コンテンツにスキップ

「さいたまブロンコス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
90行目: 90行目:
=== 歴代ユニフォーム ===
=== 歴代ユニフォーム ===


{| class="wikitable collapsible collapsed" style="width:65%; border:double #BA2525; {{box-shadow|4px|4px|4px|Black}}"
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #BA2525; {{box-shadow|4px|4px|4px|Black}}"
!colspan=5|HOME
!colspan=5|HOME
|-
|-
121行目: 121行目:
|}
|}


{| class="wikitable collapsible collapsed" style="width:65%; border:double #BA2525; {{box-shadow|4px|4px|4px|Black}}"
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #BA2525; {{box-shadow|4px|4px|4px|Black}}"
!colspan=5|AWAY
!colspan=5|AWAY
|-
|-

2021年8月8日 (日) 10:29時点における版

さいたまブロンコス
The Saitama Broncos
呼称/略称 埼玉
愛称 ブロンコス
所属リーグ 日本の旗 B3.LEAGUE
創設年 1996年
チーム史 ME所沢ブロンコス
(1996年~98年)
所沢ブロンコス
(1998年~00年)
さいたまブロンコス
(2000年~05年)
埼玉ブロンコス
(2005年~20年)
さいたまブロンコス
(2020年~)
本拠地 埼玉県さいたま市[1][2]/所沢市[1][2]
アリーナ 浦和駒場体育館[1][2]
収容人数 観覧席 914席
ロールバックスタンド 460席
チームカラー   サベージレッド[1][2]
代表者 池田純[1]
福田剛紀[1]
ヘッドコーチ 泉秀岳
公式サイト https://broncos20.jp/
ホームのジャージ
チームカラー
ホーム
アウェイのジャージ
チームカラー
アウェイ
テンプレートを表示
株式会社ブロンコス20
Broncos20 Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
359-1144
埼玉県さいたま市中央区下落合六丁目12-20[1][2]
設立 2020年6月5日[1]
業種 サービス業
法人番号 3030001027862 ウィキデータを編集
事業内容 バスケットボールの興行[1]
代表者 池田純[1]
主要株主 株式会社GENKIDO[1]
日栄建設株式会社[1]
福田 剛紀[1]
株式会社文化放送[1]
外部リンク https://broncos20.jp/
テンプレートを表示

さいたまブロンコス(さいたまブロンコス、: The Saitama Broncos[1][2])は、埼玉県さいたま市[1][2]及び所沢市[1][2]をホームタウンとして、B3.LEAGUEに所属しているプロバスケットボールチームである。

概要

運営会社は株式会社ブロンコス20[1]。2005-06シーズンよりトップリーグに参戦している。旧名称は埼玉ブロンコス。チームロゴは、チーム名のブロンコス(暴れ馬)のシルエットを正円で囲んだデザイン。2020年7月1日にそれまでのデザインのものからリニューアルしたものであり、上部に赤いカラーのチーム名、下部に黒いカラーのホームタウン名を配置している[1]

チーム名の意味

  • 「ブロンコス」は「暴れ馬」と言う意味を持つ。前身にあたるマツダオート東京バスケットボール部創部2年目の1983年サンタクララ大学のコーチだったランダから同大学チームのニックネームを寄贈されたことによる。

チームカラー

  • チームカラーはサベージレッド[1]。2019-20シーズンまではグリーンだった。

ユニフォームスポンサー

  • サプライヤー:アップセット
  • ジャンジャンデルノザウルス(胸)
  • クライムホーム(パンツ前左)
  • 喜楽苑(パンツ後左)
  • 住宅比較株式会社(パンツ前右)
  • 株式会社アルテクス(パンツ後右)
  • 桧家ホールディングス(背中)

ユニフォームサプライヤーの遍歴

  • 2005年 - 07年:OZAKI
  • 2008年:ブル・ファイト
  • 2009年:A-LINE
  • 2010年 - 12年:GANBAX
  • 2012年 - 13年:MENFES
  • 2013年 - 現在:アップセット

歴代ユニフォーム

HOME
2017 - 18 のジャージ
チームカラー
2017 - 18
2018 - 19 のジャージ
チームカラー
2018 - 19
2019 - 20 のジャージ
チームカラー
2019 - 20
2020 - 21 のジャージ
チームカラー
2020 - 21
AWAY
2017 - 18 のジャージ
チームカラー
2017 - 18
2018 - 19 のジャージ
チームカラー
2018 - 19
2019 - 20 のジャージ
チームカラー
2019 - 20
2020 - 21 のジャージ
チームカラー
2020 - 21

ホームアリーナ

現在はさいたま市浦和区浦和駒場体育館であるが、クラブチームとして発足した当初からメインとなるホームアリーナは所沢市民体育館だった[1]。ホームゲームは所沢以外の埼玉県内各地でも数十試合行う[1]

