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2021年4月27日 (火) 14:47時点における版
吉田 健一 (よしだ けんいち) | |
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「英国の文学」(1951年創元文庫版)における著者近影 | |
誕生 |
1912年3月27日 東京市渋谷区千駄ヶ谷 |
死没 |
1977年8月3日(65歳没) 東京都新宿区払方町34 |
墓地 | 横浜市・久保山墓地 |
職業 | イギリス文学者 |
言語 | 日本語・英語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | ケンブリッジ大学・キングズカレッジ中退 |
活動期間 | 1935年 - 1977年 |
ジャンル | 文芸評論、翻訳、エッセイ |
代表作 |
『瓦礫の中』(1970年) 『ヨオロッパの世紀末』(1970年) 『日本に就いて』(1974年) 『時間』(1976年) 『定本落日抄』(1976年) |
デビュー作 | 『英国の文学』(1949年) |
配偶者 | あり |
子供 |
吉田健介(長男、物理学者) 吉田暁子(長女、翻訳家) |
親族 |
吉田茂(父) 牧野伸顕(母方の祖父) 吉田健三(戸籍上の父方の祖父) 竹内綱(血縁上の父方の祖父) 吉田桜子(姉) 麻生和子(妹) 正男(弟) 麻生太賀吉(義弟、和子の夫) 麻生太郎、麻生泰(甥) 相馬雪子、荒船旦子、寬仁親王妃信子(姪)大島信子(妻) |
ウィキポータル 文学 |
吉田 健一(よしだ けんいち、1912年(明治45年)4月1日 - 1977年(昭和52年)8月3日)は、日本の文芸評論家、英文学翻訳家、小説家。父は吉田茂、母・雪子は牧野伸顕(内大臣)の娘で、大久保利通の曾孫にあたる。
誕生日については、戸籍上は4月1日だが、吉田家では3月27日に祝っていた。ケンブリッジ大学中退。英文学、フランス文学を中心としたヨーロッパ文学の素養をもとに、評論や小説を著した。また、イギリス文学の翻訳も多数行っている。父と親交の深かった長谷川如是閑の肝いりで、中央大学文学部教授(英文学)を一時期務めた。
来歴・人物
1912年(明治45年)、東京千駄ヶ谷宮内省官舎に生まれた。父の茂は当時外交官としてヨーロッパにおり、母雪子も出産後茂の元へ向かったため、健一は6歳まで母方の祖父でもある牧野伸顕に預けられた。1918年(大正7年)、4月、学習院初等科に入学したが、父に随い青島へ行き、その後、1919年パリ、1920年ロンドンに赴く。ストレタム・ヒルの小学校に通う。1922年天津に移り、イギリス人小学校に通う。1923年(大正12年)、夏休みの一時帰国時に箱根に滞在。大震災の影響を免れる。1926年(大正15年)、天津の学校より暁星中学へ2年次編入、1930年(昭和5年)3月に同校を卒業し、10月、ケンブリッジ大学キングズ・カレッジに入学した[注釈 1]。同カレッジのフェロウであるG・ロウェス・ディッキンソン、F・L・ルカスらに師事。また同カレッジの学生監ジョージ・ライランズのジョン・ダン講義などに出席。ケンブリッジ時代に、それまでもあった濫読癖が刺戟され、ウィリアム・シェイクスピアやシャルル・ボードレール、ジュール・ラフォルグなどに熱中した。しかし、1931年(昭和6年)3月に急遽中退、帰国[注釈 2]。同年、親戚[注釈 3]の病気見舞に行き、河上徹太郎と識り、以後河上に師事した。しばらくしてアテネ・フランセへ入り、フランス語、ギリシャ語、ラテン語を習得した。
