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{{Otheruses|落語|その他|じゅげむ (曖昧さ回避)}}
{{混同|壽限無}}
{{出典の明記|date=2016年3月6日 (日) 14:37 (UTC)}}
{{出典の明記|date=2016年3月6日 (日) 14:37 (UTC)}}
『'''寿限無'''』(じゅげむ)は、[[早口言葉]]ある[[言葉遊び]]として知られる古典的な噺であり、[[落語]]の[[落語家#前座|前座]]である。
『'''寿限無'''』(じゅげむ)は、[[落語]]の代表的な[[落語家#前座|前座]]噺。長名前を言い立てる[[早口言葉]]知られる[[上方落語]]では古くは別題を『{{読み仮名|長名伜|ながなのせがれ}}』という。『[[長い名の子]]』タイプの[[民話]]と落語『寿限無』は類話である<ref name="日本昔話通観研究編2_1998" />
[[上方落語]]では古くは別題を「長名」という。


== 概要 ==
== 概要 ==
生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」ものが良いととんでもない名前を付けた、という笑い話。[[縁起]]のいい言葉を幾つか紹介され、どれにするか迷った末に全部付けてしまった、という筋の場合もある。
生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」ものが良いととんでもない名前を付けた、という笑い話<ref name="日本芸術文化振興会_寿限無">{{Cite web |url=https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/geino/rakugo/enmoku/s1.html |title=お寺噺『寿限無』 |accessdate=2022-02-19 |publisher=文化庁 |editor=日本芸術文化振興会 |website=文化デジタルライブラリー |language=ja}}</ref>。[[縁起]]のいい言葉を幾つか紹介され、どれにするか迷った末に全部付けてしまった、という筋の場合もある<ref name="日本芸術文化振興会_寿限無" />


生まれた子供にめでたい名前を付けようとして、お寺の[[和尚]]さん(人物が異なる場合もある)の所へ相談に行った父親は、和尚さんから色々と教えてもらったおめでたい言葉を、全て並べて子供の名前にしてしまう。子供はすくすく育って腕白小僧になる。近所の子供とけんかをし、殴られてこぶを作った子供が父親のところに言いつけに来る。やり取りの中で長い名前が繰り返されるうちに、こぶが引っ込んでしまった、というのがサゲ<ref name="Fukuenyu">{{cite book|和書
生まれた子供にめでたい名前を付けようとして、お寺の[[和尚]]さん(人物が異なる場合もある)の所へ相談に行った父親は、和尚さんから色々と教えてもらったおめでたい言葉を、全て並べて子供の名前にしてしまう。子供はすくすく育って腕白小僧になる。近所の子供とけんかをし、殴られてこぶを作った子供が父親のところに言いつけに来る。やり取りの中で長い名前が繰り返されるうちに、こぶが引っ込んでしまった、というのが[[サゲ]]<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文">{{Cite web|url=https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005150091_00000|title=落語「じゅげむ」あらすじ一覧|accessdate=2022-06-24|publisher=[[日本放送協会]]|website=NHK for School|work=[[おはなしのくにクラシック]]<!--|archive-url=https://web.archive.org/web/20220624032335/https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005150091_00000|archive-date=2022-06-24|url-status=live-->}}(scene 01テロップ:「柳家花緑」)</ref>。
|author=三遊亭福円遊
|authorlink=三遊亭福圓遊
|publication-date=1912-06
|date=1912-06
|language=ja
|title=滑稽百面相
|publisher=三芳屋
|page=57
|doi=10.11501/891285
|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891285
}}</ref>


長い名前の[[言い立て]]は[[早口言葉]]の一種とされることもあり<ref name="綿谷2015">{{Cite book|和書|origyear=1964|title=言語遊戯の系譜|publisher=青蛙房|date=2015-03-25|page=167|last=綿谷<!--わたたに-->|first=雪<!--きよし-->|author-link=綿谷雪|language=ja|isbn=978-4790504313}}
元々は「『子供が川に落ちた』という言葉を人々がやり取りするうちに、その長い名前が災いして助けが間に合わず溺れ死ぬ」という皮肉を含んだ話だったが<ref name="Kinba">{{cite book|和書
* pp51-59 1章7節 科白の影響と戯作の追随: [[市川團十郎 (2代目)|二代目市川團十郎]]の『[[外郎売]]の科白』に影響されて出たのが『鼻下長物語』。その踏襲作が『相州小田原相談』、『日本一癡鑑』(痴鑑)、『どうげ物語』(道外物語)。
|author=三遊亭金馬
* p60: 江戸時代前半の早口言葉は、『外郎売の科白』か本調子端唄『こんきょうじ』のどちらかに入っていることが多い。
|authorlink=三遊亭金馬 (3代目)
* p122:「法性寺の入道…」は「もっとも著名な早口言葉の一つで、敬称と卑称の交叉に陥穽がある」
|publication-date=September 1993
* p123: 法性寺を題材とした古川柳10句、その他
|date=1959
* pp166-173 1章16節 長い名
|language=ja
** p169: 寿限無からの転訛の例「じげもじげも」(丹後)、「ぽんぴきぴい」(富山)
|title=浮世だんご
* pp393-395(追記): 法性寺を題材とした雑俳等24句
|publisher=つり人社
* p394: 徳川家康は「肩書の正称を、征夷大将軍右大臣淳和弉学院別当源氏長者と称した」
|edition=新書版
* オンラインで見られる本書の旧版(ただし大幅改訂されている):
|pages=79-87
** {{Cite book|和書|title=ことばの民俗学|publisher=都書房|date=1942-10-30|pages=96-101|last=綿谷|first=雪|author-link=綿谷雪|language=ja|NCID=BN12724182|chapter=13. 長い名|doi=10.11501/1126273|id={{NDLJP|1126273}} {{JPNO|46024170}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126273/56|url-access=registration}}{{要登録}}
|isbn=978-4885362217
</ref>、これを繰り返すことに滑稽さがある<ref name="広辞苑4版" />。落語家の口慣らしの稽古用として、前座が最初に習う噺のひとつである<ref name="落語大百科2001_寿限無">{{Cite encyclopedia|title=寿限無|encyclopedia=落語大百科|publisher=冬青社|date=2001-07-01|pages=373-374|last=川戸|first=貞吉|language=ja|isbn=4924725714|NCID=BA50062127|volume=2|location=東京}}</ref>。
<!-- |isbn=4885362210 google books quirk. only accept "ISBN=10-digit-ISBN" -->
}}</ref>、子供が死ぬという描写が時代に合わず改作が登場した。このような時代背景を反映した内容の変更は落語でも珍しいことではない。他にも「子供は大変な寝坊助であり、[[入学式]]の日に家族が名前を呼んでいるうちに、[[夏休み]]を迎えてしまう」という展開もある。


{{anchors|代表的な例}}
基本的には前座噺であり、噺の内容に興趣があるというよりも、[[暗記]]技術の練習、会話の間の取り方、人物の演じ分けなど、落語家の基礎訓練のためのものという色彩が濃い。しかし早口言葉の面白さがあり、前座噺のなかではよく知られたもののひとつである。プロの落語家にも、最初歩の練習として師匠からみっちりとこの噺を教え込まれたという者は多い<ref name="Kinba"/>。このようなよく知られた前座噺を面白く聞かせるには、高度な技術が要求され、[[桂春団治 (3代目)|3代目桂春團治]]のように大看板が得意としたこともある。
== 名前の代表的な例 ==
<!--
演者によって語句・読み方・意味説明は異なる<ref name="NHK_KIDSWORLD_FAQ">{{Cite web |url=http://www.nhk.or.jp/kids/program/faq/index.html |title=番組総合FAQ Q:番組で紹介される「じゅげむ」は私の知っている「寿限無」と少し違うのですが |accessdate=2022-02-19 |publisher=NHK |date=2004-04-05 |website=KIDS WORLD |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040406011019/http://www.nhk.or.jp:80/kids/program/faq/index.html |archivedate=2004-04-06 |deadlinkdate=2022-02-19}}</ref>。{{quotation|
[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]『[[にほんごであそぼ]]』が取り上げたことや、[[2004年]][[1月1日]]に発売された、若手落語家グループの[[大江戸台風族]]([[林家久蔵]]、[[柳家甚語楼]]等のユニット)がこの落語をラップ調にアレンジした楽曲『JUGEM』(同年[[7月7日]]に[[ラサール石井]]をゲストに迎えた『ジュゲム〜[[こちら葛飾区亀有公園前派出所|こち亀]]バージョン〜』も発売)で子供達の間で大人気となる。


{{ruby|寿限無|じゅげむ}}、{{ruby|寿限無|じゅげむ}}、<br>{{ruby|五劫|ごこう}}のすりきれ、<br>{{ruby|海砂利|かいじゃり}}{{ruby|水魚|すいぎょ}}の、<br>{{ruby|水行末|すいぎょうまつ}}・{{ruby|雲来末|うんらいまつ}}・{{ruby|風来末|ふうらいまつ}}、<br>食う寝るところに住むところ、<br>やぶらこうじのぶらこうじ、<br>パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、<br>シューリンガンのグーリンダイ、<br>グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、<br>{{ruby|長久命|ちょうきゅうめい}}の{{ruby|長助|ちょうすけ}}
[[2003年]][[10月12日]]の[[笑点]]の2問目で寿限無の問題が出た(名前を全部、きちんと言わなければならない)。これは『にほんごであそぼ』で子供達の間で寿限無の名前を覚えるのが流行していたからである。この寿限無の問題は子供達の見本にとても良いと視聴者から好評だった。
|[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]] [[おはなしのくにクラシック]]<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />}}
-->


== 代表的な例 ==
=== 意味 ===
話の中での架空の意味説明:
以下はこの噺の主人公である赤ん坊に付けられる「名前」の一例である。日本で最も長い[[名前]]、としてしばしば語られる。


{{quotation|
{{ruby|寿限無|じゅげむ}}、{{ruby|寿限無|じゅげむ}}、<br>{{ruby|五劫|ごこう}}の{{ruby|擦|す}}り{{ruby|切|き}}れ、<br>{{ruby|海砂利|かいじゃり}}{{ruby|水魚|すいぎょ}}の、<br>{{ruby|水行末|すいぎょうまつ}}・{{ruby|雲来末|うんらいまつ}}・{{ruby|風来末|ふうらいまつ}}、<br>喰う寝る{{ruby|処|ところ}}に住む{{ruby|処|ところ}}、<br>{{ruby|藪|やぶ}}ら{{ruby|柑子|こうじ}}の{{ruby|藪柑子|ぶらこうじ}}、<br>パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、<br>シューリンガンのグーリンダイ、<br>グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、<br>{{ruby|長久命|ちょうきゅうめい}}の{{ruby|長助|ちょうすけ}}
|(ここでは、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]「[[にほんごであそぼ]]」での紹介例に漢字を当てた。<ref>{{Cite web|url=https://www.nhk.or.jp/kokugo/nihongo/?das_id=D0005150386_00000|title=ちょちょいのちょい暗記「寿限無(じゅげむ)」|accessdate=2019-11-14|publisher=[[日本放送協会]]|website=NHK for School|work=[[にほんごであそぼ]]}}</ref>)}}

なお、落語家によって一部細かい部分での違いが見られる。

=== 解説 ===
; 寿限無
; 寿限無
: 「幸福(寿)」が限り無いの意。簡単言うと寿(命)が限という事
: 寿が限り無いの意<ref group="F" name="NHKおはなしのく_寿_文" />
; 五劫の擦り切れ
; 五劫の擦り切れ
: 天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して岩が無くなってしまうまでが一[[劫]]。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。[[三遊亭金馬 (3代目)]]は、正しくは「すりきれず」だが「すりきれ」と発音するという<ref name="三遊亭金馬1993">{{cite book|和書|author=三遊亭金馬 |authorlink=三遊亭金馬 (3代目)|publication-date=September 1993 |origyear=1959 |language=ja |title=浮世だんご |publisher=つり人社 |edition=新書版 |pages=79-87 |isbn=978-4885362217|url=https://books.google.co.jp/books?id=MPVPsm4af8UC&pg=PA85}}(URLはGoogle Books)
: 本来は「五劫の摺り切れず」が正しい。言い回しのために「ず」が省略されてしまうことがあるらしい。
* 原書: {{Cite book|和書|title=浮世断語|publisher=有信堂|date=1959-05-25|pages=105-114|author=三遊亭金馬|language=ja|location=東京}}の再刻版。
: 天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して岩が無くなってしまうまでが一[[劫]]とされ、その期間はおよそ40億年。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。別の落語では、天女が三千年に一回、[[須弥山]]に下りてきて羽衣で一振りして、須弥山がなくなるまでが一劫である。
* Google Books版 p94「神仏穴''深''し(さがし)」は原書(1959)p111「神仏穴''探''し」を誤写。
* p84: 先輩噺家が寿限無を演じた際に『神仏穴探し』という本を横から取り出したと記している(演技か現物か不明)。
* p85概要: 大阪の噺では寿限無が井戸に落ち、しまいには和尚が読経の節で「寿限無寿限無」と呼ぶ。寿限無は「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬ。「先日亡くなった三語楼さん」もこの落ちで演っていた。
</ref>。いっぽう、『増補 落語事典』は「すりきれ」のほうが正しいと断言する<ref name="増補落語事典_寿限無">{{Cite encyclopedia|title=寿限無|encyclopedia=増補 落語事典|publisher=青蛙房|date=1994-09-30|page=240|editor=東大落語会|edition=改訂版 増補版|language=ja|isbn=9784790505761|ncid=BN13922410|location=東京}}
*『寿限無』の掲載速記本は3点挙げている:
**『落語全集』全3巻 金園社 昭和29年12月。これは今村信雄『落語選集』全6巻 楽々社 昭和27年の再編であるとしている。
**『落語全集』全3巻 講談社 昭和4年10月。
**『林家正蔵集』全3巻 青蛙房 八代目林屋正藏。
</ref>。広辞苑は両説を併記している<ref name="広辞苑4版" />。古い1910年代の記録でも両例ある<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" /><ref name="海賀変哲1914">{{Cite book|和書|title=落語の落|publisher=三芳屋書店|date=1914-11-22|page=148|editor=海賀変哲|language=ja|chapter=寿限無|location=東京|doi=10.11501/906094|id={{NDLJP|906094}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906094/90}}</ref>。
; 海砂利水魚
; 海砂利水魚
: 海の砂利や水中の魚のように数限りないたとえ<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。「かいじゃり」・「かいざり」両方の発音例がある<ref>{{Cite web |url=https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000151695 |title=古典落語の「寿限無」に出てくる「海砂利水魚」の読みは「かいじゃりすいぎょ」と思っていたが「かいざりすいぎょ」とも読むのか |accessdate=2022-02-17 |publisher=国立国会図書館 |editor=東京都立中央図書館 |date=2020-04-17 |website=レファレンス協同データベース |language=ja}}</ref>。
: 海の砂利や水中の魚のように数限りないたとえ。
; 水行末雲来末風来末
; 水行末雲来末風来末
: 水・雲・風の来し方行く末には果てがないことのたとえ<ref name="Fukuenyu" />。
: 水・雲・風の来し方行く末には果てがないことのたとえ<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
; 食う寝る処に住む処
; 食う寝る処に住む処
: [[衣食住]]の食・住。これらに困らずに生きて行ける事を祈ったもの<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。また、『滑稽百面相』に記載の版だと、「食う寝る」とは実際には「くねる」であり、海中でくねる海藻の数のように果てしないこと、「住む処」のトコロとは正月の[[縁起物]]である[[トコロ]]」のことで、「代々この場所に住みたい」という意味を持つという<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。トコロ(野老(ヤロウ))は、[[長芋]]に似た根菜である<ref>{{Cite Kotobank|word=野老|author=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2021-12-09}}</ref>。三代目三遊亭金馬も、ヤロウとかけて「くめるヤロウに住むトコロ」と言う古い例を紹介している{{r|"三遊亭金馬1993"|page=86}}。
: [[衣食住]]の食・住より。これらに困らずに生きて行ける事を祈ったもの。
; やぶらこうじのぶらこうじ
: また、『滑稽百面相』に記載の版では異なる説明がなされている。「食う寝る」とは実際には「くねる」であり、海中でくねる海藻の数のように果てしないこと、「住む処」とは「アノトコロ」なる正月の縁起物を指す掛詞で、「代々この場所に住みたい」という意味を持つという<ref name="Fukuenyu" />。
: [[ヤブコウジ|藪柑子]](やぶこうじ)は生命力豊かな縁起物の木の名称<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。葉が落ちても実が生り続けることから縁起物とされる<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。「(や)ぶらこうじ」は藪柑子がぶらぶらなり下がる様とも<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。後半の語が「ぶらこうじ」か「やぶこうじ」かは、論争の種となっている<ref group="F" name="川端誠1998" />。
; 藪ら柑子の藪柑子(ぶらこうじ)
:*「ぶらこうじ」の例: 1912年 三遊亭福円遊<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />、1929年 柳家つばめ<ref group="F" name="柳家つばめ1929" />、2022年 柳家花緑<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
: [[ヤブコウジ|藪柑子]](やぶこうじ)は生命力豊かな木の名称。葉が落ちても実が生り続けることから縁起物とされる<ref name="Fukuenyu" />。「(や)ぶらこうじ」は藪柑子がぶらぶらなり下がる様か、単に語呂の関係でつけられたとされる{{誰2|date=2022年3月}}。
:*「やぶこうじ」の例: 落語家:1959年 三代目三遊亭金馬<ref name="三遊亭金馬1993" />、1996年 六代目三遊亭圓窓<ref group="F" name="三遊亭圓窓1996_寿限無" /><ref group="F" name="教育出版_奨学国語4下_2005" />。落語家以外:1914年刊『落語の落』<ref name="海賀変哲1914" />、1998年刊『落語絵本 じゅげむ』<ref group="F" name="川端誠1998" />。
; パイポ、シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナ
:綴りに関しては、広辞苑は「やぶら小路ぶら小路」と「藪柑子」を併記し<ref name="広辞苑4版" />、NHKはひらがなで表記している<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
: 唐土(もろこし)のパイポ王国の歴代の王様の名前でいずれも長生きしたという架空の話から。また、グーリンダイはシューリンガンの妃で、あとの2名が子供(娘)達という説も。
; パイポ、 シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナ
: もろこし([[唐土]])のパイポ王国のシューリンガンは王、グーリンダイはシューリンガンの妃で、その娘たちポンポコピー、ポンポコナは長生きした<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。あるいは、シューリンガンのグーリンダイに住むパイポパイポ王は長生きで、ポンポコピー・ポンポコナーも天竺の長生き夫婦の名前<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。
; 長久命
; 長久命
: 長く久しい命<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
: 文字通り長く久しい命。また、「天地長久」という読んでも書いてもめでたい言葉が経文に登場するので、そこからとったとする説も。
; 長助
; 長助
: 長く助けるの意味合いを持つ。
: 長く助けるの意味合いを持つ<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />

{{anchors|歴史|類似モチーフ}}
== 類似するモチーフの歴史 ==
{{Main|長い名の子#歴史}}
なにをもって『寿限無』の起源とするかは定義によって異なる。

{{Anchors|長い名の子|長い名前の子}}{{Anchors|欲からしづむ淵|あのくたらさんびゃくさんぼだい|阿耨多羅三藐三菩提}}
=== 長い名の子が困ったことになる話 ===
江戸時代の噺家である[[米沢彦八#初代|初代 米沢彦八]]が著した[[噺本]]『軽口御前男』([[元禄]]16年(1703年)刊行{{r|"欲からしづむ淵1966"|page=33}})に、「{{読み仮名|欲|よく}}からしづむ{{読み仮名|淵|ふち}}」という[[小噺]]がある。あらすじ:
:ある人が、憎い[[継子]]を短い名前「によぜがも」に改名させ、かわいい[[実子]]を長い名前「あのくたら{{読み仮名|三|さん}}びやく{{読み仮名|三|さん}}ぼだい」に改名させた。ある日継子が川に流されるが、速やかに救助される。後日こんどは実子が流されるが、長い名前を呼んでいる間に失せてしまった。母親は「三百を捨てたら助かろものを」と嘆いた<ref name="欲からしづむ淵1966">翻刻版: {{Cite book|和書|title=江戸笑話集|publisher=岩波書店|origyear=1703|date=1966-07-05|page=313|author=米沢彦八|authorlink=米沢彦八#初代|editor-last=小高<!--おだか-->|editor-first=敏郎<!--としお-->|editorlink=小高敏郎|series=日本古典文学大系|language=ja|chapter=軽口御前男 巻之二 欲からしづむ淵|volume=100|location=東京}}
*p33:『軽口御前男』は[[元禄]]16年に大阪で刊行
</ref><ref name="hanashitext_欲からしづむ淵">テキスト版: {{Cite web|url=http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=041&kango=006&sys_han=001&groupId=G0000011&page=239|title=6巻 軽口御前男|accessdate=2021-12-12|publisher=[[国文学研究資料館]]|website=噺本大系本文データベース|language=ja<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211212160727/http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=041&kango=006&sys_han=001&groupId=G0000011&page=239|archivedate=2021-12-12-->}}</ref>。

「三百{{Interp|[[文 (通貨単位)|文]]}}を捨てる」(わずかの出費のこと)<ref name="欲からしづむ淵1966" />とかけた、この名前特有の[[駄洒落]]である。この噺は米沢彦八自身による創作と推定されている{{r|"欲からしづむ淵1966"|pages=24-25}}。

噺の中で名前の由来は説明されていないが、仏教用語「{{読み仮名|[[経 (仏教)|如是我聞]]|にょぜがもん}}<ref>{{Cite Kotobank|word=如是我聞|author=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2022-01-11}}</ref>」と「{{読み仮名|[[阿耨多羅三藐三菩提]]|あのくたらさんみゃくさんぼだい}}<ref>{{Cite Kotobank|word=阿耨多羅三藐三菩提|author=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2022-01-11}}</ref><ref name="続無名抄">「{{Interp|…}}さみゃくさぼたい」と発音する例もある:{{Cite book|和書|title=続無名抄|publisher=愚常|year=1680|author=岡西惟中|author-link=岡西惟中|url=https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190457/viewer/76|accessdate=2022-02-16|language=ja|location=大阪|doi=10.20730/100190457|at=下巻13裏(画像76面右)}}([[延宝]]8年刊)</ref>」である。

{{anchors|法性寺|法性寺入道前関白太政大臣|鼻下長物語}}
=== 長い名をいちいち繰り返すギャグ ===
[[寛政]]4年(1792年)に刊行された滑稽物の絵本『鼻下長物語』<ref name="鼻下長物語1792B">別題・読み仮名: {{Cite web |url=https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100076898 |title=形容化景唇動 鼻下長物語 |access-date=2022-06-14 |publisher=国文学研究資料館 |website=新日本古典籍総合データベース |quote=形容化景唇動 鼻下長物語 (けいようけしてかげくちびるをうごかす はなのしたながものがたり) |language=ja}}</ref>は{{読み仮名|[[芝全交]]|しばぜんこう}}作で、早口言葉による会話が29ページに渡って繰り広げられる物語仕立ての作品である<ref name="鼻下長物語1792">{{Cite book|和書|title=鼻下長物語|publisher=つるや|year=1792|author=芝全交|author-link=芝全交|language=ja|id={{NDLJP|9892722}}}}([[寛政]]4年出版)</ref>。関連部分のあらすじ<ref name="黄表紙十種1935">翻刻版: {{Cite book|和書|title=黄表紙十種|publisher=有朋堂|date=1935-08-14|origyear=1914|pages=173-204|author=芝全交|authorlink=芝全交|editor=武笠三|editor2=塚本哲三|language=ja|chapter=鼻下長物語|location=東京|id={{NDLJP|1232603}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232603/97}}
*p1 緒言 黄表紙本の概説
*p3 緒言『当たり作二十三部』とは
*pp9-10 解題 鼻下長物語: 寛政4年板。本作は黄表紙のヒット作一覧『当たり作二十三部』にエントリーされている。[[築地善好]]作の『小田原相談』は本作の続編的な作品。
*pp173-204 芝全交『鼻下長物語』本文、翻刻
** p176:「ほうしやうじの入道さきのくわんばく大じやう大臣」
*p298 [[式亭三馬]]『稗史億説年代記』巻末付録『当たり作二十三部』
</ref>:
:あるとき殿様「{{読み仮名|法性寺入道前関白太政大臣|ほうしょうじのにゅうどうさきのかんばくだいじょうだいじん}}」は、家老「三なめかけたが三かけたひっちくでっちくほうねんぼうのつうだ左衛門」(略称「つうだ」)の言葉遣いが気に障った。そこで殿様は家老「親も嘉兵衛子も嘉兵衛親嘉兵衛子嘉兵衛子かへ親かへ」親子二人(略称「嘉兵衛」)に、「つうだ」へ徹底指導するよう指示した。指導初日は物別れ。以下二日目のようす:
{{Poemquote|text=
嘉兵衛:「さて、昨日の申しかけを申そうと存じて、今日も貴宅へ参上致しました。長く申しては事が分りませぬ。つまんで申しましょう。こうでござる: そこもと様が主人法性寺入道前関白太政大臣様のことを、法性寺入道前関白太政大臣殿と仰せらましたから、そこで以てからに何か法性寺入道前関白太政大臣様が大きにお腹をお立ちなされ、俺が事を法性寺入道前関白太政大臣様という筈を、なぜ俺が事を法性寺入道前関白太政大臣殿と言うたとて、そこでもってからに法性寺入道、」
つうだ:「まずお急きなさるな。しかれば拙者が法性寺入道前関白太政大臣殿の事を、法性寺入道前関白太政大臣殿と申したがお気に障り、法性寺入道めが腹を立って、」
嘉兵衛:「いえさ、そう仰せられては済みませぬ。法性寺入道前関白太政大臣様と言う所を、」
(紛糾。以後毎日議論が続き、つうだは翌年になってやっと状況を理解する)
|source=『黄表紙十種』(1935年){{r|"黄表紙十種1935"|page=202}}(常用漢字化、現代仮名遣い化。一部漢字化。表記揺れ統一。句読点調整)}}

