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[[File:Pot-au-feu2.jpg|thumb|250px|[[ポトフ]]]]
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'''フランス料理'''(フランスりょうり {{lang-fr|Cuisine française}})は、[[フランス]]で発祥した様々な食文化の総称。現代では[[世界三大料理]]の一つに数えられている。
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'''フランス料理'''(フランスりょうり {{lang-fr|Cuisine française}})は、[[フランス]]で発祥した食文化および調理技術であるが、フランスという全国名義で一括されるものではなく、フランスの各地域に存在している郷土食文化の総称としての定義が強調されている。現代では[[世界三大料理]]の一つに数えられている。2010年に[[ガストロノミー|フレンチガストロノミー(フランス美食学)]]は[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録された<ref>{{Cite web|url=http://www.unesco.org/culture/ich/index.php?lg=en&pg=00011&RL=00437|title=Gastronomic meal of the French|publisher=ユネスコ|accessdate=2013-10-27}}</ref>。
中世後期には源流となるメニューが存在していたとされ、その概形は14世紀当時のレシピを編纂したという「''{{仮リンク|Viandier|fr|Viandier|}}''」から窺い知る事が出来る。16世紀になると[[イタリア料理]]の大きな影響を受ける事になったが、17世紀前半からフランス本来の料理様式を確立する運動が始まり、宮廷料理モデルの[[オートキュイジーヌ]]の誕生とワインとチーズ文化の開明などを経て、後世に継承される伝統的なフランス料理文化が形成されていった。

20世紀に入ると[[オーギュスト・エスコフィエ]]によって体系化されたフランス料理の国際的知名度は飛躍的に高まったが、高級料理としての一面ばかりが脚光を浴びる事にもなった。フランス料理の代表的なメニューはローカルな郷土料理から発展したものが多く、各地方の食文化を抜きにして語る事は出来なかった。こうした点が見直される中で20世紀半ばからは、いわゆるカントリーサイドの料理にも焦点が置かれるようになり、多様性に富んだ食文化の総合体であるフランス料理本来の姿が世界中に知られるようになった。2010年に[[ガストロノミー|フレンチガストロノミー(フランス美食学)]]は、[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録された<ref>{{Cite web |url=http://www.unesco.org/culture/ich/index.php?lg=en&pg=00011&RL=00437 |title=Gastronomic meal of the French |publisher=ユネスコ |accessdate=2013-10-27}}</ref>。


==歴史==
==歴史==
=== 中世 ===
=== 中世 ===
[[ファイル:Tombe Guillaume Tirel.jpg|サムネイル|221x221ピクセル|[[ギヨーム・ティレル|ティレル]]]]
[[ファイル:Tombe Guillaume Tirel.jpg|サムネイル|194x194px|[[ギヨーム・ティレル|ティレル]]]]
中世フランス料理は宮廷内の専売特許であり、明確な作法はまだ存在ず特に規則性の無い雑多なメニューが次々とあるいは一斉にテーブルに並べられていた。当時の食文化の中で特徴的なものを挙げると、食肉は加熱調理された後に厚くスライスされてマスタード風味の濃厚なソースで味付けされるが多く、皿は使われず平べったいカリカリのパンの上に料理は置かれ、そ手づかみで食べていた。スープやシチューはテーブルのくぼみに注がれ、パン浸すかスプーンまたは手のひらですくって飲んでいた。中世フランス料理の代表的なシェフは'''[[ギヨーム・ティレル]]'''であり、14世紀に活躍した彼のレシピをまとめたとされる「''{{仮リンク|Viandier|fr|Viandier|}}''」は一部に後世の創作が疑われるものの、現在に繋がるフランス料理の原型と見なされている。
中世フランス料理は宮廷内限定食文化であった。まだ明確な作法は存在しておら、給仕においても特に規則性の無い雑多なメニューが次々とあるいは一斉にテーブルに並べられていた。食肉は加熱調理された後に厚くスライスされてマスタード風味の濃厚なソースで味付けされることが多かったようである。食器の使用も稀であったようで、硬平板状のパンが皿とし用いらていた。ナイフやフォークの使用も一般的でなく直接手づかみで食べるのが普通だった。スープやシチューはテーブルにある専用のくぼみに注がれ、それらはパン浸すか、直接手のひらで器用にすくって飲んでいたという。中世フランス料理の代表的なシェフは[[ギヨーム・ティレル]]であり、14世紀に活躍した彼のレシピをまとめたとされる「''{{仮リンク|Viandier|fr|Viandier|}}''」は一部に後世の創作が疑われるものの、現在に繋がるフランス料理の源流に位置付けられている。


=== 近世(16〜18世紀) ===
=== 近世(16〜18世紀) ===
[[ファイル:Cuisinierfrancois.jpg|サムネイル|314x314ピクセル|ヴァレンヌの著書]]
[[ファイル:Cuisinierfrancois.jpg|サムネイル|274x274px|ラ・ヴァレンヌ]]
16世紀から17世紀にかけてのフランス料理は[[イタリア料理]]の大きな影響を受けており、これは[[カトリーヌ・ド・メディシス]]が[[ヴァロワ朝]]の[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]に輿入れした際に連れてたイタリア料理人に起因するという説もあ、自然にもたらされたとする見方もる<ref name="松本・持田">[[フランス料理#松本・持田(2003)|松本・持田(2003)]]</ref>。にナイフとフォークを用いる食事作法が一般的となった。17世紀になるとイタリア料理の影響から離れる方向でフランス料理の改革が進められるようになり、フランス宮廷料理の定型とされる「[[オートキュイジーヌ|オートキュイジーヌ(至高料理)]]」が誕生した。これは今日ではフランスの伝統的な高級料理モデルとして認知されている。17世紀の高名なシェフである'''{{仮リンク|ラ・ヴァレンヌ|fr|François Pierre de La Varenne|}}'''はフランス初の正式レシピ書となる「''Le cuisinier françois''」を1651年に上梓して当時の料理事情を伝えている。その後も様々な宮廷料理人が調理技術の創意工夫を加え、上品で繊細なフランス式の料理スタイルは[[ブルボン朝]]期を通して確立されていた。なお、当時は[[ギルド|ギルド(同業組合)]]の統制により食材業者と調理師の商業活動が制限されていたので、宮廷内で育まれていたフランス料理文化が市民の間にまで広まには[[アンシャン・レジーム|封建制度]]の消滅まで待たねばならなかった
16世紀のフランス料理は[[イタリア料理]]の大きな影響を受けてほとんど一体化していたほどだったとも伝えられている。これは[[フィレンツェ]]出身の[[カトリーヌ・ド・メディシス]]が[[ヴァロワ朝]]の[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]に輿入れした際に連れてたイタリア料理人に起因すると言わているが[[ルネサンス期]]の両国の文化交流の中で自然にもたらされていたという見方も存在する<ref name="松本・持田">[[フランス料理#松本・持田(2003)|松本・持田(2003)]]</ref>。イタリア料理文化影響よってフランスでもナイフとフォークを用いる食事作法が一般的になっている。

