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{{Otheruseslist|日本で死刑が確定した歴代の死刑囚の一覧(明治維新 - 1969年)|現在日本で収監中の死刑囚|日本における収監中の死刑囚の一覧|死刑が執行された元死刑囚|日本における被死刑執行者の一覧|獄死・恩赦のため死刑が執行されなかった死刑囚|日本において獄死もしくは恩赦された死刑囚の一覧}} |
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'''日本における死刑囚の一覧 (-1969) '''は、[[明治維新]]以降の[[日本]]で、[[裁判|刑事裁判]]によって[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]を言い渡された主な[[死刑囚]]の一覧記事である。本項目では、[[1969年]]([[昭和]]44年)までに死刑が[[確定判決|確定]]した死刑囚について述べる。 |
'''日本における死刑囚の一覧 (-1969) '''は、[[明治維新]]以降の[[日本]]で、[[裁判|刑事裁判]]によって[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]を言い渡された主な[[死刑囚]]の一覧記事である。本項目では、[[1969年]]([[昭和]]44年)までに死刑が[[確定判決|確定]]した死刑囚について述べる。 |
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2021年9月6日 (月) 09:05時点における版
日本における死刑囚の一覧 (-1969) は、明治維新以降の日本で、刑事裁判によって死刑判決を言い渡された主な死刑囚の一覧記事である。本項目では、1969年(昭和44年)までに死刑が確定した死刑囚について述べる。
1870年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
石鐵県死刑囚蘇生事件(田中藤作) | 1872年11月 | 1871年8月15日 | 放火犯。死刑執行も、不備により蘇生。再度の死刑執行はされず。 |
紀尾井坂の変(島田一郎) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 大久保利通殺害犯。同志5人とともに判決確定1時間後に斬首刑に処せられた(30歳没)。 |
紀尾井坂の変(長連豪) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(23歳没)。 |
紀尾井坂の変(杉本乙菊) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(30歳没)。1889年に大赦。 |
紀尾井坂の変(脇田巧一) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(29歳没)。1889年に大赦。 |
紀尾井坂の変(浅井寿篤) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(25歳没)。1889年に大赦。 |
紀尾井坂の変(杉村文一) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(18歳没)。1889年に大赦。 |
東京・浅草蔵前古物商強盗殺人事件(高橋お伝) | 1879年1月31日 | 1876年8月23日 |
1880年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
秩父事件(田代栄助) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 政府に対する武装蜂起。1885年5月17日に死刑執行(52歳没)。 |
秩父事件(加藤織平) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯として死刑執行(37歳没)。 |
秩父事件(高岸善吉) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯として死刑執行(37歳没)。 |
秩父事件(坂本宗作) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯として死刑執行(32歳没)。 |
秩父事件(新井周三郎) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯として死刑執行(24歳没)。 |
秩父事件(菊池貫平) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯で死刑判決を受けるも、逃走中だったため欠席裁判となる。1886年に強盗教唆で逮捕されて収監されるが、大日本帝国憲法発布の大赦で免罪、別件で無期懲役。1905年に出獄、1914年死去。 |
秩父事件(井上伝蔵) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯で死刑判決を受けるも、逃走中だったため欠席裁判となる。北海道で変名で生活し、1918年に死去。 |
人力車夫殺害事件(赤井景韶) | 1885年6月9日[1] | 1884年 | 高田事件で重禁錮9年の判決を受けて服役中に脱獄し、逃走中に人力車夫を殺害して逮捕された。1885年7月27日に死刑執行[2](27歳没)。 |
加波山事件(富松正安) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 栃木県令三島通庸の暗殺未遂。1886年10月5日に死刑執行(38歳没)。 |
加波山事件(保多駒吉) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(27歳没)。 |
加波山事件(琴田岩松) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(25歳没)。 |
加波山事件(小針重雄) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(23歳没)。 |
加波山事件(杉浦吉副) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(43歳没)。 |
加波山事件(三浦文治) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(31歳没)。 |
加波山事件(横山信六) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑判決を受けるが、執行前の1886年9月3日に肺病のため獄死[3](24歳没)。 |
「青森の亭主殺し」事件(小山内スミ) | 1886年11月6日 | 1886年8月18日 | 12月に死刑執行。青森県陸奥国中津軽郡鬼沢村(現在の弘前市)で自分の夫を浮気相手と殺害。法に反して公開で斬首刑に処されたという。地元では数え歌が作られたり、『鬼沢新聞・枕の刃』という覗きメガネが作られた。[4] |
「青森の亭主殺し」事件(小野長之助) | 1886年11月6日 | 1886年8月18日 | 12月に死刑執行。上記共犯。[4] |
「ピストル強盗[5]」事件(清水定吉) | 1887年8月[6] | 1882年 - 1886年 | 日本最初のピストル強盗。1887年9月7日に死刑執行[6]。 |
1890年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
連続針金強盗殺人事件(貝原喜勢冶) | 1897年3月 | 1894年 - 1897年 | 連続強盗殺人犯、処刑場に護送中に脱獄し警察官と格闘した際の傷で1897年12月死亡[7]。 |
連続針金強盗殺人事件(福永友三郎) | 1897年3月 | 1894年 - 1897年 | 上記共犯、護送中に一緒に脱獄し警察官と格闘し首を切り落とされ1897年6月死亡[7]。 |
連続針金強盗殺人事件(湊蔵貞) | 1897年3月 | 1894年 - 1897年 | 上記共犯、護送中に一緒に脱獄したが、再逮捕され広島監獄に収監[7]。 |
連続針金強盗殺人事件(明石章吉) | 1897年3月 | 1894年 - 1897年 | 上記共犯、護送中に一緒に脱獄し、以後消息不明[7]。 |
山陽鉄道列車強盗殺人事件(岩永元吉) | 1899年2月27日 | 1898年12月2日 | 走行中の夜行列車で陸軍大尉を殺害、列車内の殺人は日本国内では最初[8]。1899年10月30日に死刑執行。 |
山陽鉄道列車強盗殺人事件(中島多次郎) | 1899年5月3日 | 1898年12月2日 | 上記共犯者、一審は無期だったが、検察が控訴し逆転死刑判決。1899年10月30日に死刑執行。 |
1900年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
「紬屋殺し[9]」事件(大久保時三郎) | 1906年11月17日 | 1905年11月8日 | 紬屋1人を誘い出し殺害。そして紬屋仲間1人を偽の書状で誘い出しこれも殺害。反物を質に入れ400円を得る。さらに2人に借金をしたが返済がないと嘘を言い、家人をだまし現金を得ようとした。共犯の妻は無期徒刑となった。また、別件で詐欺もしている[10]。1909年4月23日に死刑執行[11]。 |
野口男三郎事件(野口男三郎) | 1907年10月10日[12] | 1905年5月14日 | 3件の殺人と1件の文書偽造で起訴。うち薬店店主殺害事件と卒業証書偽造が有罪となる。1908年7月2日に死刑執行。 |
1910年代
1910年死刑確定囚
1911年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
幸徳事件(幸徳秋水) | 1911年1月 | 1910年6月 | 天皇の暗殺を計画した大逆罪[注 1]の首謀者として死刑、判決6日後の1月24日に死刑執行(39歳没)。ただし実際には死刑判決を受けた24人(12人は恩赦減刑)のうち、陰謀に加担[注 2]していたのは5人のみであり、幸徳秋水も含む19人は冤罪だったと言われている。政府による社会主義者弾圧事件であったとされている。 |
幸徳事件(管野スガ) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 女性の社会運動家、彼女のみ1月25日に死刑執行(29歳没)。実際に陰謀に加担していた。 |
幸徳事件(森近運平) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(30歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 |
幸徳事件(宮下太吉) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(25歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 |
幸徳事件(新村忠雄) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(23歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 |
幸徳事件(古河力作) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(26歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 |
幸徳事件(奥宮健之) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(44歳没)。 |
幸徳事件(内山愚童) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 僧侶の社会主義者。1月24日に死刑執行(36歳没)。 |
幸徳事件(大石誠之助) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(43歳没)。 |
幸徳事件(松尾卯一太) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(31歳没)。 |
幸徳事件(新美卯一郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(32歳没)。 |
幸徳事件(成石平四郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(29歳没)。兄も同罪として死刑判決を受けたが恩赦減刑。 |
幸徳事件(高木顕明) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 住職を務める和歌山県の浄泉寺で幸徳の談話会を寺で開催したことを咎められ死刑判決。後に恩赦減刑されたが1914年に自殺(50歳没)。判決前に僧籍剥奪処分を受けたが1996年に僧籍復帰の名誉回復が行われた。 |
幸徳事件(峯尾節堂) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、恩赦減刑されたが1919年に獄死。 |
幸徳事件(岡本一郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、恩赦減刑されたが1917年に獄死。 |
幸徳事件(三浦安太郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に自殺。 |
幸徳事件(佐々木道元) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に獄死。 |
幸徳事件(成石勘三郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 弟平四郎とともに同罪として死刑判決を受けたが弟処刑後に恩赦減刑された。1929年仮出所、1931年死去。 |
幸徳事件(坂本清馬) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑。1934年仮出所、1947年特赦[注 3]。1961年に再審請求したが1967年に最高裁で棄却。1975年死去[13]。 |