地区 アリーナ 収容人数 年度
12-13 13-14 14-15 15-16 16-17 17-18 18-19 19-20 20-21
所沢市 所沢市民体育館 4,308人 14 12 14 14 14 18 8
さいたま市 サイデン化学アリーナ 2,954人 10 12 10 8 8 6 2
さいたまスーパーアリーナ
コミュニティアリーナ
3,300人 - - - - - 2 -
浦和駒場体育館 - - - - - - - -
行田市 行田グリーンアリーナ 2,886人 1 1 1 - - - -
春日部市 春日部市総合体育館 3,584人 1 1 1 4 8 2 6
北本市 北本市体育センター 1,997人 - - - - 2 - 2
入間市 入間市市民体育館 450人 - - - - 1 - 2
久喜市 毎日興業アリーナ久喜 1,024人 - - - - 1 - 2
本庄市 本庄総合公園体育館 1,192人 - - - - - 2 2
児玉総合公園体育館 - - - - - 1 -
羽生市 羽生市体育館 768人 - - - - - 1 -
志木市 志木市民体育館 600人 - - - - - 2 -
ふじみ野市 ふじみ野市立総合体育館 - - - - - 2 -
坂戸市 城西大学 - - - - - - 2
深谷市 深谷ビッグタートル 3,030人 - - - - - - 2
伊奈町 日本薬科大学さいたまキャンパス体育館
秩父市 秩父市文化体育センター 2,095人
レギュラーシーズン・ホーム試合数計 26 26 26 26 34 36 30

マスコット

No. 名前 P 生年 身長、体重 出身 前所属
00 日本の旗キズナ・ブロンコス G/F/C 1996 240cm、502kg 埼玉県

モチーフは馬。2011-12シーズンからキャラクターデザインが大幅に変更された。

チアダンスチーム

2005年のbjリーグ発足とともに結成されたPONYS GREENと2007年より活動を開始したブロンコスチアリーダーズにより応援パフォーマンスを行っている。ブロンコスチアリーダーズは当初「ZERO」として活動していた。

2007-08シーズンより設けられた初代ベストパフォーマンス賞に選出された。

MC

オフィシャルソング

オフィシャルソングとして杉山清貴の「THIS IS LIFE」、入場ソングにCLIFF EDGEの「Let's go BRONCOS」、「キズナ 〜Get a DREAM〜」が使用されている。

歴史

マツダオート東京 - アンフィニ東京

1982年に結成されたマツダオート東京(のちに1991年からアンフィニ東京に社名変更。現・関東マツダ)のバスケットボール部が前身。1983年の第38回国民体育大会に出場。翌1984年全日本実業団で決勝まで進み、当時愛知県リーグに降格していたトヨタ自動車に敗れたものの準優勝で旧・日本リーグ2部昇格を果たす。創部1年11ヶ月で日本リーグ2部昇格は日本協会における最速記録である[3]

1986年に2部昇格後2年9ヶ月という最速記録で1部昇格を決める[3]。初昇格の1987年から1部に定着した。1992年オールジャパンで準優勝したが、初出場決勝戦進出は49年ぶりであった。また、対野村證券戦のスコア(261-34)はギネスブックに記載されている[3]

不況の影響に加え2部降格決定も重なり1996年を最後に廃部した。

クラブ化後

廃止された実業団チーム「アンフィニ東京ブロンコス」が、市民の根強い応援により当時の広報で後のGMの成田俊彦の発案で市民資本のクラブチームとして再スタートを切る。アンフィニ時代に加盟していた東京実業団連盟は、チーム始動時には既に登録申請を締め切られていた。だが埼玉実業団連盟の登録期限前だったのと、所沢でホームゲームを開催した経験もあって所沢を本拠地と定め、チーム名を「ME所沢ブロンコス」とした。MEは「マツダアンフィニ東京・ポート小手指店」の略で、企業名を冠した名目上の実業団である。

大会の規定で日本リーグから降格して関東実業団リーグ戦からの出直しとなったが、全日本実業団2連覇を果たし、住友金属ジャパンエナジーの日本リーグからの撤退に伴い、1998-1999年度に日本リーグ2部に復帰。チーム名も「所沢ブロンコス」に改めた。その後リーグ戦の組織改正に伴って1999 - 2000年度から実質的な2部リーグとなる新・日本リーグに加盟することになった。その際、1999年限りで休部となった三井生命の森一誠、財前統誉士、稲野辺聡の選手3名を獲得したが、会社に籍を残したままだったため、当時の実業団連盟規定により出場選手登録を認められなかった。3選手とプロ契約を結べば認める旨を通達するも三井生命及び3選手は難色を示したため、このシーズンは3選手を欠いて臨まざるを得なかった。その後、連盟から実業団形態に戻すよう通達されるもブロンコスは引き下がらず、結果、日本リーグの選手登録規定も変更された。(もっとも、所沢ブロンコスの日本リーグ参入も特例で認められた節がある)