話中の殿様の名「法性寺入道前関白太政大臣」は、[[小倉百人一首]]のうちの一首の詠み人[[藤原忠通]]の俗称。実在した人物である<ref name="新村1964">{{Cite book|和書|title=鑑賞 小倉百人一首|publisher=洛文社|date=1964-11-30|page=93|last=新村|first=出|author-link=新村出|edition=2|language=ja|chapter=76|doi=10.11501/1347242|id={{NDLJP|1347242/50}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1347242/50}}</ref>。小倉百人一首の中で一番長い名で、[[官名]]とはいえ、フィクションの名「あのくたら三びゃく三ぼだい」よりも長い。なお、20世紀中旬以降は通常「ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん」と発音する<ref name="新村1964" />。

『鼻下長物語』は好評で{{r|"黄表紙十種1935"|page=10}}、さまざまな派生作品が登場した{{r|"綿谷2015"|page=52}}。[[林家正蔵#初代|初代林屋正蔵]]も『御加増』という小咄を1833年に刊行した<ref name="落噺笑富林1833">{{Cite book|和書|title=落噺笑富林|publisher=永寿堂西村屋与八|year=1833|pages=画像7面-8面|author=林屋正蔵|author-link=林家正蔵#初代|language=ja|chapter=御加増|id={{NDLJP|9893356}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9893356/7}}</ref><ref name="笑談五種1910">翻刻版: {{Cite book|和書|title=笑談五種|publisher=富山房|date=1910-08-11|pages=71-75|author=林屋正蔵|author-link=林家正蔵#初代||editor=幸田露伴|editor-link=幸田露伴|series=袖珍名著文庫 第38編|language=ja|chapter=笑ふ林 御加増|id={{NDLJP|891336}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891336/42}}</ref><ref name="咄本大系本文データベース_御加増">テキスト翻刻: {{Cite web |url=http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=231&kango=016&sys_han=001&groupId=G0000011&page=024 |title=御加増 |accessdate=2022-04-02 |publisher=国文学研究資料館 |author=林屋正蔵 |website=咄本大系本文データベース |work=16巻 落噺笑富林 |pages=24-26 |language=ja}} [http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=231&kango=016&sys_han=001&groupId=G0000011&page=025 p25][http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=231&kango=016&sys_han=001&groupId=G0000011&page=026 p26]</ref>。全会話が早口言葉で『鼻下長物語』と似たストーリーだが、「法性寺入道前関白太政大臣」の名はない。

{{anchors|雅名|稚名}}
=== 長命な名前を次々と提案させる笑話 ===
落語本『無事志有意』([[寛政]]10年(1798年)刊行<ref name="近代日本文学大系22_笹井">{{Cite book|和書|title=近代日本文学大系|publisher=国民図書|date=1928-05-28|page=25|last=笹川|first=種郎|language=ja|chapter=解題 落噺無事志有意|volume=22|doi=10.11501/1184601|id={{NDLJP|1184601/28}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184601/28}}</ref>)中の一話「雅名」(または「稚名」)は、めでたい名前を次々に要求するという笑話である。あらすじ:
:主人公は、子の[[幼名]]を非人に名付けしてもらうとよいと聞き、自分の子に「寿命の長い名」をつけてくれるように非人に頼む。非人はいくつかの名を提案するが、依頼者は納得しない。さらに「三浦の大助」、「浦島太郎は八千歳」、「東方朔は九千歳」と次々に提案してみるが依頼者はもっと長いのを要求してくる。しまいには「西の海へさらり」と提案した、という落ち<ref name="無事志有意1798">{{Cite book|和書|title=落咄無事志有意(落噺無事志有意(ぶじしうい))|year=1798|pages=画像35面|editor=立川談洲楼焉馬|editor-link=烏亭焉馬|language=ja|author=坂彦|chapter=雅名|chapterurl=https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100174224/viewer/35}}([[寛政]]10年刊。[[烏亭焉馬]]撰)
* 翻刻: {{Cite book|和書|title=近代日本文学大系|publisher=国民図書|date=1928-05-28|page=1070|author=坂彦|language=ja|chapter=落噺無事志有意 - 稚名|volume=22|doi=10.11501/1184601|id={{NDLJP|1184601/564}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184601/564}}
* テキスト翻刻: {{Cite web |url=http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=167&kango=013&sys_han=001&groupId=G0000011&page=192 |title=稚名 |accessdate=2022-04-02 |publisher=国文学研究資料館 |author=坂彦 |website=咄本大系本文データベース |work=13巻 無事志有意 |pages=192-193 |language=ja <!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220402151808/http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=167&kango=013&sys_han=001&groupId=G0000011&page=192|url-status=live |archivedate=2022-04-02-->}} [http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=167&kango=013&sys_han=001&groupId=G0000011&page=193 p193]</ref>。

「[[三浦義明|三浦の大助]]百六つ」「[[浦島太郎]]が八千歳」「[[東方朔]]が九千歳」「西の海へさらり」は、いずれも年末の[[厄祓い|厄払い]]祈祷の決まり文句<ref name="嬉遊笑覧1932">{{Cite book|和書|title=[[嬉遊笑覧]]|publisher=成光館出版部|date=1927-05-20|pages=239-240|author=喜多村信節|authorlink=喜多村信節|editor=日本随筆大成編輯部|edition=5|language=ja|chapter=厄拂、東方朔|volume=下|origyear=1830(文政3)年頃|doi=10.11501/1123104|id={{NDLJP|1123104/138}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104/138}}
*「鶴は千年、亀は万年」「東方朔は九千歳」「三浦大介百六ツ」「西の海へさらり」
</ref><ref name="雪女五枚羽子板1896">{{Cite book|和書|title=近松時代浄瑠璃|publisher=博文館|date=1896-08-20|page=953|author=近松門左衛門|author-link=近松門左衛門|language=ja|chapter=雪女五枚羽子板 - 初春厄はらひ|origyear=1705(宝永2)年|doi=10.11501/1883014|id={{NDLJP|1883014/487}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883014/487}}
*p953:「鶴は千年、亀は万年」「浦島太郎が八千歳」「東方朔が九千歳」「西の海へさらりさらり、さっさこきょう」
*p7 :雪女五枚羽子板 宝永二年七月</ref>。ここでの「[[非人]]」とは、厄払いをして回る([[門付]])物乞い芸人のことである<ref name="歌謡字数考1908">{{Cite book|和書|title=歌謡字数考|publisher=大日本図書|date=1908-06-20|page=237|last=中根<!--ナカネ-->|first=淑<!--シュク-->|author-link=中根香亭|language=ja|chapter=50 厄拂ひ|doi=10.11501/992531|id={{NDLJP|992531/129}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992531/129}}</ref>。厄払いの最後に唱える「西の海へさらり」とは「災いは西の海へ捨て去れ」という意味で<ref name="元禄文学辞典1928">{{Cite book|chapter=西の海へさらり|title=元禄文学辞典|publisher=新潮社|year=1908|page=461|editor=佐藤鶴吉|url=http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/genrokujiten.pdf|format=pdf|accessdate=2022-04-02|language=ja|archive-url=https://web.archive.org/web/20160305072811/http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/genrokujiten.pdf|archive-date=2016-03-05|url-status=dead}}({{cite web|title=大阪大学 岡島昭浩 語彙研究のページ|last=岡島|first=昭浩|accessdate=2022-04-02|url=http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/goi.htm|archive-url=https://web.archive.org/web/20220413000002/http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/goi.htm|archive-date=2022-04-13|url-status=dead}}内)</ref>、長寿とは無関係である。

{{Anchors|聞書雨夜友|一子異名|てきてきに}}
=== 怪談本『聞書雨夜友』 ===
[[文化 (元号)|文化]]2年(1805年)刊行{{r|"聞書雨夜友_翻刻2000"|page=696}}の怪談・奇談本『聞書雨夜友』(編集: 講釈師・作家である[[東随舎]])の中に「{{読み仮名|一子に異名を付けて後悔せし話|いっしにいみょうをつけこうかいせしはなし}}」がある。あらすじ:
:ある者が自分の男子に珍しい長い名前を付けたいと考えた。知り合いの儒学者に相談したところ、儒学者はまず「百人一首にも『法性寺入道前関白太政大臣』などという長い名前がある」と教えたうえで、「{{読み仮名|大学朱熹章句子程子曰大学孔子之遺書而初学入徳之門兵衛|だいがくしゅきしょうくしていしのいわくだいがくはこうしのいしょにしてしょがくとくいるのもんひょうえ}}様」が良かろうと薦めた。ところが同席していた和歌の先生がこれを嘲笑し、日本人なのだから漢文ではなく和歌にすべきだとして「ながきよのとをのねふりのみなめざめなみなみのりふねのをとのよしべい」が良い、これは年越しの枕に敷く宝船の絵に書いてある歌だからめでたい、と薦めた。こんどは儒学者がこれを嘲笑したため、和歌先生と儒学者が口論となった。依頼者は呆れて、めでたい名を付けてもらいたいのにお二人が喧嘩されては困る、名付けは自分でやる、と言い出して
{{Poemquote|text={{ruby|敵々|てきてき}}{{ruby|仁|に}} {{ruby|敵|てき}}{{ruby|須留|する}}{{ruby|御坊|おんぼう}} {{ruby|蒼臨坊|そうりんぼう}} {{ruby|惣|そう}}{{ruby|高入道|たかにゅうどう}} {{ruby|播磨|はりま}}{{ruby|之|の}}{{ruby|別当|べっとう}} {{ruby|茶碗|ちゃわん}}{{ruby|茶臼|ちゃうす}}{{ruby|之|の}} {{ruby|挽木|ひきぎ}}{{ruby|之|の}} {{ruby|飛与小助|ひょこすけ}}
|source=『聞書雨夜友』<ref name="聞書雨夜友1805" />(常用漢字、現代仮名遣いに書き換え)}}
:と決めた。やがて子は成長するが、ある日うっかり井戸に落ちた。家の人たちは助けようとして、いちいち長い名を伝言してるうちに、子は「青ぶくれにふくれあがり」、あえなくこの世を去った<ref name="聞書雨夜友1805">{{Cite book|title=聞書雨夜友|publisher=瑶池堂|location=江戸|year=1805|pages=画像全96面中72面から78面|author=松壽館老人|editor=青雲軒主人|accessdate=2021-12-30|language=ja|chapter=一子に異名を付けて後悔せし話|volume=4|doi=10.20730/100052278|chapter-url=https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100052278/viewer/76}}([[文化 (元号)|文化]]2年刊)(副題「古今奇談 聞書雨夜友」)
*6面: ふりがな「ききかきあまよのとも」「二流間主東随舎 著」
*目次での題名: 「{{読み仮名|一子異名ヲ付後悔成話|いつしにいめうヲつけこうくわいなす}}」、本文前の題名: 「一子に異名を付けて後悔せし話」
*76面(原文の漢字・仮名遣いのままで引用):
{{Verse translation|lang=ja
|<!--original text-->敵々仁
敵須畄
御坊
蒼臨坊
惣高入道
播广之別當
茶碗茶臼之
挽木之
飛与小助
|<!--translation-->てきてきに
てきする
おんぼう
そうりんほう
そうたかにうとう
はりまのべつとう
ちやわんちやうすの
ひききの
ひよこすけ}}
*77-78面「評曰」:本書の編集者による評。分不相応なことをしてはいけないという説教。
</ref><ref name="聞書雨夜友_翻刻2000">翻刻:{{Cite book|title=初期江戸読本怪談集|publisher=国書刊行会|date=2000-10-30|origyear=1805|pages=654-657|author=二流間主東随舎|editor=近藤瑞木|language=ja|chapter=聞書雨夜友(ききがきあまよのとも) - 一子に異名を付けて後悔せし話|series=江戸怪異綺想文芸大系|ISBN=978-4-336-04271-2}}
*pp611-671『聞書雨夜友』翻刻 : 内pp654-657:『一子に異名を付けて後悔せし話』
*p683 解題 総説:『聞書雨夜友』は初期江戸[[読本]](よみほん)というジャンルの本。
*pp696-698『聞書雨夜友』の解題: 作者である東随舎は江戸の浪人栗原幸十郎であり、別名栗原忠雄、青雲軒および松壽館老人も彼の別名としている。
</ref>。

[[儒学者]]の提案した名は、[[四書五経]]について[[朱熹]]が書いた注釈書『[[四書集注]]』の一章『大学章句』の、表題「大学 朱熹章句」と導入部「子程子曰大学孔子之遺書而初学入徳之門也」<ref name="四書集註1766">{{Cite book|和書|title=四書集註|publisher=勝村治右衞門|location=京都|year=1766|author=朱熹|author-link=朱熹|language=zh|chapter=大学|volume=1|origyear=1189|doi=10.11501/2583035|id={{NDLJP|2583035/6}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2583035/6|at=画像6面目}}(原著:[[淳熙]]己酉、本版:明和3年刊)</ref>。「[[なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな]]」は、[[回文]]になっている[[和歌]]<ref>{{Cite Kotobank|word=宝船|author=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2022-01-11}}</ref>。本書に「てきてきに…」の由来や意味の説明はない。

{{Anchors|長名|長名の伜|長名の倅|あにまにままに}}
===落語『長名』===
野口復堂<ref>読み:のぐちふくどう {{cite web|title=野口, 復堂|url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00338813|website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス|accessdate=2021-12-09}}</ref>(1864年頃生<ref name="佐藤2008">{{Cite book|title=大アジア思想活劇|publisher=サンガ|date=2008-09-25|page=187|last=佐藤<!--さとう-->|first=哲朗<!--てつろう-->|accessdate=2021-11-01|language=ja|isbn=978-4901679954}}
*野口復堂について
**pp57-60:野口復堂は元治元年(1864-1865年)生 - 没年不明。旧姓:貫名、本名:野口善四郎。英語教師、仏教系団体役員、教育講談師。
**p135:野口復堂は明治21年(1888年)9月9日神戸からインドへ出発。p203:明治22年(1889年)2月9日日本に帰国。
**pp178-179:野口復堂がインドで長名話。
**pp183-184:著者が「新京極六角橋の笑福亭」および「梅香」という高座名の実在を確認できた。
**p190:野口復堂はインドで長名話を披露した話を、日本へ帰国後に頻繁に語った。
*web版: {{Cite web|url=http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/all/chap12.html|title=第十二章 野口復堂の印度旅行~マドラス寄席 長名話~|accessdate=2021-12-09|last=佐藤|first=哲朗|website=大アジア思想活劇@BODDO|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070116100713/http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/all/chap12.html|archivedate=2007-01-16|deadlinkdate=2021-12-09}}
</ref>)という講演家が1927年に回想録の中で、[[書生]]時代に京都の寄席で落語家「[[笑福亭梅香|梅香]]」の長名噺を聞いた、と述べている<ref name="野口1927">{{Cite journal|和書|journal=日印協会会報|author=野口復堂|title=四十年前の印度旅行|date=1927-11-18|issue=42|pages=95-96|language=ja|location=東京|id={{NDLBibID|000008858223}}}}
*本旅行記は、野口がインドの「霊智学会」([[神智学協会]])大会への出席と会長の日本招聘のために出張した話を1927年に回想して寄稿したもの。旅行記全文はpp71-102。
**p72:「明治21年9月9日」神戸出発。
**pp95-96:長名話
**p95:「新京極六角橋の笑福亭」
**p95:「梅香と云ふ落語家のやった話」何代目かは不記載。
**p95:野口は「この長名話」という表現をしており、落語の題名かどうか曖昧。
**p96:長名話中に学校のエピソードあり。「此子が学校へ上ることとなり、先生や同級生がこの長名に煩はさるる大滑稽があって{{Interp|…}}」。
**p96:「井戸中で『アダブダブダブ』と落ちになるであるが、陀羅尼品を知って居る者はよいが、知らない者には興味が薄いから{{Interp|…}}」。
**p101:「明治22年もマドラスで暮れ、明けて日本国会開設の23年の正月1日を同地で迎へ、{{Interp|…}}同月10日{{Interp|…}}マドラス港を」出発して帰路。日本帰着日不記。
</ref><ref name="野口1930">野口1927の誤謬を改訂して再掲: {{Cite book|title=大鼎呂|publisher=二酉社 二酉名著刊行会|date=1930-01-04|pages=68-70|author=復堂 野口善四郎|language=ja|chapter=四十二年前の印度旅行|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1151509/228|location=東京|id={{NDLJP|1151509}}}}(本書は通しページ番号なし。旅行記内での全文はpp1-88)
**p4:「明治21年9月9日」神戸出発。
**pp68-70:長名話
**p68:「{{読み仮名|梅香|ばいかう}}」
**p84:明治22年もマドラスで暮れ、明けて日本国会開設の前年の正月1日を同地で迎へ、{{Interp|…}}同月10日{{Interp|…}}マドラス港を」出発して帰路。p88:神戸上陸。「明治22年2月11日帝国憲法発布の公古の式日であった」。
</ref>。
:ある夫婦に男子が生まれ、[[神主]]に名前を付けてもらったが子は早死にした。そこで、次の子の名前は寺の和尚に頼んだ。その子の名は『{{読み仮名|陀羅尼品|だらにほん}}』という[[仏典|仏経]]から取った「あにまにまにままね、しれしゃりて{{Interp|…}}」。夫婦は一生懸命この名を覚え、隣の婆さんも練習する。やがてこの子は学校に通い、先生や同級生がこの長い名で迷惑する。あるときにこの子が井戸に落ちて、長い名前が原因で救助が間に合わず「アダブダブダブ」と溺れてしまう、という落ち<ref name="野口1927" />。

復堂自身も後年1888年にインドへ出張した際に余興として、聞き覚えたこの長名噺を英語で披露した<ref name="野口1927" />。つまりこの落語は1888年以前から存在したことになる。なお、この回想録はずっと後の1927年に出されたものである<ref name="野口1927" />。

{{読み仮名|[[陀羅尼]]|だらに}}とは呪文のことで、[[梵語]]と意味不明な音が混じったものである<ref name="日本国語大辞典_陀羅尼">{{Cite Kotobank|word=陀羅尼|author=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2021-12-09}}</ref>。「陀羅尼品」は[[法華経]]の二十六番目の章の題名で、陀羅尼をいくつか含む<ref name="日本国語大辞典_陀羅尼品">{{Cite Kotobank|word=陀羅尼品|author=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2021-12-09}}</ref><ref name="SAT_陀羅尼品">{{Cite web|title=妙法蓮華經 (No. 0262 鳩摩羅什譯) 陀羅尼品第二十六|website=SAT[[大正新脩大藏經]]テキストデータベース|url=https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/T0262_,09,0058b08:0262_,09,0059b28.html|accessdate=2021-12-14}}</ref>。陀羅尼の語句や発音は著書によりばらつきがあるが、一例としては「あにまにまねままね、しれいしゃりてい{{Interp|…}}」<ref name="台巌1879">{{Cite book|和書|title=法華経要品和訓 : 首書和註画入|publisher=村上勘兵衛|year=1879|pages=74丁表面-75丁表面|author=台巌|month=8|chapter=10 妙法蓮華経陀羅尼品第二十六|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818231/86|location=京都|id={{NDLJP|818231/86}}}}
{{Poemquote|text=あに まに まね ままね
しれい しやりてい
しやみや しやびたゐ
せんてい
もくてい もたが しやび
あゐしやび
さうび しやび
しやえい あしやえい
あぎに せんてい
しやび だらに
あろきやばさい
むしやびしやに
ねびてい
あべんたらねびてい
あたんだ
はれいしやだい
うくうれい むくうれい
あられい はられい
しゆぎやし
あさんまさんび
ぶつだびきりぢつてい
だるまはりしてい
そうぎやねくしやねい
ばしやばしや
しゆだい
まんたら}}</ref>。

1966年刊の『上方落語の歴史 改訂増補版』(著者 前田勇)は『'''長名の伜'''』・『'''長名'''』という演題を、狭義には「あにまにままに しゅりしゃびて{{Interp|…}}」の噺、広義には『寿限無』も含める、という二つの意味で使っている<ref name="前田1966">{{Cite book|title=上方落語の歴史 改訂増補版|publisher=杉本書店|date=1966-10-01|pages=240-241|chapter=長名の伜|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2516101/126|last=前田<!--まえだ-->|first=勇<!--いさむ-->|language=ja|ncid=BN10625022|doi=10.11501/2516101|location=大阪|id={{NDLJP|2516101}} {{JPNO|68002621}}}}{{要登録}}
* p27「三、大阪落語の祖、米沢彦八」内: 「現行『寿限無』は、{{Interp|(中略)}}『欲からしづむ淵』{{Interp|(中略)}}を作り変えたものに相違ない」
* 上方落語の演題とオチ
** p108:各演目の上方・東京間の移植説については「一応上方の先人の説に従っているが、」要考証としている。
** pp195-196 寿限無: 同一素材の東京落語『寿限無』
*** 落ち (1)「あんまり名が長いので、瘤が直ってしもた」; (2)「オイオイ、お経にはまだ早い」
*** 筋の記述なし
*** p195: 寿限無は立花家花橘が東京から上方へ移入したとの伝聞、さらにその東京の寿限無は上方落語の改作との伝聞。
** pp240-241 {{読み仮名|長名|ながな}}、{{読み仮名|長名の伜|ながなのせがれ}}: 別名 長名、寿限無。同一素材の東京落語『寿限無』
***「筋もサゲも寿限無に同じ(但サゲ二様あり)。」
***「倅の長い名を『あにまにままに、しゅりしゃびて{{Interp|…}}』(梵語なるべしというも未詳)という。」
*** 筋の記述なし
* 記載以外の補足:
** 長い名前の文言は、1958年版『上方落語の歴史』から改訂した1966年版『上方演芸辞典』p323:寿限無、pp451-452:長名の伜({{Cite book|title=上方演芸辞典|publisher=東京堂出版|date=1966-07-10|pages=451-452|last=前田|first=勇|language=ja|location=東京|chapter=長名の伜|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2510326/231|ncid=|doi=10.11501/2510326|id={{NDLJP|2510326}} {{JPNO|66007277}}}}{{要登録}})に対して、さらに数か所修正している。
* 本書は同書名の、{{Cite book|title=上方落語の歴史|publisher=杉本書店|date=1958-11-20|pages=215-216|last=前田|first=勇|language=ja|location=大阪|chapter=長名の伜|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2487140/112|ncid=BN10999871|doi=10.11501/2487140|id={{NDLJP|2487140}} {{JPNO|59000807}}}}{{要登録}}の大幅改訂版。旧版の記述:
** p184 寿限無:「『長名の倅』に同じ」
** pp215-216 {{読み仮名|長名|ながな}}、{{読み仮名|長名の伜|ながなのせがれ}}: 別名 長名、寿限無。同一素材の東京落語『寿限無』
*** 落ち (1)「オイオイ、お経にはまだ早い」; (2)「あんまり名が長いので、瘤が直ってしもた」
*** p215:東京の寿限無は上方落語の改作である。
*** p216:寿限無は立花家花橘が東京から上方へ移入したとの伝聞。
***「倅の長い名も上方のは元来{{Interp|(中略)}}『あにまにままに、しゅりしゃびて{{Interp|…}}』というのであった由。」との伝聞。
</ref>。「アダブダブダブと溺れる」という落ちは言及されていない。

[[桂米朝 (3代目)]]によれば、『上方落語の歴史』に掲載された長い名前は米朝が提供したとのこと。また、同書は誤植が多いとして自著に訂正版を掲載した<ref name="桂米朝2集_2020">{{Cite book|和書|title=上方落語ノート第二集|chapter=長名について|publisher=岩波書店|date=2020-04-16|pages=186-187|author=桂米朝|author-link=桂米朝 (3代目)|language=ja|isbn=9784006023201|origyear=1985}}
* 本書は1985年刊『続・上方落語ノート』の再刻。
* pp186-187 長名について: 戦後これを覚えていたのは桂南天と桂文吾だった。
** p187: 桂南天バージョン掲載し、桂文吾説での差異箇所を付記。
** 筋および落ちの記述なし
</ref>。そこでの子の名前は
{{Poemquote|text=あにまにままに
しゅりしゃびて
たいへんれ
もくれもくたび
あいしゃび
しょみしゃび
しゃみだらに
あるきゃはしゃばしゃ
びしゃねびて
あななねびて
あたんだ
あれしゅれ
ふくれふくれ
はられはられ
そがさあさまさ
ぶったい びりき ちゅうて
だるまはれしゅて
しょきゃ ねぐしゃ
ねばしゃ ばしゃ
しゅうたい
万太郎
|source=[[桂南天]]演、桂米朝筆記<ref name="桂米朝2集_2020" />}}

前田勇(1908年生<ref name="NDLauth_前田勇">{{Cite web |url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00039249 |title=前田, 勇, 1908-1972 |accessdate=2022-06-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>){{r|"前田1966"|page=241}}および桂米朝(1925年生<ref name="NDLauth_三代目桂米朝">{{Cite web |url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00101909 |title=桂, 米朝 3世, 1925-2015 |accessdate=2022-04-25 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>)は「あにまにままに…」が陀羅尼品であることを当初は知らなかった<ref name="桂米朝4集_2020">{{Cite book|和書|title=上方落語ノート第四集|chapter=『長名』の原典|publisher=岩波書店|date=2020-07-14|pages=55-58|author=桂米朝|author-link=桂米朝 (3代目)|language=ja|isbn=9784006023225|origyear=1998|ref={{SfnRef|桂米朝『上方落語ノート第四集』|2020}}}}
*pp55-58「『長名』の原典」:米朝が『続・上方落語ノート』で「長名」について書いた記事に対して、ある人から『陀羅尼品』にそっくりとの指摘を受けた。
</ref>。いっぽう三代目三遊亭金馬(1894年生<ref name="NDLauth_三代目三遊亭金馬" />)は、大阪の噺は名の出典が『陀羅尼品』という設定で、子が「だだぶ だぶだぶ」と死ぬ落ちがあることは知っていたが、子の名前は「寿限無寿限無」と書いている{{r|三遊亭金馬1993|pages=84-85}}。