幸徳事件(崎久保誓一) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1955年死去。 |
幸徳事件(武田九平) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1932年に事故死。 |
幸徳事件(飛松与次郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1925年に仮出所、1953年死去。 |
幸徳事件(小松丑治) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1945年死去。 |
幸徳事件(岡林寅松) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1948年死去。 |
1912年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
岡山県勝田郡強盗殺人事件 (J) | 1912年2月6日 | 1911年7月8日 | 勝田郡梶並村で、孫(当時32歳)が住居侵入罪の罰金20円が支払えず労役場留置処分を免れる為に金策協力を頼んだ祖父(当時74歳)に断られた。そのため祖父のへそくり50円を奪う為に殺害。1914年2月7日に死刑執行[14]。 |
1913年死刑確定囚
1914年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
愛知貰い子殺人事件(坂倉しげ) | 1914年10月21日 | 1898年 - 1913年 | 養育できない私生児を金銭とともに引き取りながら殺害する貰い子殺人常習犯。犠牲者は200人以上とされる。共犯2人とともに1915年9月9日に死刑執行。 |
愛知貰い子殺人事件(沖つた) | 1914年10月21日 | 1898年 - 1913年 | 上記共犯者。 |
愛知貰い子殺人事件(猪飼なか) | 1914年10月21日 | 1898年 - 1913年 | 上記共犯者。 |
岡山興除村一家3人殺害事件 (A) | 1914年12月16日 | 1914年9月26日 | 未亡人A(当時52)は養子一家が家督相続することを不満に思っていた。そこで情夫B(当時55)に借金230円の棒引きと400円の報酬を約束し、養子一家殺害を指示し自身は事件当日外泊しアリバイ工作をしていた。また近所には自分が虐待されているといった虚偽の噂を立てていた。1915年8月27日に死刑執行[15] |
岡山興除村一家3人殺害事件 (B) | 1914年12月16日 | 1914年9月26日 | 上記共犯者。なおBは殺害の手助けをCにさせていたが、Cは懲役10年になった。主犯Aとともに1915年8月27日に死刑執行[16] |
1915年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
小石川七人斬事件 (A・B) | 1915年10月22日 | 1915年3月15日 | 東京電燈会社小石川出張所において、同社主任以下7人が襲われ、5人が死亡した強盗殺人事件。1916年8月12日死刑執行[17]。 |
1916年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
大米龍雲連続殺人事件(大米龍雲) | 1916年5月22日 | 1905年 - 1915年 | 僧侶による連続強姦強盗殺人事件。被害者の多くが尼僧であったことから「殺尼魔」と報道された。6月26日に死刑執行。 |
一家四人死刑事件 (H) | 1916年7月8日 | 1914年12月30日 | 一家の父親が殺された事件について、一審では被害者の姑と妻、2人の息子の4人全員が死刑判決を受けた。控訴審では長男の単独犯行とされ、他の3人は無罪となった。死刑を維持された長男は、犯行は外部犯によるものとして無実を訴え続けたが1917年12月8日に死刑執行[18]。 |
1917年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
歌人夫婦殺し事件 (石井藤吉) | 1917年1月31日 | 1915年6月17日 | 横浜市在住の歌人O宅に強盗に押し入り、Oとその内縁の妻二人を殺害。その後石井は1915年7月13日に愛知県にて警官1名を殺害、同年11月から12月に掛けて共犯のSと共に2件の強姦強盗事件を起こした末に12月11日に逮捕。その取り調べの過程で鈴ヶ森おはる殺し事件に関する秘密の暴露を含む供述を開始した。石井は本件と鈴ヶ森おはる殺し事件の2件の死刑判決を受け、1918年8月17日に死刑執行[19]。 |
ドイツ海軍大尉夫人殺害事件 (A) | 1917年10月26日 | 1917年2月25日 | 日本軍捕虜となった夫の世話をする為来日していた女性殺害事件。夫は妻の後を追って自殺。1918年3月11日に死刑執行。 |
1918年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
鈴ヶ森おはる殺し事件(石井藤吉) | 1918年3月30日 | 1915年4月30日 | 同時期に検察は同じ事件で「単独犯」として2人の裁判を進め、一人は無罪になった。真犯人とされた石井は1918年8月17日に死刑執行[19]。 |
神戸山中妻殺害事件 (A) | 1918年5月15日 | 1917年4月6日 | 養子を虐待する妻との離婚話がこじれた為、岡山市の男が神戸市の山中に連れ出して殺害。男は養子を実家に預けたあと外地に逃亡。1918年2月になって朝鮮から中華民国の青島へ逃亡しようとしていたところを逮捕。1919年2月19日に死刑執行[20]。 |
1919年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
岡山巡礼女性殺害事件 (A) | 1919年12月2日 | 1916年4月ごろ | 1916年4月に京都の寺院に巡礼に出かけるとして行方不明になっていた広島県高田郡の主婦が1917年4月18日になって岡山県都窪郡の廃坑で白骨死体として発見された。犯人として金銭目当てに被害女性の夫を広島県深安郡に呼び出し、山陽本線大門駅付近の山道で殺害しようとした殺人未遂の罪で服役中のAが逮捕起訴された。Aは殺害を否定し被害者は情夫の妻に殺害され自身は何者かにはめられたと主張したが、該当する人物は存在せず、そのうえAが妻に胴着するようにと渡した羽織が被害者が持参していたものと判明。それらを証拠に死刑が確定。1923年8月21日に死刑執行[21]。 |
1920年代
1924年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
虎ノ門事件(難波大助) | 1924年11月13日 | 1923年12月27日 | 摂政宮(後の昭和天皇)暗殺未遂で大逆罪により有罪(法定刑は死刑のみ)。確定2日後の11月15日に死刑執行。 |
1926年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
朴烈事件(朴烈) | 1926年3月25日 | 1925年 | 天皇暗殺を計画したとして無政府主義者の朝鮮人が有罪になるも4月5日に恩赦により減刑。1945年10月に釈放され韓国国務委員に就任したが朝鮮戦争の最中に北朝鮮へ連行され、1974年死亡(田中清玄によると処刑という)。 |
朴烈事件(金子文子) | 1926年3月25日 | 1925年 | 女性無政府主義者で朴烈の愛人。共犯として死刑宣告も4月5日に恩赦で減刑。7月23日に獄死(当局発表は縊死)した。 |
関東連続少女殺人事件(吹上佐太郎) | 1926年7月2日 | 1922年 - 1924年 | 27人を強姦し、うち6人を殺害。1926年9月28日に死刑執行。 |
1930年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
大岡山殺人事件 (G) | 1931年4月20日 | 1925年9月6日 | 下記Tと共同で一家3人を殺害し、さらに3年後にもTとともに夫婦を殺害した。この間に大岡山事件の犯人として起訴されていた男性は、裁判中に獄死している。Gは控訴せず一審で確定し、1933年3月7日に死刑執行[22]。 |
大岡山殺人事件 (T) | 1932年4月5日 | 1925年9月6日 | 上記Gの共犯。最高裁まで争うも確定し、Gと同じく1933年3月7日に死刑執行[22]。 |
日大用務員殺害事件 (D) | 1932年8月29日 | 1930年12月 | 上告棄却。元用務員の男が日本大学に侵入し用務員を殺害し670円を奪った[23]。 |
桜田門事件(李奉昌) | 1932年9月30日 | 1932年1月8日 | 昭和天皇暗殺未遂犯。1932年10月10日に死刑執行(32歳没)。 |
十三釣堀屋事件 (F) | 1933年3月8日 | 1931年3月1日 | 愛人と共謀して夫を殺害した被告人について死刑。1934年6月28日に死刑執行。共犯の愛人は無期懲役[24]。 |
安田銀行玉島支店強盗殺人事件 (O) | 1933年10月30日 | 1933年6月18日 | 現職警察官による銀行ギャング。1934年7月30日死刑執行[25]。 |
隅田川コマ切れ殺人事件 (K) | 1934年9月19日 | 1934年6月 | 10月に死刑執行[26]。 |
福岡刑務所囚人殺害事件 (D) | 1934年11月7日 | 1933年10月28日 | 上告棄却。殺人未遂で懲役20年、恩赦により刑期短縮も1929年に殺傷事件を起こし無期懲役になった受刑者が同囚の者に「死に損ない」と罵られたことに腹を立て刑務活動中に刺殺[27]。 |
バス屋殺し事件 (G) | 1936年3月30日 | 1931年8月27日 | 家業の利益目的で夫を殺害した被告人について死刑判決が下ったが、後に無期刑に減軽され、1943年頃に獄死。被告人と共謀したとされていた愛人の男性については、一審の死刑判決が控訴審で無罪へ覆った[28]。 |
浅草青酸カリ殺人事件 (U) | 1936年8月3日 | 1935年11月21日 | 足袋屋経営の男が、顔なじみの小学校校長を紅茶の中に入れた青酸カリで毒殺し、教職員の給料を奪った。日本における青酸カリによる殺人事件第1号。1937年10月26日死刑執行[29]。 |
松山城放火事件 (F) | 1938年 | 1932年 - 1936年 | 西日本各地で公共施設45箇所を放火。1939年9月15日に死刑執行。 |
1940年代
1945年死刑確定囚(9人?)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
三重県上野市山林内主婦強盗殺人事件 (K) | 1945年2月20日 | 1944年 | 死刑執行日は不明。 |
札幌一家3人強盗殺人事件 (T) | 1945年3月23日 | 1944年12月17日 | 1945年8月24日に死刑執行。 |
茨城県柳河村一家4人強盗殺人放火事件 (S) | 1945年7月3日 | 1944年8月29日 | 1945年12月22日に死刑執行。 |
樺太・西柵丹強盗殺人事件 (S) | 1945年7月7日 | 1944年10月22日 | 樺太で発生した強盗殺人事件。死刑確定後、樺太がソ連軍に侵略され、公判記録が滅失し死刑執行手続きが不能になった特殊事情により、1949年12月24日、個別恩赦。無期懲役に減刑された[30]。 |
東京洲崎人夫強盗殺人事件 (I) | 1945年8月3日 | 1943年12月3日 | 殺人前科(懲役5年)。1945年12月20日に死刑執行。 |
大阪戦時強盗致死事件 (M) | 1945年9月5日 | 不明 | 詳細不明。1945年11月20日に死刑執行。 |
同性愛少年友人一家殺傷放火事件 (S) | 1945年9月5日 | 1944年7月29日 | 犯行当時は未成年者(少年死刑囚)。1947年2月18日に個別恩赦。 |
戦時強姦致死事件 (T) | 1945年11月25日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
兵庫県岩岡村朝鮮人2人強盗殺傷事件 (M) | 1945年12月4日 | 1945年1月20日 | 犯行当時は未成年者(少年死刑囚)。1946年2月6日に死刑執行。戦後唯一の少年時に死刑執行。少年では確定から執行までの最短記録(2ヶ月と2日) |
茨城県強盗殺人事件 (O) | 1945年12月18日 | 不明 | 詳細不明。1946年2月17日に死刑執行。確定から執行の戦後最短記録(1ヶ月と30日) |
戦時強盗殺人事件 (Y) | 1945年12月18日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
1946年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
戦時強盗殺人事件 (T) | 1946年1月14日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
強姦殺人事件 (F) | 1946年2月12日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
第二鬼熊事件 (S) | 1946年3月7日 | 1944年9月5日 | 1946年11月30日に死刑執行。 |
新居浜老夫婦強盗殺人事件 (K) | 1946年4月12日 | 1945年9月4日 | 死刑執行日は不明。 |
静岡県葉梨村老女強盗殺人事件 (A) | 1946年4月15日? | 1945年9月21日 | 犯行当時は未成年者(少年死刑囚)。死刑執行日は不明。 |
強盗殺人事件 (N) | 1946年4月18日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
確定年不明
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
松山農家強盗殺人事件 (K) | 不明 | 1945年10月29日 | 1949年7月30日に死刑執行。 |
京都一家3人強盗殺人・口封じ殺人事件 (I) | 1946-1947年 | 1946年2月28日-3月1日 | 1947年6月10日に死刑執行。 |
福岡県中間町質屋一家6人殺害事件 (T) | 1946-1947年 | 1946年4月13日 | 1948年1月27日に死刑執行。 |
