「南大沢駅」の版間の差分
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[[1988年]](昭和63年)[[5月21日]]に南大沢駅は開業した。しかし、駅開設直後は駅周辺には何もない[[宅地#更地|更地]]ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前の歩行者専用道路のデッキと雨避けの[[アーケード]]だけが目立つ」という様相で、新住区の団地は駅から約500m以南の離れた所に建設されていた。 |
[[1988年]](昭和63年)[[5月21日]]に南大沢駅は開業した。しかし、駅開設直後は駅周辺には何もない[[宅地#更地|更地]]ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前の歩行者専用道路のデッキと雨避けの[[アーケード]]だけが目立つ」という様相で、新住区の団地は駅から約500m以南の離れた所に建設されていた。 |
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その後、南北双方の新住区で[[多摩ニュータウン]]の住宅建設が進捗し、[[東京都立大学]](現・[[首都大学東京]])や[[テンプル大学]]日本校(その後撤退)、[[八王子南郵便局]](現・南大沢駅前郵便局、集配機能は1999年に[[みなみ野シティ]]に新設した同名局に移転)が誘致された。東京都立大学は当初、南大沢ではなく[[立川市]]に移転する予定であったが、立川の用地が手狭で問題視されていたため、多摩ニュータウン開発により土地が確保できる南大沢に移転することになった。また大規模商業施設「ガレリア・ユギ」が建設され、[[総合スーパー]]の[[忠実屋]]と[[百貨店]]の[[そごう]]が入居した。 |
その後、南北双方の新住区で[[多摩ニュータウン]]の住宅建設が進捗し、[[東京都立大学 (1949-2011)]](現・[[首都大学東京]])や[[テンプル大学]]日本校(その後撤退)、[[八王子南郵便局]](現・南大沢駅前郵便局、集配機能は1999年に[[みなみ野シティ]]に新設した同名局に移転)が誘致された。東京都立大学は当初、南大沢ではなく[[立川市]]に移転する予定であったが、立川の用地が手狭で問題視されていたため、多摩ニュータウン開発により土地が確保できる南大沢に移転することになった。また大規模商業施設「ガレリア・ユギ」が建設され、[[総合スーパー]]の[[忠実屋]]と[[百貨店]]の[[そごう]]が入居した。 |
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しかし、誘致過程で駅勢人口が充分ではなく、百貨店や総合スーパーが相次いで撤退した時期もあったが、街のニーズや成熟度に従って[[1997年]](平成9年)以降、「ガレリア・ユギ」の増・改築を実施し、新たなテナントとして[[イトーヨーカドー]]が入り、新規開発も行われて、[[アウトレットモール]]や[[シネマコンプレックス]]などを誘致した。この結果、住民の営みを支える市立の文化会館などの公共公益施設も建設され「地区センター」として相応しい街の様相を呈している。加えて、[[京王相模原線|相模原線]]の急行運転開始に伴い、当駅が急行停車駅となったことからも利用者数が増加している。なお、[[2001年]](平成13年)まで運転されていた特急は当駅は通過していたが、[[2013年]](平成25年)に特急が復活した際には当駅も特急停車駅となった。 |
しかし、誘致過程で駅勢人口が充分ではなく、百貨店や総合スーパーが相次いで撤退した時期もあったが、街のニーズや成熟度に従って[[1997年]](平成9年)以降、「ガレリア・ユギ」の増・改築を実施し、新たなテナントとして[[イトーヨーカドー]]が入り、新規開発も行われて、[[アウトレットモール]]や[[シネマコンプレックス]]などを誘致した。この結果、住民の営みを支える市立の文化会館などの公共公益施設も建設され「地区センター」として相応しい街の様相を呈している。加えて、[[京王相模原線|相模原線]]の急行運転開始に伴い、当駅が急行停車駅となったことからも利用者数が増加している。なお、[[2001年]](平成13年)まで運転されていた特急は当駅は通過していたが、[[2013年]](平成25年)に特急が復活した際には当駅も特急停車駅となった。 |
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こういったイレギュラーな形の施行計画届出がされ、[[1983年]]3月には、小学校と中学校そして中層住宅1,018戸で西部地区の最初の入居が第14住区で果たされることになった。しかし道路は未完成で、住宅建設と道路建設が同時期になってしまい、現場では「今日はどこの道路を通って行けばいいんだよ」というやり取りが行われていた。鉄道も[[多摩センター駅]]までしか開通しておらず、[[多摩ニュータウン通り]]から多摩センター駅に向かうバスサービスで対応されていたが、その多摩ニュータウン通りも[[土地区画整理事業]]の遅れで一部が完成しておらず、片側だけでやっと通行できる状況だった<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。 |
