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2021年5月4日 (火) 22:47時点における版
平塚競輪場・GP | |||
レース詳細 | |||
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開催日 | 2011年12月30日 | ||
レース結果 | |||
優勝 | 山口幸二 (岐阜県) | ||
2位 | 武田豊樹 (茨城県) | ||
3位 | 浅井康太 (三重県) | ||
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KEIRINグランプリ2011(けいりんぐらんぷり・にせんじゅういち)は、2011年12月30日に平塚競輪場で行われたKEIRINグランプリの27回目の開催。優勝賞金1億円。
出場選手
- 当年12月4日に行われた、第53回朝日新聞社杯競輪祭決勝戦終了後、出場選手が決定された[1]。
- 取得賞金順位は当年12月4日時点による。
- 車番については、まず予備抽選によってくじを引く順番を決め、当年12月20日にホテル グランパシフィック LE DAIBAで行われた、KEIRINグランプリ2011共同記者会見における公開抽選により決定した。
- KEIRINグランプリ初出場は、深谷知広、浅井康太、長塚智広、成田和也の4選手。
車番 | 選手名 | 登録地 | 出場要件事項 |
---|---|---|---|
1 | 長塚智広 | 茨城県 | 第53回朝日新聞社杯競輪祭(小倉競輪場) 優勝 |
2 | 山口幸二 | 岐阜県 | 取得賞金額 第3位 |
3 | 佐藤友和 | 岩手県 | 取得賞金額 第8位 |
4 | 深谷知広 | 愛知県 | 第62回高松宮記念杯競輪(前橋競輪場) 優勝 |
5 | 武田豊樹 | 茨城県 | 取得賞金額 第4位 |
6 | 伏見俊昭 | 福島県 | 第27回読売新聞社杯全日本選抜競輪(岸和田競輪場) 優勝 |
7 | 浅井康太 | 三重県 | 第20回寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(弥彦競輪場)・第54回オールスター競輪(岐阜競輪場) 優勝 |
8 | 成田和也 | 福島県 | 取得賞金額 第9位 |
9 | 村上義弘 | 京都府 | 第64回日本選手権競輪(名古屋競輪場) 優勝 |
誘導員 | 佐々木龍也 | 神奈川県 |
成績
- 12月30日(金)[2]
着順 | 車番 | 選手 | 登録地 | 着差 | 決まり手 | 上がり(秒) | H/B | 特記 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 山口幸二 | 岐阜県 | 差し | 11.8 | |||
2 | 5 | 武田豊樹 | 茨城県 | 3/4車身 | マーク | 11.8 | ||
3 | 7 | 浅井康太 | 三重県 | 微差 | 12.0 | |||
4 | 8 | 成田和也 | 福島県 | 1車輪 | 11.4 | |||
5 | 3 | 佐藤友和 | 岩手県 | 1/2車身 | 11.6 | |||
6 | 6 | 伏見俊昭 | 福島県 | 2車身 | 11.7 | |||
7 | 4 | 深谷知広 | 愛知県 | 大差 | HB | |||
8 | 9 | 村上義弘 | 京都府 | 落携入 | ||||
失格 | 1 | 長塚智広 | 茨城県 | 過失走行[3] |
配当金額
枠番二連勝複式 | 2=4 | 3000円 |
枠番二連勝単式 | 2-4 | 9000円 |
車番二連勝複式 | 2=5 | 5320円 |
車番二連勝単式 | 2-5 | 17770円 |
三連勝複式 | 2=5=7 | 3860円 |
三連勝単式 | 2-5-7 | 62150円 |
ワイド | 2=5 | 1210円 |
2=7 | 600円 | |
5=7 | 370円 |
レース概要
残り1周で一本棒の展開。
最終2センター付近で深谷との間合いを外した浅井が、バックで一気に番手捲り。後方の佐藤の捲りは不発。