宮城貨物経理課長強盗殺人事件 (S) | 1946-1947年 | 1945年11月3日 | 1947年9月5日に死刑執行。 |
五島貨物船船員2人強盗殺人事件 (N) | 1946-1947年 | 1946年2月13日 | 1947年12月15日に死刑執行。 |
1947年死刑確定囚(33人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
島原一家4人殺害事件 (H) | 1947年2月14日 | 1946年8月4日 | 1947年10月30日執行 |
奈良県大淀町夫婦強盗殺人事件 (Y) | 1947年3月8日 | 1945年11月21日 | 1948年8月24日執行 |
大分県判田村拳銃強盗殺傷事件 (K) | 1947年3月12日 | 1946年7月10日 | 1948年7月27日執行 |
名古屋市港区真砂町煙草屋強盗殺人事件 (O) | 1947年3月18日 | 1946年10月8日 | 1947年9月17日執行 |
久留米母子3人殺害事件 (I) | 1947年3月19日 | 1946年8月28日 | 1948年10月20日執行 |
広島県西志和村老女強盗殺人事件 (S) | 1947年3月24日 | 1946年2月28日 | 1948年10月5日執行 |
中野ラジオ商夫婦強盗殺人事件 (O) | 1947年4月9日 | 1945年9月5日 | 1948年8月25日執行 |
名古屋医師ら2人射殺事件 (R) | |||
熊本県一勝地村一家6人殺害事件 (S) | |||
兵庫県奥吉川村住職夫婦強盗殺傷事件 (K) | |||
熊本県一勝地村一家6人殺害事件 (K) | |||
福岡県川崎町金物商夫婦強盗殺傷事件 (T) | |||
中津一家4人強盗殺人事件 (R) | |||
四日市伯母夫婦強盗殺人事件 (K) | |||
戸畑引揚者強盗殺人事件 (T) | |||
北アルプス山小屋4人殺傷事件 (K) | |||
北アルプス山小屋4人殺傷事件 (S) | |||
久留米母子3人殺害事件 (O) | |||
北海道奈井江村一家5人強盗殺傷事件 (K) | |||
京都一家3人強盗殺人・口封じ殺人事件 (O) | |||
知人一家3人強盗殺傷事件 (T) | |||
福岡県山田町男性強盗殺人事件 (A) | |||
徳島県三名村山林内ブローカー強盗殺人事件 (S) | |||
大阪市大正区古物商一家3人強盗殺傷事件 (R) | |||
半田ブローカー強盗殺人事件 (M) | |||
伊達夫婦強盗殺人事件 (F) | |||
宮崎県野尻村母子強盗殺人放火事件 (C) | |||
愛知県鳴海町一家3人強盗殺人事件 (O) | |||
窃盗団長崎署刑事射殺事件 (O) | |||
富山県大家庄村老婆強盗殺人事件 (T) | |||
奈良県船倉村農家強盗殺傷事件 (U) | |||
寝屋川レーシング工場一家6人殺害事件 (M) | |||
北海道古丹別古物商強盗殺人事件 (M) | |||
甲府雑貨商強盗殺人事件 (A) |
1948年死刑確定囚(41人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
友人強盗殺人事件 (Y) | 1948年1月28日 | 1946年2月24日 | 友人を鉄棒で撲殺。1948年12月6日に死刑執行。 |
京都雇い主強盗殺人事件 (U) | 1948年2月12日 | 1946年6月21日 | 雇い主を斧で殺害。1948年12月10日に死刑執行。 |
京都一家3人強盗殺人・口封じ殺人事件 (S) | 1948年3月9日 | 1946年2月28日-3月1日 | 1949年7月20日に死刑執行。 |
死刑制度合憲判決事件 (M) | 1948年3月12日 | 1946年9月16日 | 犯行時19歳(少年死刑囚)。夕飯を用意してもらえなかったことに逆上して母妹を殺害し遺体を井戸に遺棄。一審は無期懲役だった。最高裁が死刑制度は日本国憲法に反せず合憲とした判例。1949年7月27日に死刑執行。 |
名古屋愚連隊殺人事件 (K) | 1948年3月11日 | 1947年6月21日 | 犯行時17歳(少年死刑囚)。強盗に入った家人2人を布団で縛りつけ窒息死させた。主犯Aが死刑(控訴取り下げにより死刑確定)であったが犯行時17歳であったため、少年法改正により1949年3月23日に無期懲役に減刑。 |
神奈川県吉浜町重役夫婦射殺事件 (K) | 1948年3月27日 | 1946年7月7日 | 強盗に入った家で夫婦を射殺。1948年12月8日に死刑執行。 |
百田駐在所巡査殉職事件 (R) | 1948年4月8日 | 1947年3月35日 | 1948年12月20日に死刑執行。 |
山口県国木峠農家老夫婦強盗殺人事件 (G) | |||
東京都中野区女性・北海道江部乙村農家連続強盗殺人事件 (M) | |||
名古屋古着屋強盗殺人事件 (Y) | |||
名古屋古着屋強盗殺人事件 (G) | |||
名古屋古着屋強盗殺人事件 (S) | |||
岩手県広瀬村老女強盗殺人事件 (K) | 1948年6月4日 | 1947年9月14日 | 共犯2名は一審死刑、控訴審無期懲役判決。量刑の均衡のため1950年7月29日、個別恩赦により無期懲役に減刑。 |
岐阜県清見村一家3人殺害事件 (R) | 1948年6月8日 | 1947年4月9日 | 一審は無期懲役。犯行時17歳。少年法改正により18歳未満に死刑が適用できなくなったことから、1949年3月23日、個別恩赦により無期懲役に減刑。 |
広島県乃美尾村知人姉妹絞殺事件 (N) | |||
丸亀老夫婦強盗殺人事件 (O) | |||
丸亀老夫婦強盗殺人事件 (T) | |||
愛媛県石城村農業会宿直員強盗殺人事件 (Y) | |||
都島煙草屋一家3人強盗殺人事件 (K) | |||
都島煙草屋一家3人強盗殺人事件 (Y) | |||
北海道奈井江村一家5人強盗殺傷事件 (A) | |||
神戸刑務所戒護課長殺害事件 (S) | 1948年7月7日 | 1947年6月9日 | 殺人前科(懲役15年)。1949年2月18日に死刑執行。 |
呉沖洋上ブローカー2人射殺事件 (A) | |||
鶴見時計商射殺・浦賀署巡査部長射殺未遂事件 (K) | |||
芦別歯科医一家3人強盗殺人事件 (T) | |||
千葉県大柏村叔母一家殺害事件 (A) | |||
栃木県城山村老女強盗殺人事件 (H) | |||
明石2女性強盗殺人事件 (N) | |||
熊本県花房村飛行場跡ブローカー強盗殺人事件 (A) | |||
三重県荻原村近隣女性強盗殺人放火事件 (N) | |||
淡路島古物商ら強盗殺人事件 (T) | |||
愛知肝とり殺人事件 (H) | 1948年10月18日 | 1948年4月1日 | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 |
長崎県時津村夫婦強盗殺人事件 (S) | |||
長崎海上強盗殺人事件 (Y) | |||
大阪看板屋父子殺害事件 (N) | |||
小平事件(小平義雄) | 1948年11月16日 | 1945年5月25日 - 1946年8月6日 | 連続強盗強姦殺人事件。10人殺害で起訴され、うち7人殺害で有罪となった。なお、小平には軍隊時代に山東出兵に派遣された際に現地の婦女子を殺害(軍規違反に問われず)したうえ、1932年に前妻の義父を殺害し懲役15年(二度の恩赦により8年で仮出所)を受けており、殺人前科があった。1949年10月5日に死刑執行。 |
豊中競馬誌編集人長女強盗強姦殺人事件 (U) | |||
鹿児島一家3人強盗殺傷放火事件 (A) | 1948年12月5日 | 1947年12月18日 | 犯行時17歳(少年死刑囚)。少年法改正により18歳未満に死刑が適用できなくなったことから、1949年4月6日、個別恩赦により無期懲役に減刑。 |
福岡県筑紫村夫婦強盗殺人事件 (H) | |||
福島県若松市ブローカー一家5人強姦殺人事件 (S) | |||
福島県若松市ブローカー一家5人強姦殺人事件 (S) | |||
亀戸情婦母子3人殺害事件 (O) |
1949年死刑確定囚(76人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
徳島県阿野村雑貨商夫婦強盗殺傷事件 (O) | |||
姫路母子強姦殺人事件 (N) | |||
和歌山県地蔵峠古着商射殺事件 (K) | |||
柏原旅館一家4人殺害事件 (Y) | |||
徳島県三庄村叔母一家4人殺傷事件 (F) | |||
岡山下宿先老女強盗殺人事件 (Y) | |||
荒尾隣人夫婦殺害事件 (K) | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
和歌山県船着村逆恨み母子事件 (Y) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
警視庁巡査による通行人射殺・母親と甥射殺事件 (U) | |||
阿倍野一家4人強盗殺傷事件 (H) | |||
十条友人の妹強盗強姦殺人事件 (I) | |||
神奈川県共和村老夫婦強盗殺人事件 (K) | |||
鈴鹿署巡査部長射殺事件 (O) | |||
諫早尼僧強盗殺人事件 (H) | |||
伊達夫婦強盗殺人事件 (E) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
毒殺強盗団事件他 (H) | |||
三重県鈴鹿郡老女強盗殺人事件 (K) | |||
三重県鈴鹿郡老女強盗殺人事件 (K) | |||
川崎ブローカー強盗殺人事件 (H) | |||
千葉県二宮町老女強盗殺人事件 (S) | |||
神奈川県大野町砂糖売買強盗殺人事件 (I) | |||
横浜運転手強盗殺人事件 (O) | |||
鹿児島県西南方村小切手強盗殺人・神戸キャバレー経営者射殺事件 (C) | |||
熊本県郡浦村知人女性強盗殺人事件 (S) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
千葉県遠山村強盗強姦殺人事件 (K) | |||
兵庫県小野尻峠隧道強盗殺人事件 (T) | |||
鹿児島県東市来町恩人夫婦強盗殺人事件 (N) | |||
西宮・神戸連続強盗殺人事件 (M) | |||
福島県若松市ブローカー一家5人強盗殺人事件 (S) | |||
東淀川親族強盗殺人事件 (S) | |||
滝川老女強盗殺人事件 (S) | 未成年(少年死刑囚)。1954年1月15日、個別恩赦。 | ||
千葉県旭村白米取引拳銃殺傷事件 (I) | |||
笠岡情婦殺害事件 (F) | |||
栃木県国本村一家4人強盗殺傷事件 (M) | |||
奈良県平城村兄弟強盗殺人事件 (S) | 1949年5月28日 | 1946年12月11日 | 強盗団4人組による犯行。Dを主犯として死刑が確定し、後に死刑執行されたが、1958年に出所した「従犯」が本当の主犯を恐喝して逮捕されDは濡れ衣であったという真相が発覚[31]。 |
熊本県龍峯村老夫婦強盗殺人事件 (Y) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
海南ブローカーら強盗殺人事件 (K) | |||
海南ブローカーら強盗殺人事件 (Y) | |||
別府男性・奈狩江村老女強盗殺傷事件 (T) | |||
岩手県巻堀村母娘強盗殺人事件 (S) | |||
栃木県氏家町恩人女性強盗殺人事件 (K) | |||
栃木県東那須野村ブローカー強盗殺人事件 (I) | |||
福岡県宝珠山村飲食店女性強盗殺人事件 (H) | |||
長崎県加津佐町いとこ夫婦強盗殺人事件 (O) | |||
姫路母子強盗殺人事件 (M) | |||
長野刑務所看守殺人事件 (T) | |||
山下村男女強盗殺傷事件 (O) | |||
横浜朝鮮人青果商一家殺傷事件 (S) | |||
福島県津島村古着行商女性強盗殺人事件 (K) | |||
北海道淕別村家族3人殺害事件 (K) | |||
横浜市金沢区父親ら3人殺害事件 (M) | |||
奈良県榛原町朝鮮人強盗殺傷事件 (R) | |||
奈良県榛原町朝鮮人強盗殺傷事件 (R) | |||
広島県田森村酪農一家強盗殺人事件 (H) | |||
大垣飲食店強盗殺人事件 (N) | |||
大津野村強盗殺人事件 (K) | 1949年7月13日 | 1945年12月18日 | 架空の商談話でおびき出した2人を殺害。共犯5人のうち2人が死刑に。 |
大津野村強盗殺人事件 (K) | 1949年7月13日 | 1945年12月18日 | 上記共犯。 |
和歌山県上名手村祖母・孫娘強盗殺傷事件 (K) | |||
滝川老女強盗殺人事件 (S) | 1954年1月15日、個別恩赦。 | ||
兵庫県東志方村住職兄妹強盗殺人事件 (M) | |||
兵庫県東志方村住職兄妹強盗殺人事件 (Y) | |||
兵庫県東志方村住職兄妹強盗殺人事件 (H) | |||
北海道南尻別一家3人強盗殺人事件 (Y) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
新発田青果商番頭強盗殺人事件 (S) | |||
宇多津拳銃強盗夫婦殺傷事件 (M) | |||
茨城県吉田村蓮乗壕内殺人事件 (Y) | |||
和歌山一家8人殺害事件 (O) | 1949年8月18日 | 1946年1月29日 | 母親を虐待した兄嫁を恨み、兄一家8人を虐殺。死刑確定後の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。1968年春に仮出獄。 |
三重県柿野村内妻殺害事件 (N) | 殺人予備前科(懲役1年6月)、殺人前科(懲役8年)1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
荻窪美容師強盗殺人事件 (P) | |||
北海道鵡川村老兄弟強盗殺人事件 (S) | |||
福島県江名町雨宿り強盗殺人事件 (A) | |||
藤沢姉一家3人強盗殺人事件 (W) | |||
前橋警察官連続殺傷事件 (K) | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
北海道古平峠ゴム長靴商強盗殺人事件 (O) | |||
滋賀刑務所看守部長殺害事件 (T) | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
佐賀県境野村銀行員日本刀強盗殺人事件 (H) |
1950年 - 1954年