こういったイレギュラーな形の施行計画届出がされ、[[1983年]]3月には、小学校と中学校そして中層住宅1,018戸で西部地区の最初の入居が第14住区で果たされることになった。しかし道路は未完成で、住宅建設と道路建設が同時期になってしまい、現場では「今日はどこの道路を通って行けばいいんだよ」というやり取りが行われていた。鉄道も[[多摩センター駅]]までしか開通しておらず、[[多摩ニュータウン通り]]から多摩センター駅に向かうバスサービスで対応されていたが、その多摩ニュータウン通りも[[土地区画整理事業]]の遅れで一部が完成しておらず、片側だけでやっと通行できる状況だった<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。 |
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[[東京都立大学]](現:[[首都大学東京]])は当初、[[立川市]]への移転が予定されていたが、立川の用地が手狭で大学内で問題となっていたことから[[多摩ニュータウン]]に移転することになった<ref>北條 晃敬 『多摩ニュータウン開発の全貌 -私にとっての「多摩ニュータウン」-』 多摩ニュータウン歴史研究会、2012年、144頁。</ref>。この移転のため、西部地区の計画はさらなる見直しがされ、第20住区の「松木・日向緑地」を含めた約42ヘクタールの土地に用地が確保された。これに伴って住宅用地が減少するため、全体的に高層住宅の比率を上げることで、全体の住宅戸数を減らさない対応がなされた。さらに第16住区には「誘致業務施設用地を設定する」とされ、「東京都の中の福祉局や教育庁から要請があった老人福祉施設や身障者福祉施設や養護学校を配置する」ことが決定した。しかし[[八王子市]]側は大学誘致を全く歓迎しておらず、[[東京都]]は八王子市との交渉に難航する。最終的に八王子市からは市内にある[[富士森公園]]級の公園を市内にもう2か所作るという交換条件が出され、東京都側はしぶしぶ呑むこととなった<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。 |
[[東京都立大学 (1949-2011)]](現:[[首都大学東京]])は当初、[[立川市]]への移転が予定されていたが、立川の用地が手狭で大学内で問題となっていたことから[[多摩ニュータウン]]に移転することになった<ref>北條 晃敬 『多摩ニュータウン開発の全貌 -私にとっての「多摩ニュータウン」-』 多摩ニュータウン歴史研究会、2012年、144頁。</ref>。この移転のため、西部地区の計画はさらなる見直しがされ、第20住区の「松木・日向緑地」を含めた約42ヘクタールの土地に用地が確保された。これに伴って住宅用地が減少するため、全体的に高層住宅の比率を上げることで、全体の住宅戸数を減らさない対応がなされた。さらに第16住区には「誘致業務施設用地を設定する」とされ、「東京都の中の福祉局や教育庁から要請があった老人福祉施設や身障者福祉施設や養護学校を配置する」ことが決定した。しかし[[八王子市]]側は大学誘致を全く歓迎しておらず、[[東京都]]は八王子市との交渉に難航する。最終的に八王子市からは市内にある[[富士森公園]]級の公園を市内にもう2か所作るという交換条件が出され、東京都側はしぶしぶ呑むこととなった<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。 |
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それから南大沢駅前の「西部地区センター」も見直しがされ、近隣公園をセンターエリアの南端に配置し、[[東京都立大学]]まで抜ける歩行者専用の「南北軸」を形成するという位置づけとなった。南大沢駅の南側には、商業施設や[[八王子市]]管理の公益施設を入れること、東京都立大学の手前には、大学関連の施設を入れるとともに住宅を乗せるといったことも計画された。[[1984年]]の最終的な見直しでは、[[京王相模原線]]と[[多摩ニュータウン]]通りを跨ぐ巨大な「南北ペデストリアンデッキ」に駅改札口が面するようにし、南端には駅前広場も設け、そのバス乗降場には雨除けのキャノピーを設けることとされた。そしてようやく[[1987年]]5月に京王相模原線「南大沢駅」が開設された<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。<!--しかし、駅開設直後は駅周辺には何もない[[宅地#更地|更地]]ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前の歩行者専用道路のデッキと雨避けの[[アーケード]]だけが目立つ」という様相で、新住区の団地は駅から約500m以上離れていた。 |
