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「シン=トゥン・ヤウ」の版間の差分

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== ポアンカレ予想を巡って ==
== ポアンカレ予想を巡って ==
当時、[[数学上の未解決問題|未解決問題]]だった[[幾何化予想]]を研究していた[[リチャード・S・ハミルトン|リチャード・ハミルトン]]と交流があり、後に問題解決にとても大きな役割を担うことになる[[リッチフロー]]を応用するよう彼に薦めたのも丘である。この予想は[[ウィリアム・サーストン]]により予想されたもので[[クレイ数学研究所]]の[[ミレニアム懸賞問題]]にもなっていた3[[次元]][[ポアンカレ予想]]を含む壮大なものであり、実際、3次元ポアンカレ予想は[[グリゴリー・ペレルマン]]が[[2002年]]にこの予想を[[証明]]することによってその長い歴史に終止符を打った(査読・検証を経て証明が確定されたのは[[2006年]]末)。
当時、[[数学上の未解決問題|未解決問題]]だった[[幾何化予想]]を研究していた[[リチャード・S・ハミルトン|リチャード・ハミルトン]]と交流があり、後に問題解決にとても大きな役割を担うことになる[[リッチフロー]]を応用するよう彼に薦めたのも丘である。この予想は[[ウィリアム・サーストン]]により予想されたもので[[クレイ数学研究所]]の[[ミレニアム懸賞問題]]にもなっていた3[[次元]][[ポアンカレ予想]]を含む壮大なものであり、実際、3次元ポアンカレ予想は[[グリゴリー・ペレルマン]]が[[2002年]]にこの予想を[[証明 (数学)|証明]]することによってその長い歴史に終止符を打った(査読・検証を経て証明が確定されたのは[[2006年]]末)。


よって丘がポアンカレ予想解決を大きく推し進めたのは事実なのだが、ペレルマンの証明の検証の際に、あたかも自分たちが最終的解決をしたかのような論文を提出した[[曹懐東]]([[w:Huai-Dong Cao|en]])と[[朱熹平]]([[w:Zhu Xiping|en]])<ref>2人ともハーバード大で丘の指導を受けた数学者</ref>を弁護したため、数学界のみならず[[ザ・ニューヨーカー|ニューヨーカー誌]]などの報道機関からも批判を受けた。マーシャ・ガッセンはその著書『完全なる証明』<ref>日本語訳は[[文芸春秋]]刊。2009年</ref>で、丘のこの行為こそがペレルマンを人間不信に陥らせ、フィールズ賞含む数々の賞の入賞を辞退させることにつながったと書いている。
よって丘がポアンカレ予想解決を大きく推し進めたのは事実なのだが、ペレルマンの証明の検証の際に、あたかも自分たちが最終的解決をしたかのような論文を提出した[[曹懐東]]([[w:Huai-Dong Cao|en]])と[[朱熹平]]([[w:Zhu Xiping|en]])<ref>2人ともハーバード大で丘の指導を受けた数学者</ref>を弁護したため、数学界のみならず[[ザ・ニューヨーカー|ニューヨーカー誌]]などの報道機関からも批判を受けた。マーシャ・ガッセンはその著書『完全なる証明』<ref>日本語訳は[[文芸春秋]]刊。2009年</ref>で、丘のこの行為こそがペレルマンを人間不信に陥らせ、フィールズ賞含む数々の賞の入賞を辞退させることにつながったと書いている。

2021年4月28日 (水) 23:25時点における版

Shing-Tung Yau
生誕 (1949-04-04) 1949年4月4日(75歳)
中華民国の旗 中華民国広東省汕頭市
居住 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 香港の旗 香港( - 1990年)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国(1990年 - )
研究分野 数学
出身校 香港中文大学(学士、1969年)
カリフォルニア大学バークレー校(博士、1971年)
博士課程
指導教員
陳省身
博士課程
指導学生
リチャード・シェーン
Jun Li
曹懐東英語版
田剛
季理真英語版
劉克峰英語版
王慕道英語版
Chiu-Chu Melissa Liu
主な受賞歴 ジョン・カーティー賞(1981年)
ヴェブレン賞(1981年)
フィールズ賞(1982年)
クラフォード賞(1994年)
アメリカ国家科学賞(1997年)
ウルフ賞数学部門(2010年)
プロジェクト:人物伝
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丘成桐
プロフィール
出生: (1949-04-04) 1949年4月4日(75歳)
出身地: 中華民国の旗 中華民国広東省汕頭市
職業: 数学者
各種表記
繁体字 丘成桐
簡体字 丘成桐
拼音 Qiū Chéngtóng(普通話)
Yau1 Sing4tung4(広東語)
和名表記: きゅう せいとう
発音転記: チウ・チェントン(普通話)
ヤウ・セントン(広東語)
英語名 Shing-Tung Yau
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シン=トゥン・ヤウ(Shing-Tung Yau)、中国名丘 成桐(きゅう せいとう, 1949年4月4日 - )は、香港出身のアメリカ人の数学者ハーバード大学教授