1935年(昭和10年)6月アテネ・フランセを卒業。同年、ポーの『覚書』の訳を刊行、その後『文學界』への寄稿を始め、当初はフランス文学の翻訳やフランスの時事文化の流行紹介を行う。1937年(昭和12年)夏、中村光夫と識る[注釈 4]。1939年(昭和14年)1月、最初の評論「ラフォルグ論」を文學界に掲載。同年7月より祖父・牧野伸顕の談話記録を「松濤閑談」の題で文藝春秋に連載。同年8月、中村光夫や山本健吉らと同人誌『批評』を創刊。1941年(昭和16年)5月、野上豊一郎・彌生子夫妻の媒酌で大島信子と結婚。同年12月より『批評』にヴァレリーの「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法論序説」翻訳を連載。1944年(昭和19年)5月の発行で『批評』を表向き廃刊とする。1945年(昭和20年)5月に、海軍横須賀海兵団に二等主計兵として一度召集されるも、そのまま敗戦復員し福島に住む。同年10月上京。1946年(昭和20年)5月に鎌倉市に転居。7月より牧野伸顕の談話記録『回顧録』を、中村光夫と協力し文藝春秋に掲載(文藝春秋新社で出版。年譜作成は従叔父の大久保利謙。後年、中公文庫で再刊)。
1948年(昭和23年)に中村光夫、福田恆存と3人で始めた各界の専門家を客人として招いた集いが「鉢の木会」に発展する。
主な交友関係には戦前からは河上や中村光夫・横光利一の他に石川淳・大岡昇平・小林秀雄・白洲正子・福原麟太郎・福田恆存、戦後は三島由紀夫・ドナルド・キーン・篠田一士・丸谷才一らがいる。
1949年(昭和24年)4月、國學院大學非常勤講師となる[注釈 5]。同年5月より日英交流のための団体、あるびよん・くらぶに参加[注釈 6]。1951年(昭和26年)5月、チャタレイ裁判の弁護側証人として法廷に立つ。1953年(昭和28年)1月、東京都新宿区に転居。同年8月に福原麟太郎・河上徹太郎・池島信平と戦後初の渡英旅行。1958年(昭和33年)10月、同人雑誌『聲』発刊に参加[注釈 7]。1960年(昭和35年)2月、河上徹太郎と金沢へ。以後吉田死去の年までの年中行事となる。同年12月、亀井勝一郎編集『新しいモラルの確立』に「信仰への懐疑と否定」を掲載[注釈 8]。1963年(昭和38年)4月から1970年(昭和45年)3月まで中央大学文学部教授。1969年(昭和44年)7月より雑誌『ユリイカ』にて「ヨオロツパの世紀末」を連載[注釈 9]。
以後毎年多数の著作を刊行し続けていたが、1977年(昭和52年)にヨーロッパ旅行中に体調を崩し帰国即入院、回復退院しまもなく新宿区の自宅で亡くなった。戒名は文瑛院涼誉健雅信楽居士[1]。新宿の邸宅は、娘の吉田暁子(主にフランス語書籍の翻訳に携わる)が居住していた。[2]
なお三島由紀夫とは、1960年代前半に仲違いしている。一説によると、三島が新居に移った時、部屋に置いてある家具の値段を吉田が大声で次々と値踏みしたのがきっかけだったともいう。また、ジョン・ネイスン『三島由紀夫-ある評伝』(新潮社)によると、「鉢の木会」の月例会の席上、三島の書き下ろし長編『鏡子の家』を、その面前で「こんなものしか書けないんだったら、会からは出てもらわなくちゃな」と酷評した事も大きいとされる。さらに、三島がモデル小説『宴のあと』に関して有田八郎と揉めた際、有田と旧知の間柄(有田は父・茂の元同僚)だった吉田が、間に入り事態の収拾にあたった事を三島が悪く取ったためとも言われている。
父親との関係
戦後復興の時期に首相だった父・吉田茂の実像を最もよく知る人物であるが、父の思い出を語ることは多くなかった。一説には、母・雪子の死(1941年10月7日。53歳)後に父が長年関係があった新橋の芸者「こりん」こと坂本喜代(のち喜代子と称する)を、事実上の後妻として迎えたことに健一が反発していたからだと言われている。佐藤栄作の日記(書籍化済み)によると、父の没(1967年)後は妹麻生和子(父の私設秘書として常に傍らにいた。元首相麻生太郎の母)とは、余り折り合いは良くなかったようである。
父の影響もあってシェリー酒が大好きで『饗宴』の中には現存する銘柄も多く挙げられている。またその手軽さから遠方への移動にもシェリー酒を持参。「汽車旅の酒」には、その好きな様子が描かれている。
1970年には高額所得番付で作家部門5位にランクされたが、これは父親の遺産が計上されたもの。借金を返して無くなったとのコメントが残されている。戦争直後、父親に反発するように担ぎ屋や乞食を経験(のちに『乞食王子』に上梓)した吉田であるが、自宅の茶の間には父親のトレードマークとも呼べるキューバ産の葉巻があったことが新聞記者により目撃されている[3]。