それから南大沢駅前の「西部地区センター」も見直しがされ、近隣公園をセンターエリアの南端に配置し、[[東京都立大学 (1949-2011)]]まで抜ける歩行者専用の「南北軸」を形成するという位置づけとなった。南大沢駅の南側には、商業施設や[[八王子市]]管理の公益施設を入れること、東京都立大学の手前には、大学関連の施設を入れるとともに住宅を乗せるといったことも計画された。[[1984年]]の最終的な見直しでは、[[京王相模原線]]と[[多摩ニュータウン]]通りを跨ぐ巨大な「南北ペデストリアンデッキ」に駅改札口が面するようにし、南端には駅前広場も設け、そのバス乗降場には雨除けのキャノピーを設けることとされた。そしてようやく[[1987年]]5月に京王相模原線「南大沢駅」が開設された<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。<!--しかし、駅開設直後は駅周辺には何もない[[宅地#更地|更地]]ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前の歩行者専用道路のデッキと雨避けの[[アーケード]]だけが目立つ」という様相で、新住区の団地は駅から約500m以上離れていた。 |
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その後、[[多摩ニュータウン]]の住宅建設が進捗し、[[東京都立大学]](現:[[首都大学東京]])や[[テンプル大学]]日本校(その後撤退)、[[八王子南郵便局]](現・南大沢駅前郵便局、集配機能は1999年に[[みなみ野シティ]]に新設した同名局に移転)が開設された。また[[1992年]]に[[総合スーパー]]・[[百貨店]]の入居する「ガレリア・ユギ」が開業した。また[[八王子市]]が[[1996年]]4月に「フレスコ南大沢」という土地信託ビルを建設し、そこには八王子市の文化施設が併設されている。誘致過程で駅勢人口が充分ではなく、百貨店や総合スーパーが相次いで撤退した時期もあったが、街のニーズや成熟度に従って[[1997年]]以降、同施設の増・改築や新規開発を実施し、新たなテナントのスーパーや[[アウトレットモール]]、[[シネマコンプレックス]]などが誘致され、街の賑わいを創出している。--> |
その後、[[多摩ニュータウン]]の住宅建設が進捗し、[[東京都立大学]](現:[[首都大学東京]])や[[テンプル大学]]日本校(その後撤退)、[[八王子南郵便局]](現・南大沢駅前郵便局、集配機能は1999年に[[みなみ野シティ]]に新設した同名局に移転)が開設された。また[[1992年]]に[[総合スーパー]]・[[百貨店]]の入居する「ガレリア・ユギ」が開業した。また[[八王子市]]が[[1996年]]4月に「フレスコ南大沢」という土地信託ビルを建設し、そこには八王子市の文化施設が併設されている。誘致過程で駅勢人口が充分ではなく、百貨店や総合スーパーが相次いで撤退した時期もあったが、街のニーズや成熟度に従って[[1997年]]以降、同施設の増・改築や新規開発を実施し、新たなテナントのスーパーや[[アウトレットモール]]、[[シネマコンプレックス]]などが誘致され、街の賑わいを創出している。--> |
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[[1991年]]に[[東京都立大学]]南大沢キャンパスが開設され、[[1992年]]には「[[そごう]]」のジュニアデパートと、スーパーの「[[忠実屋]]」がキーテナントの南大沢駅前で最初の商業ビル「ガリレア・ユギ」が開業した(現在の[[イトーヨーカドー]])。また[[八王子市]]が[[1996年]]4月に「フレスコ南大沢」という土地信託ビルを建設し、そこには八王子市の文化施設が併設されている。[[2000年]]9月には定期借地方式により[[三井不動産]]が、「ラ・フェット多摩」(現:[[三井アウトレットパーク]]多摩南大沢)を開業し、街の賑わいを創出している<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。 |
[[1991年]]に[[東京都立大学 (1949-2011)]]南大沢キャンパスが開設され、[[1992年]]には「[[そごう]]」のジュニアデパートと、スーパーの「[[忠実屋]]」がキーテナントの南大沢駅前で最初の商業ビル「ガリレア・ユギ」が開業した(現在の[[イトーヨーカドー]])。また[[八王子市]]が[[1996年]]4月に「フレスコ南大沢」という土地信託ビルを建設し、そこには八王子市の文化施設が併設されている。[[2000年]]9月には定期借地方式により[[三井不動産]]が、「ラ・フェット多摩」(現:[[三井アウトレットパーク]]多摩南大沢)を開業し、街の賑わいを創出している<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。 |
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第15住区の建設においては、[[住宅都市整備公団|公団]]施行区域にて[[多摩センター駅]]周辺と一体で整備された落合・鶴牧地区で優れた景観計画が行われていたことから、それに触発される形で[[東京都]]側でも綿密な景観計画が実践されることになった。東京都と[[八王子市]]だけでなく、公団が大いに協力して進められることになり、これらで「15住区住宅企画会議」が組織され、その会議の場で景観計画上の調整を行うことが決められ、その下に実働部隊となる「景観等調整会議」を作ってスタートされた。その中心となる計画を担う専門家を1人置き、マスタープランの作成と全体の調整を行いながら実現を図っていったのが、のちに数々の賞を獲得する「ベルコリーヌ南大沢」となった。この住区の景観計画は、第20住区、21住区、16住区でも統一して実施され、相互に[[歩行者専用道路]](遊歩道)がネットワークされて、車道を一切横断することなく各住区から駅前までの移動を可能にしている<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。 |