17世紀になるとフランス主義の復興が重んじられて、イタリア料理の影響から離れる方向性でのフランス料理の改革運動が始められた。その結果誕生した「[[オートキュイジーヌ|オートキュイジーヌ(至高料理)]]」はフランス宮廷料理のフォーマルな様式として定着し、現代ではフランスの伝統的な高級料理モデルとして認識されている。[[ワイン]]と[[チーズ]]文化および[[パティスリー]]の世界も本格的な開明を迎えた。17世紀の高名なシェフである{{仮リンク|ラ・ヴァレンヌ|fr|François Pierre de La Varenne|}}が1651年に上梓した「''Le cuisinier françois''」は、フランス初の正式なレシピ書として当時の宮廷料理事情を現代に伝えている。フランス料理は[[ヴァロワ朝]]から[[ブルボン朝]]時代を通して豪華絢爛な発展を遂げたが、依然王侯貴族のための宮廷内の専売特許であった。当時は[[ギルド|ギルド(同業組合)]]の統制によって食材業者と調理師の商業活動が制限されていたので、フランス料理文化の一般市民への普及は[[アンシャン・レジーム|封建制度]]の消滅まで待たねばならなかった。


=== 近代(19世紀) ===
=== 近代(19世紀) ===
[[ファイル:M-A-Careme.jpg|サムネイル|211x211ピクセル|[[アントナン・カレーム|カレーム]]]]
[[ファイル:M-A-Careme.jpg|サムネイル|186x186px|[[アントナン・カレーム|カレーム]]]]
18世紀末に[[フランス革命]]が勃発すると宮廷での職を失った料理人たちが各地に流出し、また[[アンシャン・レジーム]]の崩壊に伴う[[ギルド|ギルド(同業組合)]]制度の消滅によって、彼らが街角で自由に[[レストラン]]を開けるようになった事から、フランス料理は市民の間にも大々的に広まり始めた。19世紀前半にシェフの帝王と称えられ'''[[アントナン・カレーム]]'''[[オートキュイジーヌ|オートキュイジーヌ(至高料理)]]の芸術性と美食性を更に高め、また「''L'art de la cuisine française au dix-neuvième siècle''」を始めとする様々な著書を残し、その中で洗練されたメニューと精緻を凝らしたレシピを数多く紹介しフランス料理の発展に大きく貢献した。カレームはいわゆる[[シェフ|セレブシェフ]]の元祖でもあった。
18世紀末に勃発した[[フランス革命]]はフランス料理文化にっても一大転機になった。[[アンシャン・レジーム]]の崩壊によって宮廷での職を失った料理人たちが多数流出し、また[[ギルド]]制度の消滅によって商業活動に対する規制も撤廃された。宮廷出身の料理人たちが街角で自由にを開けるようになった事から、市街地にはそれまでにない洗練されたレストランが立ち並ぶようになり、革命で富裕化した市民たちがそこに通い詰めるようになって、フランス料理は市民レベルで普及時代を迎えた。そうした自由な気風の中でカリスマ的なシェフも登場するようになり、特に有名だった[[アントナン・カレーム]]はシェフの帝王と称えられていた。カレームは[[オートキュイジーヌ]]の芸術性と美食性を更に高め、また「''L'art de la cuisine française au dix-neuvième siècle''」を始めとする著書の中で洗練されたメニューと精緻を凝らしたレシピを数多く紹介しフランス料理の近代的発展に大きく貢献した。


=== 近現代(1900年前後) ===
=== 近現代(1900年前後) ===
[[ファイル:Auguste Escoffier 01.jpg|サムネイル|225x225ピクセル|[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]]]
[[ファイル:Auguste Escoffier 01.jpg|サムネイル|218x218px|[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]]]
19世紀後半になるとシェの偉人・'''[[オーギュスト・エスコフィエ]]'''によってフランス料理は新た時代えるになった。エスコフィエは、[[アントナン・カレーム|カレーム]]によってみ出されたレシピの技巧に走り過ぎている部分を巧みに簡略化してより実用的調理出来るよう各種メニューを再構築した。また「[[ブリゲード・ド・キュイジーヌ|ブリガード・ド・キュイジーヌ]]」と呼ばれる組織構造を厨房に導入して調理作業の効率化を図った。更に厨房内に規律と礼節を行き渡らせて料理人達の社会的地位をも向上させた。本来はチーフを意味する「[[シェフ]]」が西洋コックの代名詞なったのは、[[ブリゲード・ド・キュイジーヌ|ブリガード]]内の各調理責任者にシェフの呼称当てられていに由来している。エスコフィエが編み出したフランス料理知識の総体系は1903年刊行の「''{{仮リンク|Le guide culinaire|en|Le guide culinaire|}}''」にまとめられ
19世紀後半になるとフランス料理は[[オーギュスト・エスコフィエ]]によって形式的な体系化が進められ、従来にないアカデミックな料理文化へと発展した。エスコフィエによる調理技術の理論的な形式化は、料理文化の輸出というグローバル運動の際にも有利になり、フランス料理がイタリア料理差し置いて[[世界三大料理]]の座に据られたのは彼の体系化によところが大きいと言われる。各国のフォーマルな正餐や晩餐会でも持てはやされるようになり、フランス料理は高級料理の代名詞になった。エスコフィエは、[[アントナン・カレーム|カレーム]]によってみ出された数々のレシピの技巧に走り過ぎている部分を巧みに簡略化してより実用的調理工程に沿えるよう再構築した。また「[[ブリゲード・ド・キュイジーヌ|ブリガード・ド・キュイジーヌ]]」と呼ばれる組織構造を厨房に導入して調理作業の効率化を図った。本来はチーフを意味する「[[シェフ]]」が西洋コックの代名詞なったのは、彼が[[ブリゲード・ド・キュイジーヌ|ブリガード]]内の各調理責任者にシェフの呼称当てたことに由来している。エスコフィエは厨房内のモラル教育も重視し、規律と礼節を行き渡らせて料理人たちの社会的地位向上にも腐心していた。エスコフィエが形式化したフランス料理知識体系は1903年刊行の「''{{仮リンク|Le guide culinaire|en|Le guide culinaire|}}''」にまとめられており、これはフランス料理のバイブルになっている