チームは2006年にさいたま市のさいたまスーパーアリーナなどで開催される予定の世界選手権大会の開催をきっかけに、2000年からこれまでの所沢市に加え、さいたま市もホームタウンに加えることになり、チーム名も「さいたまブロンコス」に変更された。新リーグになってからは前年度出場停止となった3選手の出場を認められたこともあって上位に参加するようになって、元熊谷組三木力雄がヘッドに就任してからは2002-2003年度、そして2003-2004年度のシーズンに2連覇を達成した。MVPはそれぞれチャールズ・ジョンソンアイザック・ソジャナー

2004年8月に新潟アルビレックス(元・大和証券バスケット部)とともにプロリーグ(後にリーグ名・bjリーグと決定)を結成する構想を明らかにした。これまでの企業重視の運営に疑問を感じたさいたまと新潟の2チームが中心となって、全国6都市を本拠とする地域密着型の新リーグを作ることを計画したものである。日本バスケットボール協会が日本リーグ機構からの脱退を認めていなかったが、2005年4月に脱退が認められた。(協会主導のプロリーグ計画は一歩後退したセミプロ形式の日本バスケットボールリーグとして2007年に発足された)

bjリーグ

クラブ発足から2021年までホームとしていた所沢市民体育館

2005-06シーズン

2005年度のbjリーグ発足時にチーム名を埼玉ブロンコスに変更した。これは従前の所沢、さいたま両市を含む埼玉県全域にホームタウンを広げ、県民チームとしての定義を目指す意図があった。

シーズン前半に、大黒柱のデービッド・ベンワーを怪我で失うアクシデントに見舞われ、19連敗を喫するなど、不振に陥った。この19連敗は2011年12月に高松ファイブアローズが20連敗を喫するまでbjリーグのワースト連敗記録だった。アシスタントコーチとして残留したベンワーと入れ替わる形で監督のチャールズ・ジョンソンが選手としても出場、またシーズン途中でアメリカのABAよりマーカス・トニーエルを、福岡レッドファルコンズから地元出身の庄司和広を獲得したものの低迷は終わらず、勝率2割に満たない7勝33敗でリーグ全6チーム中最下位としてシーズンを終えた。ブースター(ファン)は、リーグにより「ベストブースター賞」を贈られた。

2006-07シーズン

ヘッドコーチがジョンソンから山根謙二に交代。15勝25敗の成績でチームを前年度の最下位から脱出、シーズンを全8チーム中6位で終えた。山根は契約年数を1年残していたが、解任という形でチームを去った。

2007-08シーズン

エクスパンションにより所属10チームに拡大したbjリーグに東・西の2カンファレンス制が導入され、埼玉はイースタンカンファレンス所属となった。前年度限りで現役引退したベンワーがヘッドコーチに就任。前シーズンからチーム力は確実に上がってきており、このシーズンでbjリーグ3連覇を達成した大阪エヴェッサ戦で連勝するなど、21勝23敗と過去最高の成績を収めた。この成績はプレーオフに進出する西地区3位のライジング福岡の成績を上回っていたが、混戦となった東地区で5チーム中4位となり、悲願のプレーオフ進出を逃した。

2008-09シーズン

ヘッドコーチにはベンワーが残留。bjリーグ参入後のブロンコスにおいて、初めて2年連続で指揮を執るヘッドコーチとなる。ゴードン・ジェームス高松ファイブアローズに移籍したのを皮切りに外国人を総入れ替え、ジェームズが移籍した高松からレジー・ウォーレンスティーブ・ホーンを獲得、ドラフトではアーリーチャレンジ制度で前シーズン途中からプレイしていた北向由樹を指名し、新潟アルビレックスBBから寺下太基を獲得、育成指定選手2名と選手契約をするなど、新規選手の獲得に消極的だった例年とは違い積極的な補強を行った。

初のプレーオフ進出を目指すべく始動した2008-09シーズン、bjリーグ創設時のチームで唯一開幕戦未勝利だったブロンコスは富山グラウジーズに勝利すると、北向、庄司、清水ら日本人選手の活躍で破竹の勢いで開幕5連勝と波に乗り、プレーオフ進出の悲願が叶うかに見えた。しかし、新規参入の浜松・東三河フェニックスに連勝を止められると、そこからあっけなく5連敗、そして相性の悪い仙台89ERS東京アパッチ相手に歯が立たないどころか、開幕戦で連勝した富山グラウジーズにも連敗を喫するなど歯車がかみ合わず、結局新潟アルビレックスBBとのプレイオフ進出圏内の東地区4位争いに敗れて5位となり、創設から4年連続でプレーオフ進出を逃す結果となった。

2009-10シーズン

前シーズン終了後、ヘッドコーチのベンワーとアシスタントコーチの青野和人は契約満了に伴い退任した。後任は元富山グラウジーズの福島雅人が就任した。

選手の補強では、庄司和広安藤毅などが退団したが、宍戸治一波多野和也らが加入。外国人選手も前シーズンに続いて総入替をしてシーズン前にマリオ・ジョインターなど5名が入団。シーズン中にもカービー・レモンズを補強し、外国人選手は最終的に合計6名となる。

