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== 欧州の成績 ==
== 欧州の成績 ==
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2021年8月8日 (日) 10:02時点における版

ヘタフェCF
原語表記 Getafe Club de Fútbol S.A.D.
愛称 Azulones (アスロネス, 濃青),
El Geta (エル・ヘタ)
クラブカラー
創設年 1983年
所属リーグ ラ・リーガ
所属ディビジョン 1部(2021–22
ホームタウン マドリード州の旗 ヘタフェ
ホームスタジアム
コリセウム・アルフォンソ・ペレス
収容人数 17,393
代表者 スペインの旗 アンヘル・トーレス・サンチェス
監督 スペインの旗 ミチェル
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ヘタフェCFGetafe Club de Fútbol S.A.D.)は、スペインマドリード州ヘタフェに本拠地を置くサッカークラブ。プリメーラ・ディビシオンに所属している。

概要

1946年に設立され、1983年に再設立された。2004-05シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦した。2011年4月25日、クラブはドバイにあるロイヤル・エミレーツ・グループに7000万ユーロから9000万ユーロで買収された[1][2]ヘタフェにあるコリセウム・アルフォンソ・ペレスを本拠地として使用している。スタジアムは1998年1月1日に落成し、スペイン代表レアル・マドリードでプレーしたアルフォンソ・ペレス(ヘタフェ市出身)の名を冠している。しかし、ペレスはヘタフェCFに在籍したことがないどころか、ヘタフェCFと対戦したこともなく、コリセウムに入場したこともない[3]。コリセウムの完成以前は、ラス・マルガリータス・スポーツ公園(Sports City of Las Margaritas)にあるエスタディオ・デ・ラス・マルガリータスを本拠地として使用していた。

同じマドリード自治州の両名門クラブレアル・マドリードアトレティコ・マドリードとの関係は比較的良好。そのためレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードから若手選手をレンタルで獲得することも多い。またバレンシアCFとも密接な繋がりがあり、ヘタフェCFで実績を挙げたキケ・サンチェス・フローレス監督や2021年にはホセ・ボルダラスがバレンシアCFに引き抜かれたり、バレンシアCFの若手有望選手をレンタルで獲得したりと交流が深い。なお、アンヘル・トーレス会長は熱心なマドリディスタ(レアル・マドリードのファン)である。

歴史

クルブ・ヘタフェ・デポルティーボ

創設

1945年、ヘタフェ在住のエンリケ・コンデス・ガルシア、アウレリオ・ミランダ・オラバリア、アントニオ・コリドール・ロサーノ、マヌエル・セラーノ・ベルガラ、ミゲル・クベロ・フランセスの5人がラ・マルケシーナ(La Marquesina)というバルに集い、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルの設立を決めた。公式には1946年2月24日に設立され、クルブ・ヘタフェ・デポルティーボと名づけられた[4]。創設当初はゴールポストさえないカンポ・デル・レヒミエント・デ・アルティジェリアというグラウンドでプレーしていたが、すぐにサン・イシドロにある市営サン・イシドロ・スポーツセンターに移った。1956-57シーズン、CPビジャロベレードに勝利してテルセーラ・ディビシオン(当時3部)昇格を決めた。1957-58シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)昇格に近づいたが、CDアルメリアに敗れて昇格を逃した[5]。1969-70シーズンにはテルセーラ・ディビシオンへの昇格を決め、1970年9月2日に自前のスタジアムの落成試合を行った。フランシスコ・バラ会長が見守る中、ヘタフェは3-1でミチェリンに勝利した。1970-71シーズンはテルセーラ・ディビシオン残留を果たし、6年後にクラブ初のセグンダ・ディビシオン昇格を決めた[6]

セグンダ・ディビシオン昇格

クルブ・ヘタフェ・デポルティーボは6シーズンの間セグンダ・ディビシオンでプレーし、いくらかの成功を収めたが、6シーズンとも10位以下であった。1978年にはコパ・デル・レイのラウンド16でFCバルセロナと対戦し、ホームで行われたファーストレグではスター選手が揃うFCバルセロナ相手に3-3と引き分けたが、カンプ・ノウで行われたセカンドレグでは0-8と粉砕された。1981-82シーズン終盤には選手への給料が支払われず、自動降格処分が下され、クラブは破産に追い込まれた。この一方で、1976年9月1日にはナショナル・スポーツ・カウンシルに新クラブが設立され、カスティージャ地方連盟に所属した。このクラブはペーニャ・マドリディスタ・ヘタフェレアル・マドリードのサポーターによるヘタフェ)として4シーズン、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェとして2シーズンプレーした。1982年7月10日、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェはより古くから存在するクルブ・ヘタフェ・プロメサスと統合し、再びカスティージャ地方連盟に登録した[7]

