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=== 欧州の成績 ===
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2021年8月8日 (日) 10:01時点における版

シャルケ04
crest
原語表記 Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.[1]
愛称 Königsblau(王者の青)
Die Knappen(炭鉱夫たち)
クラブカラー     青(ブルー)・    白(ホワイト)
創設年 1904年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 2部
ホームタウン ゲルゼンキルヒェン
ホームスタジアム フェルティンス・アレーナ
収容人数 62,271
代表者 ドイツの旗 クレメンス・テンニース
執行委員会 ドイツの旗 クリスティアン・ハイデル (CEO; 最高経営責任者)
ドイツの旗 アレクサンダー・ヨブスト (CBO; 最高ブランド責任)
ドイツの旗 ペーター・ペータース (CFO; 最高財務責任者)
監督 ギリシャの旗 ディミトリオス・グラモジス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

シャルケ04(FC Schalke 04, ドイツ語: [ʔɛf t͡seː ˈʃalkə nʊl fiːɐ̯]、Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.[1][2])は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェンを本拠地とする総合スポーツクラブでS04ドイツ語: [ˈʔɛs nʊl fiːɐ̯])とも表記される。サッカー部門はドイツサッカーリーグ機構(ブンデスリーガ)に加盟し、過去7回のリーグ優勝の経験を持つ。収入規模や平均観客動員数では国内屈指である。同じくノルトライン=ヴェストファーレン州に本拠地があるライバルのボルシア・ドルトムントとのダービーマッチルールダービーと呼ばれる。その他、バスケットボール陸上競技ハンドボール卓球などクラブチームおよび専属選手の保有や運営、育成に携わる。

概要

練習中の選手
観戦中のサポーター

欧州サッカーのトップリーグの一つであるブンデスリーガに所属しており、その前身であるドイツ・サッカー選手権を通算7度制覇し、DFBポカールUEFAカップなどといった数々のタイトルを獲得しているが、ブンデスリーガでの優勝はない。2000-01シーズンに勝ち点1差でリーグ優勝を逃して以降も2位を3回記録したが、マイスターシャーレには届かない状況が続いている。

かつて国内最強を誇った時代に、"Königsblau"(王者の青)という愛称が定着した。またゲルセンキルヒェンがかつて炭鉱の町であり、クラブの創設にも当時の石炭産業が関わっていたことから、炭鉱が寂れた現在でも "Die Knappen"(若い炭鉱夫たち)という愛称が用いられるほか、所属選手が炭鉱採掘を体験するイベントが毎年恒例となっている。また、本拠地のロッカールームからピッチへ向かう通路の壁も炭鉱をイメージしたものとなっており、チームスローガンの「Glück auf(グリュック アウフ)」も「(炭鉱から地上に無事に戻ってこれるよう)幸運を祈る」という意味で使われている。

ドイツ国内においてその人気は高く、ホームスタジアムをフェルティンス・アレーナに移した2001-02シーズン以降は2008年現在7シーズン連続で6万人を超える平均観客動員を記録中である。2001-02シーズンから2004-05シーズンまではドルトムントに続くブンデスリーガ2位の平均観客動員を記録していたが、バイエルン・ミュンヘン(Bミュンヘン)がアリアンツ・アレーナにホームスタジアムを移した2005-06シーズン以降は、ドルトムントやBミュンヘンに続くブンデスリーガ3位の平均観客動員が定位置となっている。

2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は1億9820万ユーロであり、世界のサッカークラブの中では13位、ドイツではバイエルン・ミュンヘン、ボルシア・ドルトムントに次ぐ3位である[3]

第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はクラブの名誉会員であった。

ユニフォームサプライヤーはアンブロ、胸スポンサーはロシアのガス会社ガスプロム

歴史

創立期

1904年5月4日にゲルゼンキルヒェン市内のシャルケ地区に住む14 - 15歳の少年たちによって「ヴェストファリア・シャルケ」として創設された[4]。何度かの名称変更を経て、1924年に「FCシャルケ04」と改称した。1933年から1942年にかけてドイツ・サッカー選手権優勝6回を数え、1936-37シーズンにはDFBポカールとの2冠を達成するなど黄金時代を迎えた。1957-58シーズンには7度目のサッカー選手権優勝を果たした[4]