1950年死刑確定囚(23人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
福岡県八幡市堂守夫婦バラバラ殺人事件 (W) | 1950年1月8日 | 1949年3月25日 | 控訴せず確定。1950年7月5日に死刑執行。 |
和歌山市自転車店老女強盗殺人事件 (H) | 1950年1月31日 | 1949年6月8日 | 無関係の人物を絞殺。控訴取下げ。1950年4月26日に死刑執行。現行の刑事訴訟法下で確定から執行の最短記録(2ヶ月と26日) |
愛知県上郷村呉服商母娘強盗殺人事件 (N) | 1950年2月2日 | 1948年6月9日 | 1953年4月10日に死刑執行。 |
第二小平事件 (K) | 1950年2月3日 | 1946年(3月31日・11月9日・12月21日) | 埼玉県と茨城県で発生。司法の認定では3人殺害であるが、ほかに2人の殺害も自供。若い女性ばかり被害者であったことから。同様な小平事件からこの事件名で報道された。 |
志和堀村両親殺害事件 (M) | 1950年2月21日 | 1948年6月11日 | 犯行時19歳(少年死刑囚)、上告を取り下げにより死刑が確定したが、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約恩赦で無期懲役に減刑。 |
呉拳銃強盗殺人事件 (W) | 1950年4月7日 | 1948年4月10日 | 控訴取下げ。死刑執行日は不明。 |
埼玉県本畠村母娘強盗殺人事件 (S) | 1950年4月18日 | 1947年6月9日 | |
横浜朝鮮人青果商一家殺傷事件 (Y) | 1950年5月9日 | 1948年2月24日 | |
横浜朝鮮人青果商一家殺傷事件 (Y) | 1950年5月9日 | 1948年2月24日 | |
修善寺2女性強盗殺人事件 (I) | 1950年5月18日 | 1948年9月23日 | |
横須賀ガソリン売買強盗殺人事件 (H) | 1950年5月30日 | 1946年11月20日 | 1951年1月23日に死刑執行。 |
横須賀ガソリン売買強盗殺人事件 (N) | 1950年5月30日 | 1946年11月20日 | 1951年1月23日に死刑執行。 |
秋津村未亡人強盗殺人事件 (O) | 1950年5月23日 | 1949年5月11日 | 控訴取下げ。1950年11月28日に死刑執行。 |
国際ギャング団連続強盗殺傷事件 (K) | 1950年6月23日 | 1946年(1月12日・3月2日) | 年度は不明だが、12月28日もしくは29日に死刑執行。 |
愛知県岡田町飲食店男女強盗殺人事件 (R) | 1950年6月30日 | 1949年3月25日 | 1951年1月16日に死刑執行。 |
戸塚寄宿先家族強盗殺人事件 (K) | 1950年7月25日 | 1947年10月5日 | 控訴取下げ。1951年1月29日に死刑執行。 |
水俣沖船頭夫婦強盗殺人事件 (S) | 1950年7月28日 | 1947年4月8日 | 1954年9月24日に死刑執行。 |
日立雑貨商強盗殺人事件 (T) | 1950年7月29日 | 1949年8月8日 | 上告せず確定。1951年2月2日に死刑執行。 |
3人組拳銃強盗殺人事件 (O) | 1950年9月5日 | 1947年4月23日 | 1955年2月11日に死刑執行。 |
静岡銀行留守番老女強盗殺人事件 (T) | 1950年10月5日 | 1949年3月13日 | 1951年5月21日に死刑執行。 |
三河島三味線師母子強盗殺人事件 (S) | 1950年10月31日 | 1948年1月11日 | |
福岡雇い主強盗殺人事件 (I) | 1950年11月22日 | 1950年4月6日 | 控訴取下げ。1951年7月31日に死刑執行。 |
佐賀県切木村強姦殺人事件 (I) | 1950年11月30日 | 1949年4月24日 | 殺人未遂前科(懲役4年)。死刑執行日は不明。 |
北海道枝幸町一家3人強盗殺人事件 (O) | 1950年12月14日 | 1948年6月4日 | 最高裁が下級審の判決を破棄し死刑判決。 |
1951年死刑確定囚(40人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
島根県湯里村老夫婦強盗殺人事件 (Y) | 1951年1月8日 | 1950年1月3日 | 控訴取下げ。1951年に死刑執行。 |
佐賀県龍光寺住職一家7人殺傷事件 (Y) | 1951年1月23日 | 1950年10月5日 | 控訴せず確定。1951年12月14日に死刑執行。 |
三重県安濃村老女強盗殺人事件 (T) | 1951年1月26日 | 1949年4月1日 | 1951年9月13日に死刑執行。 |
鶴見老夫婦強盗殺人事件 (K) | 1951年1月30日 | 1949年3月7日 | 死刑執行日は不明。 |
矢野村強盗殺人事件 (F) | 1951年2月2日 | 1947年5月23日 | 未成年(少年死刑囚)。兄弟で犯した強盗殺人について死刑判決を受けた弟が「主犯は兄である」と主張していた。兄もそれを裏付ける主張を行っていたが、弟の再審請求は容れられず、1953年2月20日に死刑執行。 |
福井県遠敷村老女ピストル強盗殺人事件 (K) | 1951年2月16日 | 1949年10月5日 | 1951年?執行。 |
福島県鳩花温泉旅館強盗殺傷事件 (K) | 1951年3月6日 | 1948年12月4日 | 死刑執行日は不明。 |
千葉県富里村商売仲間女性強盗殺人事件 (T) | 1951年3月30日 | 1949年2月20日 | 死刑執行日は不明。 |
大分市元町強盗殺人事件 (S) | 1951年4月18日 | 1949年1月20日 | 1959年6月10日に死刑執行。 |
大分市元町強盗殺人事件 (N) | 1951年4月18日 | 1949年1月20日 | 1959年6月10日に死刑執行。 |
土浦老人強盗殺人事件 (O) | 1951年4月26日 | 1948年1月12日 | 死刑執行日は不明。 |
福島県鮫川村一家3人殺傷事件 (S) | 1951年6月8日 | 1949年6月28日 | 死刑執行日は不明。 |
鷺宮元陸軍大佐夫人強盗殺人事件 (Y) | 1951年6月15日 | 1948年11月5日 | 上告せず確定。1955年7月に死刑執行。 |
今里新地タクシー運転手強盗殺人事件 (Y) | 1951年6月19日 | 1949年10月24日 | 一審は無期懲役。死刑執行日は不明。 |
江東区友人の母強盗殺人事件 (Y) | 1951年7月5日 | 1949年11月21日 | 死刑執行日は不明。 |
福島県高久村一家4人殺害事件 (O) | 1951年7月6日 | 1949年6月3日 | 未成年(少年死刑囚)。死刑執行日は不明。 |
山梨県昭和村一家3人強盗殺傷事件 (S) | 1951年7月10日 | 1947年1月26日 | 死刑執行日は不明。 |
菅野村強盗殺人・放火事件 (Y) | 1951年7月10日 | 1949年6月10日 | 犠牲者1人。戦後初の女性死刑囚。結核・精神病を罹患し1969年9月2日に恩赦減刑され、1978年に病死(63歳没)[要出典]。 |
板橋母娘強盗殺人事件 (K) | 1951年8月6日 | 1949年11月24日 | 上告取下げ。死刑執行日は不明。 |
兵庫県東谷村老女強盗殺人事件 (T) | 1951年8月9日 | 1949年10月2日 | 一審は無期懲役。死刑執行日は不明。 |
熊本県宮内村煙草屋強盗殺人事件 (I) | 1951年8月9日 | 1950年4月20日 | 1952年6月19日に死刑執行。 |
熊本県菱形村社長夫妻強盗殺人事件 (U) | 1951年8月31日 | 1949年12月15日 | 1958年4月14日に死刑執行。 |
北海道弟子屈町母子3人強盗殺人事件 (K) | 1951年9月3日 | 1950年3月14日 | 上告取下げ。 |
千歳母子強盗殺人事件 (K) | 1951年9月4日 | 1950年7月19日 | 上告取下げ。 |
小田原一家5人殺害事件 (S) | 1951年9月6日[32] | 1949年9月14日[32] | 事件当時18歳4か月(少年死刑囚)[32]。大量殺人犯だが、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑[33]。1970年3月に仮出獄したが[33]、1984年7月8日に殺人未遂事件を起こし[34]、同年12月19日に東京地裁刑事第15部(柴田孝夫裁判長)で懲役8年の実刑判決(求刑:懲役12年)を受けた[35]。これに伴い、仮釈放も取り消され再収監された[33]。 |
宮城刑務所看守殺害事件 (N) | 1951年9月6日 | 1949年7月29日 | 強盗強姦罪で無期懲役が確定し服役中。1952年6月19日に死刑執行。 |
福島県小塩江村老女強盗強姦殺人事件 (P) | 1951年10月8日 | 1950年3月28日 | 死刑執行日は不明。 |
宮城一家強盗殺傷事件 (A) | 1951年10月18日 | 1950年4月26日 | 一審は無期懲役。1955年1月29日に死刑執行。 |
強盗計画者による家人射殺事件 (P) | 1951年11月8日 | 1949年10月15日 | 一審は無期懲役。1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 |
名古屋2女性連続強盗殺人事件(中京の小平事件) (T) | 1951年11月30日 | 1947年2月10日・1948年4月15日 | |
長野県長瀬村煙草屋一家3人強盗殺人事件 (Y) | 1951年12月7日 | 1948年12月19日 | |
高知県大川村拳銃強盗殺人事件 (Y) | 1951年12月18日 | 1949年11月12日 | 一審は無期懲役。死刑執行日は不明。 |
帯広一家3人強盗殺傷事件 (O) | 1951年12月20日 | 1950年3月26日 | |
大阪連続強盗強姦殺人事件 (K) | 1951年12月21日 | 1947年11月30日・1948年3月29日 | 未成年(少年死刑囚)。懲役15年(強姦致傷罪)刑執行停止中。死刑執行日は不明。 |
東住吉主婦強盗強姦殺人事件 (K) | 1951年12月21日 | 1950年3月10日 | 一審は無期懲役。1954年5月6日に死刑執行。 |
免田事件(免田栄) | 1951年12月25日 | 1948年12月29日 | 1983年7月に再審で無罪が確定した冤罪事件。 |
栃木県須賀川村老婆強盗殺人事件 (Y) | 1951年12月25日 | 1950年4月9日 | |
姫路知人2人強盗殺人事件 (O) | 1951年12月27日 | 1950年2月20日 | 死刑執行日は不明。 |
姫路知人2人強盗殺人事件 (T) | 1951年12月27日 | 1950年2月20日 | 死刑執行日は不明。 |
宇治博徒仲間強盗殺人・鉄道轢断事件 (K) | 1951年12月28日 | 1948年11月14日 | 一審は無期懲役。1957年6月27日に死刑執行。 |
1952年死刑確定囚(34人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
福島県清水峠拳銃強盗殺人事件 (A) | 1952年1月22日 | 1949年7月15日 | 執行日不明 |
福島県清水峠拳銃強盗殺人事件 (T) | 1952年1月22日 | 1949年7月15日 | 執行日不明 |
福島県清水峠拳銃強盗殺人事件 (H) | 1952年1月22日 | 1949年7月15日 | 執行日不明 |
島根県連続強盗殺傷放火事件 (M) | 1952年1月23日 | 1951年5月25日/29日 | 1952年10月22日執行 |
静岡雇い主一家3人殺害事件 (R) | 1952年1月23日 | 1950年6月25日 | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 |
大分県駅館村雑貨商一家強盗殺傷事件 (N) | |||
兵庫友人兄弟強盗殺人事件 (G) | |||
兵庫友人兄弟強盗殺人事件 (N) | |||
水戸露天商夫婦強盗殺傷事件 (Y) | |||
神田知人父娘強盗殺人事件 (I) | |||
大分県上井田村内妻一家3人刺殺事件 (S) | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
九段老女・太秦タクシー運転手連続強盗殺人事件 (O) | |||
栃木県落合村幼児強盗殺人事件 (N) | |||
宮城県吉田村3人組母子強盗殺人事件 (O) | |||
宮城県吉田村3人組母子強盗殺人事件 (T) | |||
市川博徒仲間殺害事件 (Y) | 1970年7月17日、個別恩赦減刑。その後病死。 | ||
石岡強盗殺傷事件 (S) | |||
淀川堤防タクシー強盗殺人事件 (M) | |||
柳井元日通職員強盗殺人事件 (T) | |||
池袋カルピス毒殺事件 (N) | |||
福岡連続強盗殺人事件 (S) | 1952年4月9日(控訴審判決日)[36] | 1951年(5月15日・6月3日)[37] | 事件当時19歳10か月(少年死刑囚)[36]。福岡県内(福岡市および八幡市)で男性2人を殺害[38]。逮捕後、「『ソウさん』という共犯者(=当時逃亡中の古谷惣吉)がいる」と主張したが、警察はほとんどその共犯者(=古谷)について追及せず[39]、1951年11月7日に福岡地裁で死刑判決[38]。控訴したが、1952年4月9日に福岡高裁で控訴棄却判決を受け死刑が確定[36]。1953年に死刑執行[40]。 共犯者・古谷惣吉はSの死刑執行後に逮捕され、懲役10年の判決を受け服役したが[41]、出所後に8人連続殺人事件(警察庁広域重要指定105号事件)を起こして死刑確定(1985年〈昭和60年〉8月1日に死刑執行)[42]。 |
埼玉の小平事件 (T) | |||
国鉄職員による小山駅女性全裸殺人事件 (I) | |||
栃木県粟野町住職夫妻ら強盗殺人事件 (K) | |||
茨城県軽野村一家3人強盗殺人事件 (T) | 1952年7月10日 | 1950年2月19日 | 1956年11月10日に名古屋拘置所で死刑執行。 |
蔵前元雇い主親子強盗殺人事件 (K) | |||
宮城馬喰強盗殺人事件 (H) | |||
平戸幽霊船大生丸殺人事件 (U) | |||
貸しボート上暴力団抗争射殺事件 (T) | 1952年、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
茨城連続強盗殺人事件 (W) | |||