2009-10シーズンは開幕戦の仙台89ERS戦からいきなりの7連敗を喫するスタートとなったが、その直後に4連勝。2009年末までに8勝10敗まで盛り返してプレーオフ進出争いに加わる。しかし、2010年になってからは黒星が嵩み、2月13日の大阪エヴェッサ戦から6連敗。3月6日、怪我人が出て選手層の薄さに苦しむ高松ファイブアローズには連勝して連敗を止めたが、続く3月13日の大分ヒートデビルズ戦からは再び10連敗を喫し、プレーオフ進出が遠ざかる。終盤は、首位の浜松・東三河フェニックスにシーズン初勝利するなど幾分持ち直したが、結局シーズン中に6名もの外国人ロスターが在籍していたにも関わらず、東地区最下位の富山グラウジーズと同勝率、得失点差で上回っただけの5位でシーズンを終え、またもプレーオフ進出を逃す結果となった。

2010-11シーズン

福島雅人ヘッドコーチは1シーズンで退団し、新ヘッドコーチには前ハワイ大ヘッドコーチのボブ・ナッシュが就任。

米本聡が引退、チームのbjリーグ参入時より在籍していた清水太志郎もFA権を行使して宮崎シャイニングサンズに移籍。 bjリーグ開幕時の6チームで、開幕当初から在籍している選手が一人もいなくなったのは埼玉ブロンコスが初めてである(大阪エヴェッサも開幕当初から在籍している日本人選手は一人もいない)。外国人選手も再び総入替を敢行し、元NBA選手のケニー・サターフィールドやナッシュHCの子息のボビー・ナッシュらを獲得。開幕後に元高松琉球ジョージ・リーチも補強。

開幕戦はホーム所沢で、現役日本代表石崎巧が加入し注目を集める島根スサノオマジックと対戦し、勝利を収める。しかし、その後はなかなか連勝ができず、5連敗を2度、4連敗を1度喫するなど負けが込み、東地区最下位に沈んでいたが、12月19日の大分戦で勝利すると次節の東京戦でシーズン初の連勝。以降も勢いは衰えず、年を跨いでbjリーグ参入後チーム新記録となる7連勝を達成し、東地区5位まで浮上して前半戦を終えた。

後半戦に入り、チームは新潟とプレーオフ進出圏内の4位を争った。しかし、直接対決で連敗してプレーオフ進出が遠のく。

3月11日、東日本大震災が発生。この震災の影響でチームは活動を休止し、シーズンを終えた[4]。終了時点の順位は東地区7チーム中5位だった。チームが活動を休止した後、急遽設けられたリーグの選手救済制度により、寺下、北向、椎名、クライバー、リーチ、サターフィールドは活動を継続するチームにレンタル移籍している。波多野は退団。

2011-12シーズン

ダラス・マーベリックスGMのドン・ネルソンの推薦によりディーン・マーレイが新ヘッドコーチに就任。元東京アパッチの得点王ジョン・ハンフリーらを補強した。開幕直前にフォワードのジェイミー・ミラーが故障したため、彼を欠いた状態でシーズン開幕を迎えた。

11月20日、マーレイHCに契約違反があったとして出場停止処分を下し、その日の富山グラウジーズ戦はナタリー・ナカセアシスタントコーチがHC代行として指揮を執り、勝利を飾った。ディーン・マーレイHCは復帰することなく24日に契約解除となり、新たにナタリー・ナカセACが昇格して、bjリーグ初の女性ヘッドコーチに就任した[5]

12月に入ると、センターのゲイブリエル・ヒューズが病気のため戦線離脱。フォワードのジョン・フラワーズも3日の滋賀レイクスターズ戦で負傷したため、この試合の途中から11日の信州ブレイブウォリアーズ戦までの4試合は身長2m以上の選手が一人も居ない状態での試合を余儀なくされた。10日の信州戦ではハンフリーがbjリーグ歴代2位タイの52得点(フリースローはリーグ新記録の24本成功)をマークする活躍を見せた。17日の新潟アルビレックスBB戦からはミラーが、翌日にはフラワーズが復帰したが、ヒューズは健康面を考慮して現役を引退。代わってナシード・ビアード(前JBL2豊田通商)が加入したが、彼は約1ヶ月在籍しただけで契約満了となり、新たにジェームス・ポーターが加入。 女性ヘッドコーチの就任を含め、このシーズンはさいたまスーパーアリーナでオールスター開催など話題こそ集めたものの、レギュラーシーズンでは勝ちきれない試合が多く、高松戦以外で同一カード連勝はなく、東地区10チーム中で最下位という結果に終わった。

2012-13シーズン

ナカセHCの契約満了に伴う退団で、トレイシー・ウィリアムズが新HCに就任。外国人選手は開幕直前にマイケル・ジョイナーが退団したため、ジョン・ハンフリーアントワン・スコットランディ・オアーの3名で開幕を迎え、急遽獲得したデミオン・ベーカーは5戦目から合流。日本人では前富山グラウジーズ山城拓馬や前秋田ノーザンハピネッツ信平優希らが新加入。

