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2021年12月14日 (火) 08:29時点における版

岡崎市立甲山中学校
岡崎市立甲山中学校
国公私立 公立学校
設置者 岡崎市
校訓 質実剛健
設立年月日 1947年昭和22年)4月18日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 444-0015
地図
北緯34度57分35.21秒 東経137度10分44.72秒 / 北緯34.9597806度 東経137.1790889度 / 34.9597806; 137.1790889座標: 北緯34度57分35.21秒 東経137度10分44.72秒 / 北緯34.9597806度 東経137.1790889度 / 34.9597806; 137.1790889
外部リンク 公式サイト(新)
公式サイト(旧)
プロジェクト:学校/中学校テンプレート
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岡崎市立甲山中学校(おかざきしりつ こうざんちゅうがっこう)は、愛知県岡崎市中町にある公立中学校

概要

1947年(昭和22年)4月に開校した[1]。校名の「甲山」の由来は、同市六供町の甲山(かぶとやま)から。

調査日 生徒数 通常学級 特別支援学級
2013年4月8日[2] 798人 23 3
2019年5月1日[3] 776人 21 4
2020年5月1日[4] 803人 22 4
2021年5月1日[5] 806人 22 6

部活動は、卓球部、剣道部、野球部、テニス部、陸上部、ソフトボール部、水泳部、柔道部、サッカー部、バレーボール部、バスケットボール部、駅伝部、吹奏楽部、手芸茶華道部、美術部、メディア部などがある。

生徒会は、半年を一期とし、毎年10月・3月に全校生徒による直接選挙が行われ、生徒会長1名、副会長2名、役員4名、専門委員長10名で構成されている。

専門委員会には、生活委員会、文化委員会、美化委員会、図書委員会、体育委員会、給食委員会、奉仕活動委員会、緑化委員会、保健委員会、情報委員会がある。

学区

小学校名 町名
梅園小学校
(全域)
梅園町伝馬通曙町門前町久右エ門町花崗町亀井町籠田町西中町六地蔵町祐金町十王町箱柳町字中立(通称滝団地を除く。)、両町1丁目、両町2丁目8(市道伝馬線以北)、中町(字野添・字屋敷裏・字北野・字天神ケ入・字長狭間8番地50~8番地86)、
稲熊町字1丁目、稲熊町字2丁目、稲熊町字3丁目、稲熊町字4丁目、稲熊町字5丁目、稲熊町字6丁目、稲熊町字7丁目、稲熊町字8丁目、稲熊町字赤松、稲熊町字祭田、稲熊町字大岩、稲熊町字猫沢、稲熊町字大岡作、稲熊町字蓬田、稲熊町字山道、稲熊町字宮下、稲熊町字海深、稲熊町字滝道、稲熊町字山神戸(1番地1~3番地1・32番地~37番地・40番地1~40番地6・40番地10~40番地16・40番地19~40番地35・41番地1)、稲熊町字森下、稲熊町字中屋敷、稲熊町字寺下、稲熊町字向畑、稲熊町字後田(愛知県立岡崎北高等学校東門に通ずる東西の道路以南)、
伊賀町字3丁目(29番地~36番地・69番地~75番地7)、六供町字南丸根、六供町字南佐助、六供町字南床屋、六供町字杉本、六供町字1丁目(85番地~96番地2)、六供町字2丁目(1番地~22番地・ 30番地~31番地・32番地・42番地1)、六供町字3丁目、六供町字4丁目
根石小学校
(全域)
根石町朝日町若宮町小呂町蓬萊町欠町元欠町栄町、両町2丁目(市道伝馬線以南)、両町3丁目、中町字番町、中町字東丸根、中町字長狭間(8番地50~8番地86を除く。)、中町字小猿塚、中町字北野東、中町字栄町、中町字大門通、中町1丁目~10丁目

沿革

岡崎市立甲山中学校の旧校舎
正門
  • 1947年(昭和22年)4月18日 - 開校式を行う。
  • 1948年(昭和23年)9月20日 - 岡崎市立根石小学校校舎を使用。
  • 1949年(昭和24年)5月13日 - 火災のため、校舎の3分の2を焼失。
  • 1951年(昭和26年)3月29日 - 現校地に校舎1期工事完工。
  • 1961年(昭和36年) - 校舎2・3期工事完工。
  • 1960年(昭和35年)7月8日 - 体育館が完成。
  • 1974年(昭和49年)6月25日 - 鉄筋4階建の校舎が完成。
  • 1982年(昭和57年)4月 - 女子の服装の規則が「制服はスカートだが、トレパンを着用」と定められる[6]
  • 1989年(平成元年)4月 - 女子のトレパンが廃止[7]
  • 1992年平成4年) - プールの増改築。
  • 1993年平成5年) - 体育館の増改築。
  • 2007年(平成19年)1月 - 全国中学校文芸作品コンクール「文部科学大臣賞」受賞。
  • 2008年(平成20年)1月 - 男子駅伝部、岡崎市民駅伝優勝(31年ぶり)。