=== 現代(20世紀) ===
=== 現代(20世紀) ===
1930年代に入ると[[戦間期|大戦間期]]の三大シェフと言われる[[フェルナン・ポワン]]、[[アレクサンドル・デュメーヌ]]、[[アンドレ・ピック]]らが、[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]の料理体系を受け継ぎながらも更に時代に合わせた形へと進化させていった。1970年代になると、濃厚な味付けを避けて新鮮な素材の風味を活かした調理技法が、ポワンの弟子である[[ポール・ボキューズ|ボキューズ]]、[[アラン・シャペル|シャペル]]、[[トロワグロ兄弟]]たちを中心にして指向されるようになり、これは「[[ヌーベルキュイジーヌ|ヌーベルキュイジーヌ(新生料理)]]」と呼ばれてフランス料理の新たな潮流なった。1980年代半ばになると、濃厚なソースを重視する古典回帰のメニューが見直されて本来の主流戻り始めた。現在もシェフによる新しい調理技法の探求は続けられており、古典重視の保守性と自由で柔軟な[[アバンギャルド|前衛性]]を持ち合わせたフランス料理文化は終わりのない進化の様相を呈している。
1930年代に入ると[[戦間期|大戦間期]]の三大シェフと言われる[[フェルナン・ポワン]]、[[アレクサンドル・デュメーヌ]]、[[アンドレ・ピック]]らが、[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]の料理体系を受け継ぎながらも更に時代に合わせた形へと進化させていった。1960年代になると、エスコフィエの料理体系から素朴な家庭料理や郷土料理の数多くが取り残されているという問題点が指摘されるようになり、従来の高級料理一辺倒のイメージ払拭を兼ねて、カントリーサイドに焦点を当てたフランス料理本来の姿を全世界に紹介しようとする運動が始められた。その中では郷土料理文化の積極的アピールと、それを体験させるためのガストロノミーツアー(美食旅行)が数多く企画されて[[ミシュランガイド|ミシェランガイド]]などが大きな役割を果たした。1970年代になると、伝統的なソースによる濃厚な味付けをあえて避けるようにして新鮮な素材主体の風味を活かそうとする調理技法が、ポワンの弟子である[[ポール・ボキューズ|ボキューズ]]、[[アラン・シャペル|シャペル]]、[[トロワグロ兄弟]]たちを中心にして指向されるようになり、これは「[[ヌーベルキュイジーヌ|ヌーベルキュイジーヌ(新生料理)]]」と呼ばれてフランス料理の新たな潮流なった。1980年代半ばになると、濃厚なソースを重視する古典回帰の調理技術が見直されて[[オートキュイジーヌ]]代表される伝統的な料理様式が改て支持されるようになった。その中で伝統技術と現代科学技術をミックスさせようとする調理技法も誕生し、[[ジョエル・ロブション|ロブション]]、[[ピエール・ガニェール|ガニェール]]、[[アラン・デュカス|デュカス]]、[[ベルナール・ロワゾー|ロワゾー]]といったシェフたちが担い手になった。現在もシェフたちによる新しい調理技法の探求は続けられており、古典重視の保守性と自由で柔軟な[[アバンギャルド|前衛性]]を持ち合わせたフランス料理文化は終わりのない進化の様相を呈している。


==主なメニュー==
==メニュー==
{{Main|フルコース}}'''オードブル(hors d'œuvre)'''<gallery perrow="10">
フランス料理の献立はオードブル/アントレ(''hors d'œuvre / entrée'')、メインディッシュ(''plat principal'')、デザート(''dessert'')の三構成でしばしば提供される。
{{Main|フルコース}}
;オードブル / アントレ / プラ プランシパル
<gallery perrow="6">
ファイル:Terrine de saumon au basilic.JPG|[[テリーヌ]]
ファイル:Terrine de saumon au basilic.JPG|[[テリーヌ]]
</gallery>'''アントレ(entrée)'''<gallery perrow="10">
ファイル:Foie gras en cocotte.jpg|''[[フォアグラ]]''
ファイル:Foie gras en cocotte.jpg|''[[フォアグラ]]''
ファイル:Lobster bisque.jpg|[[ビスク]]
ファイル:Lobster bisque.jpg|[[ビスク]]
ファイル:Croque monsieur.jpg|[[クロックムッシュ]]
</gallery>'''プラ プランシパル(''plat principal'')'''<gallery perrow="10">
ファイル:Pot-au-feu2.jpg|[[ポトフ]]
ファイル:Pot-au-feu2.jpg|[[ポトフ]]
ファイル:Flickr - cyclonebill - Bøf med pommes frites (1).jpg|[[フレンチフライ|ステーキフライ]]
ファイル:Flickr - cyclonebill - Bøf med pommes frites (1).jpg|[[フレンチフライ|ステーキフライ]]
</gallery>'''パティスリー(Pâtisserie)'''<gallery perrow="10">
ファイル:Croque monsieur.jpg|[[クロックムッシュ]]
ファイル:Baguette mie.jpg|[[フランスパン|バゲット]]
</gallery>
;デザート
<gallery perrow="6">
ファイル:200501 - 6 fromages.JPG|[[フロマージュ]]
ファイル:Lille Meert2.JPG|[[ペイストリー]]
ファイル:Mille-feuille 20100916.jpg|[[ミルフィーユ]]
ファイル:Mille-feuille 20100916.jpg|[[ミルフィーユ]]
ファイル:Arc-en-ciel comestible.jpg|[[マカロン]]
ファイル:Arc-en-ciel comestible.jpg|[[マカロン]]
ファイル:Eclairs at Fauchon in Paris.jpg|[[エクレア]]
ファイル:Eclairs at Fauchon in Paris.jpg|[[エクレア]]
ファイル:Crêpe Suzette au Citron.jpg|''[[クレープ]]''
</gallery>'''デザート(dessert)'''<gallery perrow="10">
ファイル:200501 - 6 fromages.JPG|[[フロマージュ]]
ファイル:Creme Brulee.jpeg|''[[クレームブリュレ]]''
ファイル:Creme Brulee.jpeg|''[[クレームブリュレ]]''
ファイル:Chocolate mousse.jpg|[[ムース (食品)|ムース]]
ファイル:Chocolate mousse.jpg|[[ムース (食品)|ムース]]
ファイル:Crêpe Suzette au Citron.jpg|''[[クレープ]]''
ファイル:Café Liégeois.jpg|[[パフェ]]
ファイル:Café Liégeois.jpg|[[パフェ]]
</gallery>
</gallery>