『長名』という演題の古い出現例は1917年の[[桂萬光#3代目|桂萬光]]公演の新聞記事<ref name="東京朝日新聞19170501">{{Cite news|title=有楽座上方会 六日の演題|newspaper=[[東京朝日新聞]] 朝刊|date=1917-05-06|page=7|language=ja|quote=長名(萬光)}}(大正6年)<!--出典の糸口:[http://blog.livedoor.jp/bunnzaemon/archives/45764788.html]--></ref>だが、話の内容は不記載。

[[立花家花橘#2代目|二代目立花家花橘]]が1910-1920年代{{r|"都家歌六1987A"|page=90}}に出したレコードは題名が『長名』だが、子の名は「寿限無寿限無…」、落ちは「瘤がひっこんでしまいよった」である<ref group="F" name="二代目立花家花橘_録音_長名_オリエント">{{Cite AV media|title=長名|medium=レコード録音|author=二代目立花家花橘|authorlink=立花家花橘#2代目|series=オリエントレコード|publisher=Nipponophone|id=A2411,A2412}}([[東京文化財研究所]]蔵)
*レーベル: 落語 長名 大阪 立花家花橘
*音声: 両面盤1枚。A面3分22秒、B面3分53秒
**出だし:「へい、さて。あいかわらずお笑いを申し上げます。」「先生こんにちは。うちのカカがこせがれへりだしましてな。」
**先生が命名の説明をする際には「ごこうのすりきれん」だが、父母友人が唱えるフルネームでは「ごこうのすりきれ」。
**子のフルネーム(6回中1回目):「じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょのすいぎょうばつ うんぎょうばつ ふうらいばつ くうねるところにすむところ やーぶらこうじ ぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ ポンポコピーのポンポコナーの 長久命の長助」
**末尾(落ち):「あんまり名が長いさかい、瘤がひっこんでしまいよったやぁ。」
*本盤は、1929発売の日本ビクター版『寿限無』両面盤2枚組(合計約13分)とは別テイク。
</ref>。

『寿限無』が「あにまにままに{{Interp|…}}」の噺と違う点は、『寿限無』では名前の個々の言葉の意味を丁寧に説明する場面が設けられていることである{{r|"桂米朝2集_2020"|page=187}}。「あにまにままに{{Interp|…}}」の上演は20世紀後半に廃れた{{r|"桂米朝2集_2020"|page=187}}。

{{anchors|寿限無の歴史|寿限無寿限無|「寿限無寿限無」}}
== 『寿限無』の歴史 ==
=== 寿限無寿限無 ===
[[File:Tokyo keizai zasshi 1884-07-26 p0109 Jugemu.png|thumb|1884年の雑誌記事での「ヂゲムヂゲム」の名]]
[[File:Tokyo keizai zasshi 1901-11-30 p1087 Jugemu.png|thumb|1901年の雑誌記事での「ジユゲンム ジユゲンム(壽限無)」の名]]
『寿限無』の噺は1884年以前に成立しており、さらに昔の19世紀中旬まで{{読み|遡|さかのぼ}}れる可能性がある。

1884年に雑誌『[[東京経済雑誌]]』の記事でフルネーム「ジゲムジゲム」が引用されている<ref name="東京経済雑誌18840726">復刻版書誌: {{Cite book|title=東京経済雑誌 17 明治17年7-9月 221-233号|publisher=日本経済評論社|date=1982-1-20|lorigyear=1884|language=ja|volume=17|location=東京|id={{NCID|AN00329943}}|chapter=経済学釈義|at=224号 p109|chapterurl=https://hdl.handle.net/2027/uc1.c2785659?urlappend=%3Bseq=137|hdl=/2027/uc1.c2785659}}(URLは[[HathiTrust]])
* 原文書誌: {{Cite journal|和書|journal=[[東京経済雑誌]]|author=経済記者|title=経済学釈義|page=109|date=1884-7-26|volume=10|issue=224|publisher=[[経済雑誌社]]|language=ja|id={{NCID|AN00159377}}}}
* 筆者署名: {{Cite book|title=東京経済雑誌 17 明治17年7-9月 221-233号|publisher=日本経済評論社|date=1982-1-20|lorigyear=1884|language=ja|volume=17|at=222号 p44|chapter=経済学釈義 – 經濟學の釋義に關して駁論諸子に答ふ|author=経済記者|location=東京|id={{NCID|AN00329943}}|quote=經濟記者|chapterurl=https://hdl.handle.net/2027/uc1.c2785659?urlappend=%3Bseq=64|hdl=/2027/uc1.c2785659}}(URLは[[HathiTrust]])
*「[[wikt:かの|彼の]]
{{Poemquote|text=ヂゲム ヂゲム
ゴコーノスーリキリ
カイヂャリスイギョ
スギヨバチャ
カイポ カイポ
カイポノシリヲ
グリンダ グリンダ
グリンダノチョースケガ
アノヤマコエテ
コノヤマコエテ
コエテ コエテノ
ヲポポイノポイマ}}
と云へる名を小児に命したる談話を…」
* 記載事項以外の補足:
** 本記事は{{Harv|『鼎軒田口卯吉全集』3|1928}}で[[田口卯吉]]の著として扱われている。
** 論敵の名「粛堂」は[[乗竹孝太郎]]の号と一致する{{Cite web |url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00056693 |title=乗竹, 孝太郎, 1860-1909 |accessdate=2022-06-12 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}。
*** 乗竹孝太郎は同じ東京経済雑誌の社員である({{Cite encyclopedia|title=乗竹孝太郎|encyclopedia=大日本人名辞書|publisher=大日本人名辞書刊行会|date=1926-06-20|page=2058|author=大日本人名辞書刊行会|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879535/309|edition=新版|language=ja|NCID=BN01714711|volume=下巻|location=東京|doi=10.11501/1879535|id={{NDLJP|1879535}}}})
** 田口卯吉は本誌『東京経済雑誌』の創設者でもある({{Cite encyclopedia|title=田口卯吉|encyclopedia=大日本人名辞書|publisher=大日本人名辞書刊行会|date=1926-06-20|page=1518|author=大日本人名辞書刊行会|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879535/39|edition=新版|language=ja|NCID=BN01714711|volume=下巻|location=東京|doi=10.11501/1879535|id={{NDLJP|1879535}}}})。
** この当時の同誌の持主兼印刷人は[[伴直之助]]([https://hdl.handle.net/2027/uc1.c2785659?urlappend=%3Bseq=160 東京経済雑誌224号奥付])。
</ref>。記事自体は、経済学者[[田口卯吉]]による学術論説である<ref name="鼎軒田口卯吉全集3_1928">{{Cite book|和書|title=鼎軒田口卯吉全集|publisher=鼎軒田口卯吉全集刊行会|date=1928-04-09|page=232|author=田口卯吉|author-link=田口卯吉|editor=鼎軒田口卯吉全集刊行会|language=ja|NCID=BN0695797X|chapter=22 經濟學の釋義に關して駁論諸子に答ふ|volume=3|location=東京|doi=10.11501/1243145|id={{NDLJP|1243145/134}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1243145/130|url-access=registration|ref=ref={{SfnRef|『鼎軒田口卯吉全集』3|1928}}}}{{要登録}}
*本書では『經濟學の釋義に關して駁論諸子に答ふ』を田口卯吉の著として扱っている。
* 記載事項以外の補足:
** 目次p14: 題名誤記:『經濟學の釋義に關して駁論諸子に{{ママ|告ぐ}}』
** p232: ヂゲムの名に誤転記:原書「スーリキリ」→本書「スーリキ、リ」
</ref>。

1901年に再び東京経済雑誌にフルネームと意味が掲載された<ref name="東京経済雑誌19011130">復刻版書誌: {{Cite book|title=東京経済雑誌 86 明治34年10-12月 1101-1113号|publisher=日本経済評論社|date=1984-11-20|lorigyear=1901|language=ja|volume=86|location=東京|id={{NCID|AN00329943}}}}
* 原文書誌: {{Cite journal|和書|journal=[[東京経済雑誌]]|author=痴齋|title=飛鳥旅行走り書(第八)|volume=44|pages=1086-1089 (号内20-23)|date=1901-11-30|issue=1109|publisher=[[経済雑誌社]]|language=ja|id={{NCID|AN00159377}}}}
* 本記事は、1901年9月の国内視察旅行記という体裁で主義主張を語る趣向の連載物(連載開始1901年(明治34年)10月20日発行1102号p734)。今回のエピソードの中で、筆者と一緒に旅行した「小松君」がいたずらで「ジユゲンム」と名乗ったり、余興で講談などを披露する。
*p1087: 筆者「痴齋」の実名は[[伴直之助]]、[[京都鉄道]]株式会社の取締役兼支配人。
*p1087: 小松君が船会社職員に向かって:「余の姓名もまた短かからず、ジユゲンム、ジユゲンム、ゴコウノスウエキリ、カイヂヤリ、スイギヨノ、キンライマツ、ウンライマツ、クネルトコロニ、デルトコロ、アーブラコーヂ、ブラコーヂ、パイポ、パイポ、パイポノ、シユウリンガン、シユウリンガンノ、ポンポコナ、ポンポコナノ、ポンポコピ、チヤウキ、チヤウキ、チヤウキウメイノ、チヤウスケ、と申す、是れ余か名なり」
*p1087: 筆者による推測:「按ずるに『ジユゲンムジユゲンム』の話しは[[宝暦|寶暦]]、[[明和]]、[[安永]]年間の知者、風來山人平賀源内が、当世の政治に[[wikt:慊|慊]]からず、{{Interp|…}}愚を[[wikt:諷誹|諷誹]]せし[[wikt:戯作|戯作]]なり」(繰り返し記号は展開。漢字・句読点は一部現代化)。
*p1087: 各語の意味(一部の語句は名乗りの場面とは異なっている):
**「ジユゲンムとは『壽と限りなき』」
**「ゴコホノスエは『御光の末』」
**「フウライマツ、ウンライマツは『風来末、雲来末』にして、風雲の起る、予じめ其の源因を知るべからず、其の去来豪も測るべからずして、其の末、亦た際限なき」
**「カイジヤリ、スイギヨとは大海の砂利、水中の魚介、倶に取れとも終に尽きざるなり」
**「パイポ、シユウリンガン、ポンポコナ、ポンポコピ、は皆な天竺の最も長命なりし執政者と、その子孫の姓名」
**「長喜、長久命の長助」
* 記載事項以外の補足:
** 本記事に「ジユゲンムジユゲンムの話」の粗筋はない。引用元も記されていない。
** 筆者[[伴直之助]]は東京経済雑誌の元「持主」で、創設者[[田口卯吉]]の[[いとこ]]({{Cite journal|和書|journal=出版研究|year=1975|title=巌本善治の出版活動|volume=6|page=166|last=磯崎<!--いそざき-->|first=嘉治<!--よしはる-->|language=ja|DOI=10.24756/jshuppan.6.0_160|ISSN=2434-1398}})。
</ref>。筆者[[伴直之助]]は、『寿限無』の作者は風来山人すなわち[[平賀源内]]だと推測しているが<ref name="東京経済雑誌19011130" />具体的な証拠は挙げていない。

1912年の新聞に、当時89歳だった[[林家正童]](五代目林家正蔵、1824年生<ref name="NDLauth_林屋正蔵5世">{{Cite web |url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00510549 |title=林屋, 正蔵 5世, 1824-1923 |accessdate=2022-02-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>)の伝記が掲載された<ref name="怪談の正童_1912" />。正童が18歳で[[林家正蔵#2代目|二代目林家正蔵]](通称「托善正蔵」、一説に1858年没{{r|"怪談の正童_1912"|page=(第4回)}})に入門して芸名「正橋」だった時代に、「{{読み仮名|寿限無寿限無|じげむじげむ}}」を稽古したという<ref name="怪談の正童_1912">読売新聞連載記事「怪談の{{読み仮名|正童|しょうどう}}」計9回。林家正藏(自称四代目)の伝記。
* {{Cite news|title=怪談の正童(1)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-08|author=ふく生|page=3|language=ja|ref={{SfnRef|怪談の正童(1)|1912}}}}
** 副題に「八十九歳の老落語家」
** 先ごろ、八十九歳の林家正藏改め正童となった。
** 正童の幼名は米三郎。
** 米公が弟子入りしたのは二代目林家正藏。[[千住]]の[[隠亡]]の寺の坊さんで通称「托善正藏」。
** 米公が正藏に弟子入りしたのは18歳のとき。
* {{Cite news|title=怪談の正童(2)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-09|author=ふく生|page=3|language=ja|ref={{SfnRef|怪談の正童(2)|1912}}}}
** 正童の前座に出たときの名は{{読み仮名|正橋|しょうきょう}}。
** 正橋は「一生懸命に落語の稽古をやった{{読み仮名|壽限無|じげむ}}壽限無などは堂に入ったものだった、それに感心した林家正藏が『{{Interp|…}}跡取りにしてやろう』と、子にしてくれて、いよいよ本職になった。」
** やがて「正橋はちょうど生意気盛り。安政頃の二十二の年に、いつまでも前座でもあるまいと江戸を飛び出した。ドサ歩きというやつで{{Interp|…}}」。
* {{Cite news|title=怪談の正童(4)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-11|author=ふく生|page=3|language=ja}}
** 正橋は江戸に帰ると、養父の托善正藏は既に安政5年菊月に死去していた。名人左楽などが勝手に正藏を名乗っていた。正橋は再び田舎稼ぎに出る。
* {{Cite news|title=怪談の正童(5)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-12|author=ふく生|page=3|language=ja}}
** 養父正藏の弟子正楽が正統三代目正藏を襲名。
* {{Cite news|title=怪談の正童(7)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-14|author=ふく生|page=3|language=ja}}
** 正橋は正鱗に改名。
* {{Cite news|title=怪談の正童(9)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-17|author=ふく生|page=3|language=ja|ref={{SfnRef|怪談の正童(9)|1912}}}}
** 正統三代目正藏が明治12年に死去。
** 正鱗はしばらく勝手に正藏を名乗り、後に正式に四代目正藏を襲名。
** 今は20歳代の若い妻と5歳の子がある「八十五歳の爺さん」。
* 記載事項以外の補足:
** 正橋が前座をやめて出奔する「安政頃の二十二の年」という記述は矛盾がある。1824年生で22歳は1845年頃という計算になるが、[[安政]]はおよそ1855年から1860年の間である。しかしいずれにせよ19世紀中旬である。
</ref>。この逸話が本当なら、『寿限無』は19世紀中旬には存在していたことになる。

興行の古い記録としては、1901年の新聞の興行予定欄に「落語{{読み仮名|寿限無|ずげんむ}}…」という演目が見える<ref name="北國新聞19010904">{{Cite news|title=新富座|newspaper=[[北國新聞]]|date=1901-09-04|page=3|language=ja}}(明治34年)
*「[[春風亭柳枝 (4代目)|小柳枝]]一座音曲落語{{Interp|…}}今晩(二日目)の番組は{{Interp|…}}落語{{読み仮名|壽限無|ずげんむ}}元祖升踊引抜きカッポレ踊人形振り({{Interp|演者:}}柳仙)」<!--出典の糸口:[http://blog.livedoor.jp/bunnzaemon/archives/37112198.html 上方落語史料集成 明治34年(1901)9月] --></ref>。

=== 『寿限無』全文記録 ===
全文の古い記録としては、1910年代の録音および本が数点ある。

[[蝶花楼馬楽 (3代目)]](1914年没<ref name="都家歌六1987B" />)は『寿限無』の[[SPレコード]]を2種類出しているが、落ちが別々である。1911年頃発売の[[RCAビクター|アメリカ・ビクター]]版<ref name="昭和戦前面白落語全集 東京篇2006">{{Cite book|和書|title=昭和戦前面白落語全集 東京篇|chapter=解説書|publisher=エニー|year=2006|page=163|editor=日本音声保存|editor2=都家歌六(監修)|editor2link=都家歌六|editor3=岡田則夫(監修)|editor3link=岡田則夫|language=ja|isbn=9784901708968|NCID=BA79536201|id={{JPNO|21346026}}}}
* p163引用: 演者名 三代目蝶花楼馬楽; 演題:レーベル『貴限無』{{ママ}} 一般名称『寿限無』; 使用レコード:レーベル 米ビクター 番号 50044 マトリックスNo.50044A; 初出盤 レーベル 米ビクター 番号 50044 発売年月 1911; タイム 02:05
</ref>は、落ちが「あんまり名前が長いもんだから瘤が治っちまったよ」で終わる<ref group="F" name="昭和戦前面白落語全集2006_蝶花楼馬楽_寿限無">{{Cite AV media|title=(録音)貴限無(一般名称『寿限無』)|year=2006|origyear=1911|volume=東京篇 特別盤(16)|author=三代目蝶花楼馬楽|authorlink=蝶花楼馬楽 (3代目)|language=ja|work=昭和戦前面白落語全集 東京篇|publisher=エニー|isbn=9784901708968|id=ANOC 7027}}
* 音声(付録CD-ROM):
** 出だし:「いるかい?」「お前さんお帰りかい」「今かえって来たい」
** フルネーム4回中の1回目:「じゅげむじゅげむ、ごこのすりきれ<!--「ず」ではない-->、かいじゃりすいぎょの、すいぎょうばつ、うんぎょうばつ、ふうらいばつ、うーねるところ<!--「くうねる」ではない-->にすむところ、やーぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコナー、ポンポコピーの、ちょうきゅうめいのちょうすけ」
** 末尾:「おじさん、あんまり名前が長いもんだからね、瘤が治っちまったよ。」「たいへんにおめでたいお話。終わります。」
</ref>。他方、1912年以前に発売されたアメリカン([[日本コロンビア|日米蓄音器商会]])版<ref name="日本蓄音器191205">レコードのカタログ: {{Cite book|和書|title=新音譜 明治45年5月|publisher=日本蓄音器商会|year=1912|page=65|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11697670/39|language=ja|doi=10.11501/11697670|id={{NDLJP|11697670}}}}</ref><ref name="都家歌六1987B">{{Cite book|和書|title=落語レコード八十年史|publisher=国書刊行会|date=1987-11-30|pages=40-44|author=都家歌六|authorlink=都家歌六#8代目|language=ja|volume=下巻|location=東京|ref={{SfnRef|『落語レコード八十年史 下巻』|1987}}}}
* 本書における「寿限無」最古出現はp44 三代目・蝶花楼馬楽 ディスコグラフィ
**「[[RCAビクター|米国ビクター]]両面盤 50044 長屋花見/寿限無」
**「アメリカン([[日本コロンビア|日米蓄音器商会]])(明治42年頃)2097 長屋の花見, 2098 寿限無」(明治42年=1909年)
* p40: 三代目・蝶花楼馬楽は明治31年襲名、明治43年発狂、大正3年死去。
* p448: 二代目立花家花橘 ビクター 50967.8『寿限無(二枚)(昭4.12)』
</ref><ref name="都家歌六1987A">{{Cite book|和書|title=落語レコード八十年史|publisher=国書刊行会|date=1987-11-30|pages=54-56|author=都家歌六|authorlink=都家歌六#8代目|language=ja|volume=上巻|location=東京}}
* p54: 米国ビクターのレコードは明治41年に日本に初輸入された。
** p56: 明治末期から大正初期にかけての米国ビクター両面盤の一覧中に、「三代目蝶花楼馬楽 50044 長屋花見/寿限無」
* pp69-70: 日米蓄音器製造は明治42年から国産レコードを発売した。明治43年に日本蓄音器商会に社名変更。当時のレーベルは「アメリカン」など5種類。大正4年にすべて両面盤となった。
** p72: 日米蓄音器商会・日本蓄音器商会 片面盤「三代目蝶花楼馬楽 長屋の花見 2097, 寿限無 2098」
* p83: 「駱駝印オリエント」ブランドには2系統ある: 京都の東洋蓄音器株式会社系(大正1年(1912年)から大正6年(1917年))と、京都の東洋蓄音器合資会社系(大正3年(1914年)から昭和4年(1929年))。
** p90: 駱駝印オリエント(2)(東洋蓄音器合資会社系)二代目立花家花橘『長名(二枚)2411・2』
* p205: [[日本ビクター]]の創立 二代目立花家花橘『寿限無(二枚)({{Interp|発売年月:昭和}}4.12) 50967.8』
</ref>は、「瘤が治っちまった」の後に寿限無が井戸へ落ちるエピソードが続く<ref group="F" name="日本蓄音器文句全集1913_寿限無">{{Cite book|和書|title=日本蓄音器文句全集|publisher=日本蓄音器文句全集発行所|date=1913-12-12|pages=460-462|edition=大正二年版|language=ja|chapter=壽限無 日蓄二〇九八 東京 蝶花樓馬樂|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1907049/246|id={{NDLJP|1907049}}, {{JPNO|86090057}}}}{{要登録}}
* pp460-462
** 「壽限無」のふりがなは「しけむ」や「じけむ」と書いてある。
** 先頭:「ヱー極御目出度い話を一席お聴きに入れます」「御前さん御帰りかえ」「ウ、今かえって来たい」
** 名前6回中の1回目:「{{読み仮名|壽限無|しけむ}}壽限無ゴコノフーリキレイ カイガルツンギヨノ ツンギヨバツ ウンギヨバツ フーライバツ スメルトコロスムトコロニ アーブラコーヂブラコーヂ パイポパイポパイポノ チーリンガイ チーリンガイノ フーリンライ フーリンライノ ポンポコナ ポンポコチーノ 長久命の長助」
** 途中:「名が長いもんだから瘤が治っちまった。」「馬鹿馬鹿しい話があるもんで、さー井戸でもおっこちりゃーさわぎだどうも」
** 末尾:「井戸へおっこった大変だなどうもそいつは。」
* 本書の複製版: {{Cite book|和書|title=大正期SP盤レコード 芸能・歌詞・ことば全記録|volume=第1巻|publisher=大空社|origyear=1913|date=1996-10-26|pages=460-462|language=ja|chapter=壽限無 日蓄二〇九八 東京 蝶花樓馬樂|isbn=4756803202}}
</ref>。

馬楽は噺の中で、名前の出典は『神仏穴探し』という本だと説明していたという<ref name="長尾豊1932">{{Cite book|和書|title=伝説民話考|publisher=成光館書店|edition=昭和9年(1934)再版|date=1932-10-25|pages=341-349|last=長尾|first=豊|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465988/178|language=ja|chapter=長い名前|location=東京|doi=10.11501/1465988|id={{NDLBibID|000000764230}}|ref={{SfnRef|長尾豊|1932}}}}
*p342:長野県「…ひやくきずんぎり…」←元論文(1914年)の復刻版(1975年)では「…ひちくきずんぎり…」。
*pp345-346: 信濃の「てきてきおん坊」紹介。
*p346:「流れたり沈んだりする話は、壽限無のやうな名前ではうつらない。」「{{Interp|落語の壽限無には}}別に井戸へ落ちる話があり、昔、三遊の圓六が話すのを聞いたが、名附親を清正公様の坊さんにして、長い名前は自我偈を使ってゐた。」
*p347:「故人馬楽に此の話を聞いた時は、名前を附けるのに『神佛穴探し』といふ本に據ると話した。浅学にしてさういふ書物があるかどうか、今だ{{ママ}}に調べても見ないが、何だかありさうにも思はれないので、それで探しても見ない。」
*本章は越原富雄名義1914年の論文に大幅加筆したもの。元論文: {{Harvtxt|越原富雄|1914}}
**「越原富雄」は作家 長尾豊(1899生-1936没)のペンネーム({{Kotobank|長尾 豊|20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)}})。
</ref>(レコードにはそのような文言はない)。三代目三遊亭金馬(1894年生<ref name="NDLauth_三代目三遊亭金馬">{{Cite web |url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00067114 |title=三遊亭, 金馬 3代目, 1894-1964 |accessdate=2022-02-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>)も、先輩落語家が『寿限無』で『神仏穴探し』という本を取り出したと記している{{r|"三遊亭金馬1993"|page=94}}。「穴探し」とは粗探しのことである<ref>{{Cite Kotobank|word=穴探|author=精選版 日本国語大辞典|accessdate=2021-11-17}}</ref>。この本の実在を疑う者もあるが<ref name="長尾豊1932" />{{r|"三遊亭金馬1993"|page=94}}、少なくとも同題名の[[講談|講釈]]は存在した形跡がある。ひとつは1824年頃の、講釈師 為永正助([[為永春水]]の別名<ref name="中村幸彦1983" />)と[[林家正蔵#初代|初代林屋正藏]]の連名による『神仏俗書穴さがし』の広告である<ref name="中村幸彦1983">{{Cite book|和書|title=中村幸彦著述集|publisher=中央公論社|date=1983-08-25|pages=251-252|last=中村|first=幸彦|author-link=中村幸彦|language=ja|chapter=4-8 舌耕文芸家春水|volume=第10巻 舌耕文学談|location=東京|id={{JPNO|83051445}}}}
* [[為永春水]]が著した物語本『軒並娘八丈』巻末に『神仏俗書穴さがし』という演目の寄席広告がある。フィクションの中の広告ではあるが、中村はこれを為永正助(為永春水)と初代林屋正藏の関係を示す考証史料としている。</ref><ref name="Nokisaki1817">『軒並娘八丈』原書: {{Cite book|和書|title=帯屋白木屋/軒並娘八丈|publisher=|year=1817|at=画像295枚の内193枚目|author=二代目南杣笑楚満人|author-link=為永春水|accessdate=2022-07-05|language=ja|chapter=中巻末挿絵広告|url=https://www.dh-jac.net/db1/books/results1280.php?f1=hayBK03-0831&enter=portal&lang=ja&max=1&skip=192&enter=portal&lang=ja<!--Permalinkは表示不良: https://www.dh-jac.net/db1/books/hayBK03-0831-01/portal/192/ -->|chapterurl=https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/image/PB/arc/Books/hayBK/hayBK03-0831/hayBK03-0831-01/hayBK03-0831-01_49.jpg|quote=神佛俗書穴さがし 畠山重忠堀川清談 かうし 為永正助 ひのべ。林屋正藏|website=立命館大学|archive-url=https://web.archive.org/web/20211229101134/https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/image/PB/arc/Books/hayBK/hayBK03-0831/hayBK03-0831-01/hayBK03-0831-01_49.jpg|archive-date=2021-12-29}}(文化7年)
**本書の翻刻(ただし為永正助の挿絵広告はない): {{Cite book|和書|title=錦の帯屋雪の白木屋軒並娘八丈・秋色染話萩の枝折|publisher=人情本刊行会|date=1926-08-25|author=南仙笑楚満人|author-link=為永春水|editor-last=村上|editor-first=静人|editor-link=村上静人|edition=再版|language=ja|location=東京|doi=10.11501/1018461|id={{JPNO|43050624}}}}</ref>。もうひとつは、1850年代の石川齋萬丸という噺家の滑稽談議『神仏穴さがし』<ref>{{Cite book|和書|title=本朝話人伝|publisher=協栄出版社|date=1944-04-20|page=89|author=野村無名庵|author-link=野村無名庵|language=ja|location=東京|doi=10.11501/1031804|id={{NDLJP|1031804/49}}}}
*[[安政]]5年(1858年)出版の[[軍談]]番付表『軍談一本槍』に『神佛穴さがし』石川齋萬丸</ref>が人気を博したという記録である<ref>{{Cite book|和書|title=講談史料集成|publisher=和泉書院|date=2004-11-25|page=33|last=菊池|first=真一|language=ja|chapter=軍書講釈并神道心学辻談議之事歴 関根只誠 著|volume=3巻|location=大阪|id={{JPNO|20706726}}}}
*本章は19世紀中期の演芸評論家[[関根只誠]]が作成した資料の翻刻。
**該当箇所概要: 石川斎万丸 最初は街頭で神仏のおどけ噺をしていた。後に寄席へ出たり、「神仏穴さがし」と看板を掲げてずいぶん興行していたが、最近は音沙汰が無い。</ref>。

