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学生時代、就職試験で[[TBSテレビ|TBS]]も受験したが、落ちたことを明かしている<ref>『言葉のチカラ』、45頁。</ref>。
学生時代、就職試験で[[TBSテレビ|TBS]]も受験したが、落ちたことを明かしている<ref>『言葉のチカラ』、45頁。</ref>。


2017年7月末、NHKを退職しフリーに<ref>[https://mantan-web.jp/article/20171007dog00m200023000c.html <元NHK三宅民夫アナ>地元・名古屋で民放初仕事に「ドキドキ」]-[[まんたんブロード|MANTANWEB]](2017年10月7日)</ref>。
2017年7月末、NHKを退職しフリーに<ref>[https://mantan-web.jp/article/20171007dog00m200023000c.html <元NHK三宅民夫アナ>地元・名古屋で民放初仕事に「ドキドキ」]-[[MANTANWEB]](2017年10月7日)</ref>。


== 現在の出演番組 ==
== 現在の出演番組 ==

2021年10月15日 (金) 08:58時点における版

みやけ たみお
三宅 民夫
プロフィール
出身地 日本の旗 日本愛知県名古屋市
生年月日 (1952-07-13) 1952年7月13日(71歳)
最終学歴 早稲田大学政治経済学部卒業
職歴NHKアナウンサー(盛岡京都東京アナウンス室
活動期間 1975年 -
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 本文参照

三宅 民夫(みやけ たみお、1952年7月13日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー(理事待遇)で、現在フリーアナウンサー

人物

東海高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業後、1975年NHK入局。盛岡での新人時代にアメリカボストンに語学留学した経験を持つ。1981年1985年京都放送局勤務を経て、1985年東京アナウンス室に異動。東京に移ってからは報道からバラエティまで多彩なジャンルの番組を担当している。

1990年チーフアナウンサー、2000年エグゼクティブアナウンサー[1]。2009年6月理事待遇エグゼクティブアナウンサーとなる。

実父は名古屋大学名誉教授で労働法学者の三宅正男。「民夫」という名前は民法から採られた。また、自身と同じ年(1975年)にアナウンサーとして毎日放送へ入社した結城哲郎(現在はフリーアナウンサー)とは遠縁の関係にある(三宅の妻が結城の妻の実妹)。

先輩である鈴木健二のことを尊敬しており、アナウンサーを目指したきっかけも鈴木の存在が大きいと語っている[2]

学生時代、就職試験でTBSも受験したが、落ちたことを明かしている[3]

2017年7月末、NHKを退職しフリーに[4]

現在の出演番組

過去の出演番組

NHK時代

フリー転向後

同期のアナウンサー

関連書籍

脚注・出典

  1. ^ 講演会講師|三宅民夫:講演会依頼:NHKプロモーション”. www.nhk-p.co.jp. 2020年3月17日閲覧。
  2. ^ 『言葉のチカラ』、36頁。
  3. ^ 『言葉のチカラ』、45頁。
  4. ^ <元NHK三宅民夫アナ>地元・名古屋で民放初仕事に「ドキドキ」MANTANWEB(2017年10月7日)
  5. ^ もっとNHKドキュメンタリー 深海大スペシャル「驚異のモンスター大集合!」”. NHK. 2019年1月1日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ 「危機的な場面で、たった一言の声かけが命を救う。/素晴らしきもの、それは言葉の力ーーです」「言葉は人類最上の発明品、他人への最高の贈り物」など。

外部リンク