1963年のブンデスリーガ発足とともに加入。1973年には、翌年のワールドカップのためにパルクシュタディオンが新設され本拠を移転した。1980年代に入ると成績が低迷し、1980-81シーズンで2部に降格。1981-82シーズンで1部に復帰するも、翌1982-83シーズンでプレーオフの末、再び降格した。1984-85シーズンから1部に復帰するも1987-88シーズンに三たび降格したが1991-92シーズンに1部復帰を果たした[4]。これ以降、2019年現在まで2部降格はしていない。

初のUEFAカップ制覇とDFBポカール連覇

1991-92シーズン以降はブンデスリーガ上位に顔を出すようになり、1996-97シーズン途中で監督に就任したフーブ・ステフェンスの下、初めてUEFAカップを制した。インテルナツィオナーレ・ミラノとの決勝戦ではPK戦に持ち込まれたがイェンス・レーマンの活躍もあり優勝した。

1998-99シーズンと1999-00シーズンは主力選手の怪我が相次ぎ下位に低迷した。このような理由からステフェンスは解任を免れた。

2000-01シーズンには、ライバルのドルトムントからアンドレアス・メラーが加入した。このシーズンはリーグで躍進し、Bミュンヘンとの直接対決を制して最終節まで優勝争いを演じ、DFBポカールでは優勝を果たした。特にメラーの加入は大きく、このシーズンに得点王になったエッベ・サンドエミール・ムペンザとのトライアングルは高い攻撃力を見せた。2001-02シーズンもこの強さは続き、DFBポカールで連覇も果たした。

フェルティンス・アレーナ完成以降

2001年に新たなスタジアム、フェルティンス・アレーナ(当時の名称はアレーナ・アウフシャルケ)が完成し、本拠を移転した。この建設などで多額の負債を負ったクラブは、新スタジアムの命名権も持つフェルティンスとの契約を2012年まで残しながら、2006年10月にロシアの企業・ガスプロムがメインスポンサーになった。これにより、5年半で1億2,500万ユーロの資金を獲得するとされている。

UEFAチャンピオンズリーグでは、新スタジアム完成後の2001-02シーズンに初出場した。2007-08シーズンのチャンピオンズリーグにおいて、グループリーグ最終節にてローゼンボリBKを破って逆転で勝ち抜き、決勝トーナメント1回戦でFCポルトを破りベスト8に進出した。しかし、2007-08シーズンのブンデスリーガ3位となり挑んだ2008-09シーズンのチャンピオンズリーグ予備3回戦、アトレティコ・マドリード戦では主力選手の故障も重なり、ドイツのクラブとしては2003-04シーズンにおけるドルトムント以来となる予備3回戦敗退となった。

2006-07シーズンは優勝争いを演じたが、2000-01シーズンと同様に優勝することはなかった。覇権奪回を目指すクラブは、2009年にVfLヴォルフスブルクを初のリーグ優勝に導いたフェリックス・マガトを監督に招聘した。

内田篤人 (2015年)

2010-11シーズンは開幕前に内田篤人が加入。チャンピオンズリーグ決勝トーナメントでベスト8進出し、DFBポカールでは決勝に勝ち進んだものの、ブンデスリーガでの成績は不振で、2011年3月17日、マガトが監督を解任され、後任としてラルフ・ラングニックが復帰することが発表された。2011-12シーズンはリーグ戦では14位と低迷したが、レアル・マドリードから移籍してきたラウル・ゴンサレスの活躍などで、クラブ初のチャンピオンズリーグでのベスト4に加えてドイツ・カップを獲得した。

2012-13シーズンはチャンピオンズリーグにおいてアーセナルを差し置いて首位でグループ通過したものの、ガラタサライに敗れベスト16に終わった。

2013-14シーズンはACミランからケヴィン=プリンス・ボアテングを獲得した。チャンピオンズリーグはグループ2位で通過したが、ベスト16でレアル・マドリードに敗れた。