==各地域の料理==
==各地域の料理==
;[[シャンパーニュ]]、[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ]]、[[アルザス地域圏|アルザス]]料理
:その名の通り[[シャンパン]]の名産地であるシャンパーニュ地方は、良質な各種食肉とハムの生産地としても知られている。ロレーヌ地方はパイ風料理の[[キッシュ]]が有名であり、また新鮮な[[ジャム|フルーツジャム]]も特産品としている。アルザス地方は隣接するドイツ・アレマニアの食文化の影響を受けて[[シュークルート|シュークロート]]とビールが人気であり、地元の果物から作ったドイツ風蒸留酒の[[シュナップス]]でも有名である。
;[[プロヴァンス料理]]
;[[プロヴァンス料理]]
:[[プロヴァンス]]地方の料理。[[南イタリア]]料理や[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]料理と同じく[[トマト]]や[[オリーブ・オイル]]、[[オリーブ]]を多く用いる他、[[エルブ・ド・プロヴァンス]]と呼ばれる当地独特のハーブを多く調合したものを用いる。[[地中海]]に面した[[マルセイユ]]などの町では[[ブイヤベース]]などの魚料理も多い。[[カマルグ]]の{{仮リンク|ガルディアンヌ・ド・トロ|fr|Gardianne}}など、ごく一部の地域のみに伝わる伝統料理もある。この他[[アイオリソース]]もプロヴァンス料理の特色の一つである。
:[[プロヴァンス]]地方の料理。[[南イタリア]]料理や[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]料理と同じく[[トマト]]や[[オリーブ・オイル]]、[[オリーブ]]を多く用いる他、[[エルブ・ド・プロヴァンス]]と呼ばれる当地独特のハーブを多く調合したものを用いる。[[地中海]]に面した[[マルセイユ]]などの町では[[ブイヤベース]]などの魚料理も多い。[[カマルグ]]の{{仮リンク|ガルディアンヌ・ド・トロ|fr|Gardianne}}など、ごく一部の地域のみに伝わる伝統料理もある。この他[[アイオリソース]]もプロヴァンス料理の特色の一つである。
103行目: 99行目:
;ブーション
;ブーション
:[[リヨン|リヨン地方]]で誕生した食堂スタイルで、リヨンの伝統的な料理が出される。ソーセージ、鴨肉のパテ、ローストポークなど濃厚な肉料理が中心となる。
:[[リヨン|リヨン地方]]で誕生した食堂スタイルで、リヨンの伝統的な料理が出される。ソーセージ、鴨肉のパテ、ローストポークなど濃厚な肉料理が中心となる。
;エスタミネ
:[[ノール=パ・ド・カレー地域圏|ノール=パ・ド・カレー地方]]由来の伝統的な飲食店であり、バーとレストランを兼ねたような様式である。顧客層は主にブルーカラーで地域料理がよく注文される。

