018年10月に日本列島に上陸した台風21号の影響により、御堂筋の972本のイチョウのうち81本が、倒木したり幹が折れるなどの被害を受けた。これを受け御堂筋の西隣の街路四つ橋筋に本社を置くサントリーホールディングスが、イチョウの調達や植樹などイチョウ並木の再生に向け、大阪市に対し5,000万円の寄付を行った。植え替えの作業は、大阪で開催されるG20首脳会議開催に向けたスケジュールで行われ、2019年6月までに28本が整備されている[18][19]。
ギャラリー
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阪神前・阪急前のロータリー北に位置する梅田阪急ビル
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起点から望む
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大阪市道路元標
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梅田新道交差点東南角のフェニックスタワー
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北浜3交差点、日本生命本社ビル前
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本町3交差点
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新橋交差点
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大丸心斎橋店本館・南館
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道頓堀橋北詰交差点
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難波交差点
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御堂筋イルミネーション(2019年)
脚注
注釈
- ^ 当時としてはあまりにも幅がありすぎる道路形成になったため、一部から「街の真ん中に飛行場でも作る気か?」などと言われた。しかし、こういう意見に対し關一は「将来必ず役に立つことだから」と、工事を断行し、そのような意見には耳を貸さなかった。また、工事の莫大な費用を賄うため受益者負担金制度をとり、周辺住民・商店との摩擦もあった。
出典
- ^ a b c d e f g h ロム・インターナショナル編 2005, pp. 21-22
- ^ a b c d e f g h i 「日本の道100選」研究会 2002, pp. 132–133.
- ^ 御堂筋の交通量の情報 (大阪国道事務所)
- ^ 浅井建爾『道と路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2001年11月10日、127頁。ISBN 4-534-03315-X。
- ^ 大阪国道事務所 御堂筋の規制速度
- ^ “一般国道の指定区間を指定する政令の一部を改正する政令について”. 国土交通省 (2012年3月16日). 2012年3月22日閲覧。
- ^ “御堂筋の国から大阪市への移管に向けた協議状況について”. 大阪市 (2011年11月21日). 2012年3月22日閲覧。
- ^ “大阪・御堂筋:完全歩道化へ 37年の100周年向け - 毎日新聞” (日本語). 毎日新聞 2018年4月2日閲覧。
- ^ 「大阪の中心・御堂筋「車道なくし全て歩道化」案」『YOMIURI ONLINE(読売新聞)』2018年3月31日。2018年4月2日閲覧。
- ^ “大阪・御堂筋:歩道化 側道閉鎖、来年度実験 渋滞・荷さばき影響調査 - 毎日新聞” (日本語). 毎日新聞 2018年4月2日閲覧。
- ^ 大阪市内の道路の交通量について 大阪市
- ^ 1994年の運行開始当初は3A・3B号系統、2002年1月に3A号系統を103号系統に改称(3B号系統は3A号系統に統合する形で廃止)し、2014年4月以降は8号系統。
- ^ 御堂筋からは右折禁止のため、進入は不可。
- ^ 佐藤健太郎 2014, p. 237、「昭和歌謡に見る国道」より。
- ^ ssllee
- ^ “アート集団いたずら?彫刻19体に真っ赤なドレス 御堂筋”. 産経新聞 (2011年7月26日). 2011年7月26日閲覧。
- ^ “いたずら転じて「御堂筋コレクション」? 大阪・赤いミステリーの顛末”. 産経新聞 (2011年7月26日). 2011年7月26日閲覧。
- ^ 台風21号で御堂筋のイチョウ並木被害…復旧支援でサントリーが5千万円相当の寄付 産経新聞 2018年10月5日
- ^ “御堂筋のイチョウ並木が復活”. 朝日新聞DIGITAL (2019年6月12日). 2019年6月12日閲覧。
参考文献
- 神戸大学附属図書館 戦前期新聞記事文庫
- 大阪市の交通難 いたるところに親不知の難所(大阪毎日新聞 1927.6.28(昭和2))
- 大阪市高速度鉄道愈々今月から起工(大阪毎日新聞 1930.3.1(昭和5))
- デパートと地下鉄の紛糾オッぱじまる(大阪朝日新聞 1933.10.2(昭和8))
- 佐藤健太郎『ふしぎな国道』講談社〈講談社現代新書〉、2014年10月20日。ISBN 978-4-06-288282-8。
- 「日本の道100選」研究会 著、国土交通省道路局(監修) 編『日本の道100選〈新版〉』ぎょうせい、2002年6月20日。ISBN 4-324-06810-0。
- ロム・インターナショナル(編)『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日、21-22頁。ISBN 4-309-49566-4。