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'''北橋 修二'''(きたはし しゅうじ、[[1935年]][[9月10日]] - )は[[日本中央競馬会|JRA]]・[[栗東トレーニングセンター]]に所属していた元[[騎手]]で元[[調教師]]。[[鹿児島県]]出身。 |
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2021年8月1日 (日) 07:55時点における版
北橋 修二(きたはし しゅうじ、1935年9月10日 - )はJRA・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手で元調教師。鹿児島県出身。
来歴
- 1953年、京都・松元正雄厩舎で騎手見習いとなる。
- 1955年、同厩舎より騎手デビュー。
- 1957年、9月29日、ブゼンリユウで京都大障害(秋)を制し重賞初勝利を挙げる。京都大障害は3勝している。
- 1969年、栗東トレーニングセンター開設にともない栗東所属となる。
- 1977年、調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手通算4616戦587勝。
- 1978年、厩舎を開業する。7月8日、初出走となったグリーンシャトー(タマモクロス・ミヤマポピーの母)が勝利し初出走で初勝利を挙げる。
- 1980年、第14回シンザン記念をノトダイバーが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
- 1999年、第51回朝日杯3歳ステークスをエイシンプレストンが制しJRAGI初勝利を挙げる。
- 2001年、第11回香港マイルをエイシンプレストンが制し、日本国外GI初勝利を挙げる。
- 2006年2月28日付けで定年により調教師を引退する。通算5563戦512勝、JRA重賞26勝。
主な騎乗馬
- ブゼンリユウ(1957年京都大障害(秋))
- イチイチ(1959年京都大障害(春))
- ワカノキング(1959年京都特別)
- カムイダケ(1960年京都大障害(春))
- ホマレタイコウ(1962年日本経済新春杯)
- コールクイン(1963年アラブ大障害(秋))
- アストウエー(1965年京都4歳特別)
- タイバブー(1972年北九州記念)
- イーストリバー(1974年京阪杯、1975年日本経済新春杯)
主な管理馬
- ノトダイバー(1980年シンザン記念、きさらぎ賞、1981年 - 1982年京阪杯)
- ウエスタンジョージ(1980年愛知杯、1981年スポニチ賞金杯、中日新聞杯)
- ダイゴアルファ(1987年毎日杯)
- ゴールデンジャック(1994年報知杯4歳牝馬特別、サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別)
- マルカコマチ(1999年京都牝馬特別)
- エイシンプレストン(1999年朝日杯3歳ステークス、2000年アーリントンカップ、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス、 2001年北九州記念、毎日王冠、マイルチャンピオンシップ2着、香港マイル、2002年クイーンエリザベス2世カップ、マイルチャンピオンシップ2着、2003年クイーンエリザベス2世カップ)
- ビハインドザマスク(2000年セントウルステークス、2001年スワンステークス、2002年京都牝馬ステークス)
- マルカキャンディ(2001年府中牝馬ステークス)
- スターリングローズ(2002年プロキオンステークス、シリウスステークス、JBCスプリント、2003年かしわ記念、プロキオンステークス、兵庫ゴールドトロフィー。ゴールデンジャックの全弟)
- サイドワインダー(2002年京阪杯、2003年京都金杯、2005年関屋記念。ゴールデンジャックの仔)
主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 福永祐一(1996年-2006年 騎手)
エピソード
- 瀬戸口勉元調教師とは、同じく鹿児島県出身で年も1歳違いのことからプライベートでも非常に仲が良い。
- 2006年2月26日、阪神競馬場で引退式に参加した。最後のレースとなった御堂筋ステークスは、ストラタジェムが2着となった。