ヘタフェ・クルブ・デ・フトボル

再設立

1982年に合併したクラブを基にし、1983年7月8日、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルが公式に設立された[7]。1983-84シーズンの地域リーグに登録してチームが始動し、4シーズン連続で昇格を決めて1987年にはセグンダ・ディビシオンB(3部)に到達した。1993-94シーズンにはセグンダ・ディビシオンで2位となってセグンダ・ディビシオンに昇格したが、2シーズンとも下位に低迷してセグンダ・ディビシオンBに舞い戻った[8]。1997年にはテルセーラ・ディビシオン降格の危機が訪れたが、昇降格プレーオフでSDウエスカに勝利して降格を免れた。1998年1月1日にはコリセウム・アルフォンソ・ペレスが落成した[3]。1990年代後半から2000年代前半にはセグンダ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンBを行き来するエレベータークラブであったが、2003-04シーズンはシーズンの大半を順位表の最上位で過ごした。CDテネリフェに勝利することでプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格が決まる最終節はセルヒオ・パチョンの5得点で5-3と勝利し、クラブ初のトップリーグ昇格を決めた[9]。レアル・マドリード、アトレティコ・マドリードラーヨ・バジェカーノに次いで、プリメーラ・ディビシオンに在籍するマドリード自治州内4番目のクラブとなり、マドリード市外のクラブとしては初のプリメーラ所属クラブとなった[10]

プリメーラ・ディビシオン昇格

トップリーグに挑戦するにあたってキケ・サンチェス・フローレス監督を招聘したが、2004-05シーズンは順位表の下位に沈む低調な出だしだった。ホームではRCDエスパニョールアスレティック・ビルバオバレンシアCFレアル・マドリードなどに勝利したが[11]、アウェーではアスレティック・ビルバオから挙げた1勝に終わった[12]。最終的には13位でシーズンを終え、昇格組3クラブの中で唯一残留を果たした。2005年夏にはキケ・フローレス監督をバレンシアCFに引き抜かれたため、レバンテUD監督を解任されたベルント・シュスター監督を起用した[13]。2005-06シーズンはシュスター監督の目指したダイナミックで縦に早いサッカーがはまり、一時的にリーグ首位に立った[14]。その後徐々に順位を落としたが、最終的には9位と健闘した[15]

国内や欧州カップ戦での躍進

2006 FIFAワールドカップスペイン代表メンバーにマリアーノ・ペルニアが選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった[16][17]。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった[18]。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGKロベルト・アボンダンシェリサモラ賞(最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前はコパ・デル・レイで準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝でFCバルセロナを破って決勝に進出した。カンプ・ノウで行われたファーストレグは2-5で敗れたが[19]コリセウム・アルフォンソ・ペレスでのセカンドレグに4-0で勝利し[20]、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた決勝ではセビージャFCに0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した[21]。セビージャFCはすでにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得していたため、ヘタフェCFがUEFAカップの出場権を獲得した。2007年夏にはベルント・シュスター監督がレアル・マドリードに去り[22]、後任にはミカエル・ラウドルップ監督が就任した[23]。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した[24]。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験があるバイエルン・ミュンヘンとの対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムにコスミン・コントラが同点弾を挙げて1-1で終えた[25]。ホームでのセカンドレグでは開始6分にルベン・デ・ラ・レーが退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分にフランク・リベリーが同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階にハビエル・カスケーロと途中出場のブラウリオ・ノブレガが得点して3-1とリードしたが、バイエルンはルカ・トーニの2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった[26]。同シーズンのコパ・デル・レイでは2シーズン連続で決勝に進出したが、エスタディオ・ビセンテ・カルデロンで行われたバレンシアCF戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった[27]

2008年夏には、MFルベン・デ・ラ・レーが抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMFオイゲン・ポランスキを加え、その他にもコパ・リベルタドーレス優勝に貢献したMFホフレ・ゲロンレアル・マドリードからFWロベルト・ソルダードなどを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のあるビクトル・ムニョス監督を選んだ。しかし、GKオスカル・ウスタリがシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GKロベルト・アボンダンシェリが冬の移籍期間にボカ・ジュニアーズに復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託されたミチェル監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、セグンダ・ディビシオン(2部)に降格したレアル・ベティスと同勝ち点の17位でプリメーラ・ディビシオン(1部)残留に成功した。

