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大学受験に失敗し旧制[[名古屋大学経済学部]]に入学。[[1953年]]卒業(旧制最後の卒業生)。同期の[[大江志乃夫]]と親しい<ref name="bian"/><ref>大江志乃夫教授著作目録</ref>。大学在学中、経済[[思想史]]の[[水田洋]]教授の講義に感銘を受け、研究者を志すようになる。水田ゼミナールに1期生として参加し[[古典]]を学んだ<ref name="yomi"/><ref>[http://www.kitankai.net/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=166 「ゼミ行事水田洋先生卒寿を祝う会」]</ref>。 |
大学受験に失敗し旧制[[名古屋大学経済学部]]に入学。[[1953年]]卒業(旧制最後の卒業生)。同期の[[大江志乃夫]]と親しい<ref name="bian"/><ref>大江志乃夫教授著作目録</ref>。大学在学中、経済[[思想史]]の[[水田洋]]教授の講義に感銘を受け、研究者を志すようになる。水田ゼミナールに1期生として参加し[[古典]]を学んだ<ref name="yomi"/><ref>[http://www.kitankai.net/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=166 「ゼミ行事水田洋先生卒寿を祝う会」]</ref>。 |
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大学3年次[[金沢大学]]図書館で卒論を書いていたところ[[正木一夫]]教授の目に止まり、正木の誘いを受け大学卒業後金沢大学[[法文学部]][[助手 (教育)|助手]]となる<ref name="bian"/>。やがて[[財政学者]]として活動するようになる<ref name="yomi"/>。1961年、[[静岡市]]で開かれた[[自治労]]の集会で[[四日市ぜんそく]]の実態を知り、[[公害問題]]を研究するようになる。[[岩波書店]]の紹介で、[[庄司光]][[京都大学]]教授と1964年に出した共著『恐るべき公害』が[[ベストセラー]]となる。また、1963年には[[都留重人]][[一橋大学経済研究所]]教授の提案で、庄司や[[柴田徳衛]][[東京都立大学]]助教授らと、公害研究委員会を設立。これが、のちに[[日本環境会議]]の母体となった<ref name="bian"/>。 |
大学3年次[[金沢大学]]図書館で卒論を書いていたところ[[正木一夫]]教授の目に止まり、正木の誘いを受け大学卒業後金沢大学[[法文学部]][[助手 (教育)|助手]]となる<ref name="bian"/>。やがて[[財政学者]]として活動するようになる<ref name="yomi"/>。1961年、[[静岡市]]で開かれた[[自治労]]の集会で[[四日市ぜんそく]]の実態を知り、[[公害問題]]を研究するようになる。[[岩波書店]]の紹介で、[[庄司光]][[京都大学]]教授と1964年に出した共著『恐るべき公害』が[[ベストセラー]]となる。また、1963年には[[都留重人]][[一橋大学経済研究所]]教授の提案で、庄司や[[柴田徳衛]][[東京都立大学 (1949-2011)]]助教授らと、公害研究委員会を設立。これが、のちに[[日本環境会議]]の母体となった<ref name="bian"/>。 |
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金沢大学[[助教授]]を経て、[[1965年]]大阪市立大学[[商学部]]助教授。[[1972年]]に[[教授]]昇格。[[1991年]]より商学部長。[[1993年|1994年]][[立命館大学]][[政策科学部]]教授就任。[[1997年]]からは同[[大学院]]政策科学研究科長。[[2001年]]に滋賀大学の学長に就任。[[2004年]][[7月]]まで務める。 その後、立命館大学政策科学部に設立準備段階から参画し、客員教授を務めた。[[關一]]研究会代表なども務める<ref>[http://www.sankei.com/west/news/150107/wst1501070011-n1.html 「橋下さんに尋ねただろう「大阪都になれば住み心地良き都市になるのか」と 名市長・関一没後80年」]産経ニュース</ref><ref>[http://lib-web.kitakyu-u.ac.jp/opc/en/recordID/catalog.bib/BN02624873%3Fhit%3D-1%26caller%3Dxc-search&ved=2ahUKEwjA7aLKj4_aAhUMp5QKHRe_Aq8QFjADegQIARAB&usg=AOvVaw3Gs2f_XHhCnQPv1whwaKPA]</ref>。 |