書面での『寿限無』の全文記録としては、1912年発行の[[三遊亭福圓遊]]の口演筆記『滑稽百面相』<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無">{{cite book|和書|author=三遊亭福円遊|authorlink=三遊亭福圓遊|title=滑稽百面相|chapter=寿限無|date=1912-06-07|language=ja|publisher=三芳屋|pages=57-65|doi=10.11501/891285|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891285/37|id={{NDLJP|891285}}}}
*本文題名のふりがなは「じゆげんむ」だが本文内では「じゆげむ」となっている。
*p57:イントロ「お目出度お話を申上げます」
*{{Wikisource-inline|寿限無}}
</ref>、1916年の五代目<ref group="F" "落語名作全集立風書房1968_寿限無">{{Cite book|和書|title=落語名作全集|publisher=立風書房|date=1968-01-10|pages=18-19|editor-last=小島|editor-first=貞二|editor-link=小島貞二|language=ja|NCID=BN11523833|chapter=寿限無 かいせつ|volume=4|doi=10.11501/1668192|id={{NDLJP|1668192}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1668192/14|url-access=registration}}{{要登録}}
* p4: 九代目桂文治の略歴
* pp5-18:桂文治『寿限無』本文
* pp18-20:かいせつ
** pp18-19「ウンとかわっているのに、こういうのがある。『寿限無寿限無、御光の摺れ切れ、海砂利水形、雲形鉢、{{Interp|…}}』{{Interp|…}}これが{{Interp|…}}関東大震災の折り被災死した五代目麗々亭柳橋の『寿限無』である。」
</ref>[[麗々亭柳橋 (5代目)|麗々亭柳橋]]の口演筆記<ref group="F" name="麗々亭柳橋1916">{{Cite book|和書|title=落語名人会|publisher=日吉堂書店|date=1916-10-19|pages=366-385|author=麗々亭柳橋|authorlink=麗々亭柳橋|language=ja|chapter=寿限無|location=東京|doi=10.11501/908437|id={{NDLJP|908437}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/908437/194|url-access=registration}}{{要登録}}
* ふりがな (p383): じげむ、じげむ、ごこうのすうりきれ、かいじやり、すゐぎよう、うんぎよばち、ふうらいばち、くふねるところにすむところ、ああぶらこうじぶらこうじ、ぱいぷ、ぱいぷぱいぷのしゆりけ、しゆりけのくうりんだい、くうりんだいのぷんぷくなあ、ぷんぷくなあにぷんぷくぴい、ちやうきうめいのちやうすけ
* 文字 (p383): 壽限無、壽限無、御光の摺切れ、海砂利水形、雲形鉢、風來鉢、喰ふ寝る所に住む所、噫吊柑子吊柑子、貝布、貝布、貝布の朱裏家、朱裏家の倶林臺、倶林臺の文福男、文福男に文福女、長久命の長助
* p385:「いつやら瘤も引込んでしまったんだよ」
* 「おめでたい話」のようなイントロやアウトロは無い。
</ref>など<ref group="F" name="日本蓄音器文句全集1913_寿限無" /><ref group="F" name="演芸画報1918_玉輔">{{Cite book|和書|title=復刻版 演芸画報|publisher=不二出版|date=1988-07-25|orig-year=1918|language=ja|NCID=AN10068686|chapter=第5年第2号(大正7年2月1日発行)『玉輔の「壽限無」』|volume=第7回配本(大正篇第33-38巻)|id=(書籍扱){{NCID|BA60290580}} {{JPNO|00030022}}|at=号内pp135-137}}
*原書書誌: {{Cite journal|和書|journal=[[演芸画報]]|author=森の舎主人|title=[[五明楼玉輔|玉輔]]の『壽限無』|volume=5|date=1918-02-01|issue=2|pages=135-137|publisher=演芸倶楽部|language=ja|location=東京|id={{NCID|AN00271184}} {{JPNO|00032148}}}}
* 依頼先:隠居。落ち:「瘤がひッこんじまったんだ!」。
</ref>がある。
{{Verse translation|lang=ja|<!--original text-->{{読み|寿限無|じゅげむ}} {{読み|寿限無|じゅげむ}}<!--ルビ({{ruby}})は、コピーペーストおよび文書内検索ができないため不採用-->
{{読み|五光|ごこう}}のすりきれず
{{読み|貝砂利|かいじゃり}}{{読み|水魚|すいぎょ}}の
{{読み|水行末|すいぎょうばつ}}
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パイポパイポ
パイポのシューリンガン
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ポンポコナーの
{{読み|長久命|ちょうきゅうめい}}の{{読み|長助|ちょうすけ}}
|<!--translation-->じゅげむじゅげむ
ごこうのすりきれず
かいじゃりすいぎょの
すいぎょうばつ
ふうらいばつ
くねるところにすむところ
やーぶらこうじのぶらこうじ
ぱいぽぱいぽ
ぱいぽのしゅーりんがん
しゅーりんがんのぐーりんだい
ぐーりんだいのぽんぽこぴー
ぽんぽこなーの
ちょうきゅうめいのちょうすけ
| attr1 = 三遊亭福円遊(1912年)<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />(現代仮名遣い・新字体化)}}

{{Verse translation|lang=ja
|<!--original text-->
{{読み|寿限無|じげむ}} {{読み|寿限無|じげむ}}
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|<!--translation-->
じげむじげむ
ごこうのすうりきれ
かいじゃりすいぎょう
うんぎょうばち
ふうらいばち
くうねるところにすむところ
ああぶらこうじぶらこうじ
ぱいぷぱいぷ
ぱいぷのしゅりけ
しゅりけのくうりんだい
くうりんだいのぷんぷくなあ
ぷんぷくなあにぷんぷくぴい
ちょうきゅうめいのちょうすけ
| attr1 = 麗々亭柳橋(1916年)<ref group="F" name="麗々亭柳橋1916" />(現代仮名遣い・新字体化)}}

=== 「めでたい話」 ===
『寿限無』は「めでたい話」である<ref group="F" name="昭和戦前面白落語全集2006_蝶花楼馬楽_寿限無" />{{r|group="F"|"三遊亭福圓遊1912_寿限無"|page=57}}{{r|"三遊亭金馬1993"|page=85}}。また内容が無難なので[[正月#日本の正月|正月]]のめでたい席や子供向けにも適した<ref name="読売新聞19350101">{{cite news|title=松ノ内笑話 - 桂文治君|newspaper=読売新聞 朝刊|date=1935-01-01|page=9|language=ja}}
*[[桂文治 (8代目)]]が記事より20年程度前、[[翁家さん馬]]を名乗っていた頃の逸話談。正月に華族の屋敷に呼ばれた。ご婦人と子供衆の前で話す演題を選ぶにあたり、女郎買い噺も泥棒噺も不適当だから『寿限無』を選定した。
</ref>。たとえば1906年に[[保育所]]への正月慰問の演題に選ばれた<ref name="毎日新聞19060109">例: {{cite news|title=慈善食卓(第四日) - 報効会北保育所|newspaper=大阪毎日新聞|date=1906-01-09|edition=2|at=p7,5段目|language=ja|quote=[[三遊亭一圓遊|一円遊]]のジゲンムといふ話で又々元の笑声と化して}}(明治39年)
*大阪毎日新聞の記念慈善活動の一環として、正月に大阪の芸人達が各所の[[保育所]]等へ慰問上演した様子を報じた記事。<!--出典の糸口:[http://blog.livedoor.jp/bunnzaemon/archives/38344014.html]-->
</ref>。のちにラジオ放送でもめでたい演目として演じられた<ref name="読売新聞19260108" />。

=== 井戸で溺れるバージョン ===
古い類話の子たち、「あのくたら…」や「てきてきに…」は溺れてしまう。対照的に『寿限無』では溺れる場面はない。1914年時点でも「瘤が引っ込んでしまった」という落ちが主流だった{{r|"越原富雄1914"|page=215}}。しかし1914年刊『落語の落』によれば、子が井戸に転落するバージョンもあった。子が救出されて、父親が「寿限無寿限無…」と呼びかけると医者が諫めて「コレコレまだお経には早うござる」、という落ちだったという<ref name="海賀変哲1914" />。

いっぽう三代目三遊亭金馬は1959年の著書に、大阪では「寿限無寿限無」が「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬという落ちだと記している。「先日亡くなった[[三語楼]]」もこの落ちで演じていたという。{{r|"三遊亭金馬1993"|page=85}}。こちらの落ちは、「あにまにまにままね…」の野口復堂による描写と一致する。

寿限無が溺れるバージョンの全文記録としては、三代目蝶花楼馬楽の2種の録音のうちの一つがある。ただ、これは「長助さんが井戸へ落こった。大変だなどうもそいつは。」だけで、結末も落ちもなく終わってしまう<ref group="F" name="日本蓄音器文句全集1913_寿限無" />。

「めでたい話」である『寿限無』で溺れ死ぬことには、抵抗を感じる落語家もいる{{r|"三遊亭金馬1993"|page=85}}。越原富雄(作家 長尾豊(1889年生))は、ストーリーによって名前の使い分けがあると推測した。例として、「三遊の圓六」は井戸落ち噺の主人公の名を『自我偈』から採用したという<ref name="越原富雄1914">{{Cite journal|和書|journal=郷土研究|year=1914|title=長い名を附けられた人|volume=2|pages=215-217|last=越原|first=富雄|issue=2|publisher=郷土研究社|language=ja|location=東京|ref={{SfnRef|越原富雄|1914}}}}
* 参照した復刻版: {{Cite book|title=郷土研究(全六冊)第二冊(復刻版)|publisher=名著出版|date=1975-11-22|language=ja|volume=2|location=東京}}
** 巻内pp215-216 (号内pp23-24):「現在行はれて居るジゲム落語のおちは『餘り名が長いから瘤が引込んでしまつた』と言ふのだが、ジゲムが井戸へ落ちると云ふ式もあるらしく、現に三遊の圓六がこの方を用ゐて居る。此は別に夫相應の長い名の主人公のあるべき譯である。圓六などは名附親を清正公様の坊主にして、長い名は自我偈を使つて居る。」
* 記載以外の補足:
**「三遊の圓六」が採用したという具体的な子の名前は記載していない。
**「越原富雄」は作家 長尾豊(1899生-1936没)のペンネーム({{Kotobank|長尾 豊|20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)}})。
** 本論文は1934年に、大幅増改のうえで長尾豊名義で『伝説民話考』{{Harv|長尾豊|1932}}に収載されている。名前の使い分け説はp346だが、本論文と説明が異なる。
</ref>。『自我偈』(じがげ)は法華経の中の[[如来寿量品第十六]]の中の一節である<ref>{{Cite Kotobank|word=自我偈|author=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2021-12-09}}</ref>。「あにまにまにままね…」と同じく、法華経から引用している。

後世の[[童話]]等であれば、寿限無が溺れるバージョンは存在する。たとえば1932年の小学生用[[副読本]]がある<ref group="F" name="小学童話新読本5年生1932">{{Cite book|和書|title=小学童話新読本 5年生|publisher=日本図書|date=1932-01-01|pages=157-163|editor-last=千葉|editor-first=省三|editor-link=千葉省三|language=ja|chapter=長い名|editor2-first=中山|editor2-last=清左|doi=10.11501/1717920|id={{NDLJP|1717920}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717920/85}}</ref>。

=== 無量寿経説 ===
寿限無の名は[[無量寿経]]が起源だとする説がある<ref name="関山1978">{{Cite book|和書|title=説教の歴史 - 仏教と話芸 -|publisher=岩波書店|date=1978-11-20|page=108|last=関山|first=和夫|author-link=関山和夫|series=岩波新書(黄版)64|language=ja|id={{JPNO|79004845}}}}<!--[[関山和夫]](1929年生)-->
* p108引用:「{{Interp|…}}「寿限無」は『無量寿経』に発する珍名の命名である。」
</ref>。無量寿経から文字を取るという設定は、例えば1929年の[[柳家つばめ]]版にある<ref group="F" name="柳家つばめ1929">{{Cite book|和書|title=落語全集|author=柳家つばめ|authorlink=柳家つばめ|editorlast1=野間|editorfirst1=清治|editorlink1=野間清治|year=1929|chapter=寿限無|volume=中|pages=529-545|publisher=[[大日本雄弁会講談社]]|language=ja|ncid=BN06711244|oclc=1183263853|quote=p538:無量壽経などといふ、経文の中の文字では何うぢゃな}}(昭和4年)
* 再刻版: {{Cite book|和書|title=落語全集|publisher=大日本雄弁会講談社|date=1954-10-25|pages=216-229|author=柳家つばめ|authorlink=柳家つばめ|language=ja|chapter=寿限無|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1662341/114|volume=2 竹の巻|edition=第3版|origyear=1929|location=東京|id={{NDLJP|1662341}}|url-access=registration|ncid=BN06923730|oclc=835755535}}{{要登録}}(昭和29年)
</ref>。しかし無量寿経に言及しないバージョンも、1910年代当時からあった<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。なお、実際の無量寿経に「寿限無」という語は無い<ref name="謎学の旅1_寿限無">{{Cite book|和書|title=謎学の旅|publisher=二見書房|date=1990-06-25|pages=206|editor=[[日本テレビ]]社会情報局|series=TVムック 謎学の旅|language=ja|isbn=4576900684|chapter=寿限無はどこの子? 長名伝説の謎|volume=1|location=東京}}
* pp204-212:第3章7話『寿限無はどこの子? 長名伝説の謎』
** p206引用:「さて、落語を聞いていると{{Interp|…}}『無量寿経という経文の中に、寿限無というのがあるがどうじゃ。』」
** p206: 実際の『無量寿経』には「寿限無」という単語はない旨を説明。
* 本書記載以外の補足:
** 本話の結論:『寿限無』と似た話が日本各地の民話にもある。『寿限無』の起源はわからない。
</ref>。

=== 民話起源説 ===
『[[長い名の子]]』タイプの[[民話]]と落語『寿限無』は類話である<ref name="日本昔話通観研究編2_1998">{{Cite book|title=日本昔話通観 研究編2 日本昔話と古典|chapter=857 長い名の子|publisher=同朋舎|date=1998-03-31|pages=604-605|editor-last=稲田|editor-first=浩二|editor-link=稲田浩二|isbn=4810424901}}</ref>。

日本の[[昔話]](民話)の学術的な収集が始まったのは1910年代からで<ref name="日本昔話名彙1948">{{Cite encyclopedia|title=長い名の子供|encyclopedia=日本昔話名彙|editor=日本放送協会|publisher=日本放送出版協会|date=1948-03-01|pages=223-224|language=ja|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124189/126|id={{NDLJP|1124189}}}}
* p1 [[柳田国男]]『昔話のこと』:「日本の昔話採集はまだ三十余年の歴史しか持って居りません。」
* pp223-224:『長い名前の子供』報告一覧
**「長崎県 江戸のものに近い」とあるが、本表に江戸の項は無い。
</ref>、これは書物の『欲からしづむ淵』や『一子に異名を付けて後悔せし話』よりも後である。

寿限無の出典は昔話集『[[聴耳草紙]]』かもしれないという説があった<ref name="野村1943">{{Cite book|和書|title=落語通談|publisher=高松書房|date=1943-09-15|pages=pp171-172|author=野村無名庵|author-link=野村無名庵|language=ja|NCID=BN06630164|chapter=横町の隠居}}
*記載以外の補足:『聴耳草紙』から引用した子の名に転記誤りあり:
**聴耳草紙(1931):「チヤンバチヤク助」「マンマル入道」「エアウツク」「ショウゴの神」「まだ咲ァき」
**落語通談(1943):「チヤンバラチヤク助」「マンマル人道」「ニアウツク」「ジョウゴの神」「まだ咲ァ」
<!--出典の糸口: {{Cite web|url=http://books.salterrae.net/amizako/html2/nomurarakugotsuudann.txt|title=落語通談|accessdate=2021-11-30|website=網迫の「質より量」|chapter=横町の隠居|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141219143926/http://books.salterrae.net/amizako/html2/nomurarakugotsuudann.txt|archivedate=2014-12-19|url-status=live}}--></ref>。『聴耳草紙』は岩手県の昔話集で1931年刊行。『長い名の子』話は三種掲載されている<ref name="佐々木1931" />。そのうちの一話は著者[[佐々木喜善]](1886年生<ref name="NDLauth_佐々木喜善">{{Cite web |url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00067370|title=佐々木, 喜善, 1886-1933 |accessdate=2022-02-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>)自身が幼少期の回想から復元したものだが<ref name="佐々木1931">{{Cite book|和書|title=聴耳草紙|publisher=三元社|date=1931-01-25|pages=502-504|last=佐々木|first=喜善|author-link=佐々木喜善|url=|language=ja|chapter=163番 長い名前|location=東京|id={{JPNO|46081539}}|chapterurl=https://hdl.handle.net/2027/keio.10810659077?urlappend=%3Bseq=528}}
*pp502-503:「一丁ぎりの二丁ぎりの…」。著者注記:「私の祖父のよく語った話であった。稚い記憶の中から。」
*pp503-504:「チョウニンチョウニン…」。著者注記:「出所忘却」(成立時期不記載)
*p504:「{{読み仮名|一束百束ヘソの守|いっそくひゃくそくへそのかみ}}…」。著者注記:「田中喜多美氏のご報告」(成立時期不記載)
*記載以外の補足:
**pp503-504:「チョウニンチョウニン…」、『農民俚譚』では朧澤郡昔話としている({{Cite book|和書|title=農民俚譚|publisher=一誠社|date=1934-05-19|page=47|last=佐々木|first=喜善|author-link=佐々木喜善|editor-last=本山<!--モトヤマ-->|editor-first=桂川<!--ケイセン-->|editor-link=本山桂川|language=ja|NCID=BA33489941|chapter=膽澤郡昔話 - 長い名をつけて失敗した話|location=東京|doi=10.11501/1235623|id={{NDLJP|1235623}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1235623/30|chapter-url-access=registration}}{{要登録}})。
</ref>、遡れるのはそこまでである。『聴耳草紙』掲載のバージョンが『長い名の子』話の起源だといえる理由は示されていない。

=== マスメディアと子供向け ===
『寿限無』は公共放送でも放送可能である。公共放送は内容に関する制約が厳しいため、放送可能な落語の演目は限られていた<ref name="NHK1931">{{Cite book|和書|title=ラヂオ年鑑|publisher=誠文堂|date=1931-2-25|page=302|editor=日本放送協会|editor-link=日本放送協会|volume=昭和6年|id={{NDLJP|1907532/171}}|chapter=大衆演芸と放送|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1907532/171}}</ref>。

1925年に日本の[[ラジオ|公共ラジオ放送]]が始まると{{r|"NHK1933"|page=110}}、さっそく翌年1926年正月の放送番組に「落語 寿限無」が組まれた。演者は[[春風亭柳枝 (4代目)|春風亭華柳]]である。同日付の新聞には解説とフルネーム「じげむじげむ{{Interp|…}}」・あらすじ・落ち「瘤がひっこんでしまった」が掲載されている<ref name="読売新聞19260108">{{cite news|title=よみうりラヂオ版|newspaper=読売新聞 朝刊|date=1926-01-08|pages=9-10|language=ja}}
*p9 今日の放送番組: 東京JOAK「落語 壽限無 春風亭 花柳」; 大阪JOBKと名古屋JOCKの番組表には「壽限無」なし
*p10 「落語 壽限無(午後八時ごろ):
**春風亭華柳は、前年に寄席への出演を引退済。
**春風亭華柳による解説の概要: 寿限無は落語家の入門演目で、私も弟子に最初に教えるのが『たらち{{読み仮名|女|おんな}}』{{ママ}}『錦明竹』『{{読み仮名|寿|じゆ}}限{{読み仮名|無|む}}』だ。昔から有名な落語だが、最近は廃れてきた。今回は皇孫誕生にちなんで、めでたい演目として寿限無を選んだ。
**子の名:「じげむじげむ ごこうのすりきれ、かいぢやり、すゐぎよの、すいぎうばつ うんばつに ふうらいばつ くうねるところ、すむところ やうぶらこうぢに、ぶらこうぢ、ぱいぽぱいぽぱいぽのしりが、しいろがどうりんだい、どうりんだいの ぽんぽこな ぽんぽこなの、ぽんぽこぴ、ちようきうめのちようすけ」(旧漢字・仮名遣いは原文のまま。繰り返し記号は展開)
**落ち:「瘤がひっこんでしまった」
* 記載以外の補足:
**春風亭華柳は1868年生 - 1927年没({{Cite web |url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00492722 |title=春風亭, 柳枝 4代目, 1868-1927 |accessdate=2022-02-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}})
** この時期に誕生した皇孫としては照宮成子([[東久邇成子]])がいる。
</ref>。したがってラジオを持たない者でも概要を知ることができた。

ラジオ放送と同じ1926年に、雑誌『[[少年倶楽部]]』も「落語 寿限無」を掲載した<ref group="F" name="少年倶楽部1926-06">{{Cite journal|和書|journal=少年倶楽部|author=呑気屋気楽|title=落語 寿限無|volume=13|date=1926-06-01|publisher=[[大日本雄辯會]]|language=ja|location=東京|oclc=6083714|id={{NCID|AA11256668}}}}(大正15年。原綴『落語 壽限無』呑氣屋氣樂。[[宮尾しげを]]画。大日本雄辯會は後の講談社)
* p112:依頼先:隠居。p115: 落ちは「瘤が引っ込んでしまった」。
</ref>。

1932年にラジオ放送受信契約の加入総数が百万件を超えた<ref name="NHK1933" />。同1932年に『子供の時間』枠で[[柳家権太楼 (初代)|柳家権太楼]]による「寿限無」が放送され<ref name="NHK1933">{{Cite book|title=ラヂオ年鑑|publisher=日本放送出版協会|date=1933-06-10|page=271|editor=日本放送協会|editor-link=日本放送協会|volume=昭和8年|id={{NDLJP|1260073/155}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260073/155}}
*業績大観 p70: 加入総数百万突破
*放送事業略歴 p110: 1925年試験放送開始
*子供の時間 講談・落語 p271: 『落語(寿限無)』柳家権太郎{{ママ}} 昭和7年7月26日放送
*pp467-472: 落語
**p469: {{Interp|落語業界には}}放送出演者は高座禁止という掟があるが、前年に有力な寄席が「ラジオに出ないような芸人だけでは番組ができない」という理由で脱会したので、内規は廃止されるだろうと筆者は予測している。
**p472: 『寿限無』柳家権太郎{{ママ}} 昭和7年7月26日放送
</ref>、同日新聞の番組紹介欄には寿限無のフルネームが掲載された<ref name="朝日新聞19330726">{{Cite news|title=『壽限無』の長助 - 長い長い赤ちゃんの名前(後7時50分落語)柳家権太楼|newspaper=[[東京朝日新聞]]|issue=朝刊|date=1932-07-26|page=9|language=ja}}(昭和7年)
*子の名「壽限無、壽限無、五劫のスリキレ、海砂利、水魚の水行末、雲來末、風來末、食ふ寝るところに住むところ、ヤブラコウヂブラコウヂ、パイポパイポパイポのシユウリンガン、グウリンダイのポンポコピイのポンポコナの長久命の長助」(旧漢字・仮名遣いは原文のまま。繰り返し文字は展開。なお、本紙面は原則振り仮名付きだが、子の名の部分だけ振り仮名が無い)
*放送番組表:『寿限無』は東京局(JOAK)・長野局・静岡局で放送予定だが、大阪局・京都局・名古屋局・秋田局などでは別番組となっている。
</ref>。柳家権太楼は後に同番組名を冠した子供向け落語集も出版した<ref group="F" name="柳家権太楼1941">{{Cite book|和書|title=子供の時間 新作お伽落語集|publisher=大道書房|date=1941-12-15|pages=83-90|author=柳家権太楼|author-link=柳家権太楼 (初代)|language=ja|chapter=長い名前|id={{NDLJP|1873670/50}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1873670/50}}</ref>。