開幕から黒星が先行した上に6戦目終了後にハンフリーがヘルニアで一時離脱、他の外国人も故障がちという苦しい台所事情の中、11月17日の富山戦はスターター5人にすべて日本人を起用して勝利した。11月末にスコットとオアーとの契約を解除してニカ・ウィリアムズと、12月20日にはウェイン・オリバーと契約。

主力の故障と外国人の入替をしている間に12連敗を喫し、さらに1勝を挟んで7連敗を喫して下位に低迷。2月中旬頃よりチーム状態が上向きになり、4連勝と3連勝を一度ずつ記録するなど勝ち星が増えたが前半戦の低迷が響き、プレイオフ争いをするまでには至らず東地区11チーム中10位でシーズンを終えた。得点王を獲得したハンフリーやMIPに選出された北向、リバウンド9位に入ったウィリアムズを中心にチーム得点数はリーグ1位で、2月以降だけで100得点以上を7試合で記録した。その反面失点数もリーグワースト1位で、シーズン全試合中100失点以上した試合は18試合におよんだ。チームの1試合最多得点記録および最多失点記録の両方がこのシーズンに更新された。

2013-14シーズン

ウィリアムズHCが退任し、石橋貴俊が新HCに就任。マイケル・ジョイナー、アンワー・ファーガソン、セオ・リトル、板倉令奈桝本純也三澤貴弘小野寺恵介、山崎稜を補強。11月にリトルとの契約を解除してマーク・ドーソンと入れ替えをした。

開幕2試合目のアウェイ群馬クレインサンダーズ戦でシーズン初勝利[注 1]。さいたま市記念総合体育館で行われた5戦目の横浜ビー・コルセアーズ戦でホーム初白星、シーズン2勝目を上げたが、翌10月20日の横浜戦から2014年1月3日の琉球ゴールデンキングス戦までチームタイ記録の19連敗を喫して最下位に低迷。1月11日にホーム所沢で群馬に93-61で勝利して連敗を止めたものの、連勝が1度もないまま4月7日の信州ブレイブウォリアーズ戦の敗戦をもって6試合残しての東地区11チーム中最下位が確定した。勝率.096は西地区最下位の島根を下回りリーグ全体の最下位で、2007-08シーズンの富山(.159(44試合))を下回るイースタンカンファレンス最低記録で、全体でも­2011-12シーズンの高松(.038)に次いで2番目に低い数字である。

ハンフリー個人は2シーズン連続で得点王を獲得したが、チームとしての得点力は前シーズンと打って変わって大幅に落ち込み、ディフェンスも前シーズンから改善されず失点数はリーグワーストクラスだった。

2014-15シーズン

石橋HCが退任し、前富山HCの下地一明が就任。

前シーズン所属選手で継続契約した選手は佐々木(旧姓:信平)と桝本のみ。選手を大量に入れ替えて、大塚俊、八幡幸助伊戸重樹原毅人永田晃司杉山直也が新加入した。外国人はブライアン・オーモン、マルコ・チューキッチュと2名の大学卒新人ゲイリー・ジョンソンとジョン・イーケイ。

10月4日にシーズンが開幕したが、未勝利のまま黒星が続き、4試合終了後に帰国して引退してしたイーケイに代わってエリ・スチュワートが加わった。11月第1週の試合(10試合目)終了後にはチューキッチュとの契約を解除。12月第2週の試合より、2シーズン前に在籍していたニカ・ウィリアムズが新たに合流したが、この週より下地HCが病気療養のためチームを離脱したため、山口尊久コンディショニングコーチがHC代行を務めることとなった。その後も開幕からの連敗は続き、年を跨いで1月3日までチーム記録を更新する23連敗を喫したが、1月4日の大分戦を101-87でシーズン初勝利して、連敗を脱出した。1月中旬より下地HCが復帰。1月25日の富山戦とオールスター後初戦の横浜戦でシーズン初の連勝を記録。その直後にオーモンとスチュワートが退団し、残るシーズンは外国人2名のみとなったが、4月18日の横浜戦までに6勝目を挙げ東京サンレーヴスを抜いて東地区12チーム中11位でシーズン終了。2年連続のリーグ全体最下位および勝率1割以下を逃れた。

2015-16シーズン

下地HCが退任し、OBで前バンビシャス奈良HCの小野寺龍太郎が新HCに就任。前シーズンまでテクニカルアドバイザーだった元HCの三木力雄がアソシエイトコーチに就任した。選手陣容では前シーズンまでと同様に佐々木を除いて主力選手が多数退団し、亀崎光博栗原祐太庄司優也問雅臣、エヴァン・ハリスらが新加入。開幕後も外国人選手の入れ替えを何度も行い、途中加入したセス・ターバーがポイントリーダーとなっている。シーズン後半にエドワード・モリスや新人賞を受賞した上田雅也が加わった。