第15住区の建設においては、[[住宅都市整備公団|公団]]施行区域にて[[多摩センター駅]]周辺と一体で整備された落合・鶴牧地区で優れた景観計画が行われていたことから、それに触発される形で[[東京都]]側でも綿密な景観計画が実践されることになった。東京都と[[八王子市]]だけでなく、公団が大いに協力して進められることになり、これらで「15住区住宅企画会議」が組織され、その会議の場で景観計画上の調整を行うことが決められ、その下に実働部隊となる「景観等調整会議」を作ってスタートされた。その中心となる計画を担う専門家を1人置き、マスタープランの作成と全体の調整を行いながら実現を図っていったのが、のちに数々の賞を獲得する「ベルコリーヌ南大沢」となった。この住区の景観計画は、第20住区、21住区、16住区でも統一して実施され、相互に[[歩行者専用道路]](遊歩道)がネットワークされて、車道を一切横断することなく各住区から駅前までの移動を可能にしている<ref name="tamant_archive1_p244-253"/>。 |
2020年3月24日 (火) 22:58時点における版
南大沢駅 | |
---|---|
駅ビル「フレンテ南大沢」(2016年10月16日) | |
みなみおおさわ Minami-ōsawa (首都大学東京南大沢キャンパス 最寄駅) | |
◄KO42 京王堀之内 (2.2 km) (1.9 km) 多摩境 KO44► | |
所在地 | 東京都八王子市南大沢二丁目1番地6 |
駅番号 | KO43 |
所属事業者 | 京王電鉄 |
所属路線 | ■相模原線 |
キロ程 |
18.2km(調布起点) 新宿から33.7 km |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 2面2線(有効長210m) |
乗降人員 -統計年度- |
64,285人/日 -2018年- |
開業年月日 | 1988年(昭和63年)5月21日 |
南大沢駅(みなみおおさわえき)は、東京都八王子市南大沢二丁目にある、京王電鉄相模原線の駅である。駅番号はKO43。
歴史
南大沢駅を中心とする一帯は、多摩ニュータウンの東京都が施行する「西部地区」として開発されている。南大沢駅前の約20ヘクタールは、その西部地区の「地区センター」として駅と一体で整備された。
設置までの流れ
多摩ニュータウン開発計画に絡み京王帝都電鉄(当時)は、当初、相模原線の橋本駅延伸に際して途中駅を一か所設置することを計画で定め、「由木平駅」の設置を決定していた。その後、多摩ニュータウン開発の進捗に伴い、マスタープランの中で複数の開発住区に対する生活サービス施設を集積した「地区センター」の配置場所と定められた中間地点に、京王堀之内駅と多摩境駅の設置も追加で決定している。なお、当初計画の「由木平駅」は現在の南大沢駅に当たる。
なお、由木平駅設置に際して現在の場所が決定した理由は、京王多摩センター駅と橋本駅との中間地点に位置することと、ニュータウン計画で一帯が新住宅市街地開発事業地に定められ周辺に人家などがなく、白紙で駅を中心に「地区センター」とする大胆な街づくりが可能なことであった。また、当時の相模原線計画では橋本延伸後に津久井湖方面に延伸する構想があったため、優等列車の追い抜きが可能な島式ホーム2面4線設計で用地が確保された。
京王多摩センター - 橋本駅間の延伸工事のうち、当駅までの線路や駅の建設工事は比較的順調に進んでいたが、当駅と橋本駅間は用地買収などに手間がかかり全線開業が遅れることとなったため、同社はやむなく京王多摩センター - 当駅間を暫定開業させた。その最大の目的は、当駅南側の新住区で既に入居が始まっていて、代替の救済措置として暫定運行していた多摩センター駅までのバス連絡を一日も早く解消するためであった。
設置後
1988年(昭和63年)5月21日に南大沢駅は開業した。しかし、駅開設直後は駅周辺には何もない更地ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前の歩行者専用道路のデッキと雨避けのアーケードだけが目立つ」という様相で、新住区の団地は駅から約500m以南の離れた所に建設されていた。
その後、南北双方の新住区で多摩ニュータウンの住宅建設が進捗し、東京都立大学 (1949-2011)(現・首都大学東京)やテンプル大学日本校(その後撤退)、八王子南郵便局(現・南大沢駅前郵便局、集配機能は1999年にみなみ野シティに新設した同名局に移転)が誘致された。東京都立大学は当初、南大沢ではなく立川市に移転する予定であったが、立川の用地が手狭で問題視されていたため、多摩ニュータウン開発により土地が確保できる南大沢に移転することになった。また大規模商業施設「ガレリア・ユギ」が建設され、総合スーパーの忠実屋と百貨店のそごうが入居した。