『寿限無』は、[[寄席]]以外で出番が多い落語である。八代目林家正蔵([[林家彦六]]、1895年 - 1982年)は[[ホール落語]]でも演じた<ref name="ライブラリー落語事典1982">{{Cite book|title=寿限無|encyclopedia=ライブラリー落語事典 東京編|publisher=弘文出版|date=1982-11-30|page=251|last=保田<!--やすだ-->|first=武宏<!--たけひろ-->|language=ja|isbn=4-87520-022-6}}</ref>。子供向けの本も複数出ている。2006年時点の調査によれば『寿限無』は、当時の寄席での興行頻度と比べて、子供向けの落語の本での採用頻度が高かった<ref name="宮川健郎2006">{{Cite journal|和書|journal=日本文学|year=2006|title=「落語絵本」の研究 : メディアを横断する児童文化(特集 加工行為としての 文学)|volume=55|page=63|last=宮川<!--Miyakawa-->|first=健郎<!--Takeo-->|issue=1|language=ja|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/55/1/55_KJ00009653969/_pdf/-char/ja|format=pdf|DOI=10.20620/nihonbungaku.55.1_62|ISSN=2424-1202}}</ref>。[[広辞苑]](初版1955年)は、1991年刊の第4版から寿限無のフルネーム部分を掲載している<ref name="広辞苑4版">{{Cite encyclopedia|title=じゅげむ【寿限無】|page=1230|encyclopedia=[[広辞苑]]|edition=4版第2刷|publisher=岩波書店|origyear=4版第1刷1991-11-15|date=1992-11-17|editor=新村出|language=ja|ISBN=4-00-080103-1}}
* 「やぶら小路ぶら小路(藪柑子とも)」
</ref><ref name="広辞苑3版">3版({{Cite book|title=[[広辞苑]]|edition=3版|publisher=岩波書店|date=1983-12-01|editor=新村出|language=ja|id={{JPNO|84046298}}}})に「寿限無」の項無し。</ref>。

=== 教材化 ===
早口言葉や『長い名の子』(『寿限無』含む)といった[[言葉遊び]]を[[言語教育]]の教材として活用しようという案は、20世紀初頭から提唱されてきた<ref name="菅原_心理研究1919">{{Cite journal|和書|journal=心理研究|year=1919|title=発音遊戯|volume=16|last=菅原|first=教造|issue=95|pages=1-24 (通巻463-486)|language=ja|DOI=10.4992/jjpsy1912.16.463|ISSN=1884-1066}}
*p24: 国語教育への発音遊戯の活用提起
*本論文は素材の出典を記載していない。
</ref>。

[[テレビ番組|テレビ放送]]は、[[教育番組]]でも『寿限無』を採り上げている<ref name="NHK_eTV19890508">例: {{Cite web |url=https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A198905081030001300200 |title=番組名 にんぎょうげき「じゅげむ じゅげむ」|accessdate=2022-07-05 |website=NHKクロニクル |quote=放送日時 アナログ教育 1989年05月08日(月)午前10:30 - 午前10:45 |language=ja|archive-url=http://archive.today/ONAZZ|archive-date=2022-07-05}}</ref>。なかでも2003年から、『[[にほんごであそぼ]]』で寿限無のフルネーム部分<ref name="NHKにほんごであそぼ_寿限無">{{Cite web|url=https://www.nhk.or.jp/kokugo/nihongo/?das_id=D0005150386_00000|title=ちょちょいのちょい暗記「寿限無(じゅげむ)」|accessdate=2019-11-14|publisher=[[日本放送協会]]|website=NHK for School|work=[[にほんごであそぼ]]<!--|archive-url=https://web.archive.org/web/20201101020859/https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005150386_00000|archive-date=2020-11-01|url-status=live-->}}</ref>を放映して好評を得ている<ref name="坂上2011">{{Cite journal|和書|journal=チャイルド・サイエンス|title=子どもメディア・言葉と文化をめぐる考察 - 第37 回「日本賞」教育コンテンツ国際コンクールから|volume=7 (2010年度)|page=29|last=坂上<!--[https://kodomogakkai.jp/pdf/vol_10_sakaue.pdf p33「さかうえひろこ」]-->|first=浩子|date=2011-03-01|url=https://kodomogakkai.jp/m/pdf/vol_7_sakagami.pdf|publisher=日本こども学会|language=ja|format=pdf|accessdate=2021-12-10<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211210115701/https://kodomogakkai.jp/m/pdf/vol_7_sakagami.pdf|archivedate=2021-12-10-->}}(巻号目次: [https://kodomogakkai.jp/03/07.html 学会誌『チャイルド・サイエンスVOL.7』2011年03月発刊])</ref>。この頃、全生徒に寿限無の名を[[暗唱]]させる小学校もあった<ref name="毎日新聞20031127">{{Cite web |url=http://www.mainichi.co.jp/edu/edunews/0311/27-1.html |title=「寿限無」CD化、授業にも 横須賀の大矢部小では全員で暗唱 |accessdate=2022-02-03 |publisher=毎日新聞 |date=2003-11-27 |website=毎日インタラクティブ |quote=(毎日新聞2003年11月27日神奈川版から) |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20031203235208/http://www.mainichi.co.jp/edu/edunews/0311/27-1.html |archivedate=2003-11-27 |deadlinkdate=2022-02-03}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|journal=研究紀要/東京学芸大学附属竹早中学校|year=2005|title=小中をつなぐ古典学習の提案(1) : 和歌(『万葉集』)・『竹取物語』を事例として|page=14|last=森|first=顕子|url=http://hdl.handle.net/2309/111889|issue=47|language=ja}}</ref>。

2005年度(平成17年度)から小学校国語[[文部科学省検定済教科書|教科書]]2種が『寿限無』を掲載した<ref name="中嶋真弓2005">{{Cite journal|和書|journal=学び舎 : 教職課程研究|title=2005年度版小学校国語科教科書における古典教材採録のあり方|page=71|last=中嶋<!--NAKASHIMA-->|first=真弓<!--Mayumi-->|date=2008-03-31|url=http://hdl.handle.net/10638/987|publisher=愛知淑徳大学教育学会|language=ja|ISSN=1881-0306}}</ref>。一部の教科書で紹介されている図書<ref name="東京都立図書館2012">{{Cite web |url=https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/junior/puratanasu/61/ |title=ぷらたなす61号 |access-date=2022-07-13 |publisher=東京都立図書館 |year=2012 |month=3 |pages=3年生の国語教科書紹介本のリスト(PDF:305KB) p8 |language=ja|ref={{Sfnref|東京都立図書館|2012}}}}</ref>『落語絵本 じゅげむ』(1998年刊)では、一般的なストーリーとは逆に、寿限無のほうが友達に殴られて瘤ができる<ref group="F" name="川端誠1998">{{Cite book|和書|title=落語絵本 じゅげむ|publisher=クレヨンハウス|date=1998-04-01|last=川端|first=誠|language=ja|isbn=490637980X}} (本書はページ番号無い)
* 本書は一部の小学校国語科教科書で紹介されている{{Harv|東京都立図書館|2012}}。
* 巻末筆者あとがきの概要:「やあぶらこうじのやぶこうじ」ではなくて「やあぶらこうじのぶらこうじ」が正しいのでは、という指摘を受ける。しかし落語では両方の例があり、どちらでもよいと考える。絵本向けとしては「やぶこうじ」という植物名を明示するために「やあぶらこうじのやぶこうじ」を選定した。
</ref>。

{{anchors|夏休みになっちゃった}}
===「夏休みになっちゃった」===
「こぶが引っ込んでしまった」とは違う落ちとして、新入学の朝から寿限無の名前を呼んで起こしているうちに「夏休みになっちゃった」、というバージョンが1996年までに現れた<ref group="F" name="三遊亭圓窓1996_寿限無">{{Cite book|和書|title=おもしろ落語図書館 その1|publisher=大日本図書|date=1996-03-10|page=20|author=三遊亭円窓|author-link=三遊亭圓窓|language=ja|isbn=4-477-00645-4|chapter=寿限無|location=東京}}
* pp9-20:『寿限無』
** p9: 和尚「沢善」
** p12:「無量寿経」
** p20:「夏休みになっちゃったぁ!」
</ref>。六代目[[三遊亭圓窓]]は、自分がこの落ちを考案したとしている。死亡や喧嘩の描写を避けたかったからだという<ref name="三遊亭圓窓_寿限無_2006">{{Cite web |url=http://www.ensou-dakudaku.net/furrok/si.html#66 |title=圓窓五百噺ダイジェスト(し行)圓窓五百噺ダイジェスト66 寿限無(じゅげむ) |access-date=2022-06-18 |author=三遊亭圓窓 |website=円窓落語大百科事典 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20071219065349/http://www.ensou-dakudaku.net/furrok/si.html#66 |archive-date=2007-12-19}}</ref>。

2005年度版小学校国語教科書の一つ<ref group="F" name="教育出版_奨学国語4下_2005">{{Cite book|和書|title=ひろがる言葉 小学国語4 下|publisher=教育出版|date=2004-02-10|chapter=もっと読みたい - 寿限無(落語) 三遊亭円窓|page=124|edition=2005年|language=ja|isbn=4-316-20025-9|NCID=BA71719886|location=東京}} 小学校国語教科書</ref>や、NHKが2006年に放映した趣味講座<ref name="NHK趣味悠々番組表2006">{{Cite web |url=https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A200612272200001300200 |title=番組名 趣味悠々 落語をもっとたのしもう 第4回「オチがあるから落語です」 |access-date=2022-06-18 |website=[[NHK]] NHKクロニクル 過去の番組表 番組詳細 |language=ja}}</ref><ref group="F" name="森真由美2018">{{Cite thesis|language=ja|year=2018|last=森|first=真由美|url=http://id.nii.ac.jp/1096/00000940/|title=落語を利用した日本語教育の研究|crid=1583950402666709248|degree=博士(文学)|publisher=金城学院大学|page=47}} [https://kinjo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=993&file_id=20&file_no=1 論文本文 (PDF 3.42MB)]
* p43 本論文の参照元書誌: {{Cite AV media|title=NHK趣味悠々「落語をもっとたのしもう」 上巻・落語「寿限無」に挑戦!|orig-year=2006|date=2007-08-17|newspaper=DVD|author=NHK|authorlink=日本放送協会|publisher=ポニーキャニオン|id=PCBE-51649|language=ja}}</ref>で「夏休みになっちゃった」が採用されている。


== 派生 ==
== 派生 ==
『寿限無』を元にした新作落語がいくつか存在する。[[三笑亭夢之助]]の『寿限無』『[[たらちね (落語)|たらちね]]』を混ぜた『寿限たら』、[[桂福團治|4代目桂福團治]]の『大人になった寿限無』、[[三遊亭白鳥]]の『スーパー寿限無』など。[[三遊亭圓丈|3代目三遊亭圓丈]]『新寿限無』では[[遺伝子工学]](または[[生物学]])の先生が名付け親となる<ref>「五劫の擦り切れ」が「[[クローン]]の擦り切れ」。体細胞それぞれから作ったクローンが全て擦り切れていくなってしまうの意。このように遺伝子工学、生物学の用語となっている。</ref>。他に[[笑福亭笑子]]の『新・寿限無』がある。
『寿限無』を元にした新作落語がいくつか存在する。[[三笑亭夢之助]]の『寿限無』『[[たらちね (落語)|たらちね]]』を混ぜた『{{読み仮名|寿限垂|じゅげたら}}<ref name="落語大百科2001_寿限無" />、[[桂福團治|4代目桂福團治]]の『大人になった寿限無』<ref name="落語大百科2001_寿限無" />、[[三遊亭白鳥]]の『スーパー寿限無』。[[三遊亭圓丈|3代目三遊亭圓丈]]『新寿限無』では[[遺伝子工学]]の先生が名付け親となる<ref>「五劫の擦り切れ」が「[[クローン]]の擦り切れ」など、遺伝子工学、生物学の用語となっている。{{Cite encyclopedia|title=寿限無|encyclopedia=古典・新作落語事典|publisher=丸善出版|date=2016-08-25|page=139|last=瀧口|first=雅仁|edition=2刷|language=ja|isbn=978-4-621-30035-0|location=東京|origyear=2016}}</ref>。他に[[笑福亭笑子]]の『新・寿限無』がある。


== 似た要素のある落語 ==
ほかに長い名前がネタになる落語として「[[たらちね (落語)|たらちね]]」があるが、これは実際の名前ではなく、名前の説明まで名前と勘違いするもの。
* [[金明竹]] - 長い伝言<ref "落語名作全集立風書房1967_金明竹">{{Cite book|和書|title=落語名作全集|publisher=立風書房|year=1967|pages=178-200|author=三代目三遊亭金馬|autho-link=三遊亭金馬 (三代目)|editor-last=小島|editor-first=貞二|language=ja|NCID=BN11523833|chapter=金明竹|volume=3|doi=10.11501/1668191|id={{NDLJP|1668191}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1668191/93|url-access=registration}}{{要登録}}</ref>。
* [[たらちね (落語)]] - 名前の説明までを、長い名前の一部と勘違いするくだりがある<ref name="三遊亭福圓遊1912_たらちね">{{cite book|和書|author=三遊亭福円遊|authorlink=三遊亭福圓遊|title=滑稽百面相|chapter=たらちね|date=1912-06-07|language=ja|publisher=三芳屋|pages=135-146|doi=10.11501/891285|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891285/76|id={{NDLJP|891285}}}}</ref>。鶴女の父の[[字]]は「五光」{{r|"三遊亭福圓遊1912_たらちね"|page=143}}。


== 『寿限無』に由来する事物 ==
== 『寿限無』に由来する事物 ==
* {{anchors|鈴木寿限無}}1999年頃ジョークサイトに『寿限無の墓』と題して、主人公「鈴木寿限無」とその高さ33 mの墓の小話が掲示された<ref><!--個人サイトだが、「鈴木寿限無」を真に受ける者がいるため一次資料として参照する-->{{Cite web |url=http://www.asahi-net.or.jp:80/%7Eec4t-sn/extra/jugemu.htm |title=新東京百景 寿限無の墓 |accessdate=2021-12-26 |author=ゐんば |website=短い・鋭い・ばかばかしい ゐんばの大型小説の世界 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/19990429121149/http://www.asahi-net.or.jp:80/%7Eec4t-sn/extra/jugemu.htm |archivedate=1999-04-29 |deadlinkdate=1921-12-26}}<!--
*画像アーカイブ最古版: {{Cite web |url=http://matsuri.site.ne.jp:80/extra/jugemu.htm |title=新東京百景 寿限無の墓 |accessdate=2021-12-26 |author=佐野祭 |website=佐野祭 ENTERTAINMENT WEB SITE |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010220154409/http://matsuri.site.ne.jp:80/extra/jugemu.htm |archivedate=2001-02-20 |deadlinkdate=2021-12-26}}--></ref>。
* [[お笑いコンビ]]の「海砂利水魚」(現・[[くりぃむしちゅー]])。
* [[お笑いコンビ]]の「海砂利水魚」(現・[[くりぃむしちゅー]])。
* [[任天堂]]の[[テレビゲーム]]『[[マリオシリーズ|スーパーマリオシリーズ]]』に登場する、[[ジュゲム]]や[[トゲゾー|パイポ]]、シューリンガン([[パックンフラワー|フーフーパックン]]や[[ガボン (ゲームキャラクター)|ガボン]]が使うトゲ付きの鉄球)、グーリンダイ(ジュゲムが投げ、パックンフラワーに変化する球)、ポコピーとポコナ([[マリオストーリー]]に登場するジュゲム)。
* [[任天堂]]の[[テレビゲーム]]『[[マリオシリーズ|スーパーマリオシリーズ]]』に登場する、[[ジュゲム]]や[[トゲゾー|パイポ]]、シューリンガン([[パックンフラワー|フーフーパックン]]や[[ガボン (ゲームキャラクター)|ガボン]]が使うトゲ付きの鉄球)、グーリンダイ(ジュゲムが投げ、パックンフラワーに変化する球)、ポコピーとポコナ([[マリオストーリー]]に登場するジュゲム)。
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* [[平和 (パチンコ)|平和]]の[[パチンコ]]機([[羽根モノ]])『寿限無』。
* [[平和 (パチンコ)|平和]]の[[パチンコ]]機([[羽根モノ]])『寿限無』。
* [[詰将棋]]の変種「[[変則将棋|フェアリー詰将棋]]」の一種「ばか詰め」中の1万手を超える作品『寿限無<ref>[http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/kato/fbaka4.htm 協力詰(ばか詰) 1001手~] - [http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/index.htm 詰将棋おもちゃ箱] 2016年9月13日閲覧。</ref>』
* [[詰将棋]]の変種「[[変則将棋|フェアリー詰将棋]]」の一種「ばか詰め」中の1万手を超える作品『寿限無<ref>[http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/kato/fbaka4.htm 協力詰(ばか詰) 1001手~] - [http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/index.htm 詰将棋おもちゃ箱] 2016年9月13日閲覧。</ref>』
* [[壽限無]] - 酒米の品種<ref>{{Cite web |url=http://www.hinshu2.maff.go.jp/gazette/touroku/contents/288touroku.html |title=品種登録公表 第288回(平成24年9月25日官報告示) |publisher=農林水産省 |website=品種登録ホームページ |access-date=2022-07-16 |language=ja}}</ref>。

=== 『寿限無』に由来する楽曲 ===
=== 『寿限無』に由来する楽曲 ===
; 寿限無
; 寿限無
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: 落語をテーマにしたテレビアニメ「[[じょしらく]]」エンディングテーマ。前奏に合わせて、メンバーが『寿限無』を披露している。
: 落語をテーマにしたテレビアニメ「[[じょしらく]]」エンディングテーマ。前奏に合わせて、メンバーが『寿限無』を披露している。


=== 日本以外 ===
== 寿限無が初高座の落語家 ==
* 韓国で1969年から1985年に渡って放映されたTVコメディ番組[[:ko:웃으면 복이와요]]では、オープニングにコメディアン[[:ko:구봉서]](ク・ボンソ)が「{{lang|ko|김수한무 거북이와 두루미 삼천갑자 동방삭}}…」(キム・スハンム{{interp|…}}<ref name="KTV2017">「キム・スハンム」フルネーム音声例: {{YouTube time|rqNObMD7fGo|영웅들의 귀환 김수한무 거북이와 두루미... 기억하시나요? 환상의 듀오 구봉서 곽규석|time=0h0m39s}} ([[KTV国民放送]]チャンネル)</ref>(金 壽限無{{interp|…}}))で始まる72文字<ref name="京郷新聞2016">{{Cite web |url=https://m.khan.co.kr/culture/culture-general/article/201608291533001 |title=전설의 '수한무' 코미디 |access-date=2022-05-03 |author=이기환 |date=2016-08-29 |website=[[京郷新聞]] (韓国) |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20220503040521/https://m.khan.co.kr/culture/culture-general/article/201608291533001 |archive-date=2022-05-03 |url-status=live}}</ref>の長い名前を唱えて人気を博した<ref name="朝鮮日報2016">{{Cite web |url=https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2016/08/29/2016082900581.html |title=웃기 때문에 행복한 거예요. 웃어야 복이 오는 거예요 |access-date=2022-05-03 |author=양지호 |date=2016-08-29 |website=[[朝鮮日報]] (韓国)|language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20211229194615/https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2016/08/29/2016082900581.html|archive-date=2021-12-29 |url-status=live}}</ref>。この名はク・ボンソが『寿限無』など日本の文献から組み合わせて作ったものである<ref name="朝鮮日報2016" />。「キム・スハンム{{interp|…}}」は2010年の韓流ドラマ[[シークレット・ガーデン (テレビドラマ)]]でも呪文として使われた<ref name="eDaily2011">{{Cite web |url=https://www.edaily.co.kr/news/read?newsId=01190646596120016&mediaCodeNo=258 |title=현빈 "김 수한무 거북이와 두루미~...끝까지 외운다" |access-date=2022-05-03 |author=김영환 |date=2011-01-21 |website=edaily.co.kr |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20220503075735/https://www.edaily.co.kr/news/read?newsId=01190646596120016&mediaCodeNo=258 |archive-date=2022-05-03 |url-status=live}}</ref>。
* [[橘家圓蔵 (8代目)|八代目橘家圓蔵]]
* [[入船亭扇橋#9代目|九代目入船亭扇橋]]
* [[林家木久扇]]
* [[柳家小はん|二代目柳家小はん]]
* [[桂文生|三代目桂文生]]
* [[桂南喬]]
* [[はやし家林蔵]]
* [[八光亭春輔]]
* [[入船亭扇遊]]
* [[林家鉄平]]
* [[入船亭扇海]]
* [[柳家小三太]]
* [[春風亭勢朝]]
* [[三遊亭圓丸#2代目|三遊亭圓丸]]
* [[入船亭扇好]]
* [[三遊亭萬窓]]
* [[入船亭扇治]]
* [[入船亭扇辰]]
* [[林家彦いち]]
* [[林家久蔵]]
* [[柳家我太楼]]
* [[古今亭菊太楼]]
* [[入船亭扇里]]
* [[林家きく麿]]
* [[三遊亭金朝#4代目|四代目三遊亭金朝]]
* [[柳家小傳次]]
* [[柳家燕弥]]
* [[入船亭扇蔵#4代目|四代目入船亭扇蔵]]
* [[林家ひろ木]]
* [[柳家権之助]]
* [[入船亭小辰]]
* [[入船亭遊京]]
* [[林家あんこ]]
* [[春風亭弁橋]]
* [[春風亭朝枝]]
* [[三遊亭遊七]]


== 脚注 ==
== 出典 ==
=== F:『寿限無』全文 ===
<references />
{{Reflist|group="F"}}

=== 他の出典 ===
{{Reflist}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Wikisource}}
{{Wikisource}}
* [[長大語]]
* [[長大語]] - 長い人名、地名、単語
* [[金明竹]]
* [[言葉遊び]]
* 長命
* [[Brfxxccxxmnpcccclllmmnprxvclmnckssqlbb11116]] - 実際に付けられそうになった長い名前
** [[不老長寿]]
* [[藤本太郎喜左衛門将時能]] - 実在する最も長い名前の日本人
** [[高齢で死去した著名人一覧]]
* [[パブロ・ピカソ]] - 名前が長い(洗礼名が多い)代表的な有名人

* [[楠山正雄]] - 長い名前を題材にした『[http://www.aozora.gr.jp/cards/000329/files/18388_11943.html 長い名]』という作品がある。
==外部リンク==
<!--* [[サーバント×サービス]] - [[高津カリノ]]の[[漫画]]。「現代版寿限無」の異名を持つほど名前が長い女性が主人公。-->
* 全文
* {{仮リンク|Tikki Tikki Tembo|en|Tikki Tikki Tembo}}あるいは Long-Name-No-Can-Say(''名前長い言うできない''。主人公の名前は"Nicki Nicki Tembo (中略) Gamma Goochee") - 米国での類似の物語群。舞台は日本あるいは中国。日本の寿限無からの翻案との説がある。
** {{Cite AV media|title=寿限無|medium=レコード録音|author=二代目立花家花橘|authorlink=立花家花橘#2代目|year=1929|publisher=[[日本ビクター]]|id=50967, 50968|via=国会図書館デジタルコレクション}} 両面盤2枚組: [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3580342 (1)], [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3580343 (2)], [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3580344 (3)], [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3580345 (4)]
* Sama Kama Wacky Brown - [[ブラザース・フォア]]の創作フォークソング(1960年)。同様の筋。主人公の名前は"Eddie Kucha Kacha (中略) Sama Kama Wacky Brown"。
*** 筆記: {{Cite book|和書|title=ビクター文句集(日本曲)|publisher=声の写真社出版部|date=1930-05-01|pages=651-656|author=立花家花橘|author-link=立花家花橘|language=ja|NCID=BB05019765|chapter=寿限無(50967,50968)|location=東京|doi=10.11501/1112587|id={{NDLJP|1112587}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112587/345|url-access=registration}}{{要登録}}
** {{Cite web |url=https://www2.nhk.or.jp/school/movie/bangumi.cgi?das_id=D0005150091_00000 |title=落語「じゅげむ」 |format=動画 |access-date=2022-06-24 |publisher=[[NHK]] |author=柳家花緑 |authorlink=柳家花緑 |website=NHK for school |work=[[おはなしのくにクラシック]]|language=ja}}


{{古典落語の演目}}
{{古典落語の演目}}

2022年7月24日 (日) 06:00時点における版

寿限無』(じゅげむ)は、落語の代表的な前座噺。長い名前を言い立てる早口言葉で知られる。上方落語では古くは別題を『長名の伜ながなのせがれ』という。『長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である[1]

概要

生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」ものが良いととんでもない名前を付けた、という笑い話[2]縁起のいい言葉を幾つか紹介され、どれにするか迷った末に全部付けてしまった、という筋の場合もある[2]

生まれた子供にめでたい名前を付けようとして、お寺の和尚さん(人物が異なる場合もある)の所へ相談に行った父親は、和尚さんから色々と教えてもらったおめでたい言葉を、全て並べて子供の名前にしてしまう。子供はすくすく育って腕白小僧になる。近所の子供とけんかをし、殴られてこぶを作った子供が父親のところに言いつけに来る。やり取りの中で長い名前が繰り返されるうちに、こぶが引っ込んでしまった、というのがサゲ[F 1]

長い名前の言い立て早口言葉の一種とされることもあり[3]、これを繰り返すことに滑稽さがある[4]。落語家の口慣らしの稽古用として、前座が最初に習う噺のひとつである[5]

名前の代表的な例

演者によって語句・読み方・意味説明は異なる[6]

寿限無じゅげむ寿限無じゅげむ
五劫ごこうのすりきれ、
海砂利かいじゃり水魚すいぎょの、
水行末すいぎょうまつ雲来末うんらいまつ風来末ふうらいまつ
食う寝るところに住むところ、
やぶらこうじのぶらこうじ、
パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、
シューリンガンのグーリンダイ、
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、
長久命ちょうきゅうめい長助ちょうすけ

