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* [[ソフトバンクモバイル]]・[[911SH]]・[[911T]](2007年[[3月17日]] - 放映時期不明、[[斉藤和巳]]・[[川﨑宗則]]と共演) |
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2020年6月16日 (火) 12:07時点における版
千葉ロッテマリーンズ 戦略コーチ兼バッテリーコーチ補佐 #72 | |
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ロッテ時代 (2011年、ロッテ浦和球場にて) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市住吉区 |
生年月日 | 1977年5月9日(47歳) |
身長 体重 |
179 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト3位 |
初出場 | 2000年4月30日 |
最終出場 | 2011年10月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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的場 直樹(まとば なおき、1977年5月9日 - )は、大阪府大阪市住吉区出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)。現在は、千葉ロッテマリーンズ一軍戦略コーチ兼バッテリーコーチ補佐。
経歴
プロ入り前
明治大学時代は主将を務めながら木塚敦志とバッテリーを組み、アマチュアNo.1捕手と評価された。東京六大学リーグは通算60試合出場、205打数50安打、打率.244、本塁打3、打点18で、ベストナインを2回受賞している。
1999年のプロ野球ドラフト会議において、福岡ダイエーホークスから3巡目で指名を受け、入団。また、2000年のシドニーオリンピックのアジア最終予選に日本代表の一員として出場した。
ダイエー・ソフトバンク時代
2000年には正捕手の城島健司が負傷したため、34試合に出場した。
2004年に開催されたアテネオリンピックで、野球日本代表に城島が選出されると、田口昌徳と共にその穴を埋めた。2005年には城島がケガで離脱した際にも大半の試合でスターティングメンバーを任され、4年ぶりに本塁打も2本打った。その年出場したプレーオフにおいても、城島が公式戦終盤に骨折欠場したため、正捕手を任された。
2006年に城島がシアトル・マリナーズへ移籍したことからチームの新正捕手争いが激化した。的場は経験・安定感に勝ることから最有力候補と目されており、開幕先発出場を勝ち取るなどシーズン序盤は常時先発出場をしていたが、自身の打撃難と山崎勝己の台頭によって、中盤以降は斉藤和巳専属捕手の形になった。
2007年も引き続き、主に斉藤が先発する試合でマスクを被ったが、その斉藤本人が故障がちだったことや打力に秀でる田上秀則の台頭によって、前年よりもさらに出場機会が減少した。2008年は斉藤のケガが悪化したことでシーズンを棒に振ったことや、的山哲也の加入、さらに高谷裕亮が起用されたことからほとんど出番がなく、先発出場は2試合のみ、トータルでも8試合出場に留まった。
2009年は一軍出場すら無い状態で、二軍でも38試合の出場に留まる。同年10月3日にソフトバンクから戦力外通告を受けた[1]。その後行われた12球団合同トライアウトを受験し、千葉ロッテマリーンズの秋季練習でテストを受け、同年11月20日にロッテへの入団が発表された。なお、戦力外通告を受け、トライアウトを経てロッテの入団テストに合格するまでの顛末は、『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達2009』(TBSテレビ)で紹介された。
ロッテ時代
2010年は正捕手の里崎智也が離脱したこともあり、リードや守備での実力が認められ、一軍での出場機会を前シーズンから大幅に増やし「新たなるリストラの星」(「リストラの星」はソフトバンク時代の先輩・宮地克彦の代名詞だった)として注目された。この模様は『バース・デイ』(2010年5月1日)で「第2の野球人生 家族のために」として放送された。9月25日のオリックス・バファローズ戦ではプロ入り初の猛打賞を達成し、自己最多となるシーズン30安打を記録した。クライマックスシリーズでは里崎と併用で先発マスクを被り、リーグ優勝したソフトバンクを相手に「下剋上」を果たす。
ところが、2011年は27試合の出場に留まる。2012年は一軍出場無しとなり、同年10月7日付で戦力外通告を受け[2]、現役引退。
引退後
2013年に古巣のソフトバンクに3年ぶりに復帰し、スコアラーを務めた[3]。10月26日に北海道日本ハムファイターズの二軍バッテリーコーチに就任することが発表された。[4]
2017年10月7日に北海道日本ハムを退団し[5]、10月19日に千葉ロッテマリーンズの一軍戦略コーチ兼バッテリーコーチへの就任が発表された[6]。チームには一軍ヘッド兼内野守備走塁コーチの鳥越裕介がいるが、攻撃時は一塁ベースコーチを担当するため、的場はベンチで作戦面を担当する。2年目からは兼任しているバッテリーコーチが補佐に変更された[7][8]。
プレースタイル・人物
現役時代は遠投115メートルの強肩が売りで、キャッチングに定評があった[9]。
福岡ソフトバンクホークス所属時の2005年のパシフィック・リーグプレーオフ第2ステージで千葉ロッテマリーンズに敗退後、ベンチで人目もはばからず号泣したが、その際、骨折で出場出来なかった城島健司が松葉杖を突きながら的場のもとへ歩み寄り、「この悔しさを心に留めておけよ」と語りかけられた[10]。
実家は浄土真宗(真宗大谷派)の古刹・西光寺(大阪市住吉区)で、長男として生まれた。姉が1人いる[9][注釈 1]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | ダイエー ソフトバンク |
34 | 60 | 53 | 6 | 8 | 1 | 0 | 2 | 15 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 1 | .151 | .237 | .283 | .520 |
2003 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2004 | 13 | 16 | 15 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | .067 | .125 | .067 | .192 | |