和歌山・奈良2女性連続殺人事件 (M) | |||
福岡・神戸警察官ら連続射殺事件 (H) | |||
埼玉県大門村一家5人強盗殺傷事件 (I) | |||
佐賀県小城町玩具商父娘強盗殺傷事件 (W) |
1953年死刑確定囚(26人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
北海道穂別村老夫婦強盗殺人事件 (I) | |||
新潟八百屋夫婦強盗殺人事件 (K) | |||
富良野住職夫婦強盗殺人放火事件 (H) | |||
北海道永山村飯場仲間一家ら6人殺傷事件 (I) | |||
長崎若妻強盗殺人事件 (K) | |||
鳥取県大宮村林業従事者殺人窃盗事件 (M) | 1953年、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
矢板山林売買強盗殺人事件 (T) | |||
伊那老女強盗殺人事件 (N) | |||
千葉県富勢村ヤミ屋一家3人強盗殺人事件 (Y) | |||
千葉県富勢村ヤミ屋一家3人強盗殺人事件 (M) | |||
杉並老女強盗殺人事件 (S) | |||
元巡査による架空取引強盗殺人事件 (N) | |||
福岡県筑紫村牛目的強盗致死事件 (U) | |||
上伊那郡朝日村農協強盗殺人事件 (S) | |||
倉敷時計商親子強盗殺人事件 (H) | |||
長野県七貴村強盗殺人事件 (N) | |||
長野県七貴村強盗殺人事件 (S) | |||
北海道津別町一家5人強盗殺傷事件 (T) | |||
福島県白方村一家6人殺傷事件 (K) | |||
横浜火薬廠守衛長夫婦強盗殺人事件 (S) | |||
横浜火薬廠守衛長夫婦強盗殺人事件 (Y) | |||
共同事業者青酸ビール毒殺事件 (S) | 1954年、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
御殿場町役場宿直員強盗殺人事件 (K) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
茨城県磯浜町一家5人殺傷事件 (S) | 1954年、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
天草一町田村強盗殺人事件 (Y) | |||
東京松沢マーケット商人強盗殺人事件 (S) |
1954年死刑確定囚(20人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
大阪看板屋父子殺人・広島強盗事件 (N) | |||
香川県山内村一家4人殺害事件 (W) | |||
香川県山内村一家4人殺害事件 (N) | |||
淀川堤防タクシー強盗殺人事件 (N) | |||
淀川堤防タクシー強盗殺人事件 (W) | |||
熊本県柿迫村炊事婦殺害事件 (M) | |||
横須賀材木商強盗殺人事件 (F) | |||
石巻図書館司書殺人事件 (A) | |||
別府内妻両親強盗殺人事件 (T) | |||
秋田一家3人殺害事件 (Y) | |||
茅ヶ崎知人の妻強盗殺人事件 (Y) | |||
岡山県和意谷叔父一家4人殺傷事件事件 (M) | |||
埼玉県幡羅村パチンコ店留守番強盗殺人事件 (A) | |||
水戸無尽会社宿直員殺傷事件 (H) | |||
神戸巡査夫人強盗殺人事件 (Y) | |||
福岡県添田町質商夫婦強盗殺傷事件 (H) | |||
金比羅丸事件 (I) | |||
兵庫県多加野村農協事務員強盗殺人事件 (F) | |||
検見川事件 (栗田源蔵) | |||
おせんころがし殺人事件 (栗田源蔵) | 上記と同一人。 | ||
大宮女性郵便局員殺害事件 (S) |
1955年 - 1959年
1955年死刑確定囚(19人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
広島刑務所副看守長殺害事件 (I) | 1955年2月2日 | 1953年5月29日 | 控訴取下げ。殺人前科あり。1957年2月4日に死刑執行。 |
京都クリーニング店3人殺害事件 (U) | 1955年3月16日 | 1953年10月24日 | 上告取下げ。死刑執行日は不明。 |
横浜市金沢区留守番男性強盗殺人事件 (F) | 1955年3月22日 | 1952年1月28日 | 死刑執行日は不明。 |
帝銀事件(平沢貞通) | 1955年4月6日 | 1948年1月26日 | 1987年5月10日獄死(95歳没)。 |
大阪港機帆船船長兄弟殺害事件 (Y) | 1955年4月12日 | 1954年2月17日 | 上告せず確定。死刑執行日は不明。 |
蕨隣家夫婦射殺・茨城2人射殺未遂事件 (S) | 1955年6月9日 | 1947年12月30日・1951年12月25日 | 死刑執行日は不明。 |
三鷹事件(竹内景助) | 1955年6月22日 | 1949年7月15日 | 電車顛覆致死事件で6人死亡。ただし冤罪が指摘されている。1967年1月18日に獄死(45歳没)。 |
栃木雑貨商一家殺害事件 (K) | 1955年6月28日 | 1953年3月17日 | 上告棄却、白内障を患った母親の治療費欲しさに近所の雑貨商に侵入し、一家3人と使用人を殺害。最高裁上告中に脱獄、後に確保され、1955年6月28日に最高裁が上告を棄却。同年11月22日宮城刑務所にて死刑執行。死刑確定から執行までの期間は戦後最短とする文献もあるが、これは誤りで、昭和20年代には確定から2か月前後で執行された者もいる。 |
湯島・羽生連続強盗殺人事件 (H) | |||
福島県黒土村強盗殺人事件 (F) | |||
宮崎老夫婦強盗殺人事件 (T) | |||
兵庫県若狭野村遠縁3人強盗殺人事件 (N) | |||
北海道標茶町内妻実家放火殺人事件 (A) | |||
大阪市住吉区銭湯一家4人強盗殺人事件 (S) | |||
神戸洋服商殺人事件(孫斗八) | 1955年12月16日 | 1951年1月17日 | 上告棄却、以前オーバーコートを購入した洋服商店に上り込み、夫婦2人を殺害。 |
新宿家政婦殺害事件[43] (F) | 1955年12月20日 | 1951年5月25日 | 上告棄却、金銭の貸主宅に侵入し、同家の家政婦を殺害。 |
福岡・豊津村一家8人殺害事件 (N) | 1955年12月26日 | 1954年9月7日 | 上告棄却、同居していた一家8人を惨殺。殺人未遂前科(懲役4年)。 |
喜多方巡査殺害事件[44] (S) | 1955年12月26日 | 1953年5月7日 | 上告棄却、一審は無期懲役。駐在所巡査を殺害。成人4日後の犯行。死刑執行日は不明。 |
長野・松尾村医師見習強盗致死事件[45] (M) | 1955年12月26日 | 1954年9月5日 | 上告棄却、1人を刺殺。死刑執行日は不明。 |
1956年死刑確定囚(22人)
名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
門司幼児3人殺害事件 (K) | 1956年1月6日[46] | 1952年4月21日[47][48] 1952年5月13日[49][48] 1952年5月19日[49][48] |
1901年(明治34年)4月21日生まれ[50]。1952年4月21日 - 5月19日にかけ、福岡県門司市(現:北九州市門司区)内で幼児3人(5歳男児2人と8歳〈小学校2年生〉女児)[51]を相次いで殺害し[52]、死体を肥つぼに遺棄した[53]。 同事件で殺人罪・死体遺棄罪に問われ[50][54]、刑事裁判で弁護人は責任能力の問題(心神喪失もしくは心神耗弱)を主張したが、第一審の福岡地方裁判所小倉支部で、1955年1月19日に求刑通り死刑判決を言い渡された[54]。その後、同年7月4日に福岡高裁で控訴棄却の判決を受ける[54]。K本人は上告審で、3件とも無実を主張したが[47]、同年12月26日には最高裁第三小法廷(島保裁判長)で上告棄却の判決を受け[55]、1956年1月6日付で死刑が確定[46]。 確定後、死刑執行まで計14回にわたり、約2か月おきに再審請求を繰り返していたが、死刑確定から2年3か月後の1958年4月12日に福岡刑務所[注 4]で死刑執行[58](56歳没)。これを受け、福岡高等裁判所第4刑事部(柳田躬則裁判長)[注 5]は同月22日付で「請求人が死刑を執行されたため、(再審の)請求権[注 6]は消滅した」として、再審請求を棄却する決定[注 7]を出した[注 8][58]。 |
福島県田人村母子強盗殺人事件 (K) | 一審は無期懲役。 | ||
旭川通運宿直員強盗殺人事件 (H) | |||
旭川通運宿直員強盗殺人事件 (K) | |||
福岡事件 (N) | 1956年4月17日 | 1947年5月20日 | 1975年6月17日に死刑執行(60歳没)。 |
福岡事件 (I) | 1956年4月17日 | 1947年5月20日 | 1975年6月17日に個別恩赦で無期懲役に減刑。1989年仮出獄、2008年11月7日に死去(91歳没)。 |
宗像坑木商強盗殺人事件 (O) | |||
京都母親強盗殺人事件 (K) | |||
宮城県利府村一家6人殺傷事件 (S) | |||
熊本市長安寺町女性強盗殺人事件 (T) | |||
延岡タクシー運転手強盗殺人事件 (T) | 控訴取下げ。 | ||
半田伯父ら連続強盗殺人事件 (I) | |||
福岡県八木山峠中学女性事務員強盗殺人事件 (T) | |||
福岡県八木山峠中学女性事務員強盗殺人事件 (Y) | |||
相模原質店強盗殺人事件 (S) | |||
文京区小2女児殺害事件 (S) | |||
茨城恩人強盗殺人事件 (M) | |||
藤井寺旅館母子殺傷事件 (M) | |||
銀座弁護士妻子殺人事件 (B) | 控訴せず確定。 | ||
名古屋守衛夫人強盗殺人放火事件 (K) | 一審は無期懲役。 | ||
帯広一家3人強盗殺傷事件 (S) | |||
大阪市松屋町主人一家4人殺害事件 (M) | 未成年(少年死刑囚)。 |
1957年死刑確定囚(25人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
函館金塊事件 (M) | 1957年1月 | 1954年8月22日 | 二審判決が確定。 |
財田川事件(谷口繁義) | 1957年1月22日 | 1950年2月28日 | 高松地方検察庁で保存されていた捜査資料が破棄され死刑執行手続きが不可能になったうえに、古畑種基による証拠鑑定の杜撰さや被疑者に対する拷問といった問題点が明らかになった為、1984年3月12日に再審無罪となり放免された。 |
大分県野津町叔父夫婦強盗殺傷事件 (Y) | 1957年2月27日 | 1955年8月15日 | 鎌と棍棒で殺害し強奪。犠牲者1人、上告せず確定。 |
兵庫女性強姦殺人事件 (I) | 1957年4月5日 | 1954年12月1日 | 通行人1人を強姦の上刺殺。少年犯罪、一審は無期懲役。上告棄却。 |
保土ヶ谷女性強盗殺人事件 (U) | 1957年4月18日 | 1953年12月31日 | 通行人1人を強姦の上扼殺。上告棄却。 |
我孫子女子中学生殺害事件 (S) | 1957年4月26日 | 1955年9月12日 | 通行人1人を扼殺。控訴取下げ。1959年11月11日に死刑執行[60](28歳没)。 |
八王子マダム福笑い殺人事件 (Y) | 1957年6月27日 | 1955年2月3日 | 1人を縄で絞殺、控訴取下げ。 |
佐賀雇主一家強盗殺傷事件 (W) | 1957年6月27日 | 1952年11月3日 | 知人1人を日本刀で惨殺。 |
和歌山県九重村一軒家母娘強盗殺傷事件 (T) | 1957年7月13日 | 1956年8月2日 | 執行日不明 |
福岡県糸田町幼女殺害事件 (T) | 1957年7月16日 | 1955年3月7日 | 殺人未遂前科(執行猶予中)。1959年12月3日執行 |
三越部長夫人強盗殺人事件 (T) | 1957年7月18日 | 1954年7月1日 | 執行日不明 |
三越部長夫人強盗殺人事件 (Y) | 1957年7月18日 | 1954年7月1日 | 執行日不明。上記共犯。 |
人違いバラバラ殺人事件 (F) | 1957年7月19日 | 1954年9月5日 | 一審は無期懲役、控訴審最終尋問で証人を負傷させたことが問題に。1959年5月27日に死刑執行(40歳没)。 |
神戸生田神社通行人2人強盗殺人事件 (O) | 1957年7月24日 | 1956年6月30日 | 控訴取下げ。 |
藤本事件(藤本松夫) | 1957年8月23日 | 1952年7月6日 | 1962年9月14日に死刑執行(40歳没)。死刑囚がハンセン病患者であったため、当時から捜査と裁判の不正さ、冤罪の可能性が指摘されていたが、国の委託を受けた日弁連法務研究財団[61]は、2005年に調査報告書で、「手続的保障が十分に尽くされ(ていた事件かという)視野に立った場合、藤本事件は、到底、憲法的な要求を満たした裁判であったとはいえないだろう」と指摘した[62]。 |
北海道・千歳質店夫婦強盗殺人事件[63] (Y) | 1957年8月30日 | 1954年11月27日 | 一審は無期懲役、侵入先で夫婦を惨殺し子供1人を負傷させる。犯行時18歳4か月(少年死刑囚)で確定時も21歳。 |
十二銭五厘強盗殺人事件[64] (I) | 1957年9月3日 | 1955年12月9日 | 手提金庫にあった硬貨を掴んだ際に83歳女性にみつかり「口封じ」のために殺害しボストンバッグを持って逃走。硬貨は法的には既に通用しない古銭だった。 |
鹿児島雑貨商夫婦殺害事件 (Y) | 1957年9月12日 | 1955年6月28日 | 1960年8月31日執行 |
栃木建設局員強盗殺人事件 (T) | 1957年9月12日 | 1951年5月20日 | 執行日不明 |
栃木建設局員強盗殺人事件 (I) | 1957年9月12日 | 1951年5月20日 | 執行日不明。上記共犯 |
宮城県利府村ハイヤー運転手強盗殺人事件 (M) | 1957年9月17日 | 1956年3月9日 | 執行日不明 |
福岡県名島老女強盗致死事件 (A) | 1957年10月10日 | 1952年6月25日 | 執行日不明 |
大分県鶴崎町青酸カリ毒殺事件 (K) | 1957年10月18日 | 1947年12月19日 | 別件殺人罪(懲役13年)服役中に発覚。1960年9月14日執行 |
横浜一家6人殺傷事件 (O) | 1957年10月25日 | 1951年6月16日 | 執行日不明 |