2014-15シーズンは1.FSVマインツ05からチュポ・モティングを獲得し、冬の移籍市場ではマンチェスター・シティからマティヤ・ナスタシッチを獲得した。チャンピオンズリーグではベスト16で再びレアル・マドリードと対戦し、アウェーのセカンドレグは勝利したものの2戦合計4-5で敗れた。この頃からマックス・マイヤーレオン・ゴレツカレロイ・サネといった若手のドイツ人プレーヤーがチームを引っ張るようになった。

2015-16シーズンの夏の移籍市場では、ボアテングの契約を解除し、ユリアン・ドラクスラーVfLヴォルフスブルクに放出した一方、フランコ・ディ・サントヨハネス・ガイスピエール・エミール・ホイビュルクなどを獲得。冬の移籍市場ではユネス・ベルアンダを獲得した。ヨーロッパリーグではベスト32でFCシャフタール・ドネツクに2戦合計0-3で敗れた。

2016-17シーズンは監督にマルクス・ヴァインツィールが就任。夏の移籍市場で主力であったサネをマンチェスター・シティに放出したが、ブリール・エンボロ (バーゼル)、イェウヘン・コノプリャーンカコケ (セビージャ)、ナウド (ヴォルフスブルク)などを獲得。冬の移籍市場ではギド・ブルクシュタラー (ニュルンベルク)を獲得した。リーグ序盤で5連敗に始まり最下位に沈むなど最悪のスタートを記録した。3バック起用などで一時はV時回復を見せるも、ブンデスリーガは10位に終わり、ヨーロッパリーグを逃した。ヨーロッパリーグはベスト8でアヤックスに敗れて敗退した。

2017-18シーズン、32歳のドメニコ・テデスコを監督に就任させた。夏の新戦力として、フランクフルトからバスティアン・オツィプカを、FCナントからアミーヌ・アリを獲得した。また、テデスコはマックス・マイヤーを司令塔ポジションにコンバートさせ、見事成功させた。リーグ戦においてはシーズン通算18勝9分け7敗という結果を残し、中でも、11月に行われた第13節ドルトムント戦では、4点差のビハインドを跳ね返し、奇跡のドロー決着にさせた。これらの出来事により、クラブは、リーグ順位2位で4シーズンぶりのチャンピオンズリーグ出場権を手にした。

2019-20シーズンは監督にデイヴィッド・ワグナーが就任。2019年12月時点で3位に立ち、前半戦を8勝3敗6分けの5位で終えるなど、上々の滑り出しを見せていたが、多くの負傷者の存在や対戦相手からの分析が進んだ後半戦以降は、2020年1月17日のボルシアMGを2-0で下したのを最後に勝ち星から遠ざかり、6月7日の1.FCウニオン・ベルリン戦を1-1のドローで終え、1993-94シーズン以来となる27年ぶりのリーグ戦連続未勝利数がクラブ史上ワーストとなる12試合にまで伸び、未勝利記録を樹立した。その後も最終節のSCフライブルク戦も0-4と大敗し、順位こそ前半戦での大きな貯金もあり、前シーズンから2つ上がった12位で終えたが、後半戦だけの成績に限れば1勝10敗6分け(7得点37失点)の成績だった。同シーズン終盤の絶不調に加え、かねてより懸念されていたチームの財政事情が、2019新型コロナウイルスの影響により更に悪化。その為、クラブはシーズン終了後にノルトライン=ヴェストファーレン州から4000万ユーロ(約45億円)の借り入れを発表した[5][6][7]