;[[カフェ]]
;[[カフェ]]
:コーヒーとアルコール飲料が提供される。街路に面しておりテーブルと椅子が歩道にまでせり出して並べられている。朝早くに開店し夜9時頃には閉店するのが普通である。[[クロックムッシュ]]、[[ムール・フリット|ムールフリット]]、サラダなどの軽食が出される。
:コーヒーとアルコール飲料が提供される。街路に面しておりテーブルと椅子が歩道にまでせり出して並べられている。朝早くに開店し夜9時頃には閉店するのが普通である。[[クロックムッシュ]]、[[ムール・フリット|ムールフリット]]、サラダなどの軽食が出される。
117行目: 116行目:
:[[フランスパン]]もまたフランスの食卓を特徴付ける重要な位置を占めている。代表的な[[バゲット]]のほか、「田舎風パン」を意味する[[パン・ド・カンパーニュ]]、[[全粒粉]]を用いた{{仮リンク|パン・コンプレ|fr|Pain complet}}<ref>アルザス地方に多い。</ref>、生[[カキ (貝)|カキ]]などに添えられる[[ライ麦パン]]の一種[[パン・オ・セグル]]<ref>{{lang-fr-short|pain au seigle}}</ref>などが挙げられる。[[パン生地]]にバターや[[牛乳]]を用いる[[クロワッサン]]や[[ブリオッシュ]]などは、[[ヴィエノワズリー]]([[菓子パン]])に分類される。
:[[フランスパン]]もまたフランスの食卓を特徴付ける重要な位置を占めている。代表的な[[バゲット]]のほか、「田舎風パン」を意味する[[パン・ド・カンパーニュ]]、[[全粒粉]]を用いた{{仮リンク|パン・コンプレ|fr|Pain complet}}<ref>アルザス地方に多い。</ref>、生[[カキ (貝)|カキ]]などに添えられる[[ライ麦パン]]の一種[[パン・オ・セグル]]<ref>{{lang-fr-short|pain au seigle}}</ref>などが挙げられる。[[パン生地]]にバターや[[牛乳]]を用いる[[クロワッサン]]や[[ブリオッシュ]]などは、[[ヴィエノワズリー]]([[菓子パン]])に分類される。
;*[[ヌーヴェル・キュイジーヌ]](新生料理)について
;*[[ヌーヴェル・キュイジーヌ]](新生料理)について
:[[File:Jacques Lameloise, escabèche d'écrevisses sur gaspacho d'asperge et cresson.jpg|thumb|200px|ヌーヴェル・キュイジーヌの盛り付け]]1960年代からまった料理スタイルであり、従来のフランス料理が重視する濃厚なソースをほぼ否定して、素材の風味を最大限に引き出すを目指し。バターとクリームの使用を抑え、加熱時間も極力減らし、スパイスと各種調味料も注意深く用い。その斬新さが評価されて70年代に一世を風靡した。担い手のシェフとなったのは、[[ポール・ボキューズ]]、[[トロワグロ兄弟]]、{{仮リンク|ルイ・ウーティエ|en|Louis Outhier}}、[[アラン・サンドランス]]、{{仮リンク|ミッシェル・ゲラール|fr|Michel Guérard}}、[[アラン・シャペル]]たちであった
:[[File:Jacques Lameloise, escabèche d'écrevisses sur gaspacho d'asperge et cresson.jpg|thumb|200px|ヌーヴェル・キュイジーヌの盛り付け]]1970年代からまった料理スタイルであり、従来のフランス料理が重視する濃厚なソースをほぼ否定して、素材の風味を最大限に引き出すことを目指している。バターとクリームの使用を抑え、加熱時間も極力減らし、スパイスと各種調味料も注意深く用いてる点が特徴である。その斬新さが評価されて70年代を中心に一世を風靡した。分野での著名なシェフとしては、[[ポール・ボキューズ]]、[[トロワグロ兄弟]]、{{仮リンク|ルイ・ウーティエ|en|Louis Outhier}}、[[アラン・サンドランス]]、{{仮リンク|ミッシェル・ゲラール|fr|Michel Guérard}}、[[アラン・シャペル]]たちが挙げられる
;* キュイジーヌ・モデルヌ(モダン料理)について
;* キュイジーヌ・モデルヌ(モダン料理)について
:伝統の対極に位置するヌーヴェル・キュイジーヌの斬新性はしばらくすると飽きを引き起こす事にもなり、80年代に入ると元の濃厚なソースを重視する古典料理への回帰が支持されるようになった。その中でフランス料理の伝統を踏襲しながら、更に新しい技術をミックスさせるという保守性と前衛性を併せ持ったスタイルが誕生した。担い手なったのは、[[ジョエル・ロブション]]、[[ピエール・ガニェール]]、[[アラン・デュカス]]、[[ベルナール・ロワゾー]]、{{仮リンク|ベルナール・パコー|fr|Bernard Pacaud}}といった当時の若手シェフ達であり、彼らは古くから伝わるレシピを科学的観点から再分析して、より適切な材料配分加工タイミングの発見に繋げるなどまた電子レンジなど新しい器材も科学的立証を加えた上で有効活用しこれらの調理体系は当世風(モデルヌ)と評論されるようになった。
:伝統の対極に位置するヌーヴェル・キュイジーヌの斬新性はしばらくすると飽きを引き起こす事にもなり、1980年代に入ると元の濃厚なソースを重視する古典料理への伝統回帰が支持されるようになった。その中でフランス料理の伝統を踏襲しながら現代的な新しい技術をミックスさせるという保守性と前衛性を併せ持った料理スタイルが誕生した。その担い手なったのは、[[ジョエル・ロブション]]、[[ピエール・ガニェール]]、[[アラン・デュカス]]、[[ベルナール・ロワゾー]]、{{仮リンク|ベルナール・パコー|fr|Bernard Pacaud}}といった当時の若手シェフ達であった。彼らは古くから伝わるレシピを科学的見地から再分析して、より適切な材料配分および加工タイミングの理論を次々に発見している。また電子レンジなど新しい調理器材も科学的立証を加えた上で有効的に活用しているらの調理体系は当世風(モデルヌ)と評論されるようになった。


==食事作法==
==食事作法==
128行目: 127行目:
* 食べ終わったら、ナイフは刃を内側にして、フォークと共に先を上にして皿に並べておく。
* 食べ終わったら、ナイフは刃を内側にして、フォークと共に先を上にして皿に並べておく。
* 食事を終えたらナプキンはたたまず、やや丸めてテーブルの右上におく。
* 食事を終えたらナプキンはたたまず、やや丸めてテーブルの右上におく。

==厨房スタッフ一覧==
{| class="wikitable"
|+Brigade de cuisine
!français
!日本語
!説明
|- valign="top"
|{{lang|fr|[[Chef de cuisine]]}}
|総シェフ
|厨房の総責任者
|-
|{{lang|fr|Sous-chef de cuisine}}
|副シェフ
|ヴァカンス重視のフランス式の厨房では補佐というよりも総シェフと副シェフの二人三脚の運営になっていることがままある。
|-
|{{lang|fr|Chef de partie}}
|部門シェフ
|ここから担当責任者になるが、特に指名されずにこの職称のままもある。
|-
|Demi-chef de partie
|部門デミシェフ
|部門シェフの補佐。役割をまかされた際はその係名になる。
|-
|{{lang|fr|Commis}}
|コミ
|一般の調理師
|-
|{{lang|fr|Apprenti(e)}}
|見習い
|
|-
|{{lang|fr|Aboyeur}}
|アボユール
|賓客の応対をしてメニューの説明や客前での仕上げをする。部門シェフや副シェフから
|-
|{{lang|fr|[[Saucier]]}}
|ソーシエ
|ソース作りと主菜の仕上げ担当。名誉な役割とされる。部門シェフから
|-
|{{lang|fr|Rôtisseur}}
|ロティシュール
|肉料理担当。部門シェフから
|-
|{{lang|fr|Grillardin}}
|グリヤーディン
|グリル係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|Friturier}}
|フリチュリエ
|フライ係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|Poissonnier}}
|ポワソニエ
|魚料理担当。部門シェフやデミシェフから
|-
|{{lang|fr|Entremetier}}
|アントルメティエ
|温かい前菜担当。部門シェフから
|-
|{{lang|fr|Potager}}
|ポタジエ
|スープ係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|Legumier}}
|レギュミール
|野菜料理係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|[[Garde manger]]}}
|ガルドマンジェ
|オードブルと冷たい前菜担当。部門シェフから
|-
|Charcuterie
|シャルキュトリエ
|食肉加工品係。デミシェフから
|-
|{{lang|fr|[[Pâtissier]]}}
|パティシエ
|デザート全般担当。部門シェフから
|-
|{{lang|fr|Confiseur}}
|コンフィズール
|スイーツ係。デミシェフから
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|様々な部門で調理する。コミから。板前の追い回しと同義。
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|食肉の切り分けと下ごしらえ。コミや見習いから
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|厨房スタッフの賄い料理。コミや見習いから
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|}