梅田事件など(北見・留辺蘂営林署員連続強盗殺人事件) (H) | 1957年11月14日 | 1950年10月10日 1951年6月11日 |
Hは2件の強盗殺人の首謀者であるが、無関係の第三者を2人も巻き込み、そのうちUが無期懲役で服役し後に再審無罪になった冤罪事件でもある。青地晨の「魔の時間」によればHはUを巻き込むことで共犯を守ろうとした可能性を指摘している。1960年6月20日に死刑執行(37歳没)。 |
1958年死刑確定囚(21人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
須坂連続親族毒殺事件 (H) | |||
蒲田・磯子連続強盗殺傷事件 (K) | 共犯のNは1955年8月30日自殺。 | ||
岩見沢女性祈祷師強盗殺人事件 (H) | |||
大宮公園強盗殺人事件 (H) | |||
八王子老女強盗殺人事件 (S) | 控訴取下げ。 | ||
函館金塊殺人事件 (S) | |||
東京高校小使殺害事件 (Y) | |||
葛飾区神社殺人事件 (I) | 上告せず確定。 | ||
穂高一家4人殺害事件 (K) | |||
穂高一家4人殺害事件(死刑受執行業務不存在確認請求) (M) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
八戸通運店員強盗殺人事件 (H) | 一審は無期懲役。 | ||
八戸通運店員強盗殺人事件 (K) | 一審は無期懲役。 | ||
神奈川県牧野村飲食店女性強盗殺人事件 (O) | 一審は無期懲役。 | ||
墨田老女強盗殺人事件 (M) | 控訴取下げ。 | ||
江戸川運転手殺害事件 (M) | 1958年6月13日 | 1956年4月5日 | 江戸川区で運転手を殴り付近のハス田に投げ込み窒息死にし約2500円を奪った[65]。 |
中野質屋夫婦殺傷事件 (T) | 1958年6月13日 | 1955年11月4日 | 遊興費に窮した男が質屋に押し入り、妻をナタで撲殺し夫は重傷。500円と腕時計を奪う[66]。 |
兵庫県戸倉峠強盗殺人事件 (K) | |||
浅草夫婦強盗殺人事件 (O) | |||
小金井少女強姦殺人事件 (K) | 控訴取下げ。求刑は無期懲役。 | ||
牟礼事件(佐藤誠) | 1958年8月5日 | 1950年4月13日 | 実行犯による証言のみ。物的証拠がないため冤罪との指摘がある。再審請求8回。1989年10月27日、くも膜下出血のため死亡(81歳没)。 |
津新町駅長夫人殺害事件 (N) | 一審は無期懲役。 |
1959年死刑確定囚(14人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
北海道連続強盗強姦殺傷事件 (K) | 1959年3月12日 | 1953年9月5日 1958年1月3日 |
控訴せず確定、侵入先一家3人を惨殺。 |
杉並重役夫人殺害事件[67] (H) | 1959年4月16日 | 1957年4月24日 | 一審は無期懲役で上告棄却、侵入先で1人を刺殺。 |
銀座雑貨商殺害事件[68] (S) | 1959年4月16日 | 1955年3月5日 | 上告棄却、侵入先で1人を殺害。 |
長野一家4人殺害事件 (O) | 1959年4月23日 | 1956年12月30日 | |
札幌重役夫人殺害事件 (W) | 1959年4月28日 | 1957年1月30日 | |
横浜母子強盗殺人事件 (A) | 1959年6月9日 | 1957年5月17日 | |
八王子マダム福笑い殺人事件 (O) | 1959年6月16日 | 1955年2月3日 | 犯行当時は未成年者(少年死刑囚)。共犯のYは1957年6月27日に控訴取下げで死刑確定。 |
宇部市兄一家4人殺害事件[69] (S) | 1959年9月18日 | 1957年3月6日 | 上告棄却、同居していた兄嫁と子供3人を惨殺。 |
品川トランク詰殺人事件 (N) | 1959年9月18日 | 1956年6月28日 | 男性に青酸カリ入りの寿司を食べさせて毒殺し、逃亡。共犯の女性Oは懲役15年(求刑無期懲役)。 |
中野友人殺害事件[70] (T) | 1959年9月18日 | 1956年12月1日 | 上告棄却、ネクタイで友人を絞殺。共犯は有期の懲役刑。 |
鹿児島接客婦殺害事件 (K) | 1959年10月22日 | 1957年12月18日 | 控訴取下げ。1960年3月1日に死刑執行。嘱託殺人前科(懲役1年)、殺人前科(懲役20年)。 |
北海道・羽幌強盗放火殺人事件[71] (O) | 1959年12月4日 | 1956年4月4日 | 上告棄却、金に困り侵入先一家3人を惨殺。 |
東京・神奈川・埼玉連続婦女暴行殺傷事件[72] (A) | 1959年12月15日 | 1954年7月4日 1954年10月26日 |
上告棄却。殺人・強姦致死各1件のほか婦女暴行31件の余罪。 |
大分県山香町伯母夫婦ら3人殺害事件 (O) | 1959年12月25日 | 1955年12月15日 - 16日 | 1962年2月21日に死刑執行。 |
1960年 - 1964年
1960年死刑確定囚(36人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
鹿児島2女性井戸投げ込み強盗殺人事件 (M) | 1960年1月6日 | 1958年11月26日 | 上告せず確定。1962年8月10日執行 |
豊中運転手強盗殺人事件 (I) | 1960年2月5日 | 1956年7月12日 1957年2月14日 |
執行日不明 |
霧島山一家4人強盗殺人事件 (Y) | 1960年2月24日 | 1957年1月4日 | 控訴取下げ。執行日不明 |
松島パークホテル殺人事件 (H) | 1960年2月26日 | 1956年8月14日 | 執行日不明 |
高知証券融資会社社長殺害事件 (T) | 1960年3月3日 | 1956年4月2日 | 執行日不明 |
横浜重役夫人殺害事件 (S) | |||
稚内牧場強盗殺人事件 (U) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
秋田県花矢町一家4人強盗殺傷放火事件 (S) | |||
茨城県八郷町土地詐取殺人事件 (H) | |||
盛岡一家3人殺害事件 (K) | |||
江戸川船頭一家4人殺傷事件 (M) | 上告せず確定。 | ||
刈谷母娘強盗殺人事件 (K) | |||
呉雑貨商夫婦強盗殺人事件 (K) | |||
田川小6女児身代金誘拐殺人事件 (K) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
日光中宮祠事件 (P) | 1960年6月10日 | 1946年5月4日 | 強盗放火殺人、犠牲者6人も警察は一家心中と処理し、1955年まで真相が判明せず。1974年6月6日に死刑執行。 |
日光中宮祠事件 (S) | 1960年6月10日 | 1946年5月4日 | 上記共犯。1974年6月6日に死刑執行。 |
京都・大映部長一家4人殺害事件[73] (K) | 1960年6月21日 | 1957年12月6日 | 1962年に死刑執行。 |
別府銀行員強盗殺人事件 (N) | 1960年6月28日 | 1956年9月5日 | 1973年5月11日に死刑執行。 |
宮城自動車販売店外交員殺害事件 (I) | 1960年7月15日 | 1955年11月4日 | 購入したオート三輪の支払いに困り、代金の取立てに来た販売店の外交員を殺害し、手形を奪い死体を近所のりんご畑に埋めた[74]。 |
熊本質屋女性主人殺害事件[73] (I) | 1960年8月4日 | 1958年10月30日 | 1963年2月14日に死刑執行。 |
広島・八本松タクシー強盗殺人事件 (T) | 1960年8月4日 | 1957年1月29日 | 銀行強盗に使おうとタクシー運転手を射殺しタクシーを強奪[75]。また1961年4月3日に拘置所から脱獄し18時間後に拘束される事件も起こした[76]。 |
ブローカー連続殺人事件 (Y) | 1960年8月30日 | 1952年4月10日 1952年7月11日 1954年3月14日 |
殺人前科(無期懲役、講和恩赦で懲役20年に減刑)。1969年11月病死。 |
ブローカー連続殺人事件 (N) | 1960年8月30日 | 1952年4月10日 1952年7月11日 1954年3月14日 |
上記共犯。1970年10月30日に死刑執行。 |
札幌元雇い主夫人強盗殺人事件 (W) | |||
小松元警官による女性殺害事件 (H) | |||
富士宮農協強盗殺人事件 (K) | |||
松山事件(齋藤幸夫) | 1960年11月1日 | 1955年10月18日 | 強盗放火殺人事件であるが、再審で捜査当局によって証拠の捏造と自白の強要が証明され冤罪として無罪になったのは、1984年7月11日であった。 |
富田林姉弟殺害事件 (K) | 控訴取下げ。 | ||
江戸川主婦強盗殺人事件 (K) | |||
伊東老夫婦強盗殺人事件 (T) | |||
水戸クリーニング店一家3人殺害事件 (H) | |||
柏老夫婦強盗殺傷事件 (P) | |||
島田事件(赤堀政夫) | 1960年12月15日 | 1954年3月10日 | 女子児童誘拐殺人事件であるが、自白調書作成と証拠鑑定[注 9]で問題が数多くあったことが再審で判明、1989年1月31日に無罪判決。静岡県警察警部であった「拷問王」紅林麻雄による冤罪犠牲者[注 10]のひとりとされている。 |
熊本饅頭屋夫妻殺人事件 (S) | 1960年12月16日 | 1956年1月12日 | 上告審で被告人側弁護人が「死刑が相当」と「求刑」したのが問題に。1962年12月21日に死刑執行(26歳没)。 |
愛知県吉良町夫婦殺害事件 (H) |
1961年死刑確定囚(18人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
和歌山愛人ら爆殺事件[77] (H) | 1961年2月2日 | 1954年10月15日 | 元愛人ら2人をダイナマイトで殺害。裁判時は62歳。死刑執行日は不明。 |
三鷹タクシー運転手強盗殺人事件 (O) | 1961年2月21日 | 1958年3月26日 | 1967年10月26日執行 |
西宮通り魔殺人事件(広域連続強盗・強姦事件) (K) | 1961年3月2日 | 1957年12月17日 | 執行日不明 |
滝野川左官屋夫婦殺害事件 (N) | 1961年3月24日 | 1958年8月4日 | 執行日不明 |
下関養父母殺害逃亡事件(連続身代わり殺人事件) (0) | 1961年3月30日 | 1955年6月1日 1956年2月7日 1958年1月11日 |
養父母殺害後、身代わりにするため2人も殺害。1965年3月2日に死刑執行。 |
高岡質屋女性主人殺害事件 (I) | 1961年6月6日 | 1960年3月14日 | 質屋の女性主人を殺害し、現金23,000円と時計を強奪[78]。1967年10月22日に死刑執行。 |
葛飾守衛強盗殺人事件 (T) | 1961年6月9日 | 1959年1月1日 | 執行日不明 |
奈良少女強姦殺人事件 (K) | 1961年7月11日 | 1957年11月20日 | 1962年9月15日 |
名古屋老夫婦強盗殺人事件 (I) | 1961年7月19日 | 1956年2月29日 | 一審は懲役15年 |
名古屋老夫婦強盗殺人事件 (I) | 1961年7月19日 | 1956年2月29日 | 一審は無期懲役 |
昭和郷アパート放火事件 (I) | 1961年7月31日 | 1957年10月27日 | 現住建造物等放火罪(死者8名)で死刑。一審は無期懲役。戦後、殺人や致死罪に問われず死刑が確定した唯一の事例。1970年に死刑執行。 |
愛知老女・幼児強盗殺人事件 (K) | 1961年8月10日 | 1960年11月4日 | 控訴取下げ。取下げ無効を訴えるも、1964年9月25日、取下げ有効が最高裁で確定。1967年10月23日に死刑執行。 |
小松川事件(李珍宇) | 1961年8月17日 | 1958年4月20日 1958年8月17日 |
犯行時18歳(少年死刑囚)、犠牲者は女性2人。1962年11月16日に死刑執行(22歳没)。 |
愛知佐久島漁協宿直員強盗殺人事件 (Y) | 1961年8月17日 | 1958年11月16日 | 漁協に押し入り宿直していた者を撲殺。一審は無期懲役[79]。1967年10月25日に死刑執行。 |
相模原精肉店夫婦殺害事件 (M) | 1961年9月8日 | 1958年9月1日 | 執行日不明 |
相模湖町若妻殺害事件 (O) | 1961年9月14日 | 1958年7月28日 | 執行日不明 |
尼崎周旋業夫婦強盗殺人事件 (K) | 1961年10月13日 | 1958年2月23日 | 執行日不明 |
立川宿直員強盗殺人事件 (S) | 1961年10月31日 | 1959年5月11日 | 執行日不明 |
1962年死刑確定囚(14人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
横浜船長父子殺人放火事件 (M) | 1962年2月16日 | 1959年2月8日 | |
釧路ハイヤー運転手強盗殺人事件 (T) | 1962年2月20日 | 1957年11月5日 | 一審は無期懲役。 |
岡山・児島幼姉妹わいせつ殺傷事件 (A) | 1962年3月31日 | 1960年2月19日 | 控訴せず確定。 |
岐阜鉱山主殺害事件 (P) | 1962年4月6日 | 1957年9月16日 | 在日コリアンによる事件。一審は無期懲役。1970年10月23-24日に死刑執行。 |
佐世保雑貨商夫婦強盗殺人事件 (K) | 1962年5月8日 | 1959年4月14日 | 1970年9月19日に死刑執行。 |
長崎奈留島雑貨商殺人事件 (M) | 1962年5月29日 | 1955年9月28日 | 1974年1月24日獄死。 |
小千谷農家強盗殺傷事件(島秋人) | 1962年6月1日 | 1959年4月6日 | 凶悪事件の累犯であったが、農家の妻を殺害。裁判中から死刑囚の感情を読んだ短歌を歌壇に数多く発表、島はその筆名である。本名は中村覚。1967年11月2日に死刑執行(33歳没)。 |
山口同僚強盗殺人事件 (H) | 1962年6月29日 | 1958年10月10日 | |
闇屋連続4人殺害事件 (I) | 1962年7月17日 | 1946年7月17日 1946年12月28日 1947年4月22日 |