2020-21シーズンは開幕節でFCバイエルン・ミュンヘン戦に0-8で敗れると、第2節のヴェルダー・ブレーメン戦も1-3で敗れ、同日ワグナー監督を解任。更に監督を目眩く交代させるなど、激動のシーズンに終始。2020年11月4日に行われたDFBポカール2020-2021 1回戦・1.FCシュヴァインフルト05戦で4-1と快勝し、同年2月5日に行われたDFBポカール2019-2020 3回戦・ヘルタ・ベルリン戦 (3-2)以来となる公式戦での勝利となった。しかし、リーグ戦初勝利は2021年1月に入ってからで、2勝目も4月に入ってからという、歴史的大低迷に喘いだ。同月21日のアルミニア・ビーレフェルト戦で0-1で敗北し、最下位決定での降格となった[8]

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズン ディビジョン DFBポカール
リーグ 順位
1963-64 ブンデスリーガ1部 30 12 5 13 51 53 29 8位 準々決勝敗退
1964-65 ブンデスリーガ1部 30 7 8 15 45 60 22 16位 準決勝敗退
1965-66 ブンデスリーガ1部 34 10 7 17 33 55 27 14位 2回戦敗退
1966-67 ブンデスリーガ1部 34 12 6 16 37 63 30 15位 準々決勝敗退
1967-68 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 42 48 30 15位 2回戦敗退
1968-69 ブンデスリーガ1部 34 14 7 13 45 40 35 7位 準優勝
1969-70 ブンデスリーガ1部 34 11 12 11 43 54 34 9位 2回戦敗退
1970-71 ブンデスリーガ1部 34 15 6 13 44 40 36 6位 準決勝敗退
1971-72 ブンデスリーガ1部 34 24 4 6 76 35 52 2位 優勝
1972-73 ブンデスリーガ1部 34 10 8 16 46 61 28 15位 2回戦敗退
1973-74 ブンデスリーガ1部 34 16 5 13 72 68 37 7位 1回戦敗退
1974-75 ブンデスリーガ1部 34 16 7 11 52 37 39 7位 3回戦敗退
1975-76 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 76 55 37 6位 3回戦敗退
1976-77 ブンデスリーガ1部 34 17 9 8 77 52 43 2位 4回戦敗退
1977-78 ブンデスリーガ1部 34 14 6 14 47 52 34 9位 準々決勝敗退
1978-79 ブンデスリーガ1部 34 9 10 15 55 61 28 15位 3回戦敗退
1979-80 ブンデスリーガ1部 34 12 9 13 40 51 33 8位 準決勝敗退
1980-81 ブンデスリーガ1部 34 8 7 19 43 88 23 17位 1回戦敗退
1981-82 ブンデスリーガ2部 38 19 13 6 70 35 51 1位 1回戦敗退
1982-83 ブンデスリーガ1部 34 8 6 20 48 68 22 16位 準々決勝敗退
1983-84 ブンデスリーガ2部 38 23 9 6 95 45 55 2位 準決勝敗退
1984-85 ブンデスリーガ1部 34 13 8 13 63 62 34 8位 3回戦敗退
1985-86 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 53 58 30 10位 準々決勝敗退
1986-87 ブンデスリーガ1部 34 12 8 14 50 58 32 13位 1回戦敗退
