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「失脚」の版間の差分

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*[[オットー・フォン・ビスマルク]]([[1890年]]、[[帝政ドイツ]])
*[[オットー・フォン・ビスマルク]]([[1890年]]、[[帝政ドイツ]])
*[[セルゲイ・ウィッテ]]([[1903年]]、帝政ロシア)
*[[セルゲイ・ウィッテ]]([[1903年]]、帝政ロシア)
*[[ニコライ2世]]([[1917年]]、帝政ロシア)
*[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]([[1917年]]、帝政ロシア)
*[[レフ・トロツキー]]([[1925年]]、[[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]])
*[[レフ・トロツキー]]([[1925年]]、[[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]])
*[[ベニート・ムッソリーニ]]([[1943年]]、[[イタリア]])
*[[ベニート・ムッソリーニ]]([[1943年]]、[[イタリア]])

2021年6月13日 (日) 10:02時点における版

失脚(しっきゃく)とは指導的立場にいる人物が他からの圧力により指導的立場を離脱させられる行為のこと。主に政治用語として使われる。君主廃位と称される。

概説

通常、一度失脚した人物が再び指導的立場に復帰することは稀で、さらに複数回失脚するのはより稀である。これは、権力を一度放棄することで、それまでその人物が持っていた人脈や、情報ルートが一度に喪失されるためである。また、失脚した後、新政権や反対者によって殺害(死刑または暗殺)されるケースも少なくない。その次に多いのが幽閉や軟禁である。こちらは権力構成ルートが強固で、権力再掌握の恐れのある人物に対して行われる。ごくまれな例として、中国で毛沢東死後に最高指導者となり短期間で失脚した華国鋒が晩年まで中国共産党中央委員のポストを与えられていたように、失脚後も閑職をあてがわれてそれなりの地位を維持するケースがある。

明確な線引きがあるわけではないが、一般に「失脚」という言葉が用いられるのは、革命クーデターといった政体そのものの変更ではなく、既存体制の枠組みが維持される中で、権力の座にあった人物がそこから放逐されるといったニュアンスである場合が多い。また、民主主義国家における現職候補が公職選挙で落選する場合は通常失脚と呼ぶことはない。

失脚した人物

ヨーロッパ

アジア

南北アメリカ

アフリカ

関連項目