生活に困窮した夫婦が闇屋を連続して殺害。事件発覚後逃亡し11年後に逮捕。一審は共に無期懲役だったが、犯行を持ちかけたのは妻であったにもかかわらず夫が逆転死刑。1967年11月16日に死刑執行(68歳没)。 |
広島・加計町強盗殺人事件 (Y) | 1962年10月9日 | 1957年7月12日 | 被害者3人。 |
広島・加計町強盗殺人事件 (O) | 1962年10月9日 | 1957年7月12日 | 上記共犯。 |
北海道・赤平母子殺害事件 (K) | 1962年10月18日 | 1960年1月17日 | |
静岡清水村老婆強盗殺人事件 (T) | 1962年12月11日 | 1960年12月30日 | |
箕面社長一家殺傷事件 (U) | 1962年12月14日 | 1959年3月16日 | 犠牲者1人。 |
1963年死刑確定囚(16人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
バー・メッカ殺人事件(正田昭) | 1963年1月25日 | 1953年7月27日 | 当時のマスコミはアプレゲール犯罪の典型として大きく報道した。共犯2人も有期の懲役刑、なお正田は獄中で小説家として名声を得ていた。1969年12月9日に死刑執行(40歳没)。 |
西宮雇い主一家3人殺害事件 (K) | 1963年2月8日 | 1958年8月7日 | 犯行時19歳(少年死刑囚)。 |
葉山主婦強盗殺人事件 (M) | 1963年3月28日 | 1959年4月21日 | |
中野刑務所看守殺害事件 (S) | 1963年3月28日 | 1961年1月21日 | 共犯(無期懲役)とともに脱獄時に看守を殺害、1967年10月26日に死刑執行。 |
女性連続毒殺魔事件(杉村サダメ) | 1963年3月28日 | 1960年12月(6日・14日・18日・28日) | 女性死刑囚。1970年9月19日に死刑執行[要出典]。 |
北海道豊頃村一家4人殺害事件 (K) | 1963年4月12日 | 1960年8月26日 | 下記共犯Sも死刑。 |
北海道豊頃村一家4人殺害事件 (S) | 1963年4月12日 | 1960年8月26日 | 上記K(死刑)の共犯。 |
神戸重役夫人殺害事件 (Y) | 1963年4月23日 | 1958年12月8日 | |
看護婦強盗殺人・共犯内妻刺殺事件 (H) | 1963年4月30日 | 1960年10月23日 - 24日 | 控訴するも直後に取り下げ。 |
岩槻一家7人殺害事件 (A) | 1963年4月30日 | 1959年7月26日 | 家庭環境に疲れ果てた男が自宅を放火し一家全員を焼死させた。一審は無期懲役であったが控訴審で逆転死刑となり上告も棄却。死刑執行日は不明。 |
熊本警官毒殺・タクシー運転手射殺事件 (T) | 1963年5月10日 | 1961年5月31日 | 顔見知りの警察官に毒入りジュースを飲ませ毒殺し、奪った拳銃でタクシー運転手を射殺。犯行時18歳(少年死刑囚)、1969年11月18日に死刑執行。 |
愛知一宮女性事務員殺害事件 (M) | 1963年5月14日 | 1961年6月30日 | 1969年3月5日に死刑執行? |
松島老堂守殺害事件 (M) | 1963年6月25日 | 1961年4月15日 | |
上尾老夫婦殺害・放火事件 (N) | 1963年6月27日 | 1959年6月23日 | |
東伊豆ダイナマイト殺傷事件 (H) | 1963年9月5日 | 1960年10月9日 | 盗みに入った家で顔を見られたため「口封じ」のためダイナマイトで一家5人を皆殺しにしようとし、主人を殺害[80]。 |
福岡県立築上西高校警備員2人殺害事件 (Y) | 1963年10月1日 | 1960年1月19日 | 共犯は無期、1967年10月21日に死刑執行。 |
1964年死刑確定囚(11人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
目黒母子殺害事件 (I) | 1964年1月7日 | 1963年1月17日 | 控訴取下げ確定。1942年に満州で上官を射殺未遂した罪により、軍法会議で無期懲役の前科あり。1957年に刑を免除されていた。1966年、死刑執行。 |
南千住宿直員父子殺害事件 (M) | 1964年1月8日 | 1960年5月14日 | 上告取下げ。 |
大阪・住吉実母殺害事件 (O) | 1964年2月7日 | 1960年6月8日 | 強盗殺人の従犯で懲役15年(7年で仮出所)の前科あり。1967年11月16日に死刑執行(42歳没)。 |
大和タクシー運転手強盗殺人事件 (K) | 1964年2月18日 | 1954年12月11日 | |
一宮大叔母強盗殺人事件 (N) | 1964年4月2日 | 1961年12月4日 | |
伊那たばこ店老夫婦毒殺事件 (M) | 1964年7月14日 | 1956年4月1日 | |
新潟新聞販売店一家3人殺害事件 (A) | 1964年7月16日 | 1960年4月24日 | かつて勤めていた新潟市の読売新聞販売店[81]に押し入り、店主と養母、女中の3人を殺害したが、たまたま通りかかった消防車のサイレンに驚き逃走。1967年11月13日に死刑執行。 |
新潟新聞販売店一家3人殺害事件 (S) | 1964年7月16日 | 1960年4月24日 | 上記事件の共犯者[82]。1967年11月13日に死刑執行。 |
愛媛城辺老夫婦強盗殺人事件 (H) | 1964年12月8日 | 1960年6月13日 | 1972年獄死。 |
三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (S) | 1964年12月25日 | 1962年6月5日 | 判決訂正を申し立てず、翌年1月5日に死刑確定。 |
三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (M) | 1965年1月29日 | 1962年6月5日 | 上記事件共犯者。翌年1月29日に判決訂正申立棄却、死刑確定。 |
1965年 - 1969年
1965年死刑確定囚(7人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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新宿女性殺害事件 (C) | 1965年1月22日 | 1962年9月14日 | 傷害致死前科(懲役3年・執行猶予5年)。 |
横浜一家3人殺傷事件 (F) | 1965年6月29日 | 1963年4月16日 | 一審は無期懲役。 |
世田谷クリーニング店夫婦殺害事件 (O) | 1965年7月13日 | 1963年6月17日 | 上告せず確定。 |
清水一家4人殺傷事件 (O) | 1965年7月20日 | 1960年2月3日 | |
横須賀廃品回収業者殺害事件 (U) | 1965年9月17日 | 1961年2月13日 | 一審は無期懲役。 |
横浜女児殺害事件 (W) | 1965年12月17日 | 1963年6月16日 | |
釧路甥保険金殺人事件 (A) | 1965年12月21日 | 1959年11月5日 | 殺人未遂前科(懲役3年・執行猶予3年)。 |
1966年死刑確定囚(12人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
釧路雑貨商夫婦殺害事件 (M) | 1966年2月4日 | 1963年11月6日 | 上告棄却。犯行時19歳(少年死刑囚)で、パチンコ代欲しさに民家を物色中、被害者が寝返りを打ったことに驚き夫婦2人を手斧で殺害[83]。一審は無期懲役。1967年に死刑執行。 |
横浜韓国人夫婦殺害事件 (C) | 1966年3月13日 | 1964年8月5日 | 控訴せず確定、定住外国人死刑囚としては昭和時代最後の事例。1969年に死刑執行。 |
四国連続強盗殺人事件 (M) | 1966年3月31日 | 1964年10月2日 - 20日 | 6人殺害。軍隊時代に脱走する際看守を殺害しようとしたとして軍法会議で無期懲役になった前科あり。1970年10月29日に死刑執行。 |
座間市女性殺害事件 (K) | 1966年4月8日 | 1963年6月22日 | 上告棄却。帰宅途中の女性を家まで送ってやると声をかけライトバンの助手席に乗せたが、草地に連れ込み乱暴した上で殺害し遺体を埋め、腕時計を奪った[84]。1969年3月14日に死刑執行[85]。 |
小倉強盗殺人放火事件 (H) | 1966年5月31日 | 1963年2月22日 | 上告棄却[86]。 |
旭川連続短銃殺傷事件 (C) | 1966年5月31日 | 1964年6月15日 1964年6月17日 1964年6月18日 |
上告棄却[87]。 |
熊谷夫毒殺事件・ホテル日本閣殺人事件(小林カウ) | 1966年7月14日 | 1952年10月2日 1960年2月8日 1960年12月31日 |
ホテル経営者夫妻を相次いで殺害。 戦後2番目の女性死刑確定囚。1952年にも前夫を毒殺していたことが発覚。女性死刑囚としては戦後初の死刑執行[要出典]。1970年6月11日に東京拘置所で死刑執行[88](61歳没)。 |
ホテル日本閣殺人事件 (O) | 1966年7月14日 | 1960年2月8日 1960年12月31日 |
上記共犯。1970年6月11日に小林とともに東京拘置所で死刑執行[88]。 |
西口彰事件(西口彰) | 1966年8月15日 | 1963年10月18日 1963年11月19日 1963年12月29日 |
元同僚ら5人を殺害。上告取下げ。1970年12月11日に死刑執行(44歳没)。 |
日南刑務所仲間両親強盗殺人事件 (N) | 1966年8月26日 | 1965年9月29日 | 控訴せず確定。重過失致死前科、傷害致死前科。1969年12月19日に死刑執行。 |
厚木建築業者一家4人殺害事件 (H) | 1966年12月1日 | 1964年10月25日[89][90][91] | 1944年(昭和19年)10月3日生まれ[92](事件当時20歳)。神奈川県厚木市厚木444番地[注 11]で[90]、大工見習いとして働いていたが、普段から厳しく叱責してくる雇主夫婦を恨み、「雇主一家を皆殺しにして恨みを晴らすと同時に、金品を奪おう」と決意[94]。1964年(昭和39年)10月25日、雇主(当時34歳)と妻(同33歳)、長男(9歳)・長女(7歳)の一家4人を玄能や薪割りなどで撲殺し、金品を奪った[95]。 1965年(昭和40年)6月28日に横浜地裁第4刑事部で死刑判決を[92]、1966年(昭和41年)5月24日に東京高裁第6刑事部に控訴棄却判決を受けた[96]。同年12月1日に最高裁第一小法廷(岩田誠裁判長)で[91]上告棄却の判決を受け[97]、死刑が確定。 1969年に死刑執行[98]。『刑事裁判資料』第189号[99]および、同資料を引用した永山事件の上告趣意書 (1983) では少年死刑囚(事件当時18歳)とされている[100]が、これは誤り。両資料とも、事件発生日が「1962年(昭和37年)10月25日」と誤記されている[注 12][99][100]。 |
九州3女性殺害事件(S) | 1966年12月8日 | 1952年9月10日 1962年1月23日 1962年3月26日 |
上告棄却。1952年9月10日に唐津市にあった炭鉱で女性を殺害。1962年1月と3月にも女性を殺害。他にも婦女暴行や詐欺罪など4件で起訴されていた[102]。翌年1月12日に判決訂正申立棄却で確定。殺人前科(懲役8年)。1970年6月20日に死刑執行。 |
1967年死刑確定囚(13人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
東京・中野靴職人殺害事件 (O) | 1967年3月24日 | 1958年2月17日 | |
福神丸殺人事件 (K) | 1967年3月16日 | 1965年3月23日 - 24日 | 上告棄却。九州近海の漁船「福神丸」で発生。義母が死亡したため漁船員が帰港を申し出て船長も受諾。しかし途中で嵐に遭い、口永良部島に寄港。その時船長と早く出港するように申し出たところ喧嘩になり船長を傷害致死。さらに止めに入った同僚2人を刺した。同僚は船室に逃げ込んだため、2人を閉じ込めて水没させ、海難事故に見せかけて殺害した[103]。1970年10月29日に死刑執行。 |
品川バーマダム強盗殺人事件 (K) | 1967年4月7日 | 1965年9月17日 | 上告棄却。出所したばかりの男が自分が住むアパート内の部屋を物色中にその部屋で寝ていたバーの雇われマダムを刺殺し2000円を奪った。ほかにも窃盗事件8件の余罪あり[104]。 |
日南刑務所仲間両親強盗殺人事件 (U) | 1967年4月11日 | 1965年9月29日 | 控訴取下げ。1969年12月19日に死刑執行。 |
雅樹ちゃん誘拐殺人事件 (M) | 1967年5月25日 | 1960年5月16日 - 18日 | 小学校2年生の男児(当時7歳・慶應義塾幼稚舎2年生)を身代金目的で誘拐し、2日後に殺害して逃亡。前職は歯科医師。1970年10月29日に東京拘置所で死刑執行[注 13][88]。 |
大阪・西成幼女殺害事件 (K) | 1967年5月25日 | 1960年2月13日 | |
盛岡・強盗殺人放火事件 (Y) | 1967年7月14日 | 1965年1月14日 | 一審は無期懲役。 |
船橋・夫婦強盗殺害事件 (O) | 1967年7月25日 | 1964年2月27日 | 被害者2人に対し強盗団3人とも死刑。 |
船橋・夫婦強盗殺害事件 (K) | 1967年7月25日 | 1964年2月27日 | 上記共犯者。 |
船橋・夫婦強盗殺害事件 (T) | 1967年7月25日 | 1964年2月27日 | 上記共犯者。 |
静岡・中学生強姦殺害事件 (M) | 1967年9月22日 | 1965年10月14日 - 15日 | 上告棄却。妻の経営するバーの前を通り過ぎていた14歳少女を連れ込み手足を縛り暴行。翌朝絞殺し床下に隠していた。一審は無期判決だった[105]。 |
八王子金融業者夫婦殺害事件 (Y) | 1967年9月29日 | 1963年7月5日 | |
吉展ちゃん誘拐殺人事件(小原保) | 1967年10月13日 | 1963年3月31日 | 見ず知らずの幼児を誘拐後、殺害。自供したのは2年後のことだった。1971年12月23日に死刑執行(38歳没)。 |
