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「太田正孝 (市議会議員)」の版間の差分

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[[2001年]]、横浜市議を6期目の任期途中で辞職。[[第19回参議院議員通常選挙]]に[[自由党_(日本 1998-2003)|自由党]]公認で[[神奈川県選挙区]]から出馬したが、惨敗した。[[2003年]]、横浜市議選に出馬し返り咲きを果たす。


[[2018年]]5月14日に、[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]入党が同神奈川県連から発表された<ref>神奈川新聞2018年5月15日第2面</ref>。
[[2018年]]5月14日に、[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]入党が同神奈川県連から発表された<ref>神奈川新聞2018年5月15日第2面</ref>。


== 政策・主張 ==
== 政策・主張 ==

2020年11月1日 (日) 10:10時点における版

太田 正孝(おおた まさたか、1945年(昭和20年)11月11日 - )は、日本政治家実業家横浜市会議員(11期)。

来歴

神奈川県出身。1961年日本鋼管鶴見造船所養成校に入学。1964年神奈川県庁に入庁し、働きながら1966年神奈川県立希望ヶ丘高等学校定時制を卒業する。中央大学法学部通信制中退[1][2]

1971年、神奈川県庁を退職し、横浜市会議員選挙に出馬するが落選。1975年に再び横浜市議選に出馬したが、再度落選した。1979年新自由クラブ公認で磯子区選挙区から横浜市議選に出馬し、初当選を果たす。以後、通算9回当選。新自由クラブ解党後は横浜市会で横浜自由クラブを結成。1987年の横浜市議選では横浜自由クラブに加え、進歩党(新自由クラブ解党後、田川誠一が結成)推薦で3選を果たした。

2001年、横浜市議を6期目の任期途中で辞職。第19回参議院議員通常選挙自由党公認で神奈川県選挙区から出馬したが、惨敗した。2003年、横浜市議選に出馬し返り咲きを果たす。

2018年5月14日に、立憲民主党入党が同神奈川県連から発表された[3]

政策・主張

  • 新人市議時代、中区の元町地区高速道路高架建設に際し地下化を主張するも容れられず、頭を丸める。
  • 1987年9月、当時横浜市長だった細郷道一自治医科大学附属病院入院について(当時MRIのなかった横浜市立大学医学部附属病院でなく)「自治医科大学に入院できる市長は幸せだ。それに引き換え(横浜)市民は可哀そうではないか」と市立大学病院の設備充実を訴える質問をしたところ、横浜市会自由民主党から市長への謝罪を要求された。これに対し太田が「謝罪する理由はない」と拒絶したところ、懲罰動議が提出され、市議会への出席停止処分を受けた[4]
  • 2001年の参議院選挙に自由党から出馬した際に、地元新聞から小泉純一郎内閣総理大臣靖国神社公式参拝に関する感想を聞かれ「戦没者の御霊(みたま)に対して、首相や大臣が真摯な気持ちでまことを尽くすことは、だれかがとめられるものでもない。ただ、靖国神社を(国家)神道復活などの政治的な目的に利用するような気持ちがみじんもあってはならない」と回答した[5]
  • 「清朝打倒に13回失敗し、14回目にして成し遂げた。不屈の精神に敬服する」ことを理由に孫文を尊敬する[6]
  • 市町村合併に対して「極端に提言すると、横浜市川崎市相模原市横須賀市を核として周辺市町村が合併した4政令指定都市ができれば、神奈川県神奈川県議会は不要であり、4政令指定都市市長と各市議会代表3人程度を神奈川県レベルの共通課題を協議する連絡調整機関にすることで1兆円の無駄は省ける」と主張した[7]
  • 市内4か所の動物園・大さん橋・横浜国際総合競技場の建設や、中田宏市長の下で導入が検討されていた横浜「みどり税」に反対した。

人物

  • 横浜市会議員の他、氷取沢ファミリー牧場や大福不動産、グリフィンスクール等を経営する実業家でもある。
社会福祉法人「みどりのその」の理事長、法務省人権擁護委員を務めた。自治功労によって藍綬褒章を受章している

脚注

  1. ^ 「ISOGOニュース」平成26年新年号
  2. ^ 2001年参議院神奈川県選出議員選挙選挙公報
  3. ^ 神奈川新聞2018年5月15日第2面
  4. ^ 「市政100周年 開港130周年 横浜市会の百年」(横浜市会百年史刊行委員会、1989)P441~443」
  5. ^ 神奈川新聞2001年7月15日23面
  6. ^ 神奈川新聞2001年7月14日21面
  7. ^ 神奈川新聞2001年7月16日21面