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だが2年後、[[2006年]]2月の[[東西王座戦|西日本王座決定戦]]([[奈良競輪場]])決勝で[[澤田義和]]の2着に入り、同年7月の[[サマーナイトフェスティバル]]([[函館競輪場]])では、2センター付近で逃げる稲垣裕之を捨て、最終バックから捲り切った[[佐藤友和]]の番手に入り込み、ゴール寸前で佐藤を捕らえてGII初優勝を果たした。
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[[2009年]]の[[全日本選抜競輪]]([[大垣競輪場]])では、優勝の[[山崎芳仁]]に次いで2着に入り、これにより年間獲得賞金上位となったことから、[[2010年]]はS級S班格付となった。[[2010年]]2月に[[玉野競輪場]]で開催された[[東西王座戦]]西日本王座決定戦では、[[村上義弘 (競輪選手)|村上義弘]]・[[村上博幸|博幸]]兄弟の捲りに乗る形で直線から抜け出しGII2勝目を果たしている。4月に[[小松島競輪場]]で開催された[[共同通信社杯競輪|共同通信社杯競輪春一番]]の決勝でも村上義弘の逃げに乗る形で2着に入線し、さらに7月の[[第19回仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|仁親王牌]]決勝では[[脇本雄太]]が先行して村上義弘の最終バックからの番手捲りをゴール直前で捕らえ、GI初制覇を果たした。


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== 主な獲得タイトル ==
== 主な獲得タイトル ==
*[[2010年]] - [[第19回仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]([[前橋競輪場]])
*[[2010年]] - [[第19回仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]([[前橋競輪場]])


== 競走スタイル ==
== 競走スタイル ==

2021年5月4日 (火) 22:46時点における版

市田 佳寿浩
Kazuhiro Ichida
基本情報
本名 市田 佳寿浩
いちだ かずひろ
生年月日 (1975-07-28) 1975年7月28日(49歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 175cm
体重 75kg
選手情報
所属 日本競輪選手会福井支部
期別 76期
分野 競輪
役割 選手
特徴 自在
アマチュア経歴
1991 - 1994 福井県立春江工業高等学校
プロ経歴
1995 - 2018 日本競輪選手会福井支部
主要レース勝利
GII サマーナイトフェスティバル 2006
GII 西日本王座決定戦 2010
GI 寛仁親王牌 2010
S級S班 2010 - 2011
最終更新日
2018年12月15日

市田 佳寿浩(いちだ かずひろ、1975年7月28日 - )は、元競輪選手競輪評論家福井県坂井市(旧春江町)出身。現役時代は日本競輪選手会福井支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第76期卒業。師匠は野原哲也(51期)。主な弟子は柳原真緒(114期)。

経歴

福井県立春江工業高等学校を経て競輪学校に第76期生として入学し、在校競走成績第1位(73勝)で卒業。デビュー戦は1995年8月5日松阪競輪場(1着)。

GI初出場となった1997年オールスター競輪平塚競輪場)では、準決勝まで進出するも、自身の番手をまわった濱口高彰のシビアな切り替えに最終ホームで早々と遭ったこともあり7着敗退。その後は決勝戦に進出することも数多くなったが、そのうち2004年のオールスター競輪決勝戦(西武園競輪場)では、最終4角まで逃げる稲垣裕之の「番手」に位置し、直線で抜け出しを図ったものの、その直線で思ったほどの伸びが見られず、結果、優勝の神山雄一郎と2着の後閑信一にゴール直前で抜かれ、3着に終わった。

だが2年後、2006年2月の西日本王座決定戦奈良競輪場)決勝で澤田義和の2着に入り、同年7月のサマーナイトフェスティバル函館競輪場)では、2センター付近で逃げる稲垣裕之を捨て、最終バックから捲り切った佐藤友和の番手に入り込み、ゴール寸前で佐藤を捕らえてGII初優勝を果たした。

2009年全日本選抜競輪大垣競輪場)では、優勝の山崎芳仁に次いで2着に入り、これにより年間獲得賞金上位となったことから、2010年はS級S班格付となった。2010年2月に玉野競輪場で開催された東西王座戦西日本王座決定戦では、村上義弘博幸兄弟の捲りに乗る形で直線から抜け出しGII2勝目を果たしている。4月に小松島競輪場で開催された共同通信社杯競輪春一番の決勝でも村上義弘の逃げに乗る形で2着に入線し、さらに7月の寬仁親王牌決勝では脇本雄太が先行して村上義弘の最終バックからの番手捲りをゴール直前で捕らえ、GI初制覇を果たした。

2017年3月17日の第1回ウィナーズカップ高松)初日第6レースで落車し、右股関節脱臼骨折、右大腿骨粉砕骨折という選手生命を脅かす大怪我を負う[1]。その後は懸命に治療とリハビリを続け、2018年5月7日からの地元・福井での開催で1年2か月ぶりにレース復帰を果たした[2]

ただ、欠場が長期にわたったため、2018年下期(7月 - 12月)でA級に降格することが決まった[3]。欠場中は、第114期の競輪学校卒業記念レースを生観戦し、弟子の柳原真緒が優勝する瞬間を見届けた。