受賞歴
- 1957年(昭和32年) 『シェイクスピア』で読売文学賞(文芸評論部門)
- 1957年(昭和32年) 『日本について』で新潮社文学賞
- 1970年(昭和45年) 『ヨオロッパの世紀末』で野間文芸賞
- 1971年(昭和46年) 『瓦礫の中』で読売文学賞(小説部門)
著作
- 『英国の文学』(雄鶏社[注釈 10] 1949年(装幀青山二郎)、創元文庫 1951年、新潮文庫 1954年/定本・垂水書房 1963年、岩波文庫 1994年)
- 『シェイクスピア』(池田書店 1952年、増補版・垂水書房 1956年、新潮文庫 1961年・復刊1994年)
- 『宰相御曹司貧窮す』(文藝春秋新社 1954年)。私家版限定30部の標題は『でたらめろん』
- 『東西文学論』(新潮社〈一時間文庫〉 1955年、のち垂水書房/「日本の現代文学」と併せ 講談社文芸文庫)
- 『随筆 酒に呑まれた頭』(新潮社 1955年)、増補版・番町書房(正・続)、ちくま文庫(新編)- 短編も収録
- 『文学あちらこちら』(東方社 1956年)
- 『乞食王子』(新潮社 1956年、のち垂水書房、番町書房、講談社文芸文庫)
- 『三文紳士』(宝文館 1956年、のち垂水書房、筑摩書房、講談社文芸文庫)
- 『近代文学論』(垂水書房 1957年)
- 『文学人生案内』(東京創元社 1957年、のち垂水書房、講談社文芸文庫)
- 『英語上達法』(垂水書房 1957年、のち改訂版)
- 『甘酸っぱい味』(新潮社 1957年、ちくま学芸文庫 2011年)
- 『日本について』(大日本雄弁会講談社 1957年)
- 『酒宴』(東京創元社 1957年、垂水書房 1966年/「金沢・酒宴」 講談社文芸文庫)- 短編集
- 『舌鼓ところどころ』(文藝春秋新社 1958年、のち中公文庫)
- 『英国の文学の横道』(講談社 1958年、垂水書房 1967年、講談社文芸文庫 1992年)
- 『作法無作法』(宝文館 1958年、垂水書房 1963年)
- 『ひまつぶし』(講談社 1959年)、題字・井伏鱒二
- 『英国の近代文学』(垂水書房 1959年 新版1964年、筑摩叢書 1974年、岩波文庫 1998年)
- 『日本の現代文学』(雪華社 1960年 新版1978年、のち垂水書房、講談社文芸文庫)
- 『近代詩について』(垂水書房 1960年 新版1966年)
- 『頭の洗濯』(文藝春秋新社 1960年、番町書房 1976年)
- 『英語と英国と英国人と』(垂水書房 1960年 新版1965年、講談社文芸文庫 1992年)
- 『シェイクスピア物語』(垂水書房 1960年)
- 『文学概論』(垂水書房 1961年、講談社文芸文庫 2008年)
- 『随筆英語上達法』(垂水書房 1961年)
- 『文句の言ひどほし』(朝日新聞社 1961年)
- 『日本語と日本と日本人と』(垂水書房 1961年)
- 『色とりどり』(雪華社 1961年)
- 『書き捨てた言葉』(垂水書房 1962年)
- 『横道にそれた文学論』(文藝春秋新社 1962年)
- 『不信心』(朝日新聞社 1962年)
- 『新聞一束』(垂水書房 1963年)
- 『残光』(中央公論社 1963年)
- 『わがシェイクスピア』(垂水書房 1963年)
- 『吉田健一随筆集』(垂水書房 1963年)
- 『謎の怪物・謎の動物』(新潮社 1964年)
- 改訂改題 「未知の世界」(図書出版社 1975年/「私の古生物誌」 ちくま文庫 1989年)
- 『大衆文学時評』(垂水書房 1965年)
- 『感想 A・B』(垂水書房 1966年)
- 『文学の楽しみ』(河出書房新社 1967年、河出文芸選書 1976年、講談社文芸文庫 2010年)
- 『落日抄―父・吉田茂のこと 他』(読売新聞社 1967年)
- 『余生の文学』(新潮社 1969年)