==脚注==
==脚注==

2021年6月22日 (火) 00:52時点における版

フランス料理(フランスりょうり フランス語: Cuisine française)は、フランスで発祥した食文化および調理技術であるが、フランスという全国名義で一括されるものではなく、フランスの各地域に存在している郷土食文化の総称としての定義が強調されている。現代では世界三大料理の一つに数えられている。2010年にフレンチガストロノミー(フランス美食学)ユネスコ無形文化遺産に登録された[1]

歴史

中世

ティレル

中世フランス料理は宮廷内限定の食文化であった。まだ明確な作法は存在しておらず、給仕においても特に規則性の無い雑多なメニューが次々と、あるいは一斉にテーブルに並べられていた。食肉は加熱調理された後に厚くスライスされてマスタード風味の濃厚なソースで味付けされることが多かったようである。食器の使用も稀であったようで、硬い平板状のパンが皿として用いられていた。ナイフやフォークの使用も一般的でなく直接手づかみで食べるのが普通だった。スープやシチューはテーブルにある専用のくぼみに注がれ、それらはパンに浸すか、直接手のひらで器用にすくって飲んでいたという。中世フランス料理の代表的なシェフはギヨーム・ティレルであり、14世紀に活躍した彼のレシピをまとめたとされる「Viandierフランス語版」は一部に後世の創作が疑われるものの、現在に繋がるフランス料理の源流に位置付けられている。

近世(16〜18世紀)

ラ・ヴァレンヌ

16世紀のフランス料理は、イタリア料理の大きな影響を受けてほとんど一体化していたほどだったとも伝えられている。これはフィレンツェ出身のカトリーヌ・ド・メディシスが、ヴァロワ朝アンリ2世に輿入れした際に連れてきたイタリア料理人に起因すると言われているが、ルネサンス期の両国の文化交流の中で自然にもたらされていたという見方も存在する[2]。イタリア料理文化の影響によってフランスでもナイフとフォークを用いる食事作法が一般的になっている。

17世紀になるとフランス主義の復興が重んじられて、イタリア料理の影響から離れる方向性でのフランス料理の改革運動が始められた。その結果誕生した「オートキュイジーヌ(至高料理)」はフランス宮廷料理のフォーマルな様式として定着し、現代ではフランスの伝統的な高級料理モデルとして認識されている。ワインチーズ文化およびパティスリーの世界も本格的な開明を迎えた。17世紀の高名なシェフであるラ・ヴァレンヌフランス語版が1651年に上梓した「Le cuisinier françois」は、フランス初の正式なレシピ書として当時の宮廷料理事情を現代に伝えている。フランス料理はヴァロワ朝からブルボン朝時代を通して豪華絢爛な発展を遂げたが、依然王侯貴族のための宮廷内の専売特許であった。当時はギルド(同業組合)の統制によって食材業者と調理師の商業活動が制限されていたので、フランス料理文化の一般市民への普及は封建制度の消滅まで待たねばならなかった。

近代(19世紀)

カレーム

18世紀末に勃発したフランス革命はフランス料理文化にとっても一大転機になった。アンシャン・レジームの崩壊によって宮廷内での職を失った料理人たちが多数流出し、またギルド制度の消滅によって商業活動に対する規制も撤廃された。宮廷出身の料理人たちが街角で自由に店を開けるようになった事から、市街地にはそれまでにない洗練されたレストランが立ち並ぶようになり、革命で富裕化した市民たちがそこに通い詰めるようになって、フランス料理は市民レベルでの普及時代を迎えた。そうした自由な気風の中でカリスマ的なシェフも登場するようになり、特に有名だったアントナン・カレームはシェフの帝王と称えられていた。カレームはオートキュイジーヌの芸術性と美食性を更に高め、また「L'art de la cuisine française au dix-neuvième siècle」を始めとする著書の中で洗練されたメニューと精緻を凝らしたレシピを数多く紹介し、フランス料理の近代的発展に大きく貢献した。

近現代(1900年前後)

エスコフィエ

19世紀後半になるとフランス料理はオーギュスト・エスコフィエによって形式的な体系化が進められ、従来にないアカデミックな料理文化へと発展した。エスコフィエによる調理技術の理論的な形式化は、料理文化の輸出というグローバル運動の際にも有利になり、フランス料理がイタリア料理などを差し置いて世界三大料理の座に据えられたのは彼の体系化によるところが大きいと言われる。各国のフォーマルな正餐や晩餐会でも持てはやされるようになり、フランス料理は高級料理の代名詞になった。エスコフィエは、カレームによって編み出された数々のレシピの技巧に走り過ぎている部分を巧みに簡略化して、より実用的な調理工程に沿えるように再構築した。また「ブリガード・ド・キュイジーヌ」と呼ばれる組織構造を厨房内に導入して調理作業の効率化を図った。本来はチーフを意味する「シェフ」が西洋コックの代名詞になったのは、彼がブリガード内の各調理責任者にシェフの呼称を当てたことに由来している。エスコフィエは厨房内のモラル教育も重視し、規律と礼節を行き渡らせて料理人たちの社会的地位向上にも腐心していた。エスコフィエが形式化したフランス料理の知識体系は1903年刊行の「Le guide culinaire英語版」にまとめられており、これはフランス料理のバイブルになっている。

現代(20世紀)