経歴

西洋哲学中国文学の教授の父親のもとに生まれる。食べるものに困るくらい貧窮した家庭だったこともあり、水道や電気などもつながっていなかった。数ヶ月で広東省から香港に移住する。

数学者ではあるが、幼い頃から数学が得意だったわけではなく、5歳の頃に受けた公立学校の入学試験にはそれが原因で不合格となった。

香港培正中学(高校に相当)に在籍していた頃に幾何学を学び、それがきっかけで代数学などの数学のさまざまな分野に興味を持ち始めるようになった。この頃、父親が亡くなり経済的に非常に厳しくなったためこれらは書店で本を立ち読みして勉強したという。

1969年に香港中文大学を卒業。カリフォルニア大学バークレー校陳省身に学び、1971年に博士号を取得。同年プリンストン高等研究所ポスドクとなる。

1972年にニューヨーク州立大学ストーニーブルック校准教授。1974年にはスタンフォード大学 数学科教授[1]、1979年にプリンストン高等研究所教授、1984年にカリフォルニア大学サンディエゴ校教授。1987年より現職であるハーバード大学教授に就任。2003年、浙江大学より、名誉博士号を授与される。

主な受賞歴

功績

関数解析学を使ってカラビ予想を解決し、K3曲面アインシュタイン方程式が存在することを示した。この解決から導きだされるカラビ-ヤウ多様体は数学の極めて広範な領域にインパクトをもたらし、その影響は数学にとどまらない。特に素粒子物理学における超弦理論の発展に多大な寄与をなしているが、ヤウ自身は自分の理論がなぜ物理学で役に立つのかわからない、といった趣旨のコメントをしばしばしている。

もっともヤウは弦理論の専門家とも様々な業績をあげている。ストロミンガーザスロフとともにミラー対称な3次元カラビ-ヤウ多様体はT-双対性を持つというミラー対称性に関する予想を提起した。他に、一般相対性理論における正質量定理コンパクト複素多様体上複素モンジュ・アンペール方程式で知られる。

ポアンカレ予想を巡って

当時、未解決問題だった幾何化予想を研究していたリチャード・ハミルトンと交流があり、後に問題解決にとても大きな役割を担うことになるリッチフローを応用するよう彼に薦めたのも丘である。この予想はウィリアム・サーストンにより予想されたものでクレイ数学研究所ミレニアム懸賞問題にもなっていた3次元ポアンカレ予想を含む壮大なものであり、実際、3次元ポアンカレ予想はグリゴリー・ペレルマン2002年にこの予想を証明することによってその長い歴史に終止符を打った(査読・検証を経て証明が確定されたのは2006年末)。

よって丘がポアンカレ予想解決を大きく推し進めたのは事実なのだが、ペレルマンの証明の検証の際に、あたかも自分たちが最終的解決をしたかのような論文を提出した曹懐東(en)と朱熹平(en)[2]を弁護したため、数学界のみならずニューヨーカー誌などの報道機関からも批判を受けた。マーシャ・ガッセンはその著書『完全なる証明』[3]で、丘のこの行為こそがペレルマンを人間不信に陥らせ、フィールズ賞含む数々の賞の入賞を辞退させることにつながったと書いている。

このほかにも2005年田剛丘成桐事件中国語版を起こしている。

脚注

  1. ^ Shing-Tung Yau”. www.macfound.org. 2019年2月10日閲覧。
  2. ^ 2人ともハーバード大で丘の指導を受けた数学者
  3. ^ 日本語訳は文芸春秋刊。2009年

関連項目