シーズン終了後にMFエステバン・グラネロやFWイケチュク・ウチェら攻撃の主力が抜けたものの、DFマネやMFペドロ・レオンなど即戦力の実力者を獲得した。関係が良好なレアル・マドリードからはGKジョルディ・コディーナ、DFミゲル・トーレス、MFダニエル・パレホの3選手をすべて完全移籍で獲得した。十分な準備期間を与えられたミチェル監督はプレシーズンの11試合を8勝3分(22得点8失点)の負けなしで終えた。2009-10シーズンはソルダードが16得点を記録するなど攻撃サッカーで旋風を巻き起こし、6位でUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2010年夏にはソルダードやペドロ・レオンなどの主力選手が抜け、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグ敗退に終わった。2010-11シーズンのリーグ戦では後半戦に調子を落とし、34節終了時には降格圏内の18位まで沈んだが、最終的には16位で辛うじて残留を決めた。2015-16シーズン、リーグを19位で終え、12年ぶりの二部降格となった。

1部復帰後

降格1年で1部に復帰となった2017-18シーズンは、昨年からの続投となるホセ・ボルダラス監督のもと、相手のミスに乗じて攻めるリアクションサッカーを展開した。その甲斐あって、昇格1年目にして5年ぶりの1部トップ10入りを実現させた。2018-19シーズンはリーグ開幕戦こそレアル・マドリードに0-2と敗れるも、その後は安定したパフォーマンスを見せた。DFではジェネ・ダコナムヴィトリーノ・アントゥネス、MFはネマニャ・マクシモヴィッチウルグアイ人のマウロ・アランバリ、そしてFW陣では共にリーグ14ゴールの37歳のホルヘ・モリーナと3月にスペイン代表デビューを果たしたハイメ・マタらの活躍によって、CL出場権を逃したもののリーグ5位でフィニッシュし、EL出場権を獲得し大成功と言える1年となった。

2019-20シーズン、このシーズンもハードワークを主体にしたプレーで序盤戦から勝ち点を積み上げ、コロナ中断前の3月にはリーグ戦で4位の位置に付けていた。しかし、中断明け以降から徐々に調子を崩し、最終的にはリーグ8位でフィニッシュした。最終節のレバンテUD戦では、勝てば2シーズン連続のEL出場権獲得だったが、0-1と敗戦し、EL出場権は獲得できなかった。しかし、このシーズンのELではベスト16に進出。コロナの影響で一発勝負となったインテル戦に0-2で敗戦するも[28]、ベスト32ではアヤックス・アムステルダムを下していた[29]

2021年5月27日、クラブを約4年間指揮したボルダラスが退任し、後任に2009年から2年間ヘタフェの監督を務めていたミチェルが再任した[30]

ユニフォーム

伝統的にホームでは青色のシャツを着用する。アウェーでは一般に赤色のシャツを着用するが、これは近年は変更されつつある。ユニフォームのサプライヤーはホマ(Joma)である。

期間 胸スポンサー
2004-2005 オプシオン(セントロ・デ・オシオ)
2005-2006 PSG
2006-2009 グルポ・ガルコ
2009- バーガーキング