- 『瓦礫の中』(中央公論社 1970年、のち中公文庫)‐ 長編小説 第1作
- 『ヨオロッパの世紀末』(新潮社 1970年、筑摩叢書、1987年、岩波文庫、1994年)
- 『作者の肖像』(読売新聞社〈読売選書〉 1970年)
- 『吉田健一全短編集』(読売新聞社 1971年)、全18編
- 『絵空ごと』(河出書房新社 1971年、河出文芸選書 1977年/「絵空ごと・百鬼の会」 講談社文芸文庫+ワイド版)- 長編小説
- 『私の食物誌』(中央公論社 1972年、のち中公文庫)
- 『文学が文学でなくなる時』(集英社 1972年)
- 『本当のような話』(集英社 1973年、のち集英社文庫、講談社文芸文庫 1994年)‐ 長編小説
- 『書架記』(中央公論社 1973年、中公文庫 新版2011年)
- 『金沢』(河出書房新社 1973年、のち「金沢・酒宴」講談社文芸文庫)‐ 長編小説
- 『文明に就て』(新潮社 1973年)
- 『ヨオロッパの人間』(新潮社 1973年、講談社文芸文庫 1994年)
- 『交遊録』(新潮社 1974年、講談社文芸文庫 2011年)‐限定版500部刊行
- 『英国に就て』(筑摩書房 1974年、ちくま文庫 1994年、ちくま学芸文庫 2015年)
- 『日本に就て』(筑摩書房 1974年、ちくま学芸文庫 2011年)
- 『酒肴酒』(正・続、番町書房 1974年、のち光文社文庫)- 新編再刊
- 『東京の昔』(中央公論社 1974年、のち中公文庫、ちくま学芸文庫 2011年)- 長編小説
- 『埋れ木』(集英社 1974年、河出文庫 2012年)- 長編小説
- 『覚書』(青土社 1975年)
- 『詩と近代』(小澤書店 1975年)
- 『言葉といふもの』(筑摩書房 1975年)
- 『本が語ってくれること』(新潮社 1975年)
- 『詩に就て』(青土社 1975年)
- 『英語 英文学に就て』(筑摩書房 1975年)
- Japan is a Circle - A tour round the mind of modern Japanese -(1975, Kodansha International Ltd.)
- 『まろやかな日本』(幾野宏訳、新潮社 1978年) - 著作の訳書
- 『旅の時間』(河出書房新社 1976年、講談社文芸文庫 2006年)- 短編集全10編
- 『時間』(新潮社 1976年、講談社文芸文庫 1998年/新装版・青土社 2012年)
- 『時をたたせる為に』(小澤書店 1976年)
- 『定本 落日抄』(小澤書店 1976年)
- 『昔話』(青土社 1977年、講談社文芸文庫 2017年)
- 『思ひ出すままに』(集英社 1977年、講談社文芸文庫 1993年)
- 没後刊行
- 『変化』(青土社 1977年、新装版2012年)[注釈 11]、解説中村光夫
- 『怪奇な話』(中央公論社 1977年、中公文庫、1982年)‐短編集
- 『道端』(筑摩書房 1978年)‐短編集
- 『春 その他』(小澤書店 1978年)
- 『読む領分』(新潮社 1979年)- 書評・解説集
- 『饗宴』(ロングセラーズ「あまカラ選書」、1977年)- 新編再刊
- 『日本のよさ』(ゆまにて 1977年)‐新編再刊
- 『吉田健一集 現代の随想30』(彌生書房 1980年)- 中村光夫編
- 『吉田健一 饗宴ほか』(国書刊行会〈日本幻想文学集成16〉 1992年)- 富士川義之編
- 『吉田健一 友と書物と』(みすず書房〈大人の本棚〉 2002年)- 清水徹編
- 『旨いものはうまい』(角川春樹事務所〈グルメ文庫〉 2004年)‐ 吉田暁子・解説
- 『酒肴酒』(光文社文庫、2006年)- 新編再刊
- 『シェイクスピア・シェイクスピア詩集』(平凡社ライブラリー 2007年)- 清水徹・解説
- 『ロンドンの味 吉田健一未収録エッセイ』(講談社文芸文庫 2007年)- 島内裕子編・解説
- 『おたのしみ弁当 吉田健一未収録エッセイ』(講談社文芸文庫 2014年)‐ 島内裕子編・解説