武田の仕掛けには乗らず、長塚はインへ。山口がこれを受け止めた直後に、長塚が前輪を浅井の後輪に接触させて落車転倒し、それに乗り上げた村上も巻き添え落車。
直線では浅井の後位から山口が抜け出し、13年ぶり2度目のグランプリ優勝。有坂直樹の37歳を抜く43歳での史上最年長記録を更新した[4][5][6]。
写真判定の末、最終3コーナーから捲り追い込みで外を伸びた武田が2着。浅井は微差の3着となった。
エピソード
アクシデント
- 当初、グランプリ当日に国家独唱を行う予定だった歌手の西城秀樹が12月21日に緊急入院となったことで、一時は同イベント中止と決まった[7]が、25日、Every Little Thingのヴォーカル担当である、持田香織を代役に起用することを決めた[8]。
- ヤンググランプリがメインレースとして組まれた28日、第8レース終了後に車券システム、払い戻しを管理するシステムに障害が発生し、平塚本場ほか同系列のサーバーに属する玉野競輪場と6箇所の競輪場外車券売場の発売、払い戻し機が全台停止したため、第9レース以降の発走時刻が最大で35分遅れるトラブルが発生[9]。
- 村上義弘が落車後、自転車を携えてゴールに向かっている最中に、武田豊樹ファンと自称する少年2人が金網を乗り越えてバンク内に乱入。村上を抜き去り、ゴール後に他の選手と同様ゆっくり周回していた武田に走り寄ったが、2人はすぐに走路係員に取り押さえられた。村上の結果が決定していなかったため一応「競走中の妨害行為」にあたる事象ではあったが、主催者は「重大な支障ではない」としてレースを成立させた。なお武田は主催者に対し、『刺されるかと思った!前代未聞だ!管理がなってない!』と激怒し、レース後に行われた表彰式出席を拒否した[10][11]。なお、年明けに武田は自身のブログで謝罪の言葉を載せた[12]。
- 表彰式終了後、女性カメラマンが場内を回ったカートにひかれ、大腿骨骨折などの大怪我に見舞われる[13]。
その他
- GPの売上は、51億4546万4300円(本場14億7023万7100円 場外36億7522万7200円[14])。
- 目標は128億円だったが、シリーズ3日間の総売上は118億1937万9800円となった。
参考文献
- KEIRINグランプリ2011共同記者会見・前夜祭が行われました。 - KEIRIN.JPニュース 2011年12月20日付
脚注
- ^ 『KEIRINグランプリ2011【GP】』出場予定選手の決定について - KEIRIN.JPニュース 2011年12月4日付
- ^ レース競走結果 - KEIRIN.JP
- ^ 村上義弘の進路を妨害し、落車させたため。
- ^ http://www.nikkan-pro.co.jp/special/2011/1228_hiratsukaGP/final_GP/index.html
- ^ https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2011/12/30/kiji/K20111230002340850.html
- ^ https://www.keirin-autorace.or.jp/documents/www/public/koho_keirin/2012/keirin_046.pdf
- ^ 西城秀樹さんの急病によるKEIRINグランプリ2011のイベント変更について - keirin.jp 2011年12月21日配信
- ^ KEIRINグランプリ2011における国歌斉唱及び表彰式プレゼンターの変更について - keirin.jp 2011年12月21日配信
- ^ 平塚競輪でまたシステムトラブル…3R発走遅れる - スポニチアネックス12月29日付
- ^ 【KEIRINグランプリ】乱入、事故…トラブル相次ぐ - スポニチアネックス12月31日付
- ^ 武田豊樹激怒!バンクにファン乱入/平塚 - 日刊スポーツ 12月31日付
- ^ グランプリ中の出来事について 武田豊樹さんの競輪ブログ 競輪ステーション
- ^ 競輪GPの表彰式後 女性カメラマンがけが - スポニチアネックス12月30日付
- ^ 第4編「経済」 第7章 公営事業 - 平塚市
外部リンク
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