シーズンは開幕戦から7連敗した後、8戦目(10月25日)の東京戦で大勝してシーズン初勝利。12月、新規参入チーム・広島ライトニング相手にシーズン初の連勝を記録。プレイオフ争いに絡むことはできず、最下位の東京と並ぶシーズン5勝だったが得失点差で東京を上回ったため最下位は免れ、イースタン12チーム中11位でシーズンを終えた。

B.LEAGUE

2016-17シーズン(B3リーグ)

bjリーグとNBLが統合して発足する「ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)」において、初年度はB3(3部)に所属する。コリアー・セントクレアが新ヘッドコーチに就任。総合勝点で9チーム中6位だった。

2017-18シーズン(B3リーグ)

セントクレアHCの2期目。9チーム中4位。

2018-19シーズン(B3リーグ)

セントクレアHCの3期目。レギュラーシーズン最終節をもってセントクレアとの契約を解除。ファイナルステージより、元東京サンレーヴス・鹿児島レブナイズ、岐阜スゥープスHCの楠本和生がHCに就任。総合勝点で全10チーム中4位だった。

2019年4月9日、公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグの理事会において、2019-20シーズンにおけるB2クラブライセンスが交付された[6]

2019-20シーズン(B3リーグ)

楠本HCと継続して契約したが、7月24日に楠本側の事情により契約解除。後任にトーマス・ロイヤカスが就任したが8月21日にロイヤカス側の都合により退任。8月22日にリー・タオ・デイナのHC就任が発表された。しかし、第2節まで指揮をとるものの第3節移動直前の10月3日に本人と連絡が取れなくなる事態となり、10月20日にジョン・サンテイトンのHC就任が発表された。シーズンは新型コロナウイルス感染症の流行により途中打ち切りとなった。最終成績は19勝20敗で全12チーム中7位。

2020-21シーズン(B3リーグ)

2020年3月、池田純がチームのオーナーに就任[7]。2020年7月1日、チーム名を『埼玉ブロンコス』から15年ぶりに『さいたまブロンコス』へ変更。ホームタウンはさいたま市と所沢市のダブルホームタウン、チームカラーはグリーンからサベージレッドに変更となり、ロゴも刷新した[8]

2021年2月16日には、東京に本社を構えるラジオ専業局の「文化放送」と資本業務提携が決定した。これは代表取締役の池田が過去に文化放送の番組でレギュラーやパーソナリティを務めたからである[9]

シーズン成績は5勝35敗で11チーム中最下位。

2021-22シーズン(B3リーグ)

成績

B.LEAGUE

さいたまブロンコス シーズン成績
レギュラーシーズン プレーオフ 天皇杯
# シーズン リーグ 地区 順位 勝率 ゲーム差 ホーム アウェイ 自地区 他地区 得点 失点 点差 総合 結果 備考 HC ref. 結果

1 2016-17 B3 7 12 20 (.375) 17.0 8-12(.400) 4-8(.333) 12-20(.375) 0-0(–) 2333 2463 -130 7 7位 コリアー・セントクレア [10]
2 2017-18 B3 4 20 12 (.625) 6.0 11-9(.550) 9-3(.750) 20-12(.625) 0-0(–) 2599 2459 140 4 4位 コリアー・セントクレア
3 2018-19 B3 6 14 22 (.389) 18.0 8-10(.444) 6-12(.333) 14-22(.389) 0-0(–) 3022 3130 -108 6 4位 コリアー・セントクレア→楠本和生 [11]
4 2019-20 B3 - 19 20 (.487) 10.5 10-9(.526) 9-11(.450) 19-20(.487) 0-0(–) 3019 3041 -22 7 [12]

ゲーム差:1位との差(PO圏との差)  地区1   # :ワイルドカード  QF :準々決勝  3決 :3位決定戦  SF :準決勝   FINAL :決勝 B1:9~14位はPOなし   チャンピオン   B2優勝   昇格   降格   残留  
2021年08月8日更新


過去のリーグ戦

日本リーグ

年度 リーグ ディビジョン レギュラーシーズン セミファイナル ファイナル 最終結果
順位
1996 関東実業団 1部
1997 日本リーグ 2部 31 6位
1998 32 3位
1999 33 3位
2000 34 3位
2001 日本リーグ 35 3位
2002 36 優勝
2003 37 優勝
2004 38 準優勝

bjリーグ

年度 レギュラーシーズン 最終結果 HC 備考
勝率 ゲーム差 得点 失点 得失点差 順位
2005-06 7 33 .175 24.0(11.0) 71.5 81.0 -9.5 6位 6位 チャールズ・ジョンソン bjリーグ初年度
2006-07 15 25 .375 14.0(7.0) 81.4 82.9 -1.5 6位 6位 山根謙二
2007-08 21 23 .477 8.0(5.0) 78.9 76.4 +2.5 東4位 7位 デービッド・ベンワー
2008-09 19 33 .365 17.0(5.0) 76.9 79.6 -2.7 東5位 9位
2009-10 17 35 .327 24.0(5.0) 75.5 81.6 -6.1 東5位 11位 福島雅人
2010-11 14 24 .368 - 79.3 82.7 -3.4 - --- ボブ・ナッシュ 活動休止前時点を最終成績としている
2011-12 16 36 .308 21.0(9.0) 79.1 85.3 -6.2 東10位 18位 ディーン・マーレイ
ナタリー・ナカセ
2012-13 15 37 .288 21.0(11.0) 85.7 94.4 -8.7 東10位 19位 トレイシー・ウィリアムズ
2013-14 5 47 .096 37.0(22.0) 73.3 85.0 -11.7 東11位 21位 石橋貴俊
2014-15 6 46 .115 35.0(13.0) 74.1 91.4 -17.3 東11位 21位 下地一明
2015-16 5 47 .096 34.0(18.0) 69.3 85.3 -16.0 東11位 22位 小野寺龍太郎
140 386 .266

ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ圏との差をそれぞれ表している。

獲得タイトル

個人別タイトル

MVP

新人賞

コーチ・オブ・ザ・イヤー

ベスト5

得点

  • 日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
  • 日本リーグ2003-04 カービー・レモンズ
  • 日本リーグ2004-05 カービー・レモンズ
  • bjリーグ2012-13 ジョン・ハンフリー
  • bjリーグ2013-14 ジョン・ハンフリー

アシスト

リバウンド

ブロックショット

  • 日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
  • 日本リーグ2003-04 アイザック・ソジャナー

スティール

  • 日本リーグ2001-02 チャールズ・ジョンソン
  • 日本リーグ2002-03 チャールズ・ジョンソン
  • 日本リーグ2004-05 カービー・レモンズ
  • bjリーグ2013-14 ジョン・ハンフリー

フィールドゴール成功率

  • 日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス

スリーポイント成功率

フリースロー成功率

ダンクシュート

  • 日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス

その他受賞

  • bjリーグ2005-06 ベストブースター賞
  • bjリーグ2007-08 ベストパフォーマー賞

リーグ戦の主な記録

個人記録

1試合最多得点 ジョン・ハンフリー 52得点(2011年12月10日、信州戦)

1試合最多リバウンド デービッド・ベンワー 25本(2005年11月27日、仙台戦)

1試合最多アシスト ケニー・サターフィールド 13本(2010年11月6日、東京戦)

チーム記録

得点失点関連記録

最多得点・最多失点

  • 1試合最多得点 122得点(2013年4月14日、東京戦)
  • 1試合最多失点 124失点(2013年4月27日、横浜戦)
連勝記録

最多連勝 7連勝(2010年12月19日大分戦から2011年1月16日大阪戦まで)

最多連敗 23連敗(2014年10月4日東京戦から2015年1月3日大分戦まで)

観客動員記録

年度 試合数 合計 平均 最大 最小 試合会場 備考
日本リーグ 2000-01 --- ---人 ---人 ---人 ---人 --- ---
2001-02 --- ---人 ---人 ---人 ---人 --- ---
2002-03 --- ---人 ---人 ---人 ---人 --- ---
2003-04 --- ---人 ---人 ---人 ---人 --- ---
2004-05 --- ---人 ---人 ---人 ---人 --- 日本リーグ脱退
bjリーグ 2005-06 20 27,620人 1,381人 2,027人 640人 --- bjリーグ開幕
2006-07 20 41,681人 2,013人 3,683人 1,022人 --- ---
2007-08 20 ---人 ---人 ---人 ---人 --- ---

会場別観客動員記録

年度 自治体 アリーナ 座席数 ホームゲーム観客数
試合数 合計 平均 最大 最小
2005-06 所沢市 市民体育館 約4300席 11 1563人 2627人 1003人
春日部市 ウイングハット 3584席 4 882人 1528人 640人
さいたま市 市総合体育館 2954席 4 1290人 2038人 704人
秩父市 市文化体育C  席 1 1751人
ホーム計 20 27620人 1381人 2027人 640人
2006-07 所沢市 市民体育館 約4300席 14 29839人 2131人 3683人 1318人
春日部市 ウイングハット 3584席 2 4418人 2209人 2316人 2102人
さいたま市 市総合体育館 2954席 2 5188人 2594人 2831人 2357人
秩父市 市文化体育C 2 2236人 1118人 1214人 1022人
ホーム計 20 41681人 2013人 3683人 1022人
2007-08 所沢市 市民体育館 約4300席 15 ----人 ----人 ----人 ----人
春日部市 ウイングハット 3584席 1 ----人 ----人 ----人 ----人
さいたま市 市総合体育館 2954席 4 ----人 ----人 ----人 ----人
秩父市 市文化体育C 1 ----人 ----人 ----人 ----人
行田市 グリーンアリーナ 1 ----人 ----人 ----人 ----人
ホーム計 22 ----人 ----人 ----人 ----人