金沢大学[[助教授]]を経て、[[1965年]]大阪市立大学[[商学部]]助教授。[[1972年]]に[[教授]]昇格。[[1991年]]より商学部長。[[1993年|1994年]][[立命館大学]][[政策科学部]]教授就任。[[1997年]]からは同[[大学院]]政策科学研究科長。[[2001年]]に滋賀大学の学長に就任。[[2004年]][[7月]]まで務める。 その後、立命館大学政策科学部に設立準備段階から参画し、客員教授を務めた。[[關一]]研究会代表なども務める<ref>[http://www.sankei.com/west/news/150107/wst1501070011-n1.html 「橋下さんに尋ねただろう「大阪都になれば住み心地良き都市になるのか」と 名市長・関一没後80年」]産経ニュース</ref><ref>[http://lib-web.kitakyu-u.ac.jp/opc/en/recordID/catalog.bib/BN02624873%3Fhit%3D-1%26caller%3Dxc-search&ved=2ahUKEwjA7aLKj4_aAhUMp5QKHRe_Aq8QFjADegQIARAB&usg=AOvVaw3Gs2f_XHhCnQPv1whwaKPA]</ref>。 |
2020年3月24日 (火) 23:57時点における版
生誕 |
1930年2月19日(94歳) 台湾台北市 |
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研究分野 | 財政学、地域経済学、日本経済論、環境経済学、公共政策学 |
母校 | 旧制名古屋大学経済学部 |
学位 | 経済学博士 |
他の指導教員 | 水田洋 |
影響を 受けた人物 |
都留重人[1] カール・マルクス ジョン・メイナード・ケインズ |
影響を 与えた人物 |
北畠能房 只友景士 寺西俊一 諸富徹 |
実績 | 経済学と公共政策学を基盤とした公害・環境問題の研究 |
受賞 | 日本学士院賞 |
宮本 憲一(みやもと けんいち、1930年2月19日 - )は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授、元滋賀大学学長、滋賀大学名誉教授。専門は財政学、環境経済学。日本学士院賞受賞。
経歴
1930年(昭和5年)に日本統治時代の台湾の台北市で生まれで外地で育った。父は台湾電力に勤務する経理課長。海軍兵学校予科在学中、針尾島を経て、疎開先の山口県防府市で終戦を迎える。台湾の実家と連絡がとれなくなったため復員列車で本籍地の石川県の伯父の家に移り、県学務課長に交渉して金沢二中(石川県立金沢錦丘高等学校)に編入した。極貧の生活状況の中金沢市の引揚者住宅に住み、働きながら学校に通い留年しつつも[2][3]、1950年第四高等学校文科卒業[2]。
大学受験に失敗し旧制名古屋大学経済学部に入学。1953年卒業(旧制最後の卒業生)。同期の大江志乃夫と親しい[2][4]。大学在学中、経済思想史の水田洋教授の講義に感銘を受け、研究者を志すようになる。水田ゼミナールに1期生として参加し古典を学んだ[3][5]。
大学3年次金沢大学図書館で卒論を書いていたところ正木一夫教授の目に止まり、正木の誘いを受け大学卒業後金沢大学法文学部助手となる[2]。やがて財政学者として活動するようになる[3]。1961年、静岡市で開かれた自治労の集会で四日市ぜんそくの実態を知り、公害問題を研究するようになる。岩波書店の紹介で、庄司光京都大学教授と1964年に出した共著『恐るべき公害』がベストセラーとなる。また、1963年には都留重人一橋大学経済研究所教授の提案で、庄司や柴田徳衛東京都立大学 (1949-2011)助教授らと、公害研究委員会を設立。これが、のちに日本環境会議の母体となった[2]。