しかし、誘致過程で駅勢人口が充分ではなく、百貨店や総合スーパーが相次いで撤退した時期もあったが、街のニーズや成熟度に従って1997年(平成9年)以降、「ガレリア・ユギ」の増・改築を実施し、新たなテナントとしてイトーヨーカドーが入り、新規開発も行われて、アウトレットモールやシネマコンプレックスなどを誘致した。この結果、住民の営みを支える市立の文化会館などの公共公益施設も建設され「地区センター」として相応しい街の様相を呈している。加えて、相模原線の急行運転開始に伴い、当駅が急行停車駅となったことからも利用者数が増加している。なお、2001年(平成13年)まで運転されていた特急は当駅は通過していたが、2013年(平成25年)に特急が復活した際には当駅も特急停車駅となった。
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駅ビル化される前の駅舎(2004年2月10日)
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開業直後の南大沢駅バス停付近。駅周辺には何もない(1988年)
年表
- 1988年(昭和63年)5月21日 - 京王多摩センターからの暫定開業時に開業。各駅停車・通勤快速の全列車が停車する(快速はこの時京王多摩センター折り返し)。
- 1990年(平成2年)3月30日 - 京王相模原線が全通し、途中駅となる。
- 1991年(平成3年)4月6日 - 快速の停車駅となる。
- 2001年(平成13年)3月27日 - 相模原線の急行運行開始に伴い、急行の停車駅となる。
- 2007年(平成19年)7月31日 - 駅改良工事完了。「フレンテ南大沢」開業。
- 2009年(平成21年)12月3日 - 地上5階建ての「フレンテ南大沢」新館が開業。
- 2013年(平成25年)2月22日 - 相模原線の特急(2代目)運行開始に伴い、特急の停車駅となる(2001年まで走っていた初代特急は通過していた)。
- 2015年(平成27年)9月25日 - 相模原線の準特急運行開始に伴い、準特急の停車駅となる[1]。
- 2018年(平成30年)2月22日 - 相模原線の京王ライナー運行開始に伴い、京王ライナーの停車駅となる[2]。
駅構造
土工により地形を整地した南面片側が掘割式の相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で橋上駅舎を有している。元々、島式ホーム2面4線設計で用地が確保されていた[要出典]ため、構内は広々としたつくりになっている。鉄骨造りの橋上駅構造としているが、バスターミナルのある駅前広場や、歩車を分離した歩行者専用道路のある地盤の同レベルに人工地盤とした駅舎改札口があるため、駅への出入りは平面のバリアフリーで行うことができる。
なお、駅舎には小規模な店舗施設が併設されていたが、2009年12月、歩行者専用道路のある人工地盤を挿んだ橋本駅寄りのプラットホーム線路上に、新たに店舗施設の建物(フレンテ南大沢新館)がオープンした。
相模原線の橋本駅への延伸工事の際に、同駅周辺の用地買収の遅れが原因で、開業が遅れることになった。そのため、同駅開業までの間は当駅が始発・終着駅となり、橋本寄りの下り本線が折り返し用の引き上げ線に利用され、1番線に到着した当駅終着列車は引き上げ線で折り返して2番線の乗車用ホームへと入線した。橋本延伸後、渡り線は非常時折り返し運転用に残してあるが、現行の営業用としては使われていない。
改札口とホームとの間にはエレベーターとエスカレーターが設置されている。エスカレーターは改良工事の際に上り方向のほか、下り方向のものも増設された。
トイレは駅舎内にあり、ユニバーサルデザインの一環として「だれでもトイレ」も設置されている。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | 相模原線 | 下り | 橋本方面 |
2 | 上り | 調布・明大前・笹塚・新宿・都営新宿線方面 |
-
改札口(2016年10月)
-
ホーム(2010年6月)
利用状況
2018年(平成30年)度の1日平均乗降人員は64,285人である[3]。多摩ニュータウンの駅としては京王多摩センター駅に次いで第2位である。
駅周辺に大規模商業施設の開設、都立4大学改組による首都大学東京の開設などにより、乗降人員数は増加傾向にある。2009年度には京王八王子駅を抜き、八王子市内の京王電鉄の駅としては第1位となった。また、乗換駅である京王稲田堤駅・京王永山駅より多く、京王稲田堤駅とほぼ同等の増加率だった。
開業以降の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表のとおりである。
年度 | 1日平均 乗降人員[5] |
1日平均 乗車人員[6] |
出典 |
---|---|---|---|
[備考 1]1988年(昭和63年) | 7,563 | ||
1989年(平成元年) | 10,816 | ||
1990年(平成 | 2年)13,216 | 6,307 | [* 1] |
1991年(平成 | 3年)21,328 | 10,604 | [* 2] |
1992年(平成 | 4年)26,488 | [* 3] | |
1993年(平成 | 5年)28,769 | 14,419 | [* 4] |