タイトル

国内タイトル

優勝 (1): 1998-99

個人タイトル

成績

過去の成績

シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ 注釈
1983-84 地域リーグ 1位 - - - - - - 62 参加せず 昇格
1984-85 地域リーグ 1位 - - - - - - 59 参加せず 昇格
1985-86 地域リーグ 1位 - - - - - - 56 参加せず 昇格
1986-87 テルセーラ 6位 38 17 10 11 63 45 44 参加せず 昇格
1987-88 セグンダB 3位 38 18 11 9 71 41 47 4回戦敗退
1988-89 セグンダB 6位 38 16 11 11 52 36 43 1回戦敗退
1989-90 セグンダB 2位 38 18 15 5 54 30 51 参加せず
1990-91 セグンダB 4位 38 16 13 9 45 24 45 4回戦敗退 昇格プレーオフ敗退
1991-92 セグンダB 6位 38 17 11 10 56 35 45 5回戦敗退
1992-93 セグンダB 4位 38 15 17 6 42 28 47 3回戦敗退 昇格プレーオフ敗退
1993-94 セグンダB 2位 38 17 16 5 53 31 50 4回戦敗退 昇格
1994-95 セグンダ 18位 38 5 20 13 26 42 30 3回戦敗退 リーグ拡大により降格回避
1995-96 セグンダ 19位 38 7 11 20 30 52 32 2回戦敗退 降格
1996-97 セグンダB 16位 38 12 9 17 44 54 45 1回戦敗退 残留プレーオフ出場
1997-98 セグンダB 7位 38 17 6 15 45 40 57 参加せず
1998-99 セグンダB 1位 38 21 9 8 50 23 72 参加せず 昇格
1999-00 セグンダ 19位 42 13 9 20 39 51 48 2回戦敗退
2000-01 セグンダ 21位 42 8 11 23 42 65 35 1回戦敗退 降格
2001-02 セグンダB 5位 38 17 10 11 48 37 61 1回戦敗退 昇格プレーオフ出場
2002-03 セグンダ 11位 42 13 14 15 52 55 53 2回戦敗退
2003-04 セグンダ 2位 42 20 16 6 55 38 76 1回戦敗退 昇格
2004-05 プリメーラ 13位 38 12 11 15 38 46 47 ベスト16
2005-06 プリメーラ 9位 38 15 9 14 54 49 54 ベスト16
2006-07 プリメーラ 9位 38 14 10 14 39 33 52 準優勝 UEFAカップ出場権獲得
2007-08 プリメーラ 14位 38 12 11 15 44 48 47 準優勝 UEFAカップ ベスト8
2008-09 プリメーラ 17位 38 10 12 16 50 56 42 ベスト16
2009-10 プリメーラ 6位 38 17 7 14 58 48 58 準決勝敗退 UEFAヨーロッパリーグ出場権獲得
2010-11 プリメーラ 16位 38 12 8 18 49 60 44 ベスト16
2011-12 プリメーラ 13位 38 12 11 15 40 51 47 4回戦敗退
2012-13 プリメーラ 10位 38 13 8 17 43 57 47 ベスト16
2013-14 プリメーラ 13位 38 11 9 18 35 54 42 ベスト16
2014-15 プリメーラ 15位 38 10 7 21 33 64 37 準々決勝敗退
2015-16 プリメーラ 19位 38 9 9 20 37 67 36 ベスト32 降格
2016-17 セグンダ 3位 42 18 14 10 55 43 68 2回戦敗退 昇格
2017-18 プリメーラ 8位 38 15 10 13 42 33 55 ベスト32
2018-19 プリメーラ 5位 38 15 14 9 48 35 59 準々決勝敗退
2019-20 プリメーラ 8位 38 14 12 12 43 37 54 ベスト32
2020-21 プリメーラ 15位 38 9 11 18 28 43 38 2回戦敗退
2021-22 プリメーラ

欧州の成績

シーズン 大会 ラウンド 対戦相手 ホーム アウェー 合計
2007–08 UEFAカップ プレーオフ オランダの旗 トゥウェンテ 1–0 2–3
(a.e.t.)
3–3 (a)
グループG イングランドの旗 トッテナム N/A 2–1 1位
イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブ 1–2 N/A
デンマークの旗 AaB N/A 2–1
ベルギーの旗 アンデルレヒト 2–1 N/A
ラウンド16 ギリシャの旗 AEKアテネ 3–0 1–1 4–1
準々決勝 ポルトガルの旗 ベンフィカ 1–0 2–1 3–1
準決勝 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 3–3
(a.e.t.)
1–1 4–4 (a)
2010–11 UEFAヨーロッパリーグ プレーオフ キプロスの旗 APOEL 1–0 1–1
(a.e.t.)
2–1
グループH デンマークの旗 OB 2–1 1–1 3位
スイスの旗 ヤング・ボーイズ 1–0 0–2
ドイツの旗 シュトゥットガルト 0–3 0–1
2019-20 UEFAヨーロッパリーグ グループC スイスの旗 バーゼル 0-1 1-2 2位
ロシアの旗 クラスノダール 3-0 2-1
トルコの旗 トラブゾンスポル 1-0 1-0
ラウンド32 オランダの旗 アヤックス 2-0 1-2 3-2
ラウンド16 イタリアの旗 インテル 0-2

