コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ダニエル・バード」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m bot: 解消済み仮リンクジョン・アンドレオリを内部リンクに置き換えます
Cewbot (会話 | 投稿記録)
51行目: 51行目:
{{by|2008年}}はA級グリーンビルとAA級[[ポートランド・シードッグス]]で中継ぎとして投げ、77イニングを投げ、防御率1.51・107奪三振の成績を残し、近年は[[ジョン・レスター (左投手)|ジョン・レスター]]や[[クレイ・バックホルツ]]が選出されていたマイナーリーグのピッチャー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
{{by|2008年}}はA級グリーンビルとAA級[[ポートランド・シードッグス]]で中継ぎとして投げ、77イニングを投げ、防御率1.51・107奪三振の成績を残し、近年は[[ジョン・レスター (左投手)|ジョン・レスター]]や[[クレイ・バックホルツ]]が選出されていたマイナーリーグのピッチャー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。


{{by|2009年}}はAAA級[[ポータケット・レッドソックス]]でシーズンをスタートし、16イニングで打者58人に対し29奪三振。6安打され、うち2本が本塁打であった。5月10日に[[ハビアー・ロペス]]のマイナー降格に伴ってメジャー昇格し、13日の[[ロサンゼルス・エンゼルス (MLB)|ロサンゼルス・エンゼルス]]戦でメジャーデビューを果たした。5月20日の[[トロント・ブルージェイズ]]戦で[[フェンウェイ・パーク]]で初登板したが、3安打を打たれ失点した。6月12日の[[フィラデルフィア・フィリーズ]]戦で延長13回に登板しメジャー初セーブを記録した。8月26日の[[シカゴ・ホワイトソックス]]戦で[[デビッド・オルティーズ]]のサヨナラ本塁打でメジャー初勝利を記録した。
{{by|2009年}}はAAA級[[ポータケット・レッドソックス]]でシーズンをスタートし、16イニングで打者58人に対し29奪三振。6安打され、うち2本が本塁打であった。5月10日に[[ハビアー・ロペス]]のマイナー降格に伴ってメジャー昇格し、13日の[[ロサンゼルス・エンゼルス]]戦でメジャーデビューを果たした。5月20日の[[トロント・ブルージェイズ]]戦で[[フェンウェイ・パーク]]で初登板したが、3安打を打たれ失点した。6月12日の[[フィラデルフィア・フィリーズ]]戦で延長13回に登板しメジャー初セーブを記録した。8月26日の[[シカゴ・ホワイトソックス]]戦で[[デビッド・オルティーズ]]のサヨナラ本塁打でメジャー初勝利を記録した。


{{by|2010年}}は[[ジョナサン・パペルボン]]に繋ぐ[[リリーフ|セットアップマン]]として定着し、73試合の登板で防御率は1.93だった。32[[ホールド]]はリーグ最多だった。
{{by|2010年}}は[[ジョナサン・パペルボン]]に繋ぐ[[リリーフ|セットアップマン]]として定着し、73試合の登板で防御率は1.93だった。32[[ホールド]]はリーグ最多だった。

2021年9月11日 (土) 23:32時点における版

ダニエル・バード
Daniel Bard
コロラド・ロッキーズ #52
コロラド・ロッキーズ時代
(2021年6月23日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ヒューストン
生年月日 (1985-06-25) 1985年6月25日(39歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 MLBドラフト1巡目
初出場 2009年5月13日
年俸 $1,862,500(2013年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ダニエル・ポール・バードDaniel Paul Bard, 1985年6月25日 - )はアメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身のプロ野球選手投手)。右投右打。MLBコロラド・ロッキーズ所属。