1987-88 ブンデスリーガ1部 34 8 7 19 48 84 23 18位 1回戦敗退
1988-89 ブンデスリーガ2部 38 13 10 15 58 51 36 12位 3回戦敗退
1989-90 ブンデスリーガ2部 38 16 11 11 69 51 43 5位 1回戦敗退
1990-91 ブンデスリーガ2部 38 23 11 4 64 29 57 1位 3回戦敗退
1991-92 ブンデスリーガ1部 38 11 12 15 45 45 34 11位 2回戦敗退
1992-93 ブンデスリーガ1部 34 11 12 11 42 43 34 10位 2回戦敗退
1993-94 ブンデスリーガ1部 34 10 9 15 38 50 29 14位 3回戦敗退
1994-95 ブンデスリーガ1部 34 10 11 13 48 54 31 11位 準々決勝敗退
1995-96 ブンデスリーガ1部 34 14 14 6 45 36 56 3位 3回戦敗退
1996-97 ブンデスリーガ1部 34 11 10 13 35 40 43 12位 2回戦敗退
1997-98 ブンデスリーガ1部 34 13 13 8 38 32 52 5位 2回戦敗退
1998-99 ブンデスリーガ1部 34 10 11 13 41 54 41 10位 2回戦敗退
1999-00 ブンデスリーガ1部 34 8 15 11 42 44 39 13位 3回戦敗退
2000-01 ブンデスリーガ1部 34 18 8 8 65 35 62 2位 優勝
2001-02 ブンデスリーガ1部 34 18 7 9 52 36 61 5位 優勝
2002-03 ブンデスリーガ1部 34 12 13 9 46 40 49 7位 3回戦敗退
2003-04 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 49 42 50 7位 2回戦敗退
2004-05 ブンデスリーガ1部 34 20 3 11 56 46 63 2位 準優勝
2005-06 ブンデスリーガ1部 34 16 13 5 47 31 61 4位 2回戦敗退
2006-07 ブンデスリーガ1部 34 21 5 8 53 32 68 2位 2回戦敗退
2007-08 ブンデスリーガ1部 34 18 10 6 55 32 64 3位 3回戦敗退
2008-09 ブンデスリーガ1部 34 14 8 12 47 35 50 8位 準々決勝敗退
2009-10 ブンデスリーガ1部 34 19 8 7 53 31 65 2位 準決勝敗退
2010-11 ブンデスリーガ1部 34 11 7 16 38 44 40 14位 優勝
2011-12 ブンデスリーガ1部 34 20 4 10 74 44 64 3位 3回戦敗退
2012-13 ブンデスリーガ1部 34 16 7 11 58 50 55 4位 3回戦敗退
2013-14 ブンデスリーガ1部 34 19 7 8 63 43 64 3位 3回戦敗退
2014-15 ブンデスリーガ1部 34 13 9 12 42 40 48 6位 1回戦敗退
2015-16 ブンデスリーガ1部 34 15 7 12 51 49 52 5位 2回戦敗退
2016-17 ブンデスリーガ1部 34 11 10 13 45 40 43 10位 準々決勝敗退
2017-18 ブンデスリーガ1部 34 18 9 7 53 37 63 2位 準決勝敗退
2018-19 ブンデスリーガ1部 34 8 9 17 37 55 33 14位 準々決勝敗退
2019-20 ブンデスリーガ1部 34 9 12 13 38 58 39 12位 準々決勝敗退
2020-21 ブンデスリーガ1部 34 3 7 24 25 86 16 18位 3回戦敗退
2021-22 ブンデスリーガ2部
出典[9][10]