- 『英国の青年 吉田健一未収録エッセイ』(講談社文芸文庫 2014年)‐ 島内裕子編・解説
- 『汽車旅の酒』(中公文庫 2015年)- 長谷川郁夫・解説
- 『酒談義』(中公文庫 2017年4月)- 観世栄夫・回想
- 『舌鼓ところどころ/私の食物誌』(中公文庫 2017年5月)- 辻義一・回想
- 『わが人生処方』(中公文庫 2017年6月)- 吉田暁子・松浦寿輝対談
- 『父のこと』(中公文庫 2017年9月)- 吉田暁子・解説、「大磯清談」を併録、吉田茂没後50年記念出版
- 著作集・選集
- 『吉田健一著作集』全16巻 (垂水書房 1960年-1966年)
- ※2期に分け全20巻予定だったが、11、15、18、20巻目が未刊(初版が同書房の場合、版型は同一)
- 『吉田健一全集』全10巻 (原書房 1968年)‐ 篠田一士による全巻解説
- 『吉田健一著作集』全30巻・補巻2 (集英社 1978年-1981年)‐ 清水徹による全巻解説
- 『吉田健一集成』全8巻・別巻1 (新潮社 1993年-1994年)
- 『吉田健一集 現代知性全集35』(日本書房 1959年)
- 『ポエティカ I』・『- II』 (小澤書店 1974年)- 外国文学編と日本文学編の「代表作選集」
- 『言葉が語るもの』(「人と思想」文藝春秋 1978年)‐ 高橋英夫・解説
- 『日本文学全集20 吉田健一』(河出書房新社 2015年)- 解説=池澤夏樹・解題=島内裕子
共著・編著
- 『大磯清談』(文藝春秋新社 1956年/東京白川書院 1983年)、父・吉田茂との対話を収録
- 『イーヴリン・ウォー』(「20世紀英米文学案内 23」研究社 1969年)、編著
- 『吉田健一対談集成』(小澤書店 1998年/講談社文芸文庫 2008年)
翻訳
- ポオ『覚書(マリジナリア)』(芝書店 1935年、「マルジナリア」創元選書、1948年)。のち「全集3」(東京創元社)
- ヴァレリイ『精神の政治学』(創元選書 1939年)。新版・中公文庫、2017年 - 解説四方田犬彦
- ヴァレリイ『ドガに就て 造型美論』(筑摩書房 1940年[注釈 12])、のち「全集10 芸術論集」
- ラフオルグ『ハムレット異聞』(角川書店 1947年)
- 新版『ラフォルグ抄』(小澤書店 1975年、新版1989年)。講談社文芸文庫 2018年
- サミュエル・ジョンソン『シェイクスピア論』(思索社 1948年)。創樹社 1975年 - 解題福原麟太郎
- エドガァ・アラン・ポオ『赤い死の舞踏会』(若草書房 1948年)
- 新版『赤い死の舞踏会‐付・覚書(マルジナリア)』(中公文庫 2021年4月)、短篇小説十篇
- ペイタア『ルネッサンス』(角川書店 1948年、「文藝復興」角川文庫 1950年)
- キエルケゴール『追憶の哲理』(堀田善衛共訳 大地書房 1948年)
- スティヴンソン『風流驢馬旅行』(文藝春秋新社 1949年)
- 新版『旅は驢馬をつれて』(岩波文庫 1951年、復刊2006年ほか)
- ルイズ・キャロル『ふしぎな国のアリス』(小山書店 1950年)
- ジョージ・オーウェル『1984』(龍口直太郎共訳 文藝春秋新社 1950年)
- D・H・ロレンス『選集6・7・8 息子と恋人』(小山書店 1950年)、のち「新潮世界文学39 ロレンスⅠ」(新潮社)
- ダニエル・デフォオ『ロビンソン漂流記』(新潮文庫 1951年、改版2013年ほか)。児童版「世界少年少女文学全集4・5」創元社、1954年
- フィリップ・ギップス『お前の敵』(小山書店 1951年)
- オスカー・ワイルド『芸術論-芸術家としての批評家』(要書房 1951年、新潮文庫 1954年)
- ポール・コラン『野蛮な遊び』(筑摩書房(上下) 1951年)
- ストウ夫人『アンクル・トムス・ケビン』(新潮文庫 1952年)
- ルネ・ラルー『英文学史』(白水社〈文庫クセジュ〉 1952年、改版1993年ほか)
- クリストファ・イシャアウッド『山師』(文藝春秋新社 1952年)