1930年代に入ると大戦間期の三大シェフと言われるフェルナン・ポワンアレクサンドル・デュメーヌアンドレ・ピックらが、エスコフィエの料理体系を受け継ぎながらも、更に時代に合わせた形へと進化させていった。1960年代になると、エスコフィエの料理体系から素朴な家庭料理や郷土料理の数多くが取り残されているという問題点が指摘されるようになり、従来の高級料理一辺倒のイメージ払拭を兼ねて、カントリーサイドに焦点を当てたフランス料理本来の姿を全世界に紹介しようとする運動が始められた。その中では郷土料理文化の積極的アピールと、それを体験させるためのガストロノミーツアー(美食旅行)が数多く企画されてミシェランガイドなどが大きな役割を果たした。1970年代になると、伝統的なソースによる濃厚な味付けをあえて避けるようにして新鮮な素材主体の風味を活かそうとする調理技法が、ポワンの弟子であるボキューズシャペルトロワグロ兄弟たちを中心にして指向されるようになり、これは「ヌーベルキュイジーヌ(新生料理)」と呼ばれてフランス料理の新たな潮流になった。1980年代半ばになると、濃厚なソースを重視する古典回帰の調理技術が見直されてオートキュイジーヌに代表される伝統的な料理様式が改めて支持されるようになった。その中で伝統技術と現代科学技術をミックスさせようとする調理技法も誕生し、ロブションガニェールデュカスロワゾーといったシェフたちが担い手になった。現在もシェフたちによる新しい調理技法の探求は続けられており、古典重視の保守性と自由で柔軟な前衛性を持ち合わせたフランス料理文化は終わりのない進化の様相を呈している。

メニュー例

オードブル(hors d'œuvre)

アントレ(entrée)

プラ プランシパル(plat principal

パティスリー(Pâtisserie)

デザート(dessert)

各地域の料理

プロヴァンス料理
プロヴァンス地方の料理。南イタリア料理やカタルーニャ料理と同じくトマトオリーブ・オイルオリーブを多く用いる他、エルブ・ド・プロヴァンスと呼ばれる当地独特のハーブを多く調合したものを用いる。地中海に面したマルセイユなどの町ではブイヤベースなどの魚料理も多い。カマルグガルディアンヌ・ド・トロフランス語版など、ごく一部の地域のみに伝わる伝統料理もある。この他アイオリソースもプロヴァンス料理の特色の一つである。
バスク料理
バスク地方もプロヴァンスと同じくトマトの使用量が多いが、同様にエスプレットというトウガラシも多く用いられる。カタルーニャ料理やその他のスペイン料理との共通点も多い。
ラングドック料理
ラングドック地方はフォアグラの生産が盛んなためガチョウ料理が多く、またヤマドリタケ(セップ茸)、アルマニャックなどが用いられる。カスレが有名。
アルザス料理
アルザス地方の料理。ドイツ文化圏と重なるためシュークルート(シュークルート)、クグロフなどドイツ料理との共通点が多く、国境のライン川を挟んで反対側の黒い森地方の料理にも似ている。
ピカルディー料理
ピカルディーノール県は北部国境を接するベルギー料理の影響を受けている。アンディーヴグラタンなど共通するメニューもある。ビールジャガイモも用いられる。
ノルマンディー料理
ノルマンディーは北大西洋に面しており、モン・サン=ミシェル付近では潮風に吹かれた牧草で育てた子羊の肉が名物とされる。シードルカルヴァドスの産地でもあり、リンゴを用いた味付けも多い。バター生クリームの使用量も多い。
ブルターニュ料理
ブルターニュは冷涼な気候のため作物は不作とされる。ソバ粉のクレープガレット)やクイニーアマンが有名であるほか、ケルト系のブルトン文化が料理にも残っており、同じケルト系のウェールズ地方の料理との共通点もある。
オーヴェルニュ料理
オーヴェルニュ地方の料理。食材としてはシンプルなものが多く[3]ソーセージや、地元のサレール牛英語版を使った料理が伝統料理である[4]。これらの付け合せとしてはアリゴという、チーズ入りのマッシュポテトのような料理がある。
ブルゴーニュ料理
ブルゴーニュはフランスの家庭料理を代表するブッフ・ブルギニョン、牛肉の赤ワイン煮込み)発祥の地でもある。
ロワール料理
ロワール渓谷地方は白ワインの産地であり、白ワインを使った魚料理が特徴的である。
サヴォワ料理
サヴォワ地方は山岳地帯でスイス国境に近く、フォンデュ・オ・フロマージュラクレットなど乳製品を多用した料理が多い。

飲食店の形態

レストラン
パリには中級から最高級のランクに分かれた五千軒以上が存在する。その価格とメニューの品質は千差万別であり、来店用途も日々の外食から特別な晩餐専門など様々である。メニューブックから注文し、専門の訓練を受けたウェイターとウェイトレスが応待する。注文の選択肢は事実上コース料理だけに限られている。
ビストロ
いわゆる大衆食堂であり、メニューは黒板にチョークで書かれている事が多く、給仕たちもカジュアルに対応する。庶民的な料理が出され、また地元の特産を活かした郷土料理が提供される事も多い。
ビストロアヴァン(ワイン・ビストロ)
キャバレーまたはタバーンに似た飲食店であり、主に安価なアルコール飲料を提供し、また産地記載の特別なワインを楽しむ事も出来る。ワインに合った軽食も出される。
オーベルジュ
レストランと宿泊施設がセットになったもの。こちらも中級から高級まである。
ブラッスリー
19世紀にアルザス=ロレーヌ地方からの難民たちが街角で開いた飲食店で、元々はドイツ人向けであった。ビールとドイツ産葡萄のワインが提供される。もっぱら軽食が出されてアルザス風シュークルートが有名である。
ブーション
リヨン地方で誕生した食堂スタイルで、リヨンの伝統的な料理が出される。ソーセージ、鴨肉のパテ、ローストポークなど濃厚な肉料理が中心となる。
エスタミネ
ノール=パ・ド・カレー地方由来の伝統的な飲食店であり、バーとレストランを兼ねたような様式である。顧客層は主にブルーカラーで地域料理がよく注文される。
カフェ
コーヒーとアルコール飲料が提供される。街路に面しておりテーブルと椅子が歩道にまでせり出して並べられている。朝早くに開店し夜9時頃には閉店するのが普通である。クロックムッシュムールフリット、サラダなどの軽食が出される。
サロン・ド・ティ
いわゆるティーハウス(茶店)であり、カフェに似ているがアルコール飲料は置かれてない事が多く、コーヒーと紅茶の他にホットチョコレートも提供される。サンドイッチやサラダなどの軽食とケーキが出される。午前中に開店し夕方後に閉店する事が多い。