金沢大学助教授を経て、1965年大阪市立大学商学部助教授。1972年に教授昇格。1991年より商学部長。1994年立命館大学政策科学部教授就任。1997年からは同大学院政策科学研究科長。2001年に滋賀大学の学長に就任。2004年7月まで務める。 その後、立命館大学政策科学部に設立準備段階から参画し、客員教授を務めた。關一研究会代表なども務める[6][7]。
2016年、『戦後日本公害史論』で日本学士院賞受賞。立命館大学朱雀キャンパスで記念シンポジウム・祝賀会が開かれ、大島堅一立命館大教授らの報告ののち、除本理史大阪市立大教授の司会進行で、特別招待の恩師水田洋日本学士院会員から受賞経緯が説明され、關淳一元大阪市長から祝辞が述べられるなどした[8]。
研究・活動
ケインズ経済学とマルクス経済学を批判・検証する形で公共政策や地域経済を研究。公害問題や環境問題に関しても積極的に発言してきた。四日市公害を初めて紹介し、原告側証人として告発。返還後の沖縄調査、カナダ先住民の水銀調査なども行ってきた。
弟子のジェフリー・E・ヘインズオレゴン大学准教授などとともに、社会政策学者の関一第7代大阪市長の研究も行い、関一研究会代表も務める[9]。
年譜
- 1930年:台北市にて出生
- 1950年:第四高等学校卒業
- 1953年:名古屋大学経済学部卒業
- 1953年:金沢大学法文学部助手
- 1960年:金沢大学法文学部助教授
- 1965年:大阪市立大学商学部助教授
- 1972年:大阪市立大学商学部教授
- 1991年:大阪市立大学商学部長
- 1993年4月:大阪市立大学名誉教授、立命館大学産業社会学部教授
- 1994年4月:立命館大学政策科学部教授
- 1997年4月:立命館大学大学院政策科学研究科長(1998年3月まで)
- 2001年7月:滋賀大学学長(2004年7月まで)
学会における役職
- 1997年7月 第17期日本学術会議会員
著書
単著
- 『社会資本論』(有斐閣、 1967年)
- 『日本の都市問題-その政治経済学的考察-』(筑摩書房、 1969年)
- 『地域開発はこれでよいか』(岩波新書、 1973年)
- 『日本の環境問題-その政治経済学的考察』<有斐閣選書>(有斐閣、 1975年)
- 『財政改革-生活権と自治権の財政学-』<現代都市政策叢書>(岩波書店、 1977年)
- 『都市経済論 共同生活条件の政治経済学 経済学全集21』(筑摩書房、 1980年)
- 『現代の都市と農村-地域経済の再生を求めて』<新NHK市民大学叢書>(日本放送出版協会、 1982年)
- 『昭和の歴史 第10巻 経済大国』(小学館、 1983年)
- 『「公害」の同時代史』(平凡社、 1984年)
- 『都市をどう生きるか-アメニティへの招待-』(小学館、 1984年)のちライブラリー
- 『地方自治の歴史と展望』(自治体研究社、 1986年)
- 『日本の環境政策』(大月書店、 1987年)
- 『環境経済学』(岩波書店、 1989年)
- 『足もとから地球環境を考える』(自治体研究社、 1990年)
- 『環境と開発 岩波市民大学 人間の歴史を考える 14』(岩波書店、 1992年)
- 『21世紀を地方自治の時代に』(自治体研究社、 1993年)
- 『環境政策の国際化』(実教出版、 1995年)
- 『環境と自治-私の戦後ノート』(岩波書店、 1996年)
- 『水俣レクイエム』(岩波書店、1997年)
- 『公共政策のすすめ-現代的公共性とは何か-』(有斐閣、 1998年)
- 『OD版 都市政策の思想と現実』<立命館大学叢書・政策科学1>(有斐閣、 1999年)
- 『公共政策と住民参加』<地方自治土曜講座ブックレット(NO.44)>(公人の友社、 1999年)
- 『日本社会の可能性-維持可能な社会へ-』(岩波書店、 2000年)
- 『思い出の人々と』(藤原書店、 2001年)
- 『くるま社会』旬報社、 2003年)
- 『維持可能な社会と自治体-「公害」から「地球環境へ」』(公人の友社、 2005年)
- 『日本の地方自治 その歴史と未来』(自治体研究社、 2005年)
- 『維持可能な社会に向かって』(岩波書店、 2006年)
- 『転換期における日本社会の可能性-維持可能な内発的発展』 <地方自治土曜講座ブックレット(NO.116)> (公人の友社、 2006年)
- 『戦後日本公害史論』(岩波書店、 2014年)
編著