- フランシス・ウイリアムズ『リチァードソン物語』(高野良二共訳 新潮社 1952年)
- エリザベス・ボウエン『日ざかり』(新潮社 1952年)
- デュ・モオリア『真実の山』(ダヴィッド社 1952年)
- ニコラス・モンサラット『怒りの海』(新潮社(上下) 1953年)
- 改題『非情の海』(フジ出版社 1967年、新版1982年/至誠堂(上下) 1992年)
- ブドウ・スワニーゼ『叔父スターリン』(ダヴィッド社 1953年)
- デュ・モオリア『林檎の木』(ダヴィッド社 1953年)
- ブルース・マーシャル『抵抗の戦場』(日本協同出版 1953年)
- ヘンリー・ミラー『性の世界』(新潮社〈一時間文庫〉 1953年)
- ヘンリー・ミラー『暗い春』(人文書院 1953年)、福武文庫 1986年
- アーノルド・トインビー『世界と西欧』(新潮社〈一時間文庫〉1953年、社会教養文庫 1959年)
- ロバート・スチィーヴンソン『若い人々のために』(池田書店 1954年)
- T・S・エリオット『荒地』(現代世界文学全集第26 新潮社 1954年)、のち「全集」(中央公論社)。他は福田恆存訳「一族再会」など
- ポール・クローデル、アンドレ・ジイド『愛と信仰について 往復書簡』(河上徹太郎共訳 ダヴィッド社「ダヴィッド選書」 1954年)
- アンナ・シュウエル『黒馬物語』(世界少年少女文学全集 創元社 1955年)
- 『シェイクスピア詩集』(池田書店 1956年)、のち平凡社ライブラリー
- G・K・チェスタトン『木曜の男』(東京創元社 1956年、創元推理文庫 1960年)
- リンドバーグ夫人『海からの贈物』(新潮社 1956年)、のち新潮文庫(改版2004年)
- レジナルド・ハワード・ウィレンスキー『ドガ』(フェーバー世界名画集 平凡社 1956年)
- マイクル・エアトン『ドガ Ⅱ』(フェーバー世界名画集 平凡社 1957年)
- 監修『エリオット選集 第1巻 伝統と個人的な才能 ほか』(全4巻・別巻、彌生書房 1959年)。「全集」(全5巻、中央公論社)にも一部収録
- 『第2巻 ダンテ ほか』、『第3巻 ボオドレエル ほか』、『第4巻 荒地』、『別巻 エリオット研究』
- P.H.フォーセット『フォーセット探検記』(世界ノンフィクション全集20 筑摩書房 1961年)
- アーノルド・ベネット『当世人気男』(筑摩書房〈世界ユーモア文学全集〉 1961年)
- アール・マイナー『日本を映す小さな鏡』(筑摩書房 1962年)
- ドナルド・キーン『日本の文学』(筑摩書房〈グリーンベルト新書〉1963年、解説三島由紀夫)、中公文庫 1979年、改版2020年
- イヴリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』(筑摩書房 1963年)
- のち筑摩書房「世界文学大系」等に収録、ちくま文庫 1989年、ブッキング(復刊) 2006年
- イヴリン・ウォー『黒いいたずら』(新しい世界の文学:白水社 1964年)、白水Uブックス 1984年
- 『葡萄酒の色 吉田健一譯詩集』(垂水書房 1964年)、小澤書店 1978年、岩波文庫 2013年
- E・M・フォースター『ハワーズ・エンド』(20世紀の文学16・集英社 1965年)、集英社(単行判) 1992年、世界文学全集7・河出書房新社 2008年
- ジョン・クレランド『ファニー・ヒル』(人間の文学:河出書房新社 1965年)、河出文庫 1997年
- ドナルド・キーン『文楽』(講談社 1966年)
- 改訂版 『能・文楽・歌舞伎』(講談社学術文庫 2001年)、松宮史朗の増補訳
- イヴリン・ウォー『ピンフォールドの試練』(20世紀の文学17・集英社 1967年、世界の文学15・同 1977年)、白水Uブックス 2015年
- シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』(世界文学全集 集英社 1968年 新版1986年ほか)、集英社文庫 1979年