記録

2019年3月13日現在

欧州での記録

大会 勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 77 31 18 28 109 117 −8 040.26
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ 100 51 26 23 170 95 +75 051.00
UEFAカップウィナーズカップ 14 9 2 3 21 14 +7 064.29
UEFAインタートトカップ 12 10 2 0 23 5 +18 083.33
総通算 203 101 48 54 323 231 +92 049.75

欧州の成績

1950-2000

シーズン 大会 ラウンド 対戦相手 ホーム アウェー 再試合 合計
1958-59 UEFAチャンピオンズカップ 1回戦 デンマークの旗 コペンハーゲン 5-2 0-3 3-1 5-5
2回戦 イングランドの旗 ウルブス 2-1 2-2 N/A 4-3
準々決勝 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 1-1 0-3 1-4
1969-70 UEFAカップウィナーズカップ 1回戦 アイルランドの旗 シャムロック・ローヴァーズ 3-0 1-2 4-2
2回戦 スウェーデンの旗 IFKノルシェーピン 1-0 0-0 1-0
準々決勝 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ディナモ・ザグレブ 1-0 3-1 4-1
準決勝 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 1-0 1-5 2-5
1972-73 UEFAカップウィナーズカップ 1回戦 ブルガリアの旗 スラヴィア・ソフィア 2-1 3-1 5-2
2回戦 アイルランドの旗 コーク・ハイバーニアン 3-0 0-0 3-0
準々決勝 チェコスロバキアの旗 スパルタ・プラハ 2-1 0-3 2-4
1976-77 UEFAカップ 1回戦 ポルトガルの旗 ポルト 3-2 2-2 5-4
2回戦 ルーマニアの旗 クレイジー・ギャング 4-0 1-0 5-0
3回戦 ベルギーの旗 RWDM 1-1 0-1 1-2
1977-78 UEFAカップ 1回戦 イタリアの旗 フィオレンティーナ 2-1 3-0 5-1
2回戦 東ドイツの旗 マクデブルク 1-3 2-4 3-7
1996-97 UEFAカップ 1回戦 オランダの旗 ローダJC 3-0 2-2 5-2
2回戦 トルコの旗 トラブゾンスポル 1-0 3-3 4-3
3回戦 ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ 2-0 1-2 3-2
準々決勝 スペインの旗 バレンシア 2-0 1-1 3-1
準決勝 スペインの旗 テネリフェ 2-0
(a.e.t.)
0-1 2-1
決勝 イタリアの旗 インテル 1-0 0-1 1-1
(4-1 p)
1997-98 UEFAカップ 1回戦 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト 2-0 3-2 5-2
2回戦 ベルギーの旗 アンデルレヒト 1-0 2-1 3-1
3回戦 ポルトガルの旗 ブラガ 2-0 0-0 2-0
準々決勝 イタリアの旗 インテル 1-1
(a.e.t.)
0-1 1-2
1998-99 UEFAカップ 1回戦 チェコの旗 スラヴィア・プラハ 1-0 0-1 1-1
(4-5 p)

2001-2010

シーズン 大会 ラウンド 対戦相手 ホーム アウェー 合計
2001-02 UEFAチャンピオンズリーグ グループC ギリシャの旗 パナシナイコス 0-2 0-2 4位
イングランドの旗 アーセナル 4-1 1-3
スペインの旗 マヨルカ 0-1 4-0
2002-03 UEFAカップ 1回戦 ベラルーシの旗 ホメリ 4-0 4-1 8-1
2回戦 ポーランドの旗 レギア・ワルシャワ 0-0 3-2 3-2
3回戦 ポーランドの旗 ヴィスワ・クラクフ 1-4 1-1 2-5
2003 UEFAインタートトカップ 3回戦 モルドバの旗 ダチア・キシナウ 2-1 1-0 3-1
準決勝 チェコの旗 スロヴァン・リベレツ 2-1 0-0 2-1
決勝 オーストリアの旗 パッシング 0-0 2-0 2-0
2003-04 UEFAカップ 1回戦 クロアチアの旗 カメン・イングラード 1-0 0-0 1-0
2回戦 デンマークの旗 ブレンビーIF 2-1 1-2 3-3
(1-3 p)
2004 UEFAインタートトカップ 3回戦 北マケドニア共和国の旗 バルダール 5-0 2-1 7-1
準決勝 デンマークの旗 EfB 3-0 3-1 6-1
決勝 チェコの旗 スロヴァン・リベレツ 2-1 1-0 3-1
2004-05 UEFAカップ 1回戦 ラトビアの旗 リエパーヤス・メタルルグス 5-1 4-0 9-1
グループA スイスの旗 バーゼル 1-1 N/A 2位
スコットランドの旗 ハート・オブ・ミドロシアン N/A 1-0
ハンガリーの旗 フェレンツヴァーロシュ 2-0 N/A
オランダの旗 フェイエノールト N/A 1-2
ラウンド32 ウクライナの旗 シャフタール・ドネツク 0-1 1-1 1-2
2005-06 UEFAチャンピオンズリーグ グループE オランダの旗 PSV 3-0 0-1 3位
イタリアの旗 ACミラン 2-2 2-3
トルコの旗 フェネルバフチェ 2-0 3-3
UEFAカップ ラウンド32 スペインの旗 エスパニョール 2-1 3-0 5-1
ラウンド16 イタリアの旗 パレルモ 3-0 0-1 3-1
準々決勝 ブルガリアの旗 レフスキ・ソフィア 1-1 3-1 4-2
準決勝 スペインの旗 セビージャ 0-0 0-1
(a.e.t.)
0-1
2006-07 UEFAカップ 1回戦 フランスの旗 ナンシー 1-0 1-3 2-3
2007-08 UEFAチャンピオンズリーグ グループB スペインの旗 バレンシア 0-1 0-0 2位
ノルウェーの旗 ローゼンボリBK 3-1 2-0
イングランドの旗 チェルシー 0-0 0-2
ラウンド16 ポルトガルの旗 ポルト 1-0 0-1 1-1
(4-1 p)
準々決勝 スペインの旗 バルセロナ 0-1 0-1 0-2
2008-09 UEFAチャンピオンズリーグ 予選3回戦 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 1-0 0-4 1-4
UEFAカップ 1回戦 キプロスの旗 APOEL 1-1 4-1 5-2
グループA フランスの旗 パリ・サンジェルマン 3-1 N/A 5位
スペインの旗 ラシン・サンタンデール N/A 1-1
イングランドの旗 マンチェスター・シティ 0-2 N/A
オランダの旗 トゥウェンテ N/A 1-2