1994年(平成 | 6年)31,353 | 15,710 | [* 5] |
1995年(平成 | 7年)33,460 | 16,697 | [* 6] |
1996年(平成 | 8年)34,181 | 17,052 | [* 7] |
1997年(平成 | 9年)35,805 | 17,915 | [* 8] |
1998年(平成10年) | 38,113 | 19,255 | [* 9] |
1999年(平成11年) | 39,414 | 19,683 | [* 10] |
2000年(平成12年) | 44,004 | 22,104 | [* 11] |
2001年(平成13年) | 46,207 | 23,197 | [* 12] |
2002年(平成14年) | 48,947 | 24,597 | [* 13] |
2003年(平成15年) | 50,554 | 25,333 | [* 14] |
2004年(平成16年) | 51,123 | 25,633 | [* 15] |
2005年(平成17年) | 51,585 | 25,778 | [* 16] |
2006年(平成18年) | 52,992 | 26,430 | [* 17] |
2007年(平成19年) | 56,238 | 27,932 | [* 18] |
2008年(平成20年) | 58,193 | 28,915 | [* 19] |
2009年(平成21年) | 60,501 | 30,055 | [* 20] |
2010年(平成22年) | 60,396 | 29,970 | [* 21] |
2011年(平成23年) | 60,097 | 29,779 | [* 22] |
2012年(平成24年) | 61,111 | 30,323 | [* 23] |
2013年(平成25年) | 62,530 | 31,014 | [* 24] |
2014年(平成26年) | 61,708 | 30,581 | [* 25] |
2015年(平成27年) | 62,877 | 31,107 | [* 26] |
2016年(平成28年) | 64,057 | 31,748 | [* 27] |
2017年(平成29年) | 64,366 | 31,904 | [* 28] |
2018年(平成30年) | 64,285 |
- 備考
- ^ 1988年5月21日開業。開業日から翌年3月31日までを集計したデータ。
駅周辺
-
首都大学東京前から南大沢駅方面を望む
-
首都大学東京大沢キャンパス
-
三井アウトレットパーク 多摩南大沢
当駅周辺は多摩ニュータウン西部地区の「地区センター」として整備された計画的な街並みである。東京都は多摩ニュータウンを「核都市」としており、その多摩ニュータウンの中心地区の一つである当駅周辺は、ほかの多摩センター駅周辺や若葉台駅周辺とともに東京都の「都心等拠点地区」に位置付けられている[7]。
当駅周辺は多摩ニュータウン通りを境に、多摩ニュータウンの第20住区(北側)と第14住区(南側)に分かれるので、それぞれ分けて記述する。
第20住区(北側)
- 首都大学東京南大沢キャンパス
- 三井アウトレットパーク 多摩南大沢
- ダイワハウス 八王子リビングサロン
- 警視庁南大沢警察署
第14住区(南側)
- バスロータリー
- ガレリア・ユギ
- fabエンタテイメントスクエア
- TOHOシネマズ南大沢
- パオレ
- フレンテ南大沢
- フレンテ南大沢新館
- プラザA(商業施設)
- フォレストモール南大沢
- TOTO八王子ショールーム
- サザンウインズ南大沢(総合エンターテインメント施設赤い風船)
- みずほ銀行南大沢支店
- フレスコ南大沢
- 八王子市役所南大沢事務所
- 八王子市南大沢図書館
- 八王子市保健福祉センター
- 八王子市南大沢生涯学習センター
- 八王子市南大沢市民センター
- 八王子市南大沢文化会館
- 東京法務局八王子支局(10階・11階)
- クリニックゾーン(4階)
- 南大沢中郷公園
- 八幡神社 - 例祭日は毎年8月26日。創建年代は不明だが古くから南大沢の鎮守神としてまつられてきた。境内のオオツクバネガシの巨木は、樹齢推定600年である[8]。
- ヤマザキ学園大学
- 救急振興財団 事務局/東京研修所(エルスタ東京)
(参考) 駅周辺は、八王子市および南大沢警察署の「違法駐車取り締まり重点地域」ならびに「自動二輪・原動機付バイク取り締まり重点地域」に指定されている。また路上喫煙禁止地区にも指定されている。
バス路線
京王バス南・神奈川中央交通・東京空港交通の3社の路線が乗り入れる。以前は、富士急平和観光(当時)も乗り入れていた。
路線の詳細は京王バス南・南大沢営業所・神奈川中央交通多摩営業所をそれぞれ参照
乗場 | 系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行事業者 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1番 | 南51 | <右回り>大平公園先回り | 南大沢団地循環 | ■京王バス南 ■神奈中 |
深夜バスあり |
南52 | <左回り>赤石公園先回り | ||||
2番 | 堀03 | 大平公園・長池小学校 | 京王堀之内駅 | 深夜バスあり | |