- 『講座 地域開発と自治体1 大都市とコンビナート・大阪』(筑摩書房、1977年)
- 『講座 地域開発と自治体2 公害都市の再生・水俣』(筑摩書房、1977年)
- 『講座 地域開発と自治体3 開発と自治の展望・沖縄』(筑摩書房、1979年)
- 『沼津住民運動の歩み』(日本放送出版協会、 1979年)
- 『地方財政の国際比較』<地方財政研究所叢書>(勁草書房、 1986年)
- 『公共性の政治経済学』(自治体研究社<現代自治選書>、 1989年)
- 『市民社会の思想-水田洋教授退官記念論文集-(新装版)』(大江志乃夫、永井義雄との共編、御茶の水書房、1989年 )
- 『東アジアの土地問題と土地税制-台湾・韓国・日本-』<地方財政研究所>(植田和弘との共編、勁草書房、1990年 )
- 『補助金の政治経済学』(朝日新聞社<朝日選書>、1990年 )
- 『地方自治体の現状と展望をさぐる(1)現代国家と地方自治』(日本民主法律家協会との共編、東方出版<東方ブックレット(1)>、1991年 )
- 『アジアの環境問題と日本の責任』(かもがわ出版、1992年 )
- 大島泰郎、八杉龍一『岩波市民大学 人間の歴史を考える(2)/人間への進化』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1992年 )
- 杉原泰雄『岩波市民大学 人間の歴史を考える(7)/人権の歴史』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1992年 )
- 辻村みよ子、金城清子 『岩波市民大学 人間の歴史を考える(8)/女性の権利の歴史』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1992年 )
- 加藤哲郎『岩波市民大学 人間の歴史を考える(9)/社会と国家』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1992年 )
- 木津川計『岩波市民大学 人間の歴史を考える(10)/人間と文化』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1992年 )
- 宮本憲一『岩波市民大学 人間の歴史を考える(14)/環境と開発』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1992年 )
- 海部宣男『岩波市民大学 人間の歴史を考える(1)/宇宙史の中の人間』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1993年 )
- 大田堯『岩波市民大学 人間の歴史を考える(4)/子育て・社会・文化』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1993年 )
- 布施晶子『岩波市民大学 人間の歴史を考える(5)/結婚と家族』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1993年 )
- 陣内秀信『岩波市民大学 人間の歴史を考える(6)/都市と人間』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1993年 )
- 中村政則『岩波市民大学 人間の歴史を考える(11)/経済発展と民主主義』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1993年 )
- 古川純『岩波市民大学 人間の歴史を考える(13)/戦争と平和』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1993年 )
- 『地域経済学』(横田茂、中村剛治郎との共編、有斐閣<有斐閣ブックス>(363)、1993年 )
- 道家道将『岩波市民大学 人間の歴史を考える(3)/からだの認識と医療』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1994年 )
- 『日本の土地問題と土地税制』<地方財政研究所叢書>(植田和弘との共編、勁草書房、1994年 )
- 『水俣レクイエム』(岩波書店、1994年 )
- 伊東光晴『岩波市民大学 人間の歴史を考える(15)/21世紀の世界と日本』(道家達将、中村政則、杉原泰雄らと共に編集委員として参加、岩波書店、1995年 )