— NHK教育テレビ おはなしのくにクラシック[F 1]

意味

話の中での架空の意味説明:

寿限無
寿命が限り無いの意[F 1]
五劫の擦り切れ
天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して岩が無くなってしまうまでが一。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと[F 1]三遊亭金馬 (3代目)は、正しくは「すりきれず」だが「すりきれ」と発音するという[7]。いっぽう、『増補 落語事典』は「すりきれ」のほうが正しいと断言する[8]。広辞苑は両説を併記している[4]。古い1910年代の記録でも両例ある[F 2][9]
海砂利水魚
海の砂利や水中の魚のように数限りないたとえ[F 1]。「かいじゃり」・「かいざり」両方の発音例がある[10]
水行末雲来末風来末
水・雲・風の来し方・行く末には果てがないことのたとえ[F 1]
食う寝る処に住む処
衣食住の食・住。これらに困らずに生きて行ける事を祈ったもの[F 1]。また、『滑稽百面相』に記載の版だと、「食う寝る」とは実際には「くねる」であり、海中でくねる海藻の数のように果てしないこと、「住む処」のトコロとは正月の縁起物であるトコロ」のことで、「代々この場所に住みたい」という意味を持つという[F 2]。トコロ(野老(ヤロウ))は、長芋に似た根菜である[11]。三代目三遊亭金馬も、ヤロウとかけて「くめるヤロウに住むトコロ」と言う古い例を紹介している[7]:86
やぶらこうじのぶらこうじ
藪柑子(やぶこうじ)は生命力豊かな縁起物の木の名称[F 1]。葉が落ちても実が生り続けることから縁起物とされる[F 2]。「(や)ぶらこうじ」は藪柑子がぶらぶらなり下がる様とも[F 2]。後半の語が「ぶらこうじ」か「やぶこうじ」かは、論争の種となっている[F 3]
  • 「ぶらこうじ」の例: 1912年 三遊亭福円遊[F 2]、1929年 柳家つばめ[F 4]、2022年 柳家花緑[F 1]
  • 「やぶこうじ」の例: 落語家:1959年 三代目三遊亭金馬[7]、1996年 六代目三遊亭圓窓[F 5][F 6]。落語家以外:1914年刊『落語の落』[9]、1998年刊『落語絵本 じゅげむ』[F 3]
綴りに関しては、広辞苑は「やぶら小路ぶら小路」と「藪柑子」を併記し[4]、NHKはひらがなで表記している[F 1]
パイポ、 シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナ
もろこし(唐土)のパイポ王国のシューリンガンは王、グーリンダイはシューリンガンの妃で、その娘たちポンポコピー、ポンポコナは長生きした[F 1]。あるいは、シューリンガンのグーリンダイに住むパイポパイポ王は長生きで、ポンポコピー・ポンポコナーも天竺の長生き夫婦の名前[F 2]
長久命
長く久しい命[F 1]
長助
長く助けるの意味合いを持つ[F 1]

類似するモチーフの歴史

なにをもって『寿限無』の起源とするかは定義によって異なる。

長い名の子が困ったことになる話

江戸時代の噺家である初代 米沢彦八が著した噺本『軽口御前男』(元禄16年(1703年)刊行[12]:33)に、「よくからしづむふち」という小噺がある。あらすじ:

ある人が、憎い継子を短い名前「によぜがも」に改名させ、かわいい実子を長い名前「あのくたらさんびやくさんぼだい」に改名させた。ある日継子が川に流されるが、速やかに救助される。後日こんどは実子が流されるが、長い名前を呼んでいる間に失せてしまった。母親は「三百を捨てたら助かろものを」と嘆いた[12][13]

「三百[]を捨てる」(わずかの出費のこと)[12]とかけた、この名前特有の駄洒落である。この噺は米沢彦八自身による創作と推定されている[12]

噺の中で名前の由来は説明されていないが、仏教用語「如是我聞にょぜがもん[14]」と「阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい[15][16]」である。

長い名をいちいち繰り返すギャグ

寛政4年(1792年)に刊行された滑稽物の絵本『鼻下長物語』[17]芝全交しばぜんこう作で、早口言葉による会話が29ページに渡って繰り広げられる物語仕立ての作品である[18]。関連部分のあらすじ[19]:

あるとき殿様「法性寺入道前関白太政大臣ほうしょうじのにゅうどうさきのかんばくだいじょうだいじん」は、家老「三なめかけたが三かけたひっちくでっちくほうねんぼうのつうだ左衛門」(略称「つうだ」)の言葉遣いが気に障った。そこで殿様は家老「親も嘉兵衛子も嘉兵衛親嘉兵衛子嘉兵衛子かへ親かへ」親子二人(略称「嘉兵衛」)に、「つうだ」へ徹底指導するよう指示した。指導初日は物別れ。以下二日目のようす:

嘉兵衛:「さて、昨日の申しかけを申そうと存じて、今日も貴宅へ参上致しました。長く申しては事が分りませぬ。つまんで申しましょう。こうでござる: そこもと様が主人法性寺入道前関白太政大臣様のことを、法性寺入道前関白太政大臣殿と仰せらましたから、そこで以てからに何か法性寺入道前関白太政大臣様が大きにお腹をお立ちなされ、俺が事を法性寺入道前関白太政大臣様という筈を、なぜ俺が事を法性寺入道前関白太政大臣殿と言うたとて、そこでもってからに法性寺入道、」
つうだ:「まずお急きなさるな。しかれば拙者が法性寺入道前関白太政大臣殿の事を、法性寺入道前関白太政大臣殿と申したがお気に障り、法性寺入道めが腹を立って、」
嘉兵衛:「いえさ、そう仰せられては済みませぬ。法性寺入道前関白太政大臣様と言う所を、」
(紛糾。以後毎日議論が続き、つうだは翌年になってやっと状況を理解する)

『黄表紙十種』(1935年)[19]:202(常用漢字化、現代仮名遣い化。一部漢字化。表記揺れ統一。句読点調整)

話中の殿様の名「法性寺入道前関白太政大臣」は、小倉百人一首のうちの一首の詠み人藤原忠通の俗称。実在した人物である[20]。小倉百人一首の中で一番長い名で、官名とはいえ、フィクションの名「あのくたら三びゃく三ぼだい」よりも長い。なお、20世紀中旬以降は通常「ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん」と発音する[20]

『鼻下長物語』は好評で[19]:10、さまざまな派生作品が登場した[3]:52初代林屋正蔵も『御加増』という小咄を1833年に刊行した[21][22][23]。全会話が早口言葉で『鼻下長物語』と似たストーリーだが、「法性寺入道前関白太政大臣」の名はない。

長命な名前を次々と提案させる笑話

落語本『無事志有意』(寛政10年(1798年)刊行[24])中の一話「雅名」(または「稚名」)は、めでたい名前を次々に要求するという笑話である。あらすじ:

主人公は、子の幼名を非人に名付けしてもらうとよいと聞き、自分の子に「寿命の長い名」をつけてくれるように非人に頼む。非人はいくつかの名を提案するが、依頼者は納得しない。さらに「三浦の大助」、「浦島太郎は八千歳」、「東方朔は九千歳」と次々に提案してみるが依頼者はもっと長いのを要求してくる。しまいには「西の海へさらり」と提案した、という落ち[25]

三浦の大助百六つ」「浦島太郎が八千歳」「東方朔が九千歳」「西の海へさらり」は、いずれも年末の厄払い祈祷の決まり文句[26][27]。ここでの「非人」とは、厄払いをして回る(門付)物乞い芸人のことである[28]。厄払いの最後に唱える「西の海へさらり」とは「災いは西の海へ捨て去れ」という意味で[29]、長寿とは無関係である。

怪談本『聞書雨夜友』

文化2年(1805年)刊行[30]:696の怪談・奇談本『聞書雨夜友』(編集: 講釈師・作家である東随舎)の中に「一子に異名を付けて後悔せし話いっしにいみょうをつけこうかいせしはなし」がある。あらすじ:

ある者が自分の男子に珍しい長い名前を付けたいと考えた。知り合いの儒学者に相談したところ、儒学者はまず「百人一首にも『法性寺入道前関白太政大臣』などという長い名前がある」と教えたうえで、「大学朱熹章句子程子曰大学孔子之遺書而初学入徳之門兵衛だいがくしゅきしょうくしていしのいわくだいがくはこうしのいしょにしてしょがくとくいるのもんひょうえ様」が良かろうと薦めた。ところが同席していた和歌の先生がこれを嘲笑し、日本人なのだから漢文ではなく和歌にすべきだとして「ながきよのとをのねふりのみなめざめなみなみのりふねのをとのよしべい」が良い、これは年越しの枕に敷く宝船の絵に書いてある歌だからめでたい、と薦めた。こんどは儒学者がこれを嘲笑したため、和歌先生と儒学者が口論となった。依頼者は呆れて、めでたい名を付けてもらいたいのにお二人が喧嘩されては困る、名付けは自分でやる、と言い出して

敵々てきてき てき須留する御坊おんぼう 蒼臨坊そうりんぼう そう高入道たかにゅうどう 播磨はりま別当べっとう 茶碗ちゃわん茶臼ちゃうす 挽木ひきぎ 飛与小助ひょこすけ

『聞書雨夜友』[31](常用漢字、現代仮名遣いに書き換え)
と決めた。やがて子は成長するが、ある日うっかり井戸に落ちた。家の人たちは助けようとして、いちいち長い名を伝言してるうちに、子は「青ぶくれにふくれあがり」、あえなくこの世を去った[31][30]

儒学者の提案した名は、四書五経について朱熹が書いた注釈書『四書集注』の一章『大学章句』の、表題「大学 朱熹章句」と導入部「子程子曰大学孔子之遺書而初学入徳之門也」[32]。「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」は、回文になっている和歌[33]。本書に「てきてきに…」の由来や意味の説明はない。

落語『長名』

野口復堂[34](1864年頃生[35])という講演家が1927年に回想録の中で、書生時代に京都の寄席で落語家「梅香」の長名噺を聞いた、と述べている[36][37]

ある夫婦に男子が生まれ、神主に名前を付けてもらったが子は早死にした。そこで、次の子の名前は寺の和尚に頼んだ。その子の名は『陀羅尼品だらにほん』という仏経から取った「あにまにまにままね、しれしゃりて[]」。夫婦は一生懸命この名を覚え、隣の婆さんも練習する。やがてこの子は学校に通い、先生や同級生がこの長い名で迷惑する。あるときにこの子が井戸に落ちて、長い名前が原因で救助が間に合わず「アダブダブダブ」と溺れてしまう、という落ち[36]

復堂自身も後年1888年にインドへ出張した際に余興として、聞き覚えたこの長名噺を英語で披露した[36]。つまりこの落語は1888年以前から存在したことになる。なお、この回想録はずっと後の1927年に出されたものである[36]

陀羅尼だらにとは呪文のことで、梵語と意味不明な音が混じったものである[38]。「陀羅尼品」は法華経の二十六番目の章の題名で、陀羅尼をいくつか含む[39][40]。陀羅尼の語句や発音は著書によりばらつきがあるが、一例としては「あにまにまねままね、しれいしゃりてい[]」[41]

1966年刊の『上方落語の歴史 改訂増補版』(著者 前田勇)は『長名の伜』・『長名』という演題を、狭義には「あにまにままに しゅりしゃびて[]」の噺、広義には『寿限無』も含める、という二つの意味で使っている[42]。「アダブダブダブと溺れる」という落ちは言及されていない。

桂米朝 (3代目)によれば、『上方落語の歴史』に掲載された長い名前は米朝が提供したとのこと。また、同書は誤植が多いとして自著に訂正版を掲載した[43]。そこでの子の名前は

あにまにままに
しゅりしゃびて
たいへんれ
もくれもくたび
あいしゃび
しょみしゃび
しゃみだらに
あるきゃはしゃばしゃ
びしゃねびて
あななねびて
あたんだ
あれしゅれ
ふくれふくれ
はられはられ
そがさあさまさ
ぶったい びりき ちゅうて
だるまはれしゅて
しょきゃ ねぐしゃ
ねばしゃ ばしゃ
しゅうたい
万太郎

桂南天演、桂米朝筆記[43]

前田勇(1908年生[44][42]:241および桂米朝(1925年生[45])は「あにまにままに…」が陀羅尼品であることを当初は知らなかった[46]。いっぽう三代目三遊亭金馬(1894年生[47])は、大阪の噺は名の出典が『陀羅尼品』という設定で、子が「だだぶ だぶだぶ」と死ぬ落ちがあることは知っていたが、子の名前は「寿限無寿限無」と書いている[7]

『長名』という演題の古い出現例は1917年の桂萬光公演の新聞記事[48]だが、話の内容は不記載。

二代目立花家花橘が1910-1920年代[49]:90に出したレコードは題名が『長名』だが、子の名は「寿限無寿限無…」、落ちは「瘤がひっこんでしまいよった」である[F 7]

『寿限無』が「あにまにままに[]」の噺と違う点は、『寿限無』では名前の個々の言葉の意味を丁寧に説明する場面が設けられていることである[43]:187。「あにまにままに[]」の上演は20世紀後半に廃れた[43]:187

『寿限無』の歴史

寿限無寿限無

1884年の雑誌記事での「ヂゲムヂゲム」の名
1901年の雑誌記事での「ジユゲンム ジユゲンム(壽限無)」の名

『寿限無』の噺は1884年以前に成立しており、さらに昔の19世紀中旬までさかのぼれる可能性がある。

1884年に雑誌『東京経済雑誌』の記事でフルネーム「ジゲムジゲム」が引用されている[50]。記事自体は、経済学者田口卯吉による学術論説である[51]

1901年に再び東京経済雑誌にフルネームと意味が掲載された[52]。筆者伴直之助は、『寿限無』の作者は風来山人すなわち平賀源内だと推測しているが[52]具体的な証拠は挙げていない。

1912年の新聞に、当時89歳だった林家正童(五代目林家正蔵、1824年生[53])の伝記が掲載された[54]。正童が18歳で二代目林家正蔵(通称「托善正蔵」、一説に1858年没[54]:(第4回))に入門して芸名「正橋」だった時代に、「寿限無寿限無じげむじげむ」を稽古したという[54]。この逸話が本当なら、『寿限無』は19世紀中旬には存在していたことになる。

興行の古い記録としては、1901年の新聞の興行予定欄に「落語寿限無ずげんむ…」という演目が見える[55]

『寿限無』全文記録

全文の古い記録としては、1910年代の録音および本が数点ある。

蝶花楼馬楽 (3代目)(1914年没[56])は『寿限無』のSPレコードを2種類出しているが、落ちが別々である。1911年頃発売のアメリカ・ビクター[57]は、落ちが「あんまり名前が長いもんだから瘤が治っちまったよ」で終わる[F 8]。他方、1912年以前に発売されたアメリカン(日米蓄音器商会)版[58][56][49]は、「瘤が治っちまった」の後に寿限無が井戸へ落ちるエピソードが続く[F 9]

馬楽は噺の中で、名前の出典は『神仏穴探し』という本だと説明していたという[59](レコードにはそのような文言はない)。三代目三遊亭金馬(1894年生[47])も、先輩落語家が『寿限無』で『神仏穴探し』という本を取り出したと記している[7]:94。「穴探し」とは粗探しのことである[60]。この本の実在を疑う者もあるが[59][7]:94、少なくとも同題名の講釈は存在した形跡がある。ひとつは1824年頃の、講釈師 為永正助(為永春水の別名[61])と初代林屋正藏の連名による『神仏俗書穴さがし』の広告である[61][62]。もうひとつは、1850年代の石川齋萬丸という噺家の滑稽談議『神仏穴さがし』[63]が人気を博したという記録である[64]

書面での『寿限無』の全文記録としては、1912年発行の三遊亭福圓遊の口演筆記『滑稽百面相』[F 2]、1916年の五代目[F 10]麗々亭柳橋の口演筆記[F 11]など[F 9][F 12]がある。

寿限無じゅげむ 寿限無じゅげむ
五光ごこうのすりきれず
貝砂利かいじゃり水魚すいぎょ
水行末すいぎょうばつ
風来末ふうらいばつ
クネルところにスムところ
ヤーブラ柑子こうじのブラ柑子こうじ
パイポパイポ
パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピー
ポンポコナーの
長久命ちょうきゅうめい長助ちょうすけ

じゅげむじゅげむ
ごこうのすりきれず
かいじゃりすいぎょの
すいぎょうばつ
ふうらいばつ
くねるところにすむところ
やーぶらこうじのぶらこうじ
ぱいぽぱいぽ
ぱいぽのしゅーりんがん
しゅーりんがんのぐーりんだい
ぐーりんだいのぽんぽこぴー
ぽんぽこなーの
ちょうきゅうめいのちょうすけ

—三遊亭福円遊(1912年)[F 2](現代仮名遣い・新字体化)


寿限無じげむ 寿限無じげむ
御光ごこう摺り切れすりきれ
海砂利かいじゃり水形すいぎょう
雲形鉢うんぎょうばち
風来鉢ふうらいばち
ところところ
ああ吊柑子ぶらこうじ吊柑子ぶらこうじ
貝布ぱいぷ貝布ぱいぷ
貝布ぱいぷ朱裏家しゅりけ
朱裏家しゅりけ倶林台くうりんだい
倶林台くうりんだい文福男ぷんぷくなあ
文福男ぷんぷくなあ文福女ぷんぷくぴい
長久命ちょうきゅうめい長助ちょうすけ

じげむじげむ
ごこうのすうりきれ
かいじゃりすいぎょう
うんぎょうばち
ふうらいばち
くうねるところにすむところ
ああぶらこうじぶらこうじ
ぱいぷぱいぷ
ぱいぷのしゅりけ
しゅりけのくうりんだい
くうりんだいのぷんぷくなあ
ぷんぷくなあにぷんぷくぴい
ちょうきゅうめいのちょうすけ

—麗々亭柳橋(1916年)[F 11](現代仮名遣い・新字体化)

「めでたい話」

『寿限無』は「めでたい話」である[F 8][F 2]:57[7]:85。また内容が無難なので正月のめでたい席や子供向けにも適した[65]。たとえば1906年に保育所への正月慰問の演題に選ばれた[66]。のちにラジオ放送でもめでたい演目として演じられた[67]

井戸で溺れるバージョン

古い類話の子たち、「あのくたら…」や「てきてきに…」は溺れてしまう。対照的に『寿限無』では溺れる場面はない。1914年時点でも「瘤が引っ込んでしまった」という落ちが主流だった[68]:215。しかし1914年刊『落語の落』によれば、子が井戸に転落するバージョンもあった。子が救出されて、父親が「寿限無寿限無…」と呼びかけると医者が諫めて「コレコレまだお経には早うござる」、という落ちだったという[9]

いっぽう三代目三遊亭金馬は1959年の著書に、大阪では「寿限無寿限無」が「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬという落ちだと記している。「先日亡くなった三語楼」もこの落ちで演じていたという。[7]:85。こちらの落ちは、「あにまにまにままね…」の野口復堂による描写と一致する。

寿限無が溺れるバージョンの全文記録としては、三代目蝶花楼馬楽の2種の録音のうちの一つがある。ただ、これは「長助さんが井戸へ落こった。大変だなどうもそいつは。」だけで、結末も落ちもなく終わってしまう[F 9]

「めでたい話」である『寿限無』で溺れ死ぬことには、抵抗を感じる落語家もいる[7]:85。越原富雄(作家 長尾豊(1889年生))は、ストーリーによって名前の使い分けがあると推測した。例として、「三遊の圓六」は井戸落ち噺の主人公の名を『自我偈』から採用したという[68]。『自我偈』(じがげ)は法華経の中の如来寿量品第十六の中の一節である[69]。「あにまにまにままね…」と同じく、法華経から引用している。

後世の童話等であれば、寿限無が溺れるバージョンは存在する。たとえば1932年の小学生用副読本がある[F 13]

無量寿経説

寿限無の名は無量寿経が起源だとする説がある[70]。無量寿経から文字を取るという設定は、例えば1929年の柳家つばめ版にある[F 4]。しかし無量寿経に言及しないバージョンも、1910年代当時からあった[F 2]。なお、実際の無量寿経に「寿限無」という語は無い[71]

民話起源説

長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である[1]

日本の昔話(民話)の学術的な収集が始まったのは1910年代からで[72]、これは書物の『欲からしづむ淵』や『一子に異名を付けて後悔せし話』よりも後である。

寿限無の出典は昔話集『聴耳草紙』かもしれないという説があった[73]。『聴耳草紙』は岩手県の昔話集で1931年刊行。『長い名の子』話は三種掲載されている[74]。そのうちの一話は著者佐々木喜善(1886年生[75])自身が幼少期の回想から復元したものだが[74]、遡れるのはそこまでである。『聴耳草紙』掲載のバージョンが『長い名の子』話の起源だといえる理由は示されていない。

マスメディアと子供向け

『寿限無』は公共放送でも放送可能である。公共放送は内容に関する制約が厳しいため、放送可能な落語の演目は限られていた[76]

1925年に日本の公共ラジオ放送が始まると[77]:110、さっそく翌年1926年正月の放送番組に「落語 寿限無」が組まれた。演者は春風亭華柳である。同日付の新聞には解説とフルネーム「じげむじげむ[]」・あらすじ・落ち「瘤がひっこんでしまった」が掲載されている[67]。したがってラジオを持たない者でも概要を知ることができた。

ラジオ放送と同じ1926年に、雑誌『少年倶楽部』も「落語 寿限無」を掲載した[F 14]

1932年にラジオ放送受信契約の加入総数が百万件を超えた[77]。同1932年に『子供の時間』枠で柳家権太楼による「寿限無」が放送され[77]、同日新聞の番組紹介欄には寿限無のフルネームが掲載された[78]。柳家権太楼は後に同番組名を冠した子供向け落語集も出版した[F 15]

『寿限無』は、寄席以外で出番が多い落語である。八代目林家正蔵(林家彦六、1895年 - 1982年)はホール落語でも演じた[79]。子供向けの本も複数出ている。2006年時点の調査によれば『寿限無』は、当時の寄席での興行頻度と比べて、子供向けの落語の本での採用頻度が高かった[80]広辞苑(初版1955年)は、1991年刊の第4版から寿限無のフルネーム部分を掲載している[4][81]

教材化

早口言葉や『長い名の子』(『寿限無』含む)といった言葉遊び言語教育の教材として活用しようという案は、20世紀初頭から提唱されてきた[82]

テレビ放送は、教育番組でも『寿限無』を採り上げている[83]。なかでも2003年から、『にほんごであそぼ』で寿限無のフルネーム部分[84]を放映して好評を得ている[85]。この頃、全生徒に寿限無の名を暗唱させる小学校もあった[86][87]

2005年度(平成17年度)から小学校国語教科書2種が『寿限無』を掲載した[88]。一部の教科書で紹介されている図書[89]『落語絵本 じゅげむ』(1998年刊)では、一般的なストーリーとは逆に、寿限無のほうが友達に殴られて瘤ができる[F 3]

「夏休みになっちゃった」

「こぶが引っ込んでしまった」とは違う落ちとして、新入学の朝から寿限無の名前を呼んで起こしているうちに「夏休みになっちゃった」、というバージョンが1996年までに現れた[F 5]。六代目三遊亭圓窓は、自分がこの落ちを考案したとしている。死亡や喧嘩の描写を避けたかったからだという[90]

2005年度版小学校国語教科書の一つ[F 6]や、NHKが2006年に放映した趣味講座[91][F 16]で「夏休みになっちゃった」が採用されている。

派生

『寿限無』を元にした新作落語がいくつか存在する。三笑亭夢之助の『寿限無』『たらちね』を混ぜた『寿限垂じゅげたら[5]4代目桂福團治の『大人になった寿限無』[5]三遊亭白鳥の『スーパー寿限無』。3代目三遊亭圓丈『新・寿限無』では遺伝子工学の先生が名付け親となる[92]。他に笑福亭笑子の『新・寿限無』がある。

似た要素のある落語

『寿限無』に由来する事物

『寿限無』に由来する楽曲

寿限無
作曲:山下洋輔
楽曲ジャンルはジャズ
寿限無の嘆き
作詞:池田豊和、作曲:和田昭治、歌:デューク・エイセスなど
寿限無No.1!
作詞:森雪之丞、作曲:芹澤廣明、歌:嘉門達夫
寿限夢
作詞・作曲:野田洋次郎、歌:RADWIMPS
寿限無
作詞・作曲:リピート山中、歌:桂雀三郎withまんぷくブラザーズ
ジュゲムシーケンサー
作詞・作曲:ぼーかりおどP
吹奏楽のための綺想曲『じゅげむ』
作曲:足立正
2012年度全日本吹奏楽コンクール課題曲III
JUGEM
作詞:古典落語・川崎敏郎、作曲・編曲:関川秀行、歌:大江戸台風族
ジュゲム 〜こち亀バージョン〜
作詞:古典落語・川崎敏郎 、作曲・編曲:関川秀行、歌:両津勘吉and大江戸台風族
アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』エンディングテーマ
JUGEMU
作詞・作曲:一聖、歌:BugLug
ニッポン笑顔百景
作詞・作曲・編曲:前山田健一、歌:ももいろクローバーZ(名義:桃黒亭一門)
落語をテーマにしたテレビアニメ「じょしらく」エンディングテーマ。前奏に合わせて、メンバーが『寿限無』を披露している。

日本以外

  • 韓国で1969年から1985年に渡って放映されたTVコメディ番組ko:웃으면 복이와요では、オープニングにコメディアンko:구봉서(ク・ボンソ)が「김수한무 거북이와 두루미 삼천갑자 동방삭…」(キム・スハンム[][99](金 壽限無[]))で始まる72文字[100]の長い名前を唱えて人気を博した[101]。この名はク・ボンソが『寿限無』など日本の文献から組み合わせて作ったものである[101]。「キム・スハンム[]」は2010年の韓流ドラマシークレット・ガーデン (テレビドラマ)でも呪文として使われた[102]