選手とスタッフ

現行ロースター

さいたまブロンコス (B3 2023-24)ロースター
選 手 スタッフ
Pos # 名前 年齢 身長  体重 出身
PG 00 山崎玲緒 24 (1999/11/4) 1.79 m (5 ft 10 in) 80 kg (176 lb) 日本の旗 新潟経営大学 
F/C 2 ウィル・クリークモア (Will Creekmore) (帰)  35 (1989/4/9) 2.05 m (6 ft 9 in) 109 kg (240 lb) 日本の旗 ミズーリ州立大学 
C 6 ライアン・ワトキンス 32 (1991/10/3) 2.06 m (6 ft 9 in) 104 kg (229 lb) アメリカ合衆国の旗 ボイシ州立大学 
PF 8 五十嵐貴志 34 (1990/2/10) 1.96 m (6 ft 5 in) 95 kg (209 lb) 日本の旗 神奈川大学 
PG 11 秋山熙 28 (1995/8/31) 1.74 m (5 ft 9 in) 77 kg (170 lb) 日本の旗 専修大学 
G 14 佐藤文哉 キャプテン 34 (1990/7/4) 1.70 m (5 ft 7 in) 80 kg (176 lb) 日本の旗 仙台大学 
PG 15 濱田貴流馬 27 (1997/7/1) 1.78 m (5 ft 10 in) 76 kg (168 lb) 日本の旗 近畿大学 
PG 17 髙橋祐二 33 (1991/5/6) 1.83 m (6 ft 0 in) 78 kg (172 lb) 日本の旗 国士舘大学 
PF 18 マキシー・エショー 33 (1991/2/28) 2.03 m (6 ft 8 in) 103 kg (227 lb) アメリカ合衆国の旗 マサチューセッツ大学アマースト校 
SF 28 川邉亮平 29 (1995/3/12) 1.88 m (6 ft 2 in) 90 kg (198 lb) 日本の旗 白鷗大学 
SG/SF 32 野口龍太郎 26 (1997/12/16) 1.91 m (6 ft 3 in) 97 kg (214 lb) 日本の旗 明治大学 
PF 35 ミサカボ・パカ・ ベニ 24 (2000/4/28) 1.90 m (6 ft 3 in) 94 kg (207 lb) 日本の旗 白鷗大学 
PF 40 ジョーダン・ファイゾン (Jordan Faison) 29 (1994/10/17) 2.01 m (6 ft 7 in) 107 kg (236 lb) アメリカ合衆国の旗 カリフォルニア州立工科大学ポモナ校 
ヘッドコーチ
泉秀岳
アシスタントコーチ兼通訳
廣瀬慶介

記号説明
キャプテン チームキャプテン (C) オフコートキャプテン
故障者   (+) シーズン途中契約
(S) 出場停止   (帰) 帰化選手
(ア) アジア特別枠選手   (申) 帰化申請中選手(B3
(特) 特別指定選手   (留) 留学実績選手(B3) 
(育) ユース育成特別枠選手
公式サイト

更新日:2021年08月8日

下部組織

2021年4月にU15ユースチームを設立する予定[13]

2003年から2007年まで「ブロンコスクラブ」が二軍チームと活動していた。2007年、東京クラブ連盟に移り、チーム名も「RBC東京」に改められた。トライアウトなども開催し、東京No.1 そして日本でも有数のクラブチームを目指している。三木力雄が監督を務め、かつては元ブロンコスの江黒大樹、安藤毅青野和人もアシスタントコーチ時代に選手登録されていた。

メディア

テレビ

脚注

注釈

  1. ^ 同時にシーズン唯一のアウェイ戦勝利ともなった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v COMPANY, 公式サイト, https://broncos20.jp/company/ 2021年2月28日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h さいたまブロンコス, B3.LEAGUE公式サイト, https://www.b3league.jp/club/saitama 2021年2月28日閲覧。 
  3. ^ a b c さいたまブロンコス-チームデータ”. 2012年8月2日閲覧。
  4. ^ 2010-2011シーズン全試合日程活動休止のお知らせ - 公式ブログ、2011.3.17
  5. ^ "bjリーグ初女性ヘッドコーチ誕生" 新ヘッドコーチ契約締結のお知らせ
  6. ^ "2019-20シーズン B.LEAGUEクラブライセンス 第2回判定結果について" (Press release). B.LEAGUE公式サイト. 2019-4-9. 2019-4-21閲覧 {{cite press release2}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  7. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年5月27日). “B3埼玉、DeNA前球団社長・池田純氏のオーナー就任を発表”. サンスポ. 2021年5月27日閲覧。
  8. ^ "チーム名、およびチームロゴ変更のお知らせ 「さいたまブロンコス」として新スタート、さいたま市と所沢市のダブルホームタウン" (Press release). 公式サイト. 2020-7-1. 2020-7-12閲覧 {{cite press release2}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  9. ^ "東京のラジオ局 文化放送と資本業務提携が決定" (Press release). 公式サイト. 16 February 2021. 2021年2月28日閲覧
  10. ^ STANDING” (201). 2017年4月4日閲覧。
  11. ^ STANDING” (2019年3月17日). 2019年3月22日閲覧。
  12. ^ STANDING”. 2021年4月30日閲覧。
  13. ^ U15ユースチーム設立に向けた説明会の開催について

関連項目

外部リンク