- 『地球環境政策と日本の課題-立命館大学政策科学部開設記念シンポジウム-』(岩波書店<岩波ブックレット>(NO.368)、1995年 )
- 『沖縄21世紀への挑戦』(佐々木雅幸との共編、岩波書店、2001年 )
- 『セミナー現代地方財政-「地域共同社会」再生の政治経済学-』(小林昭、遠藤宏一との共編、勁草書房、2000年 )
- 『所得税の理論と思想』(鶴田広巳との共編、税務経理協会、2001年 )
- 『アスベスト問題-何が問われ、どう解決するのか-』(川口清史、小幡範雄との共編、岩波書店<岩波ブックレット>(NO.668)、2006年 )
- 『セミナー現代地方財政Ⅰ-「地域共同社会」再生の政治経済学-』(遠藤宏一との共編、勁草書房<勁草テキスト・ベストセレクション>、2006年 )
- 『セミナー現代地方財政Ⅱ-世界にみる地方分権と地方財政-』(鶴田廣巳との共編、勁草書房<勁草テキスト・ベストセレクション>、2008年 )
- 『沖縄論-平和・環境・自治の島へ-』(川瀬光義との共編、岩波書店、2010年 )
- 『普天間基地問題から何が見えてきたか』(西谷修、遠藤誠治との共編、岩波書店、2010年 )
- 『終わりなきアスベスト災害-地震大国日本への警告』(森永謙二、石原一彦との共編、岩波書店<岩波ブックレット>(NO.801)、2011年 )
- Asbestos Disaster: Lessons from Japan's Experience(Kenji Morinaga, Mori Hiroyuki との共編、Springer Japan、2011年 )
- 『現代租税の理論と思想』(鶴田廣巳、諸富徹との共編、岩波書店、2014年 )
- 『公害・環境研究のパイオニアたち-公害研究委員会の50年』(淡路剛久との共編、岩波書店、2014年 )
共著
- 『恐るべき公害』(庄司光との共著、岩波書店<岩波新書>、1964年
- 『財政危機の国際的展開』(島恭彦との共著、有斐閣、1974年 )
- 『日本資本主義発達史の基礎知識-成立・発展・没落の軌跡-』(大石嘉一郎との共著、有斐閣、1975年 )
- 『公害-その防止と環境を守るために-』<高校生のための現代社会>(塚谷恒雄との共著、東研出版、1982年 )
- 『公共事業と現代資本主義』(山田明との共著、垣内出版、1982年 )
- 『いま、水俣病は?』(原田正純との共著、岩波書店<岩波ブックレット>、1983年 )
- 『日本の公害』(庄司光との共著、岩波書店<岩波新書>、1983年 )
- 『公害-その防止と環境を守るために』(塚谷恒雄との共著、東研出版、1993年 )
- 『市民がつくる文化のまち・神戸』<メッセージ21(19)>(平田康、竹山清明との共著、労働旬報社、1993年 )
- 『社会の現実と経済学――21世紀に向けて考える』(石川経夫、宇沢弘文、内橋克人、佐和隆光との共著 岩波書店, 1994年)
- 『21世紀の農村をつくる』(若月俊一との共著、自治体研究社、1994年 )
- 『地域経営と内発的発展-農村と都市の共生をもとめて』(遠藤宏一との共著、農山漁村文化協会、1998年 )
- 『経済危機と学問の危機-岩波書店創業90年記念シンポジウム』(内橋克人、間宮陽介、吉川洋、大沢真理、神野直彦との共著、岩波書店、2004年 )
監修
- 『環境再生のまちづくり-四日市から考える政策提言』(遠藤宏一、除本理史、岡田知弘著、ミネルヴァ書房、2008年 )
- 『西淀川公害の40年-維持可能な環境都市をめざして』(森脇君雄、小田康徳との監修、除本理史、林美帆編著、ミネルヴァ書房、2013年 )
訳書
- ウィリアム.K.タブ『ニューヨーク市の危機と変貌 その政治経済学的考察』(横田茂、佐々木雅幸との監訳、法律文化社、1985年)
- エルンスト.ウルリッヒ.ワイツゼッカー『地球環境政策-地球サミットから環境の21世紀へ-』(楠田貢典、佐々木健との監訳、有斐閣、1994年)
- ジェフリー.E.ヘインズ『主体としての都市-関一と近代大阪の再構築-』(監訳、勁草書房、2004年)
分担執筆
- 島恭彦編『OD版 町村合併と農村の変貌』<京都大学総合研究所研究叢書9>(有斐閣、2005年 )
脚注
関連項目
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