正覚
正覚(しょうがく)とは、仏教用語で、さとり、仏のさとり、正しいさとりのことを指す[1]。また、宇宙の大真理をさとること[1]。真理をさとった人[1]、仏[2]、如来を意味する場合もある[1]。
原語・原義
[編集]漢訳で正覚とされるサンスクリット語やパーリ語の原語は一定ではない[3]。
『広説佛教語大辞典』は、正覚と訳された語を仏典から12個挙げている[注釈 1]。
正覚と漢訳されるサンスクリット語のうち、梵: abhisaṃ-bodhiや、梵: abhisaṃ-buddhaは、現前した菩提・仏といった意味あいであり、新訳では現正覚(げんしょうがく)や現等正覚(げんとうしょうがく)など、「現」を付して訳されることが多いとみられる[4][要検証 ]。
三藐三菩提
[編集]正覚を含む漢訳語のうち、無上正覚(むじょう-しょうがく)、(無上)正等正覚(むじょう-しょうとうしょうがく)、(無上)正等覚(むじょう-しょうとうがく)、(無上)等正覚(むじょう-とうしょうがく)、無上菩提(むじょう-ぼだい)、無上正等菩提(むじょうしょうとうぼだい)など「無上」を付して訳されるものは、(阿耨多羅)三藐三菩提と同じ原語であることが多い[5][要検証 ]。
(阿耨多羅)三藐三菩提(あのくたら-さんみゃくさんぼだい)(梵: (anuttarāṃ-)samyak-sambodhiṃ)のサンスクリット原義は「(最も優れた-)正しい-知識」、「(最も勝った-)完全な-理解」といった意味だが[6][要検証 ]、漢訳では等正覚・正等正覚・正等覚と同義であり、意味は、生死の迷いを去って、いっさいの真理を正しく平等に悟ることや、仏の悟り、仏の完全な悟り[7]。
阿耨多羅三藐三菩提は大乗仏教で用いられるが、部派仏典にも現れる[注釈 2]。
初期仏教
[編集]初期仏教では主に、釈迦が菩提樹下で成就した、四諦・八正道・縁起などの理法に対する悟りを指す[2]。
部派仏教
[編集]大乗仏教
[編集]大乗仏教では、諸仏が等しく成就する無上・普遍の悟りのこと[2]。経典や宗派によって解釈は異なるが、概ね、無相の真如や諸法の実相などの体悟を内容とする[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1.さとり - 巴: saṃbodhi(『中阿含経』)、巴: saṃbodha(『雑阿含経』)、巴: abhisaṃbuddha(『増壱阿含経』)、巴: abhisaṃbodhi(The Dīgha Nikāya II → 『沙門果経』)、梵: buddhi(『楞伽経』)、梵: abhisaṃbodhi(Sylvain Lévi, Mahāyāna-sūtrālaṃkāra)、梵: buddhatva(Bunyiu Nanjio, The Laṅkāvatāra Sūtra〈宋訳・唐訳〉 → 『楞伽経』)、梵: saṃbuddha(Bunyiu Nanjio, The Laṅkāvatāra Sūtra〈唐訳〉)、梵: samyag-avabodha(Bunyiu Nanjio, The Laṅkāvatāra Sūtra〈宋訳〉)、梵: adhigama(Bunyiu Nanjio, The Laṅkāvatāra Sūtra〈唐訳〉)
2. 真理をさとった人 - 梵: buddha/チベット語:saṅs rgyas(Ryōzaburō Sakaki, Mahāvyutpatti)[1] - ^ 阿耨多羅三藐三菩提は大正新脩大蔵経に1万3500余回出現するが、[要出典]阿含部は45回に過ぎない[8]。
出典
[編集]- ^ a b c d e 中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、838頁。
- ^ a b c d 中村元ほか編 『岩波仏教辞典 第二版』 岩波書店、2002年10月、p.515の「正覚」の項目。
- ^ 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 687頁「正覚」。
- ^ 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 753頁「現〜」。
- ^ 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 753頁「無上〜」。
- ^ 『漢訳対照梵和大辞典 増補改訂版』 鈴木学術財団 (山喜房仏書林)、1979年、「anuttarāṃ」, 「samyak」, 「sambodhiṃ」参照。
- ^ 等正覚とは - 大辞泉/大辞林/コトバンク
- ^ 阿耨多羅三藐三菩提 (阿含部)