経歴

プロ入り前

1985年5月15日テキサス州ヒューストンで生まれ、5歳で野球を始める。少年時代は遊撃手を守っていた。高校では、野球をするために転校して新しいチームでは投手として好記録を残し、打者としても3割を打ち5本塁打。翌年には4割を打って10本塁打を打った。2003年MLBドラフト20巡目(全体604位)でニューヨーク・ヤンキースから指名を受けたが、学業に励みたいという自身の意思から、地元ノースカロライナ州ノースカロライナ大学チャペルヒル校に進学。2004年ベースボール・アメリカでアメリカの最も優れた新人であると評された。このシーズン16試合に登板し8勝4敗・防御率3.88を記録した。新人の8勝はノースカロライナ大学チャペルヒル校の新記録であった。

2005年は7勝5敗、防御率4.22、2006年も9勝4敗・防御率3.64を記録し、チームメイトのアンドリュー・ミラーと共にドラフト候補に挙がった。

プロ入りとレッドソックス時代

ボストン・レッドソックス時代
(2012年5月29日)

2006年のMLBドラフト1巡目(全体28位)でボストン・レッドソックスから指名され、プロ入り。

2007年は傘下のA級グリーンビル・ドライブとA+級ランカスター・ジェットホークスで先発投手として75イニングを投げ、防御率7.05・78四球の成績を残した。この成績から中継ぎに移された。シーズン終了後レベル的にAAA級のハワイ・ウィンターリーグで16試合に投げて防御率1.08と好投し、制球問題に関しても大幅に改善した。

2008年はA級グリーンビルとAA級ポートランド・シードッグスで中継ぎとして投げ、77イニングを投げ、防御率1.51・107奪三振の成績を残し、近年はジョン・レスタークレイ・バックホルツが選出されていたマイナーリーグのピッチャー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

2009年はAAA級ポータケット・レッドソックスでシーズンをスタートし、16イニングで打者58人に対し29奪三振。6安打され、うち2本が本塁打であった。5月10日にハビアー・ロペスのマイナー降格に伴ってメジャー昇格し、13日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャーデビューを果たした。5月20日のトロント・ブルージェイズ戦でフェンウェイ・パークで初登板したが、3安打を打たれ失点した。6月12日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で延長13回に登板しメジャー初セーブを記録した。8月26日のシカゴ・ホワイトソックス戦でデビッド・オルティーズのサヨナラ本塁打でメジャー初勝利を記録した。

2010年ジョナサン・パペルボンに繋ぐセットアップマンとして定着し、73試合の登板で防御率は1.93だった。32ホールドはリーグ最多だった。

2011年は5月27日から7月31日にかけて、25登板連続無失点の球団新記録を樹立。しかし、9月以降に0勝4敗・防御率10.64と不振に陥り、レッドソックスは歴史的失速によってプレーオフ進出を逃した[2]

2012年は自ら志願して先発に転向したが、深刻な制球難に陥り、6月5日には3シーズンぶりにマイナー降格の屈辱を味わった。降格後はリリーフに戻ったが、乱れた制球は改善されず、AAA級ポータケットで防御率7点台と苦しんだ。8月30日に再昇格したが、最後まで調子を取り戻すことはなかった。

2013年9月1日にDFAとなった[3]

レッドソックス退団後

2013年9月4日にウェイバー公示を経てシカゴ・カブスへ移籍したが、12月2日にFAとなった。

2014年1月31日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び[4]、2月3日に球団が発表した[5]。この年は傘下のA級ヒッコリー・クロウダッズで4試合に登板したが、防御率175.50と大炎上した。

2015年1月18日にカブスとマイナー契約を結ぶが、登板なしに終わった。オフに自由契約となった。

2016年1月14日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶが、5月13日に自由契約となった。その後、6月22日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結んだ。

2017年もカージナルス傘下に在籍し、開幕からAA級スプリングフィールド・カージナルスでプレーしていたが、5月15日に自由契約となった[3]。その後、6月11日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、傘下のA+級セントルーシー・メッツへ配属された[6]

2018年1月4日に現役引退を表明した。

引退後

2018年2月1日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスのメンタルトレーニング部門のスタッフに就任した[7]