2010-

シーズン 大会 ラウンド 対戦相手 ホーム アウェー 合計
2010-11 UEFAチャンピオンズリーグ グループB フランスの旗 オリンピック・リヨン 3–0 0–1 1位
ポルトガルの旗 ベンフィカ 2–0 2–1
イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブ 3–1 0–0
ラウンド16 スペインの旗 バレンシア 3–1 1–1 4–2
準々決勝 イタリアの旗 インテル 2–1 5–2 7–3
準決勝 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 0–2 1–4 1–6
2011-12 UEFAヨーロッパリーグ プレーオフ フィンランドの旗 HJK 6–1 0–2 6–3
グループJ キプロスの旗 ラルナカ 0–0 5–0 1位
イスラエルの旗 マッカビ・ハイファ 3–1 3–0
ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト 2–1 0–0
ラウンド32 チェコの旗 ヴィクトリア・プルゼニ 3–1
(a.e.t.)
1–1 4–2
ラウンド16 オランダの旗 トゥウェンテ 4–1 0–1 4–2
準々決勝 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ 2–4 2–2 4–6
2012-13 UEFAチャンピオンズリーグ グループB イングランドの旗 アーセナル 2–2 2–0 1位
フランスの旗 モンペリエ 2–2 1–1
ギリシャの旗 オリンピアコス 1–0 2–1
ラウンド16 トルコの旗 ガラタサライ 2–3 1–1 3–4
2013-14 UEFAチャンピオンズリーグ プレーオフ ギリシャの旗 PAOK 1–1 3–2 4–3
グループE イングランドの旗 チェルシー 0–3 0–3 2位
スイスの旗 バーゼル 2–0 1–0
ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト 3–0 0–0
ラウンド16 スペインの旗 レアル・マドリード 1–6 1–3 2–9
2014-15 UEFAチャンピオンズリーグ グループG イングランドの旗 チェルシー 0–5 1–1 2位
スロベニアの旗 マリボル 1–1 1–0
ポルトガルの旗 スポルティングCP 4–3 2–4
ラウンド16 スペインの旗 レアル・マドリード 0–2 4–3 4–5
2015-16 UEFAヨーロッパリーグ グループK キプロスの旗 APOEL 1–0 3–0 1位
ギリシャの旗 アステラス・トリポリス 4–0 4–0
チェコの旗 スパルタ・プラハ 2–2 1–1
ラウンド32 ウクライナの旗 シャフタール・ドネツク 0–3 0–0 0–3
2016-17 UEFAヨーロッパリーグ グループI フランスの旗 ニース 2–0 1–0 1位
オーストリアの旗 レッドブル・ザルツブルク 3–1 0–2
ロシアの旗 クラスノダール 2–0 1–0
ラウンド32 ギリシャの旗 PAOK 1–1 3–0 4–1
ラウンド16 ドイツの旗 ボルシアMG 1–1 2–2 3–3 (a)
準々決勝 オランダの旗 アヤックス 3–2
(a.e.t.)
0–2 3–4
2018-19 UEFAチャンピオンズリーグ グループD トルコの旗 ガラタサライ 2-0 0–0 2位
ロシアの旗 ロコモティフ・モスクワ 1-0 1-0
ポルトガルの旗 ポルト 1-1 1-3
ラウンド16 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 2–3 0–7 2–10