現所属メンバー

2021年8月2日現在[31]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK スペイン ルベン・ジャニェス
2 DF トーゴ ジェネ ()★
3 DF ウルグアイ エリック・カバコ ()
6 DF スペイン チェマ
7 FW スペイン ハイメ・マタ
10 FW トルコ エネス・ウナル
12 DF カメルーン アラン・ニョム ()
13 GK スペイン ダビド・ソリア
15 DF スペイン マルク・ククレジャ
17 DF ウルグアイ マティアス・オリベラ ()
18 MF ウルグアイ マウロ・アランバリ
20 MF セルビア ネマニャ・マクシモヴィッチ
22 DF ウルグアイ ダミアン・スアレス ()
No. Pos. 選手名
24 MF スペイン ダビド・ティモール
-- MF スペイン ビトーロ
-- DF スペイン イグナシ・ミケル
-- FW スペイン ダリオ・ポベダ
-- FW メキシコ ホセ・フアン・マシアス
-- DF セルビア ステファン・ミトロヴィッチ
-- MF スペイン カルレス・アレニャ
-- DF スペイン フアン・イグレシアス
-- FW スペイン ダリオ・ポベダ
-- FW スペイン ウーゴ・ドゥロ
-- FW スペイン サンドロ・ラミレス

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。

監督

リザーブチーム

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
28 DF スペイン ダビド・アルバ
32 FW 赤道ギニア ホセ・ミランダ
37 DF アイルランド ライアン・ノーラン
38 FW アイルランド ジョン・パトリック
No. Pos. 選手名
39 FW セネガル マモ・ニアン
40 DF ガーナ アワンクワー・アクルグ
41 DF スペイン チンチュ

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW スペイン サンドロ・ラミレス (SDウエスカ)
No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW スコットランド ジャック・ハーパー (ラシン・サンタンデール)
No. Pos. 選手名

歴代会長

歴代監督


歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

  1. ^ CARTA ROYAL EMIRATES GROUP ヘタフェCF公式サイト
  2. ^ Getafe sale to Dubai is confirmed The National
  3. ^ a b El estadio del Getafe CF ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  4. ^ En 1945 se comenzaba a crear un histórico ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  5. ^ Los primeros encuentros en el Campo del Regimiento de Artillería ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  6. ^ En Tercera en Las Margaritas ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  7. ^ a b El actual Getafe CF Getafe history (スペイン語)
  8. ^ Vuelve a resurgir a lo más alto ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  9. ^ 2003/04 Spanish Second Division match reports
  10. ^ Spain – Regional Analysis RSSSF
  11. ^ ESPNsoccernet Match Report
  12. ^ ESPNsoccernet Match Report
  13. ^ 2005/06 Spanish Primera Transfers
  14. ^ 2005/06 Spanish Primera Standings, Matchday 8 (スペイン語)
  15. ^ 2005/06 Spanish Primera Final Table
  16. ^ Spain send for Pernia Sky Sports、2006年5月30日
  17. ^ Pernia completes Atletico transfer CNN、2006年6月30日
  18. ^ 2006/07 Spanish Primera Final Table
  19. ^ ESPNsoccernet Match Report
  20. ^ ESPNsoccernet Match Report
  21. ^ ESPNsoccernet Match Report
  22. ^ Schuster confirmed as new Real coach The Guardian、2007年7月9日
  23. ^ Getafe appoint Laudrup as Schuster's replacement Reuters、2007年7月9日
  24. ^ UEFA Cup Group G UEFA.com
  25. ^ ESPNsoccernet Match Report
  26. ^ Heartbreak for Getafe as Bayern fight back FourFourTwo、2008年4月10日
  27. ^ Valencia win Copa del Rey FIFA.com、2008年4月16日
  28. ^ Goals from Romelu Lukaku and Christian Eriksen saw Inter Milan beat Getafe to reach the Europa League quarter-finals.”. BBCスポーツ. 2020年8月5日閲覧。
  29. ^ アヤックスがEL32強敗退…指揮官は相手のラフプレー乱発に不満「正常なプレーは難しい」”. Goal. 2020年2月28日閲覧。
  30. ^ El 'scouting' de Míchel a la plantilla del Getafe” (スペイン語). マルカ (2021年5月27日). 2021年5月27日閲覧。
  31. ^ Getafe CF - Temporada 2021/21”. 2021年7月15日閲覧。

外部リンク

公式サイト

サポータークラブ

公式ファンサイト