同年10月23日、近畿地区プロ開催前日の奈良競輪場にて、引退発表の記者会見をし、近畿の選手達から花束を受け取った。10月12日に主治医と怪我および今後について相談し、家族とも話し合った後に、引退を決断したことを明かした[4][5]。翌24日には同場で地区プロ終了後に、発案者の村上義弘を含めた9車立ての特別レースが急遽実施され、ただ1人電動アシスト付き自転車で参加した[6]6番車の古原勝己[7]の捲りにも耐え、仲間達のサイン寄せ書きが入ったS級S班のレーサーパンツで臨んだ9番車の市田が逃げ切った[8][9]。先頭誘導員は澤田義和の予定だったが[10]師匠の野原哲也が務めた[11]。9月2日の和歌山FII・2日目(落車)を最後に、その後は負傷欠場中だった[12]

選手会福井支部の副支部長職の引き継ぎを経て[13]、2018年12月13日、選手登録消除。通算1679戦451勝、優勝65回(うちGI1回)。

福井県支部所属選手として初めてGIタイトルを獲った功績を称え、2019年11月16日 - 18日の福井FI開催は、第1回日刊スポーツ杯市田佳寿浩カップとして自身の冠レースとして開催された[14]。また、開催期間中は日刊スポーツ特別評論家として日刊スポーツ大阪本社版のレース面では独自のレース予想を行った。

現役引退後は、月刊競輪WEBでコラム連載(「市田佳寿浩の不死鳥ノート」)を行うなど競輪評論家として活動している[15]ほか、プロアマ問わず若手を育成する「市田道場」を開き後進の指導に当たっている[16]

家族

息子[17][18]の龍生都(りゅうと、2001年 - )は2018年インターハイ自転車競技男子1000mタイムトライアル[18]福井国体少年男子1000mタイムトライアルを制し二冠を達成[17]。特に福井国体決勝では1分4秒942の大会新記録であった[17]

主な獲得タイトル

競走スタイル

デビュー時から逃げや捲りの戦法で戦っていたが、勝負勘の鋭さから番手捲りを多用した。晩年は自らの位置を確保するため捌きを見せる自在型としての競走が増えたが、特に大怪我から復帰した2013年以降は追い込みが多くなった。

関連項目

脚注

  1. ^ “市田佳寿浩、大腿骨粉砕骨折などで全治3カ月/高松”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2017年3月18日). https://www.nikkansports.com/public_race/keirin/winners/2017/news/1794000.html 2018年5月3日閲覧。 
  2. ^ “不死鳥!市田佳寿浩1年2カ月ぶりの実戦復帰/福井”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2018年5月6日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/201805060000598.html 2018年5月8日閲覧。 
  3. ^ “加倉正義、市田佳寿浩はA降級 中西大ら初S級1班”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2018年3月30日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/201803300000186.html 2018年5月3日閲覧。 
  4. ^ 引退表明の競輪・市田佳寿浩「ありがとう」一問一答 - 日刊スポーツ、2018年10月23日
  5. ^ 【競輪】“不死鳥”市田佳寿浩が引退を発表 10年寛仁親王牌でG1制覇 - デイリースポーツ、2018年10月23日
  6. ^ 市田佳寿浩のラストランで古原勝己が大活躍!? - 日刊スポーツ、2018年10月24日
  7. ^ 古原は日本競輪選手会常務理事であり、現在は役員活動に専念しているためレースには出走していない。
  8. ^ 写真ニュース 市田佳寿浩のラストランで古原勝己が大活躍!? ラストランを終えて感涙にむせぶ市田佳寿浩(撮影・杉森洋一) - 日刊スポーツ、2018年10月24日
  9. ^ 奈良競輪 近プロ 市田佳寿浩 引退レース② - sunnyさんのツイート
  10. ^ 市田佳寿浩選手引退 特別レースのお知らせ - 奈良競輪オフィシャルサイト、2018年10月24日
  11. ^ 【競輪】不死鳥・市田佳寿浩が“ラストラン” 「自分の生きてきた競輪を全うできた」 - デイリースポーツ、2018年10月24日
  12. ^ “不死鳥”市田が引退発表、会見で感謝の涙「大変幸せでした」 - スポニチ、2018年10月24日
  13. ^ 市田佳寿浩「不死鳥と呼んでくれたことで頑張れた」地元・福井のファンに引退報告 - スポーツ報知、2018年12月2日
  14. ^ レースV展望”. CHUBUNET(中部出版印刷) (2019年11月). 2019年11月17日閲覧。
  15. ^ 市田佳寿浩の不死鳥ノート - 月刊競輪WEB、2020年1月29日付
  16. ^ “心身ともに育てる競輪「市田道場」門下生現在13人”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2020年11月25日). https://www.nikkansports.com/public_race/ailoverace/news/202011250000094.html 2020年11月26日閲覧。 
  17. ^ a b c “市田龍生都が福井国体自転車V”. 福井新聞 (福井新聞社). (2018年9月27日). https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/708126 2019年1月21日閲覧。 
  18. ^ a b 福井国体・障スポ特集(8) 全国優勝のウラにあった 親子の絆”. 福井テレビ (2018年8月24日). 2019年1月21日閲覧。

外部リンク