現所属メンバー

2019-20年 フォーメーション
2021年7月25日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ドイツ ラルフ・フェールマン
2 DF オランダ トーマス・ウーワイアン
4 MF アイスランド ヴィクトル・パルソン ()
5 DF セルビア マティヤ・ナスタシッチ
6 MF スペイン オマール・マスカレル
8 MF ドイツ ダニー・ラッツァ ()
9 FW ドイツ シモン・テロッデ
11 FW ドイツ マリウス・ビュルター
14 FW ウェールズ ラビ・マトンド () ()
15 DF ベルギー ドリース・ワウテルス
17 MF ドイツ フロリアン・フリック
19 DF トルコ オザン・カバク
21 FW ドイツ マーヴィン・ピアリンガー
24 MF ドイツ ドミニク・ドレクスラー
25 MF モロッコ アミーヌ・アリ ()
No. Pos. 選手名
26 DF セネガル サリフ・サネ ()
27 MF オーストリア ラインホルト・ランフトル
30 GK オーストリア マルティン・フライスル
31 DF ドイツ ティモ・ベッカー
33 DF ドイツ マリック・ティアウ
34 GK オーストリア ミヒャエル・ランガー
35 DF ポーランド マルチン・カミンスキ
36 MF コソボ ブレンディ・イドリツィ ()
37 MF ドイツ レヴェント・メルジャン ()
38 MF ドイツ メフメト=キャン・アイディン ()
39 MF ロシア ヤロスラフ・ミカイロフ
40 MF ドイツ キャン・ボズドガン ()
42 MF ドイツ ケリム・チャルハノール ()
43 FW アメリカ合衆国 マシュー・ホッペ
-- MF ウルグアイ ロドリゴ・サラサール ()

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF オランダ トーマス・ウーワイアン (AZアルクマール)
21 FW ドイツ マーヴィン・ピアリンガー (SCフライブルク)
No. Pos. 選手名
39 MF ロシア ヤロスラフ・ミカイロフ (FCゼニト・サンクトペテルブルク)
-- MF ウルグアイ ロドリゴ・サラサール (アイントラハト・フランクフルト)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF モロッコ ハムザ・メンディル (ガズィアンテプBB)
No. Pos. 選手名
-- MF モロッコ ナッシム・ブジェラブ (FCインゴルシュタット04)

歴代監督

歴代所属選手

脚注

  1. ^ a b Die Satzung des FC Schalke 04”. Schalke04. 2014年6月13日閲覧。
  2. ^ フースバルクルプ・ゲルゼンキルヒェン=シャルケ・ヌルフィア・エー・ファウ。
  3. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  4. ^ a b c history”. schalke04. 2014年8月4日閲覧。
  5. ^ 立て直し期すシャルケ、競技面でも財政面でも危機的状況”. キッカー日本語版 (2020年7月2日). 2020年8月2日閲覧。
  6. ^ 財政危機のシャルケが地元から保証、今季は16戦未勝利でシーズン終了”. 超ワールドサッカー (2020年7月26日). 2020年8月2日閲覧。
  7. ^ 財政難のシャルケ 主力3選手を売却候補に”. Shooty (2020年7月30日). 2020年8月2日閲覧。
  8. ^ シャルケ2部降格決定、残念な記録も同時更新”. キッカー日本語版 (2021年4月21日). 2021年4月21日閲覧。
  9. ^ archiv”. schalke04. 2014年8月4日閲覧。
  10. ^ Archive”. Deutscher Fußball-Bund e.V.. 2014年8月4日閲覧。

関連項目

外部リンク