- アーノルド・トインビー『現代が受けている挑戦』(新潮選書 1969年)、新潮文庫 2001年
- パトリシア・ハイスミス『変身の恐怖』(筑摩書房 1970年)、ちくま文庫 1997年
- マイクル・イネス『海から来た男』(筑摩書房 1970年、新版1978年)
- 『G・K・チェスタトン著作集3 自叙伝』(春秋社 1973年、新版1999年)
- ポール・ヴァレリイ『ドガに就て』(筑摩書房 1977年)。清水徹が改訂担当
演じた俳優
テレビドラマ
- 「負けて、勝つ 〜戦後を創った男・吉田茂〜」(2012年、NHK) - 田中圭
関連書籍
- 『吉田健一集成 別巻』(新潮社 1994年6月)。年譜・書誌(武藤康史編)、吉田健一・人と文学(回想・作家論)を収録
- 『吉田健一 新潮日本文学アルバム69』(清水徹編・解説、新潮社 1995年12月)
- 篠田一士 『吉田健一論』(筑摩書房 1981年)
- 清水徹 『吉田健一の時間 黄昏の優雅』(水声社 2003年)
- 高橋英夫 『琥珀の夜から朝の光へ 吉田健一逍遥』(新潮社 1994年)
- 角地幸男 『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』(新潮社、2014年3月)
- 長谷川郁夫 『吉田健一』(新潮社、2014年9月)。晩年に編集・出版した著者による評伝の大著。大佛次郎賞受賞
- 富士川義之 『新=東西文学論 批評と研究の狭間で』(みすず書房 2003年)
- 他の著書に収録の論考を含め、英文学者の観点から作家・作品論を展開。
- 丹生谷貴志、四方田犬彦、松浦寿輝、柳瀬尚紀 『吉田健一頌』(風の薔薇叢書:水声社 1990年、増補版2003年)
- 『ユリイカ 詩と批評 特集吉田健一』 1977年12月号、青土社。追悼特集、篠田・清水・高橋、辻邦生、川村二郎などの知人が寄稿。
- 『ユリイカ 詩と批評 特集吉田健一 「常識」のダンディズム』 2006年10月号、青土社
- 『KAWADE 道の手帖 吉田健一』(河出書房新社、2012年1月)
- 吉田暁子 『父 吉田健一』(河出書房新社、2013年12月)
- 『吉田健一ふたたび』 川本直・樫原辰郎編(冨山房インターナショナル、2019年2月)。新しい世代を軸とした作家論集。
関連項目
脚注
注釈
- ^ 小さいときから工科の技師になりたいという希望を持っていた。吉田健一「父吉田茂と妹麻生和子を語る」『主婦之友』1951年10月号 p.87
- ^ ケンブリッジではもの凄く勉強したが、そのうちホームシックにかかってしまう。それよりも、決定的に心を捉え出したのは、文士になりたいという希いであった。吉田健一「父吉田茂と妹麻生和子を語る」『主婦之友』1951年10月号 p.87
- ^ 伊集院淸三。吉田の母の従弟。
- ^ 『文學界』の校正場所共同印刷の食堂で顔合わせ。
- ^ 折口信夫による招請あり。
- ^ 同会の渉外部幹事ならびに出版部編集委員として活動。会誌『あるびよん』の編集委員を務める。
- ^ 同人は吉田と、大岡昇平、中村光夫、福田恆存、三島由紀夫、吉川逸治の6名。
- ^ 近代科学は一切の宗教を否定しうるか の結語に、「科学は、我々の眼の前にある通りのものであって、その手が届かない所にある宗教は、これこそ各自の個人的な問題である。何故なら、宗教は結局は信仰であって、これだけは我々が我々自身に対してさえも強いることが許されないものだからである。」と記した。
- ^ 連載題の決定は大岡信の発案による。三浦雅士も関わった
- ^ 同社の編輯局長延原謙の依嘱によるもの。
- ^ 一部のみ遺稿。1976年から1977年まで、『ユリイカ』に連載した最後の作品。12回予定だったが急逝により10回で終わった。第11章は原稿用紙5枚分が巻末に収録。
- ^ 青山民吉が巻中挿画の選出を、青山二郎が装丁監修を担当。
出典
外部リンク
- 日本ペンクラブ:電子文藝館『言葉』 (1977) が収録されている。
- 吉田健一先生と西御門の山田邸離れの思い出 - 清水浩二(ひとみ座)