管理教育と暴行事件

1980年(昭和55年)2月26日付の朝日新聞紙上で、甲山中学校の卒業生が学校に対し、常識を超えた体罰を行う教諭Yをやめさせてほしいと請願書を出していたことが報道された[8]。請願が出されたのは1976年(昭和51年)8月。その年の3月に卒業した生徒たちはどこに訴えを持っていいのか分からず、やむをえず県教育委員会に提出していた。この報道内容は1980年3月の市議会定例会で問題化されるも[9]管理教育に基づく強権的指導法[10]が変わることはなく、のちに暴力の連鎖を引き起こした。

1981年(昭和56年)末からシンナー遊びやオートバイの盗難などによる補導が目立ち始める中、1982年(昭和57年)3月2日に教諭一人が生徒に殴られる事件があった。3月4日午前、浅井校長は3年生のグループ9人を校長室に呼び「進学や就職が決まったからといって安心して気を緩めては駄目だ。これから入試を控える生徒を手助けするぐらいのまじめな態度で学校に来なさい」と指導した。同日午後12時40分頃、グループのうちの男子生徒7人は、3年6組の担任Nに「朝、生活指導されたことで話し合いがしたい」と同組教室に呼びつけた。Nは一人で教室に行くが、心配した同僚の教師が様子を見に行き、生徒たちはほかの教師の立ち聞きをとがめた。それから約30分近くにわたって、教師12人に殴る蹴るの暴行を加えた。警察署員約10人が学校からの通報で駆けつけると、生徒は「何だお前らは」などと署員に食ってかかり、さらに乱暴した。警察は3人を現行犯で逮捕。4人を補導した[11][6]

同年3月5日、岡崎市教育委員会は緊急校長会を開催。鈴村正弘教育長は「すべてが生徒を指導する教育者の責任。再発防止に全力を尽くせ」と指示し[12]、同日、辞表を提出[13]。3月31日付で辞職した[14][15]

同年4月から、甲山中学校では、女子の服装の規定が「制服はスカートだが、男子と同じトレパン(白い綿の長ズボン)を着用」となった[6][16]。生徒と親は「スカートはなぜいけないのか」「納得できる説明がない」とつめよるが、学校側は「とにかく規則ですから守ってください」で押し通した。当時の教育委員会は女子にトレパンをはかせることを「非行根絶への道の一つ」と考えていた。教員もそれを信じて指導を行った[6]

生徒は1988年(昭和63年)から制服の見直しについて生徒総会、アンケート、クラス討議を積み重ね、学校側に提案。1989年(平成元年)4月、女子のトレパンはついに廃止された[7]

著名な出身者

脚注

  1. ^ 岡崎まちものがたり 02 根石学区” (PDF). 岡崎市 市制100周年記念サイト (2017年1月). 2020年7月23日閲覧。
  2. ^ 教育要覧(平成25年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. pp. 106-107 (2013年7月). 2020年7月26日閲覧。
  3. ^ 教育要覧(令和元年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. pp. 120-121 (2019年8月). 2020年7月26日閲覧。
  4. ^ 教育要覧(令和2年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. pp. 122-123 (2020年9月). 2020年9月27日閲覧。
  5. ^ 教育要覧(令和3年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. pp. 120-121 (2021年9月). 2021年10月5日閲覧。
  6. ^ a b c d 岡崎市議会 昭和57年6月 定例会 06月17日-08号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
  7. ^ a b 岡崎市議会 平成元年3月 定例会 03月09日-04号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
  8. ^ 岡崎市議会 昭和55年3月 定例会 03月12日-03号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
  9. ^ 岡崎市議会 昭和57年3月 定例会 03月09日-03号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
  10. ^ 日本スポーツ社会学会会報 Vol.67
  11. ^ 『中日新聞』1982年3月5日付朝刊、11版、23面、「〝巣立ち〟間近 集団暴力 岡崎の甲山中 教師12人、殴るける 3人逮捕し4人を補導」。
  12. ^ 『中日新聞』1982年3月6日付朝刊、三河版、13面、「緊急校長会開く 中学暴力対策大わらわ 岡崎市教委」。
  13. ^ 東海愛知新聞』1982年3月25日、1面、「鈴村教育長が辞任 後任に横井城北中校長内定」。
  14. ^ 岡崎市議会 昭和57年3月 定例会 03月26日-05号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
  15. ^ 教育要覧(令和元年度)” (PDF). 岡崎市教育委員会. p. 105 (2019年8月). 2020年7月26日閲覧。
  16. ^ 『中日新聞』1982年3月6日付朝刊、三河版、13面、写真。
  17. ^ 今井亮 (2019年1月20日). “ベストの状態めざす 岡崎市出身 ラグビーの田村選手がW杯へ抱負”. 東海愛知新聞. http://www.fmokazaki.jp/tokai/190120.php 2019年1月20日閲覧。 
  18. ^ 「トップフォーラム21」2012年10月13日・オンデマンド放送FMおかざき

参考文献

  • 新編岡崎市史編集委員会編『新編岡崎市史 総集編』 岡崎市、1993年。

関連項目

外部リンク