その他の知識

  • ガイドブックについて
タイヤ会社ミシュランが出すガイドブック「ギド・ミシュラン」のレッド・ガイド(ギド・ルージュ)は、フランスにおけるレストランの指標に大きな影響力を与えており、現在ではフランスに限らず世界各国の都市のホテル・レストランガイドも出版している。星の数によって評価を表示しており、最高は3つ星である。ゴー・ミヨのレストランガイドも同様に有名である。こちらは20点制だが、4つまでの帽子の数による指標もある。
  • ワインとチーズについて
フランスワインフランスチーズには各地方や細かな地域ごとにさまざまな特徴があり、AOCをはじめとするさまざまな規格で品質が保証されている。フランスのほとんどの地域においてワインが飲まれている。ワイン以外の酒では、ノルマンディー地方のシードルおよびその蒸留酒であるカルヴァドス、アルザス地方のビールが挙げられる。
  • パンについて
フランスパンもまたフランスの食卓を特徴付ける重要な位置を占めている。代表的なバゲットのほか、「田舎風パン」を意味するパン・ド・カンパーニュ全粒粉を用いたパン・コンプレ[5]、生カキなどに添えられるライ麦パンの一種パン・オ・セグル[6]などが挙げられる。パン生地にバターや牛乳を用いるクロワッサンブリオッシュなどは、ヴィエノワズリー菓子パン)に分類される。
ヌーヴェル・キュイジーヌの盛り付け
1970年代から広まった料理スタイルであり、従来のフランス料理が重視する濃厚なソースをほぼ否定して、素材の風味を最大限に引き出すことを目指している。バターとクリームの使用を抑え、加熱時間も極力減らし、スパイスと各種調味料も注意深く用いてる点が特徴である。その斬新さが評価されて70年代を中心に一世を風靡した。この分野での著名なシェフとしては、ポール・ボキューズトロワグロ兄弟ルイ・ウーティエ英語版アラン・サンドランスミッシェル・ゲラールフランス語版アラン・シャペルたちが挙げられる。
  • キュイジーヌ・モデルヌ(モダン料理)について
伝統の対極に位置するヌーヴェル・キュイジーヌの斬新性はしばらくすると飽きを引き起こす事にもなり、1980年代に入ると元々の濃厚なソースを重視する古典料理への伝統回帰が支持されるようになった。その中でフランス料理の伝統を踏襲しながらも、現代的な新しい技術をミックスさせるという保守性と前衛性を併せ持った料理スタイルが誕生した。その担い手になったのは、ジョエル・ロブションピエール・ガニェールアラン・デュカスベルナール・ロワゾーベルナール・パコーフランス語版といった当時の若手シェフ達であった。彼らは古くから伝わるレシピを科学的見地から再分析して、より適切な材料配分および加工タイミングの理論を次々に発見している。また電子レンジなどの新しい調理器材も科学的立証を加えた上で有効的に活用している。彼らの調理体系は当世風(モデルヌ)と評論されるようになった。

食事作法

  • ナプキンは全員が着席し、主賓が手にしてから他の人も取る。途中で中座するときはナプキンを椅子の上に置く。
  • ナイフフォークなどは外側から順に使う(複数テーブルに並んでいる場合)。
  • とりあえず皿へナイフ・フォークを置く場合は、八の字の形にする。
  • 食べ終わったら、ナイフは刃を内側にして、フォークと共に先を上にして皿に並べておく。
  • 食事を終えたらナプキンはたたまず、やや丸めてテーブルの右上におく。

厨房スタッフ一覧

Brigade de cuisine
français 日本語 説明
Chef de cuisine 総シェフ 厨房の総責任者
Sous-chef de cuisine 副シェフ ヴァカンス重視のフランス式の厨房では補佐というよりも総シェフと副シェフの二人三脚の運営になっていることがままある。
Chef de partie 部門シェフ ここから担当責任者になるが、特に指名されずにこの職称のままもある。
Demi-chef de partie 部門デミシェフ 部門シェフの補佐。役割をまかされた際はその係名になる。
Commis コミ 一般の調理師
Apprenti(e) 見習い
Aboyeur アボユール 賓客の応対をしてメニューの説明や客前での仕上げをする。部門シェフや副シェフから
Saucier ソーシエ ソース作りと主菜の仕上げ担当。名誉な役割とされる。部門シェフから
Rôtisseur ロティシュール 肉料理担当。部門シェフから
Grillardin グリヤーディン グリル係。デミシェフから
Friturier フリチュリエ フライ係。デミシェフから
Poissonnier ポワソニエ 魚料理担当。部門シェフやデミシェフから
Entremetier アントルメティエ 温かい前菜担当。部門シェフから
Potager ポタジエ スープ係。デミシェフから
Legumier レギュミール 野菜料理係。デミシェフから
Garde manger ガルドマンジェ オードブルと冷たい前菜担当。部門シェフから
Charcuterie シャルキュトリエ 食肉加工品係。デミシェフから
Pâtissier パティシエ デザート全般担当。部門シェフから
Confiseur コンフィズール スイーツ係。デミシェフから
Glacier グラシエ アイスクリームと冷たいスイーツ係。デミシェフから
Décorateur デコラテュール 工芸菓子係。デミシェフから
Boulanger ブーランジェ パン作り。デミシェフやコミから
Tournant トルナン 様々な部門で調理する。コミから。板前の追い回しと同義。
Boucher ブーシェ 食肉の切り分けと下ごしらえ。コミや見習いから
Communard コミュナー 厨房スタッフの賄い料理。コミや見習いから
Plongeur プロンジュール 皿洗い。見習いから
Marmiton マルミトン 鍋洗い。見習いから
Garçon de cuisine ギャルソン 雑用。見習いから

脚注

  1. ^ Gastronomic meal of the French”. ユネスコ. 2013年10月27日閲覧。
  2. ^ 松本・持田(2003)
  3. ^ オーヴェルニュ地方で Rendez-vous”. フランス観光開発機構公式サイト. 2013年2月閲覧。
  4. ^ サレール、村のレストラン”. グラムスリー. 2013年2月閲覧。
  5. ^ アルザス地方に多い。
  6. ^ : pain au seigle

参考文献

  • 松本孝徳, 持田明子「ルネッサンス期フランス食文化に見るイタリアの影響--カトリーヌ・ド・メディシスの結婚をとおして」『九州産業大学国際文化学部紀要』第24号、九州産業大学国際文化学会、2003年3月、129-153頁、ISSN 13409425NAID 110006178810 

関連項目

外部リンク