出典

F:『寿限無』全文

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 落語「じゅげむ」あらすじ一覧”. NHK for School. おはなしのくにクラシック. 日本放送協会. 2022年6月24日閲覧。(scene 01テロップ:「柳家花緑」)
  2. ^ a b c d e f g h i j 三遊亭福円遊寿限無」『滑稽百面相』三芳屋、1912年6月7日、57-65頁。doi:10.11501/891285NDLJP:891285https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891285/37 
    • 本文題名のふりがなは「じゆげんむ」だが本文内では「じゆげむ」となっている。
    • p57:イントロ「お目出度お話を申上げます」
    • ウィキソースには、寿限無の原文があります。
  3. ^ a b c 川端, 誠『落語絵本 じゅげむ』クレヨンハウス、1998年4月1日。ISBN 490637980X  (本書はページ番号無い)
    • 本書は一部の小学校国語科教科書で紹介されている(東京都立図書館 2012)。
    • 巻末筆者あとがきの概要:「やあぶらこうじのやぶこうじ」ではなくて「やあぶらこうじのぶらこうじ」が正しいのでは、という指摘を受ける。しかし落語では両方の例があり、どちらでもよいと考える。絵本向けとしては「やぶこうじ」という植物名を明示するために「やあぶらこうじのやぶこうじ」を選定した。
  4. ^ a b 柳家つばめ「寿限無」『落語全集』 中、大日本雄弁会講談社、1929年、529-545頁。 NCID BN06711244OCLC 1183263853。"p538:無量壽経などといふ、経文の中の文字では何うぢゃな"。 (昭和4年)
  5. ^ a b 三遊亭円窓「寿限無」『おもしろ落語図書館 その1』大日本図書、東京、1996年3月10日、20頁。ISBN 4-477-00645-4 
    • pp9-20:『寿限無』
      • p9: 和尚「沢善」
      • p12:「無量寿経」
      • p20:「夏休みになっちゃったぁ!」
  6. ^ a b 「もっと読みたい - 寿限無(落語) 三遊亭円窓」『ひろがる言葉 小学国語4 下』(2005年)教育出版、東京、2004年2月10日、124頁。ISBN 4-316-20025-9NCID BA71719886  小学校国語教科書
  7. ^ 二代目立花家花橘. 長名 (レコード録音). オリエントレコード. Nipponophone. A2411,A2412。東京文化財研究所蔵)
    • レーベル: 落語 長名 大阪 立花家花橘
    • 音声: 両面盤1枚。A面3分22秒、B面3分53秒
      • 出だし:「へい、さて。あいかわらずお笑いを申し上げます。」「先生こんにちは。うちのカカがこせがれへりだしましてな。」
      • 先生が命名の説明をする際には「ごこうのすりきれん」だが、父母友人が唱えるフルネームでは「ごこうのすりきれ」。
      • 子のフルネーム(6回中1回目):「じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょのすいぎょうばつ うんぎょうばつ ふうらいばつ くうねるところにすむところ やーぶらこうじ ぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ ポンポコピーのポンポコナーの 長久命の長助」
      • 末尾(落ち):「あんまり名が長いさかい、瘤がひっこんでしまいよったやぁ。」
    • 本盤は、1929発売の日本ビクター版『寿限無』両面盤2枚組(合計約13分)とは別テイク。
  8. ^ a b 三代目蝶花楼馬楽 (2006) [1911]. (録音)貴限無(一般名称『寿限無』). 昭和戦前面白落語全集 東京篇. Vol. 東京篇 特別盤(16). エニー. ISBN 9784901708968. ANOC 7027。
    • 音声(付録CD-ROM):
      • 出だし:「いるかい?」「お前さんお帰りかい」「今かえって来たい」
      • フルネーム4回中の1回目:「じゅげむじゅげむ、ごこのすりきれ、かいじゃりすいぎょの、すいぎょうばつ、うんぎょうばつ、ふうらいばつ、うーねるところにすむところ、やーぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコナー、ポンポコピーの、ちょうきゅうめいのちょうすけ」
      • 末尾:「おじさん、あんまり名前が長いもんだからね、瘤が治っちまったよ。」「たいへんにおめでたいお話。終わります。」
  9. ^ a b c 壽限無 日蓄二〇九八 東京 蝶花樓馬樂」『日本蓄音器文句全集』(大正二年版)日本蓄音器文句全集発行所、1913年12月12日、460-462頁。NDLJP:1907049, 全国書誌番号:86090057https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1907049/246 (要登録)
    • pp460-462
      • 「壽限無」のふりがなは「しけむ」や「じけむ」と書いてある。
      • 先頭:「ヱー極御目出度い話を一席お聴きに入れます」「御前さん御帰りかえ」「ウ、今かえって来たい」
      • 名前6回中の1回目:「壽限無しけむ壽限無ゴコノフーリキレイ カイガルツンギヨノ ツンギヨバツ ウンギヨバツ フーライバツ スメルトコロスムトコロニ アーブラコーヂブラコーヂ パイポパイポパイポノ チーリンガイ チーリンガイノ フーリンライ フーリンライノ ポンポコナ ポンポコチーノ 長久命の長助」
      • 途中:「名が長いもんだから瘤が治っちまった。」「馬鹿馬鹿しい話があるもんで、さー井戸でもおっこちりゃーさわぎだどうも」
      • 末尾:「井戸へおっこった大変だなどうもそいつは。」
    • 本書の複製版: 「壽限無 日蓄二〇九八 東京 蝶花樓馬樂」『大正期SP盤レコード 芸能・歌詞・ことば全記録』 第1巻、大空社、1996年10月26日(原著1913年)、460-462頁。ISBN 4756803202 
  10. ^ 小島, 貞二 編「寿限無 かいせつ」『落語名作全集』 4巻、立風書房、1968年1月10日、18-19頁。doi:10.11501/1668192NCID BN11523833NDLJP:1668192https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1668192/14 (要登録)
    • p4: 九代目桂文治の略歴
    • pp5-18:桂文治『寿限無』本文
    • pp18-20:かいせつ
      • pp18-19「ウンとかわっているのに、こういうのがある。『寿限無寿限無、御光の摺れ切れ、海砂利水形、雲形鉢、[]』[]これが[]関東大震災の折り被災死した五代目麗々亭柳橋の『寿限無』である。」
  11. ^ a b 麗々亭柳橋寿限無」『落語名人会』日吉堂書店、東京、1916年10月19日、366-385頁。doi:10.11501/908437NDLJP:908437https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/908437/194 (要登録)
    • ふりがな (p383): じげむ、じげむ、ごこうのすうりきれ、かいじやり、すゐぎよう、うんぎよばち、ふうらいばち、くふねるところにすむところ、ああぶらこうじぶらこうじ、ぱいぷ、ぱいぷぱいぷのしゆりけ、しゆりけのくうりんだい、くうりんだいのぷんぷくなあ、ぷんぷくなあにぷんぷくぴい、ちやうきうめいのちやうすけ
    • 文字 (p383): 壽限無、壽限無、御光の摺切れ、海砂利水形、雲形鉢、風來鉢、喰ふ寝る所に住む所、噫吊柑子吊柑子、貝布、貝布、貝布の朱裏家、朱裏家の倶林臺、倶林臺の文福男、文福男に文福女、長久命の長助
    • p385:「いつやら瘤も引込んでしまったんだよ」
    • 「おめでたい話」のようなイントロやアウトロは無い。
  12. ^ 「第5年第2号(大正7年2月1日発行)『玉輔の「壽限無」』」『復刻版 演芸画報』 第7回配本(大正篇第33-38巻)、不二出版、1988年7月25日、号内pp135-137。 NCID AN10068686。(書籍扱)NCID BA60290580 全国書誌番号:00030022 
  13. ^ 千葉, 省三、清左, 中山 編「長い名」『小学童話新読本 5年生』日本図書、1932年1月1日、157-163頁。doi:10.11501/1717920NDLJP:1717920https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717920/85 
  14. ^ 呑気屋気楽「落語 寿限無」『少年倶楽部』第13巻、大日本雄辯會、東京、1926年6月1日、OCLC 6083714NCID AA11256668 (大正15年。原綴『落語 壽限無』呑氣屋氣樂。宮尾しげを画。大日本雄辯會は後の講談社)
    • p112:依頼先:隠居。p115: 落ちは「瘤が引っ込んでしまった」。
  15. ^ 柳家権太楼長い名前」『子供の時間 新作お伽落語集』大道書房、1941年12月15日、83-90頁。NDLJP:1873670/50https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1873670/50 
  16. ^ 森, 真由美『落語を利用した日本語教育の研究』(博士(文学)論文)金城学院大学、2018年、47頁http://id.nii.ac.jp/1096/00000940/  論文本文 (PDF 3.42MB)
    • p43 本論文の参照元書誌: NHK (17 August 2007) [2006]. NHK趣味悠々「落語をもっとたのしもう」 上巻・落語「寿限無」に挑戦!. DVD. ポニーキャニオン. PCBE-51649。

他の出典

  1. ^ a b 稲田, 浩二, ed (1998-03-31). “857 長い名の子”. 日本昔話通観 研究編2 日本昔話と古典. 同朋舎. pp. 604-605. ISBN 4810424901 
  2. ^ a b 日本芸術文化振興会: “お寺噺『寿限無』”. 文化デジタルライブラリー. 文化庁. 2022年2月19日閲覧。
  3. ^ a b 綿谷, 雪『言語遊戯の系譜』青蛙房、2015年3月25日(原著1964年)、167頁。ISBN 978-4790504313 
    • pp51-59 1章7節 科白の影響と戯作の追随: 二代目市川團十郎の『外郎売の科白』に影響されて出たのが『鼻下長物語』。その踏襲作が『相州小田原相談』、『日本一癡鑑』(痴鑑)、『どうげ物語』(道外物語)。
    • p60: 江戸時代前半の早口言葉は、『外郎売の科白』か本調子端唄『こんきょうじ』のどちらかに入っていることが多い。
    • p122:「法性寺の入道…」は「もっとも著名な早口言葉の一つで、敬称と卑称の交叉に陥穽がある」
    • p123: 法性寺を題材とした古川柳10句、その他
    • pp166-173 1章16節 長い名
      • p169: 寿限無からの転訛の例「じげもじげも」(丹後)、「ぽんぴきぴい」(富山)
    • pp393-395(追記): 法性寺を題材とした雑俳等24句
    • p394: 徳川家康は「肩書の正称を、征夷大将軍右大臣淳和弉学院別当源氏長者と称した」
    • オンラインで見られる本書の旧版(ただし大幅改訂されている):
  4. ^ a b c d 新村出, ed. (17 November 1992) [4版第1刷1991-11-15]. "じゅげむ【寿限無】". 広辞苑 (4版第2刷 ed.). 岩波書店. p. 1230. ISBN 4-00-080103-1
    • 「やぶら小路ぶら小路(藪柑子とも)」
  5. ^ a b c 川戸, 貞吉 (1 July 2001). "寿限無". 落語大百科. Vol. 2. 東京: 冬青社. pp. 373–374. ISBN 4924725714. NCID BA50062127
  6. ^ 番組総合FAQ Q:番組で紹介される「じゅげむ」は私の知っている「寿限無」と少し違うのですが”. KIDS WORLD. NHK (2004年4月5日). 2004年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月19日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i 三遊亭金馬浮世だんご』(新書版)つり人社、1993年9月(原著1959年)、79-87頁。ISBN 978-4885362217https://books.google.co.jp/books?id=MPVPsm4af8UC&pg=PA85 (URLはGoogle Books)
    • 原書: 三遊亭金馬『浮世断語』有信堂、東京、1959年5月25日、105-114頁。 の再刻版。
    • Google Books版 p94「神仏穴し(さがし)」は原書(1959)p111「神仏穴し」を誤写。
    • p84: 先輩噺家が寿限無を演じた際に『神仏穴探し』という本を横から取り出したと記している(演技か現物か不明)。
    • p85概要: 大阪の噺では寿限無が井戸に落ち、しまいには和尚が読経の節で「寿限無寿限無」と呼ぶ。寿限無は「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬ。「先日亡くなった三語楼さん」もこの落ちで演っていた。
  8. ^ 東大落語会, ed. (30 September 1994). "寿限無". 増補 落語事典 (改訂版 増補版 ed.). 東京: 青蛙房. p. 240. ISBN 9784790505761. NCID BN13922410
    • 『寿限無』の掲載速記本は3点挙げている:
      • 『落語全集』全3巻 金園社 昭和29年12月。これは今村信雄『落語選集』全6巻 楽々社 昭和27年の再編であるとしている。
      • 『落語全集』全3巻 講談社 昭和4年10月。
      • 『林家正蔵集』全3巻 青蛙房 八代目林屋正藏。
  9. ^ a b c 海賀変哲 編「寿限無」『落語の落』三芳屋書店、東京、1914年11月22日、148頁。doi:10.11501/906094NDLJP:906094https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906094/90 
  10. ^ 東京都立中央図書館: “古典落語の「寿限無」に出てくる「海砂利水魚」の読みは「かいじゃりすいぎょ」と思っていたが「かいざりすいぎょ」とも読むのか”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館 (2020年4月17日). 2022年2月17日閲覧。
  11. ^ 精選版 日本国語大辞典(小学館). 野老. コトバンクより2021年12月9日閲覧
  12. ^ a b c d 翻刻版: 米沢彦八 著「軽口御前男 巻之二 欲からしづむ淵」、小高, 敏郎 編『江戸笑話集』 100巻、岩波書店、東京〈日本古典文学大系〉、1966年7月5日(原著1703年)、313頁。 
    • p33:『軽口御前男』は元禄16年に大阪で刊行
  13. ^ テキスト版: 6巻 軽口御前男”. 噺本大系本文データベース. 国文学研究資料館. 2021年12月12日閲覧。
  14. ^ 精選版 日本国語大辞典(小学館). 如是我聞. コトバンクより2022年1月11日閲覧
  15. ^ 精選版 日本国語大辞典(小学館). 阿耨多羅三藐三菩提. コトバンクより2022年1月11日閲覧
  16. ^ 「[]さみゃくさぼたい」と発音する例もある:岡西惟中続無名抄』愚常、大阪、1680年、下巻13裏(画像76面右)。doi:10.20730/100190457https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190457/viewer/762022年2月16日閲覧 延宝8年刊)
  17. ^ 別題・読み仮名: 形容化景唇動 鼻下長物語”. 新日本古典籍総合データベース. 国文学研究資料館. 2022年6月14日閲覧。 “形容化景唇動 鼻下長物語 (けいようけしてかげくちびるをうごかす はなのしたながものがたり)”
  18. ^ 芝全交『鼻下長物語』つるや、1792年。NDLJP:9892722 寛政4年出版)
  19. ^ a b c 翻刻版: 芝全交 著「鼻下長物語」、武笠三、塚本哲三 編『黄表紙十種』有朋堂、東京、1935年8月14日(原著1914年)、173-204頁。NDLJP:1232603https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232603/97 
    • p1 緒言 黄表紙本の概説
    • p3 緒言『当たり作二十三部』とは
    • pp9-10 解題 鼻下長物語: 寛政4年板。本作は黄表紙のヒット作一覧『当たり作二十三部』にエントリーされている。築地善好作の『小田原相談』は本作の続編的な作品。
    • pp173-204 芝全交『鼻下長物語』本文、翻刻
      • p176:「ほうしやうじの入道さきのくわんばく大じやう大臣」
    • p298 式亭三馬『稗史億説年代記』巻末付録『当たり作二十三部』
  20. ^ a b 新村, 出76」『鑑賞 小倉百人一首』(2版)洛文社、1964年11月30日、93頁。doi:10.11501/1347242NDLJP:1347242/50https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1347242/50 
  21. ^ 林屋正蔵御加増」『落噺笑富林』永寿堂西村屋与八、1833年、画像7面-8面頁。NDLJP:9893356https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9893356/7 
  22. ^ 翻刻版: 林屋正蔵 著「笑ふ林 御加増」、幸田露伴 編『笑談五種』富山房〈袖珍名著文庫 第38編〉、1910年8月11日、71-75頁。NDLJP:891336https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891336/42 
  23. ^ テキスト翻刻: 林屋正蔵. “御加増”. 咄本大系本文データベース. 16巻 落噺笑富林. 国文学研究資料館. pp. 24-26. 2022年4月2日閲覧。 p25p26
  24. ^ 笹川, 種郎「解題 落噺無事志有意」『近代日本文学大系』 22巻、国民図書、1928年5月28日、25頁。doi:10.11501/1184601NDLJP:1184601/28https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184601/28 
  25. ^ 坂彦 著「雅名」、立川談洲楼焉馬 編『落咄無事志有意(落噺無事志有意(ぶじしうい))』1798年、画像35面頁https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100174224/viewer/35 寛政10年刊。烏亭焉馬撰)
  26. ^ 喜多村信節 著「厄拂、東方朔」、日本随筆大成編輯部 編『嬉遊笑覧』 下(5版)、成光館出版部、1927年5月20日(原著1830(文政3)年頃)、239-240頁。doi:10.11501/1123104NDLJP:1123104/138https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104/138 
    • 「鶴は千年、亀は万年」「東方朔は九千歳」「三浦大介百六ツ」「西の海へさらり」
  27. ^ 近松門左衛門雪女五枚羽子板 - 初春厄はらひ」『近松時代浄瑠璃』博文館、1896年8月20日(原著1705(宝永2)年)、953頁。doi:10.11501/1883014NDLJP:1883014/487https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883014/487 
    • p953:「鶴は千年、亀は万年」「浦島太郎が八千歳」「東方朔が九千歳」「西の海へさらりさらり、さっさこきょう」
    • p7 :雪女五枚羽子板 宝永二年七月
  28. ^ 中根, 淑50 厄拂ひ」『歌謡字数考』大日本図書、1908年6月20日、237頁。doi:10.11501/992531NDLJP:992531/129https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992531/129 
  29. ^ 佐藤鶴吉 編「西の海へさらり」『元禄文学辞典』(pdf)新潮社、1908年、461頁。 オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20160305072811/http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/genrokujiten.pdf2022年4月2日閲覧 岡島, 昭浩. “大阪大学 岡島昭浩 語彙研究のページ”. 2022年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月2日閲覧。内)
  30. ^ a b 翻刻:二流間主東随舎 著「聞書雨夜友(ききがきあまよのとも) - 一子に異名を付けて後悔せし話」、近藤瑞木 編『初期江戸読本怪談集』国書刊行会〈江戸怪異綺想文芸大系〉、2000年10月30日(原著1805年)、654-657頁。ISBN 978-4-336-04271-2 
    • pp611-671『聞書雨夜友』翻刻 : 内pp654-657:『一子に異名を付けて後悔せし話』
    • p683 解題 総説:『聞書雨夜友』は初期江戸読本(よみほん)というジャンルの本。
    • pp696-698『聞書雨夜友』の解題: 作者である東随舎は江戸の浪人栗原幸十郎であり、別名栗原忠雄、青雲軒および松壽館老人も彼の別名としている。
  31. ^ a b 松壽館老人 著「一子に異名を付けて後悔せし話」、青雲軒主人 編『聞書雨夜友』 4巻、瑶池堂、江戸、1805年、画像全96面中72面から78面頁。doi:10.20730/100052278https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100052278/viewer/762021年12月30日閲覧 文化2年刊)(副題「古今奇談 聞書雨夜友」)
    • 6面: ふりがな「ききかきあまよのとも」「二流間主東随舎 著」
    • 目次での題名: 「一子異名ヲ付後悔成話いつしにいめうヲつけこうくわいなす」、本文前の題名: 「一子に異名を付けて後悔せし話」
    • 76面(原文の漢字・仮名遣いのままで引用):

    敵々仁
    敵須畄
    御坊
    蒼臨坊
    惣高入道
    播广之別當
    茶碗茶臼之
    挽木之
    飛与小助

    てきてきに
    てきする
    おんぼう
    そうりんほう
    そうたかにうとう
    はりまのべつとう
    ちやわんちやうすの
    ひききの
    ひよこすけ

    • 77-78面「評曰」:本書の編集者による評。分不相応なことをしてはいけないという説教。
  32. ^ 朱熹大学」(中国語)『四書集註』 1巻、勝村治右衞門、京都、1766年(原著1189年)、画像6面目。doi:10.11501/2583035NDLJP:2583035/6https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2583035/6 (原著:淳熙己酉、本版:明和3年刊)
  33. ^ 精選版 日本国語大辞典(小学館). 宝船. コトバンクより2022年1月11日閲覧
  34. ^ 読み:のぐちふくどう 野口, 復堂”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 2021年12月9日閲覧。
  35. ^ 佐藤, 哲朗『大アジア思想活劇』サンガ、2008年9月25日、187頁。ISBN 978-4901679954 
    • 野口復堂について
      • pp57-60:野口復堂は元治元年(1864-1865年)生 - 没年不明。旧姓:貫名、本名:野口善四郎。英語教師、仏教系団体役員、教育講談師。
      • p135:野口復堂は明治21年(1888年)9月9日神戸からインドへ出発。p203:明治22年(1889年)2月9日日本に帰国。
      • pp178-179:野口復堂がインドで長名話。
      • pp183-184:著者が「新京極六角橋の笑福亭」および「梅香」という高座名の実在を確認できた。
      • p190:野口復堂はインドで長名話を披露した話を、日本へ帰国後に頻繁に語った。
    • web版: 佐藤, 哲朗. “第十二章 野口復堂の印度旅行~マドラス寄席 長名話~”. 大アジア思想活劇@BODDO. 2007年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月9日閲覧。
  36. ^ a b c d 野口復堂「四十年前の印度旅行」『日印協会会報』第42号、1927年11月18日、95-96頁、国立国会図書館書誌ID:000008858223 
    • 本旅行記は、野口がインドの「霊智学会」(神智学協会)大会への出席と会長の日本招聘のために出張した話を1927年に回想して寄稿したもの。旅行記全文はpp71-102。
      • p72:「明治21年9月9日」神戸出発。
      • pp95-96:長名話
      • p95:「新京極六角橋の笑福亭」
      • p95:「梅香と云ふ落語家のやった話」何代目かは不記載。
      • p95:野口は「この長名話」という表現をしており、落語の題名かどうか曖昧。
      • p96:長名話中に学校のエピソードあり。「此子が学校へ上ることとなり、先生や同級生がこの長名に煩はさるる大滑稽があって[]」。
      • p96:「井戸中で『アダブダブダブ』と落ちになるであるが、陀羅尼品を知って居る者はよいが、知らない者には興味が薄いから[]」。
      • p101:「明治22年もマドラスで暮れ、明けて日本国会開設の23年の正月1日を同地で迎へ、[]同月10日[]マドラス港を」出発して帰路。日本帰着日不記。
  37. ^ 野口1927の誤謬を改訂して再掲: 復堂 野口善四郎「四十二年前の印度旅行」『大鼎呂』二酉社 二酉名著刊行会、東京、1930年1月4日、68-70頁。NDLJP:1151509https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1151509/228 (本書は通しページ番号なし。旅行記内での全文はpp1-88)
      • p4:「明治21年9月9日」神戸出発。
      • pp68-70:長名話
      • p68:「梅香ばいかう
      • p84:明治22年もマドラスで暮れ、明けて日本国会開設の前年の正月1日を同地で迎へ、[]同月10日[]マドラス港を」出発して帰路。p88:神戸上陸。「明治22年2月11日帝国憲法発布の公古の式日であった」。
  38. ^ 精選版 日本国語大辞典(小学館). 陀羅尼. コトバンクより2021年12月9日閲覧
  39. ^ 精選版 日本国語大辞典(小学館). 陀羅尼品. コトバンクより2021年12月9日閲覧
  40. ^ 妙法蓮華經 (No. 0262 鳩摩羅什譯) 陀羅尼品第二十六”. SAT大正新脩大藏經テキストデータベース. 2021年12月14日閲覧。
  41. ^ 台巌「10 妙法蓮華経陀羅尼品第二十六」『法華経要品和訓 : 首書和註画入』村上勘兵衛、京都、1879年8月、74丁表面-75丁表面頁。NDLJP:818231/86https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818231/86 

    あに まに まね ままね
    しれい しやりてい
    しやみや しやびたゐ
    せんてい
    もくてい もたが しやび
    あゐしやび
    さうび しやび
    しやえい あしやえい
    あぎに せんてい
    しやび だらに
    あろきやばさい
    むしやびしやに
    ねびてい
    あべんたらねびてい
    あたんだ
    はれいしやだい
    うくうれい むくうれい
    あられい はられい
    しゆぎやし
    あさんまさんび
    ぶつだびきりぢつてい
    だるまはりしてい
    そうぎやねくしやねい
    ばしやばしや
    しゆだい
    まんたら