現役復帰

2020年2月21日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結び、現役復帰した。7月17日にメジャー契約を結んで40人枠入りした[8]。7月25日のレンジャーズ戦、1点をリードした5回途中から先発のジョン・グレイの後を受けて2番手で登板した。これがレッドソックスに在籍していた2013年4月27日のヒューストン・アストロズ戦以来、7年、2646日ぶりのメジャーのマウンドとなった。最速99mph(約159km/h)の速球を軸に、2安打を許したものの、1回1/3を無失点に封じてチームはそのまま勝利して白星を挙げた。メジャーでの勝利となると、2012年5月29日のデトロイト・タイガース戦まで遡ることになり、2979日ぶりの白星だった[9]

投球スタイル

6' 4"(約193cm)の長身を活かしたサイドスローから投げ込む速球を武器とし、毎年投球回数に迫るほどの奪三振を残す。最速101mph(約162.5km/h)を計時し、平均98mph(約157.7km/h)を超えるフォーシームのほかスライダーカーブ、たまにチェンジアップフォークを組み合わせ投げる。

家族

5歳年下の弟のルーク・バードもプロ野球選手(投手)である[10]。2012年のMLBドラフト1巡目追補(全体42位)でミネソタ・ツインズから指名されてプロ入り後、2018年にエンゼルスでメジャーデビューを果たしている。

また、従兄弟にも同じくプロ野球選手(外野手)のジョン・アンドレオリがいる。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2009 BOS 49 0 0 0 0 2 2 1 13 .500 212 49.1 41 5 22 3 3 63 1 1 24 20 3.65 1.28
2010 73 0 0 0 0 1 2 3 32 .333 295 74.2 45 6 30 3 2 76 2 0 18 16 1.93 1.00
2011 70 0 0 0 0 2 9 1 34 .182 288 73.0 46 5 24 3 2 74 2 1 29 27 3.33 0.96
2012 17 10 0 0 0 5 6 0 0 .455 277 59.1 60 1 43 1 8 38 1 2 42 41 6.22 1.74
2013 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 6 1.0 1 0 2 0 0 1 0 0 1 1 9.00 3.00
2020 COL 23 0 0 0 0 4 2 6 2 .667 106 24.2 22 2 10 2 3 27 1 0 10 10 3.65 1.30
MLB:6年 234 10 0 0 0 14 21 11 81 .400 1184 282.0 215 27 131 12 18 279 7 4 124 115 3.67 1.23
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

背番号

  • 60(2009年)
  • 51(2010年 - 2013年)
  • 52(2020年 - )

脚注

  1. ^ Daniel Bard Contracts, Salaries, Cap Hits, & Transactions” (英語). Spotrac.com. 2014年1月13日閲覧。
  2. ^ Boston Red Sox ugly September shows by the numbers
  3. ^ a b MLB公式プロフィール参照。2017年6月13日閲覧。
  4. ^ T.R. Sullivan (January 31, 2014). “Rangers sign Bard to Minor League deal”. MLB.com. February 1, 2014閲覧。
  5. ^ Rangers sign RHP Daniel Bard to minor league contract with invitation to major league spring training”. MLB.com Rangers Press Release (February 3, 2014). February 4, 2014閲覧。
  6. ^ Anthony DiComo (2017年6月12日). “Mets ink Bard to Minors pact as 'pen option”. MLB.com. 2017年6月13日閲覧。
  7. ^ Christopher Smith (2018年2月2日). “Daniel Bard, ex-Boston Red Sox RHP, joins Diamondbacks as player mentor; Jonny Gomes to be rookie ball hitting coach” (英語). masslive.com. 2018年8月17日閲覧。
  8. ^ Thomas Harding (2020年7月17日). “5 takeaways from Rockies' roster moves” (英語). MLB.com. 2020年7月21日閲覧。
  9. ^ 一度はイップスで引退も… ロ軍右腕が2646日ぶりメジャー登板で2979日ぶり白星”. Full-count (2020年7月26日). 2020年7月30日閲覧。
  10. ^ Ken Sugiura (2012年6月5日). “Georgia Tech's Bard selected 42nd overall” (英語). ajc.com. 2018年8月17日閲覧。

関連項目

外部リンク