1968年死刑確定囚(11人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
札幌建設会社社長強盗殺人事件 (Y) | 1968年4月5日 | 1966年9月8日 | 上告せず確定。警察の名を騙って被害者を呼び出した上で殺害、小切手帳などを奪い死体を原野に埋めたもの[106]。共犯者は無期懲役。 |
下松ホステス路上強盗殺人事件 (S) | 1968年4月12日 | 1963年7月12日 - 22日 | |
国分寺主婦強盗殺人事件 (H) | 1968年4月26日 | 1966年5月21日 | 上告棄却。会社員宅に押し入り同家の妻を刺殺し現金2020円とネックレスなどを奪った[107]。1971年11月9日に死刑執行。 |
岡崎採石場経営者兄弟殺害事件 (N) | 1968年5月2日 | 1964年10月7日 | 1973年に死刑執行。 |
岩手薪炭業者夫婦殺害事件 (Y) | 1968年5月2日 | 1964年12月18日 | 上告棄却。12月15日に薪炭業者に手持ちがないのに木炭を買い取って欲しいと嘘を言って15万円を騙し取った。さらに警察に通報されることを恐れ薪炭業者夫婦を猟銃で殺害し4万6500円を奪った[108]。 |
静岡母娘強盗殺傷事件 (N) | 1968年5月2日 | 1966年4月20日 | 執行日不明 |
名古屋埠頭タクシー運転手強盗殺人事件 (I) | 1968年5月10日 | 1967年4月17日 | 控訴取下げ。1971年11月18日に死刑執行。 |
仙台幼児誘拐殺人事件 (K) | 1968年7月2日 | 1964年12月21日 | 一審は無期懲役。1974年7月5日に死刑執行。元映画俳優。 |
葛飾路上税理士強盗殺人事件 (N) | 1968年7月16日 | 1966年10月2日 | 殺人前科(懲役10年)。 |
高山友人強盗殺人事件 (D) | 1968年12月13日 | 1961年8月12日 | 1972年2月2日に死刑執行。 |
名古屋埠頭タクシー運転手強盗殺人事件 (K) | 1968年12月24日 | 1967年4月17日 | 控訴取下げ。1971年11月18日に死刑執行。 |
1969年死刑確定囚(13人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
熊本雑貨商一家3人強殺事件 (K) | 1969年3月25日 | 1958年2月18日 | 共犯は無期懲役、1975年7月11日に死刑執行。 |
秋田元同僚強盗殺人事件 (S) | 1969年4月25日 | 1966年2月21日 | |
田無・春日部連続強盗殺人事件 (N) | 1969年6月28日 | 1966年9月 | 控訴取下げ、1973年10月12日に死刑執行。 |
兵庫衣料品店夫妻強殺事件 (K) | 1969年7月11日 | 1968年5月24日 | |
鶴見上司バラバラ殺人事件 (N) | 1969年8月22日 | 1966年12月17日 | |
門真一家3人殺害事件 (M) | 1969年10月21日 | 1968年8月7日 | 元同棲相手の家族を殺害。 |
少年ライフル魔事件 (K) | 1969年10月2日 | 1965年7月29日 | 神奈川県で警官を殺傷した後、渋谷の銃砲店に籠城。犯行時18歳(少年死刑囚)。高裁の死刑判決を受けて211ページにわたる上告趣意書を提出、殺意が無かった旨を主張したが、1969年10月2日に上告棄却[109]。1972年7月21日に死刑執行(25歳没)。 |
東京切り裂きジャック事件 (T) | 1969年11月14日 | 1967年 - 1968年 | 被害者2人、殺人前科あり、1972年8月に死刑執行。 |
宇都宮保険金殺人事件 (O) | 1969年11月6日 | 1967年4月19日 | |
八戸農婦強姦殺人事件 (I) | 1969年12月5日 | 1966年4月14日 | |
長崎質店夫婦強盗殺人事件 (Y) | 1969年12月12日 | 1966年12月23日 | 1975年10月3日に死刑執行。 |
昭島老女強盗殺人事件 (S) | 1969年12月16日 | 1965年2月19日 | 東京都昭島市で71歳女性を絞殺して1万円を奪った強盗殺人の容疑で逮捕。1965年4月から八王子拘置支所へ入所したが、同年9月23日、「世間の空気を1日でも良いから吸いたい」として他の収容者2人とともに脱走。2時間余り後に再逮捕された[110]。 |
福岡現金輸送車職員毒殺事件 (T) | 1969年12月23日 | 1964年12月15日 | 家庭不和解決のため金銭を奪うことを計画したTは、福岡県筑後市にて知り合いの市役所職員ら3人がボーナス資金を運搬していた乗用車に乗り込み青酸カリ入りの栄養剤を言葉巧みに飲ませた。一人は吐き出して助かったが二人はそのまま死亡。Tは現金奪取を行わないまま逃走後、逮捕された。 1967年12月福岡地裁久留米支部で死刑判決、1968年5月福岡高裁が控訴棄却、1969年12月23日最高裁が上告を棄却して死刑が確定[111]。 死刑執行当日の1975年10月3日朝、左手首を剃刀で切り付け自殺。死刑執行日の自殺は極めて稀である。以来、死刑囚に対し死刑執行の事前通告を一切しなくなったとされる。また当日は福岡2人連続殺傷事件のK死刑囚も死刑が執行されるはずであったが、Tの自殺のため延期され、Kは2日後の1975年10月5日に死刑を執行された。 |
脚注
注釈
- ^ 未遂に終わったとしても法定刑は死刑しか規定されていない刑罰。戦後廃止された。
- ^ あくまでも構想のみであり、実際に犯行計画を進めていないため、日本では罰則規定が現在もない共謀罪であった。
- ^ 大逆罪廃止による。
- ^ 福岡刑務所では1948年11月11日に刑場が完成し、同日から死刑囚の収容・執行を行っていた[56]が、同刑務所は1965年(昭和40年)4月16日に福岡市外へ新築・移転したため、以降は同拘置所跡地に移転した土手町拘置支所特別舎(現:福岡拘置所)にて死刑囚の収容・執行を行っている[57]。
- ^ 陪席裁判官は青木亮忠・尾崎力男[59]。
- ^ 刑事訴訟法第439条第1項:「再審の請求は、左の者がこれをすることができる。(中略)4. 有罪の言渡を受けた者が死亡し、又は心神喪失の状態に在る場合には、その配偶者、直系の親族及び兄弟姉妹」
- ^ 決定全文は以下の通り。
主文
本件の再審請求を棄却する。
理由
記録に編綴されている当庁、三浦書記官補作成の電話聴取書によれば、再審請求人は昭和三十三年四月十二日、すでに死刑の執行がなされたことが明らかである。
従って、本件請求権は消滅したものと認め主文の通り決定する。
昭和三十三年四月二十二日
福岡高等裁判所刑事第四部
裁判長 裁判官 柳田躬則
裁判官 青木亮忠
裁判官 尾崎力男 — 『実録・福岡の犯罪〈下〉』 (1993) [58] - ^ またKについては、同年4月25日・5月8日に福岡地裁小倉支部が、それぞれ別の再審請求(いずれも死刑囚本人が生前に提出)を棄却する決定を出している[59]。
- ^ 東京大学教授の古畑種基による被害者の殺害方法についての鑑定が、再審時の鑑定とまったく一致しないばかりか、目撃証言と元死刑囚の体格が一致していなかったことが判明。
- ^ 拷問と虚偽の捏造した証拠によって自白調書を作成する捜査手法をとることで静岡県警で「捜査の神様」といわれた紅林の関わった冤罪事件は幸浦事件、二俣事件、小島事件など多数あるが、死刑判決が確定したのは島田事件が唯一だった。最高裁でも見向けなかったのは古畑の誤鑑定の評価ミスだった。もっとも現在では証拠能力を否定する刑事訴訟法の法理である違法収集証拠排除法則が確立しているため、真実の自白や証拠であったとしても証拠能力が否定され刑事裁判の維持が不可能になる。
- ^ 現:厚木市寿町三丁目1番地3号[93]。
- ^ 永田憲史 (2010) は、この死刑囚Hについて資料中における事件発生日の誤記や、犯行当時の新聞報道で成年として報じられていることから、Hを少年死刑囚の一覧(「最高裁において第二次世界大戦終戦後に犯行当時少年の被告人に対して確定した死刑判決一覧」)から除外している[101]。
- ^ 名古屋矯正管区長の高橋良雄は、1970年(昭和45年)11月13日に愛知県蒲郡市にて開催された中部矯正医学会における講演の中で、「雅樹ちゃん殺しの歯科医Mは、先月(1970年10月)29日に東京拘置所で死刑を執行された。今日はMが死亡してからちょうど15日になる。Mは処刑の前夜に自分宛ての別れの手紙を書いていたが、その文面を見る限りは、かつてMが拘禁反応を起こしていたとは思えない」と述べている[88]。
出典
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- ^ a b 『朝日新聞』1964年10月27日東京朝刊第12版第一社会面15頁「厚木 一家四人を惨殺 姿消した同居人探す」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b 『毎日新聞』1966年12月1日東京夕刊第4版首都圏第2面10頁「厚木の四人殺し Hの刑確定」(毎日新聞東京本社)
- ^ a b 刑事裁判資料 1970, p. 1.
- ^ “昭和40年7月1日施行 (昭和40年7月1日調整) 住居表示新旧対照表 寿町一丁目 寿町二丁目 松枝一丁目 松枝二丁目 元町 寿町三丁目 中町一丁目 中町二丁目 中町三丁目 水引一丁目 水引二丁目 栄町一丁目 栄町二丁目” (PDF). 厚木市. p. 43 (1965年7月1日). 2021年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月13日閲覧。
- ^ 刑事裁判資料 1970, pp. 2–4.
- ^ 刑事裁判資料 1970, pp. 4–5.
- ^ 刑事裁判資料 1970, p. 7.
- ^ 刑事裁判資料 1970, p. 10.
- ^ 村野薫 1990, p. 242.
- ^ a b 刑事裁判資料 1970, 事件一覧表1頁.
- ^ a b 最高裁 1983, p. 683.
- ^ 永田憲史 2010, pp. 237–238, 資料二 最高裁において第二次世界大戦終戦後に犯行当時少年の被告人に対して確定した死刑判決一覧.
- ^ 『朝日新聞』1966年12月8日夕刊
- ^ 朝日新聞1967年3月16日夕刊
- ^ 朝日新聞1967年4月7日夕刊
- ^ 朝日新聞1967年9月22日夕刊
- ^ 朝日新聞1967年8月25日夕刊、3版、9面
- ^ 朝日新聞1968年4月26日夕刊
- ^ 朝日新聞1968年5月2日夕刊
- ^ 「ライフル少年の死刑確定 理由なし 最高裁が上告棄却」昭和44年(1974年)10月2日夕刊、3版、11面
- ^ 『日本経済新聞』1965年9月24日夕刊7面「拘置所から三人脱走 八王子」
- ^ 毒殺犯人の死刑確定 ボーナス強奪事件『朝日新聞』昭和44年(1969年)12月23日夕刊、3版、11面
参考文献
死刑・事件全般の文献
- 森長英三郎『史談裁判』 第3巻(新編)、日本評論社〈日評選書〉、1984年(原著1966年)。ISBN 978-4535011359。
- 高橋良雄(著)、名古屋矯正管区 編集部(編)「極限の心境」『中部矯正』第3巻第2号、名古屋矯正管区、1971年4月1日、10-31頁。 - 矯正図書館(東京都中野区新井)に蔵書あり。1970年(昭和45年)11月13日に愛知県蒲郡市にて開催された中部矯正医学会で、名古屋矯正管区長の高橋が行った講演の要旨。
- (編著者)村野薫『日本の死刑』(第1版第1刷発行)柘植書房、1990年11月25日。ISBN 978-4806802983。 NCID BN05675848。国立国会図書館書誌ID:000002143452。
- 弓削信夫・中島義博・笠井邦充 著「門司の幼児3人殺し <昭和二十七年・門司市>」、フクオカ犯罪史研究会 編『実録・福岡の犯罪〈下〉』(初版第一刷)葦書房、1993年3月15日、7-17頁。ISBN 978-4751204818。 NCID 4751204815識別子"4751204815"は正しくありません。。国立国会図書館書誌ID:000002260431。 - 『福岡犯罪50年史 戦後編』(夕刊フクニチ新聞社、1976年3月1日第1刷、doi:10.11501/10262013)に、新たに1976年(昭和51年)以降の重要事件を増補した書籍。
- 村野薫『増補・改訂版 戦後死刑囚列伝』宝島社 2002年
- 『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』東京法経学院出版、2002年
- 佐久間哲『死刑に処す-現代死刑囚ファイル-』自由国民社、2005年
- 永田憲史『死刑選択基準の研究』(第2刷)関西大学出版部、 日本:大阪府吹田市、2012年6月15日(原著2010年9月30日:第1刷発行)。ISBN 978-4873544991。 NCID BB03488346。国立国会図書館書誌ID:000011019880 。
- 「死刑事件判決集(昭和41 - 43年度)」『刑事裁判資料』第189号、最高裁判所事務総局、1970年1月。 - 朝日大学図書館分室、富山大学附属図書館に所蔵。
- 「検察官の上告趣意:別表 犯時少年の事件に対し死刑の判決が確定した事例」『最高裁判所刑事判例集』第37巻第6号、最高裁判所判例調査会、1983年、659-689頁。 - 永山以前に戦後、死刑が確定した少年事件(少年死刑囚)の一覧表(事件および裁判の概要・被告人の年齢など)が掲載されている。
- 「昭和30年(あ)第2384号 判決 本籍:福岡県嘉穂郡宮野村字桑野287番地 住居:門司市白木崎涼町三丁目100番地、現在 福岡刑務所在所 日雇人夫 K・T 明治34年4月21日生」『最高裁判所裁判集 刑事』第111号、最高裁判所、1955年、1179-1186頁、doi:10.11501/1349117、国立国会図書館書誌ID:000001203693。
- 門司幼児3人殺害事件(1956年1月6日に死刑確定/上記『実録・福岡の犯罪〈下〉』を参照)の死刑囚K(1958年4月12日に死刑執行)への上告審判決を収録。1179 - 1180頁は判決本文、1181 - 1183頁は被告人本人の上告趣意書、1185 - 1186頁は弁護人(戸倉嘉市)の上告趣意書である。
- 裁判所ウェブサイト:最高裁判所第三小法廷判決 1955年(昭和30年)12月26日 集刑 第111号1179頁、昭和30年(あ)第2384号、『殺人、死体遺棄』。
- 最高裁判所裁判官:島保(裁判長)・河村又介・小林俊三・本村善太郎・垂水克己