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'''扶餘郡'''(プヨぐん、ふよぐん)は、[[大韓民国]][[忠清南道]]の郡である。[[百済]]最後の都・[[泗沘]]があった。過疎化で若干人口減少気味となっている。1邑(町)15面(村)からなる。郡庁所在地は扶餘邑。 |
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[[538年]]から[[660年]]まで6人の国王の時代(123年間)にわたって百済王国の都であった[[泗沘]]の地である。[[新羅|統一新羅]]、[[高麗]]時代には扶餘県となり、[[李氏朝鮮]]時代には林川郡の下に扶餘県、鴻山県、石城県が設置された。 |
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[[1895年]]に県は郡に変更、[[1914年]]3郡は扶餘郡に統合(16面)され、[[1960年]]扶餘面が邑に昇格した。 |
2020年9月3日 (木) 11:21時点における版
位置 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 부여군 |
漢字: | 扶餘郡 |
片仮名転写: | プヨグン |
ローマ字転写 (RR): | Buyeogun |
統計 | |
面積: | 634.9 km2 |
総人口: | (2005年4月)82,546 人 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
上位自治体: | 忠清南道 |
下位行政区画: | 1邑15面 |
行政区域分類コード: | 34330 |
自治体公式サイト: | 扶餘郡 |
扶餘郡(プヨぐん、ふよぐん)は、大韓民国忠清南道の郡である。百済最後の都・泗沘があった。過疎化で若干人口減少気味となっている。1邑(町)15面(村)からなる。郡庁所在地は扶餘邑。
地理
忠清南道西南部、錦江(白馬江)流域に位置し、北は忠清南道青陽郡、公州市、東は論山市、南は錦江を隔てて全羅北道益山市と接する。西は海に近い忠清南道保寧市と舒川郡となる。
歴史
538年から660年まで6人の国王の時代(123年間)にわたって百済王国の都であった泗沘の地である。統一新羅、高麗時代には扶餘県となり、李氏朝鮮時代には林川郡の下に扶餘県、鴻山県、石城県が設置された。
1895年に県は郡に変更、1914年3郡は扶餘郡に統合(16面)され、1960年扶餘面が邑に昇格した。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、扶餘郡・林川郡・鴻山郡および石城郡の一部・魯城面素沙面の区域をもって、改めて扶餘郡が発足。扶餘郡に以下の面が成立。[1](16面)
- 県内面・窺岩面・恩山面・草村面・忠化面・良花面・林川面・場岩面・世道面・外山面・内山面・九龍面・鴻山面・玉山面・南面・石城面
府令第111号
- 1917年10月1日 - 県内面が扶餘面に改称。[2](16面)
- 1960年1月1日 - 扶餘面が扶餘邑に昇格。[3](1邑15面)
- 1973年7月1日(1邑15面)
- 石城面の一部が扶餘邑に編入。
- 場岩面の一部が世道面に編入。
行政
- 郡守:金茂煥
行政区域
邑・面 | 法定里 |
---|---|
扶餘邑 | 佳増里、佳塔里、官北里、旧校里、旧衙里、軍守里、陵山里、東南里、上錦里、石木里、松間里、松谷里、新正里、双北里、塩倉里、旺浦里、龍井里、自旺里、楮石里、井洞里、中井里、県北里 |
窺岩面 | 窺岩里、金岩里、羅福里、内里、芦花里、茅里、盤山里、扶餘頭里、石隅里、秀木里、新里、新城里、午水里、外里、津辺里、咸陽里、合松里、合井里、虎岩里 |
恩山面 | 佳谷里、佳中里、角垈里、巨田里、敬屯里、琴公里、羅嶺里、内地里、大陽里、新垈里、五番里、龍頭里、恩山里、長閥里、合首里、洪山里、桧谷里 |
草村面 | 山直里、細塔里、素沙里、松菊里、松丁里、莘岩里、蓮花里、鷹坪里、真湖里、草坪里、楸陽里 |
忠化面 | 可化里、晩智里、福金里、五徳里、支石里、天堂里、青南里、八忠里、玄眉里 |
良花面 | 内城里、碧龍里、上村里、松亭里、水原里、時音里、岩樹里、五良里、元堂里、笠浦里、足橋里、草旺里 |
林川面 | 加神里、旧校里、郡司里、豆谷里、万社里、鉢山里、飛亭里、玉谷里、店里、七山里、塔山里 |
場岩面 | 北皐里、上黄里、石東里、元門里、長蝦里、店上里、亭岩里、紙土里、下黄里、閤谷里 |
世道面 | 佳桧里、艮大里、帰徳里、東寺里、頒詔院里、沙山里、水古里、長山里、青松里、菁浦里、花樹里 |
外山面 | 佳徳里、葛山里、万寿里、文臣里、盤橋里、福徳里、飛岩里、三山里、水新里、獐項里、前場里、芝仙里、花城里 |
内山面 | 金池里、麻田里、妙院里、温蟹里、雲峙里、栗岩里、苧洞里、珠岩里、芝峙里、天宝里 |
九龍面 | 九鳳里、金寺里、論峙里、東芳里、龍堂里、舟亭里、竹橋里、竹節里、太陽里、玄岩里 |
鴻山面 | 校院里、南村里、務亭里、北村里、上川里、井洞里、鳥峴里、坐鴻里、土亭里、鴻良里 |
玉山面 | 加徳里、上基里、新安里、秀岩里、鴻淵里、鶴山里、中陽里、安西里、鳳山里、内垈里、大徳里 |
南面 | 新鴻里、桧洞里、三龍里、松岩里、大船里、内谷里、松鶴里、金川里、馬井里 |
石城面 | 鳳亭里、碑堂里、石城里、正覚里、甑山里、県内里 |
警察
消防
- 扶餘消防署(窺岩面にある)
観光
- 国立扶餘博物館 - 1945年国立博物館扶餘分館設置、1971年新館開館、1975年国立扶餘博物館に昇格、1993年金城山に移転。
- 扶蘇山 - 海抜94メートル、百済時代の扶蘇山城があった。
- 王宮址 - 扶蘇山南側一帯とされる。
- 定林寺址 - 王都時代の中心的寺院。国宝の五層石塔が今も残る。中国南朝の梁は541年に仏典や画家などを百済に送ったとの記録があり、梁からの技術者が新しい都にふさわしい施設として造ったと考えられている。敷地内には定林寺址博物館が設置され、定林寺の歴史・建築様式・文物等の展示がある。
- 落花岩 - 百済滅亡時、宮女たちが投身したという伝説がある。
- 百済文化祭 - かつて百済の都であった扶餘と公州が交代で毎年10月6日から9日まで開催する。
- 白馬江 - 錦江上流で白村江の戦いが行われたとされる川と推定されている場所の一つ。
- 百済文化団地:百済文化が体験出来るテーマパーク。2006年開業。
交通
バス
- 扶餘バスターミナル
- 高速バスはない。市外バスはソウル南部市外バスターミナルから40分間隔で運行し、所要時間は2時間。大田から(論山経由)は15~40分間隔で所要時間1時間30分。