2005 | 39 | 94 | 86 | 7 | 16 | 8 | 0 | 2 | 30 | 8 | 0 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 21 | 2 | .186 | .222 | .349 | .571 | |
2006 | 82 | 157 | 137 | 12 | 20 | 6 | 0 | 0 | 26 | 8 | 0 | 0 | 10 | 1 | 7 | 1 | 2 | 42 | 3 | .146 | .197 | .190 | .387 | |
2007 | 35 | 50 | 42 | 4 | 7 | 3 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 1 | 12 | 0 | .167 | .239 | .238 | .477 | |
2008 | 8 | 6 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .167 | .167 | .167 | .333 | |
2010 | ロッテ | 74 | 209 | 188 | 14 | 30 | 5 | 1 | 1 | 40 | 19 | 0 | 0 | 6 | 2 | 13 | 0 | 0 | 61 | 6 | .160 | .212 | .213 | .424 |
2011 | 27 | 74 | 70 | 2 | 13 | 1 | 0 | 0 | 14 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 24 | 1 | .186 | .208 | .200 | .408 | |
通算:9年 | 313 | 667 | 598 | 45 | 96 | 24 | 1 | 5 | 137 | 42 | 0 | 2 | 27 | 3 | 35 | 1 | 4 | 178 | 13 | .161 | .211 | .229 | .440 |
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
年度別守備成績
年度 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 32 | 115 | 12 | 0 | 1 | 4 | 1.000 | 23 | 16 | 7 | .304 |
2004 | 12 | 34 | 1 | 1 | 0 | 1 | .972 | 4 | 4 | 0 | .000 |
2005 | 37 | 242 | 13 | 4 | 4 | 0 | .985 | 18 | 14 | 4 | .222 |
2006 | 82 | 434 | 32 | 4 | 7 | 2 | .991 | 39 | 28 | 11 | .282 |
2007 | 33 | 135 | 7 | 2 | 0 | 1 | .986 | 17 | 14 | 3 | .176 |
2008 | 7 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 4 | 4 | 0 | .000 |
2010 | 73 | 417 | 28 | 3 | 4 | 3 | .993 | 48 | 42 | 6 | .125 |
2011 | 27 | 142 | 16 | 4 | 0 | 1 | .975 | 35 | 29 | 6 | .171 |
通算 | 303 | 1550 | 109 | 18 | 16 | 12 | .989 | 188 | 151 | 37 | .197 |
表彰
記録
- 初出場:2000年4月30日、対日本ハムファイターズ6回戦(東京ドーム)、5回表に坊西浩嗣の代打で出場。投手は金村曉
- 初打席:同上、投手ゴロ併殺打
- 初安打:同上、7回表に金村から右前安打
- 初先発出場:2000年6月2日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(福岡ドーム)、8番・捕手で先発出場
- 初本塁打・初打点:2000年6月23日、対千葉ロッテマリーンズ11回戦(福岡ドーム)、8回裏に川俣浩明から左越ソロ本塁打
背番号
- 26 (2000年 - 2009年)
- 67 (2010年 - 2012年)
- 82 (2014年 - 2017年)
- 72 (2018年 - )
登場曲
- DJ OZMA「Mr.DJ」(2010年)
- AKB48[11]
- 「フライングゲット」(1打席目)
- 「Everyday、カチューシャ」(2打席目)
- 「ヘビーローテーション」(3打席目)
- 4打席目以降は1〜3打席の繰り返し
応援歌
- みなさんもご一緒に(原曲)
関連情報
CM
脚注
出典
- ^ ソフトBが篠原、本間、的場に戦力外通告 - 野球ニュース : nikkansports.com 2009年10月3日
- ^ 戦力外通告のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月7日
- ^ 新入団のお知らせ - 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2012年12月10日
- ^ "厚澤コーチ、的場コーチが就任会見" (Press release). 北海道日本ハムファイターズ. 26 October 2013. 2013年10月28日閲覧。
- ^ “コーチ退任のお知らせ|北海道日本ハムファイターズ”. 北海道日本ハムファイターズ (2017年10月7日). 2018年1月20日閲覧。
- ^ “的場直樹氏 一軍戦略兼バッテリーコーチ就任のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2017年10月19日). 2017年10月21日閲覧。
- ^ ロッテの来季コーチングスタッフが決定 Full-count 2018年11月1日
- ^ ロッテが来季組閣発表、引退の福浦が2軍ヘッド兼打撃コーチ サンケイスポーツ 2019年11月1日
- ^ a b 『2000プロ野球プレイヤーズ名鑑』スポーツニッポン新聞社、2000年、15頁頁。T1117630040357。
- ^ 『応援ありがとう!2005福岡ソフトバンクホークス激闘の軌跡』ソフトバンククリエイティブ、2005年、30頁頁。ISBN 4-7973-3331-6。
- ^ 選手登場曲 - 千葉ロッテマリーンズ公式サイト 2011年10月4日
注釈
- ^ 実家が寺院であるとは明記されていないが、家族構成に父親が当住職である的場彰生と記載されている。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 的場直樹 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 的場直樹オフィシャルブログ「Matton67 新たなる挑戦」 - Ameba Blog