コンテンツにスキップ

「小鹿番」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 切れたアンカーの修正 - 古谷一行の金田一耕助シリーズ (古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズII(1978年)|横溝正史シリーズII) - log
151行目: 151行目:
** [[暴れん坊将軍III]] 第31話「泣くな男だ!がまん坂」(1988年) - 吉野屋徳兵衛
** [[暴れん坊将軍III]] 第31話「泣くな男だ!がまん坂」(1988年) - 吉野屋徳兵衛
** [[暴れん坊将軍のエピソード一覧#暴れん坊将軍VIII|暴れん坊将軍VIII]] 第6話「犯された義母の仕掛けた罠」(1997年) - 喜平
** [[暴れん坊将軍のエピソード一覧#暴れん坊将軍VIII|暴れん坊将軍VIII]] 第6話「犯された義母の仕掛けた罠」(1997年) - 喜平
* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI・II|横溝正史シリーズII]] / [[迷路荘の惨劇]](1978年、MBS / 三船プロ) - 刑事
* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズII(1978年)|横溝正史シリーズII]] / [[迷路荘の惨劇]](1978年、MBS / 三船プロ) - 刑事
* [[森村誠一]]シリーズII / [[野性の証明#テレビドラマ|野性の証明]](1979年、MBS / 東映) - 氷川支店長
* [[森村誠一]]シリーズII / [[野性の証明#テレビドラマ|野性の証明]](1979年、MBS / 東映) - 氷川支店長
* [[白い巨塔 (1978年のテレビドラマ)|白い巨塔]](1978年 - 1979年、CX) - 佐々木信平
* [[白い巨塔 (1978年のテレビドラマ)|白い巨塔]](1978年 - 1979年、CX) - 佐々木信平

2021年4月18日 (日) 10:16時点における版

こじか ばん
小鹿 番
本名 小鹿 敦(こじか あつし)
生年月日 (1932-06-18) 1932年6月18日
没年月日 (2004-04-29) 2004年4月29日(71歳没)
出生地 日本の旗 日本, 東京都
死没地 日本の旗 日本, 東京都
ジャンル 俳優
活動期間 1957年 - 2004年
配偶者 あり
主な作品
テレビドラマ
前略おふくろ様
かたぐるま』(第1シリーズ)
しおり伝説〜スター誕生〜
 
受賞
第16回菊田一夫演劇賞特別賞
放浪記』出演者の一人として
第19回菊田一夫演劇賞
『ゆずり葉』(1993年
テンプレートを表示

小鹿 番(こじか ばん、1932年6月18日 - 2004年4月29日)は、日本俳優東京都出身。本名および旧芸名・小鹿 敦(こじか あつし)。主に舞台俳優として活躍した。

来歴・人物

浅草合羽橋に生まれる。大宮高校時代から演劇を志す。明治大学文学部演劇学科卒。1957年、劇団東宝現代劇に1期生として入団。 1964年、交通事故で入院した八波むと志の代役として、『マイ・フェア・レディ』のアルフレッド・ドゥーリトル役で評判になる。[1]

1993年の『ゆずり葉』で第19回菊田一夫演劇賞を受賞。

林芙美子原作・森光子主演の舞台『放浪記』で菊田一夫を演じ、『ラ・マンチャの男』ではサンチョ役を演じる。舞台を中心に活動する一方、映画やテレビドラマでも味のある名脇役として数々の作品に出演した。

2004年4月29日急性腎不全のため死去。71歳没[2]。同年3月2日 - 3月29日、つまり死の1か月前まで名古屋市にある中日劇場で公演を行っていた。また、晩年はフジテレビ系のバラエティ番組『痛快! 知らぬはオトコばかりなり』のレギュラーとして、妻と一緒に出演していた。

芸名は、童話やディズニー映画の『バンビ』から。

出演

テレビドラマ

etc.

映画

etc.

舞台

バラエティ

脚注

  1. ^ 小藤田千栄子「ミュージカル・コレクション」18ページ下段 講談社 1986年11月4日
  2. ^ 名脇役者・小鹿番さん死去…「放浪記」など出演”. ZAKZAK (2004年4月30日). 2004年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月8日閲覧。

外部リンク