3番 | 南60 | だいり谷戸公園先回り | 南大沢五丁目循環 | ■京王バス南 | |
だいり橋・南大沢五丁目先回り | |||||
だいり橋・南大沢五丁目 | だいり谷戸公園 | 深夜バスあり | |||
南61 | だいり橋・南大沢五丁目・鑓水公園 | 水浦団地入口 | |||
多摩美術大学 | |||||
南62 | だいり谷戸公園・鑓水公園 | ||||
だいり谷戸公園 | |||||
NT01 | <ニュータウン急行> だいり橋・南大沢五丁目・だいり谷戸公園・多摩境駅 |
橋本駅 | 深夜バス | ||
4番 | 北03 | 殿ヶ谷戸 | 北野駅北口 | ||
八60 | 殿ヶ谷戸・北野駅南口 | 八王子駅南口 | 深夜バスあり | ||
八61 | 中山・北野駅南口 | ||||
5番 | 桜80 | 由木折返場 | 聖蹟桜ヶ丘駅 | 深夜バスあり | |
桜84 | 板橋・帝京大学入口 | ■京王バス南 ■神奈中 |
|||
横土手・宮下 | 相模原駅北口 | ||||
6番 | 南63 | 上柚木・多摩美大前 | 橋本駅 | ■京王バス南 | |
南64 | 首都大北 | 京王堀之内駅 | |||
成田多摩センター線 | 成田空港 | ■京王バス南 東京空港交通 |
|||
羽田多摩センター線 | 羽田空港 |
- その他(降車扱い)
- 深夜急行バス:新宿駅西口 → 稲城駅 → 永山駅 → 多摩センター駅 → 南大沢駅 → 多摩境駅 → 橋本駅〔京王バス南〕
多摩ニュータウン「西部地区」の開発
南大沢駅周辺は、多摩ニュータウン西部地区の中心として開発され、「西部地区センター」に位置づけられている。
東京都施行の新住宅市街地開発事業である「西部地区」では、1965年12月から山林部分の用地買収が行われ、1971年7月には当時の建設大臣から新住宅市街地開発事業の事業許可を得て、同年11月から集落部分の土地買収に着手した。その際に、谷戸部分もできるだけ事業区域に含んで計画されることになったが、強制買収を可能とする新住宅市街地開発事業といえども相当数の家屋を有する状態となっていて、このために、既存住民の移住先となる大量の「優先分譲地」を確保する計画となった。これを受け、まずは1971年頃から、工事用道路の整備に加えて優先分譲地の先行整備が始められた。そして、大方の家屋移転が完了した後の1978年度から、本格的な土地造成に着手することとなった[9]。
東京都と八王子市の協議では「多摩ニュータウン西部地区開発大綱」がまとめられ、これに沿って開発が進められた。その中で南大沢駅前には「西部地区センター」として20ヘクタール程度の土地が確保されることとなり、「商業業務施設や、その他公益的施設を整備する」ことが位置づけられた。そしてその中で京王相模原線は多摩センター駅から南大沢駅まで単に延ばすのではなく、一挙に横浜線の橋本駅まで延ばすという考え方も示された[9]。
また同時に埋蔵文化財の調査では、勝手に発掘範囲が拡大されていたり、二重三重の発掘が始まって予想以上に時間がかかるなどし、土地造成に大きな支障がでる事態がいくつも発生していたことから、事前に遺跡の存在範囲を正確に確認するべく「基礎調査」が1976年から3か年にわたって行われた。結果、多摩ニュータウン全体で遺跡数883ヶ所、遺跡面積357ヘクタール、西部地区だけでも297ヶ所、100ヘクタールもの大量の遺跡が見つかり、いずれにしろ開発スケジュールの大幅なスローダウンは避けられないとして、新たに発見された遺跡のうち、重要そうで時間のかかりそうな所は土地利用変更で対処が行われることとなった。1977年から1978年の前半にかけて土地利用変更し、半年余りで建設大臣に「施行計画届出」が行われた[9]。
こういったイレギュラーな形の施行計画届出がされ、1983年3月には、小学校と中学校そして中層住宅1,018戸で西部地区の最初の入居が第14住区で果たされることになった。しかし道路は未完成で、住宅建設と道路建設が同時期になってしまい、現場では「今日はどこの道路を通って行けばいいんだよ」というやり取りが行われていた。鉄道も多摩センター駅までしか開通しておらず、多摩ニュータウン通りから多摩センター駅に向かうバスサービスで対応されていたが、その多摩ニュータウン通りも土地区画整理事業の遅れで一部が完成しておらず、片側だけでやっと通行できる状況だった[9]。
東京都立大学 (1949-2011)(現:首都大学東京)は当初、立川市への移転が予定されていたが、立川の用地が手狭で大学内で問題となっていたことから多摩ニュータウンに移転することになった[10]。この移転のため、西部地区の計画はさらなる見直しがされ、第20住区の「松木・日向緑地」を含めた約42ヘクタールの土地に用地が確保された。これに伴って住宅用地が減少するため、全体的に高層住宅の比率を上げることで、全体の住宅戸数を減らさない対応がなされた。さらに第16住区には「誘致業務施設用地を設定する」とされ、「東京都の中の福祉局や教育庁から要請があった老人福祉施設や身障者福祉施設や養護学校を配置する」ことが決定した。しかし八王子市側は大学誘致を全く歓迎しておらず、東京都は八王子市との交渉に難航する。最終的に八王子市からは市内にある富士森公園級の公園を市内にもう2か所作るという交換条件が出され、東京都側はしぶしぶ呑むこととなった[9]。