  42. ^ a b 前田, 勇「長名の伜」『上方落語の歴史 改訂増補版』杉本書店、大阪、1966年10月1日、240-241頁。doi:10.11501/2516101NCID BN10625022NDLJP:2516101 全国書誌番号:68002621https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2516101/126 (要登録)
    • p27「三、大阪落語の祖、米沢彦八」内: 「現行『寿限無』は、[(中略)]『欲からしづむ淵』[(中略)]を作り変えたものに相違ない」
    • 上方落語の演題とオチ
      • p108:各演目の上方・東京間の移植説については「一応上方の先人の説に従っているが、」要考証としている。
      • pp195-196 寿限無: 同一素材の東京落語『寿限無』
        • 落ち (1)「あんまり名が長いので、瘤が直ってしもた」; (2)「オイオイ、お経にはまだ早い」
        • 筋の記述なし
        • p195: 寿限無は立花家花橘が東京から上方へ移入したとの伝聞、さらにその東京の寿限無は上方落語の改作との伝聞。
      • pp240-241 長名ながな長名の伜ながなのせがれ: 別名 長名、寿限無。同一素材の東京落語『寿限無』
        • 「筋もサゲも寿限無に同じ(但サゲ二様あり)。」
        • 「倅の長い名を『あにまにままに、しゅりしゃびて[]』(梵語なるべしというも未詳)という。」
        • 筋の記述なし
    • 記載以外の補足:
    • 本書は同書名の、前田, 勇「長名の伜」『上方落語の歴史』杉本書店、大阪、1958年11月20日、215-216頁。doi:10.11501/2487140NCID BN10999871NDLJP:2487140 全国書誌番号:59000807https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2487140/112 (要登録)の大幅改訂版。旧版の記述:
      • p184 寿限無:「『長名の倅』に同じ」
      • pp215-216 長名ながな長名の伜ながなのせがれ: 別名 長名、寿限無。同一素材の東京落語『寿限無』
        • 落ち (1)「オイオイ、お経にはまだ早い」; (2)「あんまり名が長いので、瘤が直ってしもた」
        • p215:東京の寿限無は上方落語の改作である。
        • p216:寿限無は立花家花橘が東京から上方へ移入したとの伝聞。
        • 「倅の長い名も上方のは元来[(中略)]『あにまにままに、しゅりしゃびて[]』というのであった由。」との伝聞。
  43. ^ a b c d 桂米朝「長名について」『上方落語ノート第二集』岩波書店、2020年4月16日(原著1985年)、186-187頁。ISBN 9784006023201 
    • 本書は1985年刊『続・上方落語ノート』の再刻。
    • pp186-187 長名について: 戦後これを覚えていたのは桂南天と桂文吾だった。
      • p187: 桂南天バージョン掲載し、桂文吾説での差異箇所を付記。
      • 筋および落ちの記述なし
  44. ^ 前田, 勇, 1908-1972”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 2022年6月23日閲覧。
  45. ^ 桂, 米朝 3世, 1925-2015”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 2022年4月25日閲覧。
  46. ^ 桂米朝「『長名』の原典」『上方落語ノート第四集』岩波書店、2020年7月14日(原著1998年)、55-58頁。ISBN 9784006023225 
    • pp55-58「『長名』の原典」:米朝が『続・上方落語ノート』で「長名」について書いた記事に対して、ある人から『陀羅尼品』にそっくりとの指摘を受けた。
  47. ^ a b 三遊亭, 金馬 3代目, 1894-1964”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 2022年2月23日閲覧。
  48. ^ 「有楽座上方会 六日の演題」『東京朝日新聞 朝刊』、1917年5月6日、7面。「長名(萬光)」(大正6年)
  49. ^ a b 都家歌六『落語レコード八十年史』 上巻、国書刊行会、東京、1987年11月30日、54-56頁。 
    • p54: 米国ビクターのレコードは明治41年に日本に初輸入された。
      • p56: 明治末期から大正初期にかけての米国ビクター両面盤の一覧中に、「三代目蝶花楼馬楽 50044 長屋花見/寿限無」
    • pp69-70: 日米蓄音器製造は明治42年から国産レコードを発売した。明治43年に日本蓄音器商会に社名変更。当時のレーベルは「アメリカン」など5種類。大正4年にすべて両面盤となった。
      • p72: 日米蓄音器商会・日本蓄音器商会 片面盤「三代目蝶花楼馬楽 長屋の花見 2097, 寿限無 2098」
    • p83: 「駱駝印オリエント」ブランドには2系統ある: 京都の東洋蓄音器株式会社系(大正1年(1912年)から大正6年(1917年))と、京都の東洋蓄音器合資会社系(大正3年(1914年)から昭和4年(1929年))。
      • p90: 駱駝印オリエント(2)(東洋蓄音器合資会社系)二代目立花家花橘『長名(二枚)2411・2』
    • p205: 日本ビクターの創立 二代目立花家花橘『寿限無(二枚)([発売年月:昭和]4.12) 50967.8』
  50. ^ 復刻版書誌: 経済学釈義」『東京経済雑誌 17 明治17年7-9月 221-233号』 17巻、日本経済評論社、東京、1982年1月20日、224号 p109。hdl:/2027/uc1.c2785659NCID AN00329943https://hdl.handle.net/2027/uc1.c2785659?urlappend=%3Bseq=137 (URLはHathiTrust

    ヂゲム ヂゲム
    ゴコーノスーリキリ
    カイヂャリスイギョ
    スギヨバチャ
    カイポ カイポ
    カイポノシリヲ
    グリンダ グリンダ
    グリンダノチョースケガ
    アノヤマコエテ
    コノヤマコエテ
    コエテ コエテノ
    ヲポポイノポイマ

    と云へる名を小児に命したる談話を…」

  51. ^ 田口卯吉 著「22 經濟學の釋義に關して駁論諸子に答ふ」、鼎軒田口卯吉全集刊行会 編『鼎軒田口卯吉全集』 3巻、鼎軒田口卯吉全集刊行会、東京、1928年4月9日、232頁。doi:10.11501/1243145NCID BN0695797XNDLJP:1243145/134https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1243145/130 (要登録)
    • 本書では『經濟學の釋義に關して駁論諸子に答ふ』を田口卯吉の著として扱っている。
    • 記載事項以外の補足:
      • 目次p14: 題名誤記:『經濟學の釋義に關して駁論諸子に告ぐ〔ママ〕』
      • p232: ヂゲムの名に誤転記:原書「スーリキリ」→本書「スーリキ、リ」
  52. ^ a b 復刻版書誌: 『東京経済雑誌 86 明治34年10-12月 1101-1113号』 86巻、日本経済評論社、東京、1984年11月20日。NCID AN00329943 
    • 原文書誌: 痴齋「飛鳥旅行走り書(第八)」『東京経済雑誌』第44巻第1109号、経済雑誌社、1901年11月30日、1086-1089 (号内20-23)、NCID AN00159377 
    • 本記事は、1901年9月の国内視察旅行記という体裁で主義主張を語る趣向の連載物(連載開始1901年(明治34年)10月20日発行1102号p734)。今回のエピソードの中で、筆者と一緒に旅行した「小松君」がいたずらで「ジユゲンム」と名乗ったり、余興で講談などを披露する。
    • p1087: 筆者「痴齋」の実名は伴直之助京都鉄道株式会社の取締役兼支配人。
    • p1087: 小松君が船会社職員に向かって:「余の姓名もまた短かからず、ジユゲンム、ジユゲンム、ゴコウノスウエキリ、カイヂヤリ、スイギヨノ、キンライマツ、ウンライマツ、クネルトコロニ、デルトコロ、アーブラコーヂ、ブラコーヂ、パイポ、パイポ、パイポノ、シユウリンガン、シユウリンガンノ、ポンポコナ、ポンポコナノ、ポンポコピ、チヤウキ、チヤウキ、チヤウキウメイノ、チヤウスケ、と申す、是れ余か名なり」
    • p1087: 筆者による推測:「按ずるに『ジユゲンムジユゲンム』の話しは寶暦明和安永年間の知者、風來山人平賀源内が、当世の政治にからず、[]愚を諷誹せし戯作なり」(繰り返し記号は展開。漢字・句読点は一部現代化)。
    • p1087: 各語の意味(一部の語句は名乗りの場面とは異なっている):
      • 「ジユゲンムとは『壽と限りなき』」
      • 「ゴコホノスエは『御光の末』」
      • 「フウライマツ、ウンライマツは『風来末、雲来末』にして、風雲の起る、予じめ其の源因を知るべからず、其の去来豪も測るべからずして、其の末、亦た際限なき」
      • 「カイジヤリ、スイギヨとは大海の砂利、水中の魚介、倶に取れとも終に尽きざるなり」
      • 「パイポ、シユウリンガン、ポンポコナ、ポンポコピ、は皆な天竺の最も長命なりし執政者と、その子孫の姓名」
      • 「長喜、長久命の長助」
    • 記載事項以外の補足:
  53. ^ 林屋, 正蔵 5世, 1824-1923”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 2022年2月23日閲覧。
  54. ^ a b c 読売新聞連載記事「怪談の正童しょうどう」計9回。林家正藏(自称四代目)の伝記。
    • ふく生「怪談の正童(1)」『読売新聞 朝刊』、1912年4月8日、3面。
      • 副題に「八十九歳の老落語家」
      • 先ごろ、八十九歳の林家正藏改め正童となった。
      • 正童の幼名は米三郎。
      • 米公が弟子入りしたのは二代目林家正藏。千住隠亡の寺の坊さんで通称「托善正藏」。
      • 米公が正藏に弟子入りしたのは18歳のとき。
    • ふく生「怪談の正童(2)」『読売新聞 朝刊』、1912年4月9日、3面。
      • 正童の前座に出たときの名は正橋しょうきょう
      • 正橋は「一生懸命に落語の稽古をやった壽限無じげむ壽限無などは堂に入ったものだった、それに感心した林家正藏が『[]跡取りにしてやろう』と、子にしてくれて、いよいよ本職になった。」
      • やがて「正橋はちょうど生意気盛り。安政頃の二十二の年に、いつまでも前座でもあるまいと江戸を飛び出した。ドサ歩きというやつで[]」。
    • ふく生「怪談の正童(4)」『読売新聞 朝刊』、1912年4月11日、3面。
      • 正橋は江戸に帰ると、養父の托善正藏は既に安政5年菊月に死去していた。名人左楽などが勝手に正藏を名乗っていた。正橋は再び田舎稼ぎに出る。
    • ふく生「怪談の正童(5)」『読売新聞 朝刊』、1912年4月12日、3面。
      • 養父正藏の弟子正楽が正統三代目正藏を襲名。
    • ふく生「怪談の正童(7)」『読売新聞 朝刊』、1912年4月14日、3面。
      • 正橋は正鱗に改名。
    • ふく生「怪談の正童(9)」『読売新聞 朝刊』、1912年4月17日、3面。
      • 正統三代目正藏が明治12年に死去。
      • 正鱗はしばらく勝手に正藏を名乗り、後に正式に四代目正藏を襲名。
      • 今は20歳代の若い妻と5歳の子がある「八十五歳の爺さん」。
    • 記載事項以外の補足:
      • 正橋が前座をやめて出奔する「安政頃の二十二の年」という記述は矛盾がある。1824年生で22歳は1845年頃という計算になるが、安政はおよそ1855年から1860年の間である。しかしいずれにせよ19世紀中旬である。
  55. ^ 「新富座」『北國新聞』、1901年9月4日、3面。(明治34年)
    • 小柳枝一座音曲落語[]今晩(二日目)の番組は[]落語壽限無ずげんむ元祖升踊引抜きカッポレ踊人形振り([演者:]柳仙)」
  56. ^ a b 都家歌六『落語レコード八十年史』 下巻、国書刊行会、東京、1987年11月30日、40-44頁。 
    • 本書における「寿限無」最古出現はp44 三代目・蝶花楼馬楽 ディスコグラフィ
    • p40: 三代目・蝶花楼馬楽は明治31年襲名、明治43年発狂、大正3年死去。
    • p448: 二代目立花家花橘 ビクター 50967.8『寿限無(二枚)(昭4.12)』
  57. ^ 日本音声保存、都家歌六(監修)、岡田則夫(監修) 編「解説書」『昭和戦前面白落語全集 東京篇』エニー、2006年、163頁。ISBN 9784901708968NCID BA79536201全国書誌番号:21346026 
    • p163引用: 演者名 三代目蝶花楼馬楽; 演題:レーベル『貴限無』〔ママ〕 一般名称『寿限無』; 使用レコード:レーベル 米ビクター 番号 50044 マトリックスNo.50044A; 初出盤 レーベル 米ビクター 番号 50044 発売年月 1911; タイム 02:05
  58. ^ レコードのカタログ: 新音譜 明治45年5月』日本蓄音器商会、1912年、65頁。doi:10.11501/11697670NDLJP:11697670https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11697670/39 
  59. ^ a b 長尾, 豊「長い名前」『伝説民話考』(昭和9年(1934)再版)成光館書店、東京、1932年10月25日、341-349頁。doi:10.11501/1465988国立国会図書館書誌ID:000000764230https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465988/178 
    • p342:長野県「…ひやくきずんぎり…」←元論文(1914年)の復刻版(1975年)では「…ひちくきずんぎり…」。
    • pp345-346: 信濃の「てきてきおん坊」紹介。
    • p346:「流れたり沈んだりする話は、壽限無のやうな名前ではうつらない。」「[落語の壽限無には]別に井戸へ落ちる話があり、昔、三遊の圓六が話すのを聞いたが、名附親を清正公様の坊さんにして、長い名前は自我偈を使ってゐた。」
    • p347:「故人馬楽に此の話を聞いた時は、名前を附けるのに『神佛穴探し』といふ本に據ると話した。浅学にしてさういふ書物があるかどうか、今だ〔ママ〕に調べても見ないが、何だかありさうにも思はれないので、それで探しても見ない。」
    • 本章は越原富雄名義1914年の論文に大幅加筆したもの。元論文: 越原富雄 (1914)
      • 「越原富雄」は作家 長尾豊(1899生-1936没)のペンネーム(20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『長尾 豊』 - コトバンク)。
  60. ^ 精選版 日本国語大辞典. 穴探. コトバンクより2021年11月17日閲覧
  61. ^ a b 中村, 幸彦「4-8 舌耕文芸家春水」『中村幸彦著述集』 第10巻 舌耕文学談、中央公論社、東京、1983年8月25日、251-252頁。全国書誌番号:83051445 
    • 為永春水が著した物語本『軒並娘八丈』巻末に『神仏俗書穴さがし』という演目の寄席広告がある。フィクションの中の広告ではあるが、中村はこれを為永正助(為永春水)と初代林屋正藏の関係を示す考証史料としている。
  62. ^ 『軒並娘八丈』原書: 二代目南杣笑楚満人中巻末挿絵広告」『帯屋白木屋/軒並娘八丈』1817年、画像295枚の内193枚目。 オリジナルの2021年12月29日時点におけるアーカイブhttps://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/image/PB/arc/Books/hayBK/hayBK03-0831/hayBK03-0831-01/hayBK03-0831-01_49.jpg2022年7月5日閲覧。"神佛俗書穴さがし 畠山重忠堀川清談 かうし 為永正助 ひのべ。林屋正藏"。 (文化7年)
  63. ^ 野村無名庵『本朝話人伝』協栄出版社、東京、1944年4月20日、89頁。doi:10.11501/1031804NDLJP:1031804/49 
    • 安政5年(1858年)出版の軍談番付表『軍談一本槍』に『神佛穴さがし』石川齋萬丸
  64. ^ 菊池, 真一「軍書講釈并神道心学辻談議之事歴 関根只誠 著」『講談史料集成』 3巻、和泉書院、大阪、2004年11月25日、33頁。全国書誌番号:20706726 
    • 本章は19世紀中期の演芸評論家関根只誠が作成した資料の翻刻。
      • 該当箇所概要: 石川斎万丸 最初は街頭で神仏のおどけ噺をしていた。後に寄席へ出たり、「神仏穴さがし」と看板を掲げてずいぶん興行していたが、最近は音沙汰が無い。
  65. ^ 「松ノ内笑話 - 桂文治君」『読売新聞 朝刊』、1935年1月1日、9面。
    • 桂文治 (8代目)が記事より20年程度前、翁家さん馬を名乗っていた頃の逸話談。正月に華族の屋敷に呼ばれた。ご婦人と子供衆の前で話す演題を選ぶにあたり、女郎買い噺も泥棒噺も不適当だから『寿限無』を選定した。
  66. ^ 例: 「慈善食卓(第四日) - 報効会北保育所」p7,5段目、『大阪毎日新聞』、1906年1月9日、2。「一円遊のジゲンムといふ話で又々元の笑声と化して」(明治39年)
    • 大阪毎日新聞の記念慈善活動の一環として、正月に大阪の芸人達が各所の保育所等へ慰問上演した様子を報じた記事。
  67. ^ a b 「よみうりラヂオ版」『読売新聞 朝刊』、1926年1月8日、9-10面。
    • p9 今日の放送番組: 東京JOAK「落語 壽限無 春風亭 花柳」; 大阪JOBKと名古屋JOCKの番組表には「壽限無」なし
    • p10 「落語 壽限無(午後八時ごろ):
      • 春風亭華柳は、前年に寄席への出演を引退済。
      • 春風亭華柳による解説の概要: 寿限無は落語家の入門演目で、私も弟子に最初に教えるのが『たらちおんな』〔ママ〕『錦明竹』『寿じゆ』だ。昔から有名な落語だが、最近は廃れてきた。今回は皇孫誕生にちなんで、めでたい演目として寿限無を選んだ。
      • 子の名:「じげむじげむ ごこうのすりきれ、かいぢやり、すゐぎよの、すいぎうばつ うんばつに ふうらいばつ くうねるところ、すむところ やうぶらこうぢに、ぶらこうぢ、ぱいぽぱいぽぱいぽのしりが、しいろがどうりんだい、どうりんだいの ぽんぽこな ぽんぽこなの、ぽんぽこぴ、ちようきうめのちようすけ」(旧漢字・仮名遣いは原文のまま。繰り返し記号は展開)
      • 落ち:「瘤がひっこんでしまった」
    • 記載以外の補足:
      • 春風亭華柳は1868年生 - 1927年没(春風亭, 柳枝 4代目, 1868-1927”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 2022年2月23日閲覧。
      • この時期に誕生した皇孫としては照宮成子(東久邇成子)がいる。
  68. ^ a b 越原, 富雄「長い名を附けられた人」『郷土研究』第2巻第2号、郷土研究社、東京、1914年、215-217頁。 
    • 参照した復刻版: 『郷土研究(全六冊)第二冊(復刻版)』 2巻、名著出版、東京、1975年11月22日。 
      • 巻内pp215-216 (号内pp23-24):「現在行はれて居るジゲム落語のおちは『餘り名が長いから瘤が引込んでしまつた』と言ふのだが、ジゲムが井戸へ落ちると云ふ式もあるらしく、現に三遊の圓六がこの方を用ゐて居る。此は別に夫相應の長い名の主人公のあるべき譯である。圓六などは名附親を清正公様の坊主にして、長い名は自我偈を使つて居る。」
    • 記載以外の補足:
      • 「三遊の圓六」が採用したという具体的な子の名前は記載していない。
      • 「越原富雄」は作家 長尾豊(1899生-1936没)のペンネーム(20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『長尾 豊』 - コトバンク)。
      • 本論文は1934年に、大幅増改のうえで長尾豊名義で『伝説民話考』(長尾豊 1932)に収載されている。名前の使い分け説はp346だが、本論文と説明が異なる。
  69. ^ 精選版 日本国語大辞典(小学館). 自我偈. コトバンクより2021年12月9日閲覧
  70. ^ 関山, 和夫『説教の歴史 - 仏教と話芸 -』岩波書店〈岩波新書(黄版)64〉、1978年11月20日、108頁。全国書誌番号:79004845 
    • p108引用:「[]「寿限無」は『無量寿経』に発する珍名の命名である。」
  71. ^ 日本テレビ社会情報局 編「寿限無はどこの子? 長名伝説の謎」『謎学の旅』 1巻、二見書房、東京〈TVムック 謎学の旅〉、1990年6月25日、206頁。ISBN 4576900684 
    • pp204-212:第3章7話『寿限無はどこの子? 長名伝説の謎』
      • p206引用:「さて、落語を聞いていると[]『無量寿経という経文の中に、寿限無というのがあるがどうじゃ。』」
      • p206: 実際の『無量寿経』には「寿限無」という単語はない旨を説明。
    • 本書記載以外の補足:
      • 本話の結論:『寿限無』と似た話が日本各地の民話にもある。『寿限無』の起源はわからない。
  72. ^ 日本放送協会, ed. (1 March 1948). "長い名の子供". 日本昔話名彙. 日本放送出版協会. pp. 223–224. NDLJP:1124189
    • p1 柳田国男『昔話のこと』:「日本の昔話採集はまだ三十余年の歴史しか持って居りません。」
    • pp223-224:『長い名前の子供』報告一覧
      • 「長崎県 江戸のものに近い」とあるが、本表に江戸の項は無い。
  73. ^ 野村無名庵「横町の隠居」『落語通談』高松書房、1943年9月15日、pp171-172頁。 NCID BN06630164 
    • 記載以外の補足:『聴耳草紙』から引用した子の名に転記誤りあり:
      • 聴耳草紙(1931):「チヤンバチヤク助」「マンマル入道」「エアウツク」「ショウゴの神」「まだ咲ァき」
      • 落語通談(1943):「チヤンバラチヤク助」「マンマル人道」「ニアウツク」「ジョウゴの神」「まだ咲ァ」
  74. ^ a b 佐々木, 喜善163番 長い名前」『聴耳草紙』三元社、東京、1931年1月25日、502-504頁。全国書誌番号:46081539https://hdl.handle.net/2027/keio.10810659077?urlappend=%3Bseq=528 
  75. ^ 佐々木, 喜善, 1886-1933”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 2022年2月23日閲覧。
  76. ^ 日本放送協会 編「大衆演芸と放送」『ラヂオ年鑑』 昭和6年、誠文堂、1931年2月25日、302頁。NDLJP:1907532/171https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1907532/171 
  77. ^ a b c 日本放送協会, ed (1933-06-10). ラヂオ年鑑. 昭和8年. 日本放送出版協会. p. 271. NDLJP:1260073/155. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260073/155 
    • 業績大観 p70: 加入総数百万突破
    • 放送事業略歴 p110: 1925年試験放送開始
    • 子供の時間 講談・落語 p271: 『落語(寿限無)』柳家権太郎〔ママ〕 昭和7年7月26日放送
    • pp467-472: 落語
      • p469: [落語業界には]放送出演者は高座禁止という掟があるが、前年に有力な寄席が「ラジオに出ないような芸人だけでは番組ができない」という理由で脱会したので、内規は廃止されるだろうと筆者は予測している。
      • p472: 『寿限無』柳家権太郎〔ママ〕 昭和7年7月26日放送
  78. ^ 「『壽限無』の長助 - 長い長い赤ちゃんの名前(後7時50分落語)柳家権太楼」『東京朝日新聞』朝刊、1932年7月26日、9面。(昭和7年)
    • 子の名「壽限無、壽限無、五劫のスリキレ、海砂利、水魚の水行末、雲來末、風來末、食ふ寝るところに住むところ、ヤブラコウヂブラコウヂ、パイポパイポパイポのシユウリンガン、グウリンダイのポンポコピイのポンポコナの長久命の長助」(旧漢字・仮名遣いは原文のまま。繰り返し文字は展開。なお、本紙面は原則振り仮名付きだが、子の名の部分だけ振り仮名が無い)
    • 放送番組表:『寿限無』は東京局(JOAK)・長野局・静岡局で放送予定だが、大阪局・京都局・名古屋局・秋田局などでは別番組となっている。
  79. ^ 保田, 武宏『寿限無』弘文出版、1982年11月30日、251頁。ISBN 4-87520-022-6 
  80. ^ 宮川, 健郎「「落語絵本」の研究 : メディアを横断する児童文化(特集 加工行為としての 文学)」(pdf)『日本文学』第55巻第1号、2006年、63頁、doi:10.20620/nihonbungaku.55.1_62ISSN 2424-1202 
  81. ^ 3版(新村出 編『広辞苑』(3版)岩波書店、1983年12月1日。全国書誌番号:84046298 )に「寿限無」の項無し。
  82. ^ 菅原, 教造「発音遊戯」『心理研究』第16巻第95号、1919年、1-24 (通巻463-486)、doi:10.4992/jjpsy1912.16.463ISSN 1884-1066 
    • p24: 国語教育への発音遊戯の活用提起
    • 本論文は素材の出典を記載していない。
  83. ^ 例: 番組名 にんぎょうげき「じゅげむ じゅげむ」”. NHKクロニクル. 2022年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月5日閲覧。 “放送日時 アナログ教育 1989年05月08日(月)午前10:30 - 午前10:45”
  84. ^ ちょちょいのちょい暗記「寿限無(じゅげむ)」”. NHK for School. にほんごであそぼ. 日本放送協会. 2019年11月14日閲覧。
  85. ^ 坂上, 浩子「子どもメディア・言葉と文化をめぐる考察 - 第37 回「日本賞」教育コンテンツ国際コンクールから」(pdf)『チャイルド・サイエンス』7 (2010年度)、日本こども学会、2011年3月1日、29頁、2021年12月10日閲覧 (巻号目次: 学会誌『チャイルド・サイエンスVOL.7』2011年03月発刊
  86. ^ 「寿限無」CD化、授業にも 横須賀の大矢部小では全員で暗唱”. 毎日インタラクティブ. 毎日新聞 (2003年11月27日). 2003年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月3日閲覧。 “(毎日新聞2003年11月27日神奈川版から)”
  87. ^ 森, 顕子「小中をつなぐ古典学習の提案(1) : 和歌(『万葉集』)・『竹取物語』を事例として」『研究紀要/東京学芸大学附属竹早中学校』第47号、2005年、14頁。 
  88. ^ 中嶋, 真弓「2005年度版小学校国語科教科書における古典教材採録のあり方」『学び舎 : 教職課程研究』、愛知淑徳大学教育学会、2008年3月31日、71頁、ISSN 1881-0306 
  89. ^ ぷらたなす61号”. 東京都立図書館. pp. 3年生の国語教科書紹介本のリスト(PDF:305KB) p8 (2012年3月). 2022年7月13日閲覧。
  90. ^ 三遊亭圓窓. “圓窓五百噺ダイジェスト(し行)圓窓五百噺ダイジェスト66 寿限無(じゅげむ)”. 円窓落語大百科事典. 2007年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月18日閲覧。
  91. ^ 番組名 趣味悠々 落語をもっとたのしもう 第4回「オチがあるから落語です」”. NHK NHKクロニクル 過去の番組表 番組詳細. 2022年6月18日閲覧。
  92. ^ 「五劫の擦り切れ」が「クローンの擦り切れ」など、遺伝子工学、生物学の用語となっている。瀧口, 雅仁 (25 August 2016) [2016]. "寿限無". 古典・新作落語事典 (2刷 ed.). 東京: 丸善出版. p. 139. ISBN 978-4-621-30035-0
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関連項目

外部リンク