それから南大沢駅前の「西部地区センター」も見直しがされ、近隣公園をセンターエリアの南端に配置し、東京都立大学 (1949-2011)まで抜ける歩行者専用の「南北軸」を形成するという位置づけとなった。南大沢駅の南側には、商業施設や八王子市管理の公益施設を入れること、東京都立大学の手前には、大学関連の施設を入れるとともに住宅を乗せるといったことも計画された。1984年の最終的な見直しでは、京王相模原線と多摩ニュータウン通りを跨ぐ巨大な「南北ペデストリアンデッキ」に駅改札口が面するようにし、南端には駅前広場も設け、そのバス乗降場には雨除けのキャノピーを設けることとされた。そしてようやく1987年5月に京王相模原線「南大沢駅」が開設された[9]。
1991年に東京都立大学 (1949-2011)南大沢キャンパスが開設され、1992年には「そごう」のジュニアデパートと、スーパーの「忠実屋」がキーテナントの南大沢駅前で最初の商業ビル「ガリレア・ユギ」が開業した(現在のイトーヨーカドー)。また八王子市が1996年4月に「フレスコ南大沢」という土地信託ビルを建設し、そこには八王子市の文化施設が併設されている。2000年9月には定期借地方式により三井不動産が、「ラ・フェット多摩」(現:三井アウトレットパーク多摩南大沢)を開業し、街の賑わいを創出している[9]。
第15住区の建設においては、公団施行区域にて多摩センター駅周辺と一体で整備された落合・鶴牧地区で優れた景観計画が行われていたことから、それに触発される形で東京都側でも綿密な景観計画が実践されることになった。東京都と八王子市だけでなく、公団が大いに協力して進められることになり、これらで「15住区住宅企画会議」が組織され、その会議の場で景観計画上の調整を行うことが決められ、その下に実働部隊となる「景観等調整会議」を作ってスタートされた。その中心となる計画を担う専門家を1人置き、マスタープランの作成と全体の調整を行いながら実現を図っていったのが、のちに数々の賞を獲得する「ベルコリーヌ南大沢」となった。この住区の景観計画は、第20住区、21住区、16住区でも統一して実施され、相互に歩行者専用道路(遊歩道)がネットワークされて、車道を一切横断することなく各住区から駅前までの移動を可能にしている[9]。
駅名の由来
江戸時代、現在の八王子市付近には二つの「大沢村」があり、当駅周辺は南にある大沢村であることから「南大沢」と名付けられた。相模原線延伸工事計画時の駅名仮称は「由木平」だったことは前記した。「由木」とはこの地域全体が八王子市に編入前、行政地名が「南多摩郡由木村」であったことに由来する。
隣の駅
脚注
- ^ 9 月 25 日(金)に 京王線・井の頭線のダイヤ改正を実施します ~都心方面へのアクセス強化など利便性向上を図ります~ (PDF) - 京王電鉄、2015年8月26日、2015年8月26日閲覧。
- ^ 2月22日(木)始発から 京王線・井の頭線のダイヤ改正を実施します ~京王ライナーの運行開始や、平日朝間時間帯の速達性向上を図ります~ (PDF)
- ^ 1日の駅別乗降人員 - 京王グループ
- ^ 統計八王子 - 八王子市
- ^ 各種報告書 - 関東交通広告協議会
- ^ 東京都統計年鑑
- ^ 東京都都市整備局. “新しい都市づくりのための都市開発諸制度活用方針 - 拠点位置図” (PDF). 2015年5月4日閲覧。
- ^ 由木地域研究会
- ^ a b c d e f g h 『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編-』 多摩ニュータウン学会、2010年、p.244-253。
- ^ 北條 晃敬 『多摩ニュータウン開発の全貌 -私にとっての「多摩ニュータウン」-』 多摩ニュータウン歴史研究会、2012年、144頁。
出典
- 東京都統計年鑑
- ^ 東京都統計年鑑(平成2年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成3年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成20年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成21年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成22年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成23年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成24年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成25年